スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
内田 ことこ(うちだ ことこ、本名・旧登録名:内田 琴子〈読… 内田 ことこ(うちだ ことこ、本名・旧登録名:内田 琴子〈読み同じ〉、2002年10月4日 - )は、北海道空知郡南幌町出身の日本の女子プロゴルファー。加賀電子所属。 ゴルフ好きの父に影響をうけて6歳からゴルフを始める。2014年『北海道高等学校ゴルフ選手権』小学生の部で優勝。中学生では2015年の『北海道高等学校・中学校ゴルフ選手権春季大会』や2016年の『北海道ジュニアゴルフ選手権』女子12~14歳の部で優勝を飾る。 北海学園札幌高等学校に進学すると2018年の『北海道女子アマチュアゴルフ選手権』や2019年の『全国高校ゴルフ選手権北海道大会』で優勝し、同年の『日本女子アマチュアゴルフ選手権』では10位に入る。
政田 夢乃(まさだ ゆめの、2000年7月28日 - )は、… 政田 夢乃(まさだ ゆめの、2000年7月28日 - )は、日本の女子プロゴルファー。北海道札幌市出身。なないろ生命所属。 北海学園札幌高等学校在学時に「全国高等学校ゴルフ選手権」「北海道ジュニア選手権」で優勝するなど、早くから才能を開花させてきた。 2021年、マイナビネクストヒロインゴルフツアー第6戦「ENTRY Ladies Tournament」で初優勝。 2023年、同ツアーでシーズン4勝を記録した。同年の最終プロテストに合格。2024年5月23日から26日に行われた自身初のレギュラーツアーとなるリゾートトラストレディスでは8位に入賞した。 2024年9月には建設会社の安藤ハザマとスポンサード契約を締結した。
伊藤 沙菜(いとう さな 1989年8月16日 - )は、北… 伊藤 沙菜(いとう さな 1989年8月16日 - )は、北海道札幌市出身のローカルタレント、AonA(あおな)のメンバー、元フットサル選手。 配偶者は株式会社アンドセイス(& SEIS.inc)代表の梶原 剛社長と2026年1月1日に入籍 アップフロントグループの社内カンパニーであるアップフロントエージェンシー社 札幌支社およびフットサルチーム・サッポロチェルビーズに所属していた。背番号3。 自称(将来の目標)「女版大泉洋さん」。合言葉は「チェイ!」。 北海学園札幌高等学校出身。 「ミス北海道ウォーカー」2007準グランプリを受賞。 タレントの木村愛里と北海学園札幌高等学校時代の同級生であることを自身のブログで公表している。
木村 愛里(きむら あいり、1989年7月6日 - )は、北… 木村 愛里(きむら あいり、1989年7月6日 - )は、北海道札幌市出身のタレント、女優、血液型はB型。身長154cm。所属事務所は札幌市豊平区美園に本社を置く「ミュージックファン」。 4歳の時に札幌の児童劇団「劇団フルーツバスケット」に所属し、5歳から子役としてテレビドラマやCM等への出演を開始。ミュージカル公演など舞台でも経験を積む。小学校4年生の時に出演した舞台をきっかけに本格的に俳優への活動を始める。 劇団を退団後、2003年8月に「河合絵里香 with SUPER NAVIGETY’S!」のメンバーAIRIとして歌手デビュー。2004年10月にNHK「POP JAM」出演。2006年10月に「SUPER NAVIGETY’S!」は突然解散。
鈴木 康弘(すずき やすひろ、男性、1987年11月25日 … 鈴木 康弘(すずき やすひろ、男性、1987年11月25日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。北海道札幌市出身。2012年ロンドンオリンピック・ウェルター級日本代表。 自衛隊体育学校ボクシング班に所属していた元自衛官(自衛隊での階級は3等陸尉)。右フックを武器としていた。 小学校時代、スポーツは得意だったが、ひ弱な風貌と優しく気が弱い性格が災いし、学校帰りに10人ほどから集団リンチのような暴行を頻繁に受けていた。強くなりたいと願い、小学校4年生の時、地元・札幌市豊平区に赤坂義昭が開設したジムに入門し、プロ志向の大人たちとスパーリングをしていた。中学時代は転居のためにジムに通えなくなったことからバスケットボールをした。
