佐藤 大基(さとう だいき、1988年9月7日 - 2010… 佐藤 大基(さとう だいき、1988年9月7日 - 2010年7月19日)は、千葉県出身のプロサッカー選手。ポジションはMF。2010年7月19日に心筋梗塞のため、21歳で死去。
船橋市立船橋高等学校:108人
佐藤 大基(さとう だいき、1988年9月7日 - 2010… 佐藤 大基(さとう だいき、1988年9月7日 - 2010年7月19日)は、千葉県出身のプロサッカー選手。ポジションはMF。2010年7月19日に心筋梗塞のため、21歳で死去。
森川 龍誠(もりかわ りゅうせい、1988年8月29日 - … 森川 龍誠(もりかわ りゅうせい、1988年8月29日 - )は、千葉県野田市出身の元プロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 市立船橋高等学校から環太平洋大学に進学。 2011年、愛媛FCしまなみに入団し、2012年には天皇杯サンフレッチェ広島F.C戦で先制点を挙げてチームの勝利に貢献するなどチームの主力として2年間プレイした。 2013年、グルージャ盛岡へ移籍。 2015年をもって現役引退し、2016年よりグルージャ盛岡のアカデミースタッフに就任した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
村山 智彦(むらやま ともひこ、1987年8月22日 - )… 村山 智彦(むらやま ともひこ、1987年8月22日 - )は、千葉県出身のサッカー選手。ポジションはGK。 2010年にSAGAWA SHIGA FCに加入。2011年に当時正GKだった森田耕一郎からポジションを奪い、SAGAWA SHIGA FCの2年ぶりのJFL優勝に貢献。その年のJFLベスト11に選ばれた。しかし同クラブは2012年に活動停止となる。 2013年よりJ2・松本山雅FCに完全移籍した。野澤洋輔と白井裕人の後塵を拝していたが、白井が第34節ガンバ大阪戦で負傷したため途中出場すると、そのままポジションを掴んだ。第40節山形戦ではJリーグの公式戦では5人目のGKによるゴールを記録した。
渡辺 広大(わたなべ こうだい、1986年12月4日 - )… 渡辺 広大(わたなべ こうだい、1986年12月4日 - )は、千葉県四街道市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 市立船橋高校では1年先輩の増嶋竜也とセンターバックのコンビを形成。2年次に出場した天皇杯では自身の得点で梁勇基擁する阪南大学を下している。3年次には増嶋の後を次いでキャプテンを任された。 2005年、ベガルタ仙台に入団。2008年まではリーグ戦年間10試合程度の出場にとどまっていたが、選手会長に就任した2009年はリーグ戦50試合にフル出場し、チームの「守備の要」としてJ2優勝に貢献した(なお欠場した1試合は累積警告によるもの)。チームがJ1に昇格してからは、鎌田次郎(2010年)、曺秉局(2011年)、上本大海(2012年)、石川直樹(2013年)といったセンターバックの相次ぐ補強により出場機会には恵まれなかったものの、彼らの欠場時には遜色のないプレーを見せた。
中林 洋次(なかばやし ひろつぐ、1986年4月28日 - … 中林 洋次(なかばやし ひろつぐ、1986年4月28日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身のプロサッカー選手。神奈川県社会人サッカーリーグ・ONODERA FC所属。ポジションはゴールキーパー。 横浜F・マリノスジュニアユース菅田出身。同チーム一つ下の後輩に秋元陽太や鈴木雄太がいる。また、横浜F・マリノスジュニアユースのGKでは、内藤友康、飯倉大樹と同期。 2002年、市立船橋高校に入学、同期に渡辺広大、一つ上の先輩にカレンロバート、増嶋竜也等がいる。2年時には佐藤優也の前に試合出場は叶わなかったが、3年時にはレギュラーを獲得。インターハイでは、国見高校に延長戦のすえ敗れ準優勝。高校選手権決勝戦対鹿児島実業は0-0のままPK戦にもつれ込み、中林もPKを止める活躍を見せたが2-4で敗れた。
佐藤 優也(さとう ゆうや、1986年2月10日 - )は、… 佐藤 優也(さとう ゆうや、1986年2月10日 - )は、千葉県市川市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ロアッソ熊本所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 市立船橋高校の正GKを務め、2003年の第83回天皇杯では横浜F・マリノス相手に好セーブを連発、同級生であるカレン・ロバートや増嶋竜也らと共に市船旋風の立役者の一人となった。第82回全国高等学校サッカー選手権大会でもベスト8に進出した。 卒業後の2004年にヴァンフォーレ甲府に入団したが、阿部謙作や鶴田達也の前に正GKの座を奪うには至らず2006年に出場機会を求めてコンサドーレ札幌に期限付き移籍。シーズン終盤に正GK林卓人がヘルニアで離脱したため出場機会を得ると、年末の天皇杯では4回戦からスタメン出場。
