竹内 義彰(たけうち よしあき、1924年10月2日 - 1… 竹内 義彰(たけうち よしあき、1924年10月2日 - 1987年4月6日)は、日本の教育学者。 高知県出身。京都大学文学部卒、同大学院中退。京都市立音楽短期大学助教授、京都市立芸術大学(統合)教授、佛教大学文学部教授。交通事故のため62歳で死去。職業教育が専門。
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竹内 義彰(たけうち よしあき、1924年10月2日 - 1… 竹内 義彰(たけうち よしあき、1924年10月2日 - 1987年4月6日)は、日本の教育学者。 高知県出身。京都大学文学部卒、同大学院中退。京都市立音楽短期大学助教授、京都市立芸術大学(統合)教授、佛教大学文学部教授。交通事故のため62歳で死去。職業教育が専門。
井関 弘太郎(いせき ひろたろう、1924年9月24日 - … 井関 弘太郎(いせき ひろたろう、1924年9月24日 - 2002年6月27日)は、日本の地理学者、理学博士。名古屋大学名誉教授。日本第四紀学会会長など歴任。 東京都生まれ。1944年9月、駒澤大学専門部歴史地理科卒業(第14回生)。1948年、京都帝国大学文学部史学科卒業。同年、駒澤大学専任講師として着任。1949年、助教授。 1951年、名古屋大学文学部講師。助教授を経て教授、文学部長を歴任。1961年「冲積平野の地形発達」で東京大学理学博士。 1983年9月10日から1994年5月31日まで、名古屋地理学会 第4代会長。1985年・1986年度、日本第四紀学会会長。 1988年名古屋大学を定年退官し、名誉教授。
園田 実彦(そのだ さねひこ、1924年9月22日 - 19… 園田 実彦(そのだ さねひこ、1924年9月22日 - 1995年1月10日)は、日本の映画プロデューサー。 熊本県熊本市出身。1952年京都大学法学部卒業後、東映に入社。1955年企画部プロデューサー、1965年企画部次長、1966年企画部長となる。
谷村 隆(たにむら たかし、1924年9月11日 - 200… 谷村 隆(たにむら たかし、1924年9月11日 - 2008年3月5日)は、日本の経営者。JCB社長を務めた。石川県出身。 1947年に京都大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年6月に副頭取に就任。1981年2月にJCB社長に就任し、1990年2月には会長に就任し、1998年6月から相談役を務めた。社長在任時には、日本発祥のJCBを世界有数の国際ブランドに育て上げ、「中興の祖」と呼ばれた。 2008年3月5日呼吸不全のために死去。83歳没。
窪田 隼人(くぼた はやと、1924年9月5日 - 2002… 窪田 隼人(くぼた はやと、1924年9月5日 - 2002年)は、日本の法学者。専門は労働法。立命館大学名誉教授。 山口県生まれ。旧制山口高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒、同大学院修了。 大阪市立大学講師、助教授、立命館大学法学部教授、1988年定年、名誉教授、京都学園大学法学部学部長・教授。1998年退職。労働法が専門。
藤岡 喜愛(ふじおか よしなる、1924年9月5日-1991… 藤岡 喜愛(ふじおか よしなる、1924年9月5日-1991年12月22日)は、日本の人類学者。専攻は精神人類学。 大阪生まれ。1947年(昭和22年)京都大学理学部植物学科卒業。今西錦司に学ぶ。1949年(昭和24年)大阪市立大学助手、1951年(昭和26年)京大人文科学研究所助手、1957年(昭和32年)以降、タイ王国、トンガ、タンザニア、フランスなどで人類学的調査に従事する。 1963年(昭和38年)から1971年(昭和46年)まで京大付属病院精神神経科助手、1967年(昭和42年)「ロールシャッハ・テストにおける側頭葉てんかんの特徴」で京大医学博士。1968年(昭和43年)医学書院総合医学賞受賞、1972年(昭和47年)兵庫県立医科大学助教授。
橋本 峰雄(はしもと みねお、1924年(大正13年)9月1… 橋本 峰雄(はしもと みねお、1924年(大正13年)9月1日 - 1984年(昭和59年)3月7日)は、日本の哲学者であり、京都・法然院の第30代貫主でもあった。 1924年、徳島県で生まれた。旧制大阪高等学校を経て、京都大学文学部哲学科へ進学。同級生の梅原猛と藤沢令夫とは、この頃からの親友。卒業後、浄土宗で出家し仏門入りして、西洋哲学を学ぶ異色の学者として知られていた。 神戸大学文学部教授として、哲学・倫理学専攻を担当した。また、「京都ベ平連」の結成に参加するほか、思想の科学研究会・現代風俗研究会の会員としても研究活動に参加した。1984年に死去。 1991年、現代風俗研究会がにその業績を記念して「橋本峰雄賞」を創設した。
鎌倉 昇(かまくら のぼる、1924年8月29日 - 196… 鎌倉 昇(かまくら のぼる、1924年8月29日 - 1969年7月7日)は、日本の経済学者。 大阪市東区生まれ。1944年大阪商科大学高等商業部卒、東洋紡績入社、兵役を経て、1950年京都帝国大学経済学部卒業。同大学大学院を経て、1953年京都大学経済学部助手、1957年助教授、1968年教授。 1962年「金融経済の構造」で京大経済学博士。学生紛争に際して、紛争解決に尽力した。44歳で死去。
