池下 卓(いけした たく、1975年4月10日 - )は、日… 池下 卓(いけした たく、1975年4月10日 - )は、日本の政治家、税理士。日本維新の会所属の衆議院議員(3期)。大阪府議会議員(3期)を務めた。 1975年4月10日、大阪府高槻市山手町で誕生。誕生した日は、祖父の佐一郎が市議会議員選挙に当選した日であった。 高槻市立磐手小学校、高槻市立第八中学校、大阪府立高槻北高等学校を経て、龍谷大学卒業、同大学大学院修了。 大学院修了後、経理専門学校で簿記・税務の講師となり、その後、大阪市西区の税理士法人に税理士として所属し、 高槻市内の小野晃嗣税理士事務所にも所属していた 。 2011年4月の大阪府議会議員選挙に高槻市・三島郡選挙区から大阪維新の会公認で立候補し、47,027票を獲得し、同選挙区内で得票数1位となり初当選。
谷口 雄一(たにぐち ゆういち、1973年1月15日 - )… 谷口 雄一(たにぐち ゆういち、1973年1月15日 - )は、日本の政治家。京都府木津川市長(1期)。元木津川市議会議員(2期)。 現在の京都府木津川市出身。龍谷大学法学部卒業。卒業後は損害保険会社社員などを務め、2015年の木津川市議会議員選挙に無所属で出馬し、無投票で初当選する。2019年に再選。 2023年2月任期満了に伴う京都府木津川市長選挙に無所属で立候補する意向を示した。自民党京都府連は谷口を推薦。立候補に際し、谷口は自民のほか公明、立憲民主各党の推薦を受けた。 4月の市長選挙では、日本維新の会が推薦した候補らを破って、初当選を果たした。
本村 伸子(もとむら のぶこ、1972年10月20日 - )… 本村 伸子(もとむら のぶこ、1972年10月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)を務めた。 愛知県豊田市生まれ。父親は日本共産党愛知県委員会の書記長や労働部長を務めた本村映一。父・映一は長崎市の出身で5歳のときに被爆した。東京教育大学在学中に知り合った女性と結婚。相手が愛知県出身だったことから、卒業後豊田市に移り、足助町立足助中学校(現・豊田市立足助中学校)や豊田市立松平中学校などで10年間数学を教えた。本村伸子は「被爆二世として生まれたことは私が政治に携わってきた原点」と述べている。 豊田市立青木小学校、豊田市立猿投台中学校、愛知県立刈谷高等学校卒業。ゴスペラーズの酒井雄二は高校時代の同級生にあたる。
宗清 皇一(むねきよ こういち、1970年〈昭和45年〉8月… 宗清 皇一(むねきよ こういち、1970年〈昭和45年〉8月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。 復興大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官(菅義偉内閣)、大阪府議会議員(2期)、自由民主党大阪府支部連合会会長などを歴任。 1970年8月9日、大阪府東大阪市出身。大阪府立花園高等学校を経て、龍谷大学文学部文学科英文学専攻卒業。卒論テーマはアーサー・ミラーの『セールスマンの死』。学士(文学)の学位を取得。民間企業勤務を経て塩川正十郎(自由民主党代議士)事務所入り、塩川正十郎が第1次小泉純一郎政権で財務大臣に就任した際には公設秘書に起用されている。
岡田 一樹(おかだ かずき、1965年(昭和40年)4月25… 岡田 一樹(おかだ かずき、1965年(昭和40年)4月25日 - )は、日本の政治家。大阪府藤井寺市長(2期)。 大阪府藤井寺市出身。藤井寺市立藤井寺小学校、藤井寺市立藤井寺中学校、清風高等学校、龍谷大学経営学部卒業。 1989年(平成元年)4月、マイカルに就職。1996年(平成8年)5月、岡田園茶舗代表となる。藤井寺駅周辺まちづくり協議会会長として地域活性化に取り組む。2018年(平成30年)12月、岡田園茶舗の経営から退く。 2019年(平成31年)1月22日、任期満了に伴う藤井寺市長選挙に立候補する意向を表明した。同年4月21日に行われた市長選で、副市長の松浦信孝、元市職員の北本義和らを破り初当選した。
