田中 実(たなか みのる、1946年 - )は、日本の日本近… 田中 実(たなか みのる、1946年 - )は、日本の日本近代文学研究者。都留文科大学名誉教授。 福岡県柳川市生まれ。1969年立教大学文学部日本文学科卒、1976年同大学院博士課程満期退学、攻玉社高等学校教諭、武蔵高等学校教諭、1978年都留文科大学講師、助教授、1987年教授、2012年定年退任、名誉教授。
立教大学:1,675人
田中 実(たなか みのる、1946年 - )は、日本の日本近… 田中 実(たなか みのる、1946年 - )は、日本の日本近代文学研究者。都留文科大学名誉教授。 福岡県柳川市生まれ。1969年立教大学文学部日本文学科卒、1976年同大学院博士課程満期退学、攻玉社高等学校教諭、武蔵高等学校教諭、1978年都留文科大学講師、助教授、1987年教授、2012年定年退任、名誉教授。
藤門 弘(ふじかど ひろし、1946年 - )は、日本の著作… 藤門 弘(ふじかど ひろし、1946年 - )は、日本の著作家、写真家。北海道赤井川村で果樹作りを中心とする「アリス・ファーム」代表。 1946年、上海生まれ。神奈川県横浜市、東京都で育つ。立教大学卒業、早稲田大学中退。 1974年に岐阜県の山村へ移り住み、「アリス・ファーム」を設立した。その後、2016年5月には中華系シンガポール企業に売却。1983年からは北海道で暮らしている。 シェーカー家具研究家。家具工房、染色工房、農業などに携わっている。赤井川村村会議員(4期目)。
柴崎 徳明(しばざき のりあき、1946年〈昭和21年〉 -… 柴崎 徳明(しばざき のりあき、1946年〈昭和21年〉 - 2017年〈平成29年〉7月26日)は、日本の天文学者・宇宙物理学者。理学博士。主な専門は中性子星の物理学。 1946年福島県生まれ。1962年平工業高等専門学校機械工学科(1967年に福島工業高等専門学校と改称)に1回生として入学。1967年福島工業高等専門学校機械工学科卒業(1回生)。1971年立教大学理学部物理学科卒業。同大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。ワシントン大学、イリノイ大学、NASAで研究員を務めた後、1988年立教大学理学部講師及び同助教授を経て1998年より立教大学理学部教授。2017年7月26日没(満70歳)。
服部 幸應(はっとり ゆきお、1945年12月16日 - 2… 服部 幸應(はっとり ゆきお、1945年12月16日 - 2024年10月4日)は、日本の料理評論家、教育者、タレント。学位は博士(医学)(昭和大学・2005年)。 本名は染谷 幸彦(そめや ゆきひこ)。学校法人服部学園理事長(第3代)、服部栄養専門学校校長(第3代)、公益社団法人全国調理師養成施設協会会長、社団法人全国栄養士養成施設協会副会長、一般社団法人全国料理学校協会副会長、東日本料理学校協会会長、特定非営利活動法人NPO日本食育インストラクター協会理事長。プライドフィッシュプロジェクト企画委員会会長。一般社団法人全日本・食学会理事。 東京都豊島区出身。料理学校「服部学園」の創立者である服部道政こと染谷栄の子として生まれた。
木野 実(きの みのる、1945年12月5日 - )は、大阪… 木野 実(きの みのる、1945年12月5日 - )は、大阪府出身の元ハンドボール選手、指導者。1972年ミュンヘンオリンピックおよび1976年モントリオールオリンピックハンドボール全日本男子代表。 現在は環太平洋大学体育学部体育学科教授。 大阪府立寝屋川高等学校、立教大学卒業。 卒業後、湧永製薬に入社。1969年に創部した同社ハンドボール部1期生であり、創部時の8人のうちの一人。1976年9月4日対本田技研(ホンダエルク)戦にて日本リーグにおけるチーム初得点を挙げている。チームは1977/78シーズンには日本リーグ初優勝を飾る。 全日本では、1967年立教大在学時に世界選手権出場、以降1970年全立教の選手として、1974年湧永の選手として、2度出場した。
進藤 久美子(しんどう くみこ、1945年〈昭和20年〉10… 進藤 久美子(しんどう くみこ、1945年〈昭和20年〉10月5日 - )は、日本のアメリカ史学者、東洋英和女学院大学名誉教授。専攻は、アメリカ史、ジェンダー・スタディーズ。 高知県生まれ。1969年立教大学文学部史学科卒業。1971年ペンシルヴァニア州立大学大学院歴史学研究科修士課程修了。1980年立教大学大学院文学研究科博士課程満期退学。常磐大学講師、東洋英和女学院大学助教授、1996年同国際社会学部教授。1999年「ジェンダー・ポリティックス 変革期アメリカの政治と女性」で九州大学博士(法学)。日本ジェンダー学会第2代副会長。 政治学者の進藤榮一は、久美子の夫にあたる(旧姓不詳)。