石井 秀典(いしい ひでのり、1985年9月23日 - )は… 石井 秀典(いしい ひでのり、1985年9月23日 - )は、千葉県千葉市美浜区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 千葉市立幸町第二中学校時代に全国中学校サッカー大会、市立船橋高校時代に高円宮杯全日本ユースサッカー選手権、明治大学時代には主将として関東大学サッカーリーグ戦の優勝を経験している。高校時代の同期に増嶋竜也・カレン・ロバート・佐藤優也らがいる。大学時代の同期は関憲太郎、斎藤雅也。市立船橋高校時代は左サイドバックを守っていた。 ニックネームの「チャン」については、元々「石井ちゃん」と呼ばれていたが、そのうちに「ちゃん」だけが残ったことが由来である。(本人談) 2008年、モンテディオ山形(当時J2)に入団。
鈴木 修人(すずき しゅうと、1985年8月31日 - )は… 鈴木 修人(すずき しゅうと、1985年8月31日 - )は、千葉県船橋市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。選手時代のポジションはMF(ボランチなど)。 父親の影響でサッカーに触れるようになり、小学2年時より本格的にサッカーを始める。船橋市内の少年サッカークラブを経て1995年から3年間は鹿島アントラーズのジュニアチームでプレー。当時のポジションはフォワードであった。1998年にジュニアユースに昇格。この頃フォワードからトップ下へとポジションを変えた。 2001年、市立船橋高校に進学。同期にはカレン・ロバート、増嶋竜也、佐藤優也などがいる。入学当初はBチーム所属となり、そこでも試合出場の機会がなかったが、高校2年時、監督の布啓一郎によってボランチへとポジションを変えられてからは試合出場機会を得るようになり、Aチームでスターティングメンバーにも入るようになった。
カレン・ロバート(CULLEN Robert、1985年6月… カレン・ロバート(CULLEN Robert、1985年6月7日 - )は、茨城県土浦市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。房総ローヴァーズ木更津FCで選手としてプレーする傍ら、房総ローヴァーズ木更津FCを運営するローヴァーズ株式会社の代表取締役を務める。 Kリーグ時代の登録名はボビー(ハングル: 보비)。 父親がアイルランド人で母親が日本人。二重国籍者だったが、日本国籍を選択。兄弟は兄と姉(共に英国籍で英国在住)。このような経歴から、オランダではEU圏内選手と同等の権利を有するほか、イギリスの永住権も保有しているため同国での就労ビザが不要(通常日本国籍の選手に課せられるA代表歴などの条件が不問とされる)。
高橋 昌大(たかはし まさひろ、1985年5月31日 - )… 高橋 昌大(たかはし まさひろ、1985年5月31日 - )は、茨城県古河市出身の元サッカー選手。 ポジションはフォワード。強さを活かしたドリブル、シュート、ヘディングが持ち味である。 中学2年生の新人戦決勝の八千代一中戦(1-0)でオーバーヘッドでVゴールを決めた。 利き足は右足だがリフティングは左足。 2008年にJリーグの水戸ホーリーホックに入団。同年4月20日の徳島ヴォルティス戦でリーグデビューを飾った。 2009年から、JFL・MIOびわこ草津に移籍した が、同年のシーズン終了後に退団。
増嶋 竜也(ますしま たつや、1985年4月22日 - )は… 増嶋 竜也(ますしま たつや、1985年4月22日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。YouTuber。ポジションはディフェンダー(DF)。妻は潮田玲子。2児の父。 小学2年生の時に兄に誘われてサッカーを始める。小学6年時にはジェフユナイテッド市原ジュニアユースのセレクションを受けるものの、1次テストで不合格となり地元の生浜中学に入学する。チームでは1回戦負けが多く、目立った成績を収められなかったが、個人では千葉市トレセン、千葉県選抜や関東選抜に選出経験があった。1999年度の全国高校選手権を制した市立船橋高校に憧れ、中学3年の秋に受験した市立船橋のセレクションに不合格となったため、一般入試で2001年に同校へ進学。
原 一樹(はら かずき、1985年1月5日 - )は、千葉県… 原 一樹(はら かずき、1985年1月5日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 小学3年生でサッカーを始め、同6年時に、自宅の近所にあった船橋市立船橋高等学校が第75回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝したのを期に「自分も市立船橋高で10番をつける!」という夢を持つが、受験の際はサッカー推薦、一般推薦ともに受からず、一般入試で合格する。サッカー部では1年生2年生時には全く公式戦に出られなかったが、3年生になり徐々に頭角を現し、第81回全国高等学校サッカー選手権大会では、前記の夢の通り背番号10番をつけ優勝を経験、同大会の優秀選手にも選ばれた。当時のチームメイトに青木良太、大久保裕樹、小宮山尊信、小川佳純、1学年後輩に増嶋竜也、カレン・ロバート、鈴木修人、佐藤優也がいる。
小宮山 尊信(こみやま たかのぶ、 1984年10月3日 -… 小宮山 尊信(こみやま たかのぶ、 1984年10月3日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 市立船橋高校3年時に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を果たしている。当時のチームメイトに青木良太、大久保裕樹、小川佳純、原一樹、1学年後輩に増嶋竜也、カレン・ロバート、鈴木修人、佐藤優也、石井秀典らがいる。 高校3年時にU-18日本代表に選ばれ、オランダ遠征に参加している。また、イビチャ・オシム監督時代の日本代表合宿に招集された経験を持つ。 順天堂大学在学中の2006年、特別指定選手として横浜F・マリノスに登録されリーグ戦、ナビスコ杯1試合ずつに出場している。
