三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 20… 三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 2002年10月5日)は、日本の経済評論家。
法政大学:2,189人
三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 20… 三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 2002年10月5日)は、日本の経済評論家。
恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月… 恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月25日 - 1989年〈平成元年〉8月20日)は日本の政治家、社会運動家。群馬県議会議員、渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会長。 1907年(明治40年)、群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)に生まれる。父は政七、母は寿世(スセ)。母方の祖父は群馬県会議員・武藤幸逸。1926年(大正15年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業し、慶應義塾大学英文学部予科へ進学するが中退。法政大学法学部を卒業する。 大学卒業後は家業の農業に従事。酪農も始めて東毛酪農協同組合を創立、初代会長に推された。群馬県毛里田村農業協同組合長、群馬県養蚕農協連合会会長を歴任。
平井 豊一(ひらい とよいち、1907年(明治40年)6月7… 平井 豊一(ひらい とよいち、1907年(明治40年)6月7日 - 1993年(平成5年)10月22日)は、日本の英文学者。法政大学名誉教授。 1907年(明治40年)6月7日、新潟県で生まれる。 1930年(昭和5年)に法政大学高等師範部を卒業し、1933年(昭和8年)に法政大学法文学部英文学科を卒業する。 1993年(平成5年)10月22日、心不全により死去、86歳。 ウィリアム・シェイクスピアとジェイムズ・ジョイスを専門としており、その膨大な蔵書が法政大学図書館に平井豊一文庫(和書3702冊、洋書10320冊)として収められている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
井染 四郎(いぞめ しろう、1907年3月8日 - 1943… 井染 四郎(いぞめ しろう、1907年3月8日 - 1943年6月23日)は、日本の俳優である。本名は齋藤 四郎(さいとう しろう)。伊染 四郎と表記に揺れがある。日活太秦撮影所、日活多摩川撮影所などで活躍した二枚目俳優の一人である。 1907年(明治40年)3月8日、東京府東京市日本橋区久松町(現在の東京都中央区日本橋久松町)に生まれる。 旧制獨逸学協会中学校(現在の獨協高等学校)を経て法政大学文科に進学するが、中退。大学在学中、築地小劇場のエキストラに応募するも落選してしまい、結局は自動車会社に勤務する、とされている。1934年(昭和9年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』(映画世界社)等によれば、築地小劇場に加入して初舞台を踏むが、僅か1年余りで退いてしまい、自動車会社を3ヶ月勤務した後、失業生活を半年ほど過ごしたという旨が記されている。
片岡 美智(かたおか みち、1907年1月6日 - 2012… 片岡 美智(かたおか みち、1907年1月6日 - 2012年10月30日)は、日本のフランス文学者。京都外国語大学名誉教授。 福井県生まれ。法政大学仏文科卒、1939年 - 1952年フランスに留学、1950年日本女性として初めてフランスで文学博士号取得、1955年南山大学教授、のち京都外国語大学教授を務め、定年後名誉教授。夫は片岡がその著作を邦訳しているロジェ・ヴァン・エック。2010年から日本最高齢の文学研究者であったが、2012年10月30日満105歳にて死去。 谷崎潤一郎の『細雪』の仏訳者に決まったこともあったが、実現しなかった(『中央公論社の80年』)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中條 晴夫(ちゅうじょう はるお、1906年(明治39年)3… 中條 晴夫(ちゅうじょう はるお、1906年(明治39年)3月27日 - 1995年(平成7年)5月17日)は、日本の実業家。元百十四銀行頭取、中條文化振興財団設立者。 1906年(明治39年)3月27日、香川県高松市に生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法文学部法律科を卒業する。 1929年(昭和4年)に百十四銀行に入行し、営業部次長、取締役を経て、1948年(昭和23年)に常務に就任する。 1952年(昭和27年)に専務、1959年(昭和34年)10月に副頭取、1975年(昭和50年)12月に頭取、1979年(昭和54年)12月に会長に就任し、1989年(平成1年)6月に取締役相談役に退く。
