原井 敬(はらい たかし、1979年〈昭和54年〉5月12日… 原井 敬(はらい たかし、1979年〈昭和54年〉5月12日 - )は、日本の政治家。徳島県吉野川市長(2期)、元徳島県議会議員(2期)。 徳島県麻植郡山川町(現・吉野川市山川町)生まれ。山川町立川田小学校(合併後、吉野川市立川田小学校となるも2018年に閉校)、山川町立山川中学校(現・吉野川市立山川中学校)、徳島県立脇町高等学校卒業。1998年(平成10年)4月、鳥取大学工学部に入学。大学を中退し、2002年(平成14年)1月に原井木材工業(現・原井林業)と冨士木材工業に入社。 2009年(平成21年)7月、原井林業代表取締役に就任。2012年(平成24年)2月、冨士木材工業代表取締役に就任。
藤井 一博(ふじい かずひろ、1977年12月23日 - )… 藤井 一博(ふじい かずひろ、1977年12月23日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の参議院議員(1期)。元鳥取県議会議員(2期)。 鳥取県生まれ。東伯郡東郷町(現:湯梨浜町)で育つ。1996年3月、鳥取県立鳥取西高等学校卒業。2005年3月、鳥取大学医学部卒業。2007年4月、横須賀市立市民病院で消化器外科医を務める。2014年12月、同消化器外科主任医長。 2015年4月、鳥取県議会議員選挙(東伯郡選挙区)に立候補し自由民主党公認で立候補し無投票で初当選。2019年の県議選で再選。 2022年2月、自民党鳥取県連は同年7月の第26回参議院議員通常選挙における鳥取県の特定枠候補者を藤井に決定。
杉田 水脈(すぎた みお、1967年〈昭和42年〉4月22日… 杉田 水脈(すぎた みお、1967年〈昭和42年〉4月22日 - )は、日本の政治家。 自由民主党所属の元衆議院議員(3期)、新しい歴史教科書をつくる会理事。旧姓は吉岡(よしおか)。元総務大臣政務官。 兵庫県神戸市垂水区に生まれる(現住所は防府市駅南町)。 「『泊瀬川(はつせがは) 流るる水脈(みを)の 瀬を早み ゐで越す波の 音の清(きよ)けく(万葉集第7巻)』から父親が『水脈(みお)』と命名した」と述べている。 親和中学校・親和女子高等学校を経て、1990年、鳥取大学農学部林学科卒業。同年4月積水ハウス木造(1995年に積水ハウスへ吸収される)に入社、1992年4月から西宮市役所勤務。1993年に結婚。
山下 芳生(やました よしき、1960年〈昭和35年〉2月2… 山下 芳生(やました よしき、1960年〈昭和35年〉2月27日 - )は、日本の政治家。通称:山下よしき。日本共産党の常任幹部会委員。参議院議員(4期)、参議院議員団長、職場(労働)対策委員会責任者、日本共産党書記局長などを歴任。2020年1月より党筆頭副委員長。 香川県善通寺市出身。現在は大阪府在住。香川県立善通寺第一高等学校を経て鳥取大学農学部農業工学科卒業。大阪かわち市民生活協同組合(現・生活協同組合おおさかパルコープ)職員、日本民主青年同盟北河内地区委員長・大阪府副委員長等を務めた後、1995年に大阪府選挙区から参議院議員に初当選。 2000年10月、参議院本会議で公職選挙法改定案に反対する討論を33分間原稿なしでおこなった。
戸嶋 秀樹(としま ひでき、1957年7月1日 - )は、日… 戸嶋 秀樹(としま ひでき、1957年7月1日 - )は、日本の政治家。第6代福井県三方郡美浜町長。 福井県三方郡美浜町生まれ。 福井県立美方高等学校を卒業。1982年3月、鳥取大学農学部卒業。同年4月、福井県へ入庁。2011年5月、福井県福井農林総合事務所農村整備部長に、2012年4月、福井県農林水産部農村振興課農地保全活用室長に就任した。2013年4月、農林水産部農村振興課長に就任。翌2014年3月に福井県庁を退職した。同年4月、美浜町副町長に就任。 2019年2月の美浜町長選挙に立候補して、無投票で初当選を果たした。同年3月に就任した。 2023年の町長選挙において、無投票で再選を果たした。
中野 隆司(なかの りゅうじ、1957年〈昭和32年〉2月6… 中野 隆司(なかの りゅうじ、1957年〈昭和32年〉2月6日 - 2021年〈令和3年〉1月24日)は、日本の政治家、教諭。大阪府柏原市長(1期)、大阪府議会議員(2期)、大阪維新の会顧問などを務めた。 1981年3月、鳥取大学農学部卒業。 大阪府立富田林高等学校の講師を務めた後、1983年から2005年まで八尾市や柏原市の中学校で理科(年度によっては社会、英語等)の教諭を務めた。 2007年の大阪府議会議員選挙に民主党公認で出馬し、初当選した。2011年の府議選では大阪維新の会に乗り換え再選した。 2012年、府議を辞職。翌2013年2月10日の柏原市長選挙に、大阪維新の会公認で出馬。元市議で清掃会社経営の女性と、日本共産党推薦の市民団体役員を破り初当選した(投票率45.31%)。
