大谷 能生(おおたに よしお、1972年6月29日 - )は… 大谷 能生(おおたに よしお、1972年6月29日 - )は、日本の評論家、サックス奏者、ラッパーである。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。 青森県八戸市出身。中学生の頃にジャズを好きになった。青森県立八戸高等学校卒業。18歳から演奏を始める。 横浜国立大学教育学部中退。大学ではモダンジャズ研究会(YNU MODERN JAZZ SOCIETY)に所属していた。1991年入学のOBであり、同期に安川一志がいた。 1996年から2002年にかけて大和田洋平、赤坂宙勇、臼田勤哉とともに「複製技術を前提とした音楽制作に対応する批評の確立」を目的とする音楽批評誌「EsPresso」を編集・執筆していた。
今 柊二(こん とうじ、1967年 - )は、日本のエッセイ… 今 柊二(こん とうじ、1967年 - )は、日本のエッセイスト、定食評論家。全国各地の定食店を実地調査し、大衆食文化をテーマに執筆している。 著書に『定食バンザイ!』『定食ニッポン』、神奈川新聞連載をまとめた『かながわ定食紀行』シリーズなどがある。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、横浜国立大学卒業。 1994年、大学卒業後に友人2人と畸人研究学会を設立して主幹となり、1995年に機関誌『畸人研究』を創刊。1996年に漫画雑誌『ガロ』で畸人に関する連載を開始。その後、模型史研究家を経て、2002年の共著『東京定食屋ブック』を機に、定食評論家としての活動を本格化させた。食に関する著書のほか畸人研究家としての共著や、ガンダムのプラモデルに関する著作もある。
佐々木かをり(ささきかおり、 1959年5月12日 - )は… 佐々木かをり(ささきかおり、 1959年5月12日 - )は、日本の事業家、評論家、作家。 神奈川県横浜市生まれ。横浜国立大学教育学部附属横浜小学校、横浜国立大学教育学部附属横浜中学校卒業。神奈川県立外語短期大学付属高等学校卒業 後、日米会話学院昼間部英会話科に入学。翌年、上智大学外国語学部比較文化学科 に入学し、日米会話学院では夜間部英会話科に変更。上智大学外国語学部比較文化学科卒業。大学在学中の1983年に交換留学生として米国ニューヨーク州エルマイラ大学に9ヶ月間留学。この頃にダーシー・ニールというセミナー・トレーナーの通訳を行ったことが人生の転機となった。その後、ニールにはビジョン・クエストのコーチングなどを講演依頼したりしている。
さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は… さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は、日本の漫画原作者、ギャンブル評論家。本名の竹内 一郎(たけうち いちろう)名義で劇作家・演出家・評論家としても活動しており、非言語コミュニケーションを扱った『人は見た目が9割』(2005年)がベストセラーになった。宝塚大学教授。 福岡県久留米市出身。浅野高校、横浜国立大学教育学部心理学科卒業。2005年、「ストーリーマンガの誕生 : 手塚治虫の表現技法に関する実証研究」で博士(比較社会文化)(九州大学)。 九州大谷短期大学助教授をへて宝塚造形芸術大学教授、校名変更で現職。 大学在学中の1977年に、劇団「早稲田小劇場」で鈴木忠志に師事。
高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 -… 高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学教授。
武藤 正敏(むとう まさとし、1948年(昭和23年)12月… 武藤 正敏(むとう まさとし、1948年(昭和23年)12月18日 - )は、日本の元外交官、評論家。 元在大韓民国特命全権大使。三菱重工業・元顧問。 東京出身。世田谷区立祖師谷小学校、1972年に横浜国立大学を卒業し、外務省に入省。ソウル特別市の延世大学校で朝鮮語研修を受ける。1975年ハーバード大学大学院修了、修士。 キャリア官僚の中で朝鮮語を専攻した「コリア・スクール」からの初めての韓国大使で、韓国勤務が語学研修を含め5度ある韓国通であり、外務省の北東アジア課長も務めるなど、朝鮮半島情勢通として知られる。 朝鮮語ができた駐韓大使には、日本統治時代の京城帝国大学卒で1980年代初めに駐韓大使を務めた前田利一がいるが、戦後生まれでは武藤が最初であった。
鈴木 啓志(すずき ひろし、1948年3月8日 - )は、日… 鈴木 啓志(すずき ひろし、1948年3月8日 - )は、日本の音楽評論家。ブルース、ソウル音楽を専門とする。 北海道函館市に生まれ、3歳より東京都で育つ。横浜国立大学経済学部卒業。大学在学中の1968年に日暮泰文とブルース&ソウル・ミュージック愛好会を設立。その後、音楽評論家となる。 将棋棋士・花村元司の娘がソウル音楽の関係者で、元来の鈴木の知人であった縁で、2012年に花村の伝記を執筆している。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小浜 逸郎(こはま いつお、1947年4月15日 - )は日… 小浜 逸郎(こはま いつお、1947年4月15日 - )は日本の評論家。国士舘大学客員教授。
