端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3… 端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3日 - 2008年(平成20年)11月2日)は、日本の実業家、銀行家、企業経営者。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取、会長、相談役。大阪府大阪市東区(現中央区)瓦町(所謂船場地区)出身。
東京大学:1,945人
端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3… 端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3日 - 2008年(平成20年)11月2日)は、日本の実業家、銀行家、企業経営者。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取、会長、相談役。大阪府大阪市東区(現中央区)瓦町(所謂船場地区)出身。
内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すす… 内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すすむ、1926年3月29日 - 2017年3月20日)は、日本の経営者、リンナイ株式会社社長、会長や、社団法人日本ガス石油機器工業会会長、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。父は、林兼吉とともに林内商会(後の林内製作所〜リンナイ)を創業した内藤秀次郎で、その三男として生まれた。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで、機械工学を学び、村田一、山口開生、石川六郎らと交わる。卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が第二次世界大戦で戦死したため事業の後継者と期待され、1948年に大学を卒業し、林内商会に入社した。
鈴木 明雄(すずき あきお、1926年3月25日 - )は、… 鈴木 明雄(すずき あきお、1926年3月25日 - )は、日本の経営者。エステー化学社長を務めた。東京都出身。 1950年に東京大学工学部計測工学科を卒業し、同年にエステー化学に入社。 1958年に取締役に就任し、1963年に常務、1966年に専務を経て、1987年9月には社長に就任。1998年9月から2002年6月までに会長を務めた。
金川 千尋(かながわ ちひろ、1926年3月15日 - 20… 金川 千尋(かながわ ちひろ、1926年3月15日 - 2023年1月1日 )は、日本の経営者。信越化学工業社長、会長を歴任した。 日本統治時代の朝鮮・大邱生まれ、東京都出身。1950年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に極東物産(のちの三井物産)に入社。1962年2月に信越化学工業に転じ、1975年1月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年8月に副社長に就任し、1990年8月には社長に昇格した。2010年6月から会長を務めた。 取締役就任翌年に、信越化学が米国のロビンテック社との合弁で設立したシンテックの合弁側持ち株を買収して100%子会社化することを提案、当時の社長・小田切新太郎が取締役会の反対を押し切り買収を決断、シンテックの経営を任された金川は世界一の塩ビメーカーに育て、信越化学グループの利益源となる超優良企業に育てた。
生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日… 生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日 - 2006年(平成18年))は、日本の小説家・作家、実業家。大日本帝国海軍軍人(海兵74期、最終階級は海軍少尉)。(株)ことば社 社長。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮中学校(現:栃木県立宇都宮高等学校)5年生で、1942年12月に海軍兵学校74期に進み、1945年3月に卒業。海軍潜水学校普通科学生(波二百一型潜水艦に乗組予定であった)として、海軍少尉で終戦を迎えた。終戦後東京大学に入学して仏文学科を卒業するが、この間に公職追放を受けた。大学卒業後、アサヒ芸能新聞社(現:徳間書店)に入社し、同社常務取締役を経て、(株)ことば社 社長となった。
藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 … 藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区出身。輸入雑貨販売店「藤田商店」「日本マクドナルド」「日本トイザらス」「日本ブロックバスター」創業者。 大阪府大阪市東淀川区に生まれる。3歳の時に千里山へ移住した。通学した三島郡千里第二尋常小学校で、成績は優秀だが母が教師に付け届けをせず、内申書の表現が良く記されずに一浪して十三の旧制北野中学へ進学した。 卒業後に戦火が激しくなったことから大阪を離れ、1944年に旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学。光クラブを経営する山崎晃嗣が1級上におり、後述する関係であった。
奥村 豊(おくむら ゆたか、1926年3月11日 - 201… 奥村 豊(おくむら ゆたか、1926年3月11日 - 2018年1月1日)は、日本の経営者。古河機械金属社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1948年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年5月に古河鉱業(のちの古河機械金属)に入社した。1973年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1980年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した。1993年6月から1997年6月までに会長を務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月には勲二等瑞宝章を受章。1988年2月にはベルギー国王から王冠勲章を受章。 2018年1月1日、病気のために死去。