平田 精耕(ひらた せいこう、1924年8月26日 - 20… 平田 精耕(ひらた せいこう、1924年8月26日 - 2008年1月9日)は、禅僧、元臨済宗天龍寺派管長・天龍寺住職、花園大学名誉教授。 京都府生まれ。京都大学文学部哲学科卒。本田義英にインド哲学、久松真一に仏教学を学ぶ。1950年天龍僧堂に掛錫、関牧翁に参じる。71年天龍僧堂師家、花園大学教授、92年退任、名誉教授。89年禅文化研究所理事長・所長。91年2月牧翁老死去により天龍寺派管長・天龍寺住職。平成20(2008)年1月9日死去。83歳。
大野 豊(おおの ゆたか、1924年(大正13年)8月24日… 大野 豊(おおの ゆたか、1924年(大正13年)8月24日 - 2012年(平成24年)10月27日)は、日本の工学博士。京都大学名誉教授。栄典は、正四位・勲二等瑞宝章、紫綬褒章。日本で初めてのオンラインリアルタイムシステムMARS-1を開発し、日本国有鉄道(現:JR)の座席予約システムのコンピュータ化を実現した。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
北村 恒夫(きたむら つねお、1924年8月23日 - 没年… 北村 恒夫(きたむら つねお、1924年8月23日 - 没年不明)は、日本の経営者。トーメン社長を務めた。静岡県出身。 1949年に京都大学法学部を卒業し、同年に東洋綿花(のちのトーメン)に入社。 1973年11月に取締役に就任し、1976年4月に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1993年6月から1995年6月までに会長を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲二等瑞宝章を受章。
道田 信一郎(みちだ しんいちろう、1924年8月7日 - … 道田 信一郎(みちだ しんいちろう、1924年8月7日 - 1988年6月10日)は、日本の法学者。専門は、英米法(特にアメリカ商取引法)、国際取引法。 長野県長野市出身。1945年8月陸軍士官学校第59期在学中に終戦。1949年京都大学法学部卒。 1953年京都大学法学部助教授、1962年「対米貿易売買法」で法学博士の学位を取得、教授に昇任。1980-1982年法学部長。1988年定年退官、名誉教授、姫路獨協大学法学部教授に就任。この間ミシガン大学、ハーバード大学などのロースクールで客員教授として国際取引法などを講義。1968年より国際連合国際商取引法委員会(UNCITRAL)の日本代表として「国際物品売買契約に関する国際連合条約」(CISG)の起草に尽力し、この条約を採択した1980年のウィーン外交会議では実質規定ラポルトゥールを務めた。
竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - … 竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - 2008年12月16日)は、日本の官僚・政治家。元広島県知事。島根県大田市出身。
米澤 義信(よねざわ よしのぶ、1924年8月6日 - 20… 米澤 義信(よねざわ よしのぶ、1924年8月6日 - 2017年10月9日)は、日本の経営者。本州製紙社長、会長を務めた。奈良県出身。 1947年に京都大学工学部繊維学科を卒業し、同年に王子製紙に入社。1949年6月に本州製紙に転じ、1979年11月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1985年6月には副社長に就任し、1988年6月に社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1996年6月から相談役を務めた。 1999年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2017年10月9日老衰のために死去。93歳没。
天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019… 天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019年3月23日)は、日本の経営者。静岡県出身。 1947年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 1977年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に顧問に就任した。その一方で、1985年3月に愛知製鋼社長に就任し、1993年3月に会長を経て、1996年6月から相談役を務めた。愛知県バスケットボール協会会長なども歴任。 1996年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2019年3月23日老衰のために死去。94歳没。
