スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
杉橋 陽一(すぎはし よういち、1945年5月13日 - )… 杉橋 陽一(すぎはし よういち、1945年5月13日 - )は、ドイツ文学者、俳句研究家。東京大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立西高等学校卒、1969年東大文学部独文科卒、同大学院修士課程修了、1981年東大教養学部助教授、1992年教授。2009年退職。 1985-1987年、西ドイツのボッフム大学で講師。1992年『剥落する青空-細見綾子論』で俳人協会評論賞受賞。
中山 信弘(なかやま のぶひろ、1945年5月7日 - )は… 中山 信弘(なかやま のぶひろ、1945年5月7日 - )は、日本の法学者。専門は知的財産法。東京大学名誉教授。明治大学研究・知財戦略機構顧問。日本学士院会員。弁護士(西村あさひ法律事務所顧問)。来栖三郎門下。 学界を代表して政府の知的財産法関連の審議会に多数参加している他、知的財産制度改革を推進する知的財産戦略本部の本部員を務める。知的財産戦略本部および推進事務局の改革案には、早急であり「議論が足りていない」と頑として反対意見を述べ、推進事務局の姿勢を反対意見を封じ込めるものとし「あまりにも独善的」と強く批判した。特に、2003年の第6回知的財産戦略本部での意見表明は、衆議院法務委員会でも取り上げられた。
植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日… 植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日 - )は、日本の経営コンサルタント。ヴァージン・グループ顧問を歴任。マーガレット・サッチャーとのインタビユーを実現した個人として有名で、その後、1991年から2000年までマーガレット・サッチャー日本代理人を務めた。株式会社植山事務所代表取締役社長、一橋大学、元非常勤講師。東洋大学、元客員教授。 静岡県富士宮市で本州製紙社員の家に生まれる。AFSでアメリカ合衆国イリノイ州サンドウィッチに留学後、東京都立西高等学校を経て、一橋大学商学部卒業。一橋大在学中に1年休学し西ドイツで出版社に勤務。その後、1987年にスタンフォード大学経営大学院S.E.P.修了。
鈴木 繁(すずき しげる、1945年2月21日 - )は、日… 鈴木 繁(すずき しげる、1945年2月21日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵取締役や新日鉄ソリューションズ社長を務めた。 東京都立西高等学校から東大に進学し、1968年、八幡製鐵入社。1993年新日本製鐵エレクトロニクス・情報通信事業本部企画調整部長。 1997年新日本製鐵取締役エレクトロニクス・情報通信事業部長、新機械情報産業振興委員会委員。 2001年新日鉄ソリューションズ代表取締役副社長。 2003年新日鉄ソリューションズ代表取締役社長。 2007年新日鉄ソリューションズ代表取締役会長。 趣味はジョギングなどのアウトドア活動。
脇 雅史(わき まさし、1945年〈昭和20年〉2月2日 -… 脇 雅史(わき まさし、1945年〈昭和20年〉2月2日 - )は、日本の建設官僚、政治家。 建設省道路局国道第二課長、同河川局河川計画課課長、同近畿地方建設局長を経て、参議院議員(3期)、自由民主党参議院幹事長、同参議院国会対策委員長、参議院政治倫理審査会会長、参議院選挙制度協議会座長などを歴任した。 1945年2月、東京都杉並区にて生まれた。東京都立西高等学校を経て、東京大学に進学した。東京大学では、工学部の土木工学科に在籍し、土木工学を学んだ。1967年3月、東京大学を卒業した。 東京大学を卒業後、1967年4月に技官として建設省に入省した。建設省の地方支分部局においては、1974年4月より中国地方建設局の太田川工事事務所に赴任した。
高橋 恭平(たかはし きょうへい、1944年7月17日 - … 高橋 恭平(たかはし きょうへい、1944年7月17日 - )は、日本の経営者。昭和電工元代表取締役社長。神奈川県横浜市出身。2007年1月より前任の大橋光夫より社長職を引き継ぐ。座右の銘は臨済義玄の『随処作主』。 日本ポリオレフィン企画部長以前は、昭和電工軽金属管理部、ベナルム社(ベネズエラ)出向、昭和軽金属出向、総合企画部(昭和電工復職)など。
加々美 光行(かがみ みつゆき、1944年3月19日 - 2… 加々美 光行(かがみ みつゆき、1944年3月19日 - 2022年4月22日)は、日本の現代政治思想の研究者。愛知大学名誉教授。同大国際中国学研究センターフェロー。日本貿易振興会アジア経済研究所名誉研究員。中国南開大学歴史学院客員教授。霞山会顧問。元日中社会学会理事、元中国研究所理事、元日本現代中国学会理事。中国芸術院中国文化研究所「世界漢学」編集委員、南京大学「中国研究」編集委員。国家論から説き起こした文化大革命研究や民族問題研究で知られる。 大阪府布施市(現・東大阪市)生まれ、東京都杉並区育ち。 アジア経済研究所に在職時代の1972年から80年まで哲学者の市井三郎と共同で山梨県大月市朝日小沢で畑を開墾し農耕に従事する。