小川 佳純(おがわ よしずみ、1984年8月25日 - )は… 小川 佳純(おがわ よしずみ、1984年8月25日 - )は、東京都杉並区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 東京都杉並区にある宝陽幼稚園でサッカーを始める。宝陽幼稚園サッカー部の先輩Jリーガーの山田卓也、南雄太、三田光に次ぐ4人目のプロサッカー選手。杉並区立富士見丘小学校3年の時に三菱養和SC千歳船橋スクールに入団。中学進学前にヴェルディジュニアユースのセレクションを受けたが選考不通過となったため、三菱養和ジュニアユースでプレーを続けた。3年次に初の全国大会となったクラブジュニアユース選手権でベスト8を経験。 高校は船橋市立船橋高等学校に進学。第57回国民体育大会少年の部で優勝、第81回全国高校サッカー選手権大会で優勝を経験したときの決勝戦で唯一の得点を挙げた。
青木 良太(あおき りょうた、1984年8月19日 - )は… 青木 良太(あおき りょうた、1984年8月19日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 千葉県の市立船橋高校では1年次からレギュラーを獲得、3年次は守備の要として高校選手権優勝に貢献した。2000年にはAFC U-16アジアユース、2001年にはFIFA U-17世界選手権に出場し、年代別の日本代表に選出されている。 2003年にガンバ大阪へ入団。2005年は腰椎椎間板ヘルニアに苦しんだ。翌年からは完全復活し、激しいポジション争いを演じていたが、2008年に出場機会を求めてジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍した。 2013年8月10日、ロアッソ熊本へ期限付き移籍。
髙安 亮介(たかやす りょうすけ、1984年5月14日 - … 髙安 亮介(たかやす りょうすけ、1984年5月14日 - )は、千葉県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。サッカー指導者。 船橋市立船橋高等学校時代は第81回全国高校サッカー選手権大会を制覇(怪我のため決勝は出場せず)。国際武道大学時代は、2年連続で関東2部ベストイレブンに選ばれるも、4年時の最終節では引き分けに終わり1部昇格を逃した。栃木SCにはアマチュア選手として加入したが、2007年シーズン後、アマチュア選手としては唯一のプロ契約を勝ち取り、2008年シーズンからはプロ選手としてプレーした。チームのJ2昇格後初となる2009年シーズンは背番号10を背負ったが、シーズン終了にての契約満了となった。
大久保 裕樹(おおくぼ ゆうき、1984年4月17日 - )… 大久保 裕樹(おおくぼ ゆうき、1984年4月17日 - )は、千葉県市原市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 2002年、船橋市立船橋高校時代に全国高校選手権に出場。優勝に輝き、主将として活躍した大久保も優秀選手に選ばれた。同学年のチームメイトには青木良太、小宮山尊信、小川佳純、原一樹らがいる。 2003年、当時J2のサンフレッチェ広島に入団。プロ同期入団は、松浦宏治、高木和正、河原正治、田中俊也、木村龍朗。右SBとして出場機会をうかがっていたが、駒野友一の壁は厚く、また駒野が怪我で長期離脱中に右WBとして出場機会を得られるも、満足なものではなかった。 2005年のオフにチームからCBへのコンバートを打診されたところに、京都パープルサンガよりSBとしてオファーを受け、レンタル移籍し、翌2006年には完全移籍した。
阿部 翔平(あべ しょうへい、1983年12月1日 - )は… 阿部 翔平(あべ しょうへい、1983年12月1日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(おもに左サイドバック)。 小学校1年生で黒滝サッカークラブでサッカーを始める。中学校時に地元の横浜フリューゲルスジュニアユースへ推薦を受け、そのままチームが消滅する1998年まで所属した。 船橋市立船橋高等学校へ進学。3年生時にはミッドフィールダーとして背番号10を背負ってキャプテンを務め、第80回全国高等学校サッカー選手権大会にも出場した。筑波大学進学後はディフェンダー(サイドバック)へ転向し、4年生時にはユニバーシアード日本代表に選出された。大学での同期には秋葉陽一、藤本淳吾、中野洋司がいる。
松ヶ枝 泰介(まつがえ たいすけ、1982年12月15日 -… 松ヶ枝 泰介(まつがえ たいすけ、1982年12月15日 - )は、香川県出身の元サッカー選手である。ポジションはMF。 明治大学時代からジェフユナイテッド市原・千葉に練習生として参加。卒業後に入団が決まるも2年間で公式戦の出場機会はなかった。 2007年よりTDKサッカー部(現・ブラウブリッツ秋田)に加入。移籍1年目から主力として活躍するも、海外志向が高まったため2012年オフに退団、インド・Iリーグのシロン・ラジョンFCに移籍。 2016年度限りで現役を引退し、引退後は千葉県内の保険代理店に勤務することを自らのFacebookで発表した。なお、2018年は神奈川県社会人サッカーリーグ1部の品川CC横浜で現役復帰してプレーしていた。
