スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐藤 和哉(さとう かずや、1984年4月22日 - )は、… 佐藤 和哉(さとう かずや、1984年4月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 宮城県栗原市出身。ジュニア代表として2002年のアジアジュニアに出場。東北高校から東海大学へ進学し、大学卒業後の2007年にVプレミアリーグの豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に入団した。チームではミドルブロッカーを務め、2011-12シーズンをもって現役引退し、コーチに就任した。現在はスタッフを担当している。
もっと読む
渡辺 雅弘(わたなべ まさひろ、1983年3月3日 - )は… 渡辺 雅弘(わたなべ まさひろ、1983年3月3日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(捕手)。 柳生中学校から東北高校に進学し、2000年のドラフト9位で横浜ベイスターズに入団。同期入団の後藤伸也とは高校時代にバッテリーを組んでいた。福岡ダイエーホークスに指名された加藤暁彦も高校時代のチームメイト。 引退後は横浜DeNAベイスターズの球団職員として、湘南シーレックス担当、横浜DeNAベイスターズ一軍用具担当などを務め、2013年は打撃投手。2015年には中畑監督付きをし、2019年現在はチーム付き広報をしている。2022年時点でも、打撃投手が必要だと言われれば投げることもあるという。2025年からはファーム(二軍)の試合運営に携わっている。
もっと読む
今野 泰幸(こんの やすゆき、1983年1月25日 - )は… 今野 泰幸(こんの やすゆき、1983年1月25日 - )は、宮城県仙台市太白区出身のプロサッカー選手。関東サッカーリーグ・南葛SC所属。ポジションはミッドフィールダー(守備的MF)、ディフェンダー(センターバック、左サイドバック)。元日本代表。 小学校1年時からサッカーを始めた。サッカー強豪校の東北高等学校には、スポーツ特待生に入れず 一般受験で進学したが ここで頭角を現し宮城県選抜 に選ばれ富山国体への出場、東北高では全国選手権への出場を経験。ナショナルトレセンやユース代表候補合宿への参加もあったが、プロクラブからの勧誘の対象にはならず、卒業後は地元のソニー仙台への加入が内定していた。 しかし、コンサドーレ札幌に練習参加する機会を得て、コンサドーレ監督の岡田武史の注目するところとなり、同クラブと契約。
もっと読む
中川 晃教(なかがわ あきのり、1982年11月5日 - )… 中川 晃教(なかがわ あきのり、1982年11月5日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。宮城県仙台市出身。サイバー大学卒業。 小学生時代から作曲を始め、地元の学校に通いながら音楽活動を続ける。東北高等学校を経て、東北文化学園大学へ入学。サイバー大学IT総合学部卒業。高校在学中、地元のテレビ局でとり上げられ、徳間ジャパンのプロデューサーの目にとまり、2001年8月1日自身が作詞作曲をした「I WILL GET YOUR KISS」でデビュー(2006年に独立)。同曲はTBS系ドラマ『マリア』の主題歌 に使用されスマッシュヒット、第34回日本有線大賞新人賞 を受賞する。同年発売された2ndシングル「I say good-bye」もテレビ朝日系ドラマ『最後の家族』主題歌に使用された。
もっと読む
加藤 暁彦(かとう あきひこ、1982年10月6日 - )は… 加藤 暁彦(かとう あきひこ、1982年10月6日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。実兄は元プロサッカー選手の加藤慎也。 1年秋は東北大会準優勝。2年次にセンバツに出場する。玉野光南高に敗れはしたが、自身は3番打者として4打数2安打と結果を残した。2年秋は東北大会ベスト4。3年次には4番打者を務めていた。ちなみに3番打者は後藤伸也である。なお渡辺雅弘ともチームメイトである。3年春は東北大会優勝、夏の県大会は準優勝。 2000年のドラフト会議にて、福岡ダイエーホークスから3位指名を受け入団。入団時はパワーあふれる打撃がセールスポイントであった。 プロ一年目である2001年シーズンは、ファームで経験を積んだ。
もっと読む
福藤 豊(ふくふじ ゆたか、1982年9月17日 - )は、… 福藤 豊(ふくふじ ゆたか、1982年9月17日 - )は、北海道釧路市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックス所属。 日本人初のNHL選手である。 小学3年でアイスホッケーを始め、釧路景雲中時代は全国優勝。東北高等学校に進み、U-18世界選手権・世界ジュニア選手権などに出場。3年時には高校生初の日本代表入り。 2001年にコクド(後のプリンスホテル/SEIBUプリンス ラビッツ)に入社。 2002-03年シーズンはイーストコースト・ホッケー・リーグ(ECHL)のシンシナティ・サイクロンズ(英語版)でプレーした。 2004年6月27日にNHLドラフト(英語版)8巡目(全体238位)でロサンゼルス・キングスから指名された。
もっと読む