仲上 正信(なかうえ まさのぶ、1926年3月9日 - 19… 仲上 正信(なかうえ まさのぶ、1926年3月9日 - 1999年11月18日)は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。 福岡県出身。1949年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日鉄鉱業に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1987年1月に副社長を経て、同年6月には社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 1999年11月18日肝癌のために死去。73歳没。
末松 謙一(すえまつ けんいち、1926年(大正15年)3月… 末松 謙一(すえまつ けんいち、1926年(大正15年)3月2日 - 2023年(令和5年)9月14日)は、日本の経営者。 三井銀行(現:三井住友銀行)社長、さくら銀行(現:三井住友銀行)頭取・会長を歴任し、三井住友銀行名誉顧問(2003年 ー死去まで)。その他、公益財団法人三井文庫代表理事・理事長を務めた。 明治から大正にかけて活躍し、逓信大臣、内務大臣などを歴任した政治家・末松謙澄の大甥(謙澄の弟・凱平の孫)。 東京大学卒業後、1948年帝国銀行(のちの三井銀行)に入社し、1976年に取締役となる。1988年には代表取締役社長に就任した。三井銀行の社長として太陽神戸銀行頭取の松下康雄と共に両行の合併を進め、1990年太陽神戸三井銀行(後のさくら銀行)の初代頭取に就任し、1991年から1992年まで全国銀行協会連合会会長を務めた。
片山 晴平(かたやま せいへい、1926年3月1日 - 20… 片山 晴平(かたやま せいへい、1926年3月1日 - 2014年3月14日)は、日本の経営者。近畿車輛社長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社した。1978年6月に近畿車輛常務に就任し、1983年6月に専務を経て、1984年6月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1992年6月に取締役相談役を経て、1993年6月には相談役に就任。 1997年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2014年3月14日、死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
新宮 康男(しんぐう やすお、1926年2月1日 - 202… 新宮 康男(しんぐう やすお、1926年2月1日 - 2024年5月10日)は、日本の実業家。住友金属工業社長や、同社会長、関西経済連合会会長を務めた。 兵庫県出身。1948年東京大学法学部卒業、住友金属工業入社。ピッツバーグ大学留学。経理部長、管理部長を経て、1977年取締役管理部長に昇格。1981年常務取締役。1983年専務取締役。1984年副社長。1986年社長。1992会長。1997年からは関西経済連合会会長を務め、関西国際空港会長も兼務し、空港2期事業の資金集めに尽力した。 1997年、勲一等旭日大綬章受章。 2024年5月10日に老衰のため死去。98歳没。
高城 申一郎(たかぎ しんいちろう、1926年(大正15年)… 高城 申一郎(たかぎ しんいちろう、1926年(大正15年)1月27日 - 2009年(平成21年)4月19日)は、日本の実業家。住友不動産社長・会長を務めた。愛媛県松山市出身。
藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 20… 藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 2016年6月1日)は、日本の経営者。日立造船社長、会長を務めた。香川県高松市出身。 旧制高松中学校を経て、1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1974年7月に常務、1977年12月に専務を経て、1982年4月には副頭取に就任し、1985年6月には副会長に就任。1988年6月には日立造船社長に就任し、今日の主力事業である環境事業の祖を築き、経営の再建に尽力し、「中興の祖」として活躍した。また、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが大阪市に進出する計画が浮上した際には、新宮康男の要請に応じ、桜島工場を閉鎖し、土地を提供し、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業に後押しした。
世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年… 世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年11月11日)は、日本の経営者、工学博士。旭化成工業社長を務めた。 三重県尾鷲市出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1948年、東京大学工学部電気工学科卒業。同年、旭化成工業に入社。研究に携わり、1973年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年6月に副社長に就任した。1985年6月に社長に昇格し、1989年6月に副会長に就任し、1993年6月からは相談役を務めた。 1974年と1978年に大河内賞、1975年と1979年に日本化学会賞、1980年に電気化学会賞、1981年に高分子学会賞、1990年4月に日本原子力学会特賞を受賞。
