瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6… 瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6日 - 1982年(昭和57年)6月1日)は、日本の小説家、随筆家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。 息子は瓜生中(うりゅう なか)で同じく作家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5… 多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5日 - 1995年4月9日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員、同党書記長。広島県呉市出身。正三位勲一等旭日大綬章。
玉城 俊一(たまき としかず、1920年(大正9年)1月4日… 玉城 俊一(たまき としかず、1920年(大正9年)1月4日 - 1991年(平成3年)7月17日)は、日本の銀行家。荘内銀行頭取を務めた。 東京生まれ。学徒出陣を経て安田銀行(のち富士銀行)入行。安田商店発祥の地である小舟町支店で取締役支店長を務めた。 1970年代、荘銀がメイン先を務める農機具製造の今間製作所(現:コンマ製作所)や、庄内交通等の経営危機が表面化しその不良債権処理に際して、ノウハウの提供と資金的、人的支援を安田銀行以来の親密先である富士銀行に求めることになり、玉城が招聘され第5代頭取に就任した。 頭取時代は、山形相互銀行(現:きらやか銀行)と折半出資により、エスワイコンピューターサービスを設立し、委託方式で共同オンラインを稼動させた。
塩谷 一夫(しおのや かずお、1920年〈大正9年〉1月2日… 塩谷 一夫(しおのや かずお、1920年〈大正9年〉1月2日 - 1989年〈平成元年〉12月28日)は、日本の政治家、元自由民主党所属衆議院議員。 静岡県磐田郡袋井町(現・袋井市)出身。袋井町長、中遠鉄道社長、袋井合同運送取締役を務めた塩谷桑平と、きく(古田庄太郎二女)の七男。1941年に早稲田大学政治経済学部卒業。 1946年、地方建設研究所長。1948年、静岡県教育委員会委員。1951年、同県社会教育協会事務局長、同県総務部秘書課長となり1955年、県民会館長を兼務する。1957年、同県企画調整部秘書課長。 1967年、静岡県教育委員会企画調整部長を経て、第31回衆議院議員総選挙に中選挙区時代の旧静岡3区から立候補し初当選(通算7回当選)。
助野 健太郎(すけの けんたろう、1920年1月1日 - 1… 助野 健太郎(すけの けんたろう、1920年1月1日 - 1993年9月11日)は、日本史学者。 横浜出身。1942年早稲田大学文学部史学科卒。南方へ出征し、1946年復員、滋賀県の近江兄弟社に1948年まで参加する。大学院で学び、関東学院六浦中学校・高等学校教諭、聖心女子大学文学部助教授、教授。1991年定年、名誉教授。教え子に上皇后美智子。早大(非常勤)での教え子に小和田哲男がいた。統一教会員。日本キリシタン史が専門。
二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1… 二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉1月27日)は、日本の政治家。香川県高松市出身。東北帝国大学法文学部中退。参議院議員(4期)。 香川県高松市錦町に生まれた。1941年(昭和16年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業。1944年(昭和19年)東北帝国大学法文学部を中退した。同年、朝日新聞東京本社に入社し、前橋支局勤務、札幌支局勤務を経て政治経済部記者となり、1951年(昭和26年)に退社した。 1959年(昭和34年)高松市議会議員に当選。1962年(昭和37年)7月1日、第6回参議院議員通常選挙で全国区から無所属で立候補し、初当選する(以降、連続4期在任)。
