スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
菊地 達也(きくち たつや、1969年9月12日 - )は、… 菊地 達也(きくち たつや、1969年9月12日 - )は、日本のイスラム学者、東京大学教授。専門はイスラーム思想史。 山形県天童市生まれ。山形県立山形東高等学校卒、1992年東京大学文学部イスラム学科卒業、1998年同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、「イスマーイール派の神話と哲学 -ハミードゥッディーン・キルマーニーの思想を中心として」で博士(文学)。2004年神田外語大学専任講師、2008年准教授、2013年東京大学人文社会系研究科准教授。2005年の『イスマーイール派の神話と哲学』で中村元賞受賞。
櫻井 義秀(さくらい よしひで、1961年4月18日 - )… 櫻井 義秀(さくらい よしひで、1961年4月18日 - )は、日本の宗教学者、北海道大学教授。研究分野は、宗教社会学、アジア社会研究。 山形県上山市生まれ。1980年山形県立山形東高等学校卒業、1984年北海道大学文学部哲学科宗教学専攻卒業。1986年北海道大学大学院文学研究科行動科学専攻修士課程修了。1987年北海道大学大学院文学研究科行動科学専攻博士後期課程中退、北星学園女子短期大学家政学科専任講師。1992年北海道大学文学部講師(人間行動学講座)、1996年助教授(社会システム科学講座)、2004年教授。2005年、博士論文「東北タイの開発と文化再編」で北海道大学博士(文学)。北海道大学出版会理事長。
山内 志朗(やまうち しろう、1957年9月18日 - )は… 山内 志朗(やまうち しろう、1957年9月18日 - )は、日本の哲学者。慶應義塾大学文学部名誉教授。慶應義塾女子高等学校元校長。山形県西村山郡西川町出身。 専門は中世哲学と紹介されることが多いが、山内自身の述懐によれば学生時代にはライプニッツを専攻しており、自らを指して「近世哲学の研究人」、「中世哲学の専門家でもない者」と言っている。スコラ学をはじめ、研究対象はグノーシス主義、現代思想、現代社会論、コミュニケーション論、身体論、ミイラ、修験道(出身地は修験道の盛んな地域である)など多岐にわたる。 サブカルチャーにも造詣が深いが、宮﨑駿の『君たちはどう生きるか』について書いた文章において冒頭の火事を空襲ではないのにも関わらず「空襲」と表記した。
長谷川 公一(はせがわ こういち、1954年 - )は、日本… 長谷川 公一(はせがわ こういち、1954年 - )は、日本の社会学者。環境社会学・社会運動論の研究で知られる。学位は、博士(社会学)(東京大学・論文博士・2004年)。盛岡大学および盛岡大学短期大学部学長。東北大学名誉教授。尚絅学院大学名誉教授。元尚絅学院大学特任教授。 山形県上山市生まれ。山形県最上町、同県尾花沢市で少年時代を過ごす。山形県立山形東高等学校を経て、1977年東京大学文学部卒業。1983年、東京大学大学院社会学研究科博士課程社会学専攻単位取得退学。2004年東京大学より博士(社会学)の学位を取得。 東北大学教員としての最終講義をもとに、2021年、個人史と研究史と社会史を統合的に記述した「パーソナルな物語」としての『環境社会学入門――持続可能な未来をつくる』を刊行した。 1983年東京大学文学部助手。
大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、… 大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、日本の社会学者。高崎経済大学地域政策学部名誉教授、同大学の元副学長。群馬県選挙管理委員会委員長職務代理。山形県山形市出身。 なお、2013年には高崎経済大の学長選に立候補するも、現職の石川弘道に敗れた。 ◆平成23年度 各種委員会、学会、社会活動
秋葉 重幸(あきば しげゆき、1951年 - )は日本の通信… 秋葉 重幸(あきば しげゆき、1951年 - )は日本の通信工学者。工学博士。KDDI研究所特別研究員、東京工業大学大学院連携教授、KDDI常務、KDDI理事、KDD研究所所長、KDDI研究所所長、KDDI海底ケーブルシステム社長、電子情報通信学会副会長等を歴任。海底ケーブルに使用される、光増幅国際長距離海底ケーブル方式の開発で知られる。山形県出身。 1980年末から、海底ケーブルに光ファイバ通信技術が導入され、国際間の通信量が膨大になった。しかし、従来の通信方式では、ギガビット以上の伝送容量を実現するには信頼性、経済性の面で海底中継回路の高速化に限界があった。そこで、簡易な構成で飛躍的な伝送容量増加が図れる直接光増幅中継方式の開発が必要となる。