鈴木 健太(すずき けんた、男性、1982年9月13日 - … 鈴木 健太(すずき けんた、男性、1982年9月13日 - )は、日本の元バレーボール選手。宮城県亘理郡亘理町出身。ポジションはミドルブロッカー。 東北高校を卒業後、東海大学へ進学。2003年東西インカレでブロック賞、2004年東日本インカレで最優秀選手賞を受賞した。ユース代表としてアジアユースに出場し、2005年のユニバーシアードで準優勝を経験した。 大学卒業後の2005年4月、NECブルーロケッツに入団。2005年の全日本代表登録メンバーにも選出された。 2009年5月、NECの無期限活動停止による廃部に伴い、現役を引退した。
もっと読む
後藤 伸也(ごとう しんや、1982年9月6日 - )は、宮… 後藤 伸也(ごとう しんや、1982年9月6日 - )は、宮城県登米市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始め、中学1年から投手となる。東北高校では2年次に選抜高校野球に外野手として出場。秋からはエースとなり、渡辺雅弘とのバッテリーで県大会優勝、東北大会では準々決勝で光星学院に延長11回サヨナラ負け。2000年の春季県大会の仙台育英高戦で17奪三振を記録し、春の東北大会も制した。夏は決勝で仙台育英高に敗退。同年のドラフト会議にて3位で横浜ベイスターズに指名された。ダイエーに指名された加藤暁彦は高校時代のチームメイト。 2001年10月11日の中日ドラゴンズ戦で初登板を果たす。翌2002年8月4日の中日戦でプロ初勝利を挙げる。
もっと読む
荒井 万里絵(あらい まりえ、1981年12月7日 - )は… 荒井 万里絵(あらい まりえ、1981年12月7日 - )は、宮城県出身の元フィギュアスケート選手で、1998年長野オリンピックペア日本代表。現在はコーチ兼フィギュアスケート審判員(ペアのISUテクニカル・スペシャリスト)。東北福祉大学卒。身長 154cm。 5歳のときにスケートを始め長久保裕に師事する。クラブには荒川静香、本田武史、田村岳斗らがいた。 1997年1月の第65回全日本フィギュアスケート選手権で田村岳斗とのペアを組み優勝を果たす。しかし1997年3月の世界選手権・男子シングルで本田が10位に入り、長野五輪の男子シングル出場枠が2名に増えたことから田村が男子シングル専念を決めたため、ペアを解散。
もっと読む
伊東 洋平(いとう ようへい、1981年4月28日 - )は… 伊東 洋平(いとう ようへい、1981年4月28日 - )は、宮城県仙台市を拠点に活動しているシンガーソングライター。元イケメン'ズのメンバー(2005年 - 2014年)。 2014年8月にソロでの活動を開始 2021年12月25日、5年越しの夢として目指してきた仙台サンプラザホールでのワンマンライブはチケット完売。2022年からは「伊東洋平第二章」としてスタートを遂げ活動中。 2024年4月29日、初のベストアルバム『NEXT DOOR』をリリース。 東北高等学校在学時、ブラジルにサッカー留学をした経験あり。
もっと読む
本田 武史(ほんだ たけし、ラテン文字:Takeshi Ho… 本田 武史(ほんだ たけし、ラテン文字:Takeshi Honda、1981年3月23日 - )は、日本の元フィギュアスケート(男子シングル)選手。現在はプロスケーター、スケートコーチ、解説者、スポーツコメンテーターなどで活動中。既婚、3児の父。マネジメント契約先はスポーツビズ。 主な競技実績として、2002年・2003年世界選手権2大会連続3位(銅メダル獲得)、2002年ソルトレークシティオリンピック4位入賞、1998年長野オリンピック代表(15位)、1999年四大陸選手権優勝、全日本選手権通算6回優勝など。 1981年3月23日、福島県郡山市昭和町で、本田家の次男として生まれる。東北高等学校卒業後、法政大学通信教育部法学部中退。
もっと読む
田村 岳斗(たむら やまと、1979年5月28日 - )は、… 田村 岳斗(たむら やまと、1979年5月28日 - )は、日本の元フィギュアスケート(主に男子シングル)選手。現在はプロスケーター、フィギュアスケートコーチ、フィギュアスケート解説者などで活動中。主な競技実績に、1998年長野オリンピック日本代表(17位)、世界選手権通算4回出場(最高17位)、1997年・2003年全日本選手権優勝など。 1979年5月28日、青森県八戸市で田村家の次男として生まれる。5歳でスケートを始めた。東北高等学校入学とともに、長久保裕の指導を受け始める。 1996年、まだISUグランプリシリーズがない時代のドイツ・ネーベルホルン杯で銀メダルを獲得した。翌1997年1月の全日本選手権では、男子シングルで本田武史に次ぐ2位、ペアでは荒井万里絵と組んで優勝。
もっと読む
大村 悟(おおむら さとる、1977年7月28日 - )は、… 大村 悟(おおむら さとる、1977年7月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 小学校1年生よりバレーボールを始める。東北高校を経て、東海大学時代に秋季リーグで優勝を経験。大学卒業後の2000年4月にNECブルーロケッツに入部した。NECでは長年チームの主将を務めた。 2007年の第56回黒鷲旗大会ではチームを優勝へと導き、黒鷲賞(最高殊勲選手賞)受賞とベスト6に選出された。 2008年5月、現役引退。同年6月、NECレッドロケッツのコーチに就任した。 2017年、2016/17シーズン終了をもってNECのコーチを退任。退任後は社業に専念。 2024年、2023-24 V1女子のリーグ戦途中でデンソーエアリービーズのコーチに就任した。
もっと読む
