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大久保 利晃(おおくぼ としてる、1939年6月6日 - )… 大久保 利晃(おおくぼ としてる、1939年6月6日 - )は、日本の医師・医学者。医学博士。元産業医科大学学長。専門は公衆衛生学。大久保利通の曾孫。大久保利泰は従兄。大久保利謙は伯父。大久保利武は祖父。大久保利和は大伯父。大久保利世は高祖父。 東京府生まれ。1966年に慶應義塾大学医学部を卒業した。1967年から1977年に慶應義塾大学医学部衛生学・公衆衛生学助手・講師を経て、1977年から1983年に自治医科大学医学部衛生学助教授になった。1983年から産業医科大学環境疫学研究室教授に就任した。1997年 - 2002年に産業医実務研修センター所長、1999年 - 2002年に副学長となった後に、2002年 - 2005年に産業医科大学学長を務めた。
藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師… 藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師、医学者、医学博士。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授。専門は医用生体工学、社会構造学、医療政策、人間生物学。 1964年に東京大学医学部医学科卒業後、1965年に東京大学医学部電子研究施設助手となる。1975年に助教授となった後に、1986年に東京大学先端科学技術研究センターへ移籍する。1988年に同センター教授に昇格し、医学部教授を併任した。1996年に埼玉大学大学院政策科学研究科教授となり、翌年に創設された政策研究大学院大学教授に就任した。2005年に定年後は、同大学のリサーチフェローを経て、アカデミックフェロー・客員教授を務めた。
福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 202… 福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 2022年8月1日)は、日本の医学者・精神科医。専門は、犯罪精神医学・病跡学。上智大学名誉教授。 1936年、東京生まれ。東京都立大学附属高等学校を卒業。東京大学医学部を卒業し、同大学大学院医学系研究科精神医学専攻に進んだ。1968年、博士課程を修了し、学位論文『窃盗累犯の精神医学的研究 意志欠如精神病質者の犯罪学および性格学への一寄与』で医学博士の学位を取得。 卒業後は府中刑務所医師として勤務した。後に東京医科歯科大学助教授、上智大学文学部教授となった。2001年に上智大学を定年退任し、名誉教授となった。学界では、日本病跡学会名誉会長をつとめた。
柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )… 柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )は日本の医学者、医師、医学博士。信州大学名誉教授。東京工科大学名誉教授。専門は神経学。日本学術会議会員(第17期)。 東京府出身。1960年に東京大学医学部卒業後、同大学大学院を修了する。1965年に東京大学医学部附属病院神経内科の助手となる。同年3月、東京大学医学博士。論文の題は 「Thalamic influences on the gamma motor system(視床外腹側核刺激のガンマ運動系に及ぼす影響)」。1969年にハーバード大学霊長類研究所生理学部門へ留学する。その後、1980年に信州大学教授となり、1993年に信州大学医学部附属病院院長に就任する。
桜井 靖久(さくらい やすひさ、1934年1月13日 - 2… 桜井 靖久(さくらい やすひさ、1934年1月13日 - 2011年1月12日)は日本の医師、医学者。東京女子医科大学名誉教授。専門は医用生体工学、生体材料学。 1934年に東京府で生まれる。1958年に東京大学医学部を卒業する。1959年から東京大学第二外科勤務、アラビア石油カフジ鉱山業所医師を経て、1965年に東京大学医用電子研究施設助手となる。1971年-1973年に同助教授の後に、1974年より東京女子医科大学教授に就任する。1976年から同大学医用工学研究施設長を務める。1999年に東京女子医科大学名誉教授・顧問となり、2001年-2004年には早稲田大学客員教授を歴任した。 専門分野として医用材料、薬物送達システム、未来医学などを研究し、東京女子医科大学教授岡野光夫等と共に特許も多数取得している。
中村 嘉男(なかむら よしお、1933年 - )は、日本の医… 中村 嘉男(なかむら よしお、1933年 - )は、日本の医師、生理学者、歯学者、医学博士。東京医科歯科大学名誉教授。専門は口腔生理学、基礎歯科学、脳科学。 1933年に東京府で生まれる。1958年に東京大学医学部を卒業。1963年に東京大学大学院生物系研究科第一基礎医学課程を修了し、医学博士を取得した。学位論文は 「Spindle bursts and hippocampal EEG in relation with autonomic function(紡錘群発と海馬脳波 : 自律機能と関連づけて)」。 1972年から東京医科歯科大学教授(歯学部顎口腔総合研究施設咀嚼研究部門)を経て、1982年に歯学部口腔生理学教室担当となる。