小川 亨(おがわ とおる、1945年8月1日 - )は、宮崎… 小川 亨(おがわ とおる、1945年8月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球解説者、野球指導者。
高田 賢一(たかだ けんいち、1945年(昭和20年)7月1… 高田 賢一(たかだ けんいち、1945年(昭和20年)7月10日 - 2020年(令和2年)4月17日)は、アメリカ文学者、青山学院大学名誉教授。 大阪市出身。立教大学文学部英米文学科卒業。1972年立教大学大学院文学研究科修士課程修了。宇都宮大学教養部助教授、青山学院大学文学部助教授、教授。2011年、定年退任。2014年4月、青山学院大学名誉教授の称号を受ける。 2020年4月17日、肺炎のため埼玉県三芳町の病院で死去。享年74歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。
井深 亮(いぶか まこと、1945年5月22日 - )は、日… 井深 亮(いぶか まこと、1945年5月22日 - )は、日本の実業家、ソニーPCL株式会社元専務取締役、社会福祉法人希望の家元理事長。 1945年5月22日、井深大(ソニー創業者の一人)と妻・勢喜子(前田多門の次女)の長男として生まれる。 麻布高等学校(現・麻布中学校・高等学校)を経て、1968年、立教大学理学部物理学科卒業。その後米国に留学しブラウン大学を修了。 立教大学3年次に、中学1年の時から別居状態であった両親が離婚したが、父の井深大は幼少期に父親を亡くしており、仕事が多忙であったため子供との付き合いに戸惑っていたことと、母は世間知らずのお嬢様育ちでプライドが高かったことに加え、母は父の前田多門と夫の井深大を比較するところがあり、それも両親が別れる一因であったとされる。
堀 啓二郎(ほり けいじろう、1945年5月16日 - )は… 堀 啓二郎(ほり けいじろう、1945年5月16日 - )は、日本の実業家、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)元代表取締役専務執行役員・CFO、山九株式会社取締役。 1945年5月16日生まれ。1968年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、岩井産業株式会社入社。同年10月、日商株式会社と岩井産業株式会社合併により日商岩井株式会社(現・双日株式会社)に商号変更。 1993年6月、同社機械経理部長、1995年10月、主計部長、1996年4月、物資経理部長兼務、1999年1月、同社関連事業部部長、同年6月、監査役(常勤)に就任。2001年6月、同社執行役員に就任、2002年4月、管理ユニットリーダー、同年6月、常務執行役員に就任。
前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、… 前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、日本の実業家。ホーマック(後のDCMホーマック)元会長兼社長・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)初代社長・DCM Japan初代社長。北海道釧路市出身。 ホーマック初のプロパー社長で、カーマ(後のDCMカーマ)・ダイキ(後のDCMダイキ)との経営統合による持株会社・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)の初代社長となった。 しかし、DJHDの社長就任後、ホーマックの取引先やホーマック関連会社役員によるインサイダー事件が発生し、久田宗弘副社長(当時、カーマとDCM Japanの2社の社長を兼任)を後継に指名し、DJHDの社長を引責辞任した。
増田 実(ますだ みのる、1945年(昭和20年)5月7日 … 増田 実(ますだ みのる、1945年(昭和20年)5月7日 - )は、日本の政治家。元埼玉県幸手市長(3期)。司法書士。旭日小綬章受章。 埼玉県北葛飾郡幸手町(現・幸手市)出身。1968年、立教大学法学部卒。司法書士試験に合格し、事務所を開業。1979年、幸手町議会議員に当選。1986年の市制施行により幸手市議会議員となる。同市議会副議長を務め、1993年、幸手市長に当選した。1997年と2001年にも再選した。2003年に幸手市は茨城県猿島郡五霞町との合併を目指し、その準備を進めていた。しかし、市民の中から、県外の五霞町より同県の久喜市との合併を望む声があり、4月の市議会議員選挙で久喜市との合併派が半数を超え、市議会では久喜市と鷲宮町との合併を優先する決議案が可決された。
