藤山 扇治郎(ふじやま せんじろう、1987年1月21日 -… 藤山 扇治郎(ふじやま せんじろう、1987年1月21日 - )は、日本の俳優。本名および旧芸名、酒井 扇治郎(さかい せんじろう)。 京都府出身。東山高等学校、関西大学文学部国語国文科卒業。松竹芸能所属。松竹新喜劇座員。祖父は喜劇役者の藤山寛美、伯母は女優の藤山直美。妻は元宝塚歌劇団星組トップスターの北翔海莉。 父は小唄白扇派の家元・白扇夕樹夫で、母は藤山寛美の五女。「扇治郎」の名は祖父・寛美が、白扇派より「扇」の一字を、寛美の本名・稲垣寛治より「治」の一字をとって名付けた。 幼い頃より日本舞踊や小唄の素養を身につけ、1993年、6歳の時に祖父・寛美と親交のあった中村勘三郎(当時勘九郎)に誘われて藤山扇治郎の芸名で東京・歌舞伎座での『怪談乳房榎』で初舞台を踏むと、中村勘三郎と親子役を演じた。
イワゴウ サトシ(本名:岩合 智史(読み同じ)、1983年9… イワゴウ サトシ(本名:岩合 智史(読み同じ)、1983年9月28日 - )は、日本の俳優、タレント、モデル。 大阪府枚方市出身。関西大学総合情報学部卒業。ミッシングピース所属。
みなみかわ(1982年〈昭和57年〉9月28日 - )は、日… みなみかわ(1982年〈昭和57年〉9月28日 - )は、日本の男性お笑いタレント、俳優。2004年から2024年5月まで松竹芸能に所属し、2024年6月より個人事務所「合同会社ナンセ」に所属(2025年8月、「株式会社ナンセ」に改組)。2005年から2019年まで、お笑いコンビ「ピーマンズスタンダード」のツッコミとして活動。本名は、南川 聡史(みなみかわ さとし)。 小学生時に『ダウンタウンのごっつええ感じ』に熱中し、中学生時は姉の影響で『すんげー!Best10』に熱中。浪速高等学校に入ってからは、男子校のアメフト部というゴリゴリの体育会系の環境に身を置いていた。警察官を目指し、関西大学法学部二部に入学する。
石崎 チャベ太郎(いしざき チャベたろう、1982年9月10… 石崎 チャベ太郎(いしざき チャベたろう、1982年9月10日 - )は、日本の映画俳優。アメリカ・ボストン出身。大阪府高槻市育ち。関西大学総合情報学部卒業。 2001年、関西大学高槻キャンパスにある学生劇団『劇団万絵巻』に入る。その傍らで、翌年の2002年に松竹芸能俳優養成所を経て、同プロダクションに所属。また、演技では女優紅萬子に師事。2005年の映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影現場で、数多くの刺激を受け、多くの出会いを通じて自分の目指す役者像が見えてくる。2006年、本人の意志によって東京支社へ移り、2008年2月に松竹芸能を退社。また、新国劇の重鎮であった大山克巳に殺陣を師事しながら、彼の付き人も経験。
大久保 ともゆき(おおくぼ ともゆき、1979年11月21日… 大久保 ともゆき(おおくぼ ともゆき、1979年11月21日 - )は大阪府出身の俳優、タレント、リポーターである。日本放映プロ株式会社に所属。 関西大学卒業。特技は水泳、スノーボード、サーフィンで、2005年より出演している「おはよう朝日です」は20年目になる。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
浜田 信也(はまだ しんや、1979年7月13日 - )は、… 浜田 信也(はまだ しんや、1979年7月13日 - )は、東京都出身の俳優。 愛称は「浜ちゃん」。吉住モータース所属。 関西大学経済学部卒業。2004年に劇団イキウメに加入し、俳優デビュー。以降、舞台作品を中心に活躍。所属する劇団イキウメの作品にはほぼ全作品出演している。2013年に業務提携により、吉住モータース所属となる。 2013年には『ミッション』 、『The Library of Life まとめ*図書館的人生(上)』で、第47回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。 2023年には『ハヤブサ消防団』(テレビ朝日系)で、聖母アビゲイル教団に所属する弁護士役を怪演し、話題となる。 どんな役柄でも一つのイメージに固執する事なく、予断を持たずに取り組むことをモットーとしている。
