スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
五十嵐 啓(いがらし けい、1978年 - )は、神経科学者… 五十嵐 啓(いがらし けい、1978年 - )は、神経科学者。専門は神経生理学。 東北大学大学院医学系研究科 認知生理学分野 国際卓越教授 (Distinguished Professor) および カリフォルニア大学アーバイン校医学部神経科学・解剖学科 総長特別准教授(Chancellor's Fellow Associate Professor)。医学博士(東京大学)。英語の原著論文においてはKei M. Igarashiと表記される。 高校在学時に利根川進・立花隆著『精神と物質』に感銘を受け、神経科学者を志す。東京大学理学部生物化学科に進学し、坂野仁研究室において分子生物学を用いた神経科学の基礎を学ぶ。
遠藤 秀紀(えんどう ひでき、1965年 - )は、日本の獣… 遠藤 秀紀(えんどう ひでき、1965年 - )は、日本の獣医師・獣医学者・比較解剖学者。東京大学総合研究博物館教授。専門、比較形態学・遺体科学。博士(獣医学)(論文博士・1996年)。 東京都生まれ。国立科学博物館動物研究部研究員、京都大学霊長類研究所教授を経て、2008年より東京大学総合研究博物館教授。2016年から2019年まで日本哺乳類学会理事長を務めた(2025年現在、理事・代議員)。 ジャイアントパンダの“第七の指”(副手根骨)の発見者。 進化形態、知的生物として人間は失敗作であるという言で著名。
片山 杜秀(かたやま もりひで、1963年8月29日 - )… 片山 杜秀(かたやま もりひで、1963年8月29日 - )は、日本の政治学者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。専門は政治思想史。かつては本名の片山 素秀名義で執筆していた。妻は声楽家の藍川由美。 宮城県仙台市生まれ。父親は広告会社の宣弘社に勤務した宣伝マンであり、宣弘社の社長の小林利雄の妻の親族であった。育ちは東京で、小学校から高校まで暁星小学校・中学校・高等学校に通う。小学生時代から神保町で古書を買い、フィルムセンターに通っていた。 慶應義塾大学法学部政治学科卒業、慶應義塾大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。慶應義塾大学では蔭山宏に師事。ただし大学院の修士課程は慶應ではなく、橋川文三を慕って明治大学大学院政治経済学研究科で学んだ。
中川 恵一(なかがわ けいいち、1960年5月6日 - )は… 中川 恵一(なかがわ けいいち、1960年5月6日 - )は日本の医学者である。専門は放射線医学。東京大学大学院医学系研究科帝京大学医学部助教の加藤大基は、東京大学医学部附属病院放射線科での部下。 日本経済新聞:コラム「がん社会を診る」、毎日新聞:コラム「がんのヒミツ」を連載
澤田 直(さわだ なお、1959年 - )は、日本のフランス… 澤田 直(さわだ なお、1959年 - )は、日本のフランス哲学者・フランス文学者・翻訳家。立教大学教授。直之の名も使う。ジャン=ポール・サルトル、ジャン=リュック・ナンシーなどを研究。 1984年法政大学文学部哲学科卒業、1987年同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了、1994年パリ第1大学大学院哲学科博士課程修了、哲学博士。1995年流通経済大学経済学部専任講師、1996年助教授、2000年白百合女子大学文学部助教授、2002年教授、2006年立教大学文学部文学科フランス文学専修・同大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程前期課程教授。2023年『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』で読売文学賞(評論・伝記賞)受賞。
杉浦 克己(すぎうら かつみ、1957年 - )は、立教大学… 杉浦 克己(すぎうら かつみ、1957年 - )は、立教大学スポーツウエルネス学部スポーツウエルネス学科 特別専任教授、博士(学術)。 東京都出身。1957年千代田区六番町で父、杉浦昌也(元都立広尾病院長)と母、友子の長男として生まれる。幼少時をボストン(米国)で過ごし、博物館めぐりと世界の食に触れたことがきっかけで生物学と栄養関連の仕事に憧れを持つ。千代田区立番町小学校、千代田区立麹町中学校、暁星中学校・高等学校(高等学校のみ)を経て、静岡大学に進学。理学部生物学科、同大学院理学研究科生物学専攻修士課程に進み、細胞性粘菌を用いた発生生物学を研究。 1985年に明治製菓株式会社(現:株式会社明治)入社。