今村 宣彦(いまむら のぶひこ、1920年- 没年不明 )は… 今村 宣彦(いまむら のぶひこ、1920年- 没年不明 )は、プロ野球球団近鉄バファローズ球団代表である。 奈良県出身。1944年に早稲田大学法学部を卒業し、1948年に近畿日本鉄道に入社した。 1952年に近鉄パールスに出向しマネージャーと球団営業部長を歴任した。 1972年に球団代表に就任し、西本幸雄への招聘などチームの体質の改善に力を入れた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020… 奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020年11月13日)は、競泳コーチ。オリンピック選手を多く輩出しているイトマンスイミングスクール名誉会長。 大阪府生まれ。旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)卒業。中学5年時には水球日本代表にも選出された。早稲田第二高等学院を経て、早稲田大学に入学、水泳部である「稲泳会」に入部。1942年9月末の繰上卒業で従軍。愛知県豊橋市の陸軍南方軍第2航空師団入隊。その後第7飛行師団司令部付きとなり、フィリピン、ビルマを転戦。鹿児島県知覧町(現南九州市)の知覧陸軍飛行場で終戦を迎え、戦後は家業の造り酒屋で働く。後に競泳コーチに転身。山田スイミングクラブを経て、イトマンスイミングスクール会長となった。
近藤 清(こんどう きよし、1920年 - 1945年4月2… 近藤 清(こんどう きよし、1920年 - 1945年4月28日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部で外野手として活躍した人物である。岐阜県出身。
崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - … 崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - 1989年1月27日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第2代韓国国会議員。 慶南密陽出身。早稲田大学卒。大東新聞(大同新聞)密陽支局長、大韓青年団(韓国青年団)密陽郡団長、孤児院長を務めた。 国会議員在任中は郷校財産管理法案を提出した。 5・26政治波動の時、憲兵司令官の元容徳将軍の胸ぐらを掴んで「お前国会議員か」と言った。
安井 正(やすい ただし、1919年 <大正8年> 12月1… 安井 正(やすい ただし、1919年 <大正8年> 12月14日 - 2005年 <平成17年> 8月21日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1941年に早稲田大学法学部仏法学科を卒業し、1942年に三菱信託銀行に入行。1970年5月に取締役に就任し、1972年10月に常務、1976年7月に専務、1978年9月に副社長を経て、1980年11月には社長に就任。社長在任時には、貸付信託「ビッグ」などの新商品の開発・販売に尽力し、経営基盤を整備した。1984年3月に会長に就任し、1990年3月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1990年11月に勲二等瑞宝章を受章。
石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1… 石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1992年5月3日)は、日本の経済評論家、実業家。元ダイヤモンド社社長。 東京・赤坂にて、石山賢吉の長男として生まれる。1943年早稲田大学卒。1948年早稲田大学大学院特別研究生修了。ダイヤモンド社入社。編集局長、副社長、社長を経て、1973年退社。1976年新しい経営者像の会(AKK)を設立。
山崎 安治(やまざき やすじ、1919年11月13日 - 1… 山崎 安治(やまざき やすじ、1919年11月13日 - 1985年3月11日)は、日本の登山家。 神奈川県小田原生まれ。1942年早稲田大学法学部卒、日刊スポーツ新聞社に入り、文化部長、整理部長を務めた。日本の積雪期登山の先駆者の一人で、昭和10年代に早大山岳部の主力メンバーとして、穂高岳や冠帽峰(北朝鮮)に極地法登山を展開、初登攀記録も作った。のち登山史研究に専念。日本山岳協会常任理事。
岡田 実(おかだ みのる、1919年11月5日 - 1989… 岡田 実(おかだ みのる、1919年11月5日 - 1989年3月11日)はNHKの元アナウンサー。 ミュージシャンの岡田徹は息子。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学政治経済学部卒業。1944年、NHKにアナウンサーとして入局。スポーツアナウンサーの大御所であった志村正順のもとでスポーツ実況の訓練を受ける。当時、志村のもとで訓練を受けた若手アナウンサーに宮田輝、高橋圭三、鈴木文彌、北出清五郎、斎藤正男、松本憲夫らがいる。岡田自身もその後、若手アナウンサー育成に寄与した。 主にプロ野球中継で活躍したほか、ラグビー、テニス、大相撲、オリンピック中継も担当している。明朗な声で歯切れもよく、正確な描写、試合の確信を突く分析力が受け、アナウンサー志望者に多大な影響を与えた。
倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 20… 倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 2000年5月17日)は、日本の英文学者、演劇評論家、演出家。早稲田大学名誉教授。本名の読みは「けん」。 日本統治時代の朝鮮京城で出生後、現在の長野県飯山市で育つ。弟の倉橋潔は化学者(大阪大学名誉教授)。1941年早稲田大学英文学科卒。応召、1947年復員、1949年ワシントン州立大学留学、帰国後は早稲田大学文学部助手、講師、助教授、1958年教授。1970年から1989年まで早稲田大学演劇博物館館長。1988年から1990年まで日本演劇学会会長。1990年定年退任、名誉教授。1983年秋、紫綬褒章受勲。 アーサー・ミラーなどの翻訳だけでなく、劇団青俳に参加し安部公房の戯曲『どれい狩り』『快速船』の舞台演出を担当した。
武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月… 武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月10日 - 2012年(平成24年)4月1日)は、日本の歌人。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1940年(昭和15年)、早稲田大学専門部に入学、1943年、早稲田大学文学部国文科に編入学。このころ作歌を始め、仲間とともに窪田章一郎を中心に早稲田大学短歌会を作り、窪田空穂の教えを受けた。 1946年、帰郷していた諏訪で「まひる野」創刊に参加、発刊の事務作業等は諏訪において行った。同年早稲田大学文学部文学科国文学専攻卒業。1947年上京、早稲田高等学院教諭などを経て、早稲田大学社会科学部教授となった。
徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年… 徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年不明)は、日本の教育評論家、平和運動家。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。1946年から1959年まで出版社勤務、1965年大連外語外賓教授として渡中。1967年から歴史教育者協議会副委員長に就く。1975年高知大学、1981年和光大学、1982年法政大学で非常勤講師を務める。家永三郎の教科書検定訴訟を30年以上支援し、支援する全国連絡会常任委員。
浜田 寅彦(はまだ とらひこ、1919年9月18日 - 20… 浜田 寅彦(はまだ とらひこ、1919年9月18日 - 2009年10月15日)は、日本の俳優。本名は同じ。 高知県安芸郡奈半利町出身。早稲田大学文学部卒業。劇団俳優座に所属していた。 1937年、早稲田大学文学部国文学科に進み、在学中に演劇の道を志す。移動劇団・瑞穂劇団の研究生を経て、兵役後の1946年に劇団俳優座に入る。『桜の園』や『三人姉妹』などの舞台に立った。 1947年『女優須磨子の恋』で映画デビューして以降、映画で端役・助演問わず多くの作品に出演し、1956年公開の映画『壁あつき部屋』では主演を務めた。またテレビ放送が開始された1953年当時からテレビドラマに出演しており、特に刑事ドラマや時代劇における悪役として、悪徳商人やヤクザの親分、庄屋の役などを演じたが、1980年代以降は善人役・老人役を演じることが多くなった。
中山 好三(なかやま よしぞう、1919年9月8日 - 19… 中山 好三(なかやま よしぞう、1919年9月8日 - 1982年10月8日)は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。山口県出身。 1940年に早稲田大学専門部政治経済学科を卒業し、同年に日興証券に入社した。 1962年11月に取締役に就任し、1964年11月に常務、1968年8月に専務、1972年11月に副社長を経て、1975年3月に社長に就任。1981年12月には会長に就任。 1982年10月8日肺炎のために死去。63歳没。
