藤田 大清(ふじた たいせい、2004年8月23日 - )は… 藤田 大清(ふじた たいせい、2004年8月23日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学4年生から練馬区立関町北小学校を拠点とするエ-ス関北少年野球倶楽部で軟式野球を始める。中学では中野リトルシニアでプレー。東東京選抜(日台国際親善野球試合)にも参加。 強豪校の花咲徳栄高等学校に進学。2年秋に右翼手のレギュラーに定着し、主に3番打者として公式戦出場。3年次の春季県大会の東京農業大学第三高等学校戦で満塁本塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。夏の初戦だった武蔵越生高等学校戦では僅差の試合であったところ、3番で4打数3安打の猛打賞を記録し、6-4で勝利に大きく貢献した。
神宮 僚介(じんぐう りょうすけ、2003年5月27日 - … 神宮 僚介(じんぐう りょうすけ、2003年5月27日 - )は、群馬県北群馬郡吉岡町出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。阪神タイガース所属。 幼少期に父とキャッチボールを家の前でしていたことがきっかけで、小学3年生の時に野球を始める。主に遊撃手を務めていて、2番手投手でもあった。 吉岡町立吉岡中学校では軟式野球部に所属。目立った活躍はなかったものの、スカウトされたことがきっかけで桐生第一高等学校に進学。この際、「厳しい環境に行くのは当たり前」と考えたという。進学後は2年冬から主将に就任し、3年春から背番号1を着用した。3年間で甲子園出場はなし。1学年下に三塚琉生、北村流音がいる。 東京農業大学北海道オホーツクに進学後は、大学1年まではオーバースローであったが、2年時からはサイドスローに転向した。
伊藤 琉偉(いとう りゅうい、2002年9月11日 - )は… 伊藤 琉偉(いとう りゅうい、2002年9月11日 - )は、群馬県高崎市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 高崎市立矢中小学校で5年生の時に、兄の影響で矢中ビクトリーで軟式野球を始める。高崎市立矢中中学校在学時は硬式野球のクラブチームである高崎中央ボーイズでプレーしていた。 東京農業大学第二高等学校に進学し、1年夏からベンチ入りして中軸を務めた。高校時代は甲子園大会出場はなく、3年時は新型コロナウイルスの影響で春夏の公式戦がすべて中止となった。 高校卒業後は東京農業大学へ進学。硬式野球部では1年春からリーグ戦に出場していたが、学業面で単位が足りず留年。再び単位が足らなくなり、2023年3月に退学した。
伊藤 茉央(いとう まお、2000年11月19日 - )は、… 伊藤 茉央(いとう まお、2000年11月19日 - )は、福島県喜多方市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 喜多方市立塩川小学校3年生の時に、塩川ブルーファイヤーズで野球を始める。喜多方市立塩川中学校では同校の軟式野球部に所属。 地元の福島県立喜多方高等学校に進学すると、2年秋の時に当時の監督の勧めでサイドスローに転向。最後の夏は、福島県立郡山高等学校に敗れて3回戦敗退。 その後、東京農業大学硬式野球部のセレクションに参加したが声がかからず、投球を見ていた東京農業大学北海道オホーツク硬式野球部助監督の嶋田達郎の勧めで、北海道網走市にある東京農業大学生物産業学部への進学を決意。
宮﨑 颯(みやざき はやと、2000年6月14日 - )は、… 宮﨑 颯(みやざき はやと、2000年6月14日 - )は、埼玉県上尾市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 上尾市立原市南小学校時代に「みなみエンゼルス」で軟式野球を始め、上尾市立原市中学校では「大宮リトルシニア」に在籍する。 高校は同県さいたま市の埼玉栄高等学校に進学。1年生の春からベンチ入りしたものの、その年の冬に肘を痛めたために高校時代は外野手に転向する。甲子園の出場はなく、3年生の夏は第100回全国高等学校野球選手権南埼玉大会4回戦において、代打で出場するも川口市立高校に敗れた。 大学は東京農業大学に進学。大学では投手に再転向し、1年生の春に東都大学野球リーグに出場。
