九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月… 九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月13日 - 2017年〈平成29年〉9月16日)は、日本の神職、平安神宮名誉宮司。 五摂家の一つ、元公爵九条家の第34代当主。子に九条道成。第125代天皇・明仁(現・上皇)は再従弟に当たり、自身の誕生から10日後に誕生している。 1933年、東京府で公爵・九条道秀の長男として生まれる。学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科を経て、関西学院大学文学部卒業。文化放送勤務。 1973年、神職に就く。平安神宮第14代宮司(1991年 - 2017年4月)。2002年、神職身分特級(神職身分の最高位)。藤裔会会長。 平安神宮宮司在任中の1994年には、平安神宮鎮座百年祭を執り行った。
青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 202… 青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 2022年5月10日)は、日本の詩人。本名は春美。 兵庫県出身。兵庫県立西宮高等学校卒業、関西学院大学文学部を経て、大阪文学学校に学ぶ。小野十三郎に師事し、1974年、第13回現代詩手帖賞を受賞。1982年、『鯨のアタマが立っていた』で第32回H氏賞を受賞。1988年、第12回井植文化賞を受賞。奈良市在住。関西詩人協会会員。「PO (雑誌)」「歴程」「たうろす」同人。 2022年5月10日午後0時28分、誤えんによる窒息のため奈良市で死去。88歳没。
藤木 洋子(ふじき ようこ、1933年5月18日- )は日本… 藤木 洋子(ふじき ようこ、1933年5月18日- )は日本の政治家、元女優。日本共産党元衆議院議員(通算3期)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
宮田 満雄(みやた みつお、1933年4月14日 - 202… 宮田 満雄(みやた みつお、1933年4月14日 - 2025年1月12日)は、日本のアメリカ文学者。関西学院大学名誉教授。関西学院大学社会学部教授、関西学院大学院長、聖和大学学長を歴任した。 1952年3月に関西学院高等部を卒業、1956年3月に関西学院大学文学部英文科を卒業し、同年4月から関西学院高等部教諭に就いた。 1960年7月から1962年3月まで、ペンシルバニア大学大学院に留学し、帰国後の1966年4月、甲南女子大学文学部専任講師(英語・米文学)に就任。1968年4月、関西学院大学社会学部専任講師、1970年4月同学部助教授、1976年4月同学部教授にそれぞれ就任する。 1989年4月から1998年3月まで、公募制復活後初の学校法人関西学院院長を務める。
吉原 通雄(よしはら みちお、1933年2月15日 - 19… 吉原 通雄(よしはら みちお、1933年2月15日 - 1996年2月18日)は、日本の現代美術家。具体美術協会のメンバーであった。美術家の吉原治良の息子(次男)である。 1933年2月15日兵庫県芦屋市生まれ。芸術家吉原治良の息子(次男)である。灘高等学校、関西学院大学出身。 具体美術協会の会員であった。 1996年2月18日、脳内出血のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考… 石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考古学者。奈良県立橿原考古学研究所研究嘱託、兵庫県立考古博物館名誉館長。主として古墳時代を研究領域としており、とくに纒向遺跡の発掘調査に携わったことで知られる。 1933年、宮城県牡鹿郡渡波町(現・石巻市)で生まれた。宮城県石巻高等学校を経て、関西学院大学文学部に入学し、考古学を専攻。関西大学大学院に進み、修了。 大学院修了後、兵庫県教育委員会に勤務して文化財の調査と研究にあたった。のち、奈良県立橿原考古学研究所所員に転じた。同研究所では、1971年より関川尚功とともに奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘調査に携わった。纒向遺跡出土土師器の分類によって纒向編年を行い、また、外部からもたらされた大量の土器の存在から纒向遺跡を3世紀の都市的な遺跡であることを明らかにした。
九条道弘(くじょう みちひろ、1933年 - )は、日本の神… 九条道弘(くじょう みちひろ、1933年 - )は、日本の神職。
永井 充(ながい みつる、1932年12月12日- )は、… 永井 充(ながい みつる、1932年12月12日- )は、プロ野球球団大阪近鉄バファローズ元球団社長である。 大阪府茨木市出身。1955年に関西学院大学経済学部を卒業した後に近畿日本鉄道に入社した。防長交通への出向を経て、1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1996年6月から2003年6月までに副社長を務めた。 会計部長、経理部長などを経て、2001年から球団社長に就任した。 ファン開拓のために、夏休みの時に子供の入場料を無料にしたり、選手の人形をプレゼントする企画を建てたり、大阪府内の小学校に野球道具を贈ったりした。球団名の命名権売却を提案したことにより、波紋を起こした。 2004年2月をもって、球団社長を退任した。
辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)… 辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)は、日本の実業家。シャープ株式会社相談役。弟の妻が第2代社長佐伯旭の子。 大阪府大阪市生まれ。1955年、関西学院大学商学部卒業。同年、早川電機工業株式会社入社(1970年、シャープ株式会社に社名変更)。 1977年取締役、1981年常務取締役、1983年専務取締役を経て、1986年6月取締役社長に就任(シャープの第3代社長)。 1998年相談役(現職)就任。 世界に先駆けて液晶ディスプレイ事業の本格的な立上げに成功した。液晶の大型、高画質、フルカラー化などを進める一方、液晶付ビデオカメラ「液晶ビューカム」、携帯情報ツール「ザウルス」、液晶プロジェクター「液晶ビジョン」、8.6型(当時最大)壁掛け液晶テレビ「液晶ミュージアム」など画期的な応用商品の開発を指揮、「液晶のシャープ」を築き上げた。
辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 20… 辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 2015年7月23日 )は、日本の経営者。興亜火災海上保険社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に興亜火災海上保険に入社した。1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格した。1998年6月から会長を務めた。 2015年7月23日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は… 川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手。 山城高校から関西学院大学を経て1955年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
中邨 秀雄(なかむら ひでお、1932年10月20日 - 2… 中邨 秀雄(なかむら ひでお、1932年10月20日 - 2015年7月3日)は、日本の財界人、フリープロデューサー、芸能プロモーター。吉本興業の代表取締役社長、会長、名誉会長を務めた。 現在の大阪市中央区出身。大阪府立生野高等学校卒。関西学院大学文学部卒業。大学時代はラグビー選手として活躍。 1955年5月、吉本興業に入社し、駆け出し時代は人気漫才師の花菱アチャコ、大村崑などのマネージャーを務めた。 うめだ花月劇場の開館、吉本新喜劇の立ち上げに尽力し、人気テレビ番組「ヤングおー!おー!」をプロデュース。所属タレントを積極的にテレビに出演させる戦略が実を結び、「お笑いの吉本」の地位を不動にした。
タック牧田(タックまきた、1932年10月 - 2026年3… タック牧田(タックまきた、1932年10月 - 2026年3月30日)はワシントン州シアトル出身のスポーツ写真家。本名は牧田 隆。関西学院大学在学中はアメリカンフットボール部に所属した。大学卒業後、1961年にアメリカに留学、その後、海兵隊に入り原子力潜水艦での勤務も経て1964年にAFLのニューヨーク・ジェッツの専属フォトグラファーとなった。1974年からNFL公式カメラマンとなっている。ニュージャージー州在住。スーパーボウルを第1回から取材しており日本で行われたアメリカンボウルの際には来日を果たしている。NFLのほか、ケンタッキーダービーやインディ500なども撮影している。 関西学院大学アメリカンフットボール部でプレイし、1953・1954年と甲子園ボウルで優勝を2回経験している。
佐藤 大治(さとう だいじ、1932年9月19日 - 200… 佐藤 大治(さとう だいじ、1932年9月19日 - 2007年5月4日)は、日本の経営者。名鉄百貨店社長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に名鉄百貨店に入社。1974年10月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1992年5月に副社長に就任し、1995年5月には社長に昇格。2001年5月に会長に就任。 2007年5月4日に悪性リンパ腫のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 20… 生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家、サッカー選手・指導者。選手時代のポジションはGK。 兵庫県立神戸高等学校を経て、関西学院大学に入学し、サッカー部に所属。全関学(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として鴇田正憲らと共に1953年、1955年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝に貢献した。 大学卒業後に新三菱重工業(後の三菱重工業)へ加入。井上健や北口晃らと共に創設期の同サッカー部を牽引し、1956年の都市対抗選手権準優勝、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会準優勝などに貢献した。 日本代表としては竹腰重丸監督時代の1955年の東南アジア遠征で代表デビュー。
