信元 安貞(のぶもと やすさだ、1920年8月19日 - 2… 信元 安貞(のぶもと やすさだ、1920年8月19日 - 2003年5月8日)は、日本の経営者。曙ブレーキ工業社長、会長を務めた。位階は従四位。前妻の満智子との子に信元久隆、信元真佐江、後妻トミ子との子にリップシャッツ信元夏代がいる。 東京都出身。1943年に東亜同文書院大学商学部を卒業し、1950年に曙産業(のちの曙ブレーキ工業)に入社。取締役、常務、専務を経て、1960年5月に副社長に就任し、1964年1月には社長に昇格。1990年6月に会長に就任し、信元久隆氏代表取締役社長を継いだ。1994年6月には名誉会長に就任。 1981年4月に藍綬褒章を受章し、1991年4月に勲二等瑞宝章を受章。「自動車部品産業の黎明期に多大な貢献」をしたとして、日本自動車殿堂者(Japan Automotive Hall of Fame)に認定されている。
春名 和雄(はるな かずお、1919年3月15日 - 200… 春名 和雄(はるな かずお、1919年3月15日 - 2002年3月3日)は、日本の経営者。神奈川県横浜市出身。 1940年に東亜同文書院大学を卒業し、同年に丸紅の前身である大同貿易に入社。 ロンドン支店長などを経て、1968年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を歴任し、1983年に社長に就任した。1987年から1997年までに会長を務めた。 経済界における中国通とも知られており、社長時代には対中ビジネスを切り開き、1991年から1999年までに日中経済協会副会長を務めた。 2002年3月3日心不全のために死去。82歳没。
香川 英史(かがわ ひでふみ、1904年 <明治37年> 3… 香川 英史(かがわ ひでふみ、1904年 <明治37年> 3月27日 - 1985年 <昭和60年> 6月7日)は、日本の経営者。広島県出身。位階は正四位。 1928年に東亜同文書院大学を卒業し、同年に東洋綿花(のちのトーメン)に入社した。1955年11月に取締役に就任し、1957年11月に常務、1960年5月に専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1962年6月から1971年6月までに社長を務めた。 1974年に勲三等瑞宝章を受章。 1985年6月7日肺炎のために死去。81歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
斉藤 正身(齊藤、さいとう まさみ、1897年(明治30年)… 斉藤 正身(齊藤、さいとう まさみ、1897年(明治30年)12月15日 - 1972年(昭和47年)6月6日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。斎藤と表記されることが多い。 宮崎県宮崎郡住吉村(現宮崎市)で、斉藤東作の四男として生まれる。1922年(大正11年)東亜同文書院商務科を卒業(第20期生)した。 東京中央金庫を経て天津隆和公司に入社。1927年(昭和2年)天津正栄洋行を設立した。その後、満州国の創立に尽力し、同国国務院総理秘書、満州日日新聞社顧問、大連日日新聞社顧問などを務めた。また1940年(昭和15年)財団法人宮崎県斉藤奨学会を設立し会長に就任した。 1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け宮崎県全県区から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。
吉田 正(よしだ ただし、1896年〈明治29年〉10月20… 吉田 正(よしだ ただし、1896年〈明治29年〉10月20日 - 1969年〈昭和44年〉8月19日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。 長野県北安曇郡池田町村(現池田町)生まれ。旧制大町中学(現・長野県大町高等学校)卒業。1918年(大正7年)、上海東亜同文書院商務課卒業。一旦は岩井産業(現日商岩井)に入社するが、すぐに帰郷し、1925年(大正14年)、旧制池田実科中学(現・長野県池田工業高等学校)教諭となる。 その後、農業界に転身し、全国農業会の常務理事として活躍する。同時に「協同党」を結成した。1942年(昭和17年)、長野県第4区から第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会推薦候補で立候補して、当選する。
成田 努(なりた つとむ、1893年9月26日 - 1975… 成田 努(なりた つとむ、1893年9月26日 - 1975年1月7日)は、日本の経営者。新東京国際空港公団総裁を務めた。 東京都出身。1914年に東亜同文書院大学商務学科を卒業。中国貿易で活躍し、1934年に満州国建国に携わり、1936年に東洋パルプ専務、1939年に日本米穀副理事長を経て、その後は全国米穀商組合連合会理事長、朝鮮食糧営団理事長、中央食糧営団総裁、全国米穀小売組合連合会会長などを歴任。戦後は、1955年に農地開発機械公団理事長、1961年10月に愛知用水公団理事長を経て、1966年7月から1967年10月までに新東京国際空港公団総裁を務めた。 1975年1月7日、心臓衰弱のために死去。
宮崎 彦一郎(みやざき ひこいちろう、1888年7月2日 -… 宮崎 彦一郎(みやざき ひこいちろう、1888年7月2日 - 1967年10月10日)は、日本の実業家。 滋賀県犬上郡東甲良村(現:甲良町)に生まれる。東亜同文書院卒業後に、伊藤忠商事に入社。 1955年から丸紅飯田取締役会長社長を務めた。その一方で、神戸商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、ラジオ関西会長、神戸高速鉄道社長なども歴任した。 1964年には勲三等旭日中綬章を受章した。 1967年10月10日、尿毒症のために神戸市の病院で死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森 啓蔵(もり けいぞう、1881年〈明治14年〉2月 - … 森 啓蔵(もり けいぞう、1881年〈明治14年〉2月 - 没年不明)は、日本の実業家。 鳥取県西伯郡夜見村(現・米子市夜見町)出身。森磯吉の二男。1905年、東亜同文書院政治科(第2期生)を卒業。陸軍通訳官、満鉄奉天駅貨物主任、山東鉄道事務官等を歴職、1922年(大正11年)に辞す。 銀行会社の重役である。洞海汽船、昭和商事各社長、洞海汽船専務、山陰銀行代表取締役・同専務、山九運輸取締役、日本産業貯蓄銀行、山陰製糸所各監査役などをつとめる。 日本産業貯蓄銀行専務の門脇孝一、その妹婿で同行監査役の森啓蔵らにかかる産貯行金横領、背任事件で、1933年(昭和8年)9月に森啓蔵は検事の取り調べを受け勾引状を発せられ、刑務所へ収容された。