山口 範雄(やまぐち のりお、1943年8月20日 - )は… 山口 範雄(やまぐち のりお、1943年8月20日 - )は、日本の実業家。第11代味の素株式会社代表取締役社長、同社代表取締役会長、経団連審議員会副議長、消費者庁参与等を務めた。 東京都出身。東京都立西高等学校を経て、1967年東京大学文学部卒業、味の素入社。 人事などを経て、1991年から調味料部長を務めた。1997年取締役に昇格。2000年味の素冷凍食品取締役副社長。2001年味の素常務取締役。2003年代表取締役専務。2005年代表取締役社長。2009年代表取締役会長。2012年消費者庁参与。2015年味の素特別顧問。日本能率協会会長、経団連審議員会副議長、発明推進協会会長なども務めた。
菅野 盾樹(すげの たてき、1943年8月6日 - )は、日… 菅野 盾樹(すげの たてき、1943年8月6日 - )は、日本の哲学者(記号学、人間学、形而上学)。大阪大学名誉教授。博士(人間科学)(大阪大学、1995年)(学位論文「いのちの遠近法-意味と非意味の哲学」)。 1943年、東京都生まれ。1967年、東京大学文学部哲学科を卒業。1972年、同大学大学院博士課程を単位取得満期退学。 修了後は母校である東京大学文学部助手となり、1973年より山形大学教養部専任講師。1975年に助教授昇進。1976年、大阪大学人間科学部助教授となり、1989年より教授。2000年からは人間科学研究科教授。2007年、大阪大学を定年退職し、名誉教授となった。この在職中の間、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、ロンドン大学バークベックカレッジ客員研究員、ハーバード大学教育学大学院客員研究員などで在外研究を行った。
藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(1943年)7月… 藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(1943年)7月9日 - )は、日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストとしても知られる。 妻は、お茶の水女子大学で発達心理学を専攻し、カウンセラー、心理学講師そして翻訳家として活動する藤原美子。気象学者の藤原咲平は大伯父(父方祖父の兄)、美容家のメイ牛山は遠縁(父方祖父の姉の子の妻)に当たる。 新田次郎、藤原てい夫妻の次男として、満洲国の首都新京に生まれる。ソ連軍の満洲国侵攻に伴い汽車で新京を脱出したが、朝鮮半島北部で汽車が停車したため、日本への帰還の北朝鮮から福岡市までの残り区間は母と子3人(兄、本人、妹)による1年以上のソ連軍からの苦難の逃避行となった。
武田 邦彦 (たけだ くにひこ、1943年〈昭和18年〉6月… 武田 邦彦 (たけだ くにひこ、1943年〈昭和18年〉6月3日 - ) は、日本の工学者。東京大学教養学部基礎科学科卒業後、旭化成工業に入社。同社ウラン濃縮研究所所長、芝浦工業大学教授、名古屋大学大学院教授を経て、中部大学総合工学研究所教授。2015年に同大特任教授に就任し、2021年に退任した。専門は、資源材料工学。 テレビのバラエティー番組に多数出演したことで知られる。地球温暖化否定論やリサイクル否定論、COVID-19ワクチンの危険性を主張したことなどで物議を醸してきた。2022年の参院選で参政党から立候補したが落選した。 著書に、『武器としての理系思考』『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』『偽善エコロジー』などがある。
沼田 貞昭(ぬまた さだあき、1943年 - )は、日本の外… 沼田 貞昭(ぬまた さだあき、1943年 - )は、日本の外交官。 兵庫県生まれ、出生から半年後に転居し東京都出身。東京都立西高等学校、東京大学法学部第3類卒、1966年4月外務省入省。 1972年から1976年までアメリカ局北米一課に勤務、田中角栄・三木武夫等歴代首相の英語通訳を務めた。1994年駐英特命全権公使、1998年外務報道官、2000年駐パキスタン大使を歴任、2003年から沖縄担当大使を務め在任中に発生した沖国大米軍ヘリ墜落事件への対応を担当した。 2004年駐カナダ大使兼国際民間航空機関政府代表部大使、2007年退官。2018年瑞宝重光章受章。
松原 望(まつばら のぞむ、男性、1942年7月12日 - … 松原 望(まつばら のぞむ、男性、1942年7月12日 - )は、日本の統計学者・数理社会学者。東京大学名誉教授、聖学院大学客員教授。