海東 英和(かいとう ひでかず、1960年(昭和35年)1月… 海東 英和(かいとう ひでかず、1960年(昭和35年)1月24日 - )は、日本の政治家。滋賀県議会議員(1期)。高島市長(初代)、新旭町長(第6代)、新旭町議会議員(2期)等を歴任した。 滋賀県出身。滋賀県立高島高等学校、龍谷大学経済学部卒業。1982年、大学を卒業し新旭町役場に就職。1991年、新旭町役場を退職。同年、新旭町議会議員選挙に出馬し、当選した。町議の傍ら、民間企業にも勤務していた。 1999年、新旭町長に当選し、2005年まで2期6年務めた。高島郡5町1村から構成される高島地域合併協議会の会長を務め、2005年1月1日に高島市が誕生。同年2月の高島市長選挙で初代市長に当選した。
瀧本 豊文(たきもと とよふみ、1955年(昭和30年)12… 瀧本 豊文(たきもと とよふみ、1955年(昭和30年)12月15日 - )は、日本の政治家。元岡山県井原市長(3期)、元芳井町長(1期)。 龍谷大学文学部卒業。1979年(昭和54年)8月1日、芳井町役場に採用される。 2002年(平成14年)の芳井町長選挙に初当選した。同年5月20日、町長就任。2005年(平成17年)3月1日、芳井町は小田郡美星町とともに井原市に編入され廃止。 2006年(平成18年)9月3日に行われた井原市長選挙に民主党の推薦を受けて出馬。現職の谷本巖を破り初当選した(瀧本:14,926票、谷本:13,512票)。9月16日、市長就任。 2010年(平成22年)、再選。2014年(平成26年)、無投票で3選。
青木 秀樹(あおき ひでき、1954年〈昭和29年〉12月1… 青木 秀樹(あおき ひでき、1954年〈昭和29年〉12月14日 - )は、日本の政治家。岡山県英田郡西粟倉村長(4期)。元西粟倉村議会議員(5期)。 岡山県英田郡西粟倉村出身。龍谷大学を卒業後、大阪市内の民間企業に勤務した。1981年(昭和56年)に帰郷し、家業の食品会社に従事する。 1995年(平成7年)、西粟倉村議会議員選挙に立候補し初当選。以後5期連続で村議を務め、議長などの要職も歴任した。 2011年(平成23年)8月、前村長の後継として西粟倉村長選挙に無所属で立候補し、初当選を果たした。同年9月に村長に就任。2015年(平成27年)の村長選挙では無投票で再選(2期目)される。 2019年(令和元年)8月の村長選挙では、新人との一騎打ちを制し3選(青木:614票、新人:413票)。
西山 猛(にしやま たけし、1954年〈昭和29年〉 - )… 西山 猛(にしやま たけし、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の教育者、政治家。北海道河西郡更別村村長(第20~22代)。 幕別町立途別小学校校長、芽室町立上美生中学校校長、更別村立更別小学校校長、更別幼稚園園長などを歴任した。 北海道出身の教育者である。小学校や中学校の教員を務めたのち、幼稚園の園長に就任した。その後、政治家に転身し、更別村の村長に就任した。スマートシティの推進などで知られている。 1954年(昭和29年)、北海道河西郡中札内村に生まれた。京都府の龍谷大学に進学し、法学部を卒業した。 大学卒業後は教員となり、京都府にて小学校の教諭を務めた。1991年(平成3年)に北海道に帰郷し、北海道庁十勝支庁、および、十勝総合振興局の管内にて小学校や中学校に勤務した。
善岡 雅文(よしおか まさふみ、1950年〈昭和25年〉3月… 善岡 雅文(よしおか まさふみ、1950年〈昭和25年〉3月19日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元砂川市長(3期)。 1950年(昭和25年)3月19日、北海道空知郡砂川町(現在の砂川市)で生まれる。 砂川市立砂川小学校、砂川市立砂川中学校、北海道砂川南高等学校を経て、龍谷大学に進学する。 龍谷大学卒業後、砂川市役所に奉職、砂川市総務部長。 2011年(平成23年)4月、砂川市長選挙に出馬し、無投票で初当選。同月27日、砂川市長に就任する。 2015年(平成27年)4月、任期満了に伴う砂川市長選挙に出馬し、無投票で再選を果たす。 2019年(平成31年)4月14日、任期満了に伴う砂川市長選挙に出馬し、無投票で再選を果たす。