平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は… 平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は、宮城県柴田郡柴田町出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校から1993年に横浜マリノスに加入。1999年はモンテディオ山形、2000年はベガルタ仙台にそれぞれ期限付き移籍。2001年は横浜F・マリノスに復帰。 2002年、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入し、2003年より完全移籍。 2004年6月にアルビレックス新潟に加入。同年限りで契約満了、2005年からはJFLのFCホリコシ、ソニー仙台でプレー。 2007年をもって現役を引退して、2008年から日本サッカー協会に職員として勤務。
もっと読む
遠藤 光博(えんどう みつひろ、1977年6月29日 - )… 遠藤 光博(えんどう みつひろ、1977年6月29日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。 1992年から1994年にかけて全日本カート選手権の出場者としてその名が見られる。 2011年、スーパー耐久ST-4クラスで第5戦に優勝。2017年にはST-5クラスで参戦、2018年にはST-TCRクラスに参戦、2019年には当時2年連続でST-TCRクラスのチャンピオンであったシビックTCRのドライバーとなった。同年の第4戦で初勝利、その後2023年まで5年連続で同チームでST-TCRクラスに参戦を続けている。 一方実業家としては、M&Kマネージメント、ホンダクリオ上尾の代表を務めている。
もっと読む
佐藤 真哉(さとう しんや、1977年4月7日 - )は、宮… 佐藤 真哉(さとう しんや、1977年4月7日 - )は、宮城県仙台市宮城野区出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。身長184cm、体重80kg。 小学校4年生の時に、地元のミニバスケットボールチーム『宮城野少年団』でバスケを始める。その後、仙台市立東華中学校、東北高校を経て仙台大学に進学。1997年インカレでベスト8。大学卒業後の2000年、公立中学校の非常勤講師となり宮城教員クラブに所属。2001年の国体で宮城県の初優勝に貢献。 2005年に発足したbjリーグに地元から参加する仙台89ERSよりドラフト5巡目全体22位で指名を受け入団。 2010年09-10シーズン終了後、戦力外通告を受ける。
もっと読む
和田 正義(わだ ただよし、1976年11月12日 - )は… 和田 正義(わだ ただよし、1976年11月12日 - )は、山形県出身の男子プロゴルファー。女子プロゴルファーの和田委世子は妹。 2003年にプロテストに合格。 ツアーでは結果が出せず、2006年からドラコンに転向しLDA世界ドラコン選手権日本大会でいきなり優勝。ポテンシャルの高さを証明した。同年、ラスベガスで行われた世界大会に日本代表として臨んだが、予選敗退。
もっと読む
嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北… 嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北海道札幌市生まれ、埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。愛称は「赤ゴジラ」。ポジションは投手(1995 - 1998)→内野手(1999 - 2004)→外野手(2005 - 2013)。 小学1年生の時に野球を始める。中学では上福岡シニアに所属し、三沢興一の2年後輩、高橋和幸の1年先輩。1年次から投手として注目を集め、3年次に関東大会に出場。また、当時埼玉栄高野球部監督だった若生正廣を慕っており、中学卒業後は若生が転職した東北高校に入学。 東北高校では2年春の第65回選抜高等学校野球大会と夏の第75回全国高等学校野球選手権大会、3年春の第66回選抜高等学校野球大会と、3度甲子園に出場した。
もっと読む
渋谷 牧人(しぶや まきと、1976年3月27日 - )は、… 渋谷 牧人(しぶや まきと、1976年3月27日 - )は、日本の作曲家、チェリスト。 宮城県仙台市出身。5歳よりピアノを始め、作曲に目覚める。東北高等学校卒。宮城教育大学に入学し、宮城教育大学管弦楽団でチェロを始め、大学3年次より首席奏者をつとめる。木村政巳に作曲を、川上徹にチェロを師事。 Ensemble PATATA結成メンバーのひとりで、同団の毎回の演奏会において新作を発表していた。エマイユ・フィルハーモニックオーケストラの首席チェロ奏者として所属し、同オーケストラの演奏会での編曲や作曲を多数手がけている。 2000年、Ensemble PATATAにて初演した作品を集めた作品集CD「光あれと 願ふとき」、2003年、ピアニスト碓井俊樹による、2枚目の作品集CD「碧雲の彼方に」を発表。
もっと読む