石井 直方(いしい なおかた、1955年 <昭和30年> 3… 石井 直方(いしい なおかた、1955年 <昭和30年> 3月15日 - 2024年 <令和6年> 8月20日)は、日本の運動生理学者、ボディビルダー、パワーリフティング選手。東京大学名誉教授。理学博士(東京大学)月刊アイアンマン掲載。 東京大学大学院総合文化研究科教授・新領域創成科学研究科拠点長を歴任。 東京都文京区出身。父親の石井美久は早稲田大学教授(フランス文学)。暁星中学校・高等学校を経て、東京大学理学部生物学科で学び、筋肉の研究に従事した。 日本を代表するボディビル選手・パワーリフティング選手としても知られる。中学と高校はサッカー部で活動し、東大では東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部に入部してトップ選手に成長した。
朝吹 亮二(あさぶき りょうじ、1952年4月30日 - )… 朝吹 亮二(あさぶき りょうじ、1952年4月30日 - )は、日本のフランス文学者、詩人であり、慶應義塾大学名誉教授である。学位は文学修士(慶應義塾大学・1979年)を有する。 東京都出身。暁星小学校、暁星中学校、暁星高等学校を経て、1975年慶應義塾大学文学部フランス文学科を卒業。1979年には同大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程を修了し、1982年に同大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得退学。1979年に文学修士の学位を取得した。1997年、慶應義塾大学法学部教授に就任。専門はフランス近・現代詩、シュルレアリスムである。 詩人としては、『opus』、『密室論』、『明るい箱』、『現代詩文庫 朝吹亮二詩集』などの作品がある。
松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - … 松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - 2023年1月9日)は、日本の現代音楽作曲家、生物物理学者。理学博士。立教大学理学部教授。 東京府に作曲家の松平頼則の長男として生まれる。祖父の松平頼孝は子爵で鳥類標本収集家。水戸徳川家の連枝(分家)で常陸府中藩の藩主家であった府中松平家の直系の子孫で、同藩の最後の藩主・松平頼策は曾祖父にあたる。出版楽譜によっては、父・頼則との区別を明確にするため Yori-Aki Matsudaira と書き、さらに生年を併記しているものもある。 1953年、東京都立大学理学部を卒業し理学士号を得る。この間、作曲とピアノを独学で学ぶ。1950年代より活発な作曲活動を始める。
岡田 英弘(おかだ ひでひろ、1931年〈昭和6年〉1月24… 岡田 英弘(おかだ ひでひろ、1931年〈昭和6年〉1月24日 - 2017年〈平成29年〉5月25日)は、日本の東洋史学者。東京外国語大学名誉教授。東洋文庫専任研究員。専攻は満洲史・モンゴル史であるが、中国・日本史論についての研究・著作もある。 1931年(昭和6年)、東京市本郷区(現・東京都文京区)曙町に生まれた。戦時下の1943年、旧制暁星中学校入学。1946年、旧制成蹊高等学校尋常科へ転入。 1947年、 旧制成蹊高等学校高等科理科乙類入学。1950年、旧制成蹊高等学校高等科理科乙類を卒業した。1953年、東京大学文学部東洋史学科を卒業。その後は同大学大学院に進み、1958年に東京大学大学院博士課程を満期退学した。
福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 20… 福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 2023年8月19日)は、日本の作曲家・音楽学者。上野学園大学日本音楽史研究所所長、同研究所特任教授。本名は石橋 和夫(いしばし かずお)。 東京市麻布区霞町(現在の東京都港区)生まれ。玉川学園中学部中退後、独学で作曲を勉強。その後、鈴木博義や武満徹らと知り合い、芸術家グループ「実験工房」に参加。これには姉の福島秀子も参加している。 東洋的な響きに近いフルートのための作品を多数発表、代表作の『冥』などが生まれる。また『エカーグラ』は1959年に来日したストラヴィンスキーによって武満徹の『弦楽のためのレクイエム』などと共に絶賛されたうちの1曲である。
柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日… 柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日 - 1996年〈平成8年〉2月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。 東京府東京市神田区駿河台袋町(現:東京都千代田区神田駿河台)に生まれ、1945年まで東京府豊多摩郡大久保町字百人町(現:新宿区百人町)で暮らす。 1921年、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現:お茶の水女子大学附属幼稚園)に入る。1923年、暁星小学校入学。1932年、暁星中学校から成城高等学校尋常科(現:成城大学)に編入。1933年、成城高等学校高等科理科甲類(英語クラス)に進んだ頃から、ピアノを岩井貞麿、ジェームス・ダンに、チェロを鈴木二三雄に、作曲を細川碧、諸井三郎に、指揮法を斎藤秀雄に師事。
