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軍人
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自衛官
1人
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学者・教授・准教授
1人
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僧侶
1人
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活動家
1人
※有名人ナビに登録されている11人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
佐藤 行通(さとう ぎょうつう、1918年12月5日 - 2… 佐藤 行通(さとう ぎょうつう、1918年12月5日 - 2018年3月1日)は、日本山妙法寺の僧侶、社会運動家。日弘とも。俗名は 佐藤 弘 (さとう ひろし)。 以後、平和運動に参画し、藤井日達の側近として「世界宗教者平和会議」や「アジア仏教徒平和会議」の設立に奔走する。成田空港問題(三里塚闘争)、立川基地反対闘争、ベトナム人民支援運動にも参加。 原水爆禁止日本協議会の設立にも深く関わったが、運動方針を巡って日本平和委員会、日本共産党と意見対立し、ついには原水協を追放される。更に、妙法寺の不正経理の責任を取る形で妙法寺からも離れることとなった。 晩年は茨城県内に草庵を結び、国際平和ビューロー等、世界平和のための活動と情報発信を続けてきた。
釜賀 一夫(かまが かずお、1917年(大正6年)1月1日 … 釜賀 一夫(かまが かずお、1917年(大正6年)1月1日 - 2003年(平成15年)11月23日)は、熊本県出身の陸軍軍人、陸上自衛官。日本陸軍における暗号作成者、暗号解読者である。戦後も陸上自衛隊で暗号解読に従事した。ペンネーム加藤正隆として暗号関係の著作がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
遠藤 武勝(えんどう たけかつ、1898年(明治31年)3月… 遠藤 武勝(えんどう たけかつ、1898年(明治31年)3月12日 - 1988年(昭和63年)11月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。 鳥取県出身。鳥取中学校(鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業し、1920年(大正9年)5月、陸軍経理学校(14期)を卒業。同年12月、三等主計に任官し歩兵第8連隊付となる。1922年(大正11年)10月、第19師団経理部員に就任し、歩兵第47連隊付を経て、1929年(昭和4年)5月、経理学校高等科(甲種1期)を優等で卒業し、さらに員外学生として東京帝国大学経済学部に派遣され1929年4月から1932年(昭和7年)3月まで聴講した。この間、1930年(昭和5年)3月、一等主計に昇進。
松本 健一(まつもと けんいち、1897年(明治30年)2月… 松本 健一(まつもと けんいち、1897年(明治30年)2月15日 - 1957年(昭和32年)1月8日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。功四級。 1897年(明治30年)に長崎県で生まれた。陸軍経理学校第12期主計候補生として1918年(大正7年)5月20日に卒業した。1934年(昭和9年)4月から1936年(昭和12年)3月まで東京帝国大学経済学部で陸軍派遣員外学生として聴講し、大学院にも進んだ。1939年(昭和14年)8月に北支那方面軍参謀部附となり日中戦争に出動した。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍主計大佐進級と同時に関東軍司令部附となった。1941年(昭和16年)11月に陸軍経理学校附となり、1943年(昭和18年)2月に大阪陸軍糧秣支廠長に就任した。
池本 信巳(いけもと のぶみ、1895年(明治28年)4月2… 池本 信巳(いけもと のぶみ、1895年(明治28年)4月26日 - 1982年(昭和57年)3月21日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。 1895年(明治28年)に鳥取県で生まれた。陸軍経理学校第7期主計候補生として1917年(大正6年)5月18日に優等卒業し、1926年(大正15年)に陸軍経理学校高等科を優等卒業した。同年4月から1929年(昭和4年)5月まで派遣員外学生として東京帝国大学経済学部で聴講した。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍主計大佐に進級し、8月1日に陸軍省経理局建築課長に就任した。1941年(昭和16年)11月に第23軍経理部長に転じて日中戦争に出動した。