山口 剛彦(やまぐち たけひこ、1941年〈昭和16年〉12… 山口 剛彦(やまぐち たけひこ、1941年〈昭和16年〉12月30日 - 2008年〈平成20年〉11月17日)は、日本の厚生官僚。正四位瑞宝重光章。厚生事務次官、社会福祉・医療事業団理事長、独立行政法人福祉医療機構理事長を歴任した。元厚生事務次官宅連続襲撃事件で妻とともに殺害された。 東京府東京市杉並区阿佐ヶ谷(現・東京都杉並区阿佐ヶ谷)に生まれる。父は日本国有鉄道幹部職員。 東京都杉並区立杉並第七小学校、同阿佐ヶ谷中学校、東京都立西高等学校、東京大学法学部卒業後、1965年(昭和40年)、厚生省(後の厚生労働省)入省。大臣官房総務課配属。入省同期に羽毛田信吾(宮内庁長官)など。 1967年(昭和42年)、厚生省環境衛生局環境衛生課主査。
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2022年9月29日)は、日本の絵本作家、挿絵画家。結婚前の姓は大村。カトリック教徒。 東京府出身。東京都立西高等学校、上智大学外国語学部フランス語科卒。高校三年の頃より童話の挿絵や絵本の仕事を多く手がける。20代前半で結婚、3児の母。 児童文学者の実姉・中川李枝子との共著も多く、『ぐりとぐら』(福音館書店)は海外にも翻訳されている。 1967年『ぐりとぐらのおきゃくさま』で厚生大臣賞受賞。2013年に菊池寛賞を受賞。他受賞多数。 2022年9月29日午後8時32分、シェーグレン症候群の衰弱により、死去。80歳没。
中島 尚正(なかじま なおまさ、1941年3月9日 - )は… 中島 尚正(なかじま なおまさ、1941年3月9日 - )は、日本の工学者(工学博士)。東京大学名誉教授。専門は機械工学。 東京都調布市出身。東京都立西高等学校(11期)、東京大学工学部卒。東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻博士課程修了。1969年博士論文「針金束で構成した金型・母型電極の研究 -非切削数値制御加工の一研究-」を提出し工学博士の学位を取得。2001年に東京大学工学部名誉教授の称号を得る。 東京大学工学部講師(1969年)、東京大学工学部助教授(1970年~1983年)、東京大学工学部教授(1983年~2001年)、東京大学人工物工学研究センター長(初代センター長、1992年)、東京大学大学院工学系研究科長 兼 工学部長(1998年)、OECD科学技術政策委員会副議長(1999年)、東京大学運動会理事長(2000年)を経て2001年3月で東京大学を定年退職。
阿南 惟茂(あなみ これしげ、1941年1月16日 - 20… 阿南 惟茂(あなみ これしげ、1941年1月16日 - 2024年11月13日)は、日本の外交官。駐中華人民共和国日本国大使(2001年 - 2006年)、新日本製鐵株式会社顧問(2006年6月 - 2016年5月)などを歴任。父は陸軍大臣、陸軍大将の阿南惟幾。外務省チャイナ・スクール(中国語研修組)の重鎮として知られる。 東京生まれ。東京都立西高等学校を経て、1964年、東京大学法学部を卒業。1967年、外務省に入省した。同期には次官になった竹内行夫、高野紀元(駐韓大使、外務審議官)上田秀明(駐オーストラリア大使)、阿部信泰(駐スイス大使・国連事務次長)、大島賢三(駐オーストラリア大使・国連事務次長)、天江喜七郎(駐ウクライナ大使・中東アフリカ局長)、山崎隆一郎(駐フィリピン大使)、黒川祐次(駐コートジボワール大使)らがいる。
盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日… 盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、東京都出身の元アナウンサー。 東京都立西高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後の1964年にフジテレビへ入社。同学年で同じフジテレビアナウンサーかつ友人でもあった露木茂よりも1年遅れての入社であった。また、高校の同級生に元JR東海の葛西敬之がいる。 1960年代後半から1980年代前半にかけて数々の競馬実況を行い、1973年からは東京優駿の実況を毎年行ってきた鳥居滋夫の後を受け、1986年まで同競走の実況を務める。その間はフジテレビ競馬中継のメイン実況者として、関西テレビの杉本清と共にフジ系列の競馬中継の「顔」として君臨。
峯尾 武男(みねお たけお、1940年11月2日 - )は、… 峯尾 武男(みねお たけお、1940年11月2日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 東京都出身。東京都立西高等学校、東京外国語大学卒業後、1964年入局。主に地方局を中心に勤務し、大阪局で役職定年を迎えた1997年4月から「関西発ラジオ深夜便」アンカーを担当。完全定年によりフリーとなってからも関西に残り、西橋正泰アンカーと交替で出演し続けた。 高齢となったことから、2010年3月12日放送をもって13年間の担当から卒業した。