山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2… 山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2017年4月3日 )は、日本の近代文学研究者。専門は太宰治の書誌研究。 元神戸女学院大学学長、神戸海星女子学院大学学長。神戸女学院大学・神戸海星女子学院大学名誉教授。 香川県三豊郡(現在の観音寺市)出身。香川県立観音寺第一高等学校、関西学院大学文学部日本文学科卒業。関西学院大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位修得退学。 1961(昭和36)年4月樟蔭中学校・高等学校に国語教師として着任、1964(昭和39)年4月神戸女学院中学部・高等学部に転任し、1972(昭和47)年4月神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授、以後1998(平成10)年3月まで、教授、文学部長、評議員、理事、学長を務めた。
東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 … 東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 - 2012年〈平成24年〉4月1日)は、日本の社会運動家・政治活動家。雑民の会・雑民党代表。本名同じであるが、読みは「とうごう たけし」。 兵庫県加古川市生まれ。「伝説のおかま」と紹介されることがある。同性愛者ではあるものの、自らの結婚歴や子供の存在を否定していない(下に詳述)。 祖父の名倉次は衆議院議員(立憲改進党)、父の東郷伍郎は兵庫県議会議員であったが、健は地元と絶縁状態だったため、いわゆる世襲候補扱いはされていない。 後妻の子。異母兄は「継母いじめ」を行い、父の死後は家長として健の母を召使いのようにこき使ったという。実母の没後、異母兄は健の行状を理由に、健の遺産相続権を奪う訴訟を起こし、異母兄側が勝訴した。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本… 武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本の心理学者、社会福祉学者。関西学院大学教授、同大学学長、理事長を歴任した。関西学院大学名誉教授。関西福祉科学大学名誉教授。関西学院大学の定年退職後は関西福祉科学大学教授を務めた。関西学院大学ファイターズ元監督。東京都出身。 関西学院中学部・高等部を経て、1952年関西学院短期大学英文科卒業、1954年同大学文学部社会事業学科卒業、1956年同大学院文学研究科教育学専攻修了。カナダ、アメリカ合衆国に渡り、1958年トロント大学大学院社会福祉専攻修了(M.S.W)、1962年にはミシガン州立大学大学院カウンセリング心理博士課程修了(Ph.D)。
伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 20… 伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 2001年11月6日)は、日本の経営者。NTN社長を務めた。山口県萩市出身。 1956年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に東洋ベアリング製造(のちのNTN)に入社。 1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1994年4月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2001年11月6日冠不全のために在任中に死去。70歳没。
洲脇 光一(すわき みつかず、1932年(昭和7年) - )… 洲脇 光一(すわき みつかず、1932年(昭和7年) - )は、日本の合唱指揮者。関西地方を拠点に活動している。 兵庫県神戸市出身。関西学院大学商学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団して学生指揮者を務め、1954年(昭和29年)の第7回全日本合唱コンクール全国大会において、同年から導入された招待演奏を指揮した。大学卒業後は新月会を指揮し、1958年(昭和33年)の第11回全日本合唱コンクール全国大会一般部門、翌年の第12回と2年連続優勝を果たした。 その後、アメリカ合衆国へ留学し、南メゾジスト大学芸術学部音楽科大学院修了、宗教音楽と合唱指揮を専攻した。帰国後、神戸女学院大学音楽部専任講師を経て、甲南女子大学教授、ワイオミング州立大学音楽学部客員教授を歴任した。
平木 隆三(ひらき りゅうぞう、1931年10月7日 - 2… 平木 隆三(ひらき りゅうぞう、1931年10月7日 - 2009年1月2日)は、大阪府堺市浜寺出身の元サッカー選手(DF)・コーチ・監督。 1993年Jリーグ開幕当時の名古屋グランパスエイト監督。 実家は浜寺で鉄工所を経営し、5人兄弟の三男として生まれる。岸和田高校入学時の1948年から本格的にサッカーを始め、1950年には全国高等学校サッカー選手権大会に大阪府代表として出場し、インサイドFWでベスト4進出に貢献。高校卒業後は1951年に関西学院大学へ進学し、9月には早稲田大学との定期戦でレギュラーDFとなる。秋の関西学生リーグと12月の東西学生王座決定戦では優勝を飾るが、この時のFWに長沼健がいた。
