スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
櫻井 梨子(さくらい りこ、2003年11月26日 - )は… 櫻井 梨子(さくらい りこ、2003年11月26日 - )は、北海道余市町出身のスキージャンプ選手。血液型はAB型。 余市紅志高校を経て2022年あいおいニッセイ同和損保入社。。父は、リレハンメル五輪代表の櫻井仁。2021年の第92回宮様スキー大会ノーマルヒルで高校生2年生ながら優勝。父の仁は1994年に宮様大会ラージとノーマルの2冠を果たしているので、親子2代で宮様大会を制したことになる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
佐藤 昌幸(さとう まさゆき、1975年5月7日 - )は北… 佐藤 昌幸(さとう まさゆき、1975年5月7日 - )は北海道余市町出身の元スキージャンプ選手。 余市西中学校-余市高校-NTT東日本北海道 母方の伯父に笠谷昌生、笠谷幸生がいる。 船木和喜とは同学年で小学生のころからライバルであった。高校時代はインターハイ2連覇など船木よりも注目されていたが社会人では差をつけられた。
斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、… 斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、雪印乳業所属のスキージャンプ選手で、2003年に引退し現在は指導者。北海道余市郡余市町の出身。同学年に岡部孝信がいる。 スキージャンプの盛んな余市町にあって10歳のときにジャンプを始めた。余市町立沢町小学校、余市町立西中学校、余市高校を経て1989年4月に雪印乳業に入社。 現役時代は「教科書」とも評された基本に忠実な、安定したジャンプスタイルで、1997年-1998年シーズンには3度あった日本のW杯表彰台独占において唯一3度全てで表彰台に上がり(1月1日・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン:1位船木、2位原田、3位斉藤。1月11日・ラムソー:1位原田、2位船木、3位斉藤。
東 昭広(ひがし あきひろ、1968年7月2日 - )は、日… 東 昭広(ひがし あきひろ、1968年7月2日 - )は、日本のスキージャンプ選手。 双子の兄東和広、弟の東輝とともに「東三兄弟」と呼ばれた。小柄ながら豪快なジャンパーとして活躍し、選手生命は長かった。北海道余市郡仁木町出身。北海道余市高等学校卒業。日本空調サービスで監督として後進を指導し、名伯楽として活躍するが2003年監督を辞任した。 双子の兄和広、弟輝は小学生の頃から全日本クラスの大会で優勝し活躍していたが、昭広は目立った実績を挙げていない。しかし、社会人になってからは著しい進歩を遂げ、一発屋として活躍し、飛距離は抜群であった。素質的には優れたものがあり、期待されていたが怪我が多いため外国では目立った戦績は残していない。
須田 健仁(すだ けんじ、1966年2月26日 - )は、北… 須田 健仁(すだ けんじ、1966年2月26日 - )は、北海道小樽市出身の日本の元スキージャンプ選手。 小樽市立松ヶ枝中学校、北海道余市高等学校卒業。1984年東京美装興業入社。中学、高校時代は目立った実績は無かったが、社会人になって頭角を現す。1984年-1985年シーズンは誕生日の関係で各大会少年組にエントリーしたが、ここで優勝を重ねた。 ワールドカップに1990年から1998年まで参戦、通算12回ベスト10に入った。最高位は1994年3月のスウェーデンのエルンシェルツビクで行われた大会のノーマルヒル2位。 1992年のアルベールビルオリンピックに出場し、上原子次郎、原田雅彦、葛西紀明と共に団体4位になった。
毛利 衛(もうり まもる、1948年〈昭和23年〉1月29日… 毛利 衛(もうり まもる、1948年〈昭和23年〉1月29日 - )は、日本の元宇宙飛行士、科学者。科学者としての専門は真空表面科学、核融合炉壁材料、宇宙実験。化学者でもある。 北海道出身。宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙環境利用システム本部有人宇宙活動推進室長、京都大学大学院特任教授、東京工業大学大学院総合理工学研究科連携教授、公益財団法人日本宇宙少年団団長。 アラバマ大学ハンツビル校客員教授、筑波大学客員教授、日本科学未来館館長なども歴任した。 《この節の主な出典:》 北海道余市郡余市町に生まれる。幼い頃はカマキリと水泳が大の苦手で、風呂で溺れそうになった経験を持つ。 1961年、13歳の時にソビエト連邦のボストーク1号が人類初の有人宇宙飛行に成功した際、飛行士のユーリイ・ガガーリンが発した「地球は青かった」という言葉に、宇宙に対する憧れを抱く。
笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 202… 笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 2024年4月23日)は、日本のスキージャンプ選手。 北海道後志支庁余市郡大江村(現・仁木町)出身。余市高校、明治大学を卒業。ニッカウヰスキーに所属していた。2003年紫綬褒章。2018年文化功労者。兄は同じくスキージャンプ選手の笠谷昌生。 4歳の頃から遊びとしてジャンプを始める。仁木中学校3年生の頃には兄に連れられて羽幌炭鉱、明治大学合同の合宿に参加、ここで大人顔負けのジャンプを見せ、「仁木から(兄に続いて)再び神童が現れた」と言われた。 1959年に北海道余市高等学校に入学するがスキー部の方針で高校選手権に出場できず、その怒りを闘争心に変えてこのシーズンのあらゆる大会の少年組を勝ち続けて翌1960年の新潟県高田市(現・上越市)での全日本選手権に出場、この大会で3位に入ったほかこの年から海外遠征をこなすようになり、1963年2月22日の第2回STV杯ジャンプ大会では日本人2人目の100mジャンパーとなる(同大会で直前に菊地定夫が初の100mジャンパーとなっている)など一気に日本を代表するジャンパーへと成長を遂げた。