高碕 芳郎(たかさき よしろう、1919年8月30日- 20… 高碕 芳郎(たかさき よしろう、1919年8月30日- 2011年4月10日 )は、日本の経営者。東洋製罐社長、会長を務めた。高碕達之助の長男。 大阪府出身。1953年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に東洋製罐に入社した。常務、専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1964年には社長に昇格した。1992年6月に会長に就任し、2001年6月には名誉会長に就任。関西テレビ放送取締役も務めた。 1999年4月に藍綬褒章を受章した。 2011年4月10日、老衰のために死去。91歳没。墓所は小平霊園。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月… 武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月20日 - 1986年(昭和61年)6月8日)は、日本の小説家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学独文科卒。 早稲田大学在学中に同人誌「炬火」に参加。 芥川賞候補に4回推されるが、いずれも受賞を逸した。 1960年作の「自由ヶ丘夫人」(光文社)はベストセラーとなり、1960年8月に映画化(東宝、監督佐伯幸三。出演:新珠三千代・池部良・淡路恵子・安西郷子・加東大介・浜美枝・有島一郎・杉葉子)されて、自由が丘の高級住宅街としてのイメージアップにつながった。また全国に「〜丘」という地名が出来るきっかけともなった。この他に「芦屋夫人」(1959年)、「銀座夫人」(1962年)がある。
鈴木 隆(すずき たかし、1919年8月12日 - 1998… 鈴木 隆(すずき たかし、1919年8月12日 - 1998年1月25日)は、日本の児童文学作家。 岡山県生まれ。旧制岡山中学校から会津の旧制喜多方中学校に転校。早稲田大学文学部卒。 早大童話会経由で坪田譲治に師事して童話作家となる。1966年に刊行した自伝的長編『けんかえれじい』が鈴木清順によって映画化され、この作で有名になる。
小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 201… 小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 2010年10月16日)は、日本の経済学者。専門は、経済政策。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1945年早稲田大学政治経済学部卒業。1949年同大学院修了。同大学助手、政治経済学部助教授を経て、1955年教授、1978年学部長。麗澤大学初代国際経済学部(現・経済学部)長、同大学名誉教授。民主社会主義研究会議第4代議長(1983~1994)、日本経済政策学会名誉会員、学校法人廣池学園顧問、サンリツ服部美術館理事、諏訪郷友会評議員・長善館館長などを務めた。晩年は、郷里近くの長野県茅野市で過ごした。1997年勲三等旭日中綬章受勲。
菊池 渙治(きくち かんじ、1919年(大正8年)6月10日… 菊池 渙治(きくち かんじ、1919年(大正8年)6月10日 - 2003年(平成15年)6月16日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。青森県むつ市長。 青森県下北郡田名部町(現:むつ市)に生まれる。早稲田大学付属第二高等学院を経て、1943年(昭和18年)同大文学部を卒業する。一時東京府の私立佐藤高等女学校教諭を務めた後に帰郷し、田名部農業協同組合長・田名部町議会議員に。むつ市設置でむつ市議会議員になり、初代の市議会議長になると共に紅服装専門学校の設置者などを務める。 1967年(昭和42年)に青森県議会議員に転じ、2期目途中の1973年(昭和48年)に原子力船「むつ」の受け入れ阻止グループから請われる立場でむつ市長選に出馬。
田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 … 田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 - 2001年(平成13年)10月9日)は、昭和戦後から平成前期の実業家、政治家。長野県須坂市長。 長野県上高井郡須坂町(現須坂市)で、田中新十郎、田鶴の長男として生まれた。生家は代々須坂藩の御用達を務めた豪商「田中家」。長野中学校(現長野県長野高等学校)を経て、1942年(昭和17年)9月、早稲田大学商学部卒業。翌月に召集され1946年(昭和21年)7月に復員した。 1947年(昭和22年)須坂町議会議員となる。1953年(昭和28年)田中殖産 (有) を設立し社長に就任した。1964年(昭和39年)11月、長野県議会議員となり5期在任し、土木住宅委員長、農政林務委員を務める。