五十嵐 征彦(いがらし ゆきひこ、1976年3月8日 - )… 五十嵐 征彦(いがらし ゆきひこ、1976年3月8日 - )は、日本の教育者。高校野球指導者。現役時代は外野手。左投左打、175cm、67kg。 2017年度より学校法人南光学園東北高等学校校長。 父は東北高等学校第十一代校長の五十嵐一彌。 仙台市立上杉山中学校、東北高等学校、日本体育大学卒業。東北高校時代は1993年、第65回選抜高等学校野球大会に背番号13でベンチ入りを果たしている。ただし夏はベンチ外だった。2年上に羽根川竜、1年下に嶋重宣がいた。大学時代は1学年先輩に小林雅英がいて、野球部ではマネージャーを務めた。カリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校に2年間留学。 慶應義塾高等学校硬式野球部客員コーチを経て、2003年5月から東北高等学校硬式野球部コーチに就任し、2004年9月に同部の監督に就任した。
もっと読む
五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、1973年〈昭和48年… 五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、1973年〈昭和48年〉8月18日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身で間垣部屋に所属した元大相撲力士。1989年に初土俵を踏み、1998年7月場所では最高位となる東前頭3枚目に昇進。2005年11月場所を最後に引退し、準年寄として間垣部屋の部屋付き親方となる。2006年11月には年寄『浜風』を襲名。2007年11月に間垣部屋から佐渡ヶ嶽部屋に移籍した。 現役時代の得意手は左四つ、寄り、突き、押し。本名は小島 章朋(こじま あきとも)。 東北高等学校時代は剣道と柔道をしており共に有段の腕前だったが、間垣親方(元横綱若乃花)からの誘いを受け高校を中退して角界入りし、1989年11月場所で初土俵を踏んだ。
もっと読む
羽根川 竜(はねかわ りゅう、1973年6月5日 - )は、… 羽根川 竜(はねかわ りゅう、1973年6月5日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高時代は、3年次の1991年に夏の選手権に出場。1回戦で礒部公一擁する西条農高と対戦するも敗退。 多彩な変化球を持つ軟投派の投手として、1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。 巨人では層の厚い投手陣に割って入れず、一軍登板を果たせないまま1996年オフに自由契約となり退団。翌1997年は千葉ロッテマリーンズに移籍し、念願の一軍登板を果たす。しかし、結果は残せずに1998年オフに自由契約となり退団。 1999年には、台湾・中華職業棒球大聯盟の兄弟エレファンツに移籍、二桁勝利を記録するなど主力投手として活躍した。
もっと読む
藤井 壮浩(ふじい まさひろ、1973年3月6日-)は日本の… 藤井 壮浩(ふじい まさひろ、1973年3月6日-)は日本の元男子バレーボール選手、指導者。現在、東海大学体育学部教授、同大学女子バレーボール部監督。 宮城県桃生郡雄勝町(現石巻市)出身。中学1年生よりバレーボールを始める。 1990年、第21回春高バレーにおいて、東北高校のエースとして準優勝に大きく貢献。 東海大学進学後、1993年・1994年の全日本インカレ連覇に貢献し、1995年Vリーグ(当時)のNECブルーロケッツに入団。 NEC時代のVリーグでは、1996年第2回Vリーグ優勝、1999年第5回Vリーグ優勝などに貢献し、2002年現役引退。 現役引退後は指導者として、2008年より東海大学女子バレーボール部監督となり同年全日本インカレ準優勝、2010年の同大会準優勝。
もっと読む
加藤 将斗(かとう まさと、1972年7月23日 - )は、… 加藤 将斗(かとう まさと、1972年7月23日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(投手)。 清原和博と同じ岸和田シニア出身でエースピッチャーとして全国大会にも出場した。東北高では1年秋からエースとなり、3年次に春の甲子園に出場。同年夏は県大会の準決勝で敗れた。高校時代は通算40勝2敗で2年生の秋には明治神宮大会で優勝投手も経験している。 1990年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから3位指名を受け入団。 左腕からのキレのよい速球とカーブで期待され、球団名が「横浜ベイスターズ」に変更された3年目の1993年に一軍初登板を果たし、その後も中継ぎとして定着する。1994年からは先発ローテに加わり、9月23日の巨人戦では桑田真澄との投手戦を制しプロ初完封を記録。
もっと読む
斎藤 隆(さいとう たかし、1970年2月14日 - )は、… 斎藤 隆(さいとう たかし、1970年2月14日 - )は、宮城県仙台市若林区出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)、野球解説者。2020年以降の登録名は齋藤 隆(読み同じ)。 NPBでは横浜ベイスターズ(1993年から2005年まで在籍)と東北楽天ゴールデンイーグルス(2013年から2015年まで在籍)でプレーし、横浜時代の1998年には球団のセントラル・リーグ優勝と日本シリーズ優勝に、楽天時代の2013年にも球団のパシフィック・リーグ優勝と日本シリーズ優勝にそれぞれ貢献した。また横浜時代の1996年にはセ・リーグ最多奪三振のタイトルを獲得している。2006年から2012年にかけてMLBのロサンゼルス・ドジャースやミルウォーキー・ブルワーズなど5球団でプレーし、ドジャース時代の2008年、ブルワーズ時代の2011年にそれぞれナショナルリーグ地区優勝に貢献した。
