スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 20… 柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 2015年10月4日)は、日本の実業家。朝日放送の元社長・会長・相談役。 大阪府大阪市出身。旧制大阪高等学校を経て、1953年に京都大学文学部卒業後、朝日新聞社へ入社。深代惇郎とは同期。社会部員、外報部員、サイゴン、パリ各支局長、ヨーロッパ総局長、1976年東京本社外報部長、1983年大阪本社編集局長、1987年朝日放送取締役、1989年常務、1990年専務、1995年6月社長、2002年6月27日会長、2005年6月28日相談役。その他には大阪日伊協会会長、社団法人アジア協会アジア友の会会長などを歴任した。 ※この他宝塚歌劇で上演された「凱旋門」(2000年・雪組)や「琥珀色の雨にぬれて」(2002年・花組)の公演プログラムにも本人の執筆によるエッセイが掲載されている。
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多田 武彦(ただ たけひこ、1930年11月22日 - 20… 多田 武彦(ただ たけひこ、1930年11月22日 - 2017年12月12日)は、日本の作曲家。大阪府大阪市南区(現:中央区)生まれ。男声合唱曲を中心に合唱曲の作曲を手がけており、その作品数は113個の組曲(うち95個が男声合唱組曲)を含む、全719曲の合唱曲に上る。殊に男声合唱に関わる者からは「タダタケ」の愛称で親しまれている。 松竹株式会社の常務取締役であった祖父・多田福太郎、株式会社歌舞伎座の専務取締役であった父・多田安雄(福太郎の養子 )からの影響を受けて育つ。 旧制大阪高校在学中に合唱を始める。先輩には東京混声合唱団桂冠指揮者の田中信昭がいる。京都大学法学部を卒業。大学在学中、京都大学男声合唱団の指揮者として活躍。
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田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 202… 田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 2024年9月12日)は、日本の合唱指揮者。東京混声合唱団の創立者。新潟県出身。東京藝術大学講師、桐朋学園大学客員教授、国立音楽大学招聘教授を歴任。 作曲家と協力して日本の合唱音楽の創造に尽くし、400曲以上に渡る合唱曲の初演の指揮を行った。 旧制大阪高校中退。合唱部の後輩に作曲家の多田武彦がいる。1951年、中学校教員を退職し、NHK大阪放送合唱団へ入団。指揮者であった森本芳雄の死去により急遽指揮者を務めたことが指揮者デビューとなる。1952年、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学。声楽をネトケ=レーヴェ、指揮法をクルト・ヴェスの各氏に師事する。
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辻川 郁二(つじかわ いくじ、1924年〈大正13年〉10月… 辻川 郁二(つじかわ いくじ、1924年〈大正13年〉10月22日 - 2007年〈平成19年〉4月19日)は、日本の物理化学者。専門は分光化学。京都大学名誉教授。理学博士。位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。 1924年10月22日、大阪市にて生まれた。1943年9月に旧制大阪高等学校を卒業後、東京帝国大学理学部化学科に進学し、水島三一郎の研究室で分子分光学の研究を行った。1950年9月に同大学を卒業し、同年10月に東北大学金属材料研究所の助手に着任した。1953年11月から1955年11月まで、フランスのCNRS Bellevue研究所に留学した。 東北大での研究初期には、ベンゼンなどの有機固体結晶の紫外吸収スペクトル測定を行い、フランスでは遷移金属錯体の線状吸収スペクトルについて研究した。
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橋本 峰雄(はしもと みねお、1924年(大正13年)9月1… 橋本 峰雄(はしもと みねお、1924年(大正13年)9月1日 - 1984年(昭和59年)3月7日)は、日本の哲学者であり、京都・法然院の第30代貫主でもあった。 1924年、徳島県で生まれた。旧制大阪高等学校を経て、京都大学文学部哲学科へ進学。同級生の梅原猛と藤沢令夫とは、この頃からの親友。卒業後、浄土宗で出家し仏門入りして、西洋哲学を学ぶ異色の学者として知られていた。 神戸大学文学部教授として、哲学・倫理学専攻を担当した。また、「京都ベ平連」の結成に参加するほか、思想の科学研究会・現代風俗研究会の会員としても研究活動に参加した。1984年に死去。 1991年、現代風俗研究会がにその業績を記念して「橋本峰雄賞」を創設した。