石川 哲(いしかわ さとし、1932年 - 2022年 )は… 石川 哲(いしかわ さとし、1932年 - 2022年 )は日本の医師、医学者、医学博士。北里大学名誉教授。専門は眼科学、環境医学。 1932年に東京府で生まれる。1957年に東北大学医学部を卒業した後に、東京大学医学部眼科学教室に入局する。その後、フルブライト留学生としてアメリカで研究活動を開始し、1965年にニューヨーク大学助教授となる。同年に東京大学医学部眼科講師となり、1971年に北里大学医学部眼科学技術振興調整費教授に就任する。同大学医学部教授として神経眼科、環境医学、神経毒物、自律神経学などの研究に従事し、1995年からは医学部長を務めた。1998年に定年退職し名誉教授となった後は、北里研究所病院環境センター長および森下記念病院名誉院長に就任した。
米本 恭三(よねもと きょうぞう、1932年 - 2024年… 米本 恭三(よねもと きょうぞう、1932年 - 2024年12月23日)は、日本の医学者、医師。専門はリハビリテーション医学、神経内科学、整形外科学。学位は、医学博士。 東京慈恵会医科大学名誉教授、東京都立大学名誉教授。元東京都立保健科学大学学長、元東京慈恵会医科大学主任教授、元東京慈恵会医科大学附属第三病院病院長、元慈恵看護専門学校校長。 1958年に東京慈恵会医科大学を卒業する。1963年に同大学院を修了し、整形外科学教室・第二生理学教室の助手となった。1970年から1971年まで東京大学医学部脳研究施設・神経内科に国内留学する。1972年から東京慈恵会医科大学整形外科講師となり、1977年に助教授、1983年から教授に就任しリハビリテーション科、体力医学研究室を担当した。
清寺 眞(せいじ まこと、1926年 - 1982年9月30… 清寺 眞(せいじ まこと、1926年 - 1982年9月30日)は、日本の医学者、皮膚科医。東北大学教授。色素細胞が作るメラニン顆粒”melanosome"の発見とその命名者。悪性黒色腫の4番目の病型を世界に先駆けて、掌蹠・爪下・粘膜型(palmoplantal-subungal-mucosal type)” として提唱 (残念ながら現在 欧米で提唱された末端黒子型(acral lentiginous type) が汎用されている)。 1926年2月1日鎌倉にて生まれ、東京の誠之小学校、府中第五中学校、旧制都立高校を経て、1949年に東京大学を卒業、翌年東京大学医学部皮膚科に入局し、北村包彦教授に師事した。
土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009… 土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009年7月5日)は、日本の精神科医・精神分析家・評論家。東京大学名誉教授。学位は医学博士(東京大学・1960年)。 日本人の心理特性として「甘え」の概念を精神分析に導入し、その精神構造を解明した『「甘え」の構造』(1971年)は、日本人論に新局面をもたらした。他の著書に『表と裏』(1985年)、『時のしるし』(1990年)など。 1920年、東京生まれ。府立高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学医学部に入学。1942年に卒業し、陸軍軍医となった。 戦後、アメリカ・メニンガー精神医学校、サンフランシスコ精神分析協会に研修留学。自身、キリスト教カトリック教会の信徒であった。
内野 滋雄(うちの しげお)は日本の解剖学者、医師、医学博士… 内野 滋雄(うちの しげお)は日本の解剖学者、医師、医学博士。東京医科大学名誉教授。専門は解剖学、リンパ学、免疫学。 府立高等学校尋常科、東京都立大学附属高等学校を卒業。東京医科大学大学院を修了後、1977年~97年に東京医科大学第一解剖学教室教授を務め、リンパ学や免疫学などの研究に寄与する。1992年~96年には日本解剖学会理事長に就任する。1962年に論文『日本人新生児の断面解剖』で医学博士(東京医科大学)を取得した。東京医科大学名誉教授として退任後は、臨床福祉専門学校校長として医療・福祉分野の人材の育成に当たる。また、社会福祉法人三徳会理事長として内野医院代表などを務め、敬心福祉会、福栄会理事や財団法人日本篤志献体協会理事長としても活動した。
大野 京子(おおの きょうこ、故人)は、医師、医学博士。元帝… 大野 京子(おおの きょうこ、故人)は、医師、医学博士。元帝京大学教授。専門は内科学、循環器学、スポーツ医学。 東京大学医学部を卒業後、同大学医学部附属病院第二内科に入局し、助手となる。その後、静岡県の市立島田市民病院内科医長などを務め、1989年に帝京大学教授に就任し、文学部および医療技術学部の教員として、生活医学、医療保険事務、医学概論などを担当した。その後、2007年に帝京大学医療技術学部にスポーツ医療学科が設置され、2010年まで同学科長として臨床スポーツ医学、内科系医学、予防医学などを論じ、生活習慣の支援、救急救命士やアスリートの育成に努めた。在職時に紀要「帝京大学スポーツ医療研究」を創刊するなど、スポーツ医学の発展に貢献した。