本山 一雄 (もとやま かずお、1926年 <大正15年> … 本山 一雄 (もとやま かずお、1926年 <大正15年> 1月1日 - 2019年 <令和元年> 7月13日) は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1949年に東京大学経済学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1980年3月に取締役に就任し、1984年3月に常務を経て、1987年3月に社長に就任。1993年3月に会長に就任し、1999年6月には相談役に就任。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2019年7月13日、心不全のために死去。93歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の… 冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の実業家・歴史研究家。日本「南京」学会理事兼事務局長。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学文学部ドイツ文学科卒業、更に同大経済学部経済学科入学。 戦後の1951年、住友信託銀行入社。退任後は住商リースで副社長。1998年退任。 「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加。
辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月2… 辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月25日)は、日本の放送局経営者。エフエム富士(FM-FUJI)初代社長。 北海道小樽市生まれ。小樽中学校(旧制。のちの北海道小樽潮陵高等学校)、静岡高等学校(旧制。のちの静岡大学)、東京大学国文科を卒業後、日本放送協会へ入局。 民間放送草創期に東京放送(TBS)へ移籍し、TBSラジオの番組編成・制作業務に従事。ラジオの編成課長だった1963年(昭和38年)、プロ野球シーズン中の夜間にナイター中継を優先させる編成の導入へ関わった。その後、テレビ営業局ネットワーク業務部副部長を経て、1969年(昭和44年)9月にテレビ山梨(UTY)へ出向。中学校の先輩である諏訪博からバックアップを受け、1981年(昭和56年)のTBS定年退職後も引き続きUTYへ残り、最終的には取締役専務を務めた。
中村 龍夫(なかむら たつお、1925年12月22日 - 2… 中村 龍夫(なかむら たつお、1925年12月22日 - 2012年11月18日)は、日本の経営者。日本鉱業社長を務めた。茨城県出身。 1948年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本鉱業に入社。1974年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格し、同年8月には共同石油取締役にも就任した。1992年12月に日本鉱業と共同石油との合併により、日鉱共石副会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1991年11月に藍綬褒章を受章し、1999年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2012年11月18日心不全のために死去。86歳没。
遠山 直道(とおやま なおみち、1925年12月3日 - 1… 遠山 直道(とおやま なおみち、1925年12月3日 - 1973年3月5日)は、東京府出身の実業家、サッカー選手。ダヴィッド社社長、日興證券(現:SMBC日興証券)副社長、日本出版クラブ評議員を歴任した。 日興證券創業者の遠山元一の三男。旧制府立高校時代よりサッカー選手としてプレーし、1944年に東京帝国大学経済学部に入学した。なお、入学当初は太平洋戦争中でサッカーを禁止されていた時期であり、ア式蹴球部(サッカー部)の活動は出来ない有様であったが、戦後ア式蹴球部を復活させて主将も務めた。なお、遠山は兵役は免れたとされる。1946年5月に開催された復興第1回全日本サッカー選手権大会で東大LBの一員として優勝した。
石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11… 石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11月5日 - 2005年(平成17年)12月14日)は、日本の実業家。鹿島建設名誉会長、日本商工会議所第15代会頭。妻・ヨシ子は鹿島の第4代社長・鹿島守之助の娘。父は石川一郎初代経団連会長。 学位は工学博士(東京大学)。鹿島建設の社長・会長のほか、日本商工会議所及び東京商工会議所の名誉会頭、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)監査役、日本卓球協会第7代名誉会長、日本を守る国民会議顧問、日本会議顧問、東京メトロポリタンテレビジョン会長などを務めた。 東京府北豊島郡滝野川大字西ヶ原(現在の東京都北区西ヶ原)に生まれた。石川一郎、冨美子の六男。
藤村 正哉(ふじむら まさや、1925年11月4日 - 20… 藤村 正哉(ふじむら まさや、1925年11月4日 - 2014年3月16日)は、日本の経営者。三菱マテリアル社長、会長を務めた。福岡県出身。 1948年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱鉱業に入社。1980年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に副社長を経て、1986年6月に社長に就任。1990年12月に三菱マテリアル社長に就任し、1994年6月に副会長、1995年6月に会長を経て、1999年6月には相談役に就任。 1997年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2014年3月16日、心筋梗塞のために死去。88歳没。
