椎名 時四郎(しいな ときしろう、1907年1月19日 - … 椎名 時四郎(しいな ときしろう、1907年1月19日 - 2007年12月3日)は、日本の実業家。栃木県出身。元住友商事副会長。 1924年(大正13年)、旧制栃木県立栃木中学校(現 栃木県立栃木高等学校)修了。東京商科大学(現 一橋大学)卒業。元住友商事副会長。1973年(昭和48年)、(財)日本ラグビーフットボール協会会長に就任。1979年(昭和54年)、同 名誉会長に就任。1995年(平成7年)、同 名誉相談役に就任。 2007年12月3日、肺炎により100歳で死去。
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月1… 田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は、日本の法学者。一橋大学名誉教授。法学博士。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。キリスト教徒であったが、キリスト教徒の殉職自衛官の訴訟では国側の証人として、宗教上の人格権を否定した。美濃部達吉門下。弟子に長谷川正安、杉原泰雄、山内敏弘など。 1907年(明治40年)1月12日、静岡県三島市に生まれる。1923年(大正12年)、徳島県立徳島中学校卒業。1927年(昭和2年)、第一高等学校文科乙類卒業。1929年(昭和4年)12月、高等試験司法科合格。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月1… 田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は日本の法学者。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。一橋大学名誉教授。美濃部達吉の弟子。クリスチャン。
越田 覚造(こしだ かくぞう、1907年〈明治40年〉1月4… 越田 覚造(こしだ かくぞう、1907年〈明治40年〉1月4日 - 没年不明)は、日本の実業家。日本端子元社長。ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)元社長。富士観光元社長。農林大臣を務めた河野一郎や参議院議長を務めた河野謙三は義兄にあたる。 富山県出身。越田覚二の長男として生まれる。1930年(昭和5年)東京商科大学を卒業後、昭和肥料に入社。1945年(昭和20年)日本肥料四日市工場総務部長となり、1948年(昭和23年)東海硫安工業取締役四日市工場長に就任。 1951年(昭和26年)本社営業部長に転じ、1958年(昭和33年)7月監査員を兼任し、1962年(昭和37年)10月日本端子社長、1963年(昭和38年)6月ラジオ関東副社長に選任される。
奈街 三郎(なまち さぶろう、1907年1月2日 - 197… 奈街 三郎(なまち さぶろう、1907年1月2日 - 1978年12月23日)は、日本の児童文学作家。宮城県仙台市出身。東京商業学校(現在の一橋大学)卒業。本名:山田三郎。 小川未明に師事する。 1952年、『まいごのドーナツ』で第1回小学館児童文化賞受賞。1959年、『とけいの3じくん』で文部大臣賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小沢 武夫(おざわ たけお、1907年 - 1996年)は、… 小沢 武夫(おざわ たけお、1907年 - 1996年)は、日本の外交官。シカゴ総領事、駐チェコスロヴァキア特命全権大使などを務めた。 神奈川県出身。1932年東京商科大学(現一橋大学)卒業。1936年高等試験外交科合格、外務書記生(アメリカ合衆国)。1937年外交官補(アメリカ合衆国)。1938年上海・漢口領事官補。1940年外務省東亜局第二課兼対満事務局事務官。1942年満州国勲三位桂国章受章。1943年満州国国勢調査紀念章受章。 日本の降伏後、一等書記官を経て、1945年終戦連絡地方事務局連絡官。1948年総理庁官房財閥役員審査課長。1951年外務省連絡局調整課長。1952年、サンフランシスコ平和条約の発効によりペルーとの国交が再開したことに伴い、駐ペルー臨時代理公使に赴任。