岩尾 望(いわお のぞむ、1975年〈昭和50年〉12月19… 岩尾 望(いわお のぞむ、1975年〈昭和50年〉12月19日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いコンビ・フットボールアワーのボケ担当。愛称はのんちゃん。相方は後藤輝基。大阪府大阪市東住吉区出身。身長171 cm、体重63 kg。血液型B型。吉本興業所属。 コンビでの活動はフットボールアワーを参照。
中條 健一(ちゅうじょう けんいち、1965年3月17日 -… 中條 健一(ちゅうじょう けんいち、1965年3月17日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優である。吉本新喜劇の座員。妻は同じ吉本新喜劇の秋田久美子。離婚歴あり。 よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属。通称、アスパラガス。 髪型はリーゼントで、顔は面長である。 兵庫県立舞子高等学校、関西大学経済学部卒業。 1987年4月、関西大を3回生で1年間休学し、復学したのち4回生になったときに関西大学落語研究会『落語大学』の先輩である六代桂文枝に付いた。弟子入りを志願したが、「落語は今からやるにはまだ早い」「ピンでやったらいい」と言われ、落語家ではなくピン芸人として心斎橋筋2丁目劇場でデビューした。
南条 好輝(なんじょう こうき、1952年〈昭和27年〉8月… 南条 好輝(なんじょう こうき、1952年〈昭和27年〉8月20日‐、別名:南條 好輝)は、日本の俳優である。MC企画所属。 現在の兵庫県丹波篠山市出身、身長170cm。篠山鳳鳴高校、関西大学文学部卒業。 関西大学文化会演劇研究部「学園座」在籍時には、寺山修司の天井桟敷で修行経験もした。 その後は、NHK大阪放送劇団付属研究所、劇団五期会にも在籍。 テレビドラマでは、「連続テレビ小説」(NHK大阪放送局制作)や、必殺シリーズ(朝日放送制作)などに、数多く出演。NHKウイークリーステラ2019年1/25号によると、NHK朝の連続テレビ小説の最多出演(作数)となっている(役名なしも含む)。 南条ゼミナールを主宰し、朗読教室と劇団てんこもりを開いている。
山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2… 山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2020年4月5日)は、日本の実業家、映画監督、俳優である。京都市出身。関西大学法学部2部中退。娘は歌手の倉木麻衣。父は詩人の山前実治。 京都府京都市下京区に生まれ。厳格な父親は京都で出版社、印刷会社を経営する傍ら詩人としても活動し、比較的裕福な家庭で育つ。3歳頃に父親の故郷、岐阜県大野郡荘川村(現在の高山市)へ一時疎開している。小学校入学時は京都市東山区に居住し、小学校5年生から新聞配達などを務める。 京都市立日吉ヶ丘高等学校2年生時、少年画報連載中の堀江卓原作「天馬天平」がフジテレビでテレビ映画化された際、一般公募3万人中から主役天平役に抜擢され、当時の編成局長草間浩之が8チャンネルにちなみ芸名を富士八郎とする。
花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞ… 花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞう)、1937年〈昭和12年〉1月2日 - 2015年〈平成27年〉8月5日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優である。 生前は吉本興業に所属し、盟友の岡八朗と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築き、長きに渡って君臨した。 大阪府大阪市天王寺区出身、阿倍野区育ち。父は漫才師の横山エンタツで、エンタツの次男でありながら少年時代は笑芸に興味がなく、中学時代まで父親が喜劇人エンタツであることを認識していなかった。また、父子は一度も共演していない。また兄は関西テレビの元プロデューサーで、吉本新喜劇の中山美保は義姉(兄嫁)に当たる。