もっと読む
塩沼 亮潤(しおぬま りょうじゅん、1968年〈昭和43年〉… 塩沼 亮潤(しおぬま りょうじゅん、1968年〈昭和43年〉3月15日 - )は、宮城県仙台市出身の日本の金峯山修験本宗の僧侶で、仙台市太白区秋保の福聚山慈眼寺住職を務める大峯千日回峰行者(大行満大阿闍梨)である。 1968年に宮城県仙台市の仙台駅そばで生まれる。テレビ番組で酒井雄哉師を観て千日回峰行に憧れる。1986年に東北高等学校を卒業後、資金を貯めて金峯山修験本宗管長五條順教に師事し、1987年5月6日に総本山金峯山寺で出家して修験行院に入る。2年後に正行院に入りさらに2年後に大行院に入る。 1991年5月3日の戸開けから百日回峰行に入り、8月10日に達成する。1992年5月3日から千日回峰行に入り、1999年9月2日に金峯山史上2人目となる千日回峰行を達成する。
もっと読む
佐々木 主浩(ささき かづひろ、1968年2月22日 - )… 佐々木 主浩(ささき かづひろ、1968年2月22日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は日本プロ野球名球会副理事長、野球解説者・野球評論家、タレント、馬主、レーシングチーム「D'station Racing」総監督。右投右打。 NPBでは1990年から1999年までと、2004年から2005年までの2度にわたり横浜DeNAベイスターズの前身球団に在籍し、抑え投手としてNPB歴代3位となる252セーブを記録した。また2000年から2003年まではMLBのシアトル・マリナーズに在籍し、日本人のMLB選手として歴代最多となるMLB通算129セーブを記録しており、NPB/MLB通算で381セーブ(日本人史上初の通算300セーブ)を記録したことになる。
もっと読む
葛西 稔(かさい みのる、1967年5月5日 - )は、青森… 葛西 稔(かさい みのる、1967年5月5日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・スカウト。 実家は弘前城の近くで鮮魚店を営んでいた。弘前市立城西小学校時代に軟式野球の全国大会へ出場し、チームはベスト4の成績を残す。その後、弘前市立第二中学校(弘前二中)を経て、宮城県の東北高等学校へ進学。 東北高校では佐々木主浩の控え投手兼一塁手及び三塁手として活躍、2年次の秋季東北大会では不調の佐々木に代わり主戦投手として準優勝、春の選抜高校野球大会出場の原動力となる。3年次には主に6番・一塁手として夏の甲子園でチームのベスト8入りに貢献。県大会は4番をつとめたが、甲子園では佐々木に4番を譲り、自身は6番打者だった。
もっと読む
中根 仁(なかね ひとし、1966年8月28日 - )は、宮… 中根 仁(なかね ひとし、1966年8月28日 - )は、宮城県仙台市泉区出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ、園芸家。 小学校3年生の頃にリトルリーグで野球を始めた。幼少期はロッテの試合を見に宮城球場によく行き、有藤道世のファンだったという。仙台育英高校からも誘いはあったが、地理的に近い東北高校への進学を決定。1年夏、2年春、3年夏と3回甲子園には出場を果たしており、3年夏の1984年、1学年下の佐々木主浩や葛西稔とともに四番・右翼手で全国高校野球選手権に出場。柳井高校、日大一高を破って3回戦進出の立役者となった。高校卒業後は先輩が野球部に在籍していたことから法政大学へ進学。 大学でも右翼手を務め、クリーンアップを任されるようになった1987年の東京六大学野球春季リーグ戦で初のベストナインに外野手として選出される。
もっと読む
白鳥 浩徳(しらとり ひろのり、1966年5月4日 - )は… 白鳥 浩徳(しらとり ひろのり、1966年5月4日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高時代は、1年秋の県大会決勝で先発したが途中降板して敗退。以後は登板なく東北大会は優勝して1983年春の甲子園に出場。また1984年夏の甲子園にも出場するが、いずれも登板機会はなかった。このときはエースナンバーを付けていたが、1年下の佐々木主浩が実質エースのため、控え投手扱いであった。 高校卒業後は、社会人野球の住友金属鹿島に入団。1990年と1993年に日立製作所の補強選手として都市対抗野球大会に出場。1990年は準々決勝で先発して3回を投げたがチームは延長の末に敗退。1993年はエースの斎藤充弘の救援として初戦から登板したが2回戦で熊谷組に敗れた。
もっと読む
金子 誠一(かねこ せいいち、1964年7月23日 - )は… 金子 誠一(かねこ せいいち、1964年7月23日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身の元プロ野球選手(外野手)、実業家。現在は、保険代理店・株式会社FPスタジアム代表取締役社長。 東北高では、1982年にエース兼中心打者として甲子園に春・夏と連続出場を果たす。春の選抜では1回戦でPL学園高の榎田健一郎と投げ合うが敗退。夏の選手権も、1回戦で熊本工業高の奥村高次、野村裕二のバッテリーに抑えられ惜敗した。2年下のチームメートに控え外野手の中根仁がいた。 高校卒業後は、法政大学に進学し、東京六大学野球リーグでは在学中4回の優勝を経験。当初は投手だったが、1学年上の西川佳明や同期の猪俣隆、石井丈裕ら好投手が多く登板機会には恵まれなかった。