飯野 正光(いいの まさみつ、1950年 - )は、日本の医… 飯野 正光(いいの まさみつ、1950年 - )は、日本の医学者、医師。専門は、生理学、薬理学。学位は、医学博士。 東京大学名誉教授・ニューロインテリジェンス国際研究機構特任教授、日本大学生体機能医学系生理学分野上席研究員。元日本大学特任教授、元東京大学教授。 東京大学大学院医学系研究科副研究科長、ニューロインテリジェンス国際研究機構機構長特別補佐、日本薬理学会理事長、日本医学会副会長などを歴任した。紫綬褒章受章。山形市出身。
加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1… 加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日)は、日本の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「アメリカ」の影』(1985年)で注目される。文学、政治、歴史認識と広く戦後日本の社会を独自の視点で考察。著書に『敗戦後論』(1997年)、『日本の無思想』(1999年)、『言葉の降る日』(2016年)、『敗者の想像力』(2017年)などがある。 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1972年東京大学文学部仏文学科を卒業。1985年に『アメリカの影』でデビューする。 雑誌『思想の科学』に1980年代からかかわり、第八次『思想の科学』(1993-1996)の編集委員をつとめた。
舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は… 舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は、日本の実業家、JTB元代表取締役会長、元社長、立教大学観光学部元教授、日本ワーキング・ホリデー協会元会長、公益財団法人日本交通公社評議員。 1940年2月6日、山形県山形市生まれ。山形東高卒業。1962年3月、東京教育大学(現・筑波大学)理学部卒業。同年4月、日本交通公社(現JTB)入社。 国際旅行事業からその経歴をスタートさせ、海外旅行のルック販売部販売課長、国内旅行のエース課長などを歴任。経営企画室長、取締役九州営業本部長、常務人事部長などを経て1996年に代表取締役社長就任。2002年から代表取締役会長を務めた。 JTB会長と兼任して立教大学観光学部教授を務め、ツーリズム産業の発展のために後進の育成を行うとともに、日本旅行業協会(JATA)では副会長、海外旅行委員長などの要職を務め、初の大使が誕生したスロバキアには旅行会社5社とJALの協力を得て初のチャーター便を飛ばすなどの活動を行った。
斎藤 たま(さいとう たま、1936年- 2017年1月26… 斎藤 たま(さいとう たま、1936年- 2017年1月26日)は、日本の民俗学者。 山形県東村山郡山辺町に生まれる。山形県立山形東高等学校定時制を卒業後は東京渋谷の書店に就職した。 1970年から子供の遊びや民俗風習の聞き取り調査を日本全国で手がけ、1971年に仕事は退職した。同じ遊びが離れた地域に広く分布していることに興味を抱いたことが、収集を手がけるきっかけだった。 1972年から埼玉県秩父市浦山の過疎部落(嶽)に移り住み、自給自足で暮らしながら著作を執筆した。 嶽での生活を28年あまり続けたのち秩父市街地に移住、晩年は長く入院生活を送り、2017年に死去した。 斎藤の収集した民俗資料については「今では採録することができない貴重なものも少なくありません」「採集された民俗は現在では消滅の危機にあり、それを書き残した調査カードは民俗学的に貴重な資料である」といった評価がなされている。
渋谷 重光(しぶや しげみつ、1935年6月7日 - 199… 渋谷 重光(しぶや しげみつ、1935年6月7日 - 1992年4月16日)は、日本の社会学者、社会心理学者、広告学者。 1935年山形県山形市生まれ。1954年山形県立山形東高等学校卒業。1958年中央大学法学部法律学科卒業。1961年中央大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了。日本産業構造研究所研究員、神奈川大学教授。