北村 協一(きたむら きょういち、1931年(昭和6年)9月… 北村 協一(きたむら きょういち、1931年(昭和6年)9月9日 - 2006年(平成18年)3月13日)は、日本の指揮者。オペラや合唱の分野で活躍した。 小倉市で3人きょうだいの末っ子(上に姉、兄がいる)として生まれ、生後間もなく大阪へと移り住んだ。少年時代に戦争が激化し、母の実家のある高知市に疎開し生活する 。その後大阪へ戻り、1950年(昭和25年)に関西学院大学経済学部に入学。在学中は関西学院グリークラブの学生指揮者に就任し、1953年(昭和28年)の第6回全日本合唱コンクール全国大会大学部門に同団を指揮して出場、優勝を果たす。 卒業後は福永陽一郎の誘いを受けて東京コラリアーズに歌手として入団し、後に指揮者として活躍。
松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1… 松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1998年3月14日)は、大阪府出身の元フリーアナウンサー。 登校拒否・不登校問題全国協議会の代表者・松本弘義は実兄。 旧制天王寺中学時代には野球部に所属。強打の左翼手として活躍し、1947年の春の選抜に出場。学制改革後は夕陽丘高校を卒業。 関西学院大学進学後は母校で野球部の監督を務める傍ら、創設間もない放送研究会に在籍。大学野球の実況や様々なナレーションをやっているところを開局準備中であった神戸放送(現・ラジオ関西)のスタッフにスカウトされ、在学中の1952年にパーソナリティとしてデビュー。卒業後の1958年に開局したばかりの関西テレビ(KTV)へ第1期アナウンサーとして入社し、主にプロ野球や競馬といったスポーツ中継を担当。
水野 隆(みずの たかし、旧姓:徳弘(とくひろ)、1931年… 水野 隆(みずの たかし、旧姓:徳弘(とくひろ)、1931年4月28日 - 没年不明)は日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 甲陽学院中学校在学中よりサッカーを始め、同中学4年修了後の1948年に関西学院高等部へ編入。 1950年に関西学院大学に入学してサッカー部に入部した。在学中の1953年に第33回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として優勝に貢献。また、同年にドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)の日本学生選抜として井上健、木村現、平木隆三らと共に選出され、大会に出場した。 1954年に大学卒業後は湯浅電池に入社。なお、大学卒業後もサッカーを続け、1955年の第35回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として、1958年の第38回天皇杯全日本サッカー選手権大会で関学クラブの一員としてそれぞれ優勝した。
団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月… 団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。 SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。 本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。 滋賀県彦根市の映画館「金城館」を経営する父のもとに生まれ、幼い頃から映画を楽しむと同時に実家の映画館は遊び場でもあった。
大塚 卓夫(おおつか たくお、1931年2月24日 - 20… 大塚 卓夫(おおつか たくお、1931年2月24日 - 2021年4月15日 )は、兵庫県出身の元ラグビー選手。元サントリーフーズ社長。 旧制・北野中学校(現 大阪府立北野高等学校)を経て関西学院大学に進学。同校在籍時代はラグビー部で活動し、1952年のオックスフォード大学来日試合に日本代表選手(ポジションはセンター(CTB))として出場。キャップ1を獲得した。 大学を卒業後、壽屋(後のサントリー)に入社。入社2年目に1954年の北海道国体の大阪府代表選手としてプレーしたが、それを契機にラグビーとは決別した。ところが1970年代のとある年、当時のサントリー常務で、東京大学ラグビー部出身の平木英一が役員会議でサントリーにラグビー部を創設しようという話をもちかけたことがきっかけとなり、後にサントリーでもラグビーに携わることになった。
藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、… 藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
市原 文雄(いちはら ふみお、1931年〈昭和6年〉1月29… 市原 文雄(いちはら ふみお、1931年〈昭和6年〉1月29日 - 生没不明)は、日本の政治家。奈良県天理市長。 千葉県出身。関西学院大学卒業、1963年(昭和38年)同大学院修了。 奈良県高等学校教職員組合を経て、1987年(昭和62年)から奈良県議会議員を2期務める。1992年(平成4年)天理市長に当選。1996年(平成8年)に無投票で再選した。 自民党、民主党の推薦を受け、新人を破って3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:48.87%(前回比:-pts) 2001年(平成13年)9月、受託収賄容疑で逮捕され辞職した。その後、同年12月に執行猶予付きの有罪判決を受けた。
