西村 正美(にしむら まさみ、女性、1963年10月20日 … 西村 正美(にしむら まさみ、女性、1963年10月20日 - )は、日本の元政治家、歯科医師。参議院議員(1期)を務めた。西村 まさみとも表記される。本名は山本 正美(やまもと まさみ)。 東京都中野区生まれ、杉並区育ち。白百合学園小学校、白百合学園中学校・高等学校卒業。日本歯科大学卒業後、東京医科歯科大学に入局。1996年に歯科医師として独立開業。歯科医師として学校医などを担当した。 2001年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から自由党公認で立候補し落選。 2009年、社団法人東京都中野区歯科医師会理事に就任。同年、民主党支持に転向した日本歯科医師連盟の組織内候補に選出。 2010年7月に施行された第22回参議院議員通常選挙に比例区から民主党公認で立候補し初当選。
川俣 純子(かわまた じゅんこ、1960年〈昭和35年〉10… 川俣 純子(かわまた じゅんこ、1960年〈昭和35年〉10月20日 - )は、日本の政治家、歯科医師。栃木県那須烏山市長(3期)。元那須烏山市議会議員(2期)。 栃木県那須烏山市出身。1979年(昭和54年)3月、栃木県立烏山女子高等学校卒業。1985年(昭和60年)3月、日本歯科大学歯学部卒業。同年4月、日本歯科大学病院小児歯科教室に勤務。1988年(昭和63年)から生家の川俣歯科医院に勤務。 2010年(平成22年)4月、那須烏山市議会議員に初当選。2014年(平成26年)、再選。 「複数の同級生が近隣の学校の校長に就任し、今なら連携しやすい」と考え、2017年(平成29年)4月、任期満了に伴う那須烏山市長選挙に立候補する意志を固める。
高橋 操(たかはし みさお、1955年〈昭和30年〉2月9日… 高橋 操(たかはし みさお、1955年〈昭和30年〉2月9日 - )は、日本の政治家、歯科医師。勲等は旭日双光章。元千葉県四街道市長(2期)。 千葉県出身。日本歯科大学卒。歯科医院を開業する。2000年、四街道市長選挙に立候補し、現職の中台良男を破って、初当選する。2004年は再び立候補した中台ら2人を破って再選。2010年の市長選挙は建設を進めようとした地域交流センターや保育所民営化が争点となり、NPO法人理事の小池正孝に150票差で敗れて落選した。 2025年秋の叙勲で旭日双光章を受章した。
小林 幹夫(こばやし みきお、1954年〈昭和29年〉1月2… 小林 幹夫(こばやし みきお、1954年〈昭和29年〉1月22日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。元自由民主党栃木県議会議員(5期)。 栃木県鹿沼市出身。栃木県立宇都宮高等学校を経て、日本歯科大学を卒業。鹿沼市内で歯科医院を開業し、鹿沼市議会議員を4期務める。2003年栃木県議会議員に無所属で立候補し、初当選。後に自由民主党に入る。栃木県議を5期務め、2012年に副議長、2017年に議長に就任した。2023年の県議選で落選。 2024年6月9日に行われた鹿沼市長選挙に無所属で立候補。自民党と公明党の推薦を受けたが、元立憲民主党県議の松井正一に敗れた。※当日有権者数:78,411人 最終投票率:52.72%(前回比:2.87pts) 落選後、市内の有権者に配布されていたチラシが映画版「スラムダンク」のポスターに酷似してるとの指摘があり、著作権法に触れるおそれがあるとする声が上がった。
長谷川 嘉一(はせがわ かいち、1952年〈昭和27年〉11… 長谷川 嘉一(はせがわ かいち、1952年〈昭和27年〉11月6日 ‐ )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(2期)、群馬県議会議員(3期)、太田市議会議員(1期)、立憲民主党群馬県連会長などを務めた。 群馬県太田市由良町生まれ。1971年3月、群馬県立太田高等学校卒業。1978年3月、日本歯科大学新潟歯学部卒業。 1983年5月、太田市に歯科医院を開設。 1991年4月、太田市議会議員選挙で初当選、1期務める。 1995年5月14日、太田市長選が告示され、立候補を届け出た。5月21日の投開票の結果、新人の清水聖義が当選し、長谷川は候補者3名中最下位で落選。 1999年4月、群馬県議会議員選挙に太田市選挙区から無所属で立候補し初当選。
青木 一(あおき はじめ、1948年〈昭和23年〉10月9日… 青木 一(あおき はじめ、1948年〈昭和23年〉10月9日 - 2008年〈平成20年〉10月9日)は、日本の政治家。歯科医師。中野市長。 長野県中野市出身。父は同じく歯科医師で、中野市長を務めた青木太郎。日本歯科大学卒。2004年に旧中野市長選挙に出馬し、当選。翌年に豊田村との新設合併に伴う新中野市長選挙では無投票当選。 2008年8月に腹痛を訴え、胆石胆嚢炎と診断、9月22日に北信総合病院で胆嚢を摘出する腹腔鏡手術を受けたが同月23日朝、呼吸不全から意識不明に陥り、翌月9日午前11時13分に急性呼吸不全のため現職のまま死去。60歳。亡くなったのは還暦となる誕生日で、妻が赤のスポーツウェアを乗せたりケーキを口につけていた。
石橋 良三(いしばし りょうぞう、1948年(昭和23年)1… 石橋 良三(いしばし りょうぞう、1948年(昭和23年)1月2日 - 2019年(平成31年)1月22日)は、日本の政治家。 自由民主党所属の元広島県議会議員(7期)。広島県議会副議長(第103代)、文教委員長、建設委員長などを歴任。 息子は衆議院議員の石橋林太郎。 島根県浜田市出身。 日本歯科大学卒業後、広島市安佐南区で石橋歯科医院開業。 平成3年、広島県議会議員に初当選(広島市安佐南区選出)。 文教委員長、建設委員長などを歴任。当選7回。 自民党県議であったが亀井静香に近く、2005年の郵政解散の際には自民党が郵政民営化反対派に刺客を立てたことに抗議し第44回衆議院議員総選挙で広島3区から国政に出馬したが落選した。
