高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 20… 高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 2006年1月23日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 浦和高校時代はサッカーをしていたこともあった。捕手として1954年秋季関東大会県予選決勝に進むが、浦和商に惜敗。高校卒業後は日本大学へ進学し、東都大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。宮田征典とバッテリーを組み、1959年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算31試合出場、73打数20安打、打率.274、0本塁打、6打点、ベストナイン1回受賞。大学同期に会田豊彦・黒木基康(大洋)・笹木士朗(日本鋼管)らがいた。大学卒業後は富士製鐵釜石に入社し、1961年に常磐炭砿の補強選手として都市対抗に出場。
雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 20… 雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 2010年2月8日)は、彫刻家。位階は従四位。日本芸術院会員。 雨宮治郎の子、雨宮敬子の弟として東京府に生まれる。父、姉とともに芸術院会員となっている。 日本大学芸術学部を卒業後、彫刻家北村西望に師事し、1963年日展初入選、1984年西望賞受賞、1991年内閣総理大臣賞受賞、1997年日本芸術院賞受賞、2001年日本芸術院会員。日展常務理事。 2010年2月8日、心不全のため死去。72歳没。墓所は多磨霊園。叙従四位に叙され、旭日中綬章追贈。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
及川 順郎(おいかわ じゅんろう、1937年4月13日 - … 及川 順郎(おいかわ じゅんろう、1937年4月13日 - 2018年7月22日)は、日本の政治家。山梨県出身。元参議院議員(2期)。二十一世紀ヒューマン協会会長。 1937年4月13日、山梨県に生まれる。 1962年、日本大学理工学部卒業。その後、鳳書院出版業務、聖教新聞記者を務める。 1964年、公明新聞の編集を務める。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、山梨県全県区から公明党公認候補として立候補し、次点で落選する。以降、衆議院議員総選挙に合わせて4回立候補し、全て落選する。 1983年6月26日、第13回参議院議員通常選挙に立候補し、次点で落選する。 1986年7月6日、衆参同日選挙の第14回参議院議員通常選挙に立候補し、初当選する(以降、連続2期)。
会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 201… 会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日)は、山形県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。 山形南高校では、1954年秋季東北大会県予選決勝に進むが米沢商に敗れる。翌1955年夏の甲子園予選東北大会に進出、しかし1回戦で福島商に敗退。卒業後は日本大学へ進学した。東都大学野球リーグでは在学中、3度優勝を果たす。1年生時の1956年秋季リーグでは、打率.351で首位打者を獲得し優勝に貢献。リーグ通算91試合出場、321打数86安打、打率.268、0本塁打、46打点。ベストナイン(三塁手)2回。大学同期に高木時夫捕手、黒木基康、笹木士朗(日本鋼管)両外野手らがいた。 1960年に中日ドラゴンズに入団。
広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、… 広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、日本のテレビディレクター。長野県出身。 日本大学芸術学部映画学科卒。東映東京撮影所で助監督を経て、東映テレビ・プロダクションに所属。後にフリーとなる。
佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 20… 佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 2006年5月13日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校を経て、1959年早稲田大学第一文学部卒業。1965年同大学院文学研究科博士課程単位修得退学。68年東京大学史料編纂所入所、69年助手、75年東京学芸大学教育学部助教授、教授、2000年定年退官。帝京大学文学部教授。在職中の2006年5月13日、和歌山県立図書館で開かれた小山靖憲追悼シンポジウムに参加した際、討論時間に質問した直後に倒れ、病院に運ばれたが間もなく急性心不全のため死去した。 1981年「南北朝内乱史論」により、早稲田大学から文学博士の学位を授与される。
明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は… 明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は、日本のアニメーション演出家、映画監督。 愛媛県松山市出身。9人兄弟の三男として生まれるが、兄弟は若くして全員亡くなったという。 日本大学芸術学部文芸学科卒業。同郷の佐伯清の伝手を頼り、1959年に東映に入社。東京撮影所にて佐伯清、渡辺祐介、石井輝男、今井正らの下で助監督(サード、フォース)を務める。 映画産業の斜陽化に伴い、1964年に東映動画(現:東映アニメーション)に転籍する。転籍組の同期に日大の先輩であった久岡敬史や京都撮影所から移ってきた田宮武、勝間田具治らがいる。 アニメ初仕事となった『狼少年ケン』では山本寛巳の助手に就くが、山本が組合運動のためにしばしば会社を抜け出していたため、明比が仕事を肩代わりするようになり、第46話「ジャングルの友情」で早くも演出として一本立ちする。
井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月… 井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月12日 - 2023年(令和5年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。元大分県別府市長。 別府市出身。1959年(昭和34年)日本大学法学部政経学科卒業。 高等学校教師、別府市議会議員、同議長を経て、1995年(平成7年)別府市長に当選した。2003年(平成15年)まで務めた。 2023年2月22日、腎不全のため、死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
菅谷 真一(菅谷眞一、すがや しんいち、1937年〈昭和12… 菅谷 真一(菅谷眞一、すがや しんいち、1937年〈昭和12年〉3月4日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の政治家。東京都港区長(2期)。 茨城県出身。日本大学法学部卒業。卒業後は東京都港区役所に入る。区役所では防災、職員、総務の各課長と企画部長を務めた。 1992年(平成4年)港区長山田敬治の死去に伴う区長選挙に立候補し、初当選する。1986年(平成8年)に再選。港区長を2期務め、2000年(平成12年)に区長を引退した。2007年(平成19年)春の叙勲で旭日双光章受章。2012年12月20日死去、75歳。死没日をもって正六位に叙される。
櫻田 慧(さくらだ さとし、1937年1月19日 - 199… 櫻田 慧(さくらだ さとし、1937年1月19日 - 1997年5月24日)は、日本の実業家。ハンバーガーチェーン「モスバーガー」を運営するモスフードサービスの創業者で、初代代表取締役社長を務めた。 元日本テレビプロデューサーで、静岡第一テレビ代表取締役会長・元社長の桜田和之は実弟。モスフードサービス代表取締役会長の櫻田厚は甥。 岩手県出身。1960年日本大学経済学部卒業、同年日興証券に入社、1965年退社。 ロサンゼルスで知ったトミーズ(w:Original Tommy's)のハンバーガーを日本人向けにアレンジした「モスバーガー」を、1972年日興証券の同僚3人で事業化させ「モスフードサービス」を設立し、代表取締役社長に就任。
櫻井一孝(さくらい かずたか、1937年1月2日 - )は、… 櫻井一孝(さくらい かずたか、1937年1月2日 - )は、日本のテレビドラマ監督。1970年代~1980年代の刑事ドラマを多く手掛け、アクション劇に定評がある
長谷 政弘(はせ まさひろ、1937年(昭和12年)1月 -… 長谷 政弘(はせ まさひろ、1937年(昭和12年)1月 - 2011年12月20日)は、日本の商学者。日本大学商学部教授などを経て、同大学名誉教授。総合観光学会会長。 東京都出身。日本大学商学部を卒業後、同大学院商学研究科博士課程を満期退学(商学修士)。その後、日本大学商学部に勤務。副手・助手・専任講師、助教授、教授を務め、2000年(平成12年)~2002年(平成14年)まで同学部の学部長兼同大学大学院商学研究科長(前任は、杉井弘和、後任は勝山進、後々任は小関勇)、学校法人日本大学理事を歴任。 また、コロンビア大学経営大学院客員研究員、明治大学商学部非常勤講師、日本観光学会副理事長、日本商業学会理事などを歴任。
飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本… 飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本の音楽プロデューサー、音楽評論家、作家、随筆家。日本エッセイスト・クラブ会員。ピースフラッグ代表取締役。 1937年、茨城県結城郡(現常総市)生まれ。 1960年、日本大学芸術学部卒業後、日本コロムビアに入社。音楽ディレクター、音楽プロデューサーとして数々の楽曲・アルバムを制作。 日本コロムビア在籍時、「白い色は恋人の色」「フランシーヌの場合」「白い蝶のサンバ」(デノンレーベル)、角川映画「野性の証明」「復活の日」「戦国自衛隊」主題歌などの楽曲プロデュースを担当した。 ディレクター・プロデューサーとして担当した歌手は伊東ゆかり、財津和夫、町田義人、ピチカート・ファイヴ、LOUDNESS、THE YELLOW MONKEYなど。
椎名 清(しいな きよし、1937年 - )は、日本の柔道家… 椎名 清(しいな きよし、1937年 - )は、日本の柔道家。栃木県栃木市出身。主にアメリカ合衆国での指導者としての活動が知られる。 1937年栃木県に生まれ、日本大学を卒業後渡米。1968年の時点で、5段の段位を有していたとされる。 米塚義定と共に指導者として活動し、セント・ジョンズ大学で25年間指導した。アメリカ合衆国オリンピック代表のジョセフ・ワナグと、テイモック・ジョンストン=オノ(英語版)、トリニダード・トバゴに柔道を普及させたマーク・リトリアンらを指導している。 2023年にアメリカ柔道連盟(英語版)殿堂に選出された。アメリカ柔道連盟の高段者リストでは9段に位置している。 この項目は、柔道に関連した書きかけの項目です。
高津茂樹(たかつ しげき、1937年 - )は日本の歯科医師… 高津茂樹(たかつ しげき、1937年 - )は日本の歯科医師、開業医。日本歯科医療管理学会理事長、日本歯科医学会常任理事、元日本歯科医師会常務理事。 1963年日本大学歯学部卒業、1966年に開業、2004年より日本歯科医療管理学会理事長。
土谷 享(つちや さとる、1937年 - )は北海道の政治活… 土谷 享(つちや さとる、1937年 - )は北海道の政治活動家。 日本大学法学部卒。友愛青年連盟役員、道都大学助教授(北海道紋別市)、新自由クラブ北海道連合代表を歴任。衆議院議員総選挙や広島町(現北広島市)長選挙に出馬するがいずれも落選。 その後、学校法人つしま記念学園(現・日本医療大学)本部勤務や、山崎摩耶北海道後援会会長、札幌大学後援会副会長、札幌大学指定寮・ドミトリー友愛寮長を務める。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
鄭 進(정 진、チョン・ジン、てい しん、1937年 - 2… 鄭 進(정 진、チョン・ジン、てい しん、1937年 - 2017年9月18日)は、元在日本大韓民国民団中央本部団長。
粕谷 宏紀(かすや ひろき、1936年12月30日 - 20… 粕谷 宏紀(かすや ひろき、1936年12月30日 - 2011年8月19日)は、日本の近世国文学者。専門は狂歌。 東京生まれ。1960年日本大学文理学部国文科卒、1963年同大学院文学研究科修士課程修了。日大教育制度研究所研究員、1970年高知大学教育学部助教授、教授、1983年日本大学文理学部教授。1986年『石川雅望研究』で角川源義賞、1989年同書で日大文学博士。2007年定年退職。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員(ジュリア・カールスン・ローゼンブラットほか『シャーロック・ホームズとお食事を』、野呂有子と監修・監訳、東京堂出版 2006)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
松本 市壽(まつもと いちじゅ、1936年12月 - 200… 松本 市壽(まつもと いちじゅ、1936年12月 - 2009年7月23日)は、日本の文筆家。書籍編集者。 鳥取県生まれ。日本大学法学部新聞学科卒業。 大学卒業後出版社に勤務し、40年間書籍編集、20年間は良寛研究を中心の編集を主とする。 全国良寛会常任理事、東京良寛会副会長、神田川芭蕉の会理事。 2009年7月23日、心筋梗塞のため死去。