三島 雅夫(みしま まさお、1906年〈明治39年〉1月2日… 三島 雅夫(みしま まさお、1906年〈明治39年〉1月2日 - 1973年〈昭和48年〉7月18日)は、日本の俳優。本名・長岡 正雄(ながおか まさお)。 東京都で生まれ、新潟県三島郡与板町(現・長岡市)に育つ。本名は長岡 正雄(ながおか まさお)。元与板藩士で、陸軍軍人となり三條中学校の助教諭や、帝国生命保険の書記などを務めた父・茂雄と母・マツの間に6人兄弟(男4人・女2人)の長子、長男として生まれた。1924年(大正13年)に獨協中学校(旧制中学校)を卒業し、茂雄がのめりこんでいた影響で演劇(新劇)の世界に足を踏み入れる(茂雄も演者として舞台に立っていたようである)。同年に『ヴェニスの商人』で初舞台を踏んだ。
保科 進(ほしな すすむ、1906年 - 2000年)は、日… 保科 進(ほしな すすむ、1906年 - 2000年)は、日本のアメリカンフットボールの元選手および監督。 日系2世、ハワイのマッキンレー高校卒業。 1935年ハワイより来日、法政大学創部に貢献し初代監督兼プレーヤーとして活躍。 1938年関東學生米式蹴球連盟理事に就任、連盟活動、審判活動に貢献。 法政大学監督を計20年、成城大学コーチを2年、明治学院大学監督31年・総監督4年の計57年間、各大学で技術指導。この間、米国の理論をいち早く取り入れると共に1964年度ライスボウル東軍監督をはじめ多くの選抜チームの監督、コーチを務める。 1955年から法政大学体育講師としてアメリカンフットボールの普及に努める。
春見 文勝(かすみ ぶんしょう、1905年(明治38年)12… 春見 文勝(かすみ ぶんしょう、1905年(明治38年)12月25日 - 1998年(平成10年)10月17日)は、日本の僧侶。臨済宗妙心寺派第29代管長、妙心寺642世、海清寺住職、全日本仏教会会長。道号・諱は文勝無覚、室号は「南隠窟」「南陽室」「喝雲窟」「大楠窟」「大楠樹」「自春見」「大楠」遷化時の「大楠」には窟は付けない。 1905年(明治38年)12月25日に岐阜県美濃加茂市にて、父は兼四郎、母はひさの三男として生まれる。男五人、妹一人の六人兄弟。1919年(大正8年)に美濃加茂市の瑞林寺大崎文渓和尚に就て得度。1923年(大正12年)には京都の花園中学入学。1931年(昭和6年)法政大学高等師範部卒業、法政大学に入学。
図司 安正(圖司 安正、ずし やすまさ、1905年(明治38… 図司 安正(圖司 安正、ずし やすまさ、1905年(明治38年)12月4日 - 1990年(平成2年)5月12日)は、日本の政治家。衆議院議員。 1976年(昭和51年)に勲二等瑞宝章を受章している。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
伊井 弥四郎(いい やしろう、1905年(明治38年)11月… 伊井 弥四郎(いい やしろう、1905年(明治38年)11月14日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、日本の労働運動家。日本共産党中央委員、全官公庁共闘会議議長。 1905年(明治38年)11月14日、富山県富山市水橋町に生まれる。1926年(大正15年)に岩倉鉄道学校を卒業し、日本国有鉄道(国鉄・当時は鉄道省が管轄)に入る。その後、働きながら、1932年(昭和7年)に法政大学経済学部を卒業する。平塚駅、鶴見駅、東京駅の助役などを務める。第二次世界大戦後、国鉄労働組合の結成に参加、中央執行委員に就任する。 1946年(昭和21年)11月に全官公庁労組拡大共同闘争委員会(全官公庁共闘)が結成されると議長に就任し、産別会議議長・聴濤克巳とともに二・一ゼネストの最高責任者となる。
温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月… 温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月3日 - 1976年(昭和51年)10月22日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(3期)。位階は正四位、勲等は勲二等。 宮崎県西諸県郡小林村(現小林市)で、宮崎県会議長を務めた温水実孝の息子として生まれた。その後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て1931年(昭和6年)法政大学法科卒業し、農業に従事した。 1942年(昭和17年)小林町会議員に選出。1946年(昭和21年)小林町農業会会長に就任。1948年(昭和23年)宮崎県農業会会長となり。1954年(昭和29年)宮崎県農業協同組合中央会会長。1963年(昭和38年)宮崎県の農協中央会、信用農協連、経済農協連、共済農協連の各会長就任。
小山 久二郎(おやま ひさじろう、1905年9月7日 - 1… 小山 久二郎(おやま ひさじろう、1905年9月7日 - 1984年1月12日)は、日本の出版人、実業家。出版社・小山書店の設立者で、安倍能成の甥。チャタレー事件の被告となったことでも知られる。 愛媛県松山市生まれ、温泉郡南吉井村(現東温市)出身。法政大学中退。岩波書店を経て、1933年に小山書店を設立する。1941年に下村湖人『次郎物語』がベストセラーとなる。 戦後、三木清『読書と人生』、出隆『哲学以前』などを出版し、1950年に発行した伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』がわいせつ文書として告発される(チャタレー事件)。1957年、最高裁判決で有罪とされ罰金刑を受ける。のち、赤ちゃんとママ社を設立する。