五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2… 五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2013年12月14日)は、日本の地理学者。山岳・氷河地形研究者であり、山岳鳥瞰図作家として知られる。 山形県山形市出身。東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。大学時代には、九州南端の開聞岳から北海道の利尻山まで日本各地の山々に登り、日本アルプスにおける氷河地形の発達について強い関心を抱く。大学卒業後には魚沼水無川シン沢単独遡行。建設省地理調査所(のちの国土地理院)を37歳で退職するまで、空中写真撮影、写真判読、基本図測量、修正測量、地形図製作などに従事し、積雪調査の開発研究にあたる。1962年には、それまで知られていなかった槍・穂高山域で最低位の堆石堤群を発見し、その後、日本の氷河地形の再検討を続ける。
吉川 需(よしかわ まつ、1916年 - 1995年)は、日… 吉川 需(よしかわ まつ、1916年 - 1995年)は、日本の造園学者。庭園史家。研究は発掘庭園史をテーマに戦後に東京大学の助手を経て昭和26年から文化財保護委員会に移り以後、文化庁退官まで一貫して庭園の調査研究、文化財遺構の発掘調査・復元整備に尽力。師の吉永義信と共に精力的に全国を巡り、幾多の名園を実測調査、記録・報告する。 庭園の名勝指定や解除、遺構の整備、復原などに携わり、平城京の北宮庭園などの指定、岡山の後楽園をはじめ、鹿苑寺(金閣寺)や縮景園などの戦災復旧事業に尽力すると同時に、中尊寺、毛越寺、無量光院などに関連した平泉の庭園遺跡について一連の調査を進め、その成果を総括。 文化財保護審議会専門委員(第3專門調査会会長),財団法人日本ナショナルトラスト専門委員、社団法人日本庭園協会理事長、文化財指定庭園保護協議会会長、識名園復旧整備委員会、史跡永福寺発掘整備委員会、松本城整備研究会会長他、昭和35年5月から日本造園学会評議員・理事・監事・副会長を歴任。
阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日… 阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の中国哲学者。 1905年、山形県山形市で生まれた。山形中学校を経て、東京帝国大学文学部支那哲学科に入学。1928年、卒業論文『荀子の研究』を提出して同大学を卒業。同大学大学院に進学した。 1930年、東方文化学院東京研究所の助手となり、服部宇之吉の「儀礼鄭注補正」の助手を務めた。1935年に同研究所研究員となり、「朱子経説の淵源」の題目で研究を進めた。 1941年、京城帝国大学法文学部助教授として赴任。当地で朝鮮儒学に関心を抱いた。李退渓と闇書の思想的血縁関係について著した専門書をまとめたものの、公刊直前に敗戦となり、原稿ともども失う。
高山 岩男(こうやま いわお、1905年(明治38年)4月1… 高山 岩男(こうやま いわお、1905年(明治38年)4月18日 - 1993年(平成5年)7月7日)は、日本の哲学者。京都帝国大学教授・神奈川大学教授・日本大学教授・東海大学教授、秋田経済法科大学学長を歴任。 1905年、山形県山形市で生まれた。1918年、山形県立山形中学校(現・山形県立山形東高等学校)に入学。1925年、山形高等学校を卒業。西田幾多郎、田辺元の著書に触発され、京都帝国大学文学部哲学科に入学。当時の文学部には西田幾多郎、波多野精一、田辺元、和辻哲郎らが教員として在籍しており、京都学派の全盛期であり、特に田辺から多大な影響を受けた。西田幾多郎からは俊秀と評され、京都帝国大学を首席卒業した。
日下部 四郎太(くさかべ しろうた、1875年5月5日 - … 日下部 四郎太(くさかべ しろうた、1875年5月5日 - 1924年7月3日)は、日本の地球物理学者。理学博士(1906年)。東北帝国大学教授。岩石や地震波の研究者。『物理学汎論』などを表し、岩石の弾性の研究により第2回帝国学士院賞を受賞し、近代地震学の基礎を開いた。アインシュタインとも親交を持ち、彼を長岡半太郎らと共に東北帝国大学に招いた。 日下部定治の3男として山形県東村山郡金井村(現・山形市)に生まれる。幼い頃は社交性がない神経質な子供であり、村の寺に小僧として3年間預けられたこともあった。小学生の頃から数学などが非常に得意であった。旧制山形尋常中学、旧制二高へ進み、1900年、東京帝国大学物理学科を卒業。