藤井 勇治(ふじい ゆうじ、1950年〈昭和25年〉2月27… 藤井 勇治(ふじい ゆうじ、1950年〈昭和25年〉2月27日 - )は、日本の政治家。元滋賀県長浜市長(3期)。元衆議院議員(1期)。 滋賀県東浅井郡虎姫町(現・長浜市)生まれ。1973年3月、龍谷大学法学部卒業。同年6月、衆議院議員の秘書となる。1980年、河本嘉久蔵参議院議員の公設秘書となる。1996年、白川勝彦自治大臣の秘書官となる。2003年、古賀誠の政策秘書となる。 2005年、第44回衆議院議員総選挙に滋賀2区から自民党公認で立候補(重複立候補)。選挙区では民主党の田島一成に敗れるも、比例近畿ブロックで復活し初当選した。 2009年、第45回衆議院議員総選挙に滋賀2区から自民党公認、公明党の推薦を受けて立候補するも、再び田島に敗れ、落選。
多次 勝昭(たじ かつあき、1949年(昭和24年)10月2… 多次 勝昭(たじ かつあき、1949年(昭和24年)10月24日 - )は、日本の政治家。元兵庫県朝来市長(3期)。 兵庫県朝来市出身。1974年(昭和49年)3月、龍谷大学法学部卒業。同年4月、和田山町役場に採用される。 2005年(平成17年)4月1日、生野町・和田山町・山東町・朝来町の4町が合併して朝来市が発足。それと共に朝来市の企画部長に就任。 2009年(平成21年)1月、朝来市役所を退職。同年4月19日に行われた朝来市長選挙に立候補し初当選。5月8日、市長就任。2013年(平成25年)、無投票により再選。 2015年(平成27年)12月29日発売の月刊誌『田舎暮らしの本』2016年2月号に掲載された「2016年版住みたい田舎ベストランキング」で、兵庫県朝来市が全国1位に選ばれた(鳥取県岩美町も同率1位)。
内保 博仁(うちほ ひろひと、1943年〈昭和18年〉9月1… 内保 博仁(うちほ ひろひと、1943年〈昭和18年〉9月1日 - )は、日本の政治家。三重県伊賀市長(1期)。 龍谷大学文学部卒。阿山郡阿山町(現・伊賀市)役場に入り、総務課長など務めた。1997年(平成9年)、阿山町長に当選した。2001年(平成13年)、再選を果たした。2004年(平成16年)11月1日、阿山町は上野市などと合併し、伊賀市が発足。助役に就任した。 2008年(平成20年)の市長選挙に無所属で立候補し、新人2人を破って当選した。 ※当日有権者数:79,075人 最終投票率:56.23%(前回比:-pts) 11月21日に就任した。2012年(平成24年)の選挙には立候補しなかった。
藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は… 藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、僧侶。浄土真宗本願寺派。教蓮寺(山口県岩国市)住職、学校法人理事長、参議院議員(1期)、山口県議会議員(4期)、旧岩国市議会議員(4期)などを務めた。 1955年山口県立岩国高等学校卒業。 1960年龍谷大学文学部卒業。高等学校教諭を経て住職となる。 1960年、岩国演劇研究会「劇団のんた」を創立し、代表者となる。同劇団の活動で2010年に正力松太郎賞受賞。1988年には児童劇団「ゆりかご」を設立した。 旧岩国市議会議員(4期)・山口県議会議員(4期)を経る。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より出馬、35名中17位で当選。
北畠 教真(きたばたけ きょうしん、1904年8月18日 -… 北畠 教真(きたばたけ きょうしん、1904年8月18日 - 1969年2月14日)は、浄土真宗本願寺派の僧侶、政治家、参議院議員(2期)。 福岡県出身。1928年に龍谷大学文学部を卒業後、ベルリン大学とライプツィヒ大学に留学。山形県天童市の善行寺住職を継承した後に本願寺派の社会部長、教育部長、総務部長を歴任。築地本願寺輪番ならびにあそか病院長、津村別院輪番、宗会議長、全日本仏教会事務総長なども務めた。1954年のビルマにおける世界仏教徒会議では日本代表となった。 1956年の第4回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補したが落選した。第5回、第7回の参議選に自由民主党から全国区で立候補し当選。
岩本 月洲(いわもと げっしゅう、1901年7月27日 - … 岩本 月洲(いわもと げっしゅう、1901年7月27日 - 1995年3月3日)は日本の宗教学者、随筆家、政治家、参議院議員(1期)。 京都府出身。龍谷大学研究科修了、京都女子専門学校(現京都女子大学)講師、宗教文化研究所所長を歴任。 1947年の第1回参議院議員通常選挙に広島県選挙区(自由党)から立候補し当選。参議院議員を1期務める(3年議員)。1950年の第2回参議院議員通常選挙には現職として出馬したが落選。その後、特例社団法人真人会理事などを務め、広島県呉市(旧豊田郡安浦町)野呂山の「真人会野呂山道場」の建立に携わる。同道場の親鸞堂では、青少年修道研修会、成人修道研修会などを開催した。 1981年11月の秋の叙勲で勲四等に叙され、旭日小綬章を受章する。