岡本 成蹊(おかもと せいけい、明治38年(1905年)7月… 岡本 成蹊(おかもと せいけい、明治38年(1905年)7月31日 - 1988年4月28日)は、日本のイギリス文学者、法政大学名誉教授。 鳥取県米子市東町出身。父は薬剤師の岡本正。 良善幼稚園、啓成尋常小学校、米子中学校(現米子東高校)を経て昭和5年(1930年)法政大学文学部英文科卒業。34年法政大講師、日本出版文化協会勤務ののち、46年法政大教授。60年「イギリスに於ける近代小説の形式 その系譜と要因」で法政大文学博士。文学部長をへて76年定年退職、名誉教授。埼玉医科大学の創立にかかわり教養部教授。 宗教は曹洞宗。趣味は野球、その他のスポーツ。 実業家の坂口平兵衛 (2代)とは幼稚園、小学校、中学校と同期であり、親しい関係にあった[要出典]。
岡垣 久晃(おかがき ひさあき、1905年(明治38年)7月… 岡垣 久晃(おかがき ひさあき、1905年(明治38年)7月30日-1992年(平成4年)11月30日)は日本の法律家。弁護士、元大阪高等裁判所判事。 1905年(明治38年)7月30日に京都府で生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法学部を卒業し、同年高等文官試験司法科に合格する。 京都地方裁判所判事などを経て、1967年(昭和42年)に和歌山地方裁判所長に就任し、1969年(昭和44年)に大阪高裁判事に就任する。 1975年(昭和50年)に勲二等瑞宝章を受章する。 1992年(平成4年)11月30日に死去、87歳。
藤原 定(ふじわら さだむ、1905年7月17日 - 199… 藤原 定(ふじわら さだむ、1905年7月17日 - 1990年9月17日)は、日本の詩人、評論家、翻訳家。 福井県敦賀市に生まれる。法政大学文学部哲学科で三木清・谷川徹三に師事する。大学時代から「生活者」に小説・詩を投稿し、1936年(昭和11年)に草野心平に誘われ『歴程』の同人となる。その後、南満州鉄道調査部に勤務し、評論を上梓する。 1944年に第一詩集『天地の間』を刊行、戦後は法政大教授となる。1957年(昭和32年)に山室静らと詩雑誌『花粉』を発行する。1964年(昭和39年)には山梨県北巨摩郡大泉村西井出(現・北杜市大泉町西井出)に山荘を所有し、夏季の間は同地で詩作を行う。1979年(昭和54年)には第五詩集『環』を刊行し、『環』には「甲斐駒のうしろから」などの八ヶ岳山麓を題材とした詩も含まれている。
金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月… 金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月10日 - 1969年以前)は、満洲国の公務員、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清南道瑞山郡出身。泰安公立普通学校(現・泰安初等学校(朝鮮語版))、普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))、法政大学法文学部卒。日本弁理士試験・満州高等文官試験合格。満洲国間島省各県の官吏、大韓民報社社長などを務めた。1948年の初代総選挙で当選したが、1950年の第2代総選挙で落選した後は農業に従事した。1968年の『国会20年』によると、この本の出版時点ではすでに死去したとされる。
大澤 嘉平治(おおさわ かへいじ、1905年(明治38年)5… 大澤 嘉平治(おおさわ かへいじ、1905年(明治38年)5月17日 - 1983年(昭和58年)8月21日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期、民主党→民主自由党) 1905年(明治38年)に栃木県で生まれ、法政大学商業学校を卒業する。野洲繊維工業、安足産業、安足自動車運送、大澤建設工業、日本化工、東京タクシーなど多くの社長を務め、佐野商工会議所初代会頭に就任する。 1947年(昭和22年)に第23回衆議院議員総選挙に栃木県第2区から出馬し、当選する(連続2期)。また、民主自由党総務を務める。 1980年(昭和55年)秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章。 1983年(昭和58年)8月21日死去、78歳。
中山 義夫(なかやま よしお、1905年(明治38年)3月2… 中山 義夫(なかやま よしお、1905年(明治38年)3月26日 - 1986年(昭和61年)11月17日)は、日本の民俗舞踊家。民俗舞踊の第一人者。 1905年(明治38年)3月26日、北海道旭川市にて生まれる。法政大学専門部政治経済科に入学し、在学中に、亡命ロシア人の舞踊家エリアナ・パブロバに師事し、バレエダンサーの草分けとして活動する。1929年(昭和4年)に法政大学を卒業し、卒業後、海外を回るうちに民俗舞踊にひかれるようになる。また、新京で満州舞踊学校長などを務める。 戦後、中山民俗舞踊研究所を設立し、毎年のように海外公演を行う。1978年(昭和53年)に勲五等双光旭日章、1979年(昭和54年)にギリシャ政府文化功労章を受章する。
