小西 良樹 (こにし よしき、1967年2月9日 - ) は… 小西 良樹 (こにし よしき、1967年2月9日 - ) は、トヨタ自動車株式会社の自動車技術者。カローラ全シリーズの開発責任者や、トヨタ ダイハツ エンジニアリング アンド マニュファクチャリング社長等を経て、トヨタ自動車研究開発センター(中国)社長。 愛知県常滑市出身。常滑市立南陵中学校、愛知県立横須賀高等学校を経て、1991年名古屋工業大学大学院工学研究科生産システム工学修士課程修了後、トヨタ自動車に入社。 入社後はボデー設計部でセリカ、コロナ、bBなどを担当。その後、製品企画室に異動し、カローラとRAV4を手掛ける。2009年 商品開発部に異動し、TNGAプラットフォームの開発責任者を務め、2015年 製品企画室に戻り、製品企画本部主査を経て、2016年 製品企画本部チーフエンジニアに就任。
中島 真也(なかしま しんや、1965年( 10月18日 -… 中島 真也(なかしま しんや、1965年( 10月18日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社パロマ代表取締役社長。 愛知県津島市出身。1988年名古屋工業大学工学部卒業、パロマ工業(現パロマ)入社。長年技術部門に携わり、2011年には技術開発推進部長に就任。2014年技術開発部長。2015年取締役技術開発部長に昇格。2017年取締役常務執行役員開発本部長。2018年取締役専務執行役員開発本部所掌。同年代表取締役副社長。2019年から創業家出身者以外としては初となる代表取締役社長を務め、パロマ湯沸器死亡事故等を踏まえ、コーポレート・ガバナンスの整備などを進めた。
稲垣 久生(いながき ひさお、1961年1月10日 - )は… 稲垣 久生(いながき ひさお、1961年1月10日 - )は、日本の外交官、情報技術者。シアトル総領事を経て、駐トンガ特命全権大使。 三重県四日市市出身。父はモールス信号の技師を経て、日本の降伏後日本電信電話公社に入社。兄もコンピューター関連。 三重県立四日市高等学校卒業後、1983年名古屋工業大学工学部第一部電気情報工学科卒業。1985年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院理工学研究科修了、外務省入省。1991年マサチューセッツ工科大学大学院修了、修士。 作家の佐藤優は入省同期で、読書術などを学んだ。技術系であり、入省後はホストコンピューターに関する業務から始め、情報通信技術などを担当し、人事・会計業務のシステム化、LANの整備、情報セキュリティ対策などを進めた。
藤原 一彦(ふじわら かずひこ、1958年〈昭和33年〉3月… 藤原 一彦(ふじわら かずひこ、1958年〈昭和33年〉3月2日 - )は、日本の技術者、実業家。住友ベークライト株式会社代表取締役社長。 京都府出身。1980年(昭和55年)名古屋工業大学工学部卒業、住友ベークライト入社。バイオ製品開発プロジェクトチームリーダー、執行役員S-バイオ事業部長等を経て、2014年(平成26年)取締役常務執行役員に昇格。 2016年(平成28年)から、取締役専務執行役員高機能プラスチック製品事業本部長を、2018年(令和元年)から代表取締役社長を務め、高機能プラスチック事業のグローバル化強化などを進めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森中 郁雄(もりなか いくお、1956年12月16日 - )… 森中 郁雄(もりなか いくお、1956年12月16日 - )は、日本の原子力技術者、実業家。関西電力代表取締役副社長や、関電プラント監査役、使用済燃料再処理機構理事等を務めた。 1979年名古屋工業大学工学部機械工学科卒業、関西電力入社。1996年原子力・火力本部原子力・火力企画グループ附電気事業連合会出向。2000年原子力事業本部保全計画グループチーフマネジャー。2003年原子力事業本部発電グループチーフマネジャー。2005年原子力事業本部保全計画グループチーフマネジャー。 2006年高浜発電所長。2009年原子力事業本部副事業本部長。2010年執行役員(従業員)原子力事業本部副事業本部長、原子力発電部門統括。
宮内 一公(みやうち かずひろ、1956年8月19日 - )… 宮内 一公(みやうち かずひろ、1956年8月19日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。トヨタ自動車執行役員トヨタコンパクトカーカンパニープレジデント、トヨタ自動車東日本代表取締役会長、東北経済連合会副会長。元日本自動車車体工業会会長。 三重県出身。1980年名古屋工業大学機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。吉田守孝副社長は同期入社。2001年新車進行管理部部長。2003年トヨタ モーター マニュファクチャリング ノース アメリカ出向。2008年グローバル調達推進部部長。2009年常務役員。2011年トヨタ モーター エンジニアリング アンドマニュファクチャリング ノース アメリカ執行副社長。