藤田 温(ふじた あつし、1925年10月25日 - 201… 藤田 温(ふじた あつし、1925年10月25日 - 2015年10月4日)は、日本の経営者。倉敷紡績社長、会長を務めた。 岡山県出身。1947年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に倉敷紡績に入社。 1968年6月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1976年7月に専務、1982年7月に副社長を経て、1987年7月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1998年6月には相談役に就任。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1997年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2015年10月4日肺炎のために死去。89歳没。
後藤 俊彦(ごとう としひこ、1925年10月7日 - 20… 後藤 俊彦(ごとう としひこ、1925年10月7日 - 2010年5月15日)は、日本の経営者。阪神銀行頭取、会長を務めた。東京都出身。 1950年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1975年5月に太陽神戸銀行取締役に就任し、1978年6月に常務を経て、1982年10月には浦井和男社長の死去に伴い、阪神相互銀行社長に就任した。1989年2月には阪神銀行頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1994年6月から相談役を務めた。 1992年11月に藍綬褒章を受章した。 2010年5月15日肺炎のために死去。84歳没。
神田 延祐(かんだ のぶすけ、1925年9月26日 - )は… 神田 延祐(かんだ のぶすけ、1925年9月26日 - )は、日本の経営者。三和銀行副頭取、第二電電社長を務めた。山口県出身。 1952年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。 1974年5月に取締役に就任し、1976年12月に常務、1979年6月に専務を経て、1982年4月に副頭取に就任し、1988年6月には副会長に就任。 1988年6月に京セラと第二電電で取締役に就任し、1989年6月に京セラ副会長と第二電電社長に就任。1993年12月から1997年6月までに第二電電で取締役相談役を務めた。 1994年5月に太平洋人材交流センター会長に就任し、1987年6月から2003年6月までに関西テレビ放送監査役を務めた
茶谷 周次郎(ちゃたに しゅうじろう、1925年9月6日 -… 茶谷 周次郎(ちゃたに しゅうじろう、1925年9月6日 - 1985年8月7日)は、日本の経営者。東洋紡績社長を務めた。 東京都出身。1947年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋紡績に入社。 営業畑をあゆみ、早くから「東洋紡のプリンス」として注目され、1972年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年11月に副社長に就任した。1983年7月には社長に昇格した。 営業で世界各国を歩き回った経験を生かして、1981年から1983年までに関西経済同友会代表幹事も務めた。 東洋紡のトップ、関西財界のホープとしての活躍が期待される中、1985年8月7日、心不全のために死去。59歳没。
歌田 勝弘(うただ かつひろ、1925年8月26日 - )は… 歌田 勝弘(うただ かつひろ、1925年8月26日 - )は、日本の実業家。元味の素社長。 広島県生まれ。府立四中四年修了後、旧制東京高校を経て1947年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。在学中の1944年から1年間、陸軍の特別甲種幹部候補生として入隊するが、最終の訓練中終戦となり復学。大学卒業後、味の素入社。大阪支店長他を経て1971年、同社取締役。1973年常務取締役、専務、副社長を経て1981年、渡辺文蔵の後任として味の素第7代代表取締役社長に就任。1989年名誉会長、1991年相談役(現特別顧問)となった。 実父の歌田千勝は内務官僚で、近衛内閣の祝典事務局長として紀元2600年祝賀式典に尽力した。
杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 20… 杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 2008年1月16日 )は、日本の運輸官僚、実業家。第10代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1985年 - 1987年)。従三位勲一等。 東京市大森区で生まれ、4歳のとき父親が死亡し母親が美容師となって生計を立てた。東京府立電機工業学校(現在の東京都立産業技術高等専門学校)、旧制第一高等学校、東京大学経済学部卒業。1951年に運輸省へ入省。入省同期に、山地進(日本航空社長・会長、運輸省鉄道監督局長)、妹尾弘人(海上保安庁長官)などがいる。1969年鉄道監督局国鉄部財政課長に就任の後、国鉄部長になる。このころ自由民主党の有力な運輸族であった三塚博・加藤六月らと親しくなる。
高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2… 高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2014年7月7日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。 鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)出身。伊集院小学校、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1945年旧制第七高等学校造士館文科卒業。1949年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1972年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務、1984年6月に副社長を経て、1986年6月には社長に就任。1992年4月に会長に就任し、1996年4月には相談役に就任。社長在任中、信託協会会長も務めた。