木崎 良平(きざき りょうへい、1924年7月25日 - 2… 木崎 良平(きざき りょうへい、1924年7月25日 - 2005年8月15日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 兵庫県神戸市出身。戦前に在学中に高等文官試験司法科に合格し、学徒動員で満洲に行くも、病気となり療養所で敗戦。ソ連に抑留されたが脱走して、苦労を重ねながら日本に帰還した。京都大学法学部卒業後の1951年に弁護士登録。大阪弁護士会会長、日弁連副会長、法制審議会委員などを歴任した。 1990年9月に最高裁判事に就任。1990年衆院選を一票の格差訴訟で「違憲状態」としつつ有効とした大法廷判決に対し、「2倍以上で違憲状態、1年以内に定数が是正されなければ選挙を無効にするべき」とする反対意見を述べた。
清水 純一(しみず じゅんいち、1924年7月23日 - 1… 清水 純一(しみず じゅんいち、1924年7月23日 - 1988年11月1日)は、日本のイタリア文学者。京都大学名誉教授。専攻はイタリア・ルネサンス期文化(ルネサンス文学・哲学史)、特に異端とされたジョルダーノ・ブルーノを研究し、訳・紹介した。 1924年、福井県福井市生まれ。京都帝国大学に入学するも、学徒出陣経て、1949年京都大学文学部哲学科を卒業。同大学大学院を修了。イタリア・フィレンツェやロンドンに留学し、研鑽を積んだ。 帰国後は広島大学助教授に着任。1968年、京都大学文学部イタリア文学科助教授に転任し、1973年に教授昇進。後に文学部学部長として、学園紛争の処理に当たった。多くの後進を育成し、日本でのルネサンス研究をより幅広く多様なものにしたが、1988年に京都大学定年退官後、間もなく病没した。
本山 幸彦(もとやま ゆきひこ、1924年7月19日 - 2… 本山 幸彦(もとやま ゆきひこ、1924年7月19日 - 2022年2月20日)は、教育史・思想史学者、京都大学名誉教授。 大阪府生まれ。1949年京都帝国大学文学部哲学科卒。京都大学教育学部助教授、教授、1988年定年退官、名誉教授、関西大学教授。1995年退任。
土肥 美夫(どひ よしお、1924年7月8日 - 1989年… 土肥 美夫(どひ よしお、1924年7月8日 - 1989年12月3日)は、日本の美術史学者。京都大学名誉教授。 1924年、京都府生まれ。京都大学文学部哲学科で学び、1949年に卒業。 同志社大学商学部助教授の後、京都大学教養部教授に転じた。1988年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都外国語大学教授として教鞭を執ったが、在職中に死去。
服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は… 服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は、日本の仏教学者、古代インド哲学研究者。 1924年、東京で生まれた。父は洋画家で漫画家の服部亮英。京都帝国大学文学部哲学科に入学し、長尾雅人に師事し、卒業。 1961年、京都大学文学部助教授に就いた。1973年に教授昇格。同僚には、梶山雄一、柳田聖山、大地原豊がいた。1988年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。学界では、1997年から2003年まで、東方学会の理事長を務めた(第26~28期)。 専門はインド哲学史。論文の多くは外国語で出されている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7… 生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7日 - 1994年(平成6年)10月21日)は、日本のフランス文学者、評論家。京都大学名誉教授。雅号に「双蓮居」「鷹峰閑人」「敗荷」ほか。 京都祇園出身。曽祖父は、富山県と岐阜県境の平家谷、五箇山(現在、世界遺産の富山県南砺市五箇山)上平村、の初代村長・生田長四郎。 1947年大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)フランス科卒、1950年京都大学文学部仏文科卒。 フランス異端文学の紹介に努め、自らの著作を出版するプライベートプレス(私家版出版)「奢灞都館」(さばとやかた、「サバト館」と記される場合もあり)を監修、多くの著作を残した。
大宮 真琴(おおみや まこと、1924年7月1日 - 199… 大宮 真琴(おおみや まこと、1924年7月1日 - 1995年5月14日)は日本の音楽学者、お茶の水女子大学名誉教授。ハイドン研究家。本名は誠。 1924年、東京で生まれた。京都大学法学部で学び、1947年に卒業。東京大学文学部に移り、1951年に卒業した。同大学大学院美学科に進学し、1953年に修士課程修了。 フェリス女学院短期大学助教授の後、お茶の水女子大学助教授に転じ、後に教授昇格。1988年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は沖縄県立芸術大学教授として教鞭を執った。1990年、学位論文『ヨーゼフ・ハイドンリラ楽曲研究』を大阪大学に提出して文学博士を取得。ヨーゼフ・ハイドン研究所(ケルン)理事。