藤沢 隆(ふじさわ たかし、1943年2月7日 - )は、1… 藤沢 隆(ふじさわ たかし、1943年2月7日 - )は、1960年代に活躍した北海道余市郡余市町出身の元ノルディック複合及びスキージャンプ選手。余市高校、早稲田大学を経て国土計画に所属。 1964年のインスブルックオリンピックにノルディック複合の選手として出場し、個人20位の成績を残した。 1966年にノルウェーのオスロで行われたノルディックスキー世界選手権個人90m級(現在のラージヒル)でビョルン・ヴィルコラに次ぐ銀メダルを獲得、世界選手権で日本人初のメダリストとなった。同選手権の70m級(現在のノーマルヒル)では16位。 1968年のグルノーブルオリンピックにスキージャンプの選手として出場。
酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は… 酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は、日本の美術評論家、世田谷美術館館長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 1941年、北海道余市郡余市町生まれ。北海道余市高等学校を経て、慶應義塾大学に入学。1964年、慶應義塾大学文学部美学美術史科を卒業。 大学卒業と同時期に神奈川県立近代美術館学芸員になる。土方定一に師事し、学芸課長、副館長を経て、1992年より館長。2004年から2024年3月まで世田谷美術館館長。2003年の『海にかえる魚』では、小説に挑んだ。2006年から2021年まで美術館連絡協議会理事長。 近代美術の研究、現代美術の評論活動を行う。ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務めた。
赤松 宏(あかまつ ひろし、1935年 - 2025年6月1… 赤松 宏(あかまつ ひろし、1935年 - 2025年6月1日)は、日本の哲学者、ドイツ哲学研究者。名古屋大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年東京大学文学部哲学科卒業。1963年同大学院修士課程修了。1967年関西大学大学院博士課程中退。 1966年名城大学講師。1967年名古屋工業大学講師。1973年名古屋工業大学助教授。1973年文部省内地研究員として京都大学へ留学。1975年ボン大学(西ドイツ)へ留学。1981年名古屋工業大学教授。1987年名古屋大学文学部教授、1999年定年退官、名誉教授。2000年愛知産業大学教授。 専門は、西洋哲学(現代哲学)―ハイデッガー、マルセル、サルトルなど。
坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 … 坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 - 2015年3月2日)は、日本の外交官。外務省中南米局長や、駐スペイン特命全権大使を務めた。 北海道余市町出身。父は余市町長の坂本角太郎。北海道余市高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。スペイン語研修としてコロンビアに2年間留学。 1972年外務省中南米局中南米第二課長、1973年外務大臣官房国際報道課長、在英国日本国大使館参事官、1979年外務省経済協力局政策課長、1981年外務大臣官房総務課長。総務課長時代に情報調査局(現国際情報統括官組織)新設に尽力。 経済協力開発機構政府代表部公使、駐パラグアイ特命全権大使を経て、1988年外務省中南米局長。
藤谷 栄也(ふじや まさや、1931年11月3日 - )は、… 藤谷 栄也(ふじや まさや、1931年11月3日 - )は、日本の元アナウンサー。NHK札幌放送局などで活躍した。 東京府(現在の東京都)生まれ。戦時中の14歳時に北海道余市へ疎開する。 北海道余市高等学校を経て、北海道大学に進学し、同大教育学部を卒業。 1954年にNHKへ入局し、釧路放送局を皮切りにアナウンサーとして活動。札幌放送局の人気番組「北海道中ひざくりげ」の初代リポーター・北海道ニュースワイドのキャスターを務める。北海道中ひざくりげでは江戸っ子らしい小気味の良い口ぶりや人懐っこい笑顔で人気を博した。 NHK退職後は1997年に札幌国際大学非常勤講師に就任、講演や大学での授業を通じて日本語の正しい使い方を教える。
根上 博(ねがみ ひろし、1912年8月3日 - 1980年… 根上 博(ねがみ ひろし、1912年8月3日 - 1980年6月7日)は、北海道余市郡余市町出身の日本の競泳選手。立教大学卒業。1930年代に活躍し、1936年ベルリンオリンピックで入賞した。 余市町大川尋常小学校(現 余市町立大川小学校)時代に本格的に水泳を始め、旧制余市中学校(現・北海道余市紅志高等学校)時代から競泳選手となり、全国大会に出場するが、予選で敗退している。 1931年に立教大学に入学してから徐々に力をつけ、1934年の第10回日本選手権水泳競技大会では男子1500m自由形にて19分16秒2で優勝、そのレースの1000m途中計時で12分41秒8の世界新記録を樹立すると、同年の第十三回全國學生水上競技大會では400m及び800mの自由形で牧野正蔵(早稲田大学)と激しく鍔迫り合いを演じ、2種目とも牧野に及ばず2位となるも800mでは10分8秒4のタイムを出し、10分1秒2を出した牧野とともに世界新記録を更新した。
川村 有司(かわむら ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキー… 川村 有司(かわむら ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキージャンプ選手。余市高校-明治大学-ニッカウヰスキー。 高校時代に数々のタイトルを獲得し期待されたものの以後はあまり目立った活躍はなかった。スキージャンプ・ワールドカップでは1979年12月27日のコルチナ・ダンペッツォで15位、1980年1月13日の札幌で自己最高位の14位。