周東 佑京(しゅうとう うきょう、1996年2月10日 - … 周東 佑京(しゅうとう うきょう、1996年2月10日 - )は、群馬県新田郡藪塚本町(現:太田市)出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 NPBにおける育成選手出身者初の盗塁王かつ、連続試合盗塁記録の世界記録保持者(13試合連続)。育成出身野手初の月間MVP受賞者。 太田市立藪塚本町小学校2年時に「藪塚リトルファイターズ」で軟式野球を始める。太田市立藪塚本町中学校時代は硬式の太田ボーイズに所属。 2011年、東京農業大学第二高等学校に入学。3年時には主将として夏の群馬大会では「2番・遊撃手」で17打数7安打で打率.412・盗塁5、チームは決勝で髙橋光成を擁する前橋育英高等学校に敗れる。
谷川 昌希(たにがわ まさき、1992年10月6日 - )は… 谷川 昌希(たにがわ まさき、1992年10月6日 - )は、福岡県八女市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は阪神タイガースの打撃投手。 小学1年時から野球を始めると、八女市立筑南中学校時代には、硬式野球チームの『八女スカイホーク』に所属。筑陽学園高校への進学後は、2年時夏の全国高等学校野球選手権福岡大会で決勝にまで進んだものの、春夏ともに甲子園出場はできなかった。 高校卒業後は東京農業大学へ進学。2年時の春から東都大学野球2部のリーグ戦に登板。在学中には、2部リーグ戦通算30試合の登板で、5勝12敗という成績を残したが、当時は故障がちなことも災いして、NPB球団のスカウトから注目されなかった。
玉井 大翔(たまい たいしょう、1992年6月16日 - )… 玉井 大翔(たまい たいしょう、1992年6月16日 - )は、北海道常呂郡佐呂間町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 佐呂間小学校1年の時に「佐呂間ライオンズ」で野球を始め、佐呂間中学校時代は軟式野球部に所属し、地区2回戦が最高成績。旭川実業高等学校進学後は1年秋の支部予選に背番号18で初のベンチ入りを果たすも、同級生に鈴木駿平と成瀬功亮がおり、公式戦の登板は2年秋の全道大会準々決勝の北照戦が最後。3年夏の甲子園は背番号11も登板機会はなかった。高校卒業後、東京農業大学生物産業学部(北海道網走市)へ進学する。 大学進学後は1年時の春季リーグ開幕戦、北海道教育大学函館校戦で先発を任されるとリーグ史上7人目のノーヒットノーランを達成。
陽川 尚将(ようかわ なおまさ、1991年7月17日 - )… 陽川 尚将(ようかわ なおまさ、1991年7月17日 - )は、阪神タイガースに所属する大阪府大阪市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。
髙木 伴(たかぎ ばん、1990年6月1日 - )は、埼玉県… 髙木 伴(たかぎ ばん、1990年6月1日 - )は、埼玉県川口市出身の社会人野球選手、元プロ野球選手(投手)。 飯塚小学校3年生の時にソフトボールを始めた。西中学校では軟式野球部で主に遊撃手だったが、川口市立川口高等学校では1年生時の冬に投手に転向した。高校3年間で甲子園出場経験は無く、東京農業大学では1年生時の春から出場、東都大学野球・2部リーグでは通算32試合で7勝6敗の成績だった。 大学卒業後にNTT東日本へ入社すると、第84回都市対抗野球大会の1回戦に先発登板、6回1/3を投げ自責点1、防御率1.42だった。10月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。
吉原 正平(よしはら しょうへい、1989年9月14日 - … 吉原 正平(よしはら しょうへい、1989年9月14日 - )は、福岡県遠賀郡水巻町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
松井 佑介(まつい ゆうすけ、1987年7月10日 - )は… 松井 佑介(まつい ゆうすけ、1987年7月10日 - )は、大阪府大阪市平野区出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投右打。 小3からソフトボールを始め、三塁手兼投手だった。中学時代は大阪平野富士ボーイズに所属。主にサードを守っていた。 大商大堺高校では、1年夏からベンチ入りし、秋からレギュラー。高校3年次の夏の決勝戦では、先発投手として辻内崇伸、平田良介、中田翔擁する大阪桐蔭に敗れ甲子園出場はならなかった。投手としても143km/hの球を投げていた。 大学は東京農業大学に進み1年春よりレギュラーとして出場。強打・俊足・強肩の外野手として東都二部で通算98試合.310、104安打、20本塁打、63打点。