横川 賢次(よこかわ けんじ、1945年4月1日 - )は、… 横川 賢次(よこかわ けんじ、1945年4月1日 - )は、埼玉県出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 熊谷高等学校を経て、立教大学に入学する。 大学卒業後に、社会人野球のサッポロビールで俊足強打の外野手として活躍した。 1985年春から1995年までに母校の立教大学の監督を務め、1989年の秋季リーグでチームを23年ぶりの優勝に導いた。長嶋一茂、矢作公一、川村丈夫、広池浩司らを指導した。また次男は甲子園出場を経験して野球部に入部、監督を退いた翌年に主将を務めた。
田谷 禎三(たや ていぞう、1945年3月5日 - )は日本… 田谷 禎三(たや ていぞう、1945年3月5日 - )は日本の経済学者。立教大学経営学部国際経営学科特任教授。大和総研特別理事。元日本銀行政策委員会審議委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村上 公康(むらかみ きみやす、1945年2月24日 - )… 村上 公康(むらかみ きみやす、1945年2月24日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(捕手)。
稲本 正(いなもと ただし、1945年2月5日 - )は、富… 稲本 正(いなもと ただし、1945年2月5日 - )は、富山県出身の工芸家、作家、理学研究者、教育者、実業家。オークヴィレッジ創業者・初代会長、トヨタ白川郷自然學校創設者・初代校長、東京農業大学客員教授、岐阜県教育委員。循環型社会の創出のために活動し、森林資源の重要性や有効利用に関する多くの著書がある。 1945年2月5日、富山県に生まれる。1969年、立教大学理学部物理学科卒業。大学では武谷三男に教えを受けた後、田島英三研究室に所属した。卒業後は、同学科に研究助手として勤務する。 1972年、立教大学の教職員や卒業生を中心とした10数名で長野県大町市から山奥に入った若栗峠に200坪の土地を借りて、自分たちで山小屋を建てるプロジェクト「山小屋の会」が開始され、参加する。
大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )… 大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )とは、日本の政治家である。公益財団法人緑の地球防衛基金理事長である。 参議院議員(1期)、衆議院議員(5期)、参議院財政金融委員長などを歴任した。農林大臣、環境庁長官を務めた元衆議院議員の大石武一は父である。 宮城県仙台市生まれ。暁星高等学校、立教大学文学部史学科卒業。大学卒業後、米国ウィットワース大学(Whitworth University, ワシントン州スポケーン)政治学部に留学。帰国後、国土計画(現・プリンスホテル)勤務を経て、父、大石武一の秘書となる。1976年に武一が農林大臣に就任した際は大臣秘書官を務めた。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧宮城2区から立候補し、初当選した。
簗 正昭(やな まさあき、1945年1月2日 - 2012年… 簗 正昭(やな まさあき、1945年1月2日 - 2012年4月28日)は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。 立教大学在学中の1966年に劇団雲研究生となり、その後劇団員に昇格。1975年からは劇団昴に所属し1997年に退団。2004年からは劇団NLTに在籍した。 俳優・声優としての仕事のほか、帝国ホテルにおける多数のイベントにおける司会を担当した。 玉川大学文学部芸術学科演劇専攻・芸術学部パフォーミングアーツ学科で2011年まで教鞭をとり、数多くの演劇人を育成し、玉川大学における主要行事の司会進行を務めた。 2012年4月28日、食道癌で死去。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
安藤 隆(あんどう たかし、1945年 - )は、日本のコピ… 安藤 隆(あんどう たかし、1945年 - )は、日本のコピーライター、クリエイティブ・ディレクター。大阪府出身。現・サン・アド常勤顧問。立教大学法学部卒業。 大阪府に生まれるも、間もなくして愛知県に移る。立教大学卒業後の1968年に広告代理店「三有社」に入社。その後しばらくして1973年に、現在まで勤務するサン・アドに入社。当時サン・アドの主要クライアントであったホンダが発売したシビックの「クリーン・エイジ1974」でTCC新人賞を受賞する。 その後は同社のメインクライアントのサントリーが発売する製品のコピーを手掛けてゆくと共に、1983年には同社から発売されたサントリー烏龍茶のコピー、「ウーロン茶はサントリー、のこと」で世間に知名度を浸透させると、その後現在に至るまでサントリー烏龍茶(同様に2006年にサントリーから発売された黒烏龍茶の広告コピーも担当している)の広告の企画・制作に携わる一方で、1991年から始まった村田製作所の新聞広告やCFコピーを担当するなど、今日に至るまで長い関係が続いている。
