田中 浩二(たなか こうじ、1938年〈昭和13年〉2月23… 田中 浩二(たなか こうじ、1938年〈昭和13年〉2月23日 - 2022年〈令和4年〉8月11日)は、日本の実業家。九州旅客鉄道(JR九州)第2代社長、第2代会長を歴任し、相談役。富山県警察本部長・警視長なども務めた。位階勲等は正四位旭日重光章。 熊本県天草郡河浦町(現天草市)出身。福岡県立小倉高等学校から1960年3月東京大学法学部卒業。1960年(昭和35年)日本国有鉄道(国鉄)に入社。1972年高崎鉄道管理局(現東日本旅客鉄道高崎支社)総務部長、1974年新潟鉄道管理局(現東日本旅客鉄道新潟支社)経理部長、1975年新潟鉄道管理局総務部長、1978年東京西鉄道管理局営業部長、1979年新幹線総局(現東海旅客鉄道新幹線鉄道事業本部等)営業部長、1981年職員局厚生課長、1983年監察局監察役兼監察局調査課長、1984年富山県警察本部長、1986年日本国有鉄道総裁室審議役。
野口 昌吾(のぐち しょうご、1938年2月17日 - )は… 野口 昌吾(のぐち しょうご、1938年2月17日 - )は、日本の実業家。元通商産業省大臣官房審議官。 1956年に栃木県立栃木高等学校、1960年に東京大学経済学部を卒業。1962年4月、通商産業省に入省した。入省同期に、堤富男、坂本春生、深沢亘(特許庁長官、日本鋼管副社長)、平戸正尚(札幌通産局長、島津製作所専務)、三上義忠(中小企業庁次長、知的財産研究所専務理事)、山下正秀(原子力発電技術機構常務理事)などがいる。 資源エネルギー庁総務課海洋開発室などを経て、同省の産業政策局消費経済課長、機械情報産業局電気機器課長、衆議院商工委員会政府委員、同省大臣官房審議官を歴任。1989年6月に退官した。
金井 久兮(かない ひさし、1938年1月21日 - )は、… 金井 久兮(かない ひさし、1938年1月21日 - )は、日本の経営者。 群馬県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行。1990年6月に第一勧業銀行取締役に就任し、1992年4月に常務、1994年4月にオリエントコーポレーション顧問を経て、同年6月に副社長に就任し、1999年6月から2003年6月までに社長を務めた。
松尾 靖彦(まつお やすひこ、1938年1月21日 - )… 松尾 靖彦(まつお やすひこ、1938年1月21日 - )は、日本の経営者。佐賀銀行頭取を務めた。 東京都出身。1961年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1988年6月に大臣官房審議官、同年7月に金属鉱業事業団理事を経て、1992年5月に佐賀銀行顧問に就任し、同年6月に常務、1994年6月に専務、1999年6月に副頭取を経て、2003年6月から2012年6月までに頭取を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木南 隆彦(きなみ たかひこ、1938年1月8日 - 202… 木南 隆彦(きなみ たかひこ、1938年1月8日 - 2021年1月3日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1961年に東京大学法学部を卒業し、同年に安田信託銀行に入行。1988年6月に取締役に就任し、1991年5月に常務、1994年5月に専務、1995年5月に副社長を経て、1998年4月には社長に就任。2000年4月に会長に就任し、同年10月に取締役相談役を経て、2001年6月から相談役を務めた。 1月3日誤嚥性肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
保坂 武孝(ほさか たけのり、1938年1月2日 - )は、… 保坂 武孝(ほさか たけのり、1938年1月2日 - )は、日本の経営者。福岡放送社長を務めた。 山梨県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、日本テレビ放送網に入社。1996年6月には福岡放送常務に就任。1997年9月には社長に昇格。1999年6月に取締役相談役に就任。
井上 秀一(いのうえ ひでかず、1938年1月1日 - 20… 井上 秀一(いのうえ ひでかず、1938年1月1日 - 2021年12月27日)は、日本の実業家。 東京都出身。東京都立戸山高等学校を経て、1961年に東京大学法学部を卒業し、日本電信電話公社に入社。日本電信電話でグループ事業推進本部副本部長や東海支社長などを歴任し、1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1996年6月に副社長を経て、1999年7月に統合再編により発足した東日本電信電話の社長を2002年6月までに務めた。 2003年4月に日本郵政公社非常勤監事に就任し、2007年10月に郵便局社外取締役に就任した。 2015年旭日重光章受章。 2021年12月27日、急性骨髄性白血病のために死去。