阿部 實(あべ みのる、1936年〈昭和11年〉11月29日… 阿部 實(あべ みのる、1936年〈昭和11年〉11月29日 - 2017年〈平成29年〉3月3日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(2期) 。位階は正六位。 山形県南村山郡上山町矢来(現上山市)出身。山形工業高校を卒業後、日本大学旧工学部に進学。大学卒業後、山形県職員として就職した。山形県庄内総合支庁副支庁長、山形県土地開発公社専務理事、山形県土木部長などを務めた後、1995年に上山市助役に就任。 前市長の急逝を受け、その葬儀翌日となる1999年1月18日に上山市長選に出馬を表明。党派を超えて、国会議員で民主党の鹿野道彦や自民党の遠藤利明らの支援を受け、社民党系元市議の吉田明との選挙戦を制し2月14日に初当選(阿部實12,770票、吉田明10,087票)。
内田 正人(うちだ まさと、1936年10月29日 - 20… 内田 正人(うちだ まさと、1936年10月29日 - 2019年2月15日)は、日本の歌手、音楽家、ソングライター、詩人。ザ・キング・トーンズの創設メンバーの一人でリーダー、リードテナー。愛称はリーダー。 神奈川県横浜市の生まれ。日本大学高等学校・中学校、日本大学法学部で学ぶ。 1960年、音楽友達の加生スミオらとともにザ・キング・トーンズを結成。中心メンバーとして活躍した。1969年にグッド・ナイト・ベイビーのスマッシュヒットを放ったことで、知名度をあげた。NHK紅白歌合戦、フジロックフェスティバル、日本有線大賞など檜舞台への出場経験も持つ。1998年ごろ、サントリー・ザ・カクテルバーのCM「パーティーサイズ・リニューアル編」で話題になった。
吉村 昌弘(よしむら まさひろ、1936年(昭和11年)10… 吉村 昌弘(よしむら まさひろ、1936年(昭和11年)10月28日 - 2003年(平成15年)9月27日)は、愛媛県宇和島市出身の元競泳選手。1956年メルボルンオリンピック競泳男子200m平泳ぎ銀メダリスト。 宇和島東高校、日本大学卒業。大学在学中、メルボルンオリンピック200m平泳ぎで銀メダルを獲得した。金メダルの古川勝と共に潜水泳法を駆使し日本勢ワンツーフィニッシュを飾った。 2003年、66歳で死去。
板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日… 板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日 - 2017年12月6日)は、日本の漫画家。板井レンタロー、荒井太郎、板井たけお、板井太郎、板井練太郎などの名義による作品も多い。 兵庫県芦屋市生まれ、東京都杉並区に育つ。父親は大分県出身。 杉並区立久我山中学校から日本大学第二高等学校に進学。中学2年生のときに、手塚治虫の漫画作品に感銘を受け、漫画家を目指した。日大第二高時代に『漫画少年』にアマチュア投稿をしたことがある。 1955年に日本大学商学部に進学。同時に単行本『関が原の決戦』(曙出版)でデビュー。大学卒業後、仲間の園山俊二と東海林さだおらと『学漫グループ』に参加したことがある。
山本 嘉子(やまもと よしこ、1936年〈昭和11年〉10月… 山本 嘉子(やまもと よしこ、1936年〈昭和11年〉10月16日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。オフィス薫所属。夫は俳優の近藤洋介。 日本大学芸術学部卒業。 大学在学中の1958年3月、TBS放送劇団に6期生として入団。同期には貴家堂子や白川澄子がいる。それ以前は劇団山王に所属していた。 その後は青年工房、中川プロ、土の会、赤坂プロダクション、江崎プロダクション、サンエース企画に所属していた。 本人によると、「自然にアテる」ことができ、素直にやっているのがいいという役柄を担当することが多かった。また、悲劇的状況に追いやられる役を演じる機会も多いといい「(自身の声が)不安定な声、少し怯えたような声、色気のない声だから。
稲田 俊信(いなだ としのぶ、1936年9月25日 - )は… 稲田 俊信(いなだ としのぶ、1936年9月25日 - )は、日本の法学者。専門は商法、特に小切手法。学位は、博士(法学)(早稲田大学・論文博士・1997年)。日本大学教授、秋田経済法科大学学長、同法人の理事長を歴任。判例を重視した実務的色彩の強い解釈論を展開した。東京都出身。 日本大学法学部卒業し、司法試験に合格し、日本大学専任講師に就任。のち同助教授に昇格し、さらに同教授に昇格。同大学法学部長に就任した。1997年早稲田大学より博士(法学)の学位を受く(学位論文「手形取引と民事責任」)。日本大学を退職後、2001年4月に秋田経済法科大学(現・ノースアジア大学)学長(および短大部学長、2005年からは秋田栄養短期大学学長を併任)に就任。