桑名 淳二(くわな じゅんじ、1943年- )は、編集者、出… 桑名 淳二(くわな じゅんじ、1943年- )は、編集者、出版評論家。 埼玉県生まれ。1968年横浜国立大学教育学部卒業、学習研究社に入社。1984年『3年の科学』編集長、1987年『4年の学習』編集長。1990年営業部門に移り、情報宣伝室長。1996年販売企画室長、1999年サポートセンターでデータベース担当。2002年退社。 日本出版学会会員、アメリカ出版研究会会員。
野本 三吉(のもと さんきち、1941年11月30日 - )… 野本 三吉(のもと さんきち、1941年11月30日 - )は、日本の教育学者、評論家、ノンフィクション作家、横浜市立大学名誉教授、前沖縄大学学長、同大名誉教授。東京都本所区(現墨田区)出身。本名加藤 彰彦(かとう あきひこ)。1964年横浜国立大学教育学部教育学科卒業。沖縄子ども研究会会員。 大学卒業後、横浜市内の小学校教員を経て、日本列島を4年余り放浪し共同体巡りをする。1972年から横浜市役所職員となり、寿生活館の相談員、児童相談所の児童福祉司(ソーシャルワーカー)を務める。横浜市役所を退職後、横浜市立大学文理学部助教授に就任。1991年に教授。1995年より同大国際文化学部教授。社会福祉論を担当した。
小林 正(こばやし ただし、1933年4月24日 - )は、… 小林 正(こばやし ただし、1933年4月24日 - )は、日本の政治家、教育評論家。元参議院議員(1期)。日本教育再生機構」代表委員、教科書改善の会賛同者、日本の教育改革を進める会理事、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)教育制度部会長、新しい憲法をつくる国民会議理事、協和協会理事、新しい歴史教科書をつくる会会長、世界戦略総合研究所評議員、全国教育問題協議会顧問などを歴任。 かつて日教組で活動していた際には、右派の現代教育労働運動研究会(現教研)の中心人物の一人。現教研出身の田中一郎委員長が落選中の西岡武夫を激励したことを切っ掛けとして日教組が内紛状態に陥った際には、監査委員として左派の批判を封じる役回りを演じた。
北沢 洋子(きたざわようこ、1933年1月1日 - 2015… 北沢 洋子(きたざわようこ、1933年1月1日 - 2015年7月3日)は、国際問題評論家。 東京出身。本名・佐藤洋子。1955年横浜国立大学経済学部卒業。1959年より1967年まで、夫の北沢正雄とともに、エジプトのカイロにあるアジア・アフリカ人民連帯機構書記局に勤務する。 1973年、『アジア太平洋資料センター』の設立に参加する。1974年に、南アフリカのアパルトヘイト体制について、国連総会に報告する。1990年、『草の根援助運動』を創設する。1993年、「G7を裁く国際民衆法廷」を開催する。1998年、ジュビリー2000日本実行委員会の創設に関わる。その後も『途上国の債務と貧困ネットワーク』共同代表や、日本平和学会の会長をつとめた。
阿部 進(あべ すすむ、1930年6月11日 - 2017年… 阿部 進(あべ すすむ、1930年6月11日 - 2017年8月10日)は、教育評論家。 神奈川県川崎市出身。神奈川県立神奈川工業高等学校(機械科)・横浜国立大学学芸学部特殊教員養成課程卒。川崎市内で小学校教諭を務めたあと、1964年(昭和39年)に教職を退き、創造教育センターを設立し野生学園を主宰。1980年(昭和55年)には児童文化の活性化を目標に劇団はかせを主宰。麻布科学実験教室を創設。評論家の道へ進む。 「カバゴン」を自称し、高度経済成長期から亡くなるまで精力的に教育活動を行っていた。現在でも使われる「現代っ子」は、1962年の阿部の造語。 「カバゴン」は、『日清ちびっこのどじまん』に出演した際に、番組での視聴者からの公募の結果選ばれたものである。
川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2… 川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2013年3月14日)は、文芸・相撲評論家、小説家。 岐阜県出身。のち東京府南葛飾郡小岩町(現・東京都江戸川区)に移る。小岩町立下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)に入る。尋常小学校では後の横綱栃錦とは同級生だった。その後横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)を卒業する。数々の職業遍歴を経て、1969年から東京都板橋区の三和化学に勤務した。競馬を好む。
落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1… 落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1993年6月10日)は、昭和時代の労働運動家、評論家。 筆名は北 竜平。全国産業別労働組合連合(新産別)書記長、国際自由労連東京事務所所長。 岩手県岩手郡葛巻町生まれ。1936年横浜高等工業学校応用化学科卒、三井化学三池染料工業所に入社。兵役を経て、1943年東京芝浦電気(東芝)に入社。1945年12月東芝堀川町工場従業員組合の結成に参加、委員長。 1946年10月全日本電気工業労働組合(全電工)初代委員長。全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員を兼務。1947年の2・1スト以降、日本共産党のフラクション活動に反対し、産別会議の民主化運動に取り組む。