中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日… 中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日 - 2022年(令和4年)9月21日)は、日本の政治家、医師、歯科医師。 参議院議員(2期)、日本歯科医師会会長を務めた。 東京都出身。獨協高等学校卒業、日本歯科大学卒業、同大学院修了し、1964年歯学博士。論文の題は「オリゴジナミー作用に対する感受性菌に就いての研究」。日本大学医学部卒業し、医師になる。 日本歯科大学の理事長や学長、日本歯科医師会会長を経て1995年、第17回参議院議員通常選挙において自由民主党の比例区候補として出馬し初当選。派閥は平成研究会に所属した。 2000年7月、第2次森内閣で総理府政務次官を務める。 2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選。
白井 貫(しらい かん、1929年〈昭和4年〉12月1日 -… 白井 貫(しらい かん、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2009年〈平成21年〉11月14日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(2期)。歯科医師。 千葉県出身。日本歯科大学卒。歯科医院を開業する。1991年の富津市長選挙に立候補し、落選。1996年、富津市長野口岡治の死去による市長選挙に立候補し、初当選する。2000年に再選。2004年の市長選挙で三選を目指したが、元千葉県議会議員の佐久間清治に敗れて落選した。
永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月1… 永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月17日 - 1998年〈平成10年〉12月29日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元自由民主党山形県議会議員(2期)。位階は従五位。 山形県南村山郡上山町(現上山市)出身。山形県立山形中学校(現山形東高校)卒、1944年に日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)卒業。なお、1944年に軍隊入隊、陸軍軍医学校に入学し、1945年修了。復員後、永田歯科医院で歯科医師に従事。1964年に上山市歯科医師会長に就任。1966年山形県歯科医師会理事。 1955年から1983年まで自由民主党に所属。上山支部長や山形県支部連合会の総務会や政務調査会の各副会長などを務めた。
青木 太郎(あおき たろう、1908年〈明治41年〉7月31… 青木 太郎(あおき たろう、1908年〈明治41年〉7月31日 - 1977年〈昭和52年〉)は、昭和期の歯科医師、政治家。中野市長。元中野市長の青木一は長男。 長野県下高井郡延徳村大字三ツ和(現・中野市三ツ和)で、元長野県議会議員の青木賢一郎と千代の長男として生まれた。青木家は代々松代藩の庄屋を勤役した旧家。 旧制長野中学(現・長野県長野高等学校)を経て、日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)卒業後、東京帝国大学医学部修了(選科生)。帰郷し、中野で歯科医院を開業した。1937年(昭和12年)に応召し、1946年(昭和21年)陸軍大尉で復員した。 1947年(昭和22年)長野県議会議員に選出され2期在任。
坂本 一角(さかもと いっかく、1897年(明治30年)10… 坂本 一角(さかもと いっかく、1897年(明治30年)10月10日 - 1947年(昭和22年)4月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、大学教授。 東京府西多摩郡檜原村出身。日本歯科医学専門学校(現在の日本歯科大学)を卒業。また、明治大学法律科にも学び、在籍中は柔道部に所属した。東京府立第二商業学校教諭、日本大学講師・学生監、東京高等拓殖学校校長、拓殖大学教授を歴任した。東京市会議員に選出され、同参事会員に選ばれた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回まで4回当選した。 1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放の該当者となった。翌年4月8日死去。
中原 市五郎(なかはら いちごろう、1867年6月17日(慶… 中原 市五郎(なかはら いちごろう、1867年6月17日(慶応3年5月15日) - 1941年(昭和16年)3月22日)は、日本の歯科医師、政治家。日本歯科医学専門学校(現:日本歯科大学)の創始者。 1867年(慶応3年)、信濃国伊那郡下平村(現・長野県駒ヶ根市)に生まれる。11歳で旧松本藩御殿医であった戸田義方に入門し医学を学ぶ。16歳で上京し、鋳造工として働き、代用教員を務めた後、九段で開業している歯科医岡田三百三に弟子入りし歯科医学を学び、1889年に22歳で歯科医術開業試験合格、岡田三百三の診療所を購入して開業した。その後東京市麹町区議会議員に当選。1907年に共立歯科医学校を設立し、1909年(明治42年)には日本歯科医学専門学校と発展させた。