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2… 葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2022年5月25日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役社長・代表取締役会長・代表取締役名誉会長、取締役名誉会長を歴任した。他に、学校法人海陽学園理事長を務めた。 兵庫県明石市生まれ、東京都杉並区育ち。井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。 1940年10月20日に、父・葛西順夫(のぶお)と、母・益世(旧姓:本庄)の間に兵庫県明石市で生まれた。 父は旧制明石中学校に勤務していた国語科(漢文)の教員で、敬之が生まれてほどなくして一家で上京。父からは『論語』や日本の古典の講義を高校終わりまで受けた。
冨沢 宏(とみさわ ひろし、1940年10月18日 - )は… 冨沢 宏(とみさわ ひろし、1940年10月18日 - )は、日本の大蔵官僚。血液型はA型。大阪国税局長、国税庁次長、JTサービス代表取締役、国立印刷局理事長(初代)などを務めた。 東京府武蔵野町出身。東京都立西高等学校から東京大学に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1963年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。大臣官房秘書課調査係長心得、総理府内閣総理大臣官房審議室調査企画担当主査などを経て、1969年7月 枚方税務署長。 大蔵大臣秘書官(事務担当)などを務め、1978年7月 大臣官房企画官兼主税局総務課。1979年7月 大臣官房文書課広報室長。1980年6月 東京国税局査察部長。 1986年6月10日に関税局企画課長となり、1987年6月25日から関税局総務課長。
橋本 鋼太郎(はしもと こうたろう、1940年(昭和15年)… 橋本 鋼太郎(はしもと こうたろう、1940年(昭和15年)9月11日 - )は、日本の建設官僚。元建設事務次官。土木学会認定特別上級土木技術者(調査・計画)。
堀江 朋子(ほりえ ともこ、1940年9月8日 - 2021… 堀江 朋子(ほりえ ともこ、1940年9月8日 - 2021年1月2日)は、日本でおもに司書として働き、また史実を基にした時代小説から歴史小説へと手掛けた作家として活躍した。代表作は『三井財閥とその時代』(2010年、日経賞最終候補)、『新宿センチメンタル・ジャーニー』(2017年)、『西行とその時代』(2020年)などで、司書として長年働いた経験を生かして地道で深く調査した作風が特徴である。 堀江朋子は旧姓上野で、上野壮夫(うえの・そうふ、1905.06.02.ー1979.06.05.)と小坂多喜子(こさか・たきこ、1909.01.27.ー1994.09.12.)の間に、1940年9月8日に東京・淀橋区(現新宿区)で生れた。
伯 壬旭(はく じんきょく、1940年5月2日 - )は、株… 伯 壬旭(はく じんきょく、1940年5月2日 - )は、株式会社シリウス代表取締役会長。本名は小島露観。伯魔壬旭、万師露観などの別名でも知られる。カルト的・右翼的な主張をしているので、宗教家・右翼思想家と扱われることもある。独自の世界観における世界戦略家。帝國ザイクス内における敬称は軍帥(ぐんすい)。 1940年(昭和15年)東京に生まれる。東京都立西高等学校を卒業後、東京大学理科一類に入学。東京大学工学部土木工学科を卒業後、川崎製鉄での1年間のサラリーマン生活を経て、二千年紀の世界のあるべき姿を求めて思索、研究生活に入る。多くの哲学・宗教・学問を探求した後、チベット密教に基礎を置くジュアルカル大師の「神智学」に出会う。
恒川 隆男(つねかわ たかお、1940年2月 - 2016年… 恒川 隆男(つねかわ たかお、1940年2月 - 2016年10月9日 )は、日本のドイツ文学者、元明治大学文学部教授。 戦後のドイツ文学が専門だが、後年は日本近代文学についての著作もある。 東京出身。東京都立西高等学校卒、1966年東京大学文学部卒、同大学院修士課程修了。1974年東京大学教養学部助教授、教授、その後、津田塾大学教授、1990年明治大学教授。2010年定年退任。
滝鼻 卓雄(たきはな たくお、1939年8月14日 - )は… 滝鼻 卓雄(たきはな たくお、1939年8月14日 - )は、日本の新聞記者、実業家。株式会社読売新聞グループ本社相談役、株式会社読売巨人軍最高顧問。 株式会社読売新聞東京本社社長、株式会社読売巨人軍オーナー、学校法人慶應義塾評議員などを歴任した。 東京府(現・東京都)出身。東京都立西高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学在学中、新聞研究所(現・メディアコミュニケーション研究所)に所属し、マスコミュニケーションを学ぶ。 1963年4月、読売新聞社入社。社会部中心に記者として活動する。 2004年8月、明治大学・一場靖弘投手(後に楽天→ヤクルト)を巡る裏金事件で引責辞任した渡邉恒雄オーナーに代わり、第4代目の読売ジャイアンツオーナーに就任。