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2… 串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。 1915年、東京市芝区生まれ。駿河台や永田町や一番町に育つ。暁星中学校で学び、中学時代から登山を始めた。1932年、旧制東京高等学校文科丙類に入学し、1935年に卒業。東京帝国大学文学部哲学科で学び、1938年に卒業した。同1938年には、処女短編集『白椿』(初見靖一名義)を刊行した。 卒業後は、上智大学で教鞭をとる。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓し、『歴程』同人となる。旧制東京高等学校で教鞭をとり、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。
森 有正(もり ありまさ、1911年11月30日 - 197… 森 有正(もり ありまさ、1911年11月30日 - 1976年10月18日)は、日本の哲学者、フランス文学者。 東京府豊多摩郡淀橋町角筈(現・東京都新宿区西新宿)生まれ。明治時代の政治家森有礼の孫に当たる。父の森明は有礼の三男で、有馬頼寧の異父弟、キリスト教学者、牧師。母は伯爵徳川篤守の娘。祖母寛子は岩倉具視の五女。妹は世界平和アピール七人委員会の委員を務めた関屋綾子。 生後間もない1913年に洗礼を受けてクリスチャンとなり、6歳からフランス人教師のもとでフランス語、後にラテン語を学んだ。暁星小学校・暁星中学校から東京高等学校 (旧制)を経て1938年に東京帝国大学文学部哲学科を卒業(卒論は『パスカル研究』)、同大学院を経て東京帝国大学の特研生、副手、助手を歴任。
菊池 真一(きくち・しんいち、1909年3月15日 - 19… 菊池 真一(きくち・しんいち、1909年3月15日 - 1997年2月15日)は、応用化学・物理化学・電気化学、特に写真化学の化学者である。東京写真大学(東京工芸大学)の学長として著名なほか、写真界において天然色写真の研究者(日本写真協会会長)、またフランス語学者として「仏和理工学辞典」の編纂に携わり、日仏理工科会の功労者・日仏工業技術会設立者(1954年設立)としても著名であり、新制の「東京工芸大学」の工学部と短期大学部の綜合化と同学部の芸術学部化の発展功労者でもある。 愛媛県出身。暁星中学校・高等学校卒、アテネ・フランセ卒。東京帝国大学工学部応用化学科を1933年卒。東京帝国大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程を1936年卒。
小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11… 小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、社会科学者・社会運動家。法政大学教授。本名、近江谷 駧(おうみや こまき)。 秋田県の土崎港(つちざきみなと、現在の秋田市土崎港)生まれ。 東京の暁星中学中退後、1910年、第1回万国議員会議に出席する父近江谷栄次に連れられてフランスに渡り、家産が傾きアンリ4世校を放校になったもののパリ大学法学部入学。苦学の末、1918年(大正7年)卒業。この間、ロマン・ロランに傾倒。同地で小説家アンリ・バルビュスの「クラルテ運動」に共鳴し、反戦運動に参加。また、日本大使館に勤務した。
青井 明(あおい あきら)は、日本の大学教授。国際基督教大学… 青井 明(あおい あきら)は、日本の大学教授。国際基督教大学名誉教授。専門は、フランス語学、言語学。 1966年、暁星高等学校卒業。上智大学文学部フランス文学科卒業。同大学大学院修士課程言語学専攻修了(文学修士)。パリ第7大学博士課程言語学専攻修了(Ph.D)。国際基督教大学教養学部教授言語科学デパートメント長等を経て、同大学名誉教授に就任。日本フランス語学会編集委員、フランス政府給費留学生試験面接委員、日本フランス語教育学会、日本フランス語フランス文学会等の委員を歴任。
米山 優(よねやま まさる、1952年 - )は、日本の哲学… 米山 優(よねやま まさる、1952年 - )は、日本の哲学者。東京都出身。名古屋大学名誉教授。 フランス人の創立した暁星中学校・暁星高等学校卒業。そのため、第一外国語はフランス語であった。一橋大学ではいわゆる教養課程の時にトーマス・マンの研究家である青木順三からドイツ語の語学ゼミでの指導を受け、比較文学の川本皓嗣のフランス語の授業でバンジャマン・コンスタンの『アドルフ』を読んだという。経済学部に進み経済数学の二階堂副包に師事する。同時に、デカルト・スピノザ研究者の福居純に指導を依頼して院生たちが開催していた読書会に参加し、カント『純粋理性批判』・デカルト『哲学原理』・スピノザ『エチカ』を読んでいる。