松本 錦四郎(まつもと きんしろう、1933年〈昭和8年〉8… 松本 錦四郎(まつもと きんしろう、1933年〈昭和8年〉8月24日 - 1973年〈昭和48年〉1月20日)は、日本の俳優。本名:植田 浩安(うえだ ひろやす)。大阪府出身。 1950年代後半から1960年代半ばにかけ、時代劇俳優として映画・テレビで活躍した。代表作は『琴姫七変化』『噂の錦四郎』(ともによみうりテレビ / 日本電波映画、日本テレビ系)。 幼少時から地唄舞を習う。関西大学文学部卒業後、1956年、日活ニューフェース三期生・穂高 渓介としてデビュー(同期は小林旭、二谷英明など)したが、1958年には歌舞伎役者を志し八代目・松本幸四郎(のちの初代・松本白鸚)門下となり、まもなく松竹社長・大谷竹次郎に認められて松竹入りとなる。
小島 慶四郎(こじま けいしろう、1931年12月19日 -… 小島 慶四郎(こじま けいしろう、1931年12月19日 - 2019年12月23日)は、日本の喜劇俳優。大阪府堺市浜寺生まれ。松竹新喜劇の主要メンバーとして活躍していた。 父親は銀行員であったため、少年時代は各地を転々とした。 北海道北見柏陽高等学校から関西大学文学部新聞学科に進学するが、演劇にのめり込み、在学中の1953年、かもめ座に入団。 その2年後、劇団新春座に移り、大学を中退。 1960年、2代目渋谷天外に誘われて松竹新喜劇に入団。独特の容貌と、看板役者の藤山寛美とは違う「アホぶり」で人気を博す一方、市井や底辺に生きる人間の哀しみや切なさも演じきっていた。 1966年の藤山の退団・復帰の際には行動をともにし、以降の新喜劇黄金時代に貢献。
福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1… 福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1996年10月2日)は、日本の俳優、演出家。本名及び別名義は福山 博寿(1954年から1966年頃まで使用)。別名義は福山 升三(1986年から1995年頃まで使用)、日本俳優連合理事。 鹿児島県出身。関西工業専門学校(後の関西大学工学部)卒業。生前は松竹芸能、東京アーチストプロを経て、芸峰制作、中里事務所に所属していた。 NHK大阪放送劇団出身。 数々の刑事ドラマ、時代劇、特撮作品で、主に悪役を演じた。 1996年10月2日4時13分、胸腹部大動脈瘤破裂のため、死去。67歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日… 高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日本の俳優。本名、道下 真二。 東京俳優生活協同組合、芸峰制作、ワシオ企画、鳥プロを経て、大木由美子オフィスに所属していた。 大阪府大阪市出身。呉服屋を営む父と母の二男四女の次男。関西大学経済学部卒業。大学在学中の1948年、劇団制作座を結成し、中心俳優として『三人姉妹』『罪と罰』『ルノアール群島』などに出演する一方、ラジオドラマ、テレビドラマにも出演。映画にも劇団の資金集めのため、『江戸っ子野郎と娘たち』(1960年、第二東映)を皮切りに各社の作品に助演した。制作座はのちに解散し、関西芸術座の創立メンバーを経てフリーとなる。 テレビドラマでは、NHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)、『新・平家物語』(1972年)、『元禄太平記』(1975年)や、特撮テレビドラマ『忍者キャプター』(1976年)などにレギュラー出演した。
鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 198… 鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 1987年〈昭和62年〉6月16日)は、日本の俳優、歌手。 昭和を代表する映画俳優の一人として数多くの映画やドラマに主演。戦後派として登場し、甘さと翳りを兼ね備えた天賦の美貌で一躍トップスターに躍り出た。若いころは絶世の美男子としてアイドル的人気を博したが、中年期からは任侠映画や戦争もので見せた渋い魅力で、日本映画界を代表するスターとして長らく君臨した。また、歌手としても独特の哀愁を帯びた声と歌唱法で知られた。 兵庫県西宮市出生。戸籍上の出身地は、静岡県浜松市。本名は小野 榮一()。 西宮時代、父と母が結婚していなかったのは、鶴田の父である大鳥の家が鶴田の母との婚姻を許可しなかったためである。