保田 良雄(やすだ よしお)、1930年12月14日 - 2… 保田 良雄(やすだ よしお)、1930年12月14日 - 2005年4月25日)は、日本の推理小説作家 大阪府生まれ。1954年関西学院大学経済学部卒。大学時代は俳優の高島忠夫、藤岡琢也、作曲家のキダ・タローらとビッグバンドを組んでいたこともある。 大学卒業後、オランダ系ナショナル・ハンデルス銀行に入行。1964年、米国系コンチネンタル・イリノイ銀行に入行。外国為替ディーラー、外為課長、業務推進部次長を務め、長年の夢であった小説作家を目指すため、1983年53歳で退職する。 2年間海外への取材等を行いながら執筆活動を開始、1985年に処女作『カフカズに星堕ちて』で第3回サントリーミステリー大賞の読者賞を受賞し、作家デビューを果たす。
キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年1… キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年12月6日 - )は、日本の作曲家、タレント、ラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所は昭和プロダクション。
安藤 宏寿(あんどう ひろとし、1930年11月24日 - … 安藤 宏寿(あんどう ひろとし、1930年11月24日 - 2007年6月26日)は、日本の経営者。日清食品社長を務めた。大阪府出身。創業者安藤百福の長男。 1952年に関西学院大学法学部を中退し、アメリカなどでの留学を経て、1958年12月に日清食品に入社し、専務にも就任。副社長を経て、1981年6月に社長に就任。だが2年後の1983年8月、宏寿は経営方針をめぐって父で会長の安藤百福と対立し、社長を退任した。その後は百福が会長兼任で社長に復帰、さらにその後は異母弟の安藤宏基が社長に就任した。 2007年6月26日膵臓癌のために死去。76歳没。
若槻 文三(わかつき ぶんぞう、1930年10月3日 - 1… 若槻 文三(わかつき ぶんぞう、1930年10月3日 - 1993年)は、日本の脚本家。本名は金本明。大阪府生まれ。関西学院大学出身。 1966年、TBSのドラマ『月曜日の男』でプロデューサー、脚本、監督を務めていた飯島敏宏の誘いで『ウルトラマン』の脚本を執筆。これをきっかけに円谷プロ作品の常連脚本家として活躍。同社の作品については、テレビシリーズ18番組・長編テレビ映画3作・新撮劇場映画2作(他に再編集物が2作)という、群を抜いて最多参加の脚本家であった。テレビドラマデビュー作でもあり、1958年から関西ローカル局で長期間放送された刑事ドラマの『部長刑事』では多くの脚本家の中で、最も長きに渡って執筆を担当した一人でもあり、原作を担当したこともある。
藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日… 藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日 - 2006年〈平成18年〉10月20日)は、日本の俳優、声優。 兵庫県姫路市出身。身長165cm、体重71kg。兵庫県立姫路西高等学校卒業、関西学院大学文学部中退。 1930年、姫路市にて会社員の父・憲一の第一子として誕生。当時としては裕福な家庭に育ち、成績は優秀だった。 旧制姫路中学校(現:兵庫県立姫路西高等学校)から広島陸軍幼年学校に進学するが、終戦により姫路中に復学後、関西学院高等部に編入。慶応義塾大学への進学を志望していたが、不合格となり明治大学商学部に進学するも父親の意向で関西学院大学に移り、翌年に結核を患い中退。 1953年、関西学院大学文学部社会学科に再入学。
横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日… 横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日 - 2009年〈平成21年〉10月13日)は、日本の演出家(レビュー)。元宝塚歌劇団理事。東京都出身。横沢 秀雄、横澤 秀雄名義で活動していた時期もある。 母:良子(芸名:花野春子)が宝塚歌劇団卒業生。また、父:横沢三郎の妹(芸名:尾上さくら)や、兄弟の妻たちもタカラジェンヌで、宝塚およびレビュー(少女歌劇)に縁の深い環境で育った。なお、妻:チエ子(芸名:虹乃千恵)は宝塚歌劇団44期生。 父の横沢三郎は東京セネターズや阪急ブレーブスで監督を務めた。東京都立西高等学校卒業。関西学院大学では硬式野球部マネージャー。第1回全日本大学野球選手権大会で慶応大学に敗れるも準優勝した。
杉山 洋子(すぎやま ようこ、1930年8月2日 - )は、… 杉山 洋子(すぎやま ようこ、1930年8月2日 - )は、日本の英文学者、関西学院大学名誉教授。 台湾生まれ。関西学院大学文学部英文科卒、ミシガン大学に学ぶ。1971年ヴァージニア・ウルフ論で関西学院大学文学博士。関西学院大学文学部助教授、教授、2001年定年退任、名誉教授、帝塚山学院大学教授。