もっと読む
荒川 眞嗣(あらかわ まさつぐ、1964年3月4日 - )は… 荒川 眞嗣(あらかわ まさつぐ、1964年3月4日 - )は、宮城県仙台市出身のアニメ監督、アニメ演出家、アニメーター。荒川真嗣とクレジットされることがある。 学校法人南光学園東北高等学校を1982年に卒業する。宮崎駿のファンでテレコム・アニメーションフィルムの新人募集に応募して落選するも、大塚康生から亜細亜堂を紹介されて入社する。1985年に亜細亜堂からテレビアニメ『おねがい!サミアどん』でデビュー、1988年にIGタツノコ(現・Production I.G)へ移る。以後、同社を拠点に活動し、シンエイ動画を中心に数多くの他社制作作品に携わる。 1996年からProduction I.Gで押井守が主宰していた押井塾に参加する。
もっと読む
安部 理(あべ おさむ、1962年12月19日 - )は、宮… 安部 理(あべ おさむ、1962年12月19日 - )は、宮城県白石市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。 岩手県大船渡市立第一中学校卒。 進学した東北高等学校では、一塁手として、同期のエース中条善伸らとともに甲子園に4度出場。「東北の掛布」の異名を持つ強打者だった。2年生の時の1979年第51回選抜では1回戦で下関商に敗れる。同年第61回全国選手権も1回戦で済々黌高に大敗。翌1980年第52回選抜は2回戦(初戦)で松江商を破ったが、準々決勝で丸亀商に惜敗。同年第62回全国選手権は、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で下すが、3回戦で浜松商に逆転負け。
もっと読む
佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - 2025年… 佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - 2025年11月27日)は、宮城県出身のプロ野球選手(内野手)、高校野球指導者。 東北高校では、同期のエース・中条善伸らと甲子園に4回出場。2年生時の1979年春の選抜には三塁手として出場。1回戦で下関商に敗れる。同年夏の選手権も1回戦で済々黌高に大敗。 1980年春の選抜では二塁手に回り、2回戦(初戦)で松江商を降したが、準々決勝で丸亀商に惜敗。同年夏の選手権は再び三塁手に戻り、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で降すが、3回戦で浜松商に逆転負け。中条以外の高校同期に一塁手の安部理がいた。 卒業後は電電東北に入社。
もっと読む
中条 善伸(なかじょう よしのぶ、1962年4月12日 - … 中条 善伸(なかじょう よしのぶ、1962年4月12日 - )は、宮城県牡鹿郡女川町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。1994年からは中條としている。 中学校時代はドロップボールを駆使し、チームを東北中学校野球大会優勝に導くなどして活躍した。 東北高では、エースとして4季連続でチームを甲子園に導く活躍を見せる。1979年春の選抜では1回戦で下関商業高に敗退。同年夏の選手権も1回戦で済々黌高に敗退。翌1980年春の選抜2回戦(初戦)で松江商業高を降したが、準々決勝で丸亀商業高に惜敗。なお、この大会では松江商戦で勝利が決定的になった9回にリリーフ登板(一死も取れず)したのみであった。この大会を含めこれまで甲子園ではいずれも四球病に泣かされた。
もっと読む
本間 秋彦(ほんま あきひこ、1961年10月12日 - )… 本間 秋彦(ほんま あきひこ、1961年10月12日 - )は、日本のローカルタレント・ラジオパーソナリティ・DJ・司会者。宮城県牡鹿郡牡鹿町(現:石巻市)出身。東北高等学校、東北福祉大学卒。 大学卒業時に作ったラジオ番組のデモテープが番組制作会社の部長の目に留まったことがきっかけで、番組制作会社で制作の仕事を行っていた。「伊集院守」の別名でも活動を行なっていたが、制作側として10年間仕事をしてきたなかで「自分で喋る仕事をしたい」という思いが強くなったといい、1999年にフリーとなった。愛称である「本間ちゃん」は“ちゃん”を付ける業界用語から。 FMラジオの番組で仕事をしていた頃、作り手側としても出演する側としても「FMは、かっこよく喋らなくてはいけない」と思っていたが、大阪のFMラジオFM802(エフエムはちまるに)を聞きカルチャーショックを受け、「地元に即したプログラムで良いんじゃないか」と思うようになり、徐々に方言を使った訛ったラジオパーソナリティとしてのスタイルを確立していった。
もっと読む
船木 鷹虎(ふなき たかとら、1961年7月13日 - )は… 船木 鷹虎(ふなき たかとら、1961年7月13日 - )は、日本の男性元キックボクサー。本名は船木 実(ふなき みのる)。 娘がヘラヘラ三銃士のさおりん。 東北高校2年の春に、仙台青葉ジムに入門。1978年11月に「ヤンガー船木」のリングネームでプロデビューを果たした。このリングネームは1988年に所属するジムの会長から改名されるまで変わらなかった。 1982年7月、藤原敏男が返上した新格闘術ライト級王座決定戦を斉藤京二と争い、ドローに終わった。しかし左ハイキックで斉藤のアゴを折る重傷を負わせた。翌月新格闘術世界ライト級王者になった藤原敏男と対戦。5RKO負けするも善戦した。 1987年5月25日に日本ムエタイ連盟設立記念興行の初代ウェルター級王者決定戦に出場。