田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1… 田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1993年5月12日)は、日本の政治家、僧侶、部落解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(当選3回)。本名は久光(後述の叙位・叙勲での官報告示は「田中松月」で告示されている)。 福岡県嘉穂郡大隈村(現・嘉麻市)の被差別部落の出身。1925年、旧制平安中学校(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)卒業。浄土真宗の僧侶となる。そのかたわら部落解放運動に身を投じ、1922年の全国水平社創立大会には福岡県からの唯一の参加者として出席。1935年には全国水平社中央委員に就任。1939年には福岡県会議員に当選、1946年まで務めたのち、1946年の第22回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選(日本社会党)。
高松 正道(たかまつ まさみち、1877年(明治10年)7月… 高松 正道(たかまつ まさみち、1877年(明治10年)7月9日 - 昭和14年(1939年)9月3日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→純正国民党)、ジャーナリスト。 堺県丹南郡野田村(現在の大阪府堺市東区)出身。文学寮高等科(現在の龍谷大学)を卒業。中央公論社、中央新聞社、大阪朝日新聞社の記者を経て、大阪新聞通信社の社長を務めた。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に立憲国民党から出馬し、当選を果たした。その後、普通選挙を主張し、党議に敗れて離党した。 その他、大阪府立憲青年会幹事長、河泉農業組合長などを務めた。
若原 観瑞(觀瑞、わかはら かんずい、1858年(安政5年8… 若原 観瑞(觀瑞、わかはら かんずい、1858年(安政5年8月) - 1937年(昭和12年)12月24日)は、日本の僧・政治家。衆議院議員(1期)。 伯耆国河村郡(のち鳥取県東伯郡長瀬村→羽合町、現・湯梨浜町)生まれ。漢学、政治経済学を学び、本派本願寺大教校(現・龍谷大学)で仏教学を学ぶ。宗規により僧籍に入り、仏教連合会組織のため力を尽くした。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において鳥取2区から保守党所属で立候補するが落選した。1892年の第2回衆議院議員総選挙で独立倶楽部から立候補して当選した。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補して落選した。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では保守党から立候補して落選した。
原 弘三(はら こうぞう、1841年1月21日(天保11年1… 原 弘三(はら こうぞう、1841年1月21日(天保11年12月29日)- 1915年(大正4年)7月30日)は、幕末の僧、明治期の公吏・政治家・銀行家。衆議院議員。幼名・僧云(そううん)。 越中国新川郡塚原村(石川県上新川郡塚原村、富山県上新川郡新保村、富南村を経て現富山市塚原)で、浄土真宗本願寺派教順寺・9世玄正(げんしょう)の長男として生まれた。京都の真宗学林(現龍谷大学)、高岡の野上文山の待賢堂、豊後国日田の咸宜園で学んだ。1868年(明治元年)還俗して原弘三を名乗り、東京湯島の亀谷省軒塾に入る。富山藩改革派林太仲と知り合う。 1870年(明治3年9月)太仲が富山藩大参事に就任すると、原も権小属となり、同年12月19日(同3年閏10月27日)に発せられた「合寺令」に基づき藩内400余カ寺を一宗一寺に合併を強行した(富山藩合寺事件)。