小今井 傓治(こいまい せんじ、1925年8月5日 - 20… 小今井 傓治(こいまい せんじ、1925年8月5日 - 2006年6月10日)は、日本の経営者。日立物流社長を務めた。 山口県生まれの福岡県豊前市出身。1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1977年6月に理事に就任し、1981年6月には日立物流常務に就任。副社長を経て、1981年2月には社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1996年6月に相談役に就任。 2006年6月10日に肺炎のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菅沼 政一(すがぬま まさかず、1925年8月5日 - 19… 菅沼 政一(すがぬま まさかず、1925年8月5日 - 1990年3月20日)は、日本の経営者。三菱倉庫社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1949年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。1976年に取締役に就任し、1980年に常務、1984年に専務を経て、1987年6月に社長に就任。 1990年3月20日急性心不全で在任中に死去。64歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
米谷 半平(こめたに はんぺい、1925年7月11日 - 2… 米谷 半平(こめたに はんぺい、1925年7月11日 - 2012年3月28日 )は、日本の経営者。北國銀行頭取を務めた。 石川県出身。1950年に東京大学経済学部を卒業し、1954年6月に北國銀行に入行した。1964年11月に取締役に就任し、1966年11月に常務、1968年11月に専務を経て、1974年11月に副頭取に就任し、1978年12月には頭取に昇格した。1997年6月には会長に就任し、1997年6月から1998年12月までは会長と頭取を兼任。2000年6月に取締役を経て、2006年6月から相談役を務めた。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2012年3月28日、死去。
上村 光司(かみむら こうじ、1925年6月28日 - 20… 上村 光司(かみむら こうじ、1925年6月28日 - 2019年12月17日)は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。新潟県出身。 1946年に東京帝国大学法学部政治学科を中退し、同年に新潟日報社に入社。1980年に取締役に就任し、1984年に常務、1990年1月に専務を経て、1992年1月には社長に就任。1994年12月に相談役に就任。 第四銀行非常勤監査役も務めた。 2019年12月17日脳出血のために死去。94歳没。
山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 200… 山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 2008年12月30日)は、日本の実業家。第2代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。同社元会長。
及川 潤三(おいかわ じゅんぞう、1925年6月6日 - 2… 及川 潤三(おいかわ じゅんぞう、1925年6月6日 - 2011年6月1日 )は、日本の経営者。東北銀行頭取を務めた。 岩手県出身。1950年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に大蔵省に入省。1978年7月に東北銀行常任顧問に就任し、同年12月に常務、1980年6月に専務を経て、1982年9月に頭取に就任。1992年6月に会長に就任し、1996年6月から相談役を務めた。 2000年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2011年6月1日急性硬膜下血腫のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高橋 武光(たかはし たけみつ、1925年5月15日 - 2… 高橋 武光(たかはし たけみつ、1925年5月15日 - 2012年10月10日)は、日本の経営者。大日本インキ化学工業(現在のDIC)社長、会長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学工学部応用化学科を卒業し、同年に大日本インキ化学工業に入社。1974年11月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1994年3月には社長に昇格。1998年6月には会長に就任。 2012年10月10日老衰のために死去。87歳没。
浦野 省吾(うらの せいご、1925年4月15日 - 202… 浦野 省吾(うらの せいご、1925年4月15日 - 2021年9月7日)は、日本の経営者。ニチロ社長を務めた。長野県出身。 1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に農林中央金庫に入社。1975年8月に理事を経て、1984年5月から1985年9月までに副理事長を務めた。1989年6月に日魯漁業(のちのニチロ)に転じ、取締役顧問に就任し、1990年1月には社長に就任。1995年6月に取締役相談役を経て、1996年4月には顧問に就任。 1999年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2021年9月7日に老衰のために死去。96歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