西村 朝香(にしむら ともか、1986年9月19日 - )は… 西村 朝香(にしむら ともか、1986年9月19日 - )は、日本の元歌手、元ギタリスト、元キーボーディスト。本名は同じ。ZONEの元メンバー。北海道札幌市出身。かつての所属芸能事務所はランタイムミュージックエンタテインメント。かつての所属レコード会社はソニー・ミュージックエンタテインメントで、レーベルはSony Records。血液型はO型。 芸能養成スクールのスタジオ・ランタイムに入所し1998年に当時ダンス&ボーカルグループであったZONEに加入したが、2001年にシングル「GOOD DAYS」でメジャーデビューする際にメンバーから外されてしまった。 その後はRunZのメンバーとしてインディーズでの活動を主に、チュエル'sのメンバーに本名名義で参加、2001年5月9日にシングル「風と光とうたと」でSony Recordsよりメジャーデビューを果たす。
湯浅 直樹(ゆあさ なおき、1983年4月24日 - )は日… 湯浅 直樹(ゆあさ なおき、1983年4月24日 - )は日本のアルペンスキー選手。現在はYUASA SNOW ACADEMY代表 株式会社ヤマヲ所属。 冬季オリンピック3大会出場(2006年 トリノ・2014年 ソチ・2018年 平昌)。 日本人で初めて国産のスキー(Hart)を使用してワールドカップで表彰台に立った。この時に使用したスキーはアルペングループ(名古屋)の子会社である株式会社ジャパーナが制作した純国産のスキー。 アルペンスキーにおける独立した世界3大大会(オリンピック・世界選手権・ワールドカップ)の全てで入賞を果たした日本人唯一の選手。 ワールドカップにおけるクオリファイ(1本目30位以内に入り2本目に進出すること)回数は48回であり、日本人で最も長い15年間連続でクオリファイし続けた記録を持つ。
亀海 喜寛(かめがい よしひろ、1982年11月12日 - … 亀海 喜寛(かめがい よしひろ、1982年11月12日 - )は、日本の元プロボクサー。北海道札幌市出身。第33代日本スーパーライト級王者。第38代OPBF東洋太平洋ウェルター級王者。帝拳ボクシングジム所属。入場曲はMr.Children「終わりなき旅」。ニックネームは"鋼の心臓"を意味する「Corazón De Acero」。 札幌商業高校(現・北海学園札幌高等学校)在学中の2000年、インターハイにライト級で出場し、優勝を収めた。帝京大学に進学後の2004年には彩の国まごころ国体成年の部にライトウェルター級で優勝(決勝で、後にプロで日本スーパーフェザー級王者となった岡田誠一を降す)、さらに同年の全日本選手権にもライトウェルター級で出場し、優勝(決勝で、後の世界選手権銅メダリスト、北京五輪出場の川内将嗣を降す)を収めてアマチュア3冠を獲得した。
草刈 滉一(くさかり こういち、1966年3月11日 - )… 草刈 滉一(くさかり こういち、1966年3月11日 - )は、日本の元俳優。本名、刈田 浩三()。 北海道出身。札幌商業高等学校(現・北海学園札幌高等学校)卒業。東映俳優センターに所属していた。 東映演技研修所を経て、1985年に俳優デビュー。 1987年に放送されたスーパー戦隊シリーズ『光戦隊マスクマン』(テレビ朝日)のケンタ / ブラックマスク役を演じた。 1989年に芸能界を引退し、千葉県で会社員を勤めている。 『マスクマン』の前作、『超新星フラッシュマン』のオーディションを受けて落ちていたため「フラッシュマン崩れ」と言われていた。 共演者の海津亮介は、草刈について器用ではないがだからこそ出る味があるタイプの役者と評しており、演じるケンタの性格そのものであったと述べている。
佐藤 博正(さとう ひろまさ、1955年8月10日 - )は… 佐藤 博正(さとう ひろまさ、1955年8月10日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 札幌市立北辰中学校時代から本格派投手として知られ、道内の複数の強豪校から誘われたが、中学の先輩である中島憲二が監督を務める札幌商業高校に進む。同高では1年秋からエースとなり、3年次の1973年の春季北海道大会で準優勝。同年の夏の甲子園南北海道予選では、決勝で夕張南高を完封し甲子園出場を決める。この予選では7試合62イニングで93奪三振を記録したが、これは夏の地方大会としては近藤重雄(1960年、110奪三振)、沢村栄治(1934年、97奪三振)に次ぐ記録であった。夏の選手権では、1回戦で京都商の小竹重行(同大-日本新薬)と投げ合い、延長11回0-1で惜敗。