設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日… 設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督である。山形県村山市出身。日本大学芸術学部卒業。 大学を卒業した1960年春、東映に入社。2年ほど京都撮影所に勤務した後、東映動画に移籍した。1965年、『宇宙パトロールホッパ』にてテレビアニメの演出家としてデビュー。その後、『魔法使いサリー(第1作)』『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』『タイガーマスク』『デビルマン』『ミクロイドS』など数多くのテレビアニメで演出を担当した。 演出家・設楽博の名を一躍有名にしたのは、1976年、初めてチーフディレクター(=監督)の大役を任されたテレビアニメ『キャンディ・キャンディ』である。
真田 健一郎(さなだ けんいちろう、1936年9月10日 -… 真田 健一郎(さなだ けんいちろう、1936年9月10日 - 2008年12月17日)は、日本の俳優。本名は藤森 弘義。旧芸名は藤森 達雄、藤森 健之。 東京都墨田区出身。日本大学藝術学部卒業。劇団昴を経て、アクトレインクラブに所属していた。 大学卒業後に新国劇に入団し、辰巳柳太郎に師事。以後1982年に退団するまで26年間に渡って主に新国劇で活躍。舞台以外にもテレビや映画の時代劇にも出演。池波正太郎からの信任が厚く、池波原作の演劇・テレビ作品の常連。「真田健一郎」の芸名も、新国劇退団時に池波が名付け親になって改名したものである。『鬼平犯科帳』では丹波哲郎主演版と中村吉右衛門主演版で、火付盗賊改方同心・沢田小平次役を演じており、『三毛猫ホームズの推理』など現代劇にも出演した。
小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は… 小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は、日本の元映画監督・プロデューサー。主に特撮テレビドラマ作品を手がける。東映に所属していた。株式会社自由メディア代表。 1952年 東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)卒業。1955年 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1960年 日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。 佐伯清に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わる。最初に助監督としてついた作品は片岡千恵蔵主演の『二発目は地獄行きだぜ』(1960年1月27日公開)、デビュー作品は1966年のテレビドラマ『刑事さん』。その後、労働組合の幹部になったことから2年ほど労働を禁じられていたが、労使交渉により復帰し、吉川進プロデューサーの招きにより、1978年の『スパイダーマン』より特撮作品の演出に進出。
渡辺 典博(わたなべ のりひろ、1936年8月11日 - 2… 渡辺 典博(わたなべ のりひろ、1936年8月11日 - 2015年6月2日)は、日本の写真家。茨城県鹿嶋市出身。 巨樹・巨木の撮影をライフワークとして活動した。 鹿島神宮の宮司を代々つとめた鹿島家をルーツとし、神宮の森の傍らの家に育つ。明治初期に鹿島神宮大宮司、伊勢神宮大宮司を歴任した鹿島則文は曽祖父にあたる。 茨城県立麻生高等学校を卒業後、日本大学芸術学部写真学科に入学。新宿区若松町の下宿で、落語家の9代目三笑亭可楽、漫画家の高井研一郎等と青春時代を送る。大伯父に日展の理事長もつとめた画家の辻永がいて薫陶を受けた。 卒業後はフリーランスで週刊誌やPR誌を中心に活動する傍ら、人間国宝や落語家をテーマに撮影を行う。
中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 20… 中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 2024年12月1日)は、日本のジャズ・フォトグラファー。国内外の著名なジャズミュージシャンと親交があり、アルバムのジャケット撮影や、経営するジャズ喫茶にて、ライブやレコーディングを多数おこなっている[要出典]。 和歌山県本宮町(現・田辺市)生まれ。和歌山県立新宮高等学校を経て、1960年日本大学芸術学部写真学科卒業。1961年2月、新宿に「DIG」を開店する。3月、「ジャズ・アーティスト写真展」を開催した。同月に結婚する。 1963年に「DIG」渋谷店をオープンする。1965年に、「ジャズ・カレンダー」の製作を開始した。 1966年、初渡米し、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスを撮影。
