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北原 進(きたはら すすむ、1934年5月29日 - )は、… 北原 進(きたはら すすむ、1934年5月29日 - )は、日本の歴史学者、立正大学名誉教授。近世民衆史が専門。 東京市杉並区生まれ。東京大学教育学部付属高校、立正大学経済学部卒、1961年同大学院修士課程修了、同経済学部助手。立正大学助教授、教授。2005年、定年退任、名誉教授。江戸東京博物館都市歴史研究室長を務めた。 日本歴史学協会会員で、家永三郎の教科書検定訴訟の支持者。
竹内 啓(たけうち けい、1933年10月12日 - )は、… 竹内 啓(たけうち けい、1933年10月12日 - )は、日本の数理統計学者・経済学者・科学史家。東京大学名誉教授、明治学院大学名誉教授。日本学士院会員。専門分野は、数理統計学・計量経済学。専門以外の広範な分野における著作・論述も多数発表している。 諸学術を俯瞰・網羅した知識に基づく視座・史観・思考を有する学者とされる。計量経済学と数理統計学の膨大な著作と、博学な見識に基する科学史、文明論、思想、科学技術、環境保全などの多数の著作をワイド・スコーピックに展開した。 竹内が残した数理統計学における先端的業績ジャンルにはAsymptotic estimation(漸近的推定)、Non-regular estimation(非正規推定)がある。
高橋 正(たかはし ただし、1933年4月7日 - 2015… 高橋 正(たかはし ただし、1933年4月7日 - 2015年8月7日)は、日本の国際政治学者。 東京生まれ。1956年早稲田大学政治経済学部卒業後、東京新聞入社。1970年北米移動特派員、1971年から1974年までモスクワ支局長、1974年外報部次長。1985年千葉商科大学助教授、1987年教授。2004年定年退任。「新しい歴史教科書をつくる会」運動にも賛同し会員になった。 1933年4月7日 東京府日本橋生まれ 1946年4月 東京高等学校(旧制)尋常科入学 1950年4月 東大教育学部付属高校2年編入 1952年4月 早稲田大学政治経済学部政治学科入学 1956年3月 同大学卒業 1956年4月 東京新聞入社外報部勤務 1957年10月 企業併合により中日新聞社外報部勤務 1971年6月 モスクワ支局長(1974年まで) 1974年7月 外報部次長 1980年 ソ連・東欧移動特派員 1985年3月 中日新聞社退社 1985年4月 千葉商科大学商経学部助教授 1987年4月 同教授 1987年4月 防衛大学校非常勤講師 1993年8月 第一回夏期語学研修学生引率(フロリダ大学) 1994年8月 経済研究所共同研究中国現地調査(第一回) 1996年8月 第二回現地調査 2004年3月 千葉商科大学定年退職 1988年10月22日 ソ連・東欧学会幹事を委託される 1988年3月6日 中国三3研究会上海総会に招請,参加 1988年10月1日 ソ連・東欧学会第17回大会で討論者をつとめる 1988年10月17日 第6回日ソ円卓会議(モスクワ)に招請,参加 1988年12月5日 関西経済倶楽部で「中ソ和解の内幕と波紋」につき講演 1989年10月13日 中日友好協会の招請で中国訪問 1990年1月11日 民主社会主義全国研究会議で報告「対外政策の課題」 1990年1月16日 総合研究所月例会議で講演「ポスト・ヤルタのゆくえ」 1990年5月21日 日本広告業協会で講演「欧州広告事情」 1990年5月24日 博報堂にて講演「ソ連‘東欧広告事情」 1990年9月29日 ソ連・東欧学会第19回大会を主催 1991年1月17日 市川ロータリークラブで「91年の国際情勢予測」につき講演 1991年8月3日 綾瀬市中央公民館で「最新ソ連事情」につき講演 1991年9月21日 ラスキン文庫定例講演会で「ラスキンの世紀末我等の世紀末」 につき講演
生松 敬三(いきまつ けいぞう、1928年2月12日 - 1… 生松 敬三(いきまつ けいぞう、1928年2月12日 - 1984年5月24日)は、日本の哲学者・思想史家。元中央大学教授。 1928年、東京生まれ。旧制東京高等学校を経て、東京大学文学部哲学科卒業。同大学院修了。卒業後は東京大学東洋文化研究所に入り、後に中央大学へ移った。非常勤講師として東京大学大学院でも教えていたが、癌により1984年に死去。