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三井 脩(みつい おさむ、1923年〈大正12年〉3月15日… 三井 脩(みつい おさむ、1923年〈大正12年〉3月15日 - 1992年〈平成4年〉8月11日)は、日本の内務・警察官僚。第10代警察庁長官、日本道路交通情報センター理事長。位階は正三位。 熊本県出身。旧制大阪高等学校卒。1943年12月、佐世保第二海兵団(相浦)に入団。1944年、東京帝国大学法学部を卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願。同年2月、海軍経理学校に入学し同年9月に卒業。海軍対潜学校に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年、突撃隊(伏龍部隊)に移り終戦を迎えた。同年9月、海軍主計中尉に昇進して解員(復員)した。 1946年、内務省に入省し神奈川県に配属。以後、宮崎県総務部地方課勤務、熊本県経済部農務課勤務、国家地方警察徳島県本部警備部長、国家地方警察長崎県本部警備部長、国家地方警察本部警備部警備第一課長補佐、警察庁警備部警備第一課長補佐、警視庁第一方面本部長、山梨県警察本部長、防衛庁防衛局第二課長、警察庁警備局公安第一課長、警視庁公安部長、同警務部長、同副総監、警視庁警備局長、警察庁次長などを歴任。
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山本 壮一郎(やまもと そういちろう、旧字体では「壯一郎」。… 山本 壮一郎(やまもと そういちろう、旧字体では「壯一郎」。1919年6月15日 - 2001年1月18日)は、日本の内務官僚、政治家。 全国知事会副会長、宮城県知事、宮城県副知事などを歴任。 大阪府大阪市天王寺区生まれ。旧制大阪高校を経て、1943年(昭和18年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。高等試験に合格し、同年内務省に入省するが、太平洋戦争激化に伴い、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校。1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。第二南遣艦隊司令部・第22特別根拠地隊に配属。1945年3月、海軍主計大尉に昇進しボルネオで終戦を迎えた。
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杉村 敏正(すぎむら としまさ、1918年9月26日 - 2… 杉村 敏正(すぎむら としまさ、1918年9月26日 - 2011年9月13日)は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(京都大学・1982年1月23日)(学位論文「法の支配と行政法」)。京都大学名誉教授。 1918年(大正7年)大阪府出身。1939年(昭和14年)大阪高等学校 (旧制)文科を卒業後、京都大学政治学科へ入学。卒業後は、同大助手を経て1947年(昭和22年)助教授、1954年(昭和29年)京都大学法学部教授に就任。 その後は京都大学法学部長・大学院法学研究科長(在任:1972年10月22日~1974年10月21日)、龍谷大学法学部教授、宮崎産業経営大学法学部教授を務めた。国民主権・平和・人権尊重を基調とする法理論体系の構築に取り組んだ。
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岩井 重久(いわい しげひさ、1916年3月6日 - 199… 岩井 重久(いわい しげひさ、1916年3月6日 - 1996年10月14日)は、日本の土木工学者・衛生工学者。京都大学名誉教授・衛生工学科創設者。工学博士(京都大学)。International Association on Water Pollution Research and Control(IAWPRC)名誉会員。環境技術研究協会創設者・初代会長。元土木学会関西支部常議員。勲二等瑞宝章受章。環境衛生工学の第一人者の一人。位階は正四位。 専門は、衛生工学・土木工学、上下水道学・水理学、環境科学・循環型社会システム、廃棄物処理・工業排水処理など。 京都府出身。1936年旧制大阪高等学校卒業。