朴 甲東(パク・カプトン、朝鮮語: 박갑동、1919年3月3… 朴 甲東(パク・カプトン、朝鮮語: 박갑동、1919年3月31日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、朝鮮民主主義人民共和国の官僚、ジャーナリスト、日本の実業家、大韓民国の人権活動家。朝鮮民主統一救国戦線常任議長。 日本統治時代の慶尚南道山清郡出身。16歳の時に渡日し、早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1941年に帰国し独立運動に参加した。解放日報政治部記者、労力人民編集部長などを務め、1950年4月に南朝鮮労働党地下総責となるも同年6月に朝鮮戦争に非協力だったという理由で解職された。その後、文化宣伝省(現在は廃止)欧州部長を務めるが、1953年に金日成による粛清に巻き込まれ逮捕・監禁されたが、釈放された。
高島 隆平(たかしま りゅうへい、1919年(大正8年)3月… 高島 隆平(たかしま りゅうへい、1919年(大正8年)3月28日 - 2014年(平成26年)12月3日)は日本の実業家、元朝日生命保険社長・会長。岐阜県出身。
寺山 義雄(てらやま よしお、1919年3月28日 - 20… 寺山 義雄(てらやま よしお、1919年3月28日 - 2002年10月26日)は、農政ジャーナリスト。 埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。1943年早稲田大学政治経済学部卒、同盟通信社に入社、1945年共同通信社、1962年論説委員。79年退社。農政について多くの記事を書き、取材を行った。 2002年10月26日死去。83歳没。
広沢 賢一(廣澤 賢一、ひろさわ けんいち、1919年〈大正… 広沢 賢一(廣澤 賢一、ひろさわ けんいち、1919年〈大正8年〉3月15日 - 2003年〈平成15年〉2月15日)は、日本の政治家、政治活動家。日本社会党から衆議院議員当選1回。男性。 東京府出身。1942年(昭和17年)早稲田大学政治経済学部卒。第二次世界大戦敗戦後、大内兵衛、鈴木茂三郎の社会主義政治経済研究所所員となり、1949年に日本社会党本部書記となる。その後、鈴木の秘書を務める傍ら、党政策審議会事務次長、組織部長企画室長を歴任。 1959年、浅沼稲次郎社会党書記長を団長とした中華人民共和国訪問団に随行した。浅沼は右派の出身で、左派で鈴木茂三郎・佐々木更三派の広沢を「ゴクサ(極左の誤読)」と呼んでいた。
吉田 喜一(よしだ きいち、1919年(大正8年)3月6日 … 吉田 喜一(よしだ きいち、1919年(大正8年)3月6日 - 1944年(昭和19年)12月21日)は、昭和時代戦前の競泳選手。 大分県出身。早稲田大学在学中、1936年ベルリンオリンピックに競泳日本代表として男子100m背泳ぎに出場し5位に入賞した。 太平洋戦争が勃発すると陸軍に召集され飛行第73戦隊に所属した。1944年(昭和19年)12月、ミンダナオ島にて特攻により戦死した。
中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 … 中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 - 2011年4月15日)は、青森県八戸市出身の日本放送協会職員、どどいつ作家、詩人。本名・中道定雄(なかみち・さだお)、 早稲田大学卒。1941年東京中央放送局(後のNHK)に入局。バラエティー番組「とんち教室」や、ドキュメンタリー番組、テレビ文芸部部長、芸能局長などを歴任。退職後は詩人、どどいつ作家となる。 NHKラジオ第1放送のリスナー参加の番組「文芸選評」で「どどいつ」の選者として参加。著書に「新編・どどいつ入門」がある。 2011年4月15日、心不全のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 19… 秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 1993年7月12日)は、日本のフランス文学者。早稲田大学名誉教授。 マラルメ、シュールレアリスムなどを研究した。 岡山県生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学教養部助教授、教授。1989年に定年退任、名誉教授。