岩佐 東一郎(いわさ とういちろう、1905年3月8日 - … 岩佐 東一郎(いわさ とういちろう、1905年3月8日 - 1974年5月31日)は、日本の詩人。 東京府生まれ。父親の岩佐藤次郎(1880年生)は東洋染料や鱗与商店の重役を務めた実業家。暁星中学校を経て法政大学仏文科卒。暁星中学の頃、当時父堀口九萬一とともにブラジルに在った堀口大学に手紙で入門を請い、その門人第一号となる。1923年に第一詩集『ぷろむなあど』を18歳で上梓する。1925年に正岡容、藤田初巳(俳人)とともに雑誌『開花草紙』を創刊。1931年城左門と『文藝汎論』、1946年北園克衛と『近代詩苑』を創刊する。モダニズムと抒情の混交した詩を書いた。俳句、随筆、或いは小学校唱歌の作詞(「アマリリス」「よろこびの歌」等)でも知られ、1935年創刊の日本のモダニズム詩人による俳句雑誌「風流陣」の初代編輯・発行人であった。
細川 亀市(ほそかわ かめいち、1905年(明治38年)3月… 細川 亀市(ほそかわ かめいち、1905年(明治38年)3月2日 - 1962年(昭和37年)4月5日)は、日本の法学者、歴史学者、弁護士。元法政大学教授、元専修大学教授。専門は法制史、社会経済史。 香川県三豊郡麻村(現三豊市)に生まれる。1928年3月、法政大学専門部第二部政治経済科卒業。 1933年から法政大学で法制史を講義し、1936年に教授に就任する。1945年、『日本獄制史論』で法政大学から法学博士の学位を授与される。 1947年に公職追放されるが、1951年に解除される。1955年、専修大学教授に就任する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大井 征(おおい ただす、1905年〈明治38年〉1月21日… 大井 征(おおい ただす、1905年〈明治38年〉1月21日 - 1960年〈昭和35年〉4月15日)は、昭和のフランス文学者・フランス語学者・翻訳家。筆名は、映画評論で用いた春巴。戦前はアナトール・フランス、戦後はジャン=ジャック・ルソーの作品を主に翻訳したことで知られる。 山口県山口市に生まれ、幼少の頃に東京へ移った。1927年(昭和2年)3月、法政大学を卒業。1929年(昭和4年)1月から法政大学予科でフランス語を講じ、1939年(昭和14年)まで在任した。同年、広島陸軍幼年学校陸軍教授として赴任し、1941年(昭和16年)には東京陸軍幼年学校教授へ転じ、終戦を迎えている。戦後は法政大学に戻り、文学部教授や第二教養部長となった。
城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11… 城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11日 - 1976年(昭和51年)9月21日)は日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。 1904年(明治37年)、熊本県に生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法文学部哲学科を卒業し、1929年(昭和4年)に早稲田大学政治経済学部を卒業する。 法政大学社会学研究室助手・講師、九州日報編集局員、日本ピアノ輸入・帝國土地建物・甲南航空工業・天産航空部品・城興産・竜門木材工業各取締役、私塾城山学舎舎主、福岡文化学園理事長兼校長を歴任する。 1948年の参議院熊本県選挙区補欠選挙に日本自由党から出馬し、当選する。第3次吉田内閣で行政管理政務次官に就任し、自由党政務調査会副会長、同党顧問を務める。
竹嶋 清治(たけしま きよじ、1904年(明治37年)9月7… 竹嶋 清治(たけしま きよじ、1904年(明治37年)9月7日 - 1993年(平成5年)5月24日)は、日本の現代文学者。愛知教育大学名誉教授。 1904年(明治37年)9月7日に愛知県西尾市に生まれる。1929年(昭和4年)に法政大学法文学部国文科を卒業する。 愛知県立青年学校教員養成所教諭を経て、1949年(昭和24年)に愛知学芸大学教授に就任し、1966年(昭和41年)から愛知教育大学教授を務める。 1993年(平成5年)5月24日に死去、88歳。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川喜田 壮太郎(かわきた そうたろう、1904年(明治37年… 川喜田 壮太郎(かわきた そうたろう、1904年(明治37年)8月19日 - 1972年(昭和47年)9月27日)は、日本の銀行家、文化人。元百五銀行頭取・会長、父は川喜田半泥子。 三重県津市に、旧家川喜田家の長男として生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学経済学部を卒業し、日本銀行に入行する。1936年(昭和11年)に百五銀行に移り、1951年(昭和26年)に同行頭取に就任し、1971年11月には会長に就任。また、1970年5月から1972年9月までに近畿日本鉄道監査役を務め、菱川合資代表、相互商事社長、東海製鉄役員なども務めた。 三重経済界のトップとして、戦中・戦後を乗り切る。また、半泥子が設立した石水会館を石水博物館に発展させ、地域の文化振興に貢献する。