鈴江 彬(すずえ あきら、1985年12月25日 - )は、… 鈴江 彬(すずえ あきら、1985年12月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。
小斉 祐輔(こさい ゆうすけ、1983年4月30日 - )は… 小斉 祐輔(こさい ゆうすけ、1983年4月30日 - )は、大阪府松原市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者。右投左打。名前の「祐」の字は旧字体である「祐」(示へんに右)である。 松原小では軟式野球に所属。中学校では河南シニアに所属し、関西大会で優勝。PL学園高校時代には、今江敏晃、桜井広大、朝井秀樹らと同期。今江とともにクリーンナップを組んでいた。 高校卒業時プロからの誘いがあるも東京農業大学生物産業学部に進学。大学時代には1年から常に中軸で活躍する。4年次には主将としてチームを牽引し、春季・秋季でMVPを獲得。また秋季には三冠王も獲得した。大学通算30本塁打。その他、ベストナイン2度、敢闘賞を獲得している。
高木 修二(たかぎ しゅうじ、1982年10月24日 - )… 高木 修二(たかぎ しゅうじ、1982年10月24日 - )は、元競輪選手、元社会人野球選手(外野手)。大阪府生まれ。 小学校の頃から野球に取り組み、酒田南高等学校で甲子園出場、東京農業大学生物産業学部を経て、社会人野球のTDKに進み、2006年の第77回都市対抗野球大会で優勝メンバーとして名を連ねた。その後、NPBの横浜ベイスターズのキャンプにテスト生として参加。 高校時代のトレーナーが順天堂大学出身で同大学出身者の海老根恵太(86期)と知り合いであるという縁もあり、競輪選手への転身を決意。大阪に戻って中澤孝之(56期)に師事し、日本競輪学校第97期生として入学。競輪学校時代の在校競走成績は35位(8勝)。
小森 孝憲(こもり たかのり、1980年12月23日 - )… 小森 孝憲(こもり たかのり、1980年12月23日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。
稲嶺 誉(いなみね ほまれ、1980年10月21日 - )は… 稲嶺 誉(いなみね ほまれ、1980年10月21日 - )は、沖縄県糸満市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。福岡ソフトバンクホークススカウト。
板倉 康弘(いたくら やすひろ、1980年2月21日 - )… 板倉 康弘(いたくら やすひろ、1980年2月21日 - )は、埼玉県秩父郡小鹿野町出身の元プロ野球選手(外野手)。 秩父農工高では通算24本塁打。北海道学生野球連盟に加盟する東農大生物産業学部へ進み、大学選手権に出場。4年秋はリーグ優秀選手、ベストナイン。2001年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブに12巡目で指名され、契約金ゼロで入団した。 2年間プレーするが、ファームでも結果を残すことができず2003年に戦力外通告を受けた。のちに12球団合同トライアウトを受けるも、獲得する球団は無く現役を引退した。学生時代からイップスの傾向があり、課題であった。運動能力は長けており、大学時代には社会人ラグビーの強豪チームからも声が掛かったという。
渡邉 恒樹(わたなべ こうき、1978年5月17日 - )は… 渡邉 恒樹(わたなべ こうき、1978年5月17日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ時代の登録名は「渡辺 恒樹」(読み同じ)だった。2013年よりヤクルトの打撃投手を務める。 幼稚園の時に熱烈な読売ジャイアンツファンだった父親の影響で野球(キャッチボール)を始める。所沢市立若松小学校2年生では少年野球チーム「若松サンダズ」に入団し、所沢市立中央中学校では市の運営する硬式中学野球クラブ「所沢ボーイズ」に入部して2番手投手となる。卒業後は相洋高等学校に進学し、投手として3年春に県大会で準優勝を果たす。東京農業大学では、4年秋に東都大学リーグ2部で優勝し、最優秀投手賞。
徳元 敏(とくもと さとし、1976年9月20日 - )は、… 徳元 敏(とくもと さとし、1976年9月20日 - )は、沖縄県糸満市出身の元プロ野球選手(投手)。