岡田 栄(おかだ さかえ、1924年6月30日 - 没年不明… 岡田 栄(おかだ さかえ、1924年6月30日 - 没年不明 )は、プロ野球球団阪急ブレーブス球団代表である。 京都府出身。1949年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、京阪神急行電鉄に入社した。 1979年から1987年までに阪急ブレーブス球団代表を務めた。 1987年12月に丹後海陸交通の社長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 20… 川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 2019年1月16日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1942年、福岡県中学修猷館を経て、1948年、京都大学法学部を卒業し日本発送電に入社。 1951年、電気事業再編により九州電力に引き継がれ、1975年5月経理部長、1979年6月取締役東京支社長、1983年6月取締役常務を経て、1987年6月代表取締役副社長に就任。1991年から1995年にかけて九電産業・九電運輸の各社長、1993年から1996年にかけて福岡タワー社長を務める。 1998年福岡証券取引所理事長に就任。2004年5月に退任する。
玉城 逸夫(たまき いつお、1924年6月10日 - 200… 玉城 逸夫(たまき いつお、1924年6月10日 - 2008年8月31日)は、京都府京都市出身の日本の土木・地球物理学者。大阪工業大学名誉教授。理学博士(京都大学)。物理探査学会元理事・名誉会員。勲三等瑞宝章受章。 専門は、地球物理学・地震工学、測量学、土木地質学・地学/地すべり学。 1950年京都大学理学部地球物理学科卒業。京都大学第1期特別研修生となり、修了後、1954年大阪工業大学に着任、工学部にて土木工学教育・研究を担当。1962年京都大学より論文「地震活動度と地殻構造の結びつき : 特に日本地域について」で理学博士の学位を取得。同年、大阪工業大学教授に就任。1965年同大学中央研究所所属となる。
飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月… 飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉3月2日)は、日本の作家。元読売新聞社会部記者。タレントの飯干恵子(現:飯星景子)は娘。映画『仁義なき戦い』シリーズの原作者として知られる。 大阪府出身。旧制大阪府立高津中学校(現在の大阪府立高津高等学校)卒業後、旧制第七高等学校(現在の鹿児島大学)卒業、1950年京都大学法学部(現在の京都大学大学院法学研究科・法学部)卒業。 読売新聞勤務時は社会部副編集長であったが、「現場に出られないとつまらん」と会社を辞め、『山口組三代目』を執筆し、それまでになかった切り口で広島ヤクザ抗争の内部を克明に描いた『仁義なき戦い』を週刊サンケイに連載し反響を得る。
前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - … 前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - 1974年3月3日)は、刑法学者、犯罪学者。 京都市生まれ。1948年京都帝国大学法学部卒。研究生をへて1953年近畿大学法学部助教授、教授、琉球大学教授。49歳で死去。売春、サド裁判などについても研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
増田光吉(ますだ こうきち、1924年5月21日-1988年… 増田光吉(ますだ こうきち、1924年5月21日-1988年9月24日)は、日本の社会学者。家族社会学、住宅などについて研究した。 大阪府出身。京都帝国大学文学部社会学科卒。甲南大学助教授、教授。
青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013… 青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013年11月6日)は、日本の新聞記者、評論家。帝塚山短期大学名誉教授。専門は日本文化史。 大阪府出身。旧制郡山中学校、旧制松山高等学校文科卒、1948年京都帝国大学法学部卒。1950年に毎日新聞社に入社し、奈良支局で11年間美術文化担当記者。大阪本社学芸部副部長、編集局部長を経て退社。1976年帝塚山短期大学教授。1995年定年、名誉教授。古都調査保存協力会長、奈良国立博物館評議員、飛鳥資料館運営協議会長。奈良学を提唱した。 2013年11月6日、肺炎のため死去。89歳没。
行沢 健三(ゆきざわ けんぞう、1924年5月8日 - 19… 行沢 健三(ゆきざわ けんぞう、1924年5月8日 - 1980年2月8日)は、日本の経済学者。 京都生まれ。1946年京都帝国大学経済学部卒、関西学院大学助教授、教授、1960年「国際経済学序説」で経済学博士(関西学院大学)。1978年京都大学経済研究所所長となるが、在任中に55歳で死去した。1976年『労働生産性の国際比較』で日経・経済図書文化賞受賞。
牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年… 牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年7月8日)は、日本の法制史学者、大阪市立大学名誉教授。 熊本市生まれ。父は京都帝国大学教授・牧健二。1948年京都帝国大学法学部卒。62年「日本法史における人身売買の研究」で京都大学法学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、88年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2000年退職。1968年から1989年まで法制史学会理事。2001年勲三等瑞宝章受章。2018年7月8日京都で死去。享年94。
上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正… 上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正13年〉4月22日 - 1997年〈平成9年〉9月4日)は、日本の実業家。元大日本除虫菊会長。元大日本除虫菊会長十六代上山勘太郎(前名英夫)の養子。大日本除虫菊社長上山直英の実父。妻は元大日本除虫菊会長上山英介の姉。 高知県人で、澁澤倉庫専務・島崎直幹の三男。祖父の島崎直敬は高知県安芸郡田野村の初代村長をつとめた。和歌山県有田郡保田村山田原(現・有田市)出身、上山勘太郎の養子となる。 1948年、京都大学経済学部卒業。大日本除虫菊に入社する。常務にあげられ、尼崎企業社長を兼ねた。1996年、大日本除虫菊会長に就任した。住所は大阪府豊中市岡町北3丁目。
伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想… 伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想史学者、松山大学名誉教授。 愛媛県喜多郡内子町出身。1949年京都帝国大学経済学部卒。1952年同大学院(旧制)修了、1967年「トマス・モアユートピア研究」で京大経済学博士。1953年島根大学助手、1961年松山商科大学経済学部講師、助教授、1971年教授、松山大学教授。1990年退任、名誉教授。2001年勲四等旭日小綬章受勲。
橋本 喜典(はしもと よしのり、1924年4月1日 - 19… 橋本 喜典(はしもと よしのり、1924年4月1日 - 1986年1月23日)は、日本の経営者。近鉄百貨店社長を務めた。和歌山県出身。 1947年に京都大学経済学部を卒業し、1948年に近畿日本鉄道に入社。1972年6月に近鉄百貨店に転じ、1973年4月に取締役に就任し、1977年5月に常務、1980年5月に専務、1983年5月に副社長を経て、1985年5月に社長に就任。 1986年1月23日急性心不全のために在任時に死去。61歳没。
大谷 藤郎(おおたに ふじお、1924年3月27日 - 20… 大谷 藤郎(おおたに ふじお、1924年3月27日 - 2010年12月7日)は、日本の厚生官僚(テクノクラート)。元厚生省医務局長。大学教授。精神障害者やハンセン病患者の人権保護・待遇改善に積極的に取り組み、1993年にはWHOからレオン・ベルナール賞を授与された。国際医療福祉大学初代学長。 1924年3月27日、滋賀県に生まれる。1952年(昭和27年)京都大学医学部卒業(在学中は小笠原登に師事)。1959年(昭和29年)、旧厚生省に医系技官として入省した。 入省後は、1962年(昭和37年)から精神衛生課に勤務し、全国精神障害者家族会連合会(略称・全家連、2007年破産・解散)の創設支援、1965年(昭和40年)の精神衛生法の改正などに携わった。
河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は… 河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は、日本の実業家。阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長・代表取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1947年に京都大学法学部卒業し、同年に阪神電気鉄道入社。1983年阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長。1989年阪神電気鉄道非常勤取締役を兼務。1995年阪神百貨店代表取締役会長。名誉顧問。大阪商工会議所名誉議員を務めた。
柴田 俊一(しばた としかず、1924年3月6日 - 200… 柴田 俊一(しばた としかず、1924年3月6日 - 2009年4月26日)は、日本の原子炉工学者。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)長。元近畿大学原子力研究所長。文部省科学官、日本学術会議原子力特別委員長、同研究連絡委員長、原子力委員会参与等を歴任した。兵庫県出身。 1941年旧制神戸村野工業学校卒業。旧制神戸高等工業学校(現:神戸大学工学部)精密機械科を卒業した後、川崎航空機で軍用輸送機の設計に従事する。1944年軍隊に入隊。陸軍技術少尉。終戦後、陸軍航空技術将校として公職追放処分となったため家業を継ぐつもりだったものの、大学の再開に伴い大阪大学工学部電気工学科に入学する。