加藤 博(かとう ひろし、1945年 -)は、日本のジャーナ… 加藤 博(かとう ひろし、1945年 -)は、日本のジャーナリスト。北朝鮮難民救援基金代表。 1945年、福島県に生まれる。立教大学卒業。1969年から1976年にかけて旧仏領インドシナのベトナム、ラオス、カンボジアを取材、1989年にはベルリンの壁崩壊に端を発する東欧革命、また、1990年からはソビエト連邦崩壊までの軌跡を取材した。1991年以降は、ロシア連邦シベリア地域において強制的に働かされていた北朝鮮木材伐採労働者のキャンプを取材している。1998年9月には北朝鮮難民救援基金の設立に参加した。2002年10月、中華人民共和国遼寧省大連市で中国国家安全局により拘束された。中国政府が脱北者の保護・支援活動への取り締まりを強めるなか、生命の危険を冒しながらも人道支援を続け、2008年、実際に多くの貴重な人命を救ったとして東京弁護士会人権賞を受賞した。
富塚 國興(とみづか くにおき、1945年 - )は、日本の… 富塚 國興(とみづか くにおき、1945年 - )は、日本の実業家、ベイエフエム元代表取締役社長、千葉銀行元常務取締役。 1945年生まれ。立教大学卒業。大学時代はアメリカンフットボール部に所属し、QBとして活躍した。 1969年、千葉銀行入行。1997年、常務取締役就任。2000年、エフエムサウンド千葉(現・ベイエフエム)専務取締役。2003年代表取締役、2011年より相談役を務めた。 FMラジオ局の経営者として、ラジオで流れている楽曲の情報検索やネット上で聴きたい時に聴けるオンデマンドに対応するなどネットと一体化した番組づくりに注力した。イベントも強化し、公開放送は年300回、イベント開催は年100回行うなど、リスナーに放送に参加してもらう取り組みを推進した。
吉田 正紀(よしだ まさのり、1945年 - )は、日本の文… 吉田 正紀(よしだ まさのり、1945年 - )は、日本の文化人類学者、日本大学国際関係学部教授。 近年では、おもにインドネシア人と日本人の異文化結婚を事例として、異文化接触について研究している。 神奈川県生まれ。1967年に立教大学経済学部を卒業し、大学院文学研究科地理学専攻へ進み、1972年に文学修士を取得した。 イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校大学院に留学して人類学を専攻し、1990年に、スマトラ島東部北スマトラ州トゥビン・ティンギ (Kota Tebing Tinggi) のジャワ人移住地における民間医療文化についての研究「The folk healers and their patients: Continuing viability of folk health care systems in the multiethnic settings in North Sumatra, Indonesia」により、Ph.D. を取得した。
落合 正勝(おちあい まさかつ、1945年 - 2006年8… 落合 正勝(おちあい まさかつ、1945年 - 2006年8月7日)は、日本の服飾評論家、ジャーナリスト。 東京都中央区築地生まれ。立教大学法学部卒業。『ジャパンタイムズ』を経て服飾評論家として独立。1994年5月、男性向けファッション雑誌『MEN'S EX』(世界文化社)の連載で「クラシコ・イタリア」という言葉を紹介し、「ファッションとは流行を追うばかりでなく普遍的なクラシックがある」と主張し、服飾評論の世界に一石を投じた。1997年、フィレンツェ市長よりベスト・ペン・プライズを受賞。1998年、東洋人として初めてクラシコ・イタリア大賞を受賞。ファッション誌に限らず、中日新聞や生活雑誌『サライ』(小学館)などでも連載を勤めた。
渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )… 渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )は、日本の近世文学研究者。立教大学名誉教授。元立教新座中学校・高等学校校長、元自由学園最高学部学部長。専門は近世文学・大名文芸圏・遊里史など。前田愛に師事した。 北海道函館市生まれ。1963年、北海道函館中部高等学校卒業。1964年立教大学法学部に入学するも、1966年に同大学文学部日本文学科へ転籍。1968年、立教大学文学部日本文学科卒業。1971年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了。1976年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位取得退学。 横浜市立横浜商業高等学校定時制教諭(1970年4月 - 1972年3月)、武蔵高等学校教諭(1972年4月 - 1978年3月)を経て、1978年4月梅光女学院大学短期大学部専任講師。