蛯原 徳夫(えびはら とくお、1904年8月10日 - 19… 蛯原 徳夫(えびはら とくお、1904年8月10日 - 1988年8月4日)は、フランス文学者。生涯にわたりロマン・ロラン研究・翻訳を行った。 東京生まれ。1934年法政大学文学部仏文科卒業。1965年名古屋大学文学博士(「ロマン・ロランの思想的原理」)。1953年大阪市立大学文学部助手、54年助教授、58年教授、68年定年退任、名誉教授、青山学院大学教授、聖徳学園短期大学教授を歴任した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中野 勝義(なかの かつよし、1904年(明治37年)8月1… 中野 勝義(なかの かつよし、1904年(明治37年)8月10日-1960年(昭和35年)11月16日)は、日本の実業家。全日本空輸創立の中心的人物であった。 1904年(明治37年)8月10日、北海道上川郡東旭川村に中野光造の次男として生まれる。旭川中学校を経て、1924年(大正13年)法政大学予科に入学し、1930年(昭和5年)に法政大学法文学部仏法科を卒業する。 朝日新聞に入社し、日本学生航空連盟理事などを務め、法政大学による軽飛行機『青年日本号』の訪欧飛行(1931年)、朝日新聞による『神風号』の訪欧飛行(1937年)の実現に尽力した。1940年(昭和15年)、大日本飛行協会参与に就任し、1942年(昭和17年)に朝日新聞を退社し、大日本飛行協会常任参与・庶務部長に就任。
佐藤 俊夫(さとう としお、1904年〈明治37年〉7月20… 佐藤 俊夫(さとう としお、1904年〈明治37年〉7月20日 - 1990年〈平成2年〉1月12日)は、日本の実業家。新潮社の第3代代表取締役社長。東京府出身。 1928年に法政大学法文学部を卒業と同時に、父・義亮の経営する新潮社に入社。1947年に『小説新潮』を創刊し、その編集長に就任する。1958年に新潮社3代目代表取締役社長に就任。1967年に兄・義夫が急逝し、社長の座を兄の息子・亮一に譲り代表取締役会長となった。 1990年1月12日に肺炎のため死去、86歳。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
香山 滋(、1904年〈明治37年〉7月1日 - 1975年… 香山 滋(、1904年〈明治37年〉7月1日 - 1975年〈昭和50年〉2月7日)は日本の小説家で、探険小説や幻想小説で活躍したほか、映画『ゴジラ』の原作者としても知られる。本名は山田 鉀治(やまだ こうじ)。東京都出身。 東京神楽坂に生まれる。新宿区立牛込仲之小学校(当時は東京市牛込尋常小学校)卒。東京府立第四中学時代に横山又次郎『前世界史』を読んだことをきっかけに、恐竜をはじめとした古生物に魅せられ、独学で地質学や古生物学を学ぶ。法政大学経済学部を中退し、1927年、祖父や父と同じく大蔵省に入省して預金部に勤める。1933年に結婚し、一女をもうける。 1940年、北原白秋門下の歌人・筏井嘉一が創刊した短歌誌「蒼生」に参加し、歌人として文芸活動を開始。
桝田 啓三郎(ますだ けいざぶろう、1904年〈明治37年〉… 桝田 啓三郎(ますだ けいざぶろう、1904年〈明治37年〉4月5日 - 1990年〈平成2年〉12月12日)は、日本の哲学者(ドイツ・アメリカ哲学)。東京都立大学名誉教授。キェルケゴール研究では、日本国内の第一人者であった。 愛媛県喜多郡大洲町(現大洲市)生まれ。生糸繭屑物商桝田與三郎の三男。1930年、法政大学文学部哲学科卒業。三木清の弟子であった。大学卒業後、法政大学で長く教鞭をとった。千葉大学、旧・東京都立大学などでも教えた。 卓越した語学力の持ち主で、キェルケゴール、ウィリアム・ジェームズ、フォイエルバッハ、フィヒテ、ベルクソン、デカルトを翻訳。特にキェルケゴールは、独学でデンマーク語を学び原典翻訳を行い、それまでドイツ語訳を使用することの多かった日本の研究状況を一変させた。
厳 敬燮(オム・ギョンソプ、朝鮮語: 엄경섭/嚴敬燮、190… 厳 敬燮(オム・ギョンソプ、朝鮮語: 엄경섭/嚴敬燮、1904年3月27日または1906年3月27日 - 1979年9月6日)は、大韓民国の教育者、政治家。第9代韓国国会議員。 本貫は寧越厳氏。儒教の信者。元養正高等学校校長の厳圭白は長男。 ソウル出身。1925年養正高等普通学校卒、1931年法政大学経済学部商科卒。養正中学校・高等学校で長く勤め、教諭・教務主任・校長を歴任した。その他にソウル私立中等学校長会会長、中央教育委員会委員、大韓私立中等学校長会連合会長、国民教育憲章制定審議会委員、長期総合教育計画審議会委員、教育政策審議会委員、維新政友会所属の第9代前半期国会議員、養正義塾理事長を務めた。
長津 義司(ながつ よしじ、1904年(明治37年)3月24… 長津 義司(ながつ よしじ、1904年(明治37年)3月24日 - 1986年(昭和61年)1月10日)は昭和期の作曲家。 静岡県出身。保険会社勤務後、作曲活動を始め、1936年(昭和11年)ポリドール専属となる。1939年(昭和14年)11月発売の「大利根月夜」が大ヒット。1941年(昭和16年)にテイチクへ移籍し、「十三夜」「君忘れじのブルース」「ふるさとの燈台」「玄海ブルース」「連絡船の唄」「チャンチキおけさ」「大利根無情」「元禄名槍譜 俵星玄蕃」などの作品を作曲。菅原都々子の「月がとっても青いから」では編曲を担当。 『チャンチキおけさ』では『お客様は神様です』というフレーズが生まれ、三波春夫が最後の紅白で歌った曲は「元禄名槍譜 俵星玄蕃」であった。