武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 19… 武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 1998年4月23日)は、日本の作家、翻訳家、アンソロジスト。蘭 妖子としても活動した。 東京出身。早稲田大学専門部政経学科卒業。 詩人の岩佐東一郎の紹介で岩谷満と知りあいとなり、1946年に岩谷とともに『宝石』の創刊に携わり、武田自身の作品も掲載された。1948年に『宝石』の編集長となったあとも、推理小説家としての活動も並行して行なった。1950年に編集長を退任すると、翻訳や子供向けリライト、アンソロジーを手掛けた。熱心な宝塚歌劇のファンでもあった。
兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日… 兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日または1921年 - 1980年9月13日)は、大韓民国の警察官、政治家。居昌邑(朝鮮語版)邑長、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の慶尚南道陜川郡出身。陜川公立普通学校(現・陜川初等学校(朝鮮語版))、大邱農林学校(現・大邱農業マイスター高等学校(朝鮮語版))を経て、早稲田大学校外生講義録修了。国立警察専門学校(現・警察人材開発院(朝鮮語版))、建国大学法政学部卒。警察官在任中は反共闘士として智異山地区における共匪の討伐に功績を残した。政界入り後は初代民選居昌邑(朝鮮語版)邑長、自由党陜川郡党委員長・中央委員、民議員を務めた。
六角 恒広(ろっかく つねひろ、1919年1月6日生まれ)は… 六角 恒広(ろっかく つねひろ、1919年1月6日生まれ)は、日本の中国語学者。故人。 東京生まれ。早稲田大学経済学部卒。同学商学部助教授・教授。1989年の定年後、名誉教授。倉石(武四郎)賞受賞。
細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 … 細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 - 2009年8月25日)は、日本の政治記者・評論家・コメンテーター、タレント・ラジオパーソナリティである。第79代内閣総理大臣の細川護熙は遠い親戚関係に当たる。
小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 19… 小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 1945年2月) は、日本の元アマチュア野球選手。新潟県出身。 柏崎中学(現・新潟県立柏崎高等学校)を経て、1939年早稲田大学に入学。東京六大学リーグ戦で捕手として出場した。しかし学徒出陣により応召され、1945年2月、フィリピン北部・ルソン島にて戦死した。享年25。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている。
齋藤 雅男(さいとう まさお、1919年 - 2016年)は… 齋藤 雅男(さいとう まさお、1919年 - 2016年)は、日本の鉄道技術者。 福岡県福岡市で、祖父は医学士、父はレントゲン技師という家庭に生まれる。戦時中に早稲田大学理工学部(機械工学)を卒業し、陸海軍技術将校となる。戦後、運輸省に入省するが、同省から鉄道部門が日本国有鉄道(国鉄)として独立した際そこに移籍、以降、東海道新幹線での安定化・輸送力増強に尽力したのを始め、内外の鉄道技術やシステムに深く関与。国際連合開発計画エグゼクティブ・アドバイザー、鉄道工学専門家。台湾高速鉄道では、審査官を務め、島隆とともに日本の技術供与にも尽力し、開業後もコンサルタントとして何度も台湾に渡航していた。2016年に死去。