神谷 昭男(かみや あきお、1944年12月10日 - )は… 神谷 昭男(かみや あきお、1944年12月10日 - )は、日本の実業家、東京トヨペット株式会社(現・トヨタモビリティ東京)元代表取締役社長・会長、トヨタ自動車株式会社元取締役、学校法人立教学院元理事長、丸八殖産株式会社代表取締役会長。 1944年、トヨタ自動車販売の初代社長で"販売の神様"と呼ばれた神谷正太郎の三男として、東京で生まれる。 1967年、立教大学経済学部卒業。 1999年、トヨタ自動車株式会社取締役に就任。2002年、東京トヨペット株式会社(現・トヨタモビリティ東京)代表取締役社長に就任。2010年に代表取締役会長となり、2014年に退任して顧問に就任。 2014年、学校法人立教学院理事長に就任。
山本 音也(やまもと おとや、1944年11月6日- )は、… 山本 音也(やまもと おとや、1944年11月6日- )は、日本の小説家。 和歌山県生まれ。本名・山本章、別筆名・池田章一。立教大学経済学部卒。小学館に勤務、『女性セブン』『週刊ポスト』「小学館文庫」の各編集長をへて、出版局チーフプロデューサー。1982年「宴会」(池田章一名義)で第8回中央公論新人賞を受賞。83年「退屈まつり」で第89回芥川賞候補。2002年に山本音也名義の『偽書西鶴』で第9回松本清張賞を受賞(のち『ひとは化けもんわれも化けもん』に改題)。2016年『本懐に候』で舟橋聖一文学賞受賞。
中井 敏郎(なかい としろう、1944年10月20日 - 2… 中井 敏郎(なかい としろう、1944年10月20日 - 2024年12月11日)は、日本の実業家、東亜薬品株式会社代表取締役会長。一般社団法人富山県薬業連合会前会長。 1944年10月20日生まれ。富山県富山市総曲輪出身。立教高校、立教大学法学部卒業。家業である東亜薬品を継ぐために帰富し入社。1987年7月、社長就任。1994年4月、日東メディック株式会社を設立。2004年から2013年まで富山商工会議所副会頭を務める。2020年8月に社長の座を長男の中井淳に譲り会長に就任。この間、富山県薬業連合会会長を2011年から2024年まで務め、「薬都富山」をけん引。2024年には秋の叙勲で旭日双光章を受章した。
米倉 宝二(よねくら ほうじ、1944年(昭和19年)10月… 米倉 宝二(よねくら ほうじ、1944年(昭和19年)10月3日 - )は、日本のボクサー。 立教大学在学中に、1964年東京オリンピックに男子ライトウェルター級大会で出場し、3回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
左能 典代(さの ふみよ、1944年9月20日 - )は、日… 左能 典代(さの ふみよ、1944年9月20日 - )は、日本の作家で、岩茶房(がんちゃぼう)主催者。日本ナイルエチオピア学会会員、日本文芸家協会会員。 静岡県函南町生まれ。本姓は佐野。1967年、立教大学文学部英文科卒。 新潮社に勤務し、「週刊新潮」の記者となる。退社してニューヨーク大学でアメリカ文学を学ぶ。世界各地を取材し、1979年東欧に関する著書を上梓、1983年小説「ハイデラパシャの魔法」で第15回新潮新人賞を受賞。仲間と作った出版企画・制作会社「グループ・マッス」で放送局や新聞社関係の出版物も手がける。 1990年代からは中国茶の研究家となり、日中文化交流サロン岩茶房主催。2002年、日本文化振興会社会文化功労賞。
岡田 晃一(おかだ こういち、1944年6月25日 - )は… 岡田 晃一(おかだ こういち、1944年6月25日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都出身。元OBF東洋ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)チャンピオン。キングジム、のち木村ジム所属。 派手なKO勝ちとは無縁だが、それを対照とできる優れた技巧で東洋王座を5度防衛したテクニシャン。 立教大学卒。オリンピック強化選手にもなった。1968年3月20日、キャリア9戦目で東洋ジュニアフェザー級王者スルフレド・バスコに挑戦、スピーディなジャブ、ストレートで王者をアウトボクシングで翻弄、判定で王座を奪取した。 確かな技巧でその後王座を5度防衛した。1970年2月26日、元金メダリストで東洋バンタム級王者の桜井孝雄とのカードは、当代屈指の技巧派同士の一戦として話題を呼んだが、2ラウンドのダウンが祟り小差の判定負け。