栗山 聡(くりやま さとし、1974年6月15日 - )は、… 栗山 聡(くりやま さとし、1974年6月15日 - )は、新潟県新発田市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。新発田中央高等学校3年の夏は県大会3回戦で敗退。 東京農業大学生物産業学部へ進むと3年春にチーム初の大学選手権出場を果たす。秋はMVP、最優秀投手。4年春も5連続完封で2年連続出場に貢献、リーグ通算15勝。1996年のドラフト5位でオリックス・ブルーウェーブに入団。チームから初のプロ入りとなった。 1998年にプロ初先発で初勝利を挙げたが結果的にこれがプロでの唯一の勝利となる。 2000年には交流戦導入前としては珍しく、パ・リーグの投手である松坂大輔に2点適時打を打たれた。
島田 一輝(しまだ かずてる、1969年9月19日 - )は… 島田 一輝(しまだ かずてる、1969年9月19日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・スカウト。 千葉県立柏井高校から東京農業大学へ進学。一般入学ではあったが、大沢紀三男監督に評価され1年秋季リーグからベンチ入りし、巧打の外野手として活躍した。NTT関東では2年目から都市対抗野球に出場し1994年は補強の3番松中信彦、5番小笠原道大に挟まれて4番を打っている。社会人通算打率.453、17本塁打。1994年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団。 即戦力として期待されていたが、当初は社会人時代までの金属バットの打ち方から抜け出せず、また、故障が続いたことから、二軍でも結果が残せない日々が続いた。
橋本 武広(はしもと たけひろ、1964年9月18日 - )… 橋本 武広(はしもと たけひろ、1964年9月18日 - )は、青森県上北郡七戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 七戸高時代は甲子園出場こそないものの、その非凡なセンスは青森県内で知れ渡っていた。3年次の1982年、春季東北大会県予選準々決勝では八戸西高を相手に延長10回まで無走者無失点、延長18回まで零封(0-0で再試合の末に敗退)という記録を作った。同年県大会はノーヒットノーランも達成して準決勝に進むが、木造高に敗退。 高校卒業後、東京農業大学へ進学。東都大学リーグでは長く二部に低迷していたが、4年次の1986年春季で二部優勝、入替戦で日大を降し一部昇格に貢献した。秋は専修大の関清和に2戦連続で投げ勝ち2勝5敗、防御率1.95の成績を残すも、チームは最下位となって入替戦でも敗れた。
倉骨 道広(くらほね みちひろ、1952年8月14日 - )… 倉骨 道広(くらほね みちひろ、1952年8月14日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現姓・宇田川。 世田谷工業高等学校では、捕手、三番打者として1970年夏の甲子園都予選5回戦まで進むが、桜美林高に1-2で惜敗。卒業後は東京農業大学に進学。東都大学野球リーグでは二部リーグ2位が最高で、一部昇格はならなかった。 1974年に読売ジャイアンツからドラフト3位指名を受けて入団した。 一軍での出場経験はなく、1977年限りで引退した。
佐藤 龍一郎(さとう りゅういちろう、1950年9月19日 … 佐藤 龍一郎(さとう りゅういちろう、1950年9月19日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
片平 晋作(かたひら しんさく、本名:片平 伸作(読み同じ)… 片平 晋作(かたひら しんさく、本名:片平 伸作(読み同じ)、1949年8月5日 - )は、大阪府大阪市港区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督、解説者。