中澤 聡太(なかざわ そうた、1982年10月26日 - )… 中澤 聡太(なかざわ そうた、1982年10月26日 - )は、東京都三鷹市出身の元プロサッカー選手。日本サッカー協会登録仲介人。現役時代のポジションはディフェンダー。(センターバック)。妻はタレントの金田美香。 東京都三鷹市に生まれ、物心つく前に引っ越した埼玉県朝霞市で育つ。中学生時には浦和レッズジュニアユースに加入し、3年時にはユースへの昇格が確実視されていたが、 同年の高円宮杯で浦和ユースが東福岡高校に大敗したことから高校サッカーに臨むことを決め、1998年にトレセンで知り合った西紀寛 が在学する市立船橋高校へ進学。2年生時には羽田憲司とセンターバックを組んで高校選手権に出場。6試合無失点の堅守で勝ち上がり、決勝の鹿児島実業戦では永井俊太のコーナーキックに高い打点のヘディングを合わせて決勝点を挙げ、優勝を果たした。
秋田 政輝(あきた まさてる、1982年9月25日 - )は… 秋田 政輝(あきた まさてる、1982年9月25日 - )は、千葉県1部・市川サッカークラブに所属するサッカー選手。ポジションはMF。
本橋 卓巳(もとはし たくみ、1982年8月3日 - )は、… 本橋 卓巳(もとはし たくみ、1982年8月3日 - )は、東京都西東京市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。
永井 俊太(ながい しゅんた、1982年7月12日 - )は… 永井 俊太(ながい しゅんた、1982年7月12日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。実父は元日本代表選手でジェフユナイテッド市原、アルビレックス新潟などで監督を務めた永井良和、妻はタレントの白石知世。 船橋市立船橋高等学校では、1999年度に第78回全国高等学校サッカー選手権大会に優勝。千葉県選抜の一員として1999年度の国体に優勝した。 2001年、柏レイソルに加入。同年には2001 FIFAワールドユース選手権に出場するU-20日本代表に選出される。2002年4月27日、ヤマザキナビスコカップ予選リーグの試合で公式戦初出場、同年7月24日のJ1・1stステージ第10節にてリーグ戦初出場。
植草 裕樹(うえくさ ゆうき、1982年7月2日 - )は、… 植草 裕樹(うえくさ ゆうき、1982年7月2日 - )は、千葉県市原市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはGK。元TEPCOマリーゼ所属選手の河田優は妻。 中学3年時にサッカーに熱中し始め、市立船橋高校に進学。三年生の2000年に柏レイソルの特別指定選手となるが、高校卒業後、両親や恩師の薦めにより早稲田大学に進学。 2005年に川崎フロンターレに入団。在学時に怪我を負った経緯のために大学出身ルーキーとしては異例の半年間の契約であった。半年後に契約は延長された。ルーキーイヤーは吉原慎也・下川誠吾・相澤貴志に次ぐ4番手の扱いであり出番はなかった。2006年には下川誠吾が大分トリニータへ移籍したため、3番手となる。
羽田 憲司(はねだ けんじ、1981年12月1日 - )は、… 羽田 憲司(はねだ けんじ、1981年12月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。サッカー指導者。 市立船橋高校時代は、キャプテンおよびディフェンスリーダーとして第78回高校選手権の優勝に貢献。2000年に鹿島アントラーズに入団。プロ入り後はセンターバックやボランチで主にプレーし、2001年ワールドユース選手権ではU-20日本代表のキャプテンを務めた。 2001年8月、足首に原因不明の痛みを覚え、長期にわたる戦線離脱を余儀なくされる。ブラジルでの手術後は状態が好転し、2005年5月21日のナビスコカップ・セレッソ大阪戦で3年9ヶ月ぶりの公式戦出場を果たす。2007年より当時J2のセレッソ大阪へ期限付き移籍し、2009年には同チームへ完全移籍した。
原 竜太(はら りゅうた、1981年4月19日 - )は、東… 原 竜太(はら りゅうた、1981年4月19日 - )は、東京都目黒区出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 横浜フリューゲルスのジュニアユースから市立船橋高校に進み、1998年に高校総体、3年次の1999年に高校選手権に優勝した。4得点をあげた1999年度高校選手権での活躍を評価されて名古屋グランパスエイトからオファーを受ける。 名古屋では初年度からスーパーサブとして起用され、12試合で2ゴールをあげる。2001年はサテライトリーグでは好成績を残したが、トップチームでの出場は2試合のみだった。3年目の2002年、同じポジションにイヴィツァ・ヴァスティッチやウェズレイといった選手がおり出番が限られるなか、短い出場時間で18試合で5得点。