﨏田 淳一(さこだ じゅんいち、1956年〈昭和31年〉8月… 﨏田 淳一(さこだ じゅんいち、1956年〈昭和31年〉8月29日 - )は、日本の政治家。元鳥取県日野郡日野町長。 鳥取県日野郡日野町中菅出身。1975年3月、鳥取県立根雨高等学校卒業。1979年3月、鳥取大学農学部卒業、同年4月から鳥取県職員。米子地方農林振興局を振り出しに鳥取県庁、倉吉市、八頭郡、日野など県内ほぼすべての地域で勤務する。2013年7月から日野振興センター日野振興局長。2017年3月に退職する。2018年2月24日に日野町長に就任する。2022年2月6日、再選する。 2025年12月9日の町議会本会議で、任期満了に伴う日野町長選(2026年2月3日告示、8日投開票)に「立候補しない」と表明した。
楫野 弘和(かじの ひろかず、1955年〈昭和30年〉6月1… 楫野 弘和(かじの ひろかず、1955年〈昭和30年〉6月19日 - )は、日本の政治家。島根県大田市長(3期)。 島根県大田市静間町出身。島根県立大田高等学校を経て、1978年(昭和53年)3月、鳥取大学工学部卒業。同年4月、島根県庁に入庁。商工労働部産業振興課長、商工労働部次長、西部県民センター所長、地域振興部長、総務部長などを歴任。2015年(平成27年)3月、島根県庁を退職。同年6月、公益財団法人しまね産業振興財団副理事長に就任。 2017年(平成29年)6月19日、任期満了に伴う大田市長選挙に出馬する意向を表明。7月12日、現職の竹腰創一が「保守分裂を避ける」として4選出馬辞退を表明したことから、10月の市長選は無投票となり楫野が初当選を果たした。
金兒 英夫(かねこ ひでお、1954年〈昭和29年〉11月5… 金兒 英夫(かねこ ひでお、1954年〈昭和29年〉11月5日 - )は、日本の政治家、元地方公務員。鳥取県八頭郡智頭町長(2期)。 鳥取県八頭郡智頭町出身。鳥取大学農学部卒業。1979年、智頭町役場に採用された。 役場内では、総務課長、企画戦略課長、農業委員会事務局長、福祉課長、税務住民課長、水道課長などの要職を歴任。退職後は智頭町副町長を務め、長年にわたり町政と教育行政の双方に深く携わった。 2020年(令和2年)6月2日、任期満了に伴う智頭町長選挙が告示され、立候補。元町議の新人を破って初当選した。同年6月16日に町長に就任。 2024年(令和6年)5月28日、任期満了に伴う町長選挙が告示。
広瀬 栄(ひろせ さかえ、1947年〈昭和22年〉11月2日… 広瀬 栄(ひろせ さかえ、1947年〈昭和22年〉11月2日 - )は、日本の政治家。兵庫県養父市長(4期)を務めた。 兵庫県治水・防災協会会長を務める。 養父市八鹿町九鹿出身。兵庫県立八鹿高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、鳥取大学農学部農業工学科卒業。同年4月、建設会社に勤務。1976年(昭和51年)4月、八鹿町役場に転職。商工労政課長、企画商工課長、建設課長などを務める。 2004年(平成16年)4月、同月に成立した養父市の都市整備部長に就任。2005年(平成17年)3月、助役兼都市整備部長に就任。2007年(平成19年)、副市長に就任。 2008年(平成20年)5月31日、副市長を退任。
井元 乾一郎(いもと けんいちろう、1946年6月17日 -… 井元 乾一郎(いもと けんいちろう、1946年6月17日 - )は、岡山県苫田郡鏡野町出身の地方政治家。元岡山県議会議員(5期)、元鏡野町長(2期)。 鏡野町長時代に「鏡野町総合計画」の子供を大切にの主題からキャッチフレーズに日本のペスタロッチタウン・鏡野を定めた。ペスタロッチ像を建て、ペスタロッチゆかりの町であるスイスのイヴェルドン・レ・バンからケルネン市長夫妻を招いて「ペスタロッチ祭」を開催した。1996年に、鏡野町とイヴェルドン市が、ケルネン市長夫妻ら8名、井元乾一郎夫妻ら10名、在ジュネーブ日本政府代表部から2名が出席して友好憲章を締結した。翌年、第1回友好都市交流事業を開始したほか、すべての小学6年生の児童を対象として「ペスタロッチ賞」の表彰なども実施した。
松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月… 松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月25日 - 2007年〈平成19年〉5月28日)は、日本の農水官僚、政治家。農林水産大臣(第41代)、衆議院議員(6期、自由民主党)を歴任。 戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目(日本国憲法下では初)の現職閣僚として自殺により死去した人物である。 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)2月25日、熊本県阿蘇町(現阿蘇市)に貧困にあった農家の長男として誕生した。 父は日中戦争(支那事変)中、満州(現在の中国東北部)で日本軍の憲兵を務めていた。日本に帰国してからは定職を持たず林業ブローカーのような仕事で糊口を凌ぎ、時には飲酒で泥酔して妻(松岡の母親)に手を上げることもあったという(家庭内暴力)。