広瀬 宰(ひろせ おさむ、1947年2月20日 - 1999… 広瀬 宰(ひろせ おさむ、1947年2月20日 - 1999年9月9日)は、大分県佐伯市勝尾出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。 佐伯豊南高を卒業し、1965年に東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは一部昇格はならず、二部リーグ2位が最高成績であった。二部リーグ通算打率.303、4本塁打を記録。 1968年のドラフト2位でロッテオリオンズに入団。 1969年には山崎裕之が二塁手に回った後を受けてレギュラー遊撃手となる。9月16日の阪急戦(東京)で宮本幸信から初ソロ本塁打を放ち、この時の試合は、2回表に岡村浩二の適時打で先制され、3回表にはウインディの適時打で追加点を許した。その裏に広瀬のソロ本塁打で追い上げたが、4回表さらに2点を追加され阪急ペースの試合になったが、6回裏には有藤通世のソロ本塁打が飛び出し、次打者池辺巌が安打で出塁したがここで雷雨が激しくなってコールドゲームとなり、2-4で首位阪急に敗れた。
菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、… 菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
小倉 清一郎(おぐら きよいちろう、1944年6月16日 -… 小倉 清一郎(おぐら きよいちろう、1944年6月16日 - )は、神奈川県横浜市中区出身の元社会人野球選手(捕手)で日本の高校野球指導者。 小学4年生から野球を始める。ポジションは当初、内野手や投手など色々してきたが、最終的に捕手となった。横浜市立大鳥中学校を経て法政二高の進学を目指したが、同校硬式野球部監督の田丸仁からユニフォームは着ることは出来るがレギュラーは難しいと言われた事から中学時代の監督に勧められて、横浜高校(以降:横浜)に進学し、硬式野球部に入部した。横浜の同期には渡辺元(現:渡辺元智)がいる。現役時代は甲子園の出場は叶わなかったものの県大会で準優勝を果たした。 高校卒業後、東京農業大学を経て、三菱自動車に入社。
竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1… 竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1985年8月12日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。 兵庫県立西宮高等学校を卒業。 1956年に広島カープへ入団。 1958年に公式戦初出場を果たすも、田中尊らの壁に阻まれて出場機会には恵まれず。 1961年オフに現役を引退した。 その後は三菱電機グループである指月電機製作所に転職し、同社の北関東営業所に配属されたため群馬県に在住していた。 1985年、第67回全国高等学校野球選手権大会に群馬県代表として出場する東京農業大学第二高等学校野球部在籍の息子・政宏(まさひろ)の応援で阪神甲子園球場へ向かうため、8月12日に羽田発伊丹行の日本航空123便に搭乗し、墜落事故に巻き込まれ死亡。
円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998… 円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998年6月9日)は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。東都大学野球連盟やプロ野球関連の資料では旧字体の圓子 宏と表記されることが多い。 岩手高校から東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは専大、日大など伝統校の壁を破れず、在学中4位以下に沈む。リーグ通算85試合登板で23勝44敗をマークするが、44敗はリーグ記録である。3年次の1953年秋季リーグで記録した83奪三振は、1990年春季リーグで111奪三振を記録した亜大の小池秀郎に抜かれるまで、長らくリーグ歴代1位の記録であった。ただし、この記録は後に改定され、中大の高橋輝による107奪三振(1949年春)となっている。
安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月… 安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月21日)は、日本の高校野球指導者、教員。小千谷高野球部監督、新発田農高野球部監督、新潟県高校野球連盟理事長などを歴任した。
大沢 紀三男(おおさわ きみお、1926年2月16日 - 2… 大沢 紀三男(おおさわ きみお、1926年2月16日 - 2003年11月4日)は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手。本名は君夫。ポジションは投手・外野手。