岩下 世志(いわした よし、1944年5月10日 - )は、… 岩下 世志(いわした よし、1944年5月10日 - )は、日本の実業家。株式会社ゼロ(前・日産陸送株式会社)元代表取締役会長・社長、日産自動車株式会社元取締役上席常務。 1944年5月10日生まれ。1967年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、日産自動車株式会社入社。生産管理部門に10年間在籍し海外部門へ異動。 1997年同社取締役、1999年同社取締役上席常務を歴任。 2000年6月、日産陸送株式会社代表取締役社長、2001年5月、日産自動車からのMBOを完了し、同年6月に日産陸送株式会社から株式会社ゼロに商号変更。2014年8月、同社代表取締役会長に就任。 2016年9月、会長を退任し相談役名誉会長に就任。
和田 英道(わだ ひでみち、昭和19年(1944年)4月27… 和田 英道(わだ ひでみち、昭和19年(1944年)4月27日 - 平成9年(1997年)1月17日)は、日本の国文学者(日本中世文学)。跡見学園女子大学学長(1990年 - 1993年)、全国大学女子軟式野球連盟理事長、全日本大学女子野球連盟初代会長。 昭和19年(1944年)に熊本県で誕生。昭和48年(1973年)3月に立教大学大学院文学研究科博士課程(日本文学)。 昭和51年(1976年)から跡見学園女子大学講師、昭和54年(1979年)に同大学助教授、昭和59年(1984年)に教授となる。日本中世文学、とくに軍記物を専門とした。 跡見学園女子大学では平成2年(1990年)10月より平成6年(1993年)10月まで学長を務めた。
溜池 敏隆(ためいけ としたか、1944年4月18日 - )… 溜池 敏隆(ためいけ としたか、1944年4月18日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。主なポジションは三塁手。
大須賀 虔(おおすか けん、1944年4月10日 - 200… 大須賀 虔(おおすか けん、1944年4月10日 - 2001年9月27日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(東京大学・1975年)(学位論文「民事上告法の基礎的問題-制度目的との関連に於ける一考察-」)。成城大学名誉教授。民事上告制度と国際民事訴訟法に関する業績が多い。2001年9月27日に逝去。享年57。
川田 太三(かわた たいぞう、1944年2月20日 - )は… 川田 太三(かわた たいぞう、1944年2月20日 - )は、日本のゴルフ評論家・ゴルフ場設計者。 東京都出身。学童時代は一貫して立教大学付属の小学校、中学校、高校で生活し、その後アメリカ合衆国・オハイオ州立大学留学。その後立教大学に編入。卒業後個人事務所・ティ・アンド・ケイインターナショナルを設立し代表取締役に就任。自らもアマチュアゴルファーとして活動し、日本アマチュアゴルフ選手権大会、日本オープンゴルフ選手権競技などに出場する実績を持つ。 その後『中日クラウンズ』などのゴルフ中継解説者、日本ゴルフ協会競技・規則・国際委員などを歴任。また世界各地に22ヵ所のゴルフコースを設計・監修している。 母方の親戚で従妹に女優の吉永小百合がいる。
亀山 春光 (かめやま はるみつ、1944年1月23日 - … 亀山 春光 (かめやま はるみつ、1944年1月23日 - )は、日本の政治家。長崎県江迎町元町長。 1944年(昭和19年)生まれ。長崎県出身。立教大学法学部卒業。 2005年に長崎県江迎町長となり、続く2009年10月18日投票の江迎町長選挙でも、現職として当選。 2010年3月31日に実施された江迎町、鹿町町、佐世保市との3市町合併による佐世保市への編入の際には、江迎町長として、佐世保市・江迎町・鹿町町合併協議会委員の副会長も務め、合併の向けて尽力した。 合併による町長退任後は、2011年4月24日投票の佐世保市議会議員選挙に当選し、佐世保市議会議員を2015年まで1期務めた。 趣味は園芸、読書、水泳など。
宮崎 総子(みやざき ふさこ、本名:同じ、1944年〈昭和1… 宮崎 総子(みやざき ふさこ、本名:同じ、1944年〈昭和19年〉1月2日 - 2015年〈平成27年〉2月24日)は、日本のアナウンサー。愛称は「ミヤちゃん」、「フチャコ」。アナウンサーとしてのテレビ出演で知られるほか、「無名塾」のプロデューサーとして演劇製作に携わったこともある。身長150cm。 第二次世界大戦末期の1944年、裁判官だった父親の赴任先であった福岡県福岡市博多区で生まれ、間もなく母・姉とともに広島県呉市の伯父宅に疎開した。戦後、父親が弁護士に転身し、一家で東京に移った。 立教女学院高等学校から立教大学文学部英米文学科に入学、英語劇の女優として活躍し立教・慶應・早稲田・一橋の4大学英語劇コンテストでは主演演技賞を受賞したこともあってスチュワーデスにも憧れていたが、150cmで身長不足により断念。