吉川 芳和(よしかわ よしかず、1955年7月6日 - )は… 吉川 芳和(よしかわ よしかず、1955年7月6日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社NIPPO代表取締役社長。 岐阜県出身。1974年岐阜県立多治見北高等学校卒業。1979年名古屋工業大学工学部卒業、日本鋪道(現NIPPO)入社。関東第一支店工事部長を経て、2012執行役員北海道支店長。2015年取締役兼常務執行役員総合技術部・エンジニアリング部・建築事業統括部・関東建築支店・海外支店管掌。2016年代表取締役常務執行役員技術本部長、建築事業本部長、開発事業本部長、 海外支店、環境安全・品質保証部管掌。2018年から代表取締役社長を務め、海外事業の伸展をはかった。
今枝 良三(いまえだ りょうぞう、1954年7月22日 - … 今枝 良三(いまえだ りょうぞう、1954年7月22日 - )は、日本の土木技術者、実業家。前田道路株式会社代表取締役社長。 愛知県出身。1977年名古屋工業大学土木工学科卒業、前田道路入社。西関東支店長を経て、2009年取締役執行役員西関東支店長に昇格。2010年取締役執行役員工事事業本部副本部長。同年取締役執行役員製品事業本部長。2011年取締役常務執行役員製品事業本部長。2012年取締役常務執行役員中部支店長。2014年取締役常務執行役員製品・技術部門管掌、工事事業本部長。2015年から代表取締役社長を務め、親会社である前田建設工業による株式公開買付けへの対応にあたるなどした。日本道路建設業協会常任理事、日本道路協会理事、浜松市やらまいか大使等も歴任。
小川 清(おがわ きよし、1954年 - )は、日本の技術者… 小川 清(おがわ きよし、1954年 - )は、日本の技術者。 1954年岐阜県生まれ。 1973年愛知県立旭丘高校普通科卒業。1981年法政大学経済学部を卒業。名古屋工業大学電気工学科編入・1986年卒業。静岡大学理工学研究科博士課程後期設計工学専攻に入学、修了、工学博士学位を取得1976年名古屋市水道局採用。 1986年名古屋市工業研究所転任。 2020年株式会社アテック入社。 国際規格、日本産業規格の制定に、情報処理学会情報規格調査会SC7幹事/WG10主査・幹事, 日本規格協会委員、JISA技術委員会標準化委員,などとして貢献した。情報処理学会情報規格調査会SC7WG10幹事は、IBMを退職した新谷勝利から引き継いだ。
奥田 隆司(おくだ たかし、1953年8月19日 - )は日… 奥田 隆司(おくだ たかし、1953年8月19日 - )は日本の技術者、実業家。シャープ代表取締役社長や、同社会長、情報通信ネットワーク産業協会会長、関西大学客員教授などを務めた。 大阪府出身。1978年名古屋工業大学大学院工学研究科経営工学専攻修士課程修了、シャープ入社。2001年AVシステム事業本部映像機器事業部長。2003年AVシステム事業本部長。2003年取締役AVシステム事業本部長。2006年取締役調達本部長。2008年執行役員海外生産企画本部長。2010年執行役員海外市場開発本部長。2011年常務執行役員海外事業統轄兼海外事業本部長。2012年から代表取締役社長を務め、経営悪化に陥ったシャープの再建にあたったが、2013年に巨額の赤字を計上し会長に退いた。
横山 裕行(よこやま ひろゆき、1951年5月16日 - )… 横山 裕行(よこやま ひろゆき、1951年5月16日 - )は、日本の自動車技術者。ダイハツ工業代表取締役副社長を経て、トヨタ東京自動車大学校理事長、トヨタ名古屋自動車大学校理事長、トヨタ神戸自動車大学校理事長。 1974年名古屋工業大学金属工学科卒業、トヨタ自動車工業(のちのトヨタ自動車)入社。2000年品質保証部主査。同年トヨタモーターヨーロッパ マニュファクチャリング出向。2003年品質保証部部長。2005年お客様品質部部長。2008年から常務役員お客様品質部部長兼中央可鍛工業取締役を務め、トヨタ・プリウスやトヨタ・SAI などのリコール対応などにあたった。2011年常務役員、品質保証本部本部長。
田中 義克(たなか よしかつ、1951年 - 2024年2月… 田中 義克(たなか よしかつ、1951年 - 2024年2月15日)は、日本の自動車技術者、実業家。トヨタ自動車北海道代表取締役社長を経て、北海道立総合研究機構理事長。元北海道経済連合会副会長。 愛知県刈谷市出身。愛知県立刈谷高等学校、名古屋工業大学機械工学専攻を経て、1976年名古屋大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業入社。1997年トヨタ自動車製造部長。2004年からトヨタ自動車常務役員として、三好工場長、衣浦工場長、明知工場長を務めた。2006年トヨタ自動車北海道代表取締役社長。2010年北海道機械工業会会長。2014年北海道経済連合会副会長。2017年トヨタ自動車北海道顧問。