五代目 柳亭 痴楽(りゅうてい ちらく、1951年11月30… 五代目 柳亭 痴楽(りゅうてい ちらく、1951年11月30日 - 2009年9月7日)は、北海道石狩郡当別町生まれの落語家。落語芸術協会所属、同協会常任理事を務めたが、病臥後は相談役に退いていた。出囃子は『将門』、定紋は「蔓結びかたばみ」、本名:澤邊 幸三。 札幌商業高校中退後、1968年1月に四代目柳亭痴楽に入門。前座名は「痴太郎」。 1972年5月に二ツ目昇進、「小痴楽」と改名。1976年にNHK新人落語コンクール優秀賞を、1979年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 1983年5月に四代目春雨や雷蔵、古今亭寿輔、三笑亭夢之助、桂京丸、五代目春風亭柳條、三遊亭春馬と共に真打昇進。 1989年、国立演芸場花形新人大賞受賞。
角田 幸司(かくた こうじ、1951年10月11日 - )は… 角田 幸司(かくた こうじ、1951年10月11日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 札幌商業高校(現在の北海学園札幌高等学校)→1970年雪印乳業入社 1976年インスブルックオリンピックに出場し70m級24位の成績を残した。1981年に現役引退した後はコーチとして後進を指導した。
工藤 明朗(くどう あきお、1947年(昭和22年)2月15… 工藤 明朗(くどう あきお、1947年(昭和22年)2月15日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。1968年メキシコシティーオリンピックで男子トーナメントに出場した。 北海道苫小牧市沼ノ端出身。 北海学園札幌高等学校卒業。同校のホッケー部は1960年代には連年全国大会に出場した強豪であり、メキシコシティーオリンピックでの工藤のチームメイトである井出信夫・西村省三も同校出身である。 明治大学に進学し、ホッケー部に所属(井出・西村も同じく明治大学に進んだ)。明治大学在学中にホッケー日本代表に選ばれる。なお、この時の日本代表チームの主力は明治大学の選手であった。 1969年明治大学を卒業。 井出信夫 | 大塚智万 | 恩田昌史 | 加奥成雄 | 上村幸夫 | 河村一夫 | 工藤明朗 | 高島昭男 | 田中博司 | 長屋恭一 | 松本紀彦 | 安田善治郎 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 西村省三 | 吉村実 | 和田明仁 | 監督: 市川日出男 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
当銀 秀崇(とうぎん ひでたか、1946年2月1日 - )は… 当銀 秀崇(とうぎん ひでたか、1946年2月1日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(外野手)。 札幌商業高校では1年生の時、背番号14の控え選手ながら1961年の夏の甲子園に出場。1回戦で大社高の若月宏之投手(立大-全大丸)に抑えられ1-9で大敗。 1962年はエースとして秋季北海道大会決勝に進むが、北海高の吉沢勝と投げ合い完封負け、春の選抜出場を逸する。 1963年春季北海道大会決勝でも北海高に敗退。同年夏も南北海道予選で敗れ、甲子園には届かなかった。 卒業後は駒澤大学へ進学。東都大学野球リーグでは1年生からレギュラー外野手となり、1964年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも、高校の先輩である盛田昌彦投手(北海道拓殖銀行)を擁し、決勝で早大を破り優勝。
西村 省三(にしむら しょうぞう、1945年9月26日 - … 西村 省三(にしむら しょうぞう、1945年9月26日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。1968年メキシコシティーオリンピックに出場。 北海学園札幌高等学校卒業。同校のホッケー部は1960年代には連年全国大会に出場した強豪であり、メキシコシティーオリンピックでの西村のチームメイトである井出信夫・工藤明朗も同校出身である。 明治大学に進学し、ホッケー部に所属(井出・工藤も同じく明治大学に進んだ)。1968年明治大学を卒業。 1968年メキシコシティーオリンピックの男子トーナメントに出場した(実業団や学校に所属しておらず、「自営」とされている)。この大会のホッケー日本代表は、明治大学ホッケー部在籍・出身者が主力を占めている。