高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27… 高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者。東宝芸能最終所属。 兵庫県神戸市東灘区御影出身。本名は髙嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。 4人姉妹弟の長男。妻は女優でタレントの寿美花代。息子は俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸。弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之。姪はバイオリン奏者でタレントの高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を自称していたが弟子もおらず、生涯定職につくことのない有閑階級の家庭であった。
山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 202… 山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 2022年10月20日)は、日本の実業家。泉陽興業、エキスポランドの社長、会長などを歴任し、全日本遊園施設協会(JAPEA)会長も務めた。 大阪府阪南市出身。関西学院大学商学部卒業。1952年に、戦前から代議士であった伯父の松田竹千代が、公職追放解除後最初に出馬、当選した第25回衆議院議員総選挙の選挙運動を手伝ったことをきっかけに、上京して松田の私設秘書となった。 その後、1958年に泉陽興業を設立し、1960年ごろから本格的に関西各地の百貨店で屋上遊園地を運営する事業に取り組む。遊具の製作も自前で行ない、1967年には製造部門を泉陽機工として分社化した(2009年に泉陽興業へ吸収され、企画から製作、運営までの一貫体制となっている)。
丹羽 春喜(にわ はるき、1930年3月28日 - 2016… 丹羽 春喜(にわ はるき、1930年3月28日 - 2016年12月24日)は、日本の経済学者。大阪学院大学経済学部名誉教授。専門は比較経済体制論と経済政策論[要出典]。 兵庫県芦屋市出身。1953年関西学院大学経済学部を卒業。1958年、同大学院経済学研究科博士課程満期退学。1960年関西学院大学社会学部専任講師に就く。1964年同社会学部助教授。1965年「ソ連計画経済の能率」で関西学院大経済学博士。1971年関西学院大学社会学部教授。1975年筑波大学大学院地域研究科教授。1977年京都産業大学経済学部教授。1994年大阪学院大学経済学部教授。1997年同大学院経済研究科長。2005年大阪学院大学退職、名誉教授。
安田 吉三郎(やすだ きちさぶろう、1930年3月26日 -… 安田 吉三郎(やすだ きちさぶろう、1930年3月26日 - 2023年2月26日)は日本の牧師。新改訳聖書のヘブル人への手紙を翻訳する。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
古田 武(ふるた たけし、1930年1月24日 - 2019… 古田 武(ふるた たけし、1930年1月24日 - 2019年1月23日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業(現在のカネカ)社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1952年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1977年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。1999年6月に会長に就任。 2019年1月23日心不全のために死去。88歳没。
松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月… 松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月6日 - 2019年(平成31年)1月5日)は、日本の合唱指揮者。関西地方を拠点に活動した。 関西学院大学経済学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団し、学生指揮者を務める。1950年(昭和25年)の第3回全日本合唱コンクール全国大会一般部門に同団を指揮して出場、翌年の第4回全日本合唱コンクール全国大会大学部門と連続優勝を果たす。 大学卒業後の1952年(昭和27年)に大和銀行(現・りそな銀行)に入行、同年に行員たちを集めて大和銀行合唱団(現・りそな合唱団)を結成し指揮者に就任した。1954年(昭和29年)の第7回全日本合唱コンクール全国大会職場部門に同団を指揮して初出場で第4位、1959年(昭和34年)の第12回以後全国大会の常連となり、1962年(昭和37年)の第15回から3年連続優勝。
土田 善久(つちだ よしひさ、1930年 - )は、プロ野球… 土田 善久(つちだ よしひさ、1930年 - )は、プロ野球球団阪急ブレーブスの元球団社長、箕面市在住。 関西学院大学を卒業した後に京阪神急行電鉄(企業としては現・阪急阪神ホールディングス)に入社した。 阪急ブレーブスや西宮球場などのレジャー部門を管轄する事業部で長く勤め、1975年~1977年に阪急ブレーブスが3連覇を達成した時は梅田駅での飾りつけと選手のサイン会を担当していた。やがて電鉄事業部長となり、年間観客動員の増加を図るために、マスコットキャラクターであるブレービーの導入や沿線住民など向けに割安で観戦できる「応援デー」の設定を行い、1986年には年間観客動員100万人を達成した。 1987年11月に球団社長に就任し、翌年の球団身売りの発表の際には号泣していた。