黒河 貴矢(くろかわ たかや、1981年4月7日 - )は、… 黒河 貴矢(くろかわ たかや、1981年4月7日 - )は、愛媛県周桑郡丹原町(現:西条市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。 市立船橋高校では高校総体や選手権で優勝するなど数々のタイトルを獲得し、早くから年代別日本代表に選出されていた。 2000年に清水エスパルスに入団。公式戦デビューは2000年7月1日のJ1リーグ2ndステージ第2節横浜F・マリノス戦で、試合直前になって腰痛でプレーできなくなった真田雅則の代役として急遽先発出場した。クラブでは徐々に出場時間を延ばし、2003年はリーグ戦24試合に出場した。2004年はアテネオリンピック日本代表に選出されたものの、曽ヶ端準がオーバーエイジ枠で参加したこともあり出場機会を掴めず、クラブでも新たに加入した西部洋平にレギュラーを奪われ、2006年は東京ヴェルディに期限付き移籍。
松田 正俊(まつだ まさとし、1980年9月4日 - )は、… 松田 正俊(まつだ まさとし、1980年9月4日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)。 1996年に船橋市立船橋高等学校に進学し、3年時には同期の西紀寛と共にインターハイを制し、さらに千葉県選抜として国体で優勝を果たした。同年の全国高等学校サッカー選手権大会千葉県大会では玉田圭司を擁した習志野高校に敗れた。市立船橋の同期には他に岩佐潤(バスケットボール部)、高橋美佳子(吹奏楽部)がいる。 高校卒業後の1999年、J2・FC東京に加入。シーズン途中にJFL・横浜FCに期限付き移籍し、リーグ優勝に貢献した。 翌2000年にFC東京に復帰したが、J1に昇格したチームではアマラオ・ツゥットの2トップが定着したために出場機会は限られた。
清水 由香(しみず ゆか、1980年8月12日 - )は、千… 清水 由香(しみず ゆか、1980年8月12日 - )は、千葉県出身の元女子サッカー選手、陸上競技選手。 陸上競技選手として中学、高校、実業団で活躍した後にサッカーへ転向した異色の経歴を持つ。陸上競技では1999年から2002年まで三井住友海上火災保険女子陸上競技部、サッカーでは2003年から2012年まで日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)のジェフユナイテッド市原・千葉レディースに所属。千葉では2007年から引退までキャプテンを務めた。サッカーにおける登録ポジションはFW。 小さいころからサッカーは好きだったが、陸上で頭角を現し、中学時代では全国大会の800メートルで優勝した。高校は県内でも強豪の市立船橋高校に進学。
西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、大阪… 西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 元サッカー選手の西望実は実弟である。 本人によればサッカーを始めたのは保育園時代。中学校までは地元でプレーしていたが、高校は地元を離れて船橋市立船橋高等学校に入学し、サッカー部で活躍。サッカー部の同期に松田正俊がいる。他にも岩佐潤(バスケットボール部)・高橋美佳子(吹奏楽部)・佐藤章晶(硬式野球部)がいる。高校3年次の1998年にはインターハイを制するが、同年の全国高等学校サッカー選手権大会は千葉県予選で玉田圭司を擁した習志野高校に敗れ、出場はならなかった。
遠藤 大志(えんどう たいし、1980年3月31日 - )は… 遠藤 大志(えんどう たいし、1980年3月31日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 小学2年生の時にサッカーを始める。1995年に市立船橋高校へ進学。1996年度の全国高校選手権には2年生ながら正GKとして出場し、決勝戦では粘り強い守備で中村俊輔が牽引する桐光の反撃を1点に抑え優勝を果たした。同期には山根伸泉。また、千葉県選抜として国体に2年連続で出場。 1998年、東京ガスFCに社員選手として加入。1999年12月の天皇杯・初芝橋本高校戦の後半からピッチに立ち公式戦デビューを果たした。2000年からは土肥洋一が正GKとして定着したため出場機会を得られずにいたが、2005年になって自ら退路を断ち、プロ選手契約を結んだ。
山根 伸泉(やまね のぶみつ、1979年6月28日 - )は… 山根 伸泉(やまね のぶみつ、1979年6月28日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 市立船橋高校では2年時に第75回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝のピッチに立ち、優勝を経験。国士舘大学サッカー部に進学後も早い段階から活躍をみせ、4年時に2001年に北京で開催された夏期ユニバーシアードでも代表チームの中心選手として優勝を果たした。 大学卒業後の2002年シーズン、ユニバ代表でのチームメイトでもあった坪井慶介、堀之内聖、平川忠亮などとともに浦和レッズに入団するも、出場機会の得られないまま1年で退団した。 2003年には活躍の場を求めてJFLの佐川急便東京SCに移籍。
中村 直志(なかむら なおし、1979年1月27日 - )は… 中村 直志(なかむら なおし、1979年1月27日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 小学校3年生のとき、地元船橋市立芝山東小学校のサッカー部に入部する。5年生から船橋市の選抜チーム(船橋FC)に選ばれ、6年生で全国少年サッカー大会に出場した。中学校進学にあたり、ジェフユナイテッド市原ジュニアユースのセレクションに合格。1つ下の世代に酒井友之や村井慎二らがいた。 中学卒業間近にコーチからユース昇格は厳しいと宣告され一時はサッカー自体を諦めかけたが、船橋FC時代の恩師の計らいにより船橋市立船橋高等学校へ進学、サッカー部へ入部した。高校3年時には高校選手権で優勝。決勝戦の相手は中村俊輔率いる桐光学園であった。