14代 渡辺 甚吉(渡邊、わたなべ じんきち、1906年(明… 14代 渡辺 甚吉(渡邊、わたなべ じんきち、1906年(明治39年)11月26日 - 1972年(昭和47年)5月25日)は、昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、参議院議員。旧名は村吉。12代渡辺甚吉の孫。 岐阜県岐阜市松屋町で、岐阜貯蓄銀行(現十六銀行)頭取で実業家の13代渡辺甚吉、八重の長男として生まれた。 暁星中学校(現暁星中学校・高等学校)を経て、1930年(昭和5年)東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、同年3月から1931年(昭和6年)1月まで欧米各国を視察した。大学在学中に父が死去し家督を相続して14代甚吉を襲名した。 帰国後、有隣生命保険社長、浩栄社社長、北海興業社長、築地電気社長、明徳自動車代表、岐阜信託取締役、岐阜貯蓄銀行取締役などに就任した。
松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1… 松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1日 - 2014年(平成26年)9月19日)は、日本の弁護士、裁判官、政治家。緑風会所属参議院議員。
栂井 義雄(とがい よしお、1906年9月25日 - 198… 栂井 義雄(とがい よしお、1906年9月25日 - 1983年6月27日)は、日本の経営史学者。 台湾台南市生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒。1976年「三井物産会社の経営史的研究」で中央大学商学博士。東洋経済新報社をへて専修大学経営学部教授、学部長、77年定年、名誉教授、松山商科大学教授。日本経営史研究所理事。
植田 義巳(うえだ よしみ、1906年6月28日 – 199… 植田 義巳(うえだ よしみ、1906年6月28日 – 1996年11月9日)は、東京都出身の日本のバスケットボール選手・指導者。 選手としては1928年から1934年まで東京商科大学(現一橋大学)に所属し、全日本選手権2度優勝。1959年からは日本オリンピック委員会(JOC)、国際バスケットボール連盟(FIBA)委員をそれぞれ1989年まで務め、アジアバスケットボール連盟(現・FIBAアジア)の設立にも関わった。 1960年ローマオリンピックでは全日本マネージャーを務めた。 2007年、日本人で初めてFIBA殿堂に表彰された。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
土屋 尹直(つちや ただなお、1906年(明治39年)5月1… 土屋 尹直(つちや ただなお、1906年(明治39年)5月13日- 1979年(昭和54年)9月24日)は、昭和期の実業家、宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・堤、旧名・忠雄。 華族・堤雄長の三男として生まれ、子爵・土屋正直の養子となる(剱沢小屋雪崩事故で正直の嫡男土屋秀直が死亡した事による)。1938年(昭和13年)12月28日、尹直と改名した。養父の死去に伴い、1939年(昭和14年)1月16日に子爵を襲爵した。 1930年(昭和5年)、東京商科大学を卒業し、三井物産本社に入社。以後、三輪銀行常任監査役、同頭取、式部官兼主猟官、兼内大臣秘書官などを務めた。 1945年(昭和20年)10月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
市川 泰治郎(いちかわ たいじろう、1906年3月25日 -… 市川 泰治郎(いちかわ たいじろう、1906年3月25日 - 没年不詳)は、日本の経済・思想史研究者。 横浜市生まれ。東京商科大学本科卒。国立国会図書館勤務、国際事業部長、拓殖大学教授。77年定年、名誉教授。城西大学教授。
朝海 浩一郎(あさかい こういちろう、1906年3月15日 … 朝海 浩一郎(あさかい こういちろう、1906年3月15日 - 1995年9月9日)は、日本の外交官。連絡調整中央事務局長官、外務審議官を経て、岸信介内閣における日米安全保障条約改定の時期を含め、駐アメリカ合衆国特命全権大使を異例の6年間務めた。1976年勲一等瑞宝章。
中山 素平(なかやま そへい、1906年(明治39年)3月5… 中山 素平(なかやま そへい、1906年(明治39年)3月5日 - 2005年(平成17年)11月19日 )は、日本の銀行家。日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)頭取、同会長、経済同友会代表幹事、海外技術協力事業団(現:国際協力機構)会長等を歴任。「財界の鞍馬天狗」の異名を持つ一方、部下からは「そっぺいさん」と呼ばれ慕われた。