野間 惟道(のま これみち、1937年〈昭和12年〉11月2… 野間 惟道(のま これみち、1937年〈昭和12年〉11月26日 - 1987年〈昭和62年〉6月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社5代目代表取締役社長、日刊現代代表取締役社長を務めた。東京府(現・東京都)出身。旧姓は阿南(あなみ)。 陸軍大将・阿南惟幾の五男として生まれる。東京大学法学部卒業後、三菱電機に勤務していたが、野間省一の長女・佐和子と結婚。野間家に入り、1965年講談社取締役に就任。常務、専務と昇進し、1975年からは4年半にわたり、日刊現代に出向し社長を務め、新分野の開発にあたった。その後同社に復帰。副社長を経て、1981年第5代社長に就任。雑誌部門を大きく伸長させるが、1987年6月10日、急性硬膜下血腫のため急死。
三浦 勇一(みうら ゆういち、1937年11月23日- 20… 三浦 勇一(みうら ゆういち、1937年11月23日- 2015年1月5日 )は、日本の経営者。トクヤマ社長、会長を務めた。 東京都出身。1962年に東京大学工学部を経て、1964年に東京大学大学院化学研究科を修了し、同年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1988年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務を経て、1997年6月には社長に就任。2002年4月に会長に就任。 2015年1月5日、食道癌のために死去。77歳没。
島田 精一(しまだ せいいち、1937年10月21日 - )… 島田 精一(しまだ せいいち、1937年10月21日 - )は、日本の実業家。日本ユニシス株式会社特別顧問。前住宅金融支援機構理事長。元三井物産株式会社副社長。元日本ユニシス株式会社社長。 東京都出身。1961年3月に東京大学法学部を卒業。ハーバード大学経営大学院 (AMP) 修了。大学卒業後、三井物産株式会社に入社。2000年、情報産業本部長等を歴任し、代表取締役副社長に就任。2001年、日本ユニシス株式会社社長就任。2007年から2011年3月まで、住宅金融支援機構理事長を務める。2007年イタリア政府より「グランデ・ウッフィチャーレ勲章」を受章。津田塾大学理事長、あゆみトラスト・ホールディングス株式会社特別顧問、スルガ銀行監査役、東京二期会理事等を歴任した。
中本 逸郎(なかもと いつろう、1937年9月17日 - … 中本 逸郎(なかもと いつろう、1937年9月17日 - 2023年2月24日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。サンケイビル社長を務めた。東京都出身。 1961年に東京大学文学部経済学科を卒業し、同年にフジテレビジョンに入社した。 フジテレビでは制作部門に所属し、『大空港』などの作品を手掛けた。 1991年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1999年6月に専務を歴任。 1998年6月にサンケイビル監査役に就任し、2000年6月には社長に就任。 2009年6月から2012年6月までに会長を務めた。2001年6月から2012年6月までに産業経済新聞社監査役も務めた。 1フジテレビジョン、ニッポン放送、ポニーキャニオンなどを傘下に持つフジサンケイグループを統括する認定放送持株会社。
米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2… 米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2018年11月16日)は、日本の実業家。位階は正三位。 学位は経済学修士(デューク大学・1965年)。住友化学株式会社相談役、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、経済産業省産業構造審議会会長、住友化学工業株式会社(現住友化学株式会社)代表取締役社長・会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、石油化学工業協会会長、社団法人日本化学工業協会会長、一般社団法人日本経済団体連合会会長(第3代)などを歴任した。 1937年3月31日、兵庫県神戸市長田区に生まれる。甲南高等学校を経て、1956年4月に東京大学法学部入学、1960年3月、東京大学法学部卒業後、住友化学工業(現住友化学)に入社する。