益子 峰行(ましこ みねゆき、1942年8月6日 - )は、… 益子 峰行(ましこ みねゆき、1942年8月6日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手。 札幌商業高等学校-駒澤大学-北海道拓殖銀行 札幌オリンピックでは代表に選ばれ、開会式で旗手を務めたものの競技では出番はなく、チームマネージャー的な役割を果たした。1974年ノルディックスキー世界選手権代表となり70m級31位だった。 札幌オリンピックで補欠に決まった後、笠谷幸生のサポートに徹して、殺到するカメラマンとの距離を作り金メダルの陰の立役者となった。笠谷とは青森での大会で日本酒とメザシを肴に打ち解け、以来「あの笠谷さんが唯一いうことを聞いた人」と呼ばれた。
新保 鋭(しんぽ さとし、1941年10月26日 - 20… 新保 鋭(しんぽ さとし、1941年10月26日 - 2005年5月31日)は、日本の元スピードスケート選手である。 北海道出身。札幌商業高等学校卒業後、明治大学に入学。 明治大学在学時の1964年にインスブルックオリンピックに出場、500mで41位、1,500mで34位、5,000mで23位、10,000mで24位であった。 1962年の第31回全日本スピードスケート選手権大会で優勝。 2005年5月31日、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) のため札幌市中央区の病院で死去。
蓬田やすひろ(よもぎだ やすひろ、本名:蓬田容洽(やすひろ)… 蓬田やすひろ(よもぎだ やすひろ、本名:蓬田容洽(やすひろ)、1941年3月14日 - )は北海道札幌市出身のイラストレーター。
阿座上 洋吉(あざがみ ようきち、1933年4月21日 - … 阿座上 洋吉(あざがみ ようきち、1933年4月21日 - )は、北海道出身の経営学者。専門は、経営管理、簿記会計、流通経済、建設経営など。北海道における簿記会計の第一人者。現在、地域経済研究所理事長、北海学園北見短期大学名誉教授。 北海道建設業審議会長、国土交通省北海道開発局入札監視委員会委員長、北海道経済産業局官公需適格組合諮問委員会委員長 阿座上は、体をこわして休学して長期入院したため、8年間に渡り在学した。しかし、「この8年に、法律の勉強もした。この在学経験が、のちの教員人生にもいい影響を与えた」と、述べている。
梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月3… 梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月31日 - 2025年(令和7年)1月6日)は、日本の政治家。元北海道千歳市長(1期)、元日本会議千歳支部長。 北海道小樽市出身。札幌商業高等学校卒、自治大学校卒。1949年、千歳町役場に入る。同町商工係長を経て、監査事務局長、千歳市総務課長、市民部長、環境部長、1983年に総務部長。 1987年無所属で千歳市長選挙に立候補、当選したが、1991年に落選。 2013年(平成25年)4月29日付(春の叙勲)で旭日双光章を受章。 2025年1月6日、肺炎のため死去。91歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
菅原 勝伴(すがわら かつとも、1929年(昭和4年)8月1… 菅原 勝伴(すがわら かつとも、1929年(昭和4年)8月1日 - 2021年12月26日)は、日本の法学者。専門は民法、特に道路交通法・農地法。北海学園大学名誉教授。北海学園大学法学部の草創期を支え、大和哲夫・松浦栄らと共に教員確保に尽力した一人。小林巳智次の弟子。ゼミ生に佐藤のりゆきなど。 このほか、北海道大学法学部、同農学部、小樽商科大学の非常勤講師も務めた。