渡里 杉一郎(わたり すぎいちろう、1925年3月28日 -… 渡里 杉一郎(わたり すぎいちろう、1925年3月28日 - 2017年4月12日)は、日本の経営者。東芝社長を務めた。 山形県山形市出身。1958年、東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年、東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。1978年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1984年6月に副社長に就任した。1986年4月に社長に昇格したが、1987年7月に東芝機械ココム事件における責任を取り、社長を辞任。1987年からは相談役を務めた。 1991年から1999年までに経団連副会長を務め、東京電力監査役、日中経済協会会長なども歴任した。 1992年4月に藍綬褒章を受章した。 2017年4月12日心不全のため死去。
垣木 邦夫(がきき くにお、1925年 <大正14年> 3月… 垣木 邦夫(がきき くにお、1925年 <大正14年> 3月3日 - 1999年 <平成11年> 11月26日)は、日本の経営者。日本ビクター社長、会長を務めた。東京都出身。位階は従四位。 1948年に東京大学第一工学部電気工学科を卒業し、同年に日本ビクターに入社。1974年11月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1986年6月に社長に就任。1990年6月に会長に就任し、1992年6月に顧問に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1999年11月26日呼吸不全のために死去。74歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
山内 大介(やまうち だいすけ、1925年2月26日 - 1… 山内 大介(やまうち だいすけ、1925年2月26日 - 1987年12月22日)は、毎日新聞社長。 福岡県出身。1949年東京大学法学部卒。同年毎日新聞入社。1952年フルブライト奨学生としてアメリカに留学、1962年毎日新聞ニューヨーク支局長。その後、帰国して取締役企画室長、代表取締役主筆を経て、1980年代表取締役社長に就任した。このほか、パレスサイドビルディング社長や横綱審議委員を務めた。
千葉 一男(ちば かずお、1925年2月16日 - 2014… 千葉 一男(ちば かずお、1925年2月16日 - 2014年4月9日)は、日本の経営者。新王子製紙社長、会長を務めた。 宮城県出身。1950年に東京大学経済学部商学科を卒業し、同年に王子製紙に入社。1974年11月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1987年6月に副社長に就任し、1989年6月に社長に昇格した。社長在任時には、1993年に実施された神崎製紙との合併を取りまとめた。1995年6月に会長に就任し、1996年10月に取締役相談役を経て、1997年6月から相談役を務めた。 1990年4月に藍綬褒章を受章し、1997年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2014年4月9日、心不全のために死去。
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1925年1月27日 - 20… 笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1925年1月27日 - 2011年6月20日)は、日本の経営者。日本鉱業社長を務めた。 東京都出身。1949年に東京大学第一工学部を卒業し、同年に日本鉱業に入社。1974年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務、1981年6月に副社長を経て、1983年6月には社長に昇格。1989年6月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2011年6月20日に呼吸不全のために死去。86歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
加賀谷 誠一(かがや せいいち、1925年1月22日 - 2… 加賀谷 誠一(かがや せいいち、1925年1月22日 - 2015年8月11日)は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。秋田県出身。 1947年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1973年11月に取締役に就任し、1977年に常務、1981年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1992年12月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1986年4月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2015年8月11日心不全のために死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
濤崎 忍(とうさき しのぶ、1925年1月21日 - 199… 濤崎 忍(とうさき しのぶ、1925年1月21日 - 1996年6月6日)は、日本の経営者。川崎製鉄社長、会長を務めた。大分県中津市出身。 1944年に東京帝国大学第一工学冶金学科を卒業し、同年に川崎重工業に入社した。1950年に川崎製鉄に移り、取締役、常務、専務を経て、1986年に副社長に就任し、1990年6月には社長に昇格した。1995年から会長に就任した。 1979年と1981年に大河内賞を受賞した。 1996年6月6日心不全のために死去。71歳没。
