スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
浜田 千穂(はまだ ちほ、1992年11月17日 - )は、… 浜田 千穂(はまだ ちほ、1992年11月17日 - )は、神奈川県出身の女子レスリング選手である。階級は55kg級。身長160cm。2015年に日体大体育学部を卒業。2016年7月1日よりキッコーマンに所属。 小学生時代は元プロレスラーの高田延彦が主催する髙田道場に所属して、全国少年少女レスリング選手権大会で優勝を果たした。その後、ゴールドキッズ所属となると、元世界チャンピオンの成国晶子の指導の下、橘中学2年の時には全国中学生選手権46kg級とアジアカデット選手権43kg級で優勝、3年の時には全国中学生選手権52kg級とクリッパン女子国際大会で優勝を飾った。2008年に日本工大駒場高校に進むと、1年の時にジュニアオリンピックとアジアカデット選手権、3年の時にはジュニアクイーンズカップ55kg級で優勝を飾った。
河村 隆一(かわむら りゅういち、1970年〈昭和45年〉5… 河村 隆一(かわむら りゅういち、1970年〈昭和45年〉5月20日 - )は、神奈川県出身の日本のミュージシャン、歌手。LUNA SEAおよびTourbillonでは「RYUICHI(リュウイチ)」のバンドネームも用いており、それぞれでボーカリストを担当する。また、俳優・小説家・レーサーとしても活動し、ЯK(アール・ケー)名義による音楽プロデュース業も行う。既婚。身長171cm[要出典]。血液型O型。愛称はRYU(リュウ)ちゃん。 神奈川県立栗原高等学校を経て、日本工業大学付属東京工業高等学校(現・日本工業大学駒場高等学校)中退。 1989年5月6日、ヴィジュアル系ロックバンド、LUNA SEAにヴォーカリストとして加入。
越中 詩郎(こしなか しろう、1958年9月4日 - )は、… 越中 詩郎(こしなか しろう、1958年9月4日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。日本工業大学駒場高等学校卒業。血液型B型。 越中のプロレスとの出会いは小学校時代であり、当時は金曜日の8時からTVで放映していた。ぶつかり合いの迫力に子供心に圧倒された。中学時代に全日本プロレスを見てファンになる。中学時代は音楽にも熱中していたが、曲作りに必要な良いアイデアが出ないため音楽の道は断念した。高校時代は野球部に入り2年目はファースト・3年目はキャッチャーとレギュラーになるも、甲子園に行くことは出来なかった。野球は団体競技であり、自分1人で競技を行って自分で試合に責任を持つことをしたいという越中の志向には合致しなかった。
柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - … 柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - )は、東京都杉並区出身の落語家。落語協会所属。本名は並木 治。出囃子は「二人椀久」。血液型はA型。 東京工業高等学校卒業。1996年に柳家小里んと出会ってから、落語を本格的に学び始める。当初はサラリーマンとして働きながら、素人落語会に参加したり、遊びでエキストラをやったりしていた。40歳を過ぎたあたりから、「もっと面白い人生」としての別の道を歩もうと考えるようになり、プロの落語家になることを決意する。 1999年4月、柳家小里んに入門。2000年4月に前座となり、り助を名乗る。前座時代の2003年7月21日海の日、東京の発展に尽力した勝海舟の功績を顕彰するため、有志らの手によって東京都墨田区役所前の広場に「勝海舟銅像(勝安芳像)」が建てられた。
赤塚 真人(あかつか まこと、本名は同じ、1951年〈昭和2… 赤塚 真人(あかつか まこと、本名は同じ、1951年〈昭和26年〉3月19日 - 2024年〈令和6年〉7月4日)は、日本の俳優。劇団裏長屋マンションズ座長。 本名同じ。「まさと」と読まれがちだが「まこと」である。命名の由来は、ろくに働かず家に居つかなかった父親が、久しぶりに帰宅した時に誕生したため、「真人間になりますように」の願いを込めて名づけられたという。 血液型はO型。趣味は水彩画、作詞、ギター、茨城弁、釣り。 茨城県日立市出身。少年期に家族とともに上京し、東京都江東区で育つ。 1966年、江東区立深川第三中学校を卒業。東京工業高等学校(現・日本工業大学駒場中学校・高等学校)中退。 『男はつらいよ』で観た渥美清に共感したことで俳優になることを決意。
井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は… 井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は、東京都出身で日本競輪選手会埼玉支部に所属していた元競輪選手であり、1968年メキシコシティーオリンピックの自転車競技・日本代表選手。東京工業高等学校、法政大学出身。 大学時代は短距離種目を中心にインターカレッジ大会等で活躍。また日本短距離界の第一人者でもあった。1968年にウルグアイ・モンテビデオで開催された世界自転車選手権のアマチュア・タンデムスプリントにおいて、当時ライバルだった日本大学の班目隆雄とコンビを組んで3位入賞。班目とともに日本人選手として同大会初のメダリストとなった。また同年のメキシコオリンピックでは日本人選手としてただ一人自転車競技の代表に選ばれ、個人スプリント(二次予選敗退)と1kmタイムトライアル(19位)に出場した。
柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - … 柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - )は、東京都練馬区生まれの落語家。本名∶中 義夫。落語協会所属。出囃子は「三社祭」。 東京工業高校卒業。噺家になりたいと思いつつも、親のために一度は諦めて社会人になった経験を持つ。 1965年3月、五代目柳家小さんに入門し、本名から取った前座名「柳家小よし」を名乗る。 1970年4月、柳家小団治、三遊亭旭生、むかし家今松と共に二ツ目昇進し「柳家小三太」と改名。二ツ目になるとき師匠に相談したら「小團治」と「小三太」が余っており、同時昇進の武助と二人でジャンケンで決めなさいと言われたが、武助が「ジャンケンでなく、彼女に相談して決めてもいいですか」と言い、その結果武助の彼女が小團治を選んだので、さん遊は「小三太」になった。
長岡 久夫(ながおか ひさお、1929年2月5日 - 201… 長岡 久夫(ながおか ひさお、1929年2月5日 - 2017年8月18日)は、東京都出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。 東京工業高等学校(現:日本工業大学駒場中学校・高等学校)在学中の1946年、東京巨人軍(1947年より読売ジャイアンツ。以下、巨人)に練習生として入団。翌1947年まで在籍した。その後、ノンプロの豊岡物産でプレーした。1949年に中日ドラゴンズでプロ球界復帰したが、一軍公式戦出場は果たせないまま1950年に現役引退した。 巨人で初めて背番号0を付けた事で知られる。 引退後は、高校野球の監督を務めた。1994年に発足した日本プロ野球OBクラブにも会員として名を連ね、各地で開催される少年野球教室の講師としても活動した。
阿部 重四郎(あべ じゅうしろう、1917年9月2日 - 没… 阿部 重四郎(あべ じゅうしろう、1917年9月2日 - 没年不明)は、東京府出身のプロ野球選手。 東京工業学校から1936年に大東京軍へ入団。代走で1試合に出場したのみで、1937年秋に退団した。
小沢 専七郎(小澤、おざわ せんしちろう、1905年(明治3… 小沢 専七郎(小澤、おざわ せんしちろう、1905年(明治38年)3月1日 - 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。実業家。 福島県石城郡上遠野村(のち遠野町、現在のいわき市)出身。東京高等工科学校(現在の日本工業大学駒場高等学校)電機科で学ぶ。法律事務所勤務を経て、1938年(昭和13年)日本防空食糧株式会社(のち大日本防空食糧株式会社)を設立する。ほか日本国民食糧、日本製塩、茨城県合同罐詰、小沢木材工業などを創立、各社長となった。 1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙において、福島3区から民主党より出馬し、当選。同党総務委員となる。翌1948年(昭和23年)6月には民主党を離党し、「日本国民党結成準備会」を結成、10月には会派を「新自由党準備会」に改名。
川合 勇太郎(かわい ゆうたろう、1897年〈明治30年〉4… 川合 勇太郎(かわい ゆうたろう、1897年〈明治30年〉4月28日 - 1980年〈昭和55年〉10月30日)は、日本の民俗学者、民話・口承文芸研究家、口演童話家、地方史家、温泉史研究家、ジャーナリスト。青森県東津軽郡青森町(現・青森市)生まれ。20代で蘆谷蘆村に師事し、童話文学を学ぶ。1927年、子どもたちに民話・童話を語り聞かせる八戸童話会を仲間たちとともに結成。のちに同会の理事長も務めた。また十和田市(当時の三本木町、藤坂村)の郷土史も執筆した。青森県に伝わる民話や伝説を研究し、1939年には「民間伝承の会」(後の日本民俗学会)に入会。ジャーナリストとしては、三本木の日刊紙『南部日報』(1927年創刊)の編集長、『東奥日報』三本木支局長などを務めた。
金刺 不二太郎(かなさし ふじたろう、1895年(明治28年… 金刺 不二太郎(かなさし ふじたろう、1895年(明治28年)5月18日 - 1980年(昭和55年)1月4日)は、日本の政治家。川崎市長(7期)。全国市長会会長(4期)。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 静岡県賀茂郡(現在の西伊豆町)で、金刺長蔵の長男として生まれる。1912年に東京高等工芸学校を卒業、1914年に東京工科学校を卒業した。川崎田島町の建設会社飯草組(社長は飯草吉之輔で、東京自動車製作所支配人)に入り、1922年に堀之内の請負業万代商会・上田盛次郎(金沢市出身)の一大事業に協力した。1923年金刺組を興し、公共事業に携わる。川崎市議、同議長、参事会員、神奈川県議を経て、第17回衆議院議員総選挙に静岡県第2区より立候補するが落選に終わる。
北村 克哉 は、日本の元アマチュアレスリング選手、元プロレス… 北村 克哉 は、日本の元アマチュアレスリング選手、元プロレスラーで、アマチュアボディビルダー、総合格闘家、YouTuber、スポーツインストラクター。東京都杉並区出身。