高木繁光(たかぎ しげみつ、1929年(昭和4年)7月23日… 高木繁光(たかぎ しげみつ、1929年(昭和4年)7月23日 - 2013年(平成25年)9月10日)は、日本の政治家。北海道議会議員(8期)、財団法人日本消防協会会長を務めた。 北海道豊平町(現・札幌市豊平区)出身。実家はリンゴ園。戦時中は陸軍少年飛行兵として父島におり、全機特攻命令を受けるが、終戦を迎え帰還した。 1947年(昭和22年)札幌商業学校卒業。家業に携わりながら北海短期大学に通い、1955年(昭和30年)北海学園大学経済学部卒業。大学時代は弁論部及び柔道部に所属。札幌市消防署に入署。その後、家庭裁判所調停委員などを経て、1975年自由民主党公認によって北海道議会議員に初当選。以後連続8期当選。
尾花 仙朔(おばな せんさく、1927年4月9日 -2018… 尾花 仙朔(おばな せんさく、1927年4月9日 -2018年5月22日)は、日本の詩人。 本名・三浦敬二郎。東京に生まれ、幼少期は宮城県七ヶ浜町で育つ。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)卒。仙台市在住。1957年「ユリイカ」に作品が掲載され、『荒地詩集』に参加。岡崎清一郎編集の詩誌『近代詩猟』『世界像』同人を経て、鈴木漠編集の『海』や塚本邦雄主宰の『玲瓏』に随時寄稿。
長岡 宗一(ながおか そういち 1925年 - 1994年1… 長岡 宗一(ながおか そういち 1925年 - 1994年10月8日)は、日本のヤクザ、北海道ボクシングジム経営者。北海道同志会(後の三代目山口組柳川組北海道支部)初代会長。北海道空知郡岩見沢町出身。通称はジャッキー。 大正14年(1925年)、北海道空知郡岩見沢町(現:岩見沢市志文町)で、長岡吉元と菊の子の12人兄弟の長男として生まれた。札幌市内の商業学校に進学し、在学中は、ボクシングと柔道の練習に打ち込んだ。 昭和36年(1961年)12月、三代目山口組柳川組・柳川次郎組長(本名は梁 元錫。通称はマテンの黒シャツ)は、札幌市で力道山一行のプロレス興行を行った。このとき、長岡は、柳川次郎と柳川組若頭・谷川康太郎(本名は康 東華。
松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 20… 桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 2011年10月16日)は、日本の画家。 戦後、安部公房、勅使河原宏らとともに「世紀の会」に参加し、アバンギャルド運動に大きく関わる。また、小河内ダム建設反対運動に加わり、ルポルタージュ絵画を製作した。 その後も、鋭い批判精神で社会を見据えた作品を発表し続けた。
鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 20… 鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 2008年1月12日)は、日本のオーボエ奏者。 北海道札幌市出身。父親は清元高輪派の名匠:清元清美太夫。 1942年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)在学中に、満州国建国10周年奉祝使節団として東京音楽学校によって組織されたオーケストラに参加し、首都・新京その他で演奏に加わった。1944年、東京音楽学校を学徒出陣で繰上げ卒業。海軍航空隊で終戦を迎えた。卒業演奏はグロヴレーズの「サラバンドとアレグロ」(1943年末の報国演奏会)で、ピアノ伴奏を中田一次が務めた。 復員後、研究科に復学、修了後は東京フィルハーモニー交響楽団、NHKサロン・アンサンブル、日本フィルハーモニー交響楽団(創立メンバー)を経て、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の結成に参画し、首席奏者、運営委員長、楽団長、名誉首席奏者を歴任、1992年のリサイタルまで長く演奏活動を続けた。
沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18… 沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18日 - 2007年6月5日)は、日本の小説家。北海道を代表する文芸同人誌『札幌文学』『北方文芸』の編集人・発行人としても活躍。元・財団法人北海道文学館理事長。 1920年(大正9年)、北海道札幌郡豊平町大字平岸村(現・札幌市豊平区平岸)で、リンゴ農家を営み、同町の町会議員も務めた澤田清五郎の五男として生まれる。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)第16期卒。札商卒業の頃から作歌を開始し、1941年(昭和16年)に陸軍高射砲学校入学。高射砲学校卒業後は小樽、北千島などに赴任、敗戦時は埼玉県栗橋町の高射砲陣地の中隊長。1947年(昭和22年)に西尾廣子と結婚。
大久保 正(おおくぼ ただし、1919年 - 1980年9月… 大久保 正(おおくぼ ただし、1919年 - 1980年9月)は、日本の国文学者、万葉学者。上代文学が専門。 1943年、東京帝国大学国文科卒。東京外国語大学助教授、北海道大学教授、国文学研究資料館教授。在職中に逝去。
浜森 辰雄(はまもり たつお、1916年2月9日 - 200… 浜森 辰雄(はまもり たつお、1916年2月9日 - 2009年9月4日)は、日本の政治家。北海道稚内市出身。第4代 - 第11代北海道稚内市長(1959年 - 1991年)。 1939年札幌商業学校、1941年早稲田大学政治経済学部(旧制)卒業。 北海道議会議員(日本社会党会派)を経て、1959年稚内市長に初当選。以後連続8期務め、稚内の天皇とまで称された。1983年に7月にソビエト連邦を初訪し、両国のパイプ役として活躍。同年12月には、ソ連対外友好・文化交流団体連合会より友好促進記章を贈られた。また同年9月の大韓航空機撃墜事件では、遺族対策や報道陣対応でこの年は多忙を極めた。1991年に9選を目指すも落選。
荒谷 正雄(あらや まさお、1914年1月31日 - 199… 荒谷 正雄(あらや まさお、1914年1月31日 - 1996年3月1日)は、日本の指揮者、ヴァイオリニスト。北海道札幌市出身。 1935年帝国音楽学校卒業後、1936年ヨーロッパに留学、ウィーン、ベルリンなどで学び、ヴァイオリンをヨゼフ・シゲティらに師事、ベルリン室内楽協会の団員として演奏活動を行い、1945年7月に帰国。1948年に札幌音楽院を開設、弦楽器のほか、ピアノ、声楽、作曲、美学、音楽史の講義を組み、1949年札幌音楽院管弦楽団を結成。1950年北海道文化賞受賞。1961年札幌交響楽団設立に参画、1968年まで初代常任指揮者を務めた。1986年北海道開発功労賞受賞。1997年札幌交響楽団から名誉創立指揮者の称号を贈られる。
佐川 直行(さがわ なおゆき、1914年 - 1970年5月… 佐川 直行(さがわ なおゆき、1914年 - 1970年5月4日)は、日本のプロ野球選手スカウト。大阪タイガース・阪神タイガースで大物選手の入団を担当した、1950年代後半から1960年代を代表する敏腕スカウトとして知られる。 1914年、北海道生まれ。旧制札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)から旧制立教大学へ進学。札幌商業時代は、1931年の夏の甲子園に出場した経験がある。ポジションは捕手。立教大学卒業後は、富士銀行で銀行員として働いていた。1945年11月には、同行数寄屋橋支店で勤務しており、同支店に口座を持っていた日本野球連盟が、同年に行われた東西対抗野球の入場料金を収納した際に窓口で応対している。
金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - … 金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - 1984年(昭和59年))は、日本の経済学者・経営学者・教育者。専門は社会思想史・簿記論。元・札幌商業高等学校校長。北海道生まれ。 この他、1949年(昭和24年)北海学院兼任教授や、1949年(昭和24年)~1956年(昭和31年)まで学校法人北海学園理事。また、1948年(昭和23年)~1984年(昭和59年)まで学校法人北海学園評議員。