佐藤 晃一(さとう こういち、1924年12月23日 - 2… 佐藤 晃一(さとう こういち、1924年12月23日 - 2022年5月10日) は、日本の中央銀行家、実業家。ホテルオークラ代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。佐藤潤象元衆議院議員の孫。 ホテルオークラ創業家の大倉喜八郎らと事業を興した実業家・佐藤潤象元衆議院議員の孫である。府立一中、旧制学習院高等科を経て、1948年に東京大学経済学部卒業後、日本銀行入行。大成観光(のちにホテルオークラに商号を変更)常務取締役や、同社取締役副社長を経て、1992年から代表取締役社長を務めた。1995年から代表取締役会長を務め、1999年に青木寅雄らとともに代表権を返上し、相談役に退いた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
小平 祐(こだいら たすく、1924年12月19日 - 20… 小平 祐(こだいら たすく、1924年12月19日 - 2017年11月26日)は、日本の実業家。旭電化工業(現・ADEKA)常務取締役、日本農薬代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京大学経済学部卒業。旭電化工業(現・ADEKA)常務取締役を経て、1983年日本農薬代表取締役社長。同社代表取締役会長。農薬工業会会長を務めた。
小倉 昌男(おぐら まさお、1924年12月13日 - 20… 小倉 昌男(おぐら まさお、1924年12月13日 - 2005年6月30日)は、日本の実業家、ヤマト福祉財団元理事長。ヤマト運輸の『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親である。東京都出身。 小倉康臣の次男として代々木に生まれた(長男は早世)。1937年幡代小学校卒業。同年、当時府立一中を上回る最難関の官立東京高等学校尋常科(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)に入学。1942年秋、東京高等学校高等科卒業。1943年秋、東京帝国大学経済学部入学。1947年、東京大学経済学部(旧制)卒業。1948年9月1日、父・小倉康臣が経営する大和運輸(現・ヤマトホールディングス)に入社。 入社から半年後の1949年2月2日に肺結核を患い4年間の入院生活を送るが、大和運輸がGHQ関連の輸送業務を担当していた為、日本国内ではほとんど入手困難だったストレプトマイシンを米軍ルートで入手できた事もあり、当時としては奇跡的に回復し、1953年7月9日に退院し復職した。
森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日… 森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役社長。 広島県広島市で生まれ、旧満州で育つ。旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業する。 大学時代、GHQ関連のアルバイトを始めるが、そこで森田に割り振られた仕事は、その日の朝刊に載った記事のうちGHQの高官に読ませたいとして担当の将校がよりわけた記事を英文に訳すことだった。ところが、渡される記事のほとんどが日経の記事だった。「また日経ですか」と森田が聞くと日系二世の中尉は笑って、「しようがないさ。ここの記事がいちばん公平で参考になるんだから」と応えた。
黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2… 黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2010年5月20日)は、日本の経営者。住友製薬社長、会長を務めた。兵庫県尼崎市出身。 1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年に取締役に就任し、1980年に常務、1982年に専務を経て、1984年10月に住友製薬副社長に就任し、1986年3月から1989年3月までに社長を務めた。 2010年5月20日腎細胞がんのために死去。85歳没。
広野 信衛(ひろの のぶえ、1924年11月6日 - 201… 広野 信衛(ひろの のぶえ、1924年11月6日 - 2011年10月30日)は、日本の経営者。日本ミネチュアベアリング(現在のミネベアミツミ)、東京計器各社長、会長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学工学部を卒業し、通商産業省、曙ブレーキ工業での勤務を経て、1971年11月に日本ミネチュアベアリング常務に就任し、1972年11月には社長に昇格。1975年11月には副社長に退いた。 1976年12月に東京計器専務に就任し、1985年3月には社長に就任。1991年3月に会長に就任し、1996年6月からは相談役を務めた。 1995年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2011年10月30日肺炎のために死去。
足立原 明文(あだちばら あけふみ、1924年 <大正13年… 足立原 明文(あだちばら あけふみ、1924年 <大正13年> 11月3日 - 2010年 <平成22年> 5月21日)は、日本の経営者。トピー工業社長を務めた。位階は正五位。 神奈川県出身。1950年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に車輪工業 (のちのトピー工業) に入社。1973年に取締役に就任し、1976年に常務、1980年に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1994年6月に相談役を経て、1999年6月には最高顧問に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章し、1994年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2010年5月21日に肺炎のために死去。