西川 昌夫(にしかわ まさお、1906年(明治39年)2月1… 西川 昌夫(にしかわ まさお、1906年(明治39年)2月16日 - 1992年(平成4年)4月21日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 山梨県出身。1929年(昭和4年)東京商科大学を卒業した。 西川製糸常務取締役、西川工業専務取締役、東京紡績専務取締役、高木製糸専務取締役、花輪製糸専務取締役、昭和町議会議員(2期)、東京府製糸業組合副組合長、全国製糸業組合連合会評議員、昭和町農業会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で東京都地方区から日本自由党公認で出馬して当選し(補欠、任期3年)、参議院議員に1期在任した。 その他、西川工業代表取締役、西川総業会長、東亜産業専務取締役、多摩川製作所社長、東京復興産業代表取締役、南州肥料監査役、東京商工会議所議員、三多摩工業連合会長、立川専門学校(のち東京都立立川短期大学)理事、日本獣医畜産専門学校(現日本獣医生命科学大学)理事、昭島農業協同組合長、東京都全国共済農業協同組合連合会副会長、東京都経済農業協同組合連合会理事などを務めた。
東光 武三 (とうこう たけぞう、1906年1月19日 - … 東光 武三 (とうこう たけぞう、1906年1月19日 - 1945年4月1日)は、日本の外交官。阿波丸事件で死去した。死後設立された阿波丸会では、妻の孝子(日加協会事務局長)が中心的立場となった。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
吉村 寿雄(よしむら かずお、1906年 - 1986年1月… 吉村 寿雄(よしむら かずお、1906年 - 1986年1月1日)は日本の実業家。元富士ゼロックス社長・会長。
縣 康(あがた やすし、1906年 - 2000年5月3日)… 縣 康(あがた やすし、1906年 - 2000年5月3日)は、日本の教育者、経営学者。立教大学元教授、立教高等学校(現・立教新座中学校・高等学校)元校長、立教英国学院創設者・元校長・理事、香蘭女学校元校長・理事、立教学院元理事・評議員。 1906年、静岡県生まれ。1930年、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。 富山薬学専門学校教頭を経て、1931年から立教大学で商業概論、銀行論、銀行会計などを講じる。1937年、立教大学教授に就任。 1944年、立教理科専門学校教授、同生徒部副部長に就任。1945年、GHQにより公職追放(立教関係者で追放された11名のうちの1名)となるが、翌年5月、司令部の解除により立教大学に復職。
川崎 巳三郎(かわさき みさぶろう、1905年11月29日 … 川崎 巳三郎(かわさき みさぶろう、1905年11月29日 - 1982年12月2日)は、日本の評論家。ペンネームは河本 勝男。 千葉県東金市出身。1931年東京商科大学(現一橋大学)卒業。マルクス経済学者大塚金之助の門下。 大学卒業後は、企画院嘱託を経て、満鉄調査部員となり、満鉄調査部事件で石堂清倫、中西功、野々村一雄らとともに検挙された。 日本共産党自治体部副部長や、プロレタリア科学研究所常任中央委員も務め、左翼の理論家として知られた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
高橋 泰蔵(たかはし たいぞう、旧字:髙橋泰藏。1905年1… 高橋 泰蔵(たかはし たいぞう、旧字:髙橋泰藏。1905年10月9日 - 1989年5月22日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元日本学士院会員。 静岡県出身。1929年東京商科大学(現一橋大学)学部卒。同期に深見義一一橋大名誉教授がいる。東京商大教授、戦後一橋大教授。1960-61年一橋大学附属図書館長。1961-64年学長。1981-1989日本学士院会員。近代経済学専攻。貨幣論、金融論。 佐藤定幸(一橋大学名誉教授)、石川滋(一橋大学名誉教授)は、高橋ゼミナールの出身。
大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 19… 大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 1989年3月10日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1960年)。一橋大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。キリスト教徒であり青山学院大学学長も務めた。従三位勲二等瑞宝章。妻は宮城県会議長・南條秀夫の長女。 1905年、福島県会津若松市で生まれた。1923年3月、 会津中学校を卒業して小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学。1926年3月に小樽高等商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。1929年3月に同校を卒業。 卒業後は、1929年7月より母校である東京商科大学の補手に着任。1930年11月、高等試験司法科試験に合格。