藤田 親昌(ふじた ちかまさ、1904年(明治37年)1月1… 藤田 親昌(ふじた ちかまさ、1904年(明治37年)1月17日 - 1996年(平成8年)11月13日)は、日本の出版人、編集者。元文化評論社社長・中央公論社編集部長。横浜事件に連座する。 1904年(明治37年)1月17日、神奈川県鎌倉に生まれる。法政大学予科を経て、1930年(昭和5年)に法政大学法文学部英文科を卒業する。中央公論社に入社し、出版部長、編集部長を歴任する。1944年(昭和19年)にいわゆる横浜事件により検挙、一年に渡り拘禁され、1945年(昭和20年)に起訴留保処分により釈放される。 戦後、1946年(昭和21年)に文化評論社を設立し、社長に就任する(1961年(昭和36年)に閉鎖)。
池島 重信(いけじま しげのぶ、1904年(明治37年)1月… 池島 重信(いけじま しげのぶ、1904年(明治37年)1月2日 - 1991年(平成3年)8月18日)は、日本の哲学者、文芸評論家。専門はドイツ哲学。法政大学名誉教授。 1904年(明治37年)1月2日に茨城県水戸市に生まれる。1929年(昭和4年)に法政大学法文学部哲学科を卒業する。 法政大学助手を経て講師になるが、1935年(昭和10年)の法政騒動で野上豊一郎たちと共に辞職、日本放送協会教養部に勤務し、教養部副部長に就任する。 戦後、1946年(昭和21年)に法政大学に復職し、文学部助教授に就任、教授・文学部長などを歴任する。 1991年(平成3年)8月18日に死去、87歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
尹 泳善(ユン・ヨンソン、朝鮮語: 윤영선、1904年または… 尹 泳善(ユン・ヨンソン、朝鮮語: 윤영선、1904年または1905年 - 1997年12月18日(旧暦11月19日))は、大韓民国の実業家、政治家。初代光州市長、第2代韓国国会議員を歴任した。 本貫は海南尹氏(朝鮮語版)、孤山尹善道の13世宗孫である。元朝鮮総督府中枢院参議の尹定鉉(朝鮮語版)は父。長男の尹亨植は長い間、14代宗孫として海南尹氏宗家の緑雨堂(朝鮮語版)に住んでいる。 全羅南道海南または光州出身。法政大学政経学部卒。郡属、府属、理事官、光州農科大学・光州医科大学期成会理事、国民会全羅南道総務部長を経て、東光新聞副社長、初代(または第5代)全羅南道光州市(現・光州広域市)長、木浦白泉企業会社会長、興国海運会長、国会財経委員、成均館理事長を務めた。
神田 博(かんだ ひろし、1903年12月25日 – 197… 神田 博(かんだ ひろし、1903年12月25日 – 1977年6月30日)は、日本の政治家。位階は正三位。厚生大臣(第28、29、40、41代)、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)。 現在の新潟県東蒲原郡阿賀町に生まれる。1928年法政大学専門部法律科を卒業した後内務省に入る。同省地方局から静岡県属となり、水産、人事、秘書、商工の各課長を務める。その後、理研軽金属工業静岡工場長を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から静岡全県区から立候補し当選を果たす。翌年の第23回衆議院議員総選挙からは旧静岡1区に移り、通算当選8回。村上勇とともに、大野伴睦の最も早い時期からの側近であった。
伊豆川 浅吉(いずかわ あさきち、1903年(明治36年)1… 伊豆川 浅吉(いずかわ あさきち、1903年(明治36年)11月3日 - 1968年(昭和43年)8月24日)は、日本の水産学者、歴史学者。元東京水産大学教授。専門は漁業史、水産経済学。 1903年11月3日、神奈川県小田原市に生まれる。1922年4月に横浜高等工業学校応用化学科に入学し、1925年3月に卒業。1927年に旭水産に入社し、1928年に小田原市場に入社する。 1935年、法政大学経済学部を卒業し、1937年に法政大学大学院を修了、小野武夫に師事する。アチック・ミューゼアム研究所員、東京帝国大学助手を経て、1948年に鹿児島水産専門学校教授(後の鹿児島大学水産学部)に就任する。1950年、『日本鯨漁業の経済的研究』で農学博士(九州大学)を取得する。
照山 岩男(てるやま いわお、1903年8月30日 - 没年… 照山 岩男(てるやま いわお、1903年8月30日 - 没年不詳)は、日本のゴルフ選手、ゴルフコース設計者、ゴルフ場支配人。九州初のプロゴルファー、学士プロゴルファー第2号(村上伝二に次ぐ)である。 福岡市出身。父が筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門の会社の支配人をしていた関係で、伝右衛門の妻・伊藤白蓮(燁子)とともに、別府市の伊藤別荘(伝右衛門が白蓮のために建設したとされる)に一時滞在していたが、その間に、のちに白蓮事件を起こす宮崎龍介と白蓮が、1920年1月31日に初めて別府の楠港で出会った場に、ただ一人白蓮に連れられて立ち会っている。地域情報誌「月刊アドバンス大分」の1974年の記事において「その朝、別府桟橋まで宮崎を迎えに行く燁子(あきこ)に同行したが、黄八丈の袷に縫紋の羽織を着た燁子の姿をまぶしいまでに覚えている」と語っている。