もっと読む
及川 美喜男(おいかわ みきお、1959年9月18日 - )… 及川 美喜男(おいかわ みきお、1959年9月18日 - )は、宮城県柴田町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 東北高では1977年に、同期のエース佐々木淳を擁し、左翼手として春の選抜に出場。2回戦で丸亀商に敗れる。同年夏の県予選でも決勝に進むが、佐々木が肩を故障し、1年下の薄木一弥(電電東北)が先発。仙台育英の後に広島で同僚となる大久保美智男に、延長12回の接戦の末0-1で完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は、社会人野球の東芝に入社。都市対抗では試合出場がないが、1981年の日本選手権では先発出場。 1981年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。 1983年に一軍デビューを果たし中堅手として2試合に先発出場を果たすが、結果を残せなかった。
もっと読む
石田 重廣(いしだ しげひろ、1958年〈昭和33年〉7月1… 石田 重廣(いしだ しげひろ、1958年〈昭和33年〉7月1日 - )は、日本の実業家、歌手。株式会社夢グループ及び株式会社ユーコーの創業者で代表取締役社長。学校法人南光学園東北高等学校理事。福島県田村市観光大使。 福島県福島市出身。福島大学附属小学校、福島大学附属中学校を卒業し、甲子園を目指して宮城県の東北高等学校に入学。野球部に入部したが、1年生の時に別の部員が起こした不祥事で対外試合禁止になったことをきっかけに自主退学した。その後、別の高校を19歳で卒業し上京、6校の大学に受験を申し込むが、満員電車から降りられず遅刻したり、試験日を間違えたり、受験生ではなく父兄の待合室で待っていて試験が終了してしまったりした結果、早稲田大学と学習院大学の2校のみ受験したが不合格。
もっと読む
鈴木 孝行(すずき たかゆき、1957年8月24日 - )は… 鈴木 孝行(すずき たかゆき、1957年8月24日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 東北高では、1975年春季東北大会準決勝に進むが、日大山形高に完封負け。高校同期に立野清広がいた。社会人野球の電電東北に入社。1977年の都市対抗に一塁手として出場する。1回戦で新日本製鐵広畑に敗退。クラブチームの東北クラブを経て、1980年オフにドラフト外で西武ライオンズに入団。 1982年に一軍初登板、1984年には4試合に先発。7月7日には近鉄バファローズを相手に5回を3安打2失点と好投するが、後続が打たれ初勝利はならなかった。1986年11月、日本ハムファイターズに金銭トレードにて移籍。
もっと読む
立野 清広(たての きよひろ、1957年6月5日 - )は、… 立野 清広(たての きよひろ、1957年6月5日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 東北高等学校から1975年ドラフト4位にてロッテオリオンズに入団。 人さし指を折った独特の握りから投げる垂直なカーブは威力十分だったが、一軍公式戦の出場がないまま1981年引退した。 引退後はロッテに残り、2003年まで同球団の打撃投手、2008年まで同球団の専任スコアラーを務めた。ロッテ在籍時代の落合博満は、打撃練習時にいつも立野を打撃投手として指名していた。
もっと読む
大久保 初男(おおくぼ はつお、1955年2月26日 - )… 大久保 初男(おおくぼ はつお、1955年2月26日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離。元仙台大学助教授。 宮城県柴田町出身。東北高等学校卒業。大東文化大学時代に箱根駅伝で大活躍。とりわけ山登りの技術に長け、5区で4年連続区間賞を獲得するという金字塔を打ち立てた。山登りの名人との異名をとった。いわゆる「山の大東」を象徴する野武士の一人。 スポーツライターの生島淳は今井正人以前の「元祖・山の神」は大久保であると言及している。 大学卒業後は大昭和製紙に奉職。仙台大学助教授などを歴任し、仙台大学陸上競技部監督も務めた。 長男の大久保陸人も陸上選手で、2015年に父と同様、大東文化大学に入学。
もっと読む
渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )… 渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校、仙台大学を経て、東洋工業に所属した。1978年には古田篤良、小原秀男、山出実、中野重富、安原真一らとともに天皇杯決勝進出に貢献。 日本代表としては、1979年のジャパンカップを始め国際Aマッチ6試合に出場し1得点を記録している。
もっと読む
佐藤 政夫(さとう まさお、1950年12月18日 - )は… 佐藤 政夫(さとう まさお、1950年12月18日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高校3年時の1968年に、若生正廣との二枚看板で第50回全国高等学校野球選手権大会に出場。実際には宮城大会から先発を任されていて、本大会では1回戦で佐賀工業高校に敗れたものの、NPB球団のスカウトから注目されていた。大会後には社会人野球のチームからも数多くの誘いを受けていたが、「社会人(野球のチーム)には(自分のような)18歳の選手も30歳の選手もいて、大学(の硬式野球部)に比べればタテの世界(上下関係)が厳しくない」との考えから、高校の先輩(内野手の樋沢良信など)が硬式野球部に在籍していた地元の電電東北へ入社した。