吉川 京輔(よしかわ きょうすけ、1978年11月8日 - … 吉川 京輔(よしかわ きょうすけ、1978年11月8日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。Jリーグ・コンサドーレ札幌に所属していた現役時代はDF(センターバック)とボランチを務めた。 高校時代はサッカー強豪校、市立船橋高校で副キャプテンを務めるとともに守備の中心選手として活躍。1996年に行われた第75回全国高校サッカー選手権大会では北嶋秀朗、佐藤陽彦、中村直志らとともに同校の優勝に貢献した。2学年上には、森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行、1学年上には式田高義が在籍していた。 高校卒業後はプロ入りせず筑波大学に進学し、1999年には総理大臣杯優勝を経験。天皇杯にも出場した。2000年はキャプテンを務め、ベストイレブンに選出されるなどの活躍をし、2001年にチームメートの曽田雄志とともにJ1コンサドーレ札幌への入団が決定した。
髙木 理己(たかぎ りき、1978年7月13日 - )は、千… 髙木 理己(たかぎ りき、1978年7月13日 - )は、千葉県出身のサッカー指導者。 市立船橋高校、帝京大学では選手としてプレー。2000年から母校の市立船橋高校で指導者としてのキャリアをスタートさせた。 2011年より、京都サンガF.C.のコーチに就任。2013年シーズン終了後に退任した。 2014年より、ガイナーレ鳥取のコーチに就任。 2016年より、湘南ベルマーレのヘッドコーチに就任。 2017年より鳥取のU-18監督に就任。2019年より、トップチームの監督に就任。2021年5月4日付で鳥取の監督を解任された。 2021年5月26日、市立船橋高校時代の監督だった布啓一郎が監督を務めるFC今治のコーチに就任、2022年はヘッドコーチを務め、2023年から監督に就任。
佐藤 陽彦(さとう はるひこ、1978年6月27日 - )は… 佐藤 陽彦(さとう はるひこ、1978年6月27日 - )は、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 市立船橋高校時代には第75回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。中村直志、吉川京輔、北嶋秀朗は高校の同級生。2学年上には森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行、1学年上には式田高義がいた。 高校卒業後の1997年に京都パープルサンガ(現 京都サンガF.C.)に加入するも、2年間で公式戦出場はなく退団。サンガ在籍時にはブラジルに留学しウニオン・サンジョアンECでプレー経験もある。 1999年にサガン鳥栖に加入し、1年目からチームの主力として活躍。鳥栖では本職のディフェンダー以外にもボランチとしても活躍した。
小野木 玲(おのぎ れい、1978年5月27日 - )は、千… 小野木 玲(おのぎ れい、1978年5月27日 - )は、千葉県我孫子市出身のサッカー指導者。指導者ライセンスはJFA Aジェネラルを所持。 市立船橋高校で、第75回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。同級生には、北嶋秀朗、吉川京輔、中村直志、佐藤陽彦などがいる。 明海大学に進学し、4年時にはキャプテンを務める。 大学卒業と同時に明海大学サッカー部のコーチに就任し、それと並行して2002年からはジェフユナイテッド市原育成部コーチを務める。 2004年からは清水エスパルススクールコーチとなり、2015年には清水エスパルスユースのコーチになる。2016年からは中学世代の監督を務め、2018年の第22回全日本U-15サッカー大会では優勝し、チームとしては3連覇に導く。
北嶋 秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )… 北嶋 秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元日本代表。現役時代のポジションはフォワード。愛称はキタジ。 市立船橋高校時代に、第73回、第75回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。第75回大会決勝では中村俊輔擁する桐光学園高等学校を破り、優勝。同大会では6得点を奪い得点王・優秀選手となった。選手権大会通算16得点を挙げたが、これは当時の通算最多得点数であった。森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行は2学年上、式田高義、砂川誠は1学年上、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦は高校の同級生である。 1997年、柏レイソルに入団。プロ3年目の1999年からは柏のエースとして活躍し、翌年には得点王争いに絡む活躍を見せると、フィリップ・トルシエ率いる日本代表にも召集される。