伊奈 功一(いな こういち、1948年5月6日 - )は、日… 伊奈 功一(いな こういち、1948年5月6日 - )は、日本の技術者・実業家。一般社団法人中部産業連盟会長。ダイハツ工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。1971年名古屋工業大学工学部物理工学科卒業。1973年名古屋工業大学大学院修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1998年元町工場機械部長。2002年取締役、本社工場長、元町工場長。2003年常務役員、グローバル生産推進センター長。2004年明知工場長。2005年高岡工場長、堤工場長。2006年三好工場長。2007年専務、生産企画本部長、製造本部長。2009年からダイハツ工業副社長として車両開発などを統括した。
川田 武司(かわた たけし、1947年8月6日 - )は日本… 川田 武司(かわた たけし、1947年8月6日 - )は日本の技術者、実業家。アイシン精機取締役副社長や、アドヴィックス代表取締役社長を務めた。 大阪府出身。1972年名古屋工業大学工学部第一部経営工学科卒業後、プラントメーカーでエンジニアを務めたのち、1973年アイシン精機に入社。品質保証部に配属されたのち、情報システム部在籍中に過労で休職し、経営企画に異動となる。1999年取締役に昇格。2005年取締役副社長。2009年からアドヴィックス代表取締役社長を務め、トヨタグループ内のブレーキ事業のアドヴィックスへの集約を進めるなどした。参議院少子高齢化・共生社会に関する調査会参考人なども務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
杉野 正博(すぎの まさひろ、1944年11月18日 - )… 杉野 正博(すぎの まさひろ、1944年11月18日 - )は、日本の技術者、実業家。INAX代表取締役社長、LIXILグループ代表取締役社長などを務めた。 愛知県出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、1967年に名古屋工業大学工学部窯業工学科を卒業し、伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)に入社した。1990年に営業本部商品企画統括部商品第1部長、1992年に取締役新建材事業部長、1994年に取締役建材事業本部タイル事業部長、1996年に常務取締役建材事業本部長、1999年に常務取締役経営管理統括部長、2000年に専務取締役にそれぞれ就任した。 2001年、代表取締役社長に就任した。2007年から住生活グループ(現在のLIXILグループ)代表取締役社長及びINAX代表取締役会長を務め、2011年にはトステム、INAX、新日軽、東洋エクステリア、LIXILの統合を行い、同年トステムを商号変更したLIXILの代表取締役社長兼COOに就任した。
加藤 倫朗(かとう のりお、1943年3月24日 - )は日… 加藤 倫朗(かとう のりお、1943年3月24日 - )は日本の技術者、実業家、工学博士。日本特殊陶業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、涼仙ゴルフ倶楽部理事長などを務めた。藍綬褒章受章。自動車技術会賞技術開発賞受賞。 愛知県出身。1961年愛知県立旭丘高等学校卒業。1965年名古屋工業大学工学部窯業工学科卒業、日本特殊陶業入社。1987年セラミックターボチャージャの開発で自動車技術会賞技術開発賞を受賞。2001年「構造材料としての窒化ケイ素とエンジン部品への応用に関する研究」で名古屋工業大学博士(工学)の学位を取得。 日本特殊陶業 総合研究所開発部長、取締役、常務取締役を経て、2003年専務取締役。
長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日… 長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日本の技術者・実業家。帝人代表取締役社長や、同社取締役会長、経済同友会副代表幹事、日本化学繊維協会会長、イオン取締役報酬委員会議長などを務めた。 日本統治時代の朝鮮の馬山で生まれる。 日本の降伏後引き揚げ、広島県を経て、英語教師だった父の仕事の関係で、小学校3年のときに京都府から兵庫県篠山町に移り、1955年篠山町立篠山小学校卒業。1958年篠山町立篠山中学校卒業。1961年兵庫県立篠山鳳鳴高等学校卒業。中学・高校では軟式テニスに打ち込んだ。 1965年名古屋工業大学工学部繊維工学科卒業、帝人入社。パラ型アラミド繊維テクノーラの開発などを経て、セールスエンジニアとなる。