呉 金川(ご きんせん、1905年6月23日 - 1997年… 呉 金川(ご きんせん、1905年6月23日 - 1997年11月17日)は、台湾の銀行家。彰化商業銀行総経理、董事長、中華民国国際工商経営研究社連合会主席などを務めた。 日本統治時代の台湾の台南市で生まれた。台南高等商業学校(のちの台北高等商業学校台南分教場、台湾大学管理学院)での成績が優秀であったため、旧制東京商科大学(現一橋大学)で高垣寅次郎ゼミに所属して金融を学び卒業し、学士の学位を取得した。卒業後満州中央銀行に入行。1940年、満州国に訪ねてきた一橋の先輩である呉三連の仲人で、東京にて楊肇嘉の娘と結婚式を挙げた。 日本の降伏後、国民政府の東北経済研究所副所長となる。1949年台湾省合作金庫業務部経理。
岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955… 岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955年3月3日)は、日本の会計学者。元一橋大学商学部教授。 東京都新宿区西大久保生まれ。先祖は武蔵野の郷士で、家には家系図が残されている。 1923年3月、私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)第4学年修了後、父の死去により、就職のためから早稲田実業学校(現・早稲田実業学校高等部)へ編入、1年間在籍するも、就職はしなかった。1930年、東京商科大学本科卒業、同年同大学研究科入学。大学時代はマックスウェーバーの研究に取り組む。1931年、中央会計研究所入所。1932年、東京商科大学研究科修了。1933年、東京商科大学予科講師、1937年同教授、1941年同大学助教授兼予科教授。
高橋 貞樹(たかはし さだき、1905年3月8日 - 193… 高橋 貞樹(たかはし さだき、1905年3月8日 - 1935年11月2日)は、日本の水平運動家、共産主義者。 1920年代から30年代前半、すなわち、大正末期から昭和初期にかけての社会主義運動・水平運動・労農運動の先駆者の一人であり、理論と実践の両面で足跡を残した。ただし主著『特殊部落一千年史』は「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」(1919年7月)の「無断まる写し」とも指摘されている。 大分県に生まれる。出生地には諸説があり、速見郡御越町(現在の別府市)内竈とする資料もあれば、「僕は大分県速見郡亀川村の部落出身」と自称していたこともあり、「速見郡海門寺に生れたりというも、かかる村は全然なし」と報じられたこともある。
川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1… 川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1日 - 1986年(昭和61年)3月29日)は日本の実業家。日産自動車中興の祖として知られ、同社の社長や会長、日本自動車工業会初代会長、経団連副会長、日経連副会長などを歴任した。 茨城県東茨城郡上大野村大字吉沼(現在の水戸市吉沼町)に生まれる。川又家は、昔はこの集落の庄屋のような家柄だった。明治になって子供がいなかったので、旧水戸藩士の田辺家から養女を迎えた。これが母錦(きん)である。母が17歳のとき、同じ土地の丹下という家から父の操(みさお)が養子にきた。父は水戸の専売局の太子出張所に勤める一役人にすぎず、いわば半農半勤の家計だったので、母は慣れない農事に精を出しながら、しだいに田畑を手放していかざるをえなかった。
川村 勝巳(かわむら かつみ、1905年3月1日 - 199… 川村 勝巳(かわむら かつみ、1905年3月1日 - 1999年3月11日)は、日本の経営者。大日本インキ化学工業社長を務めた。 栃木県出身。1929年に東京商科大学を卒業。三井物産での勤務を経て、1937年に大日本インキ化学工業取締役に就任し、1944年に常務、1950年に専務を経て、1958年4月には社長に就任し、1978年6月までに務めた。1969年に日本経営者団体連盟会長にも就任。 1967年3月に藍綬褒章を受章し、1982年5月に勲二等瑞宝章を受章。 1999年3月11日心不全のために死去。94歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