式田 高義(しきだ たかよし、1977年11月25日 - )… 式田 高義(しきだ たかよし、1977年11月25日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 市立船橋高校2年生時の1994年度の高校選手権において、1学年上の森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行らとともに優勝を経験。同学年に城定信次、松森亮らがいる。1学年下には、北嶋秀朗、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦らがいる。 1996年にジェフユナイテッド市原に加入し、2シーズン所属した。1998年から中央学院大学に通学していたが、1999年9月にアルビレックス新潟に加入。2000年シーズン終了後に戦力外通告を受けた。 現在は市立船橋高校のOBを中心に作られたジョカーレフットボールクラブの代表と市立船橋高校のコーチを務めている。
松森 亮(まつもり あきら、1977年11月19日 - )は… 松森 亮(まつもり あきら、1977年11月19日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手、実業家。 高校時代は市立船橋高校サッカー部に所属し、1995年(1994年度)の全国高校選手権に優勝。1996年にジュビロ磐田に入団、同年のAFCユース選手権にU-19日本代表として出場した。 ジュビロ磐田での2年間にJリーグ公式戦出場は無く、1997年シーズン後に戦力外通告を受けて現役を引退する。 引退後の1999年に明生情報ビジネス専門学校に入学。システム会社勤務を経て、サッカービジネス会社を設立。 その後、芸能事務所にも所属しライター活動やモデル活動も行う。 フリーでの活動を経て、ジュビロ磐田に在籍。
城定 信次(じょうじょう しんじ、1977年8月28日 - … 城定 信次(じょうじょう しんじ、1977年8月28日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションは(ディフェンダー)。 息子の城定幹大もサッカー選手で、2026年現在サガン鳥栖に所属している。 市立船橋高等学校では、3年の夏までは2軍でありそれからレギュラーの座を掴む。 1996年に浦和レッドダイヤモンズに入団。2年目から左サイドバックまたは左ウイングバックのレギュラーの座を掴んだ。また同年にはU-20日本代表として永井雄一郎らと共にFIFAワールドユースに出場しベスト8進出に貢献した。 その後もU-23日本代表候補に選出されていたが、浦和ではスタメンから外れる事が多くなり、 現役終盤は出場機会を求めアルビレックス新潟や湘南ベルマーレへ移籍しプレーを続けた。
砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、… 砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手・サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 憧れのサッカー選手はヨハン・クライフ。好きなサッカー選手は三浦知良、ロベルト・バッジョ などがいる。コンサドーレ札幌に10年以上在籍した初の選手であり、2009年に札幌を一度も離れることなく引退した曽田雄志に次ぐ「ミスターコンサドーレ」と称される。また、曽田と同様にクラブの激動の時代を支え、J1クラブからのオファーを蹴って札幌に残留した「チーム愛」 や、後述の再契約の経緯にも見られるように、サポーターからの人気は高く、チャント(応援歌)では「俺達の砂川誠」と歌われている。
鈴木 正人(すずき まさひと、1977年4月28日 - )は… 鈴木 正人(すずき まさひと、1977年4月28日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手(ゴールキーパー)。 1993年に「市船」の愛称で知られ、既に全国屈指の強豪校として名を馳せていた船橋市立船橋高校に入学。学校は1年時からの3年間全てで高校サッカー出場を果たしている。2年時の第73回大会では優勝を果たしたが、1学年上の伊藤竜一の控えであった。3年時はレギュラーを掴み第74回大会に出場したものの、準々決勝で東福岡高校にPK戦の末屈し、大会連覇を逃した。1学年上に森崎嘉之、同学年に砂川誠、1学年下に北嶋秀朗らが在籍していた。卒業後の1996年に専修大学に進学。在学中は天皇杯にも出場した。 2000年に、当時J2所属の湘南ベルマーレに入団。
茶野 隆行(ちゃの たかゆき、1976年11月23日 - )… 茶野 隆行(ちゃの たかゆき、1976年11月23日 - )は、千葉県市川市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 船橋市立船橋高校を卒業し、森崎嘉之、鈴木和裕らと共に1995年にジェフユナイテッド市原に入団し、市船トリオと呼ばれた。高校の1学年下には式田高義、2学年下には北嶋秀朗、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦がいる。 のちにレギュラーに定着し、2004年4月25日には日本代表として初出場した。 2005年に10年間在籍したジェフユナイテッド市原からジュビロ磐田に移籍した。磐田でもレギュラーを獲得したものの、慣れない3バックの左として起用されたため、当初は連携が上手くいかなかったりもしたが、徐々に慣れ、その地位を不動のものとした。