上田 恵一郎(うえだ けいいちろう、1941年1月19日 -… 上田 恵一郎(うえだ けいいちろう、1941年1月19日 - )は、日本の土木技術者、実業家。前田建設工業代表取締役副社長土木本部長を経て、同社取締役会長や、日本経団連むつ小川原開発推進委員会委員長を務めた。 1965年名古屋工業大学土木工学科卒業、前田建設工業入社。1996年九州支社長。1998年取締役に昇格。1999年常務取締役。2002年専務執行役員。2004年代表取締役副社長土木本部長。2006年には取締役会長及び日本経団連むつ小川原開発推進委員会委員長に就任したが、福島県知事汚職事件を受け辞任した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
塩見 正直(しおみ まさなお、1936年(昭和11年)- )… 塩見 正直(しおみ まさなお、1936年(昭和11年)- )は、日本の環境自動車技術者、経営者。トヨタ自動車・エスティマ、プリウスの開発者。トヨタ車体株式会社会長。「環境のトヨタの立役者」として知られる。 昭和11年(1936年)、龍雲寺住職・塩見正道の次男として京都府福知山市雲原に生れる。曾祖父は出石藩士・塩見信四郎。 昭和34年(1959年)3月、名古屋工業大学機械工学科卒業。 昭和34年(1959年)4月、トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)入社。 昭和49年(1974年)、同社技術部シャシー設計課・課長。 昭和55年(1980年)、タウンエース主査(チーフエンジニア)。 昭和58年(1983年)、エスティマの主査(CE)となり、翌昭和59年(1984年)、製品開発企画室に配属。
鈴村 喜久男(すずむら きくお、1927年 - 1999年1… 鈴村 喜久男(すずむら きくお、1927年 - 1999年10月1日)は、日本の技術者。トヨタ自動車生産管理部生産調査室主査(部長級)、井関農機専務取締役を歴任した。旧制愛知県立工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。 トヨタ在籍時、大野耐一の下でトヨタ生産方式(Toyota Production System)確立に寄与した人物の1人であり、現場で大野の理念実現を支えた。1982年よりNPS(New Production System)研究会に参画(実践委員長)し、その理念と実践を多くの会社に伝えた。 1999年10月1日、肝臓癌により死去。71歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大野 耐一(おおの たいいち、1912年2月29日 - 19… 大野 耐一(おおの たいいち、1912年2月29日 - 1990年5月28日)は、日本の技術者、経営者である。トヨタ自動車工業の元副社長。 かんばん方式など生産管理のあり方として世界的に有名となった“トヨタ生産方式(Toyota Production System、略称TPS)”を体系化した人物である。その業績により、日本自動車殿堂と米国自動車殿堂の両方で殿堂入りしている。 中華民国の大日本帝国租借地関東州大連市生まれ。大野は旧制愛知県立刈谷中学校(現愛知県立刈谷高等学校)および名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)機械科を卒業後、1932年(昭和7年)豊田紡織(現:トヨタ紡織)に入社し、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)に転籍した。
宇敷 赳夫(うしき たけお、1891年(明治24年)7月24… 宇敷 赳夫(うしき たけお、1891年(明治24年)7月24日 - 没年不明)は兵庫県出身の土木技術者。台湾総督府の技師として、日本統治時代の台湾で様々な公共建築物を手がけた。 明治24年に姫路市で出生、本籍地は同県神戸市上筒井通。兵庫県立第一神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を経て、その後の経歴は以下のとおり。 総督府の技師として以外にも当時の民間組織『台湾建築會』で井手薫などとともに常議員を務めていた。 関東大震災(1923年)や新竹台中地震(1935年)を経た耐震強化など、当時の設計思想の変化を盛り込んだ簡素な設計を多く採用している。多くの建築物が木造建築から鉄筋コンクリートで再建される課程で宇敷が担当した物件は以下の通り。