福田 久雄(ふくだ ひさお、1905年1月3日 - 1984… 福田 久雄(ふくだ ひさお、1905年1月3日 - 1984年2月16日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長を務めた。徳島県出身。 1925年に東京商科大学専門部を卒業し、同年に大阪商船に入社した。 1953年5月に取締役に就任し、1957年11月に専務、1959年5月に副社長を経て、1967年5月に社長に就任。1972年5月に会長、1975年5月に取締役相談役を経て、1976年6月には相談役に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1975年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1984年2月16日肺炎のために死去。79歳没。
美濃口 時次郎(みのぐち ときじろう、1905年 - 198… 美濃口 時次郎(みのぐち ときじろう、1905年 - 1983年)は、日本の社会政策学者・官僚。専門は、人口問題・労働問題等。協調会参事・内閣調査局専門委員・企画院調査官を経て、名古屋大学経済学部教授兼一橋大学教授(併任)等を務めた。経済学博士(一橋大学・1949年)。 東京市小石川区久堅町出身。1927年東京商科大学(現一橋大学)を卒業し協調会入所。上田貞次郎門下で人口問題を専攻し上田主宰の日本経済研究会に参加。協調会参事を経て、1935年内閣調査局入局。内閣調査局専門委員を経て、1937年から企画院で副調査官や調査官を務め、1941年に閣議決定に至った人口政策確立要領の起案を担当。同年『人口問題』を出版。
佐倉 潤吾(さくら じゅんご、1905年 - 1964年12… 佐倉 潤吾(さくら じゅんご、1905年 - 1964年12月10日)は、日本の翻訳家。東京府立第一中学校卒、1929年東京商科大学(現一橋大学)卒、東京日日新聞入社。戦後、毎日新聞ニューヨーク支局長、論説委員。定年後は推理小説を多く翻訳した。
相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983… 相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983年1月31日)は、専修大学理事長、専修大学総長。専修大学創立者の相馬永胤の孫。経済学博士。専門は保険論。岡山県岡山市出身。 1924年東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。1930年(昭和5年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、専修大学講師。1932年東京商科大学旧制大学院修了。1938年専修大学教授。その後、学生部長・就職指導部長・を歴任。1955年商経学部長。1957年体育部長。1961年経営研究所長。1961年専修大学にて論題「新価保険」で経済学博士を受く。 1961年(昭和36年)専修大学第10代学長。
花岡 彌六(はなおか やろく、1904年 <明治37年> 1… 花岡 彌六(はなおか やろく、1904年 <明治37年> 11月18日 - 1986年 <昭和61年> 9月5日)は、日本の実業家。電気化学工業(現・デンカ)代表取締役社長を務めた。位階は正四位。 長野県諏訪郡湊村(現・岡谷市)出身。旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。1929年に藤原銀次郎の紹介で電気化学工業(現・デンカ)に入社、1955年同社取締役、1958年同社常務取締役を経て、1970年同社代表取締役社長。1980年アセチレンブラック事業の強化を目的にデンカシンガポール設立。1981年代表取締役社長退任。 1970年藍綬褒章、1980年勲二等旭日重光章受勲。
金子 泰藏(かねこ たいぞう、1904年(明治37年)10月… 金子 泰藏(かねこ たいぞう、1904年(明治37年)10月23日 - 1987年(昭和62年)5月17日)は、日本の商学者、教育者、通訳者で一橋学院、東京国際大学の創立者である。1973年に勲三等旭日中綬章受章。 1904年10月23日、東京の浅草で生を受ける。旧制府立三中に進学し、卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)に入学した。在学中に後の国連大使・加瀬俊一と知り合い、同じ語学クラブとして英語を学ぶことになる。大学卒業後、東京商工会議所に就職し、外国課長として貿易業務を行いながら、新設されたばかりの上智大学にて教授として英語を教えていた。1941年太平洋戦争が開始されると、三菱、三井と共に軍需産業を行っていた日本鉱業の海外課長となり、海外調査の業務全般を行う。