加計 朋吉(かけ ともきち、1918年〈大正7年〉12月25… 加計 朋吉(かけ ともきち、1918年〈大正7年〉12月25日 - 没年不明)は、日本の政治家(広島県山県郡加計町長)。 広島県出身。1941年、早稲田大学商科卒業。明電舎に入社。1947年、加計町長に当選。広島町村会理事を務め、1963年、町長に再選。 芸備銀行加計支店長加計慎太郎は従兄。家族は妻、長女。宗教は神道。住所は広島県山県郡加計町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 199… 長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 1990年10月28日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。位階は従三位。勲等は勲一等。 新潟県長岡市で生まれ育つ。旧制新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)卒業後、旧制第一早稲田高等学院(現在の早稲田大学の教養課程)入学している。その後は、父の死去に伴い旧制早稲田高等学院を中退し、17歳で長谷川酒造社長に就任する。 その後、戦時中は1942年5月、南西方面艦隊海軍民政府に志願し、インドネシアのセレベス島マカッサルに勤務したとされている。1944年12月、帰国した。 終戦後、青年団活動を経て、上組村議、宮内町議、長岡市議を2期、新潟県議会議員を4期を務めあげた。
戸田 順之助(とだ じゅんのすけ、1918年(大正7年)12… 戸田 順之助(とだ じゅんのすけ、1918年(大正7年)12月1日 - 2013年(平成25年)10月9日)は日本の実業家、元戸田建設社長・会長。東京都出身。
鵜月 洋(うづき ひろし、1918年〈大正7年〉11月29日… 鵜月 洋(うづき ひろし、1918年〈大正7年〉11月29日 - 1965年〈昭和40年〉6月12日)は、日本の国文学者。専門は、近世日本文学及び宣伝・広告文。 1918年11月29日、千葉県銚子市に生まれる。 第二早稲田高等学院を経て、1939年4月1日、旧制早稲田大学文学部文学科国文学専攻に入学。学徒出陣のため、1941年12月25日に繰り上げ卒業となる。卒業論文は暉峻康隆の指導の下、江戸戯作(洒落本)をテーマとし、成績優秀だったため優等賞を受けた。 1942年4月1日に早稲田大学大学院に入学。同年9月27日には論文「近世後期写実小説の研究」に教職員賞が与えられた。同年9月の城右高等女学校教諭、1944年9月から日本文学報国会主事となる。
伊藤 孝次郎 (いとう こうじろう、1918年(大正7年)1… 伊藤 孝次郎 (いとう こうじろう、1918年(大正7年)11月12日 - 1992年(平成4年)5月10日)は、日本の地方政治家。東久留米市長を務めた。 山形県出身。早稲田大学専門部政経科に通い(1940年卒業)、1939年中外商業新報記者となる。翌年青島興亜新報支局長兼論説委員となる。戦後、東京タイムズに入り、社会部次長を経て、総理府公職訴願審査委員会事務局に勤める。その後、東京都久留米町議会(現・東久留米市議会)議員に当選。市制施行後に副議長に就任した。 1978年10月10日、東久留米市長の石塚政寿が汚職事件の責任をとり辞職。石塚の辞職に伴い11月26日に行われた市長選に社会党・共産党の推薦を得て立候補。
史 明(しめい、シーミン、1918年11月9日 - 2019… 史 明(しめい、シーミン、1918年11月9日 - 2019年9月20日)は、台湾の歴史家、台湾独立運動家。 中国国民党の弾圧を避けて日本に亡命し、『台湾人四百年史』を著した。台湾民主化後、帰国。台湾独立運動の指導者の一人で、「独立台湾会」の設立者。左目を失明している。本名は施朝暉(し・ちょうき、シー・ディアウフイ)。 1918年11月9日、日本統治時代の台北州士林にて出生。父の林済川は台湾の豊原出身で、若い頃に日本に留学して台湾文化協会の活動に関わり、また『台湾青年』の編集に携わる経験を持っていた。母は士林の富豪の施家の出身で、5人兄弟のうち史明だけが母の姓に従っている。 1937年に日本へ渡り、早稲田大学で政治学を学ぶ。
小沼 丹(おぬま たん、1918年〈大正7年〉9月9日 - … 小沼 丹(おぬま たん、1918年〈大正7年〉9月9日 - 1996年〈平成8年〉11月8日)は、日本の小説家、英文学者。位階は従四位。本名は小沼 救(おぬま はじめ)。日本芸術院会員。 「大寺さんもの」など、日常を題材とした小説のほか、随筆の名手としても知られる。また、英文学者としても知られており、早稲田大学では文学部教授として教鞭を執った。 東京府東京市下谷区下谷町に父邁(すぐれ)、母涙子(るいこ)の長男として生まれる。明治学院中学部、高等学部英文科を経て、1942年(昭和17年)に、早稲田大学文学部英文科を卒業した。後年、1958年(昭和33年)から、母校早稲田大学文学部で教授を務めている。
斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈… 斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈大正7年〉8月9日 - 2018年〈平成30年〉8月9日)は、日本の実業家・政治家。富士市名誉市民。静岡県知事(第47・48代)、建設大臣(第44代)、衆議院議員(6期)、富士市長、吉原市長、大昭和製紙社長などを歴任した。 大昭和製紙の創業者、斉藤知一郎の次男。防衛庁長官を務めた元衆議院議員の斉藤斗志二は甥で養子。 静岡県出身。五年制男子校・静岡県立沼津中学校(現:静岡県立沼津東高等学校 共学)を経て、早稲田大学商学部卒業。大学卒業後の1940年、父・斉藤知一郎が創業した大昭和製紙に入社した。1961年より大昭和製紙副社長。 1964年、吉原市長に初当選し1966年の市町村合併により初代富士市長。
水野 祐(みずの ゆう、1918年7月25日 - 2000年… 水野 祐(みずの ゆう、1918年7月25日 - 2000年8月28日)は、日本の古代史学者。早稲田大学名誉教授。 1918年、東京生まれ。本名・水野正圀。石坂家の長男として生まれるが、母方の水野家の養子に入る。 東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)、第一早稲田高等学院を卒業。早稲田大学文学部史学科国史専攻で日本古代史と文化人類学を学び、1941年に卒業。1946年4月、復員。 1972年、文学博士。早稲田大学文学部教授を経て、1989年、定年、名誉教授となる。日本古代史について一般向け著書を多くなした。著作集全10巻がある。 門下生に金鉉球など。 『日本古代王朝史論序説』(1952年初版、1954年増訂版)において万世一系を否定し、日本の古代王朝は単一王朝ではなく、古王朝(先王朝と崇神王朝(崇神 - 仲哀))・中王朝(仁徳王朝(応神 - 雄略)と後仁徳王朝(飯豊))・新王朝(継体王朝)の三王朝が交替した、とする、いわゆる「三王朝交替論」を提唱した。
市川 慶三(いちかわ けいそう、1918年7月8日 - 20… 市川 慶三(いちかわ けいそう、1918年7月8日 - 2003年4月13日)は、日本の銀行家。 石川県羽咋郡志雄町(現宝達志水町)出身。1938年に早稲田大学専門部商科を卒業し、同年に朝鮮殖産銀行に入行。 1945年12月に宇部信用組合を経て、1952年6月には西日本相互銀行に転じ、1970年5月に取締役に就任。1973年7月に常務、1975年12月に専務を経て、1978年2月に副社長に就任し、1982年10月には社長に昇格。1984年4月には普通銀行に転換した西日本銀行頭取に就任。1988年6月に会長に就任し、1995年6月に常任相談役を経て、1996年6月には相談役に就任。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。
上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 … 上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 - 2013年〈平成25年〉7月2日)は、日本の政治家。 福島県いわき市出身。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業。日本水素(現・日本化成)に入社し、労働組合書記長、同委員長、平市議会議員、福島県議会議員等を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で、旧福島3区より日本社会党公認で初当選。連続6回当選し1990年(平成2年)の総選挙では立候補しなかった。その後、いわき市長選に立候補するが、岩城光英に敗北する。 1989年4月の春の叙勲で勲二等に叙され旭日重光章を受章する。 2013年7月2日、肺炎のため死去。
久野 昌輝(ひさの まさてる、1918年(大正7年)7月1日… 久野 昌輝(ひさの まさてる、1918年(大正7年)7月1日 - 1989年(平成元年)9月21日)は、日本の経営者。テレビ西日本元社長。 東京都出身。1944年に早稲田大学法学部を卒業し、1951年に文化放送に入社した。1961年にフジテレビジョンの総務部長に就任し、取締役、常務、専務を歴任した。 1973年にテレビ西日本の専務に就任し、1979年から1985年までに社長を務めた、1985年以降、取締役相談役、顧問、フジテレビジョン監査役を歴任した。日本民間放送連盟副会長も務めた。 1983年に藍綬褒章を受章し、1989年に勲三等旭日中綬章を受章した。 1989年9月21日腎不全のために死去。