山本 卯太郎(やまもと うたろう、1891年(明治24年)6… 山本 卯太郎(やまもと うたろう、1891年(明治24年)6月15日 - 1934年(昭和9年)4月20日)は、大正末期から昭和初期の橋梁技術者。複雑な構造をもつ可動橋を得意とし、多数の跳上橋を設計。数学の手法を用いて、可動橋の動的なメカニズムを解析。新技術を開発し、独自の発展を遂げた可動橋分野を牽引した人物。 1891年(明治24年)6月に大阪で生まれる。1914年(大正3年)、名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)土木科を卒業。 1915年(大正4年)に米国に渡航して、アメリカンブリッジカンパニーに入社。シカゴを中心とする各地の可動橋の設計や製作に従事するかたわら、イリノイ大学やアーマー大学で橋梁を研究。
大西 英一(おおにし えいいち、1889年〈明治22年〉12… 大西 英一(おおにし えいいち、1889年〈明治22年〉12月7日 - 1955年〈昭和30年〉12月16日)は、日本の土木技術者、実業家。工学博士。第4代日本発送電総裁や初代電力中央研究所理事長、第39代土木学会会長を務めた。 福井県で鉄道官吏の子として生まれる。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1912年(明治45年/大正元年)名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)土木科卒業。鉄道院を経て、1914年神通川電力入社。中学・高工の先輩石川栄次郎の誘いを受け矢作水力に移り、1940年(昭和15年)取締役に昇格。 1942年日本発送電入社。1945年日本発送電理事。1947年日本発送電総裁。
細川 永一(ほそかわ えいいち、1889年 - 1964年)… 細川 永一(ほそかわ えいいち、1889年 - 1964年)は日本の技術者、実業家。 ホソカワミクロン創業者。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
吉次 茂七郎(よしつぐ もしちろう、生年不詳 - 1923年… 吉次 茂七郎(よしつぐ もしちろう、生年不詳 - 1923年1月19日)は、日本の土木技術者、鉄道技術者。 福岡県に生まれる。1911年(明治44年)福岡県立中学修猷館を経て、1914年(大正3年)3月名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)を卒業。 台湾総督府鉄道部に就職するが、ほどなくして陸軍に志願し、砲兵少尉となる。 除隊後、命令により台湾総督府鉄道部に復職。宜蘭線が着工されるや、1921年(大正10年)に工事現場監督者に抜擢される。三貂嶺隧道と草嶺隧道の工事監督に従事するが、その工事が難航を極め、マラリアに感染し、工事途中で1923年(大正12年)1月19日に死去。 草嶺隧道完成の 1924年(大正13年)10月9日、工事関係者によって、その近くに吉次の功績を称える記念碑「故吉次茂七郎君之碑」が建立されており、日本の統治下では毎年慰霊祭が行われていたと伝えられている。
北條 康夫(ほうじょう やすお)は、日本の自動車技術者、実業… 北條 康夫(ほうじょう やすお)は、日本の自動車技術者、実業家。トヨタ自動車北海道株式会社元代表取締役社長、北海道経済連合会副会長。 滋賀県大津市出身。滋賀県立膳所高等学校を経て、名古屋工業大学生産機械工学専攻卒業後、1981年名古屋工業大学大学院生産機械工学専攻修了。同年トヨタ自動車工業入社。研究開発部門を長く担当し、トヨタ自動車ドライブトレーンシステム統括部長を経て、2014年トヨタ自動車常務理事ドライブトレーン技術領域長兼ドライブトレーンシステム統括部長。2017年トヨタ自動車常務理事パワートレーンカンパニー量産開発制御担当兼エンジン制御システム開発部・ドライブトレーン制御開発部・HVシステム制御開発部・パワートレーン電子開発部統括。
水嶋 敏夫(みずしま としお)は、日本の技術者、実業家。トヨ… 水嶋 敏夫(みずしま としお)は、日本の技術者、実業家。トヨタ車体代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本自動車車体工業会会長、名古屋工業会理事長などを務めた。藍綬褒章受章。名古屋工業大学名誉博士。 愛知県出身。1967年名古屋工業大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。トヨタ自動車常務を経て、2003年トヨタ車体副社長。2005年からトヨタ車体代表取締役社長を務め、2007年には岐阜車体工業の完全子会社化を行った。2010年トヨタ車体代表取締役会長。同年藍綬褒章受章。2011年日本自動車車体工業会会長、名古屋工業会理事長。2012年名古屋工業大学名誉博士。2013年トヨタ車体相談役・技監。