金 晋燮(キム・ジンソプ、朝鮮語: 김진섭/金晉燮、1903… 金 晋燮(キム・ジンソプ、朝鮮語: 김진섭/金晉燮、1903年8月24日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮及び大韓民国の評論家、随筆家、詩人、作家、ドイツ文学者、アナウンサー。 号は聴川(チョンチョン、청천/聽川)。 全羅南道木浦に生まれ。幼少期いっとき慶尚南道安東で過ごす。1927年に法政大学文学部独文科卒。1925年に文学評論家として登壇、以後随筆の大家として名を鳴らした。 解放後は京城放送局員、ソウル大学校中央図書館長、ソウル大学校・成均館大学校教授を歴任したが、自宅にいた際に北朝鮮に拉致され、以後消息不明。
田井 真孫(たい しんそん、1903年8月12日 - 197… 田井 真孫(たい しんそん、1903年8月12日 - 1973年2月19日)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト。 東京生まれ。法政大学経済学部卒。報知新聞などの記者を七年務める。1941年法政大学教授になるが、大日本言論報国会などで活動し、戦後公職追放となる。野村胡堂に師事し捕物作家クラブ幹事長を7年、「日本教育新聞」編集局長を一年務めた。「日本海事新聞」にコラム「うきぶくろ」を連載。大衆文学研究会会員。劇作家、脚本家の田井洋子は妹。時代考証家の田井友季子は妻。
森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981… 森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981年4月8日)は、日本の歴史学者、岩手大学名誉教授、経済学博士。主な研究テーマは南部藩を中心とする近世史だが、中尊寺金色堂の調査にも参加するなど、活動分野は多岐にわたった。 岩手県盛岡市の豪商の家に生まれる。盛岡中学から法政大学経済学部に進み、小野武夫の下で近世日本経済史を研究した。1929年卒業。岩手県教育会書記を務め、岩手師範学校教授。 1947年、昭和天皇が岩手県に戦後巡幸された際に拝謁し、岩手県の開拓史について奏上する。その後、1949年に岩手大学教授、1969年定年退官。学内では学芸学部長、教育学部長を歴任した。退官後は、盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めた。
梶浦 正之(かじわら まさゆき、1903年(明治36年)5月… 梶浦 正之(かじわら まさゆき、1903年(明治36年)5月20日 - 1966年(昭和41年)12月12日)は日本の詩人。 愛知県海部郡佐織町勝幡(現・愛西市)に生まれる。1930年(昭和5年)に法政大学経済学部を卒業する。 早くから雅趣溢れる象徴詩を『明星』、『日本詩人』、『詩聖』などに発表し、1921年(大正10年)に『飢え悩む群れ』を刊行し、1925年(大正14年)に刊行した『鳶色の月』によって詩壇に確固たる地位を得た。その後、1935年(昭和10年)代に入ると新現実派を主唱し、詩誌『詩文学研究』を発行する。
若林 忠一(わかばやし ちゅういち、1903年(明治36年)… 若林 忠一(わかばやし ちゅういち、1903年(明治36年)4月1日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、日本の農民運動家、政治家。長野県更埴市長。 長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を中退し、独学で法政大学経済学部に進学し、在学中から社会主義運動に参加し、1924年(大正13年)中途退学して帰郷。 更級・埴科地方の自作・小作農民層の青年らを集めて「北信社会思想研究会」を立ち上げ、これに教員らが参加して、1925年(大正14年)政治研究会長野県評議会を組織し、幹事長となる。1926年(大正15年)労働農民党(労農党)に入党。1927年(昭和2年)屋代町に長野県小作組合連合会(日本農民組合長野県連合会)を組織し、その中心人物として県下の農民運動を主導した。
島田 末信(しまだ すえのぶ、1903年〈明治36年〉4月1… 島田 末信(しまだ すえのぶ、1903年〈明治36年〉4月1日 - 1958年〈昭和33年〉4月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 香川県出身。1926年法政大学専門部商科卒。讃岐公論社主筆、阿讃中央自動車、金剛産業(株)各代表取締役、坂出製氷、四国連鎖百貨各(株)取締役社長となる。香川県議会議員、香川県地方労働委員会委員を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙において香川2区から日本民主党公認で立候補して落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙で当選した。国会では衆議院労働委員長を務めた。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党から立候補したが落選した。1958年死去。