伊藤 新造(いとう しんぞう、1937年(昭和12年)3月2… 伊藤 新造(いとう しんぞう、1937年(昭和12年)3月29日 - )は、日本の実業家。富士銀行常務取締役を経て、芙蓉総合リース、富士総合研究所社長等を務めた。 お笑い芸人のいとうあさこは長女。 東京府(現:東京都)出身。長男として生まれ、父は高岳製作所取締役の伊藤啓介、母は山岡勘一の長女伊藤みち。 麻布高校、東京大学法学部卒業後、1959年(昭和34年)4月に富士銀行(現:みずほ銀行)採用。当時の富士銀行では将来の幹部候補を10人程度に絞って育成していたが、伊藤はその一人だったという。支店長として本郷、九段支店など各地で勤務、1987年(昭和62年)6月には取締役に選任され人事部長、89年5月には本店営業第一部長、90年5月に常務取締役に昇格。
越川 滋(こしかわ しげる、1937年2月9日 - )は日本… 越川 滋(こしかわ しげる、1937年2月9日 - )は日本の実業家。元三井造船常勤監査役。 千葉県出身。東京大学工学部船舶工学科卒業、同大学大学院工学研究科船舶工学専攻修士課程修了。 同年 三井造船(株)に入社。1994年6月に取締役兼玉野事業所長となり、1997年6月から常勤監査役に就いた。2002年6月27日 退職。 趣味はドライブ、読書。
張 富士夫(ちょう ふじお、1937年〈昭和12年〉2月2日… 張 富士夫(ちょう ふじお、1937年〈昭和12年〉2月2日 - )は、日本の実業家、元トヨタ自動車代表取締役社長、同社元名誉会長。 株式会社デンソー社外監査役、株式会社豊田自動織機社外取締役、東和不動産株式会社監査役、東海旅客鉄道株式会社社外取締役、公益財団法人日印協会理事・副会長、一般財団法人日中経済協会代表理事・会長、一般財団法人全日本剣道連盟会長。勲等は旭日大綬章。 トヨタ自動車代表取締役副会長、同社代表取締役会長(第4代、工販分離前から数えると第8代)を務めたほか、社団法人日本経団連副会長、社団法人日本自動車工業会会長、財団法人道路システム高度化推進機構理事長、財団法人高速道路調査会副会長、財団法人財務会計基準機構理事、財団法人駐車場整備推進機構会長、内閣の教育再生会議委員、国土開発幹線自動車道建設会議委員、ソニーの社外取締役を務めた。
下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 201… 下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 2015年11月15日)は、日本の実業家。鹿島アントラーズ・エフ・シー取締役。元住友金属工業代表取締役社長。 北海道旭川市出身。1960年東京大学文学部社会学科を卒業し、同年、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。主に営業畑を歴任し、1989年に取締役経営企画部長就任。その後常務・専務・副社長を経て、2000年、社長に就任した。鉄鋼不況で株価が額面割れするなど住金の経営危機を乗り切るべく、2002年に新日本製鐵(新日鉄)、神戸製鋼所と三社間資本提携を締結。海外戦略では同年にイギリス・オランダ系の鉄鋼メーカー、コーラスと技術提携を結んだ。 住金の業績悪化の要因となっていた和歌山製鉄所は上工程部門を住金鋼鉄和歌山とし分社。
高橋 邦男(たかはし くにお、1937年1月10日 - )は… 高橋 邦男(たかはし くにお、1937年1月10日 - )は、日本の経営者。三井ホーム社長、会長を務めた。 富山県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年に三井不動産に入社。1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1998年6月に三井ホーム副社長に就任し、1999年6月には社長に昇格。2003年4月に会長に就任。同年5月日本ツーバイフォー建築協会会長に就任。 2005年11月に藍綬褒章を受章。
日景 忠男(ひかげ ただお、1937年(昭和12年)1月2日… 日景 忠男(ひかげ ただお、1937年(昭和12年)1月2日 - 2015年(平成27年)2月)は、日本の実業家。芸能プロダクションJKプランニング元・社長。テレビコメンテーター。LGBTのタレント。俳優の沖雅也の養父。東京都出身。 台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は台湾の大病院で、裕福な少年時代を過ごし、台湾の名門台湾大学法学部を卒業後、東京大学大学院修士課程、東京大学大学院博士課程に進学。その後は芸能プロダクションや飲食店の運営など、実業家として活動した。 1968年(昭和43年)、都内のスナックでアルバイトをしていた俳優志望で、当時ファッションモデルの仕事をしていた16歳の沖雅也と出会う(一説には、元々、日景は、沖の出生地、大分県で暮らす九州帝国大学経済学部出身で実業家の楠宗生氏と顔見知りで、楠氏が、日景に、中学校の卒業式を待たずに15歳で東京に家出した息子である沖の面倒を見て欲しい、と頼んだといわれている)。
葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大… 葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大成建設の元・代表取締役会長。 神奈川県出身。1960年、東京大学工学部土木学科を卒業。大成建設株式会社に入社。営業本部営業部長、取締役、常務、専務、代表取締役副社長を経て、2001年4月、代表取締役社長(前任は平島治)。2007年4月、山内隆司取締役専務の社長就任にともない代表取締役会長となった。2009年4月30日、会長を辞任して相談役最高顧問となり、2010年相談役。 2009年に日本土木工業協会の会長職からも退いたが、日本ダム協会の会長は続け、2009年11月には、民主党・前原誠司国土交通相が建設業者数の過剰感を指摘したことに対して「これからは建設業に対して延命的な政策はとってほしくない」「余った人材は他産業で抱えてもらいたい」と語った。
安土敏(あづち さとし、1937年 - )は日本の小説家、実… 安土敏(あづち さとし、1937年 - )は日本の小説家、実業家、経営コンサルタント。本名は荒井伸也(あらい しんや)。東京都出身。 1960年に住友商事入社後、1970年に食品スーパーマーケットチェーン「サミットストア」(後のサミット)に出向した。その後、同社社長、会長、最高顧問を経て2004年に同社を退社した。2001年にオール日本スーパーマーケット協会(AJS)第3代会長に就任、2015年に退任し、名誉会長となる。日本チェーンストア協会特別顧問。 会社務めの傍らで、1981年から経済小説、コラム、エッセー、評論等を発表してきた。「社畜」という言葉を考案した人物とされる。
二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月… 二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉8月10日)は、日本の実業家。従四位旭日重光章。 元ジャスコ社長、副会長、イオン名誉相談役、日本体操協会名誉会長、元日本チェーンストア協会会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業と同時に、父親である二木一一創業のフタギ株式会社に入社。常務取締役等を歴任後、1970年ジャスコと合併した後、取締役、取締役社長に就任。 その後、取締役副会長、相談役を歴任し、社名がイオンに変更された2001年には、日本体操協会会長に就任。 1995年(平成7年)5月15日 春の褒章で藍綬褒章を受章。
小田切 康幸(おだぎり やすゆき、1936年12月17日- … 小田切 康幸(おだぎり やすゆき、1936年12月17日- )は、日本の経営者。住友大阪セメント社長、会長を務めた。 大阪府出身。1960年に東京大学法学部を卒業し、同年にチッソに入社。タツタ電線、イトーヨーカ堂での勤務を経て、1979年9月に住友セメント(のちの住友大阪セメント)に転じ、1988年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1996年6月に専務を経て、2000年6月に社長に就任。2006年6月に会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
松本 栄一(まつもと えいいち、1936年11月16日 - … 松本 栄一(まつもと えいいち、1936年11月16日 - 2012年2月1日)は、日本の経営者。JSR社長、会長を務めた。 千葉県出身。1961年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本合成ゴム(現在のJSR)に入社。1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務を経て、1993年6月には社長に就任。2001年6月に会長に就任し、2005年6月からは相談役を務めた。 2012年2月1日、死去。75歳没。
伊藤 源嗣(いとう もとつぐ、1936年9月20日 -)は、… 伊藤 源嗣(いとう もとつぐ、1936年9月20日 -)は、日本の実業家。石川島播磨重工社長、会長を務めた。 静岡県出身。1959年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、石川島重工業に入社した。1993年6月に取締役、1998年6月に常務、2000年6月に専務を経て、2001年6月から社長に就任。2003年6月には最高経営執行責任も兼任し、2007年から2008年までに会長を務め、それ以降は相談役と特別顧問を務めた。 日本航空宇宙工業会会長や日本防衛装備工業会会長や日本機械工業連合会会長なども歴任した。 2017年に旭日重光章を受章した。