金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 20… 金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 2015年3月16日)は、日本の画家。
井原 幹雄(いはら みきお、1936年7月22日 - )は、… 井原 幹雄(いはら みきお、1936年7月22日 - )は、日本の俳優である。プロダクション・タンク所属。島根県出身。 日本大学芸術学部演劇科、東宝現代劇、劇団四季、劇団仲間劇団員を経て現在に至る。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
金井 勝(かない かつ、本名読み:まさる、1936年7月9日… 金井 勝(かない かつ、本名読み:まさる、1936年7月9日 - 2026年4月22日)は、日本の映画監督、映像作家。神奈川県出身。 日本大学芸術学部映画学科を卒業後、大映東京撮影所を経てフリーランサーとなり、テレビドキュメンタリーの演出などをしながら「かない勝丸プロダクション」を結成して前衛作品を発表する。 受賞作は、『無人列島』がニヨン国際ドキュメンタリー映画祭:グランプリ、『夢走る』がメルボルン映画祭:最優秀短篇劇映画賞、『スーパードキュメンタリー前衛仙術』がオーバーハウゼン国際短篇映画祭:国際批評家連盟賞。 『無人列島』、『Good-bye』、『王国』の<微笑う銀河系・三部作>発表当初から、『無人列島』を中心に海外での上映も少なからずあったが、オーバーハウゼン国際短編映画祭での<回顧展>を皮切りに映画祭や学会などで<選集や全集>が組まれ、そのトークショーにドイツ、アメリカ、イギリス、ベルギー、スイス、フランスに招待されている。
阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1… 阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1月10日)は、日本の建築家。日本大学芸術学部非常勤講師。 1960年 早稲田大学理工学部建築学科卒業後、坂倉準三建築研究所勤務。その間にタイにて、農業工業学校25校の設計管理でタイ国中を歩き廻り東南アジアや南の島の風土がすっかり好きになる。1975年にアルテック設立。1995年から屋久島に手造りで小屋を建て始め、現在まだ完成していない。時々行って少しずつ造ることを楽しんでいる。 2004年 「私の家」第5回日本建築家協会25年賞受賞。 2008年「賀川豊彦記念松澤資料館」第8回日本建築家協会25年賞受賞。 2011年「スタンレー電気技術研究所本棟」第11回日本建築家協会25年賞受賞。
山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 19… 山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 1991年12月27日)は、日本の映画監督、脚本家。1970年代に松竹の映画で活動した。 東京府東京市向島区寺島町(現・東京都墨田区東向島)で帽子屋の息子として生まれた。小学生の頃から浅草の映画館に通うほどの大の映画好きで、都立両国高校3年の時には年間800本を記録した。その一方で演劇部で活躍し、舞台俳優を目指し劇団俳優座への入団を志したが、方向転換して日本大学芸術学部映画学科に入学し、1960年に卒業後、松竹に入社。高橋治、小林正樹、中村登、篠田正浩、野村芳太郎らの作品の助監督につく。作風では、他社(日活)であるが鈴木清順の作品の影響を受けたという。
金子民雄(かねこ たみお、1936年5月20日- )は、日本… 金子民雄(かねこ たみお、1936年5月20日- )は、日本の歴史学者。 東京生まれ。日本大学商学部卒業。中央アジア史、東南アジア史の調査・研究を行う。白水社などでの探検調査記録の編さんも多く行っている。哲学博士(未確認)。兄の金子史朗は地震学者・サイエンスライターである。
中山 靖夫(なかやま やすお、1936年4月28日 - 20… 中山 靖夫(なかやま やすお、1936年4月28日 - 2001年2月21日)は、日本の経済学者。 東京・神田三崎町生まれ。1965年日本大学大学院博士課程満期退学、日本大学経済学部講師となり、助教授、教授。1991年「貨幣経済の分析」で日大経済学博士。2001年、在職中に肺癌のため死去した。
毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 … 毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 - )は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ。まむしプロダクション所属。本名及び旧芸名:石井 伊吉(いしい いよし)。。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。 江戸弁の要素がみられる話し方が特徴的な東京・浅草育ちの俳優で、1969年から開始した『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継先レポーターとして長年活躍し、聴衆一人一人に語りかける際の愛のある悪口が人気を呼び、長寿番組となった。 関東地方では高い知名度を誇るラジオスターの一人である。 聖徳大学短期大学部客員教授も務める。 大工の息子として大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現:東京都品川区中延)に転居。
池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - … 池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - )は、日本の小説家。 東京日本橋生まれ。日本大学旧工学部中退。 1958年、学生時代に「家畜小屋」を中央公論新人賞に応募。受賞できず佳作止まりだったが、選考委員三島由紀夫の絶賛を受けて『中央公論』に掲載され、第40回芥川賞候補となる。 四人の子供を育てながら日立製作所でサラリーマン生活をしつつ、1972年から再度作品を発表。1976年『野性時代』に掲載された「ノアの箱舟殺人事件」が最後の作品となっている。
柳澤 弘士(やなぎさわ ひろし、昭和11年(1936年)2月… 柳澤 弘士(やなぎさわ ひろし、昭和11年(1936年)2月19日 - 平成17年(2005年)1月17日)は、日本の法学者(民法)。元日本大学教授。弁護士。元日本大学法学部長。富山県出身。 日大法学部出身の中でも俊材中の俊材といわれ、優秀な成績であり司法試験に合格をして、その後司法修習生となり弁護士登録をした。卒業に際しては、日本大学より総長賞を授与された。その後、ドイツ・フライブルク大学に留学。民事法学の権威であったフォン・ケメラー博士に師事。帰国後は母校にて研究活動を行い、その業績は東北大学出身の幾代通教授など民事法学の権威から高く評価された。 日大法学部長時代には、日本大学の運営方針や金の流れなどについて日大総長を追及して総長選挙を巡って争いに巻き込まれた。
中井 啓輔(なかい けいすけ、1936年1月29日 - )は… 中井 啓輔(なかい けいすけ、1936年1月29日 - )は、日本の俳優。東京市出身。本名は同じ。 1959年に劇団民藝水品演劇研究所(第3期)を卒業し、劇団青芸の創立に参加。1965年、劇団俳優小劇場に移籍。その後は株式会社田村企画に所属していた。 1960年代から現代劇や時代劇問わず、悪役を中心に名脇役として活躍。また特撮などのアクションドラマにも数多く出演している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は… 松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は、日本の写真評論家、写真家。 九州産業大学芸術学部・大学院講師、東京工芸大学芸術学部講師などを務め、写真史に関する啓蒙活動、美術館の写真収集に関する協力活動などを、きわめて積極的に行うほか、写真弘社のカレンダーの制作にも協力しており(解説など)、写真家としても作品を残している。 広島県尾道市に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石井 禮次郎(いしい れいじろう、1936年 - 2014年… 石井 禮次郎(いしい れいじろう、1936年 - 2014年)は、医師、熊本県出身。聖母幼稚園理事長。マックスファクターの化粧品ブランド「SK-II」の開発にも携わった。 1961年(昭和36年)、日本大学医学部卒業。1973年(昭和48年)、東京・南青山に日本初の美容皮膚科「石井クリニック」を開設。 大手化粧品会社の顧問医を歴任。その経験を生かしてMD化粧品を開発。様々な発酵液を治療に活用。SKⅡの開発に携わる。石井クリニックで40年来処方してきた酵母発酵湿布薬「フィンギーマスク」を「THE FINGGY」として化粧品化。 歌手坂本スミ子と結婚、歌手石井聖子の父親。母親は、熊本市の聖母保育園幼稚園・幼愛園で園長を務めた。