渡辺 良(わたなべ りょう、1903年2月 - 1976年3… 渡辺 良(わたなべ りょう、1903年2月 - 1976年3月4日)は、日本のジャズベース奏者。日本で最初にウッド・ベースでジャズを演奏した人物。東山千栄子、中江百合は実姉。 神奈川県横浜市に当時横浜地方裁判所長であった渡辺暢の三男として生まれる。法政大学在学中に作間毅らと学生初のジャズバンド、ラッカンサン・ジャズ・バンドを結成する。大学を卒業後、山田和一、前野港造バンドを経て、コロムビア・ジャズ・バンドに入団し、のち、楽長に就任する。1929年から1954年まで一貫して同バンドでレコードの吹込みに携わる。戦後は、自己のバンド、ニュー・フェローにより米軍クラブなどで活躍する。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
中村 信敏(なかむら のぶとし、1903年(明治36年)1月… 中村 信敏(なかむら のぶとし、1903年(明治36年)1月23日 - 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の法律家。元東京高検刑事部長、退官後、弁護士としてロッキード事件、日通事件等に携わる。妻・榮子は陸軍少将篠原四郎の長女。 1903年(明治36年)、北海道小樽市にて生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格後、検察官に任官し、1931年(昭和6年)9月東京地方裁判所検事に任官される。検察官として中野正剛の逮捕事件、炭鉱国管疑獄事件などに携わる。東京高等検察庁刑事部長などを務め、1951年(昭和26年)退官後、弁護士として、ロッキード事件で児玉誉士夫、日通事件で福島敏行の弁護人を務める。
藤田 信男(ふじた のぶお、1903年1月9日 - 1992… 藤田 信男(ふじた のぶお、1903年1月9日 - 1992年4月25日)は、大学野球の選手・指導者として活躍した人物である。元法政大学名誉教授。中国・天津市生まれ。 天津市で料亭「敷島桜」を営む家の長男として生まれる。兵庫・伊丹中学(現兵庫県立伊丹高)から法政大学に進み外野手として活躍、主将も務めた。1927年卒業後、監督代理を経て1929年に法大野球部の3代目監督に就任した。日本遠征で訪れたハワイチームのエース若林忠志を勧誘するなどチーム強化に努め、1930年東京六大学秋季リーグ戦でチームを創部初の優勝に導いた。その後1940年まで12年の任期中4回のリーグ優勝を達成、法大野球部の第一次黄金時代を創り上げた 監督を退いた後は東京六大学野球連盟(就任当時は東京大学野球連盟)の理事に就任、戦時下の野球統制に対して飛田穂洲らとともに軍部・文部省による弾圧阻止に奔走した。
石田 一松(いしだ いちまつ、本名同じ、1902年11月18… 石田 一松(いしだ いちまつ、本名同じ、1902年11月18日 - 1956年1月11日)は、日本の政治家、演歌師、演歌歌手。作詞家、作曲家。位階は正五位。 芸人で、吉本興業(東京吉本)所属。戦前の一時期、石田一涙と芸名を名乗る。戦後は並行して衆議院議員を務め、タレント議員第一号とされる。身長五尺四寸、体重十七貫(自著記載より)。なぎら健壱は孫弟子にあたる。諷刺の先駆者、及びシンガーソングライターの先駆けともされ、その弾き語りは一世を風靡した。 広島県安芸郡府中村字山田(現府中町)生まれ。3歳で実母とは生き別れて、その後4人の継母に育てられた。うち3人の継母から虐められこれを耐え抜いたという。父・石田喜一は井戸堀職人で、その後米相場で失敗。
北村 又左衛門(きたむら またざえもん、明治35年(1902… 北村 又左衛門(きたむら またざえもん、明治35年(1902年)9月26日 - 昭和60年(1985年)12月23日)は、日本の林業家、政治家。北村林業会長、また帝国議会の衆議院議員を務めた。その他、全国林業組合長などを歴任した。 奈良県出身。前名は太郎。昭和3年(1928年)法政大学卒業。 昭和17年(1942年)の翼賛選挙に奈良全県区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け、初当選、昭和20年(1945年)12月まで在職した。 戦後、公職追放となり、昭和26年(1951年)6月解除と共に同年10月大丸監査役に就任する。 妻は百五銀行取締役土井八郎兵衛の長女・利子。長女は白鶴酒造相談役嘉納信治の妻であり、灘の名門嘉納家の大閨閥につながっている。
佐瀬 昌三(させ しょうぞう、1902年7月8日 - 200… 佐瀬 昌三(させ しょうぞう、1902年7月8日 - 2001年6月23日)は日本の政治家、法律家、法学博士、衆議院議員、裁判官、法政大学教授、弁護士 1902年(明治35年)7月8日に千葉県山武郡上堺村(現在の横芝光町屋形)で生まれる。 法政大学法学部に入学し、在学中は法政大学弁論部に所属。1924年(大正13年)に法政大学卒業。同年高等文官試験行政科、司法科に合格し、検事に任官する。1930年(昭和5年)に法政大学講師となり、フランスに2年間留学をする。パリ法科大学で刑事法学研究室に所属し刑事法学を専攻する。 帰国後、1932年(昭和7年)に判事に転官し、東京地方裁判所判事の傍ら法政大学教授に就任し、刑法及び仏法の講義を行う。