滝原 俊彦(たきはら としひこ、1927年10月20日 - … 滝原 俊彦(たきはら としひこ、1927年10月20日 - 1991年3月28日)は、日本の教育学者、帝京大学教授。教科書問題の研究者。 東京都生まれ。旧制東京府立第九中学校、旧制東京高等学校を経て、旧制東京帝国大学工学部入学。 1952年、新制東京大学工学部石油学科卒業。 東京都立教育研究所などを経て、帝京大学文学部教育学科助教授。 1991年、帝京大学教授在任中、心不全で死去。 内閣総理大臣岸信介、哲学者高山岩男らと研究会を共にするなどした。 岸信介が会長を務めた協和協会の機関誌『提言』や、雑誌『自由』、『月曜評論』などにおいて、積極的な論陣を張った。 著書『疑問だらけの中学教科書』の表紙カヴァーや帯には、竹村健一、文教大学学長小尾乕雄(当時)、成蹊大学学長朝倉孝吉(当時)の推薦文が並ぶ。
仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日… 仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日本の数学教育者、元埼玉大学教授。
藪 重夫(やぶ しげお、1925年6月30日 - 2008年… 藪 重夫(やぶ しげお、1925年6月30日 - 2008年2月17日)は、日本の法学者・弁護士。北海道大学名誉教授、元学校法人北海学園理事。専門は民法。京都市生まれ。 主に、民法の財産法全般であるが、家族法の一分野である親族法も研究対象としており、実務家からの視点の論稿を幾つも出している。 北海学園大学法学部教授退任後は、後進育成のために、北海学園大学付属図書館に所有図書を寄贈している。
安倍 北夫(あべ きたお、1922年3月3日 - 2013年… 安倍 北夫(あべ きたお、1922年3月3日 - 2013年8月6日)は、日本の社会心理学者。東京外国語大学名誉教授。 青森県生まれ。旧制東京高等学校を経て、東京帝国大学文学部心理学科を卒業。東京外国語大学助教授、1964年教授。1985年定年退官、名誉教授。早稲田大学文学部教授、聖学院大学政治経済学部政治経済学科教授を経て1994年から1999年まで聖学院大学学長。地震・火事などに当たっての災害心理学を提唱した。2013年8月6日死去、91歳没。 1998年4月 勲三等旭日中綬章を受章
尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2… 秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2009年3月10日)は、日本の美術史学者。日本美術史専攻。東京大学名誉教授、東京文化財研究所名誉研究員。 1918年、京都市下京区(現、東山区)で父・秋山光夫と母・花枝の長男として生まれた。父の秋山光夫が宮内省図書寮に職を得たことから家族とともに東京に移り、幼少期を過ごした。やがて私立暁星小学校に入学。母方の祖父は元ベルギー公使で、幼いころから祖父母にフランス語を教わっていた。 1931年、旧制東京高等学校尋常科に進み、同高等科文科丙類(仏語専修)を卒業。一時は外交官を志した。1938年4月、東京帝国大学文学部美術史学科に入学し、1941年に卒業。
宮原 将平(みやはら しょうへい、1914年(大正3年)12… 宮原 将平(みやはら しょうへい、1914年(大正3年)12月17日 - 1983年(昭和58年)1月31日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(北海道大学・1943年)(学位論文「半導体の強磁性の理論について」)。北海道大学名誉教授。日本物理学会会長。 東京出身。1933年旧制東京高等学校卒、1937年北海道帝国大学理学部物理学科卒業。東北帝国大学金属材料研究所で本多光太郎の下で研究。1943年「半導体の強磁性の理論について」で北海道大学より理学博士の学位を取得、名古屋帝国大学理学部助教授、1949年北海道大学教授、1978年定年退官、名誉教授、中央大学商学部教授。固体物性論が専門、半導体の強磁性を電子論の観点から研究した。
國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7… 國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7月21日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木工学者。国分青崖の孫。 東京府に生まれる。旧制七年制高等学校の旧制東京高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、東京府に出仕する。1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)まで兵役に就く。1943年(昭和18年)東京帝国大学助教授を経て、1950年(昭和25年)吉田徳次郎の後任として東京大学教授となり、1974年(昭和49年)定年退官した。同年、武蔵工業大学教授に転じ1984年(昭和59年)まで務め、ついで足利工業大学顧問教授となった。
糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 19… 糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットに始まるロケット開発や宇宙開発を先導し、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 小惑星探査機「はやぶさ」が調査を行ったことでも知られる小惑星「イトカワ」は、糸川英夫にちなんで命名された。 1912年、東京市麻布区(現在の東京都港区西麻布)で生まれる。小学校では六本木、中学校からは東京青山に育った。教育者の家庭であり父は麻布の笄小学校の教師であった。英夫という名は、1912年の東大銀時計卒業者(首席)の鳩山秀夫にちなみ、秀才好きの父に命名された。越境入学で麻布の南山小学校に学び飛び級で卒業した。
小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001… 小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001年9月28日)は、日本の化学者。専門は、高分子化学。東京教育大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学)。東京生。 この他に、東京教育大学理学部長、東京教育大学評議員、中央大学法学部通信教育課程兼任講師、日本化学会副会長、日本学術会議議員を歴任。
米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月… 米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月1日 - 1999年 <平成11年> 5月2日)は、日本の逓信官僚、工学者。日本電信電話公社総裁、経済団体連合会理事、電気通信協会長などを歴任。位階は正三位。 米沢与三七の子として生誕。富山県下新川郡入善町出身。1933年、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省業務局計画部長、日本電信電話公社保全局長、電気通信研究所長、総務理事などを歴任。1965年から1977年にかけて日本電信電話公社の総裁を務める。 超短波電波による無線多重電話方式を提唱し、1940年に世界に先駆けて実用化。また、通信設備の保全を合理化するため、初めて統計的品質管理方式を導入。
尾島 碩心(おじま せきしん、1904年12月4日 - 19… 尾島 碩心(おじま せきしん、1904年12月4日 - 1986年1月19日)は日本の心理学者、東京教育大学教授。専門は聴覚心理、ろう教育。1963年11月に榊原清、西谷三四郎らとともに一般社団法人日本特殊教育学会を創立した。聴覚障害児教育の分野に貢献した。勲三等旭日中綬章。 東京都生まれ。(旧制)東京高等学校を卒業。1931年東京帝国大学文学部心理学科を卒業、卒業論文の題名は「旋律的形態知覚の一条件」。同年、同大学大学院に進む。1932年東京帝国大学文学部副手を兼務。1937年(旧制)第六高等学校教授に就任。1942年陸軍予科士官学校教官兼教育総監部付に就任。1946年(旧制)松江高等学校教授に就任。
瀧澤 誠(たきさわ まこと)は、数理科学の理学博士。昭和薬科… 瀧澤 誠(たきさわ まこと)は、数理科学の理学博士。昭和薬科大学薬学部講師。 J-PARC分室KEK理論センター素粒子原子核研究所高エネルギー加速器研究機構客員研究員。 専門は、ハドロン物理学・原子核理論物理学・素粒子実験物理学。上智大学理工学部や昭和薬科大学薬学部で教鞭をとる。第1種放射線取扱主任者の資格をもつ。 1981年 東京大学教育学部附属高校卒業(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)。上智大学理工学部物理学科に進学後は、研究に打ち込み総代で卒業する。1990年3月 上智大学大学院理工学研究科物理学専攻博士後期課程を修了し、理学博士の学位をとる。 1990年から、東京大学原子核研究所研究員。