白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月… 白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月11日 - )は、日本の実業家、テレビドラマのプロデューサー。ビーエスフジ(BSフジ)社長、鹿児島テレビ放送副社長を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。 1962年(昭和37年)東京大学卒業後、フジテレビジョン入社。編成局に勤務し、『鉄腕アトム』 『鉄人28号』 『夜のヒットスタジオ』 『北の国から』 など数多くのヒット番組の編成・企画・プロデュースに携わる。 1981年(昭和56年)10月9日、『北の国から』の第1話が放映される。初回視聴率16.4%、最終回は21.0%を獲得した。視聴者からの反響は絶大で、以後20年間で8本のスペシャルが放送される国民的ドラマとなった。
武内 伸允(たけうち のぶよし、1936年9月3日 - 20… 武内 伸允(たけうち のぶよし、1936年9月3日 - 2000年7月6日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。愛媛県出身。 1960年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋信託銀行に入行。1985年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年3月から1999年3月までに社長を務めた。 2000年7月6日に心不全のために死去。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013… 金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013年12月19日)は、日本の実業家、経営評論家。信越化学工業顧問、元金融監督庁顧問。 東京都出身。東京都立大泉高等学校を経て、1961年に東京大学農学部(農業経済学)を卒業し、信越化学工業に入社する。一貫して経理、財務部門でキャリアを重ね、1992年に同社の常務取締役(経理、財務、法務、資材関係担当)に就任。同職を1999年まで務める。また、公認会計士試験(筆記・口述)試験委員や金融監督庁顧問(企業会計担当)等も務めた。 衆議院議員の亀井静香とは、大泉高校で同学年だった。 2013年12月19日に心不全のため死去。
古賀 正一(こが まさいち、1936年7月26日 - )は、… 古賀 正一(こが まさいち、1936年7月26日 - )は、日本の実業家、教育者。東芝では副社長まで昇進し、また父で市川学園創立者の古賀米吉の死後は学園理事長となった。 1936年に東京都で生まれた。市川中学校・高等学校を経て、東京大学工学部電気工学科を卒業後、東芝にエンジニアとして入社。1983年6月7日に当時市川学園の理事長と市川中学校・高等学校の校長を務めていた父が亡くなり、11日に理事長に就任した。2017年のインタビューによれば周囲に勧められてのことであり、当時の東芝の人事担当役員は1960年代に東芝を再建した社長の土光敏夫を例に挙げ、土光も母が創立した橘学苑の理事長をしていたのだからと理事長就任を勧めたのだという。
濱本 英輔(はまもと えいすけ、1936年7月2日 - )は… 濱本 英輔(はまもと えいすけ、1936年7月2日 - )は、日本の経営者。国税庁長官、北海道東北開発公庫総裁、ロッテ副社長を務めた。 兵庫県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した(為替局総務課)。近畿財務局長、大臣官房審議官などを歴任し、1989年6月23日に大臣官房総務審議官に就任。1991年6月11日に主税局長に就任。1993年6月25日に国税庁長官に就任。 1994年に退官し、日本損害保険協会副会長に就任。その後、1997年7月には北海道東北開発公庫(北東公庫)総裁に就任した。1999年10月に北東公庫と日本開発銀行が統合し、日本政策投資銀行が誕生した結果、同行副総裁となった。
江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月1… 江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月12日 - 2013年(平成25年)2月8日)は、株式会社リクルートの創業者として知られる日本の実業家。「昭和最大の起業家」「東京大学が生んだ最大のベンチャー起業家」とも評されるが、「リクルート事件」の贈賄側人物としても知られる。また奨学金財団として江副育英会を創設し理事長を務めた。 東京大学在学中に就職斡旋の事業に着手してリクルートを創業し、大企業に成長させた。情報をビジネス化するという発想がなかった時代に、就職、転職、住宅などの情報を提供にはじまり、情報産業の旗手となった。「自ら機会をつくり、機会によって自らを変えよ」は江副の遺した社訓として知られ、江副の作ったリクルートは起業家集団としても知られ、日本最大のビジネスモデルとして現在も影響を与え続けている。