もっと読む
若生 正廣(わこう まさひろ、1950年9月17日 - 20… 若生 正廣(わこう まさひろ、1950年9月17日 - 2021年7月27日)は、宮城県出身の元高校野球指導者。実兄はプロ野球選手の若生智男。 東北高校では投手。同期の佐藤政夫との二本柱であった。主将として1968年の宮城大会に臨む。先発を佐藤に任せ、四番打者、一塁手として活躍、決勝で築館高を破り全国選手権出場を決める。しかし1回戦で佐賀工に敗退した。この試合では佐藤をリリーフし、甲子園初登板を果たす。 卒業後は法政大学に進学。1年上に横山晴久、同期に池田信夫と好投手が揃い、あまり登板機会はなかった。社会人野球のチャイルドを経て1987年に埼玉栄高校野球部監督、1993年秋に母校である東北高校野球部監督に就任。
もっと読む
樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は… 樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は、岩手県久慈市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 東北高等学校から日本電信電話公社東北支社(電電東北、現在のNTT東日本宮城支店)へ入社した後に、同社硬式野球部(現在の東北マークス)所属の内・外野手として社会人球界で活躍。1970年のNPBドラフト会議において、読売ジャイアンツ(巨人)から4位で指名された。 電電東北からは1970年に佐藤政夫(高校の後輩にも当たる左投手)が巨人に入団していたが、1年在籍しただけで(この年から1972年までシーズン終了後に年に1回開催されていた)プロ野球選抜会議(ドラフト会議と同じ趣旨・要領で開催された「トレード会議」)を通じてロッテオリオンズへ移籍した。
もっと読む
荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日-… 荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日- )は、宮城県名取市出身で、日本競輪選手会・宮城支部に所属していた元競輪選手。25期。 東北高等学校を経て日本競輪学校第25期生となる。同期には谷津田陽一や、1964年東京オリンピックに出場した山藤浩三や伊藤富士夫らがいる。また、実弟の荒川玄太(31期)も元競輪選手であった。 デビュー戦は1967年9月17日の準地元・いわき平競輪場で迎え6着。初勝利は同年同月18日の同場。 1970年。この年は競輪界のこれまでの図式が大きく変わった年となった。高原永伍時代の終焉が訪れると同時に、高原に加え、伊藤繁、吉川多喜夫らが形成していた「神奈川王国」にも終焉の時代が訪れた。
もっと読む
千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県… 千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高では末永幸士投手(国士舘大学)と同期だったが、甲子園には出場できなかった。 1966年のプロ野球第1次ドラフト会議で東映フライヤーズから5位指名を受けたが、入団を拒否し社会人野球の日本鉱業日立へ入団する。 1968年の都市対抗野球に出場し、1回戦でリリーフとして登板するが日本新薬に敗れる。翌1969年の都市対抗野球にはエースとして出場するが、同じく1回戦で三菱重工名古屋に敗退した。 1969年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受け入団。 シュート、カーブが武器の本格派で、スライダーをプロ入り後に習得する。
もっと読む
小山 靖(おやま やすし、1948年 - )は、宮城県を登録… 小山 靖(おやま やすし、1948年 - )は、宮城県を登録地としていた元競輪選手。日本競輪学校第27期生。 東北高等学校時代の1966年に青森競輪場で行われた全国高等学校総合体育大会自転車競技大会のスクラッチレース(現在のスプリント)で優勝。 その後、競輪学校に入校。同校在校競走成績は124戦99勝で第1位。さらに卒業記念レースでも、オール1着の完全優勝を果たした。 競輪選手となってからは、特別競輪(GI)の決勝戦に3回進出。この内、1977年の競輪祭・全日本競輪王戦では3位に入った。また、記念競輪(GIII)は通算5回優勝。 1988年6月6日、選手登録削除。
もっと読む
河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、… 河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会宮城支部に所属していた。 東北高等学校を経て、日本大学に在学中だった1964年の東京オリンピックにおいて、スクラッチ(現在のスプリント)に出場(予選敗退)。 1965年、日本競輪学校第21期生(同期に群馬の田中博、神奈川の伊藤繁らがいる)としていわき平競輪場でデビューし1着。後2日間も勝ち、3連勝完全優勝を果たす。 1972年、日本選手権競輪(西武園競輪場)優勝。ちなみにこのレースでは、連勝単式(枠番連勝単式)車券において同大会決勝戦史上初の万車券決着となった。
もっと読む