大河原 淳一郎(おおかわら じゅんいちろう、1936年 - … 大河原 淳一郎(おおかわら じゅんいちろう、1936年 - )は、日本の建築家。 1959年、日本大学旧工学部建築学科卒業。卒業後、冨士工に入社し、旭化成を経て、1966年に大河原建築設計事務所を設立した。
小野 幸二(おの こうじ、1936年 - )は、日本の法学者… 小野 幸二(おの こうじ、1936年 - )は、日本の法学者。専門は民法。弁護士。大東文化大学名誉教授。元・大東文化大学法科大学院初代科長。東京国際大学監事。日本大学講師。 鹿児島県伊佐市の旧大口市出身。家族法、医事法を中心に研究している。人工生殖における親子関係の問題や、世界の家事調停の傾向について詳しい。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
野村 二郎(のむら じろう、1936年 - )は、日本の歌人… 野村 二郎(のむら じろう、1936年 - )は、日本の歌人。 岐阜県山県市(旧伊自良村)出身。日本大学経済学部卒業後、地方銀行に勤務。退職後本格的に作歌を始め、歌集「樹木に燃ゆる」「二月の雨」を発表。静かに優しく温かく見守る視線がかたちづくる世界観が持ち味[要出典]。
村岡 圭三(むらおか けいぞう、1936年 -)は日本の推理… 村岡 圭三(むらおか けいぞう、1936年 -)は日本の推理作家。秋田県生まれ。 1957年、日本大学文学部卒。1976年、探偵小説専門誌『幻影城』の第1回幻影城新人賞小説部門で短編「乾谷(ワディ)」が入選となり、デビューした。第1回の小説部門では、ほかに佳作として泡坂妻夫、田中文雄が選ばれている。 幻影城新人賞の受賞者を中心に結成された「影の会」のメンバー。デビュー作を含め、『幻影城』に4短編が掲載されている。 1997年8月刊行の『甦る「幻影城」Ⅰ 新人賞傑作選』(角川書店)では、著作権者との連絡が取れない旨が記されている。
山本 長水(やまもと ひさみ 、1936年 - )は、日本の… 山本 長水(やまもと ひさみ 、1936年 - )は、日本の建築家。四国を中心に活動する。 1959年、日本大学旧工学部(現・理工学部)建築学科卒業。同年、市浦建築設計事務所に勤務。1964年に故郷高知に戻り、猪野工務店勤務をへて、1966年、山本長水建築設計事務所設立。 高知女子大学、高知大学で非常勤講師を歴任後、2001年から高知工科大学客員教授。 かたつむり山荘(高知県長岡郡大豊町、1969年)2002年第4回日本建築家協会25年賞(住宅部門) 高知県立美術館(高知県高知市、1993年) 高知県立中芸高校格技場(高知県安芸郡田野町、1994年)1999年日本建築学会賞、第22回JIA25年賞 相愛本社(高知県高知市、1996年)1998年日本建築学会作品選奨 県営住宅十市団地木造棟3階建て(高知県高知市、1996年) 稱名寺本堂(高知県高知市、2001年)2004年日本建築学会作品選集 母の家(高知県高知市、2008年)
李 禹煥(リ・ウファン、朝: 이우환、1936年 -)は、大… 李 禹煥(リ・ウファン、朝: 이우환、1936年 -)は、大韓民国慶尚南道に生まれ、日本を拠点に世界的に活動している美術家。多摩美術大学名誉教授。本貫は仁川李氏。 日本の現代美術の大きな動向(アート・ムーブメント(英語版)、芸術運動)である「もの派」を理論的に主導したことで有名である。個展および国際展への出品多数。代表作は『点より』『線より』シリーズ。 直島に安藤忠雄とのコラボレーションによる李禹煥美術館を開館。釜山市立美術館敷地に「李禹煥ギャラリー(Space LeeUFan)」を開設している。 また、1970年代韓国人アーティスト達によって創られた「単色画」というモノクローム・ペインティング(英語版)(単色抽象絵画)での平面作品でも知られている。 ミニマリストの画家、彫刻家、哲学者であり、その作品群は、素材性、制作過程、場所との関係、そして現象学的な鑑賞体験への徹底した注視により国際的に高く評価されている。
奥島 貞雄(おくしま さだお、1936年 - 2017年9月… 奥島 貞雄(おくしま さだお、1936年 - 2017年9月2日)は、元自由民主党職員、元自由民主党幹事長室長。 福井県生まれ。その後、一家は兵庫県に移る。中学校を卒業した1952年、衆議院の医務室で看護師をしていた姉を頼って上京。当時赤坂にあった日本大学第三高等学校に入学。姉の紹介で衆議院でアルバイトすることとなった。衆院内自由党控え室で使い走りの日々を送る。女性の上司にすすめられ、1954年、自由党本部に就職。高校を卒業し、中央大学法学部夜間部に入学。1955年の保守合同により自由民主党総務局勤務。1961年、中央大学法学部夜間部卒業。 1965年から幹事長室勤務となる。1992年、自民党事務局次長兼幹事長室長に就任。