吉崎 エイジーニョ(よしざき エイジーニョ、1974年6月1… 吉崎 エイジーニョ(よしざき エイジーニョ、1974年6月12日 - )は、サッカージャーナリスト・コラムニスト・スポーツライター。
大阪外国語大学:15人
吉崎 エイジーニョ(よしざき エイジーニョ、1974年6月1… 吉崎 エイジーニョ(よしざき エイジーニョ、1974年6月12日 - )は、サッカージャーナリスト・コラムニスト・スポーツライター。
佐々木 正明(ささき まさあき、1971年〈昭和46年〉 -… 佐々木 正明(ささき まさあき、1971年〈昭和46年〉 - )は、日本のジャーナリスト。元産経新聞社会部編集委員。2021年より大和大学社会学部教授。実弟は元警察官で犯罪評論家の佐々木成三。 岩手県一関市生まれ、一関第一高等学校、大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)卒業。1996年(平成8年)産業経済新聞社に入社。神戸総局、横浜総局、産経新聞大阪本社社会部などを経てロシアのモスクワ大学留学。2007年より産経新聞東京本社外信部。モスクワ支局長、ブラジルのリオデジャネイロ支局長などを経て産経新聞社会部編集委員を担当。2021年より大和大学社会学部教授。
三宅 勝久(みやけ かつひさ、1965年 - )は、フリーラ… 三宅 勝久(みやけ かつひさ、1965年 - )は、フリーランスのジャーナリストである。 岡山県倉敷市出身。大阪外国語大学イスパニア語学科卒業。フリーランスカメラマンとしてラテンアメリカ・アフリカ諸国で紛争地を取材。『山陽新聞』記者を経て、2002年より現職。 2003年3月、消費者金融会社武富士の批判記事をめぐって同社から1億1000万円の損害賠償請求を提訴されたが、一審・二審とも棄却され、2005年6月、最高裁判所で確定した。 大内裕和中京大教授が2017年に出版した『奨学金が日本を滅ぼす』(朝日新聞出版)など、同氏の「奨学金」問題に関する著書や雑誌記事10編以上に三宅の著作物と酷似する記述があることが2020年に発覚、同書出版元の朝日新聞出版社は、類似した表現があることを重視して紙版の出庫停止、電子版の販売停止措置をとった。
二村 伸(にむら しん、1957年7月7日 - )は、日本の… 二村 伸(にむら しん、1957年7月7日 - )は、日本のジャーナリスト・NHK解説委員・ニュースキャスター。 長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て大阪外国語大学アラビア語科卒業後、1980年に入局した。 1990年~1994年カイロ特派員時代に、湾岸戦争、パレスチナ紛争、アフリカ内戦等を取材、戦場報道記者として活動。 1997年~2004年ボン、ベルリン支局長(欧州連合拡大、アフガニスタン戦争、イラク戦争等取材)。 2004年以降、報道局国際部担当部長、NHK解説委員、アジア総局長(バンコク駐在)、NHK海外ネットワークキャスターを担当。 2015年以降、NHK解説委員室解説副委員長を務める。
川上 泰徳(かわかみ やすのり、1956年1月14日 - )… 川上 泰徳(かわかみ やすのり、1956年1月14日 - )は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社の中東特派員、編集委員。長崎県出身。大阪外国語大学アラビア語科卒業。 長崎県立佐世保北高等学校卒業。 1981年 大阪外国語大学アラビア語科卒業後、朝日新聞社に入社。初任地は高知支局。 東京本社学芸部を経て、外報部(国際報道部)。 1994-98年 朝日新聞中東アフリカ総局(カイロ)特派員 2001-02年 朝日新聞エルサレム特派員:第2次インティファーダ現地取材。 2002年度、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞 受賞。 2002-06年 朝日新聞中東アフリカ総局長:イラク戦争現地取材。 2006-09年 朝日新聞編集委員。
広岡 裕児(ひろおか ゆうじ、1954年 - )はフランス在… 広岡 裕児(ひろおか ゆうじ、1954年 - )はフランス在住のジャーナリスト。 神奈川県川崎市出身。大阪外国語大学フランス語科卒。卒業後はパリ第三大学映画科に留学する。その後、フランスに留まりジャーナリストとして活動する。パリ郊外の自治体プロジェクトに参加し、この他、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。
石野 伸子(いしの のぶこ、1951年 - )は、日本のジャ… 石野 伸子(いしの のぶこ、1951年 - )は、日本のジャーナリスト、新聞記者。産経新聞「夕焼けエッセー」生みの親で、「あさが来た」ブームの火付け役。 広島県生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)ドイツ語学科を卒業、1974年(昭和49年)産経新聞社入社。産経新聞大阪本社編集局社会部を経て文化部。2000年(平成12年)文化部長。2003年編集局次長。2005年東京本社編集局編集委員。2008年大阪本社編集局編集委員兼特別記者。ラジオ大阪 News Tonight いいおとなの「アンカーマン」も務めた(コメンテーター、2018年3月29日で降板)。 文化部長時代の2002年(平成14年)4月1日、産経新聞の夕刊(関西圏)で連日、読者の投稿コーナー「夕焼けエッセー」を開始させたが、新聞の顔と言える1面(表紙)に掲載する方針は大きな反響を呼び、スタート時点までに寄せられた作品だけで196点にのぼる人気となった。