大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年… 大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年11月17日) - 1920年(大正9年)12月30日)は、日本の刑法学者、弁護士、政治家。元公安審査委員会委員長の大場茂行は息子。 明治から大正の日本の刑法学は、富井政章、穂積陳重らがよってたつ主観主義を前提とする新派・近代学派と、客観主義を前提とする旧派・古典学派が対立しており、当時、旧派を代表する学者であり、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子でもある宮城浩蔵は、犯罪を社会的害悪であると同時に道徳的悪であるとしてフランス新古典派がよってたつ折衷主義の立場をとっていた。 1871年のドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、新派の牧野英一は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、現行刑法の成立こそ新派の勝利の証であるとして凱歌をあげた。
安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年7月27日〈明… 安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年7月27日〈明治2年6月19日〉- 1934年〈昭和9年〉12月28日)は、日本の外務官僚、国際法学者。法学博士。メキシコ公使、ベルギー大使、フランス大使を経て、アジア人初の常設国際司法裁判所所長。山形県出身。 アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長(判事としては国内2人目)となるが、所長就任早々、祖国の日本が満州事変を起こし、国際連盟を脱退することになる。所長3年の任期を終え、1934年(昭和9年)1月から平判事になったが、日本の国際連盟脱退問題の悩みから6月に体調を崩し、8月に重い心臓病を発症。同年12月28日、オランダのアムステルダムにある病院で死去した。
堀 維孝(ほり いこう、慶応4年2月(1868年2月8日) … 堀 維孝(ほり いこう、慶応4年2月(1868年2月8日) - 昭和29年(1954年)10月31日)は、日本の教育学者、教育者、国文学者。鶴岡鷹匠町(現・鶴岡市)出身。萩邨と号する。国語漢文教育の権威として知られる。 慶応4年(1868年)、庄内藩士堀平太夫重道の長子として鶴岡鷹匠町に生れた。父は戊辰戦争に出陣して羽後羽根川で戦死したため、母の手ひとつで育てられた。明治18年(1885年)、西田川郡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。山形中学校(現・山形県立山形東高等学校)に進み、1886年に卒業した。 同1886年、朝暘学校の授業生(代用教員)を命じられた。また、荘内英学会で子弟の教育に当たった。
佐藤 佳(さとう けい、Kei SATO)は、日本のウイルス… 佐藤 佳(さとう けい、Kei SATO)は、日本のウイルス学者。学位は博士(医学)(京都大学・2010年)。東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野・教授(分野長)、東京大学新世代感染症センター・主任研究員。
田中 真美(たなか まみ)は、日本の医療福祉工学者。東北大学… 田中 真美(たなか まみ)は、日本の医療福祉工学者。東北大学大学院医工学研究科教授、日本学術会議会員。日本学術振興会賞受賞。 山形県山形市出身。山形市立第十中学校、山形県立山形東高等学校を経て、1993年東北大学工学部機械工学科卒業。1995年東北大学大学院工学研究科博士課程前期課程修了。1999年博士(工学)。 2001年東北大学大学院工学研究科助教授。2002年東京工業大学精密工学研究所助教授併任。2003年文部科学省在外研究員(フランス国立工芸院)。2008年東北大学大学院医工学研究科教授。2014年東北大学男女共同参画推進センター副センター長。 2018年東北大学総長特別補佐(共同参画担当)、日本機械学会理事。