石川隆俊(いしかわ たかとし、1939年5月20日-2023… 石川隆俊(いしかわ たかとし、1939年5月20日-2023年2月3日)は、日本の医学者、評論家、東京大学名誉教授。 東京府福生村生まれ。東京都立西高等学校出身。1968年東京大学医学部卒業、75年医学博士。がん研究所を経て、89年東京大学医学部教授、97年4月〜99年3月医学部長。 2000年定年退官、名誉教授、東京医科大学教授、2002年米国・メリーランド大学医学部客員教授就任と同時にジョンズ・ホプキンス大学ピーボディ音楽院(英語版)ヴァイオリン科に学ぶ。公益財団法人・喫煙科学研究財団理事長を務めるかたわら、ガン発生のメカニズムを生涯のテーマとしている。性の問題を含め、「熟年の生きがい」や「音楽と脳科学」の研究に積極的に取り組む。
いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4… いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4月3日 - 2024年12月19日)は、日本の絵本作家。代表作に『14ひきのひっこし』などの「14ひきのシリーズ」。 東京都足立区に生まれる。6人兄弟で育ち、5歳の時に兄と2人で秋田県の祖父母の家に疎開。戦後東京に戻り、杉並区の8畳一間の借家で8人暮らしをした。 1958年(昭和33年)に東京都立西高等学校、1964年(昭和39年)に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業。サラリーマン生活を経て1970年(昭和45年)『ぷくぷくの絵本』で絵本作家デビュー。1975年(昭和50年)、36歳のときに栃木県芳賀郡益子町に移住、畑を耕しながら創作活動を続ける。
伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日… 伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日本の化学者。専門は有機金属化学。日本化学会を通した化学教育への貢献が評価される。横浜国立大学名誉教授。 岐阜県岐阜市出身。都立西高校卒業、東京工業大学工学部卒業、1967年に東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京工業大学資源化学研究所助手を経て1975年に横浜国立大学工学部助教授、1989年に同教授、組織替えにより2001年から同大学院工学研究院教授。2004年に定年退官、横浜国立大学名誉教授。 現在、株式会社アド技術顧問兼監査役。 1990年に日本化学会の理事に着任、化学教育へ取り組む。1999年から日本化学会副会長(2年間)、2001年に化学教育協議会副会長、2002年に日本科学教育学会の副会長。
小倉 純二(おぐら じゅんじ、1938年8月14日 - )は… 小倉 純二(おぐら じゅんじ、1938年8月14日 - )は、日本サッカー協会 (JFA) 第12代会長。日本サッカー界の国際的な渉外活動を長年にわたり引き受ける。またプレーヤーとしての経験が皆無でありながらも日本サッカー協会の首脳部入りした異色の経歴も持つ。2002年から2011年まで国際サッカー連盟 (FIFA) 理事およびアジアサッカー連盟 (AFC) 理事を務めた。 JFA会長に在任中、日本代表やなでしこジャパンの試合がある際には、必ずJFAハウス近くのとんかつ店で食事をするという験担ぎを行うのが恒例だった。2011年9月には男子のW杯3次予選・女子のロンドン五輪予選の日程が被り、5日間で4回とんかつを食べることになったが、それにもめげず験担ぎを続行した。
加藤 諦三(かとう たいぞう、1938年〈昭和13年〉1月2… 加藤 諦三(かとう たいぞう、1938年〈昭和13年〉1月26日 - )は、日本の社会学者、心理学者、評論家。早稲田大学名誉教授、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本精神衛生学会顧問、ハーバード大学ライシャワー研究所アソシエイト。1972年からニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』のパーソナリティを務める。 1938年、東京都で生まれる。祖父は政治家の加藤政之助、父親は大学教員である。東京都立西高等学校を卒業した後、東京大学教養学部教養学科(1963年3月、人文地理、文化人類分科卒業)、同(1965年3月、国際関係論分科卒業)を経て、同大学院社会学研究科博士課程を修了した。1972年4月より早稲田大学理工学部で社会学の助教授に、1977年4月からは教授を務め、2008年に名誉教授となる。
黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 20… 黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 2009年5月29日)は、日本の音楽評論家。 1938年、東京市神田区(現在の東京都千代田区)生まれ。東京都立西高等学校、早稲田大学教育学部卒業。 在学中からクラシック音楽評を雑誌などに書き、以後、音楽評論一筋を歩んだ。新聞、雑誌への執筆が多くあり、特にコンサートやオペラ、レコードなどの評論で活躍した。 かつては隔月刊誌「暮しの手帖」の花森安治に依頼され、同誌の『レコード・ショップ』というコーナーを担当していた時期もあった。 1984年にステレオサウンド社から創刊された『音楽通信』では編集長を務めたが、半年で休刊に追い込まれた。 1999年には東京の東急Bunkamuraオーチャードホールのプロデューサーに就任。
浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 -… 浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 - 2024年6月)は、日本テレビ放送網、アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員。東京都出身。都立西高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。 1962年(昭和37年)に早大を卒業し、日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)戦を中心としたスポーツ放送を担当。プロ野球では、1977年9月3日の巨人対ヤクルトスワローズ戦で、王貞治選手(巨人)が放った通算756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。
松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - … 松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - 2018年5月11日)は、日本の映画評論家。三留まゆみは妻。 東京生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業後、毎日新聞社に入社。『サンデー毎日』編集部を経て、1979年2月より正式に毎日新聞の映画担当記者となる。その後、毎日新聞の映画・囲碁担当の編集委員も務めた。 日活芸術学院講師。文化庁芸術祭賞、毎日映画コンクール、キネマ旬報などの審査選定委員を務める。 2018年5月11日、心不全のため死去。80歳没。
横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 200… 横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 2009年1月4日)は、日本の法学者。専門は国際法。第12代成城大学学長。学位は法学博士。成城大学名誉教授。法務省難民審査参与員等も務めた。 福岡県久留米市生まれ。東京都立西高等学校を経て、1962年一橋大学法学部を卒業。1965年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1968年同博士課程単位習得退学。指導教官は大平善梧。1985年、『国際投資法序説』により、一橋大学法学博士の学位を取得。審査員は皆川洸、細谷千博、秌場準一。 1968年成城大学法学部助手。同助教授、ロンドン大学留学を経て、1977年、成城大学法学部教授に昇格。法学部長を経て、1999年から南博方の後任として第12代成城大学学長を務めた。
高瀬 弘一郎(髙瀨 弘一郎、たかせ こういちろう、1936年… 高瀬 弘一郎(髙瀨 弘一郎、たかせ こういちろう、1936年6月8日 - )は、日本の歴史学者、慶應義塾大学名誉教授。東京都出身。専攻は近世日欧交渉史、キリシタン史。 東京都立西高等学校を経て、慶應義塾大学文学部史学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学。1977年「キリシタン時代の研究 とくに教会の政治的、経済的活動を中心に」で慶大文学博士。慶應義塾大学文学部助教授、教授、2002年定年、名誉教授。 ヨーロッパ各国に保存されている一次史料の調査・解読作業の成果を基礎に、戦国時代~江戸時代初期の日本において布教活動をおこなったカトリック教会の経済的基盤や、スペイン・ポルトガルの国家政策とのかかわりについて明らかにした。