春名 幹男(はるな みきお、1946年(昭和21年)10月1… 春名 幹男(はるな みきお、1946年(昭和21年)10月14日 - )は、日本の国際ジャーナリスト。共同通信社記者、共同通信社論説副委員長、特別編集委員で退社、名古屋大学大学院教授・特任教授、早稲田大学大学員客員教授を歴任。 京都府京都市生まれ。1969年、大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業後の4月、共同通信社に入社。 1971年まで大阪支社社会部、1971年から京都支局、1974年から本社外信部へ異動。1979年から外信部ニューヨーク支局特派員となり、1984年に帰国。その後、再び渡米し1987年からワシントン特派員となり、1990年に帰国。1993年から再び渡米し、ワシントン支局長。
田辺 寿夫(たなべ ひさお、1943年 - )は、ビルマ研究… 田辺 寿夫(たなべ ひさお、1943年 - )は、ビルマ研究者、ジャーナリスト。 埼玉県生まれ。1966年大阪外国語大学ビルマ語学科卒。NHKに入り、国際放送局でビルマ語ラジオ番組の制作を担当。2003年退職、フリージャーナリストとなる。根本敬とともに「ミャンマー」ではなくビルマの呼称を原則として用いる。
萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日… 萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本のノンフィクション作家、フリーランス・ジャーナリスト。元赤旗記者。本名:坂本 孝夫(さかもと たかお)。別のペンネームとして、渋谷 仙太郎(しぶや せんたろう)と井出 愚樹(いで ぐじゅ)を用いた。 北朝鮮に関する多くの著作や翻訳がある。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された(後述)。 高知県高知市出身。立命館大学名誉教授で元『上方芸能』編集長の木津川計(坂本凡夫)は実兄。日本共産党大阪府羽曳野市元市議団長を務めた杉山弥生は実妹。 17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪。
平野 拓也(ひらの たくや、1935年 - )は、日本のフリ… 平野 拓也(ひらの たくや、1935年 - )は、日本のフリージャーナリスト、元税務官僚。 大阪府大阪市生まれ。1953年大阪府立豊中高等学校卒、大蔵省関税局大阪税関入関。税関相談官などを経て1995年退職。1988年大阪外国語大学フランス語科入学、1993年卒業。退職後は雑誌、単行本などで執筆活動。
鮫島 敬治(さめじま けいじ、1932年〈昭和7年〉2月20… 鮫島 敬治(さめじま けいじ、1932年〈昭和7年〉2月20日 - 2004年〈平成16年〉12月26日)は、日本の元ジャーナリスト。 1932年、中国の大連市で生まれる。 1956年に大阪外国語大学卒業後、日本経済新聞社に入社。 北京特派員時代に文化大革命の混乱で中国当局にスパイ容疑で拘束され、1968年6月から約1年半にわたって抑留生活を送った。 その後、編集委員兼論説委員や論説副主幹、大阪本社編集局長を経て、1985年に取締役、1989年に常務、1992年に専務に就任。 2004年12月26日午前9時20分、呼吸不全により静岡市の病院で死去。72歳没。葬儀・告別式は12月29日に営まれた。
水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年… 水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年5月)は、日本のジャーナリスト、医事評論家。大阪府出身。 父は作曲家・声楽家で元岡山大学教育学部長の水野康孝。1948年大阪外国語大学ロシア語学科卒業後、山陽新聞入社。社会部デスク時代に企画連載「ガンを追って」で日本新聞協会賞を受賞。その後独立して医事問題の評論家となり、老人保健福祉審議会、医道審議会等の委員を歴任。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
守山 義雄(もりやま よしお、1910年(明治43年)11月… 守山 義雄(もりやま よしお、1910年(明治43年)11月21日 - 1964年(昭和39年)8月27日)は、日本のジャーナリストである。 大阪市に生まれ、大阪外国語学校(後の大阪外国語大学、現在は大阪大学に統合)ドイツ語学部に入学する。1931年(昭和6年)に卒業後は大阪朝日新聞に入社し、社会部に所属した。1939年(昭和14年)には第二次世界大戦直前下にあったナチス・ドイツのベルリン特派員となり、同年9月に大戦が勃発した際にはヨーロッパの戦線報道に携わる。 翌1940年(昭和15年)6月にはナチス・ドイツ軍に入り、終戦直前の1945年(昭和20年)7月まで従軍した。その後は帰国および復員し、1949年(昭和24年)より朝日新聞大阪本社の社会部長を経て1951年(昭和26年)にはサンフランシスコ平和条約の講和講義の報道にあたる。
北村 兼子(きたむら かねこ、1903年〈明治36年〉11月… 北村 兼子(きたむら かねこ、1903年〈明治36年〉11月26日 - 1931年〈昭和6年〉7月26日 )は、大阪生まれのジャーナリスト。女性の権利運動に関心を寄せて執筆をする。日本飛行学校に入学、パイロット資格を取りヨーロッパ訪問飛行を志すが病いで果たせなかった。 漢学者北村佳逸と勝野の長女として生まれる。梅田高等女学校(現大阪府立大手前高等学校)を終えて大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)を卒業後、1923(大正12)年10月より関西大学法学部法学科にて聴講生としてドイツ法学を学ぶ。同校初の女子学生である。大学在学中に22歳で大阪朝日新聞記者として勤め始める。昭和初期、正岡容とレコードを吹き込むなどし、三上於菟吉との艶聞も流れた。