荒井 詔二郎(あらい しょうじろう、1944年 - )は、日… 荒井 詔二郎(あらい しょうじろう、1944年 - )は、日本の実業家、ホテルメトロポリタン元代表取締役社長・総支配人、日本ホテル元顧問、立教観光クラブ元会長。 1944年生まれ。1963年3月、立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業。1967年3月、立教大学経済学部卒業。 1967年4月、第一ホテル入社。新橋の本店で研修した後、高知第一ホテルで料飲支配人、グアム第一ホテルマネージャー、富山第一ホテル副総支配人、吉祥寺第一ホテル開設準備室長、副総支配人を務める。 1990年、第一ホテル東京ベイ総支配人、1992年、第一ホテル取締役に就任。 2000年、第一ホテルサービス社長就任。2005年7月、ホテルメトロポリタン代表取締役社長・総支配人に就任。
押見 輝男(おしみ てるお、1944年 - )は、日本の心理… 押見 輝男(おしみ てるお、1944年 - )は、日本の心理学者。立教大学現代心理学部名誉教授。第17代立教大学総長。 神奈川県横浜市出身。 立教大学文学部心理学科卒業、立教大学大学院博士課程単位取得退学。2002年から2006年の間、立教大学総長(第17代)を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
結城 信孝(ゆうき のぶたか、1944年 - )は、日本のジ… 結城 信孝(ゆうき のぶたか、1944年 - )は、日本のジャーナリスト、文芸評論家、アンソロジスト、エッセイストである。日本推理作家協会会員。父は作家の結城信一。 東京都目黒区出身。立教大学経済学部卒業。1967年、ベースボールマガジン社に入社。「週刊ベースボール」「相撲」編集部に所属。1973年、内外タイムス社に入社。編集局に勤務し、文化、芸能、スポーツ、ギャンブル等の記者をつとめるかたわら、文芸評論家として活動。新聞・雑誌で書評を連載。文庫解説や作家インタビューなども手がける。 1990年退社。ギャンブル小説、ミステリを中心に、多数の小説のアンソロジーを発表している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中沢 孝夫(なかざわ たかお、1944年 - 2025年4月… 中沢 孝夫(なかざわ たかお、1944年 - 2025年4月7日)は、日本の経済評論家、福井県立大学経済学部経営学科特任教授。専門は、地域活性化論、中小企業論、産業論、人材育成論。 娘はフリーライターの中沢明子。 群馬県出身。高校を卒業後、郵便局勤務から全国逓信労働組合本部勤務を経て、1989年に立教大学法学部に入学。1993年同大卒。姫路工業大学(現・兵庫県立大学)環境人間学部教授を経て、2008年4月から福井県立大学経済学部教授、2009年より特任教授。日本の中小企業の実力を実証した著書「中小企業新時代」がベストセラーとなった。 製造業を中心に約600社の経営者や従業員からの聞き取り調査を実施したり、数多くの商店街の実態調査を行うなど、具体的なミクロの経済を専門とし、丹念な取材を行っている。
勝又 基夫(かつまた もとお、1943年 <昭和18年> 1… 勝又 基夫(かつまた もとお、1943年 <昭和18年> 12月18日 - 2009年 <平成21年> 12月20日)は、日本の経営者。勝又自動車、千葉トヨペット各社長を務めた。父親は社長を務めた勝又豊次郎。 千葉県千葉市出身。1967年に立教大学社会学部を卒業。アメリカでの留学とトヨタ自動車販売での勤務を経て、1974年に千葉トヨペットに転じ、1980年に専務を経て、1989年5月には社長に就任。1993年4月には勝又自動車社長も就任。社長在任時には、当時トヨタ自動車が「ハリアー」を2代目で生産を修了しようと検討しており、勝又はこれに反対し、全国のトヨペット店代表者に呼び掛けて、署名活動を行い、「ハリアー」を存続するようにトヨタ自動車と掛け合った。
濤川 栄太(なみかわ えいた、1943年11月22日 - 2… 濤川 栄太(なみかわ えいた、1943年11月22日 - 2009年4月15日)は、日本の教育評論家。濤川平成塾(旧「新・松下村塾」)塾長、日本教育文化研究会代表、日本と世界の子どもたちを救う会代表、「輝け日本!」会長などを死去まで務めた。国家戦略研究会議創立者。元新しい歴史教科書をつくる会副会長。 東京都出身。1966年3月、立教大学経済学部経済学科卒業。いすゞ自動車に入社したが、教師への夢を捨てきれず同大学文学部教育学科に再入学、1968年3月卒業。同年4月、横浜市小学校教員に。同市立豊田小学校教諭や南舞岡小学校教諭、同市教育センター研究員などを計19年間務めた。 在任中から教育相談や著書の執筆を行っていたが、1987年3月に退職後に独立し、日本教育文化研究会を設立。