児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月… 児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2026年〈令和8年〉1月11日)は、日本の政治家、初代広島県安芸高田市長(1期)。 広島県高田郡高宮町(現・安芸高田市)出身。鳥取大学農学部卒。高校講師や来原農協専務理事、郡農協支所長を歴任した。1969年(昭和44年)高宮町議会議員に当選して、3期務める。その間、1978年(昭和53年)に同議長に就任した。1980年(昭和55年)高宮町長に当選。高宮町議時代から地域振興会の活動に取り組む。高宮町長を6期務めた。2004年(平成16年)、高田郡全域の6町が合併し、安芸高田市が発足。合併後の市長選挙に立候補し無投票で当選した。
西尾 迢富(にしお はるとみ、1928年(昭和3年)2月6日… 西尾 迢富(にしお はるとみ、1928年(昭和3年)2月6日 - 2009年(平成21年)8月18日)は、日本の政治家。鳥取県鳥取市長(3期)。 鳥取県鳥取市出身。鳥取農林専門学校(現・鳥取大学農学部)を卒業。鳥取県庁に入り、民生、農林水産の各部長を務める。その後鳥取県土地開発公社監事を経て、1987年鳥取市助役に就任する。 1990年の鳥取市長選挙に立候補して当選、3期務める。2002年の市長選挙では4選を目指したが、元国土交通省官僚の竹内功に敗れて落選した。2003年春の叙勲で、勲四等旭日小綬章を受章。 2009年8月18日午前5時5分、鳥取市の病院で死去、81歳。死没日をもって正五位に叙される。
森田 隆朝(もりた たかとも、1925年(大正14年)9月2… 森田 隆朝(もりた たかとも、1925年(大正14年)9月28日 - 2007年(平成19年)5月13日)は、日本の医師、政治家。産婦人科森田医院院長。鳥取県医師会常任理事。鳥大医学部同窓会名誉会長。日本・ネパール人づくり協力会会長。日野郡人会会長。米子市長。旧姓新出(にいで)。位階は従五位。 大正14年(1925年)、鳥取県日南町の寺院の3男として生まれた。同年、一家で現在の境港市に移住。父は托鉢をして集めた浄財で託児所を作り、孤児や恵まれない子どもを養育した。昭和18年(1943年)鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)卒業。昭和29年(1954年)米子医科大学(現・鳥取大学医学部)卒業、産婦人科教室に入局。
安田 貞栄(やすだ さだえ、 1917年(大正6年)12月1… 安田 貞栄(やすだ さだえ、 1917年(大正6年)12月15日 - 1989年(平成元年)11月20日)は、日本の教育者、政治家。鳥取県議会議員、境港市長(第3代)。 元鳥取県議会副議長永井貞録の四男。元米子今井書店社長永井準の実弟。鳥取県議会議員安田優子の実父。 鳥取県西伯郡中浜村出身。永井貞録の四男として生まれ、叔母に子供がなかったため安田家の養子となる。実父貞録の「貞」と養父栄の「栄」をとって「貞栄」と命名された。 学期末通信簿を持って帰って、成績が一番になったことを言うと「百姓の跡取りにならなくなるぞ」と叱られた。部落の長老百太郎じいさんは特に説教の名人で「百姓の跡取りは百姓となるべきである。
田中 信義(たなか のぶよし、明治22年(1889年)3月8… 田中 信義(たなか のぶよし、明治22年(1889年)3月8日 - 昭和35年(1960年)4月11日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。旧姓下田。信儀と表記される場合がある。 衆議院議員下田勘次、鳥取大学長下田光造の弟。 鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現・鳥取市河原町和奈見)に生まれた。下田弥平の三男。 旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を経て1907年、東京帝国大学農科大学に入学。卒業後帰郷し、八頭郡国英村三谷の田中嘉十郎の養子となる。農業を営む。 早くから郡会議員、郡農会長、県会議員を歴任し、1941年には県会議長に就任するなど地方政界において民政系に属して活躍した。
下田 勘次(しもだ かんじ、1875年(明治8年)11月4日… 下田 勘次(しもだ かんじ、1875年(明治8年)11月4日 - 1939年(昭和14年)7月3日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。大正鳥取銀行監査役。鳥取新報社長。鳥取県平民。 元鳥取大学長下田光造、元参議院議員田中信義の兄。 鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現鳥取市河原町)出身。下田弥平の長男。 鳥取一中(現鳥取西高)に学び、また漢籍を林良造に学んだ。 1904年(明治37年)村会議員、1907年(明治40年)に八頭郡会議員、1911年(明治44年)鳥取県会議員となり、引き続き1920年(大正9年)まで3期当選した。この間佐貫村長も務めた。 1920年(大正9年)5月、原内閣のときの第14回衆議院議員総選挙では、憲政会に推されて鳥取県第2区から立候補して当選し、1期在任した。