辰巳 柳太郎(たつみ りゅうたろう、1905年〈明治38年〉… 辰巳 柳太郎(たつみ りゅうたろう、1905年〈明治38年〉4月20日 - 1989年〈平成元年〉7月29日)は、日本の俳優。兵庫県赤穂郡坂越村(現・赤穂市)生まれ。本名は新倉武一。 島田正吾と共に、新国劇の屋台骨を支えた1人。 少年時代に養子に出されるも、養家を13件も転々としながら関西甲種商業学校(現・関西大学第一中学校・高等学校)を経て、商業学校(現・大阪市立天王寺商業高等学校)を中退。 1919年、小林一三が国民劇創設のため作った「男子養成会」の創設メンバー(男子専科生第一期生)として宝塚入り。 1926年に旅回りの一座に入り、長野県で初舞台を経験。半年後、小林一三主宰、坪内士行文芸部長の「宝塚国民座」に入団して東伍作の名で舞台に立つ。
志村 喬(、1905年〈明治38年〉3月12日 - 1982… 志村 喬(、1905年〈明治38年〉3月12日 - 1982年〈昭和57年〉2月11日)は、日本の俳優。本名は島崎 捷爾()。身長163cm。実兄の島崎敬夫は横浜ゴム社長を務めた人物。 兵庫県朝来郡生野町出身。舞台俳優を経て映画俳優となり、戦前は時代劇などで活躍したのち、戦後は東宝を中心に数多くの作品に出演。映画出演本数は400本以上に及び、特に黒澤明監督作品には欠かせない俳優であった。 1905年(明治38年)3月12日、兵庫県朝来郡生野町(現在の朝来市生野町)に生まれる。三菱生野鉱業所の冶金技師をする父・島崎毛登女(もとめ)と、母・喜与の次男として口銀谷の生野鉱山社宅(甲社宅)で育つ。祖父・雄次は土佐藩主・山内容堂の小姓から250石取りの祐筆に上がり、鳥羽・伏見の戦いには隊長として出陣した経歴を持つ武士であった。
東郷 久義(とうごう ひさよし、1898年3月26日 - 没… 東郷 久義(とうごう ひさよし、1898年3月26日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名品川 久義(しながわ ひさよし)。海外を柔道行脚した前歴から、日本のサイレント映画の全盛期に現れた「スポーツ俳優」の一人として知られ、現代劇を中心に多く主演した。 1898年(明治31年)3月26日、島根県に生まれる。『日本映画俳優名鑑』の「昭和四年版」(1929年版・1928年発行)および「昭和五年版」(1930年版・1929年発行)には「島根縣の一寒村」に生まれたと記述されている。 長じて東京に移り、旧制・海城中学校(現:海城中学校・高等学校)に進学、同校を卒業後に大阪に移り、関西大学法学部に進学する。
森 敏治(もり びんじ、1898年〈明治31年〉1月29日 … 森 敏治(もり びんじ、1898年〈明治31年〉1月29日 - 1975年〈昭和50年〉6月12日)は、日本の映画俳優。本名は森 敏治(もり としはる)とするものと花川戸 勇(はなかわど いさむ)とするものがある。 1898年(明治31年)群馬県多野郡鬼石町(現・藤岡市)の生まれ。関西大学に学ぶが中退。 倉橋仙太郎の新民衆劇学校で演技を学び、新民衆劇一派(のちに第二新国劇に改称)で活躍。同劇団には原健策、大河内傳次郎らがいた。第二新国劇解散後、日活太秦撮影所に入社。1933年、松竹下加茂撮影所に移籍。1936年、大都映画に移ると、本名の花川戸勇に改名。1939年に東宝へ移り、それから岡譲司劇団に加わる。
生方 賢一郎(うぶかた けんいちろう、1882年〈明治15年… 生方 賢一郎(うぶかた けんいちろう、1882年〈明治15年〉1月6日 - 1961年〈昭和36年〉2月25日)は日本の俳優である。本名同じ。 1882年、群馬県利根郡新治村新巻(現在の同県同郡みなかみ町)に生まれる。但し、殆どの資料では生誕地を「群馬県利根郡新新沼村新巻」とするが、誤りである。生家は農業を経営していた。衆議院議員・生方大吉は従兄弟にあたる。 群馬師範学校を経て関西大学法学部を卒業。卒業後は日本橋女学校(現在の開智日本橋学園中学校・日本橋女学館高等学校)の教師になったが、1916年に小山内薫の新劇場を振り出しに新劇協会、築地小劇場、心座、前衛座、舞台協会、松竹新喜劇、曽我廼家五九郎一座、堀田金星一座、笑の王国を転々として1932年、P.C.L.映画製作所に演技課長として入社する。