佐藤 安弘 (さとう やすひろ、1936年2月7日 - 20… 佐藤 安弘 (さとう やすひろ、1936年2月7日 - 2020年1月24日)は、日本の実業家。東京都出身。キリンビール(麒麟麦酒)株式会社元社長。 1958年、早稲田大学商学部卒業、麒麟麦酒に入社。不動産事業開発部長、経営企画室長、常務、専務を経て、1990年取締役。1996年3月から2001年3月まで社長を務め、2004年から会長に就任した。営業畑の出身ではなく、ビール業界トップとしては異色の経歴をもつ。発泡酒の投入などで同社の市場シェアの低迷を食い止めた。人事面では、知識や技能よりも人柄や人格を重視した。 2012年白川忍賞を受賞。2020年1月24日、虚血性心疾患のため東京都内の病院で死去。
角田 明夫(つのだ あきお、1935年〈昭和10年〉12月1… 角田 明夫(つのだ あきお、1935年〈昭和10年〉12月19日 - )は、日本放送協会 (NHK) の元アナウンサー。 1935年(昭和10年)12月19日、当時の東京府に生まれる。現在の杉並区立第六小学校・杉並区立阿佐ヶ谷中学校・東京都立西高等学校を経て、早稲田大学第一文学部美術史学科を卒業。1959年(昭和34年)から日本放送協会 (NHK) のアナウンサーとなり、1996年(平成8年)に退くまで35年あまり同職にあった。1997年(平成9年)からはフリーアナウンサーとなり、2000年(平成12年)に引退。配偶者と2子がある。 NHK在職時は、テレビの報道ニュース、司会、スポーツ、ラジオパーソナリティ等を担当。
春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和1… 春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和10年〉10月12日 - 1981年〈昭和56年〉7月9日)は、東京都出身の落語家。生前は落語協会所属。 六代目三遊亭圓生に入門して三遊亭 好生と名乗った。師の圓生を神のように崇拝し、「圓生の影法師」と揶揄されるほど芸風も似ていたが、圓生に疎まれて冷遇された。落語協会分裂騒動の際に圓生一門を離れて八代目林家正蔵(後の林家彦六)の弟子となり、春風亭一柳へと改名した。圓生の没後に暴露本を出版して物議を醸し、精神を病んで自殺した。 東京都立西高校への入学に前後して同居していた母と祖母を相次いで亡くし、本人も病弱のため高校を長期休学することとなった。
田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 20… 田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 2013年8月14日)は、日本のジャーナリスト、中国評論家。
村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日… 村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日本の医師・文筆家。東京都出身。循環器内科医。 東京都立西高等学校を経て、東京女子医科大学を卒業後、同大学の附属研究機関である日本心臓血圧研究所にて循環器医学を学ぶ。 その後、新宿三井ビルクリニック副院長を経て、1992年に「女性成人病クリニック」を開設し、同クリニック院長となる。診療の傍ら執筆や講演活動を行なっていたが、著書「カイワレ族の偏差値日記(鎌倉書房)」がTVドラマ化され話題となり、「カイワレ族(土ではなく、ウレタンの苗床で完全管理の下に育てられるカイワレに例え、管理社会でしか生きられない成績が普通の中学生・高校生)」が流行語となるなどして広くその名を知られるようになった。
柳田 博明(やなぎだ ひろあき、1935年6月1日 - 20… 柳田 博明(やなぎだ ひろあき、1935年6月1日 - 2006年11月20日)は、日本の化学者、地域経済総合研究所名誉評議員。東京大学名誉教授。元名古屋工業大学学長。長野県小諸市生まれ。東京都出身。
芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日… 芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日本の女優、モデル、タレント、司会者。 個人事務所・フリーでの活動が長いが、かつてはHIRAKU(東京都港区元赤坂)、生島企画室(現在のFIRST AGENT)に所属していたこともある。 芳村は「夜ヒット」を初め「FNS歌謡祭'77〜'86グランプリ」「新春かくし芸大会」というフジテレビの年末年始の一大イベントといえる大型番組を長年担当した。「小川宏ショー」「3時のあなた」といったフジテレビワイドショー番組の源流である2番組のホステス役も務める。
阿刀田 高(あとうだ たかし、1935年1月13日 -)は、… 阿刀田 高(あとうだ たかし、1935年1月13日 -)は、日本の小説家。「奇妙な味」の短編で知られる。1993年から1997年まで日本推理作家協会会長、2007年から2011年まで日本ペンクラブ会長を務めた。文化功労者。山梨県立図書館名誉館長。 国会図書館司書を経て、『冷蔵庫より愛をこめて』(1978年)で作家に。『ナポレオン狂』(1979年)で直木賞を受賞。ブラックユーモアやミステリーを盛り込んだ短編の名手。ほかに『佐保姫伝説』(2009年)、『闇彦』(2010年)など。 東京生まれ。一人の兄と三人の姉の下で双子の兄として生まれるが、弟は1歳になる前に早世。両親は共に宮城県仙台市の出身だった。