菊地 透(きくち とおる、1936年5月10日 - )は、日… 菊地 透(きくち とおる、1936年5月10日 - )は、日本の経営者。サンケイビル社長を務めた。福島県出身。 1960年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行した。1988年6月に取締役に就任し、1990年6月にサンケイビル専務を経て、1991年6月には社長に就任した。2000年6月に会長を経て、2007年6月からは相談役を務めた。 1フジテレビジョン、ニッポン放送、ポニーキャニオンなどを傘下に持つフジサンケイグループを統括する認定放送持株会社。2フジテレビジョン、産業経済新聞社、ニッポン放送、サンケイビル、ポニーキャニオン、文化放送を中心に構成する日本最大級のメディア・コングロマリット。
西岡 喬(にしおか たかし、1936年5月3日- )は、日… 西岡 喬(にしおか たかし、1936年5月3日- )は、日本の経営者。三菱重工業社長、会長を務めた。 東京都生まれ。小学6年のときに高松に移り住む。香川県出身。香川県立高松高校を経て、1959年に東京大学工学部航空学科を卒業した後に三菱重工業に入社した。 1992年6月に取締役に就任し、常務を経て、1998年6月に副社長に就任した。1999年6月に社長に昇格し、2003年6月から2008年6月までに会長を務め、2008年6月から相談役を務めた。 2009年から2013年までに日本郵政会長を務め、三菱自動車工業会長や東京電力監査役や日本経済団体連合会副会長なども歴任した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
青木初夫(あおき はつお、1936年4月8日 - 2022年… 青木初夫(あおき はつお、1936年4月8日 - 2022年4月11日)は、日本の実業家。元アステラス製薬株式会社代表取締役会長。 群馬県出身。群馬県立渋川高等学校を経て、1960年に東京大学農学部農芸化学科を卒業。同校で1963年に農学修士、1972年に農学博士。研究畑出身であるが、米国支社社長などを経て、1999年藤沢薬品工業の社長に就任。山之内製薬との合併に踏み切り、2005年アステラス製薬を誕生させた。 2022年4月11日午前6時16分、膵臓がんのため死去。86歳没。
佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日… 佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日 - 2022年〈令和4年〉6月21日)は、日本の実業家。元NEC代表取締役会長。位階勲等は従四位旭日重光章。 1936年(昭和11年)4月6日に愛知県名古屋市で出生。父は佐々木直(第22代日本銀行総裁)で、父が日本銀行名古屋支店勤務の時に出生し、2歳まで名古屋で過ごした。祖父は佐々木藤太郎(朝鮮総督府官僚)。 東京都杉並区立第七小学校から、中高一貫校の成蹊中学校・高等学校へ進学し、卒業。 1959年に東京大学工学部電気工学科卒業後、東京大学大学院数物系研究科で修士課程修了。 1961年4月に日本電気に入社し、1999年に代表取締役会長となる。
金谷 浩一郎(かなや こういちろう、1936年4月3日 - … 金谷 浩一郎(かなや こういちろう、1936年4月3日 - 2005年1月25日)は、日本の経営者。同和鉱業社長を務めた。 熊本県出身。1960年に東京大学工学部鉱山学科を卒業し、同年に同和鉱業に入社。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年6月に副社長に就任し、1999年4月には社長に昇格。2002年4月に会長に就任。 2001年4月に藍綬褒章を受章。 2005年1月24日に心不全のために死去。68歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
西野 脩司(にしの しゅうじ、1936年3月23日- )は… 西野 脩司(にしの しゅうじ、1936年3月23日- )は、日本の経営者。三井鉱山社長を務めた。東京都出身。 1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1997年6月に社長に就任。2004年1月に経営責任により、社長を辞任。
山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月… 山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月8日 - )は、日本の実業家。みずほフィナンシャルグループ名誉顧問。元富士銀行代表取締役頭取で、元みずほホールディングス代表取締役会長兼Co-CEO。長野県塩尻市出身。 企画畑などを経て、1986年から二年間、シカゴのヘラーインターナショナルコーポレーション(富士銀行が1984年に買収した米国の金融会社、後にGEキャピタルに売却)に副社長として出向。 第一勧業銀行会長兼頭取の杉田力之、日本興業銀行頭取の西村正雄とともに、みずほフィナンシャルグループ発足を率いた。 退任直後である2002年4月に発生した大規模なシステム障害の責任を問われ、退職慰労金の支払いは見送られていたが、みずほFGが公的資金の返済を終えたことから、退任から5年後の2007年、山本、杉田、そして西村の遺族に慰労金は支払われた。