鈴木 和裕(すずき かずひろ、1976年11月16日 - )… 鈴木 和裕(すずき かずひろ、1976年11月16日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 左右両サイドバックとセンターバックをこなすDF。10代の頃は各年代別に選ばれ、財前宣之、中田英寿、松田直樹、宮本恒靖、吉田孝行、戸田和幸らと1993年U-17世界選手権へ選出され、1995年ワールドユースでレギュラーとしてプレーした。市立船橋高校では、3年時に全国高等学校サッカー選手権大会に主将として優勝を果たしている(市立船橋高校にとって初優勝)。当時のメンバーには同期に森崎嘉之、茶野隆行、2年後輩に北嶋秀朗がいる。 1995年、ジェフユナイテッド市原に森崎、茶野と共に入団し、市船トリオと呼ばれた。
森崎 嘉之(もりさき よしゆき、1976年4月20日 - )… 森崎 嘉之(もりさき よしゆき、1976年4月20日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 船橋市立船橋高校在籍時の1994年の第73回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝し、8ゴールを挙げて得点王も獲得した。1995年、高校卒業後に鈴木和裕、茶野隆行と共にJリーグのジェフユナイテッド市原に入団。市船トリオと呼ばれた。 しかし、あくまで個人技が得意だった森崎にとって、チームプレイが重視されるチームの方向性がなじめず、当時のチームメイトのレベルの高さに圧倒されたこと や、出場選手として起用されず控えに留まっていた自分の状況や首脳陣の采配への不平不満を募らせていったこと、サポーターからのブーイングが日に日に大きくなったことなどで、ストレスを感じて意欲をなくし、試合上では高校時代に比べて思うような結果が出せず、練習やトレーニングにも身が入らなり、酒浸りやクラブ通いで現実逃避をする日が続き、チームメイトや首脳陣とのコミュニケーションも上手くいかなくなった。
秋葉 忠宏(あきば ただひろ、1975年10月13日 - )… 秋葉 忠宏(あきば ただひろ、1975年10月13日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー(センターバック)。 船橋市立船橋高等学校から1994年にジェフユナイテッド市原に入団。1995年からレギュラーとなり、主にボランチとして活躍。同年U-20日本代表として1995 FIFAワールドユース選手権に出場し、センターバックとしてチームの準々決勝進出に貢献した。翌1996年にはアトランタオリンピックのアジア予選を突破し、日本の28年ぶりの五輪出場に貢献。本大会のメンバーにも選出された。しかしナイジェリアとの試合でスタメンの田中誠の負傷退場によって急遽出場するもオウンゴールを犯してしまい、結果的にこの1失点が響き2勝しながらもグループリーグ敗退となった。
鬼木 達(おにき とおる、1974年4月20日 - )は、千… 鬼木 達(おにき とおる、1974年4月20日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。監督としてJリーグ史上初の、2クラブでJ1リーグ制覇を達成した指導者でもある。 船橋市立船橋高等学校を経て1993年に鹿島アントラーズに入団。同期入団には、秋田豊・奥野僚右・室井市衛らがいる。現役時代は同ポジションにジーコが君臨しており、出場機会は限られたが、ジーコが負傷した場面での交代選手して活躍。 鹿島アントラーズにはプロ入りの1993年から1999年の6年間在籍。1998年2月のアジアクラブ選手権1997-98準々決勝リーグ出場後の同年3月から同シーズン末まで、ジャパンフットボールリーグ(JFL)の川崎フロンターレへ期限付き移籍した。
和田 潤(わだ じゅん、1973年11月28日 - )は、千… 和田 潤(わだ じゅん、1973年11月28日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。 1989年、市立船橋高校に入学。1991年には千葉県選抜として国体に出場し、準優勝。同年度の全国高校選手権ではベスト4(3位)に進出し、同期の高田昌明と共に優秀選手に選出された。1992年に専修大学に進学し、1995年(4年生時)の関東大学リーグ2部で優勝を果たした。 1996年より東京ガスに入社し、同社サッカー部(現FC東京)に社員選手として入部。FWアマラオが負傷により出遅れたこともあって同年開幕戦から先発で起用されると、第3節まで3戦連続得点を挙げ、第4節では記録が途切れるものの第5節から第7節まで再び3試合連続得点を挙げる華々しいデビューを飾った。
高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は… 高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は、千葉県習志野市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック)、MF(守備的MF)。 市立船橋高校3年次の全国高校サッカー選手権でベスト4進出に貢献。抜群の身体能力を買われて飛び級でバルセロナ五輪予選日本代表に選出、1992年1月のアジア最終予選に出場した。高校在学中の五輪選抜は初の出来事で当時の話題をさらった。卒業後、横浜フリューゲルスに入団。Jリーグ草創期のフリューゲルスを支える。当時の監督、加茂周がめざすゾーンプレスをダブルボランチの相方山口素弘と体現。エドゥー、モネール、前園真聖らタレントと共に活躍した。