高尾 一彦(たかお かずひこ、1924年3月3日 - )は、… 高尾 一彦(たかお かずひこ、1924年3月3日 - )は、日本の日本史学者、神戸大学名誉教授。 大阪府生まれ。京都大学文学部史学科卒業。1951年神戸大学文学部講師、1958年助教授、1972年教授となる。1987年定年退官、名誉教授、樟蔭女子短期大学教授を務めた。日本近世史を講じ、近世庶民文化研究の分野で数多くの問題提起的な論文がある。
左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 -… 左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 - 2021年1月9日)は、日本の政治家、弁護士(大阪弁護士会所属)。位階は正三位。 衆議院議員(10期)、国土庁長官、郵政大臣、法務大臣を歴任した。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立住吉中学校(現:大阪府立住吉高等学校)卒業。旧制高知高等学校を経て、1945年9月京都帝国大学法学部卒業。同年10月、逓信院入省。郵政省に所属し、大臣官房文書課長補佐、外務省出向(ジュネーブ領事)、貯金局国際業務部長、電波監理局放送部長、松山郵政局長などを歴任。 1969年、大阪府知事であった父・左藤義詮の在任中に旧大阪6区から自民党公認で立候補し初当選。衆議院議員連続当選10回(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月1… 荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月14日 - 1999年(平成11年)12月10日)は、日本の英文学者、評論家。広島大学名誉教授。専門は、比較文化論、人類言語学、説話伝承論。位階は正四位。 東京に生まれる。1949年(昭和24年)、京都大学文学部英文科卒。1952年(昭和27年)、京都大学大学院文学研究科アメリカ文学専攻中退。1962年(昭和37年)、インディア大学大学院民俗学専攻博士課程単位取得退学。 福井大学講師、高知女子大学助教授、立命館大学教授、広島大学総合科学部教授、88年定年退官、名誉教授、宮崎公立大学教授。99年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 「百合若大臣」が「オデュッセイア」の影響を受けたと主張した一人である。
村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2… 村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2月12日 - 2003年〈平成15年〉4月2日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第44代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。旧制第三高等学校に進み、1949年(昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた。 1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職。同年12月の第32回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005… 塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005年10月16日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 埼玉県出身。1949年に京都大学法学部法学科を卒業し、同年に日本製鉄に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に山陽特殊製鋼社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2005年10月16日肺炎のために死去。81歳没。
山田明(やまだ あきら、1924年2月8日 - )は日本の大… 山田明(やまだ あきら、1924年2月8日 - )は日本の大蔵官僚。 岡山県出身。京都帝国大学経済学部卒業。岡山県立岡山商業高等学校の教師だった1949年3月 国家公務員試験に合格。同年5月 大蔵省入省。大阪財務局国税調査部第二課配属。1953年11月 敦賀税務署長。1959年7月 東海財務局総務部総務課長。1961年7月 管財局国有財産第三課長補佐。1963年2月 長崎税関総務部長。1964年7月 神戸税関監視部長。1967年8月 大臣官房付。同年10月 総理府内閣総理大臣官房参事官。1969年8月 石油開発公団資金部長。1971年6月 大臣官房参事官。同年7月 大臣官房付。同年10月 退官。
今村 宣夫(いまむら のぶお、1924年〈大正13年〉1月1… 今村 宣夫(いまむら のぶお、1924年〈大正13年〉1月12日 - 2006年〈平成18年〉9月9日)は、日本の農林官僚。水産庁長官を務めた。愛媛県出身。 1947年に高文行政科に合格し、1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省した。1974年7月に大臣官房審議官に就任し、1979年7月から1981年9月までに水産庁長官を務めた。 2006年9月9日急性肺炎のために死去。82歳没。