瀬沼 茂樹(せぬま しげき、1904年10月6日 - 198… 瀬沼 茂樹(せぬま しげき、1904年10月6日 - 1988年8月14日)は、日本の文芸評論家、翻訳家。本名は鈴木忠直。 東京府生まれ。1929年、東京商科大学(現一橋大学)卒。金子鷹之助ゼミでノヴァーリスを学んだ。在学中伊藤整と知り合い終生の親友となる。出版社に勤め、1930年、伊藤の『文芸レビュー』同人となり、谷川徹三の知遇を得て評論活動を始める。1932年、イポリット・テーヌの『文学史の方法』を翻訳、岩波文庫から刊行。唐木順三、藤原定らと季刊『理論』を創刊、1933年、最初の著書『現代文学』を上梓、1934年、埼玉県立商業学校教師、1935年、川越中学校教師、1937年から化粧品会社に勤め、執筆活動を一時休止。
太田 可夫(おおた よしお、1904年(明治37年)7月31… 太田 可夫(おおた よしお、1904年(明治37年)7月31日 - 1967年(昭和42年)7月4日)は、日本の哲学者である。 三重県に生まれ、東京商科大学(現在の一橋大学)に入学する。1928年(昭和3年)に卒業後は、母校の予科教授として活動し教鞭を執った。1943年(昭和22年)には教授に昇格し、同大学が一橋大学に校名変更した際に新しい教育体制の確立に携わる。 その後はジョン・ロックやトマス・ホッブズ等イギリス哲学やイマヌエル・カント等ドイツ哲学といったヨーロッパの哲学者の研究に携わり、社会思想の研究者の育成にも力を入れた。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。
村崎 敏郎(むらさき としろう、1904年(明治37年)7月… 村崎 敏郎(むらさき としろう、1904年(明治37年)7月23日 - 1962年(昭和37年)4月19日)は、日本の演劇活動家、翻訳家。 東京府東京市深川区(現・東京都江東区深川)生まれ。1927年東京商科大学卒。演劇運動を行い、東京文化学園教諭。武蔵野高等学校教諭。戦後はもっぱら推理小説の翻訳を行った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松本 雅男(まつもと まさお、1904年7月16日 - 19… 松本 雅男(まつもと まさお、1904年7月16日 - 1993年2月10日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。 1904年、和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。1922年和歌山県立和歌山商業学校卒、1925年山口高等商業学校卒業、同年歩兵第8連隊入営、1927年青島学院商業学校教諭、1929年大日本帝国陸軍少尉、1931年東京商科大学(現一橋大学)本科卒。金融論の井浦仙太郎ゼミ出身で、本科2年時に、論文「戦時戦後におけるわが国為替相場変動の研究」が鳳聚会二等上席に入選し出版される。 大学卒業後は彦根高等商業学校金融論担当助教授就任が一旦決まったが、その後担当が専門外の原価計算及び簿記と変わり、辞任も考えた末以降会計学専攻に転じて高瀬荘太郎に師事し同職を務めた。
高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 19… 高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。 岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学では当初福田徳三ゼミナールに参加したが、福田の留学のため大塚金之助の指導を受けた。卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:ヨセフ・シュンペーターの研究」だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。 1927年指導教官大塚金之助の推薦を受け、母校東京商科大学助手に就任。1927年、渋沢栄一の孫である尾高豊作や尾高朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本栄一とともに同研究所での活動に従事。