大谷 禎之介(おおたに ていのすけ、1934年12月1日 -… 大谷 禎之介(おおたに ていのすけ、1934年12月1日 - 2019年4月29日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。経済理論・金融理論専攻。 東京都生まれ。父は東京農工大学名誉教授で農業経済学者の大谷省三(おおたに せいぞう、1909年-1994年)。 1953年、東京都立西高等学校卒業。1957年、立教大学経済学部卒業。1962年、立教大学大学院博士課程単位取得退学。 1994年、学位論文「利子生み資本と信用制度」によって、博士(経済学)(立教大学)の学位を取得。 1962年、東洋大学経済学部助手。63年専任講師、70年助教授を経て、1974年、法政大学経済学部教授。2005年-2019年、法政大学名誉教授。
下垣内 洋一(しもがいち よういち、1934年8月26日 -… 下垣内 洋一(しもがいち よういち、1934年8月26日 - 2017年10月25日)は、日本の実業家。JFEグループの前身・日本鋼管 (NKK) の元社長。JFEホールディングス相談役で、初代社長だった。 NKKの営業のエースとして早くから社長候補と目されていたが、年次の都合で就任は三好俊吉社長の後を受け1997年に。しかし折りしもアジア通貨危機で鉄鋼需要は激減し業績が急速に悪化する。金融危機下でメーンバンクの富士銀行に余力はなく、巨額の有利子負債を抱えるNKKの信用不安が広がって株価も低迷。経営危機を迎えたNKKの立て直しに尽力する。 結果、川崎製鉄と製鉄所間協力を開始し、後に川鉄の江本寛治社長と両社の経営統合を決断。
杉浦 博(すぎうら ひろし、1934年1月19日 - 202… 杉浦 博(すぎうら ひろし、1934年1月19日 - 2024年12月21日)は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。リルケなどの詩が専門。 東京出身。東京都立西高等学校を経て、1957年東京大学独文科卒、1959年同大学院修士課程修了。一橋大学助教授を経て、1967年東京大学教養学部助教授、1985年教授、1994年定年退官、名誉教授。
西川 正雄(にしかわ まさお、1933年7月15日 - 20… 西川 正雄(にしかわ まさお、1933年7月15日 - 2008年1月28日)は、西洋史学者、東京大学名誉教授。ヨーロッパ近現代史、とくに社会主義運動、そして世界史教育が専門。父は西川正身。 1933年、東京生まれ。東京都立西高等学校卒業。1956年、東京大学文学部西洋史学科を卒業して同大学院に進む。1962年、博士課程中退して、同大学助手となる。1966年、東京女子大学助教授となる。1968年には東京大学教養学部助教授となり、1982年より教授。1994年定年退官、名誉教授となる。その後は専修大学教授、文学部長を務めた。 1989年から1994年まで歴史学研究会委員長。三省堂の高校世界史教科書を編集、執筆。
相川 浩(あいかわ ひろし、1933年〈昭和8年〉7月6日 … 相川 浩(あいかわ ひろし、1933年〈昭和8年〉7月6日 - 2003年〈平成15年〉11月27日)は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。神奈川県横須賀市出身。 東京都立西高等学校、東京経済大学経済学部卒業後、1957年4月にNHK入局。帯広局→山口局→大阪局を配属後、1970年に東京アナウンス室に着任。『NHK紅白歌合戦』総合司会(1975年 - 1978年)、夏の紅白とも称される『思い出のメロディー』、『ゲーム ホントにホント?』(1975年 - 1976年)、『お国自慢にしひがし』(1976年 - 1978年)などの看板番組を担当した。『思い出のメロディー』では通算12回司会を担当、司会の最多記録となっている。
木村 建一(きむら けんいち、1933年3月5日 - )は、… 木村 建一(きむら けんいち、1933年3月5日 - )は、日本の工学者、環境建築家。早稲田大学名誉教授。工学博士。 1933年、中国撫順市生まれ。1952年、東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)卒業。 1957年、早稲田大学第一理工学部建築学科卒業・工学士。1959年、早稲田大学大学院工学研究科建設工学専攻修士課程修了・工学修士。1960年 - 1962年、マサチューセッツ工科大学にフルブライト留学生として留学。建築学科の研究助手として、太陽エネルギー研究プロジェクトに参加した。 1964年、早稲田大学第一理工学部専任講師。1967年、早稲田大学第一理工学部助教授。 1965年、早稲田大学大学院工学研究科建設工学専攻博士課程修了・工学博士。