遠藤 泰子(えんどう やすこ、1943年〈昭和18年〉11月… 遠藤 泰子(えんどう やすこ、1943年〈昭和18年〉11月19日 - )は、日本のフリーアナウンサー(元TBSアナウンサー)、声優、ナレーター、司会者である。 神奈川県横浜市出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、1966年アナウンサー11期生としてTBSへ入社。岩崎直子、川戸惠子、堀川友子、藤田恒美らが同期。1967年11月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部、1969年3月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部、1969年4月にラジオ局放送部兼第一制作部アナウンサー研修室付、1970年7月にラジオ本部アナウンス室、それぞれに在籍した。第16回民放CMコンクール・ラジオ第一種(20秒以内)「雪印乳業」で金賞を受賞した。
河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )… 河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道中川郡本別町出身。同町出身者として初のオリンピック代表選手である。名字の読みは「こうの」ではなく「かわの」である。 1962年、北海道帯広三条高等学校を卒業。立教大学に進学し、卒業後は実業団のSSSスケート(長野)に入った。現役引退後、1年間の会社員生活を経て本別町教育委員会に勤務。2000年から2003年の間本別町教育長を務めた。 大学2年時の1964年インスブルックオリンピックに出場、5000m26位、10000m32位だった。
江﨑 鐵磨(えさき てつま、1943年〈昭和18年〉9月17… 江﨑 鐵磨(えさき てつま、1943年〈昭和18年〉9月17日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(8期)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、海洋政策)、領土問題担当大臣、自由民主党総務会長代理を歴任した。姓は「江崎」とも、名は「鉄磨」とも表記される。 父は元通商産業大臣の江﨑真澄。異母弟は元衆議院議員の江﨑洋一郎。 愛知県一宮市に生まれる(現在は一宮市時之島に在住)。一宮市立向山小学校、一宮市立南部中学校、愛知県立一宮高等学校卒業。1967年3月、立教大学文学部教育学科卒業。同年4月、少林寺拳法の開祖である宗道臣の秘書となる。1971年1月から衆議院議員の父・江﨑真澄の秘書を務める。
江崎 鉄磨(えさき てつま、1943年9月17日 - )は、… 江崎 鉄磨(えさき てつま、1943年9月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。父は元衆議院議員の江崎真澄[要出典]。元衆議院議員の江崎洋一郎は異母弟[要出典]。
大森 康宏(おおもり やすひろ、1943年6月18日 - )… 大森 康宏(おおもり やすひろ、1943年6月18日 - )は、日本の文化人類学・民俗学者。専攻は映像人類学。国立民族学博物館名誉教授。東京都出身。ヨーロッパ巡礼の民族誌映画制作と文化的背景の比較研究をテーマとしている。 ※出典は国立民族学博物館ウェブサイト。 1968年に立教大学経済学部経済学科を卒業する。その後、フランスに留学し、1972年にトゥール大学人文社会学部修士課程を、1974年にパリ第5大学民族学修士課程を、1977年にパリ第10大学民族学博士課程を、それぞれ修了した。フランス滞在中は ヌーヴェルヴァーグの映画作家として知られるジャン・ルーシュに師事した。 帰国後、1976年に国立民族学博物館第3研究部助手となる。
槌田 誠(つちだ まこと、1943年6月12日 - 1999… 槌田 誠(つちだ まこと、1943年6月12日 - 1999年1月7日)は、岡山県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。
松本 照夫(まつもと てるお、1943年3月23日 - 19… 松本 照夫(まつもと てるお、1943年3月23日 - 1992年7月1日)は栃木県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 栃木商業高等学校では甲子園には出場できなかった。高校同期に宮下陽吾投手(国鉄)がいる。卒業後は立教大学へ進学。エースとして活躍するが、東京六大学野球リーグでは当時法大、慶大が二強として争い、優勝には届かなかった。リーグ通算43試合登板、20勝12敗、防御率1.27、99奪三振。大学同期に土井正三、山口富士雄(中退)、森本潔(中退)がいる。 大学を中退し1964年に阪急に入団。大型右腕投手として期待され、1965年には6試合に先発するが結果を残せず、その後は中継ぎとして起用される。