鹿島 宗二郎(かしま そうじろう、1904年(明治37年)6… 鹿島 宗二郎(かしま そうじろう、1904年(明治37年)6月13日 - 1980年(昭和55年)6月1日)は、日本の諜報員、著述家、翻訳家。別名吉田 東祐(よしだ とうすけ)。筆名高杉 三郎。 東京生まれ。東京府立第四中学校(のちの東京都立戸山高等学校)を経て、1927年に東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業後、鉄鋼会社に入社。 共産主義を研究するため退社し、横浜専門学校(のちの神奈川大学)教授や、第一飛行学校理事も務めたが、教壇を追われたため、麹町区飯田町にて古本屋「三一書房」を立ち上げ、日本共産党に入党(中央委員会直属特別資金局B班)。 逮捕され執行猶予判決を受けるなどし、1936年に中国に渡り、秋草俊中佐や大使館付武官だった喜多誠一の発案で、大日本帝国陸軍の下、上海租界に潜入して情報網を築き、日中戦争開戦後は、和平交渉に従事した。
北條 秀一(北条、ほうじょう しゅういち / ひでいち、19… 北條 秀一(北条、ほうじょう しゅういち / ひでいち、1904年(明治37年)5月31日 - 1992年(平成4年)8月23日)は、日本の実業家、政治家、郷土史家。引揚者団体全国連合会理事長、参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)、日本国有鉄道顧問。 兵庫県城崎郡竹野村(現豊岡市竹野町竹野)の宮大工の家に生まれる。竹野小学校を経て、1924年神戸商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)予科に入学。大学では自治組織の一橋会総務理事を務めたが、1929年に大山郁夫へ献金を行ったとして逮捕された。1930年大学卒業。同年南満洲鉄道に入社。1932年、満鉄調査部経済調査会に配属される。参与兼総務課長を経て、理事に就任。
古川 栄一(ふるかわ えいいち、1904年4月29日 - 1… 古川 栄一(ふるかわ えいいち、1904年4月29日 - 1985年4月30日)は、日本の経営学者。学位は、商学博士(一橋大学・論文博士・1954年)。一橋大学名誉教授。増地庸治郎門下、増地の経営財務論を継承。一橋大学商学部教授を経て、同門の招きで青山学院大学教授に就任。郵政省顧問等も歴任。藍綬褒章受章。 新潟県古志郡長岡町(現:長岡市)出身。現在の長岡商業高校を経て、1929年に東京商科大学(現:一橋大学)経営学科卒業。1954年「財務管理の本質と組織に関する研究」で一橋大学より商学博士の学位を取得。学生時代に受洗。大学では上田貞次郎教授のゼミを希望していたが、人気のため果たせず、増地庸治郎助教授のゼミに参加。
竹中 龍雄 (たけなか たつお、1904年4月16日 - 1… 竹中 龍雄 (たけなか たつお、1904年4月16日 - 1989年2月16日)は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授。 島根県浜田市生まれ。1921年東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)修了。1927年東京商科大学(現一橋大学)卒業。上田貞次郎に師事。同年同大学補手。1930年大阪商科大学(現大阪公立大学)助手。1931年同講師。1932年同助教授。1944年同教授。1947年神戸経済大学附属経営学専門部教授。1950年神戸大学経営学部教授。1952年郵政審議会委員。1955年経営学博士。1958年電気料金制度調査会委員。1960年塩業審議会専門委員。1962年電気事業審議会専門委員。
瀬木 博政(せき ひろまさ、1904年3月30日 - 200… 瀬木 博政(せき ひろまさ、1904年3月30日 - 2002年9月18日)は日本の実業家、博報堂代表取締役名誉会長。東京都出身。
由井 敢(ゆい いさむ、1904年(明治37年)3月20日 … 由井 敢(ゆい いさむ、1904年(明治37年)3月20日 - 1985年(昭和60年)5月16日)は、日本の実業家。住友電気工業副社長。 製紙王藤原銀次郎の妻禄子の兄の孫。 鳥取県西伯郡境町(現在の境港市)出身。由井哲三の長男。 1924年(大正13年)、東京商科大学(現在の一橋大学)附属商学専門部を卒業。住友電気工業入社。 1946年(昭和21年)、東京支店長に就任。1947年(昭和22年)、取締役に挙げられた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
森 泰吉郎(もり たいきちろう、1904年〈明治37年〉3月… 森 泰吉郎(もり たいきちろう、1904年〈明治37年〉3月1日 - 1993年〈平成5年〉1月30日)は、日本の実業家、経営史学者。森ビルおよび森トラスト・ホールディングスの創業者。学者として横浜市立大学で商学部長・教授などを務めたが、学長選挙に出馬した結果学内抗争に巻き込まれ、地方公務員法の兼業禁止違反として退職した。 東京府東京市芝区南佐久間町(現・港区西新橋)に生まれる。実父磯次郎は、米屋·貸家業を営む森竹次郎·リウの養子だった。幼少期は病弱だったため、人情深い大家だった両親に大事に育てられたという。大倉高等商業学校(現東京経済大学)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。賀川豊彦の『死線を越えて』やマクシム・ゴーリキーの『母』に感動し、一方で自分が不労所得を得る地主階級である事に懊悩したが、大学で上田貞次郎の「企業者は公共社会への貢献を使命としている」という所説に接してアイデンティティーの確立に大きな影響を受けたという。