早川 斉(はやかわ ひとし、1930年 - 2008年8月3… 早川 斉(はやかわ ひとし、1930年 - 2008年8月30日)は、国産オーディオにおいて音楽性と卓越性を確立させた功労者で国産高級オーディオブランドの魁となったラックス株式会社(現ラックスマン)の元会長。
山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月… 山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月25日 - 没年不詳)は、日本の政治家。大阪府柏原市市長(第3代)。8期32年間を務め引退後、後継に指名の人物が出馬した市長選で、対立候補の岡本泰明(第4代市長)が不利になる記事をミニコミ紙に書かせ、買収容疑で逮捕。在任中に随意契約の便宜を業者に図り続けた収賄も発覚し、実刑判決を受けた。 1947年(昭和22年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業し、関西学院大学へ進み、1952年法学部法律学科を卒業。 1973年3月の柏原市長選で「全く門外漢と申しますのか、行政の素人」ながら立候補し初当選して以降、連続当選。2001年(平成13年)2月11日に投開票の市長選で得票率57.88%(1万5,714票)で8期目を務めたが、75歳になるのを機に健康上の理由と称して引退表明。
三原 聖治(みはら せいじ、1929年10月11日- )は… 三原 聖治(みはら せいじ、1929年10月11日- )は、日本の経営者。アシックス社長を務めた。大阪府出身。 1959年に関西学院大学経済学部を卒業し、1960年3月にオニツカに入社した。1977年7月にアシックス取締役に就任し、1978年4月に常務、1983年4月に専務、1989年9月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任。1996年4月に業績不振の責任を取る形で社長を辞任し、取締役相談役に退いた。
トミー植松(トミーうえまつ、1929年7月25日 - 202… トミー植松(トミーうえまつ、1929年7月25日 - 2024年)は、日本の英語教育者。本名・植松利康。「トミー・植松」と中黒を入れる表記もかつては用いた。 上海に生まれる。シンガポール、オーストラリアに滞在の後、神戸国際学校に入学。関西学院大学文学部英語学科を卒業する。1952年に毎日新聞社に入社し、1973年までの間、英文毎日、毎日デイリーニューズ記者として勤務。その間、力道山の通訳、スカルノ元インドネシア大統領やマリリン・モンローの記者会見通訳を務める。ラジオ番組「百万人の英語」講座の講師を20年間務めるほか、NHKやフジテレビジョンなどで英会話番組も担当した。 1974年より、玉川大学文学部外国語学科教授となる。
倉田 和四生(くらた わしお、1929年(昭和4年)7月22… 倉田 和四生(くらた わしお、1929年(昭和4年)7月22日 - 2023年(令和5年)4月3日[要出典]) は、日本の社会学者。専門は都市社会学(特に人口論)、その一方で社会福祉学にも造詣を持った。 関西学院大学名誉教授、順正短期大学第8代学長。また岡山県高梁市にフィールドワーク域を持つ郷土史家でもある。 元、関西学院大学および吉備国際大学ならびに吉備国際大学大学院の社会学部教授であり、両大学において、それぞれ学部長を務めた。吉備国際大学においては副学長を務めていた時期もある。 熊本県天草郡天草町高浜出身。倉田政造とサヨカ夫妻の間に8人兄弟の三男として昭和四年に出生する。生まれ年にちなみ『和四生』と命名された。
雀部 昌吾(ささべ しょうご、1929年7月3日 - )は、… 雀部 昌吾(ささべ しょうご、1929年7月3日 - )は、日本の経営者。バンドー化学社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1952年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に阪東調帯ゴム(現・バンドー化学)に入社。 1974年5月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1988年には社長に就任。1998年6月に会長を経て、2006年6月には相談役に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章し、2018年11月に旭日小綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
柚木 学(ゆのき まなぶ、1929年6月22日 - 2000… 柚木 学(ゆのき まなぶ、1929年6月22日 - 2000年4月21日)は、日本の史学者。専門は日本海運史。関西学院大学教授、同大学学長(1994年4月から1997年3月)を歴任した。石川県金沢市生まれ。 1953年3月関西学院大学経済学部卒業。 1959年3月関西学院大学大学院経済学研究科博士課程修了。 1954年4月から1957年3月まで関西学院大学経済学部助手補。 1957年4月から1960年3月まで関西学院大学経済学部助手。 1960年4月から1964年3月まで関西学院大学経済学部専任講師。 1964年3月、経済学博士(関西学院大学)の学位を取得。論文の題は「近世灘酒造業の経済構造」。