宮下 稔(みやした みのる、1924年1月12日 - 200… 宮下 稔(みやした みのる、1924年1月12日 - 2007年8月11日)は、日本の鉄道技術者、実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 鳥取県岩美郡岩美町出身。1945年、京都帝国大学工学部機械工学科卒業後、当時の京阪神急行電鉄(1943年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併して発足。企業としては現在の阪急阪神ホールディングス)に入社。車両部門(守口車両部)に配属される。元は軍艦の建造を志望していたが、太平洋戦争の敗戦により鉄道に方向を変更した。 1949年に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離して再発足すると京阪に移り、1967年に車両部長となる。この時代に通勤電車の混雑対策として、日本で初となる5扉通勤電車の京阪5000系電車(1970年製造)を開発した。
渡部 忠世(わたべ ただよ、1924年1月11日 - 202… 渡部 忠世(わたべ ただよ、1924年1月11日 - 2024年3月18日)は、日本の農学者、京都大学名誉教授。専攻は作物学。 神奈川県生まれ。1949年京都大学農学部卒業。1962年「 [ロク]化現象を中心とするモチ玄米の特性に関する研究」で農学博士の学位を取得。西京大学農学部講師、京都府立大学助教授、1968年鳥取大学農学部助教授、1972年京都大学農学部助教授、教授、京都大学東南アジア研究センター所長、1987年定年退官、名誉教授、放送大学教養学部教授。農耕文化研究振興会代表。 アジアの米や稲作についての調査・研究を行ってきた経験から、日本の農業の衰退に警鐘を鳴らし続けている。 2024年3月18日午後8時半、老衰のため死去。
阪上行雄(さかうえ ゆきお、1924年1月7日 - )は日本… 阪上行雄(さかうえ ゆきお、1924年1月7日 - )は日本の大蔵官僚。 大蔵省大臣官房会計課長、関東信越国税局長、大阪銀行専務、ロイヤルリース社長などを務めた。 大阪府出身。1945年9月に京都帝国大学法学部政治学科を卒業。同年10月に予備役となる。1947年3月 京都帝国大学法学部補修科を卒業。同年4月に高等試験行政科を合格し、同年5月 大蔵省に入省(理財局)。1950年5月から新居浜税務署長となる。 1964年9月1日 関東信越国税局総務部長。1966年8月 公営企業金融公庫参事兼経理部長。1968年6月11日 大臣官房会計課長。1970年6月25日 関東信越国税局長。1971年7月5日 大臣官房付。
卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6… 卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6日 - 2002年(平成14年)3月11日)は、日本の官僚。約20年間にわたり、侍従として昭和天皇に仕えた。 侍従となった1969年(昭和44年)から2002年(平成14年)の死去直前まで、毎日欠かさず付けた32年間の日記は、『卜部亮吾侍従日記』(全5巻)として、朝日新聞社から2007年に順次公刊された。同日記は、昭和天皇と香淳皇后に仕えていた広報担当者の日記であり、長期にわたってつけられたものであること、昭和天皇崩御(1989年(昭和64年)1月7日)前後の内情(特に昭和から平成への代替わりの実務を仕切った当時の経緯)と昭和天皇の晩年の姿が分かることから貴重な史料である。
河合 雅雄(かわい まさを、1924年(大正13年)1月2日… 河合 雅雄(かわい まさを、1924年(大正13年)1月2日 - )は、日本の霊長類学者、児童文学作家で理学博士。兵庫県立丹波の森公苑長、京都大学名誉教授、日本福祉大学生涯教育研究センター名誉所長、兵庫県立人と自然の博物館名誉館長。「雅雄」の「雄」は、現行の中学校の教科書(学校図書入学2年)をはじめとする各著書において、「を」という歴史的仮名遣いを用いている。一方、姓の「河合」は現代仮名遣いの「かわい」。なお、弟の「隼雄」は「はやお」という現代仮名遣いを用いている。
川島 普(かわしま ひろし、1924年1月2日 - )は、日… 川島 普(かわしま ひろし、1924年1月2日 - )は、日本の土木工学・衛生工学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(京都大学)。勲三等瑞宝章受章。 専門は、土木工学・衛生工学(特に上下水道工学)、水理学・環境科学。 京都帝国大学工学部土木工学科卒業(指導教授:のちの衛生工学科初代教授を務めた岩井重久)。京都大学工学部土木工学第三講座(岩井重久の衛生工学研究室)で助手を務める。1955年に大阪工業大学工学部土木工学科助教授となり、土木工学教室を担当した。1960年に京都大学より論文「上下水処理施設の汚泥管理に関する基礎的研究」で工学博士号を取得する。1963年に同学科教授に就任した。1987年同大学図書館長。