塚田 十一郎(つかだ じゅういちろう、1904年〈明治37年… 塚田 十一郎(つかだ じゅういちろう、1904年〈明治37年〉2月9日 - 1997年〈平成9年〉5月23日)は、日本の弁護士、税理士、政治家。位階は正三位。 参議院議員(3期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第5代)、新潟県知事(公選第5・6代)などを歴任。 新潟県中頸城郡春日村(現在の新潟県上越市)出身。農業・塚田亀之助の六男。旧制新潟県立高田中学校(現在の同県立高田高等学校)、大連中学校を経て1928年(昭和3年)、東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業。高等文官試験行政科、司法科に各合格。 昭和金融恐慌後の不況により就職活動は難航、やがて伝をたどって小橋一太(元文部大臣)の居候兼書生となる。
石田 龍次郎(いしだ りゅうじろう、1904年1月4日 - … 石田 龍次郎(いしだ りゅうじろう、1904年1月4日 - 1979年1月11日)は、日本の地理学者。一橋大学名誉教授。日本地理学会会長(1966-67)。 石川県能美郡小松町(現・小松市)で酒類販売商を営む麦谷家の六男として生まれる。14歳で尋常高等小学校の高等科を修了し、石川県立小松中学校に入学する。1921年第四高等学校理科甲類に入学し、1924年に卒業。1927年、東京帝国大学理学部地理学科卒業。在学中は山崎直方、辻村太郎、多田文男等の指導を受ける。同年4月、石田姓を継いで石田龍次郎と改姓。同年東京商科大学予科講師に就任。同専門部講師、予科教授を経て、1949年一橋大学社会学部教授。1967年、定年退官、名誉教授。
金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - … 金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - 1984年(昭和59年))は、日本の経済学者・経営学者・教育者。専門は社会思想史・簿記論。元・札幌商業高等学校校長。北海道生まれ。 この他、1949年(昭和24年)北海学院兼任教授や、1949年(昭和24年)~1956年(昭和31年)まで学校法人北海学園理事。また、1948年(昭和23年)~1984年(昭和59年)まで学校法人北海学園評議員。
渡邊進(渡辺進、わたなべすすむ、1903年12月18日-19… 渡邊進(渡辺進、わたなべすすむ、1903年12月18日-1977年9月12日)は、日本の会計学者である。神戸大学名誉教授。日経・経済図書文化賞、産業教育80年記念教育功績者受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三宅 孝雄(みやけ たかお、1903年 <明治36年> 11… 三宅 孝雄(みやけ たかお、1903年 <明治36年> 11月13日 - 1978年 <昭和53年> 4月11日)は、日本の経営者。安藤建設社長を務めた。位階は正五位。 山口県出身。1924年に東京商科大学専門部を卒業し、同年に日本綿花に入社。1955年5月に取締役に就任し、1958年に常務、1959年に専務、1960年11月に副社長を経て、1964年12月に安藤建設専務に就任し、1965年5月に副社長を経て、1969年10月から1976年6月までに社長を務めた。 1974年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1978年4月11日尿毒症のために死去。74歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
飯田 道彦(いいだ みちひこ、1903年11月3日 - 19… 飯田 道彦(いいだ みちひこ、1903年11月3日 - 1967年12月19日)は、日本の経営者。日動火災海上保険元社長。神奈川県出身。 1928年に東京商科大学を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。 1950年に取締役に就任し、1953年に常務を経て、1954年から1961年までに社長を務めた。 1967年12月19日腹膜炎のために死去。64歳没。