久保 信(くぼ まこと、1903年8月19日 - 1991年… 久保 信(くぼ まこと、1903年8月19日 - 1991年6月29日)は、日本の男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。北海道出身。明治大学政治経済学部卒。 第1回全日本選手権(1929年度)の優勝者である。 札幌商工会議所会頭を務めた久保兵太郎の三男として北海道に生まれる。札幌商業学校時代の1923年、日本スケート会(日本スケート連盟の前身の一つ)主催のフィギュアスケート選手権に出場。明治大学に入学し、1926年から1930年(1927年は中止)まで日本学生氷上競技選手権(インカレ)で4大会連続2位となる。同大会の1928年から1930年までの優勝者は、金子諭吉(慶大)であった。 1929年のフィギュアスケート選手権(日本スケート会主催)では、金子を抑えて優勝する。
井原 栄松(榮松、いはら さかえまつ、1901年(明治34年… 井原 栄松(榮松、いはら さかえまつ、1901年(明治34年) - 1990年(平成2年) 12月4日)は、日本の政治家・地方公務員。北海道小樽市出身。札幌商業学校卒業。北海道の町村長を歴任した。位階は正六位。
野口祥昌(のぐち よしまさ、1900年(明治33年)7月30… 野口祥昌(のぐち よしまさ、1900年(明治33年)7月30日 - 1970年(昭和45年))は、日本の農業経済学者。 茨城県出身。1918年(大正7年)茨城県立土浦中学校(後の茨城県立土浦第一高等学校)卒業。1927年(昭和2年)北海道帝國大学農学部農業経済学科卒業。同年、北海中学校(後の北海高等学校)教諭。1943年(昭和18年)札幌商業学校(後の北海学園札幌高等学校)教頭。1949年(昭和24年)北海学院兼任教授。1950年(昭和25年)北海短期大学開学に伴い北海短期大学経済科助教授。1959年(昭和34年)札幌商業高等学校(後の北海学園札幌高等学校)校長に就任。学校法人北海学園理事。1968年(昭和43年)上原轍三郎理事長の死去にともない暫定的に学校法人北海学園理事長事務取扱を兼任。
坪川 武光(つぼかわ たけみつ、1909年 - 1940年1… 坪川 武光(つぼかわ たけみつ、1909年 - 1940年12月19日)は、北海道小樽市出身のクロスカントリースキー、ノルディック複合選手。 旧制札幌商業学校 → 早稲田大学 → 北海道庁 早大在学中、1930年の第8回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人18kmとリレーで優勝。翌1931年の全日本学生スキー選手権大会でも、早大チームのメンバーとして、クロスカントリースキー32kmリレーを制する。1932年レークプラシッドオリンピックの代表に選出され、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で15位、ノルディック複合では前半の距離で5位、総合でも日本人選手最高の15位に入る健闘を見せた。
敦賀 栄(つるが さかえ)は北海道出身の元スキージャンプ選手… 敦賀 栄(つるが さかえ)は北海道出身の元スキージャンプ選手。1970年代から1980年代前半にかけて活躍した。 札幌市立琴似中学校-札幌商業高等学校-北海道拓殖銀行 1977/1978シーズンのスキージャンプ週間では初戦のオーベルストドルフで9位となり総合36位、翌1978/1979シーズンは総合32位となった。スキージャンプ・ワールドカップでは1980年に札幌で4位(自己最高位)と6位になっている。 1978年ノルディックスキー世界選手権に出場、70m級19位、90m級45位だった。
谷口 牧子(たにぐち まきこ)は、日本の教育者・法学者、法学… 谷口 牧子(たにぐち まきこ)は、日本の教育者・法学者、法学博士(北海学園大学・1997年)。専門は、国際私法・知的財産法。現在、旭川工業高等専門学校教授。 1985年北海学園大学法学部卒業後、北海学園札幌高等学校教諭。1995年北海学園大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。その後、札幌学院大学法学部非常勤講師。1997年法学博士の学位を取得。1997年旭川工業高等専門学校一般人文科講師、同助教授を経て現職。2025年に定年退職後、嘱託教授として、再び旭川高専の教壇に立つ。 この他、札幌学院大学法学部非常勤講師(2010年より2017年まで)。旭川市情報公開・個人情報保護委員会委員、北海道大規模小売店舗立地審議会副部会長、独立行政法人大学評価・学位授与機構審査官、最高裁判所知的財産権訴訟専門委員などを歴任。