津村 準二(つむら じゅんじ、1936年2月5日 - )は、… 津村 準二(つむら じゅんじ、1936年2月5日 - )は、日本の経営者。佐賀県佐賀市川副町早津江出身。 佐賀郡早津江出身。中川副国民学校から龍谷中学校を経て佐賀県立佐賀高等学校に進む。プロ野球選手の田中久寿男が小学校時代の同級生に、小説家の岩橋邦枝が高校時代の1年先輩に居た。1958年に東京大学法学部を卒業し、所属していたボート部の先輩に勧められ同年に東洋紡績に入社。1980年9月に取締役に就任し、1997年6月には専務に就任した。1999年6月に社長に昇格した。2005年6月に会長に就任し、2010年6月から相談役を務めた。
倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2… 倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2026年3月26日)は、日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長や、日本電線工業会会長、JR西日本取締役会長などを務めた。大阪府池田市神田在住。 兵庫県神戸市生まれ、福井県出身。1958年東京大学工学部を卒業し、住友電気工業入社。川上哲郎の後任として、同社社長を務めた。 その後、2006年からJR福知山線脱線事故を受けて混乱の渦中にあったJR西日本の社外取締役として、代表権のない同社取締役会長及び取締役会議長を務めた。
斎藤 次郎(さいとう じろう 、1936年〈昭和11年〉1月… 斎藤 次郎(さいとう じろう 、1936年〈昭和11年〉1月15日 - )は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵事務次官、東京金融取引所代表取締役社長、日本郵政代表執行役社長を歴任。血液型はA型。 関東州・大連市出身。父親は満鉄調査部に勤務していた。第二次世界大戦終結後の1948年に内地に引揚げ、成城中学校(新宿区)から東京都立新宿高等学校に進学。新宿高校3年次に東京大学旧文科一類(現在の文科一類と文科二類の前身)を受けるも不合格となる。その後は浪人。予備校に通わなかったが、模試では常に5番目になっていた。東京大学法学部第1類(私法コース)時代は3Bという教室に在籍しており、大蔵省同期となる日吉章らがいた。
宇治 常美(うじ つねよし、1936年 <昭和11年> 1月… 宇治 常美(うじ つねよし、1936年 <昭和11年> 1月3日 - 2000年 <平成12年> 6月19日)は、日本の経営者。住友倉庫社長を務めた。東京都出身。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友倉庫に入社。1990年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1994年6月には社長に就任。 2000年6月19日心不全のために死去。64歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
梶田 進(かじた すすむ、1935年12月19日 - 201… 梶田 進(かじた すすむ、1935年12月19日 - 2019年5月24日)は、日本の経営者。テレビ愛知社長を務めた。 愛媛県出身。1960年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1993年3月に常務に就任し、1997年6月にはテレビ愛知社長に就任。2003年6月には会長に就任。 2019年5月24日に大動脈弁狭窄症のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中野 豊士(なかの とよし、1935年(昭和10年)12月1… 中野 豊士(なかの とよし、1935年(昭和10年)12月16日 - )は、日本の経営者。元三菱信託銀行社長・会長。三菱UFJ信託銀行最高顧問。