川島 四郎(かわしま しろう、1895年(明治28年)2月8… 川島 四郎(かわしま しろう、1895年(明治28年)2月8日 - 1986年(昭和61年)12月3日)は、日本の陸軍軍人、栄養学者。最終階級は陸軍主計少将。農学博士。 京都府出身。東本願寺内陣・川島幸之助の四男として生まれる。京都二中を卒業し、陸軍経理学校に入学。1918年(大正7年)5月、同校(12期)を卒業。同年12月、三等主計に任官し歩兵第12連隊付となる。第11師団経理部員、第8師団経理部員、独立守備歩兵第4大隊付兼関東軍経理部員などを歴任。 1927年(昭和2年)5月、経理学校高等科(5期)を卒業した。さらに、員外学生として東京帝国大学農学部農芸化学科に1930年(昭和5年)5月15日まで3年間派遣された。
吉野 繁(よしの しげる、1892年(明治25年)2月17日… 吉野 繁(よしの しげる、1892年(明治25年)2月17日 - 1962年(昭和37年)6月1日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。 1892年(明治25年)に大阪府で生まれた。陸軍経理学校第8期主計候補生として1914年(大正3年)5月24日に卒業した。1921年(大正10年)4月から1924年(大正13年)3月まで員外派遣学生として東京帝国大学経済学部で聴講し、大学院にも進んだ。1934年(昭和9年)4月に陸軍省経理局課員兼参謀本部附となり、1937年(昭和12年)8月に陸軍主計大佐に進級し、1938年(昭和13年)4月に陸軍省経理局監査課長に就任した。1939年(昭和14年)8月に駐蒙軍経理部長(北支那方面軍)に転じ、日中戦争に出動した。
栗橋 保正(くりはし やすまさ、1890年(明治23年)10… 栗橋 保正(くりはし やすまさ、1890年(明治23年)10月7日 - 1967年(昭和42年)4月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。 茨城県出身。栗橋保孝の二男として生まれる。1911年(明治44年)5月、陸軍経理学校(5期)を卒業。同年12月、三等主計に任官し歩兵第50連隊付となる。1913年(大正2年)12月、陸軍被服本廠員に就任し、1915年(大正4年)6月、二等主計に昇進。1916年(大正5年)6月、経理学校学生となり、1917年(大正6年)5月から1918年(大正7年)5月まで、同校の員外学生となる。1920年(大正9年)8月、一等主計に進み、近衛師団経理部員、陸軍省経理局課員を歴任。
森 武夫(もり たけお、1889年(明治22年)10月16日… 森 武夫(もり たけお、1889年(明治22年)10月16日 - 1981年(昭和56年)5月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。経済学博士。 1889年(明治22年)に岡山県で生まれた。陸軍経理学校第6期主計候補生として1912年(明治45年)5月1日に卒業。1918年(大正7年)4月から1921年(大正10年)4月まで員外派遣学生として東京帝国大学経済学部で聴講した。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍一等主計正進級と同時に陸軍経理学校教官に着任。同年12月1日に第19師団経理部長に転じ、1938年(昭和13年)12月に第4師団経理部長、1939年(昭和14年)3月9日に第1師団経理部長を歴任した。
桑原 四郎(くわはら しろう、1887年(明治20年)6月4… 桑原 四郎(くわはら しろう、1887年(明治20年)6月4日 - 1966年(昭和41年)4月22日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 岐阜県出身。1907年(明治40年)5月31日に陸軍士官学校(19期)を卒業し、同年12月26日に工兵少尉に任ぜられ、工兵第九大隊付となる。1910年(明治43年)11月30日に工兵中尉に昇進し、1911年(明治44年)11月27日に陸軍砲工学校(17期)高等科を優等で卒業。更に員外学生として在学し、1917年(大正6年)8月6日には工兵大尉に昇進。ヴェルサイユ条約の締結に軍関係者として携わり、1920年(大正9年)9月13日付で、国際連盟陸、海、空軍問題常設諮問委員会帝国空軍代表者随員を仰せつけられる。
松井 勝二(まつい かつじ、1881年(明治14年)4月29… 松井 勝二(まつい かつじ、1881年(明治14年)4月29日 - 1964年(昭和39年)2月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等。 岐阜県本巣郡船木村出身。陸軍士官学校第16期卒業。1905年(明治38年)には工兵第11大隊副官として日露戦争に出征。1909年(明治42年)には陸軍砲工学校高等科を卒業し、1915年(大正4年)から1917年(大正7年)まで東京帝国大学工学部電気科で聴講生として学んだ。1920年(大正9年)8月に陸軍工兵少佐に進級し、東京砲兵工廠廠員兼陸軍省兵器局御用掛の任にあった。1923年(大正12年)9月時点で陸軍造兵廠廠員陸軍技術本部部員陸軍省兵器局御用掛となり、1924年(大正13年)8月、陸軍歩兵中佐に進級し、陸軍技術本部附兼陸軍歩兵学校研究部部員陸軍省兵器局御用掛を発令された。