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三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - … 三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - 1988年10月4日)は、日本の思想史学者。皇學館大学教授。平田篤胤についての研究で知られる。 大阪府大阪市に生まれる。1934年(昭和9年)に大阪高等学校を卒業、1937年(昭和12年)に東京帝国大学文学部を卒業、東京帝国大学副手となる。 1938年(昭和13年)に応召される。1941年(昭和16年)に大阪府主事、浪速高等学校教授を嘱託されるが、再び応召される。1943年(昭和18年)に三度目の応召。1946年(昭和21年)に復員し、大阪府立図書館の司書となる。 1950年(昭和25年)に大阪府主事、1952年(昭和27年)に大阪社会事業短期大学助教授、1958年(昭和33年)に同大学教授。
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藤枝 晃(ふじえだ あきら、1911年〈明治44年〉8月3日… 藤枝 晃(ふじえだ あきら、1911年〈明治44年〉8月3日 - 1998年〈平成10年〉7月23日)は、日本の東洋学者。敦煌学および西域出土の古写本研究の第一人者である。 1911年、大阪府西成郡粉浜村(大阪市住之江区)生まれ。旧制大阪高校を経て、1934年(昭和9年)、京都帝国大学文学部史学科を卒業。 卒業後は同文学部の副手に着任。1937年(昭和12年)、東方文化研究所の図書係、のちに同副研究員となった。太平洋戦争末期には中国・内蒙古の西北研究所に派遣され、現地調査に従事した。 戦後の1948年(昭和23年)、京都大学人文科学研究所助教授となった。1951年(昭和26年)、研究所の森鹿三を班長とする居延漢簡共同研究班に所属し、木簡の研究を行った。
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河崎 一郎(かわさき いちろう、1909年9月19日 - 2… 河崎 一郎(かわさき いちろう、1909年9月19日 - 2004年8月13日)は、日本の外交官。駐アルゼンチン特命全権大使在任中、日本人は身体的魅力に乏しいと主張する書籍を出版したことが問題となり、外務大臣により事実上解任された。 大阪生まれ。1929年(昭和4年)に大阪高等学校文科甲類を卒業後、1932年(昭和7年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1939年在(昭和9年)サンフランシスコ副領事。1941年(昭和16年)在バンクーバー領事、日本赤十字社バンクーバー特別委員長。1942年(昭和17年)在ソビエト連邦大使館二等書記官。 1951年(昭和26年)賠償庁特殊財産部長、賠償庁次長心得。
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園原 太郎(そのはら たろう、1908年11月26日 - 1… 園原 太郎(そのはら たろう、1908年11月26日 - 1982年3月14日)は、日本の心理学者。京都大学名誉教授。 長野県木曽郡山口村(現・岐阜県中津川市)生まれ、大阪府大阪市育ち。大阪市天王寺第五尋常小学校、旧制大阪府立今宮中学校、旧制大阪高等学校理科甲類を経て、1931年に京都帝国大学文学部哲学科心理学専攻を卒業。同大学講師、1938年助教授、1953年京都大学文学部教授、1972年定年退官、名誉教授、佛教大学教授。1980年勲三等旭日中綬章を受章。
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星川 清孝(ほしかわ きよたか、1904年1月28日 - 1… 星川 清孝(ほしかわ きよたか、1904年1月28日 - 1993年7月11日)は、日本の漢文学者。学位は文学博士。 佐賀県小城郡小城町生まれ。1926年旧制大阪高等学校文科乙類卒業、1929年東京帝国大学文学部支那文学科卒業。松本高等学校教授、水戸高等学校教授を経て、茨城大学教授、1970年定年退官し名誉教授。桜美林大学教授、1979年に定年退休。 1959年「楚辞の研究」で、九州大学・文学博士の学位を取得、1962年同著で第14回読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞。
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