東浦 利夫(とううら としお、1935年12月3日 - 20… 東浦 利夫(とううら としお、1935年12月3日 - 2024年2月6日)は、日本の経営者。蝶理社長を務めた。 東京都出身。1958年に東京大学法学部を卒業し、同年に東レに入社。 1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1992年6月に蝶理副社長を経て、2001年6月に社長に就任し、2003年4月までに務めた。 2024年2月6日、肺炎のため死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12… 川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12月2日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の実業家。ニッポン放送元社長。佐賀県佐賀市出身。 佐賀市水ケ江にあるロングサン薬局の長男として産まれる。 佐賀大附属中、佐賀高校を経て、1959年に東京大学教育学部を卒業し、同年にニッポン放送に入社。 1979年に取締役に就任し、1983年に常務、1985年に専務、1989年6月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任し、1999年6月会長に退いた。 1992年から1999年までに日本民間放送連盟の理事を務め、2001年と2002年に東京国際映画祭のゼネラルプロデューサーも務めた。
南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 202… 南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 2022年10月24日)は、日本の実業家。 フジ・メディア・ホールディングス取締役監査等委員及びフジテレビジョン監査役。東京電力で第9代社長を経て顧問、財団法人省エネルギーセンター会長、社団法人企業情報化協会会長などを務めた。 三重県出身。三重県立上野高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業し東京電力入社。取締役を経て1999年に東京電力社長。これまでの東京電力社長職は政界との繋がりが強い総務畑が主流だったが、電力自由化に伴い霞が関に顔が利くという理由から企画畑出身の南が選ばれた。 2002年、原子力発電所の点検記録の改竄事件の責任をとって、社長を辞任。
村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月… 村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月15日 - 2008年(平成20年)1月21日)は、日本のメディアプロデューサー、実業家。テレビマンユニオン社長。東京国際大学国際関係学部教授。宮城県仙台市出身。東京大学文学部卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10… 種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。 実業界から退いた後、東大の同級生で当時、新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二から「財務を見てくれ」と頼まれ、1999年(平成11年)3月に理事に就任、一時は副会長を務めた。日露戦争について研究し、著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』を出版したり、学会に呼ばれるなどした。 明石への隠居を決めていた2006年(平成18年)2月、つくる会の内紛で八木秀次が会長を解任されたあおりで、会長に担ぎ出された。
板東 邦彦(ばんどう くにひこ、1935年8月27日 - 2… 板東 邦彦(ばんどう くにひこ、1935年8月27日 - 2024年9月19日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 香川県出身。1959年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年に富士製鉄(現在の日本製鉄)に入社。 1991年6月に新日本製鐵取締役を経て、1997年6月に山陽特殊製鋼副社長に就任し、1998年6月には社長に昇格。2002年6月には会長に就任。 2024年9月19日骨髄異形成症候群のために死去。89歳没。
三木 淳夫(みき あつお、1935年8月7日 - 2006年… 三木 淳夫(みき あつお、1935年8月7日 - 2006年10月4日)は山一證券の元社長。福岡県出身。 1960年、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業、山一證券入社。入社後、投資信託課や金融法人部、企画室を渡り歩き、三木の前に社長を務めた行平次雄と全く同じ経歴をたどって順調に出世を重ねた。 1985年、取締役。1990年、取締役副社長。1992年6月26日、社長就任。1997年8月11日、社長辞任。同社が総会屋に不正な利益を供与した事件の責任を取った。 1997年9月24日、総会屋への利益供与容疑により逮捕された。1998年3月4日、同証券経営破綻の原因となった「飛ばし」処理による証券取引法違反、ならびに粉飾決算の容疑により逮捕・起訴された。