スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
吉川成夫(よしかわ しげお、1955年- )は、日本の教育学… 吉川成夫(よしかわ しげお、1955年- )は、日本の教育学者、國學院大學教授。算数教育。 東京都生まれ。筑波大学(数学専攻)卒業。同大学院修士課程(教科教育専攻)修了。 東京都立高等学校教諭、筑波大学附属中学校・高等学校教諭をへて、1984年上越教育大学学校教育学部講師、助教授、1991年文部省初等中等教育局小学校課・教科調査官(算数担当)。2001年国立教育政策研究所教育課程研究センター・教育課程調査官、文部科学省初等中等教育局教育課程課・教科調査官、2016年國學院大學人間開発学部教授。
三鷹山 昌吾(みたかやま しょうご、1947年9月29日 -… 三鷹山 昌吾(みたかやま しょうご、1947年9月29日 - )は、東京都三鷹市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は斎藤 昌吾(さいとう しょうご)。178cm、135kg。最高位は東十両17枚目。得意技は押し。 三鷹中学校2年生の時点で身長176cm、体重135kg(当時は正確に計測できる秤がなかったので推定値)に達する程の体格であったが、自身は太っていても仕方がないと思っていたので、3年生から柔道を始めたが体重を減らすことができず悩んでいるうちに柔道の先生の知人である錣山親方(小結・若葉山)が勧誘に来た。相撲は嫌いだったが、餅搗きに招待したり豊山と話をさせてもらううちに、父から「東京都立高校に受かる自信があるなら角界に入らなくても良いが自信がないなら入れ」と言われて時津風部屋に入門し、部屋の近くにある墨田区立竪川中学校に通いながら相撲を取ることにした。
雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は… 雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は、日本の歌人、登山家。 東京向島生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都立高校教諭を務める。1966年、ヒンドゥ・クシュ主稜でパキスタン側から日本人初の登山活動を行ない、サラグラール峰山群とブニ・ゾムを試登した。1968年夏、未踏峰のヒンドゥ・ラジ山脈の最高峰コヨ・ゾムに試登し、イシュペル・ドームとフラッテロ・ゾムに初登、その後十数度これらの山域を踏査した。近年はヤルフーン河原流域を踏査し、1997年と2003年夏、ヒンドゥ・クシュ山系の最大の氷河、チアンタール氷河を縦断し、未踏の六千メートル峰を多数撮影して多くの資料をもたらした。 また、宮地伸一の影響により学生時代から『アララギ』会員として作歌、1997年に終刊した「アララギ」の後継誌として吉村睦人らと「新アララギ」を創刊し、編集委員、選者を務める。
小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - … 小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - 2014年10月31日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。中古文学、特に和歌を専攻。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 長野県駒ヶ根市生まれ。東京大学文学部国文学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学。東京都立高等学校教諭を経て、成城大学短期大学助教授、東京学芸大学教授、2000年定年退官。東京経済大学教授。2014年、胃癌で死去。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 妻・新子(1936-)は、瀧井孝作の娘で版画家、著書に『一生の春 父・瀧井孝作』(蝸牛社 1990)などがある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
堀切 実(ほりきり みのる、1934年1月13日 - )は、… 堀切 実(ほりきり みのる、1934年1月13日 - )は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に俳文学・松尾芭蕉・井原西鶴。学位は、文学博士(早稲田大学・1984年)(学位論文「蕉風俳論の研究 支考を中心に」)。早稲田大学名誉教授。 東京都生まれ。1957年、早稲田大学第一文学部国文科卒業。東京都立高校の教員を経て、1961年、早稲田大学大学院文学研究科終了(特殊学生)。1969年、早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。1974年、フェリス女学院大学講師、翌年助教授。1981年、早稲田大学教育学部助教授、1983年同大学教授。1984年、「蕉風俳論の研究 支考を中心に」で、早稲田大学より文学博士の学位を取得。
乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、… 乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、日本の歴史学者。大阪教育大学名誉教授。専門は日本近世史(都市史)。東京都墨田区出身。 1956年、東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。東京都立高校教諭・大阪教育大学助教授を経て同大学教授。1996年退官。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日… 安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日 - 1999年〈平成11年〉5月14日)は、日本の国文学者・国語教育学者。位階は正五位。 静岡県沼津市出身。1953年東京文理科大学国文科卒。東京都立高校教諭、東京成徳短期大学教授、上越教育大学教授、上越教育大学附属小学校長、上越教育大学附属図書館長、1995年定年退官、名誉教授、十文字学園女子大学教授。1999年、脳内出血のため死去。死没日付をもって正五位に叙された。
大石 益光(おおいし ますみつ、1926年(大正15年)3月… 大石 益光(おおいし ますみつ、1926年(大正15年)3月14日 - 1997年(平成9年)5月24日)は、日本の医師(婦人科医)、実業家。医学博士。静岡新聞社社長。静岡放送会長。 東京府荏原郡目黒町大字下目黒(現東京都目黒区平町)に父・大石光之助、母・マスの長男として生まれる。父・光之助は当時主婦之友社に勤めていた。 1938年、静岡師範学校附属小学校(現静岡大学教育学部附属静岡小学校)を卒業。1944年、東京都立高等学校尋常科を卒業。1947年、東京都立高等学校理科を卒業。1953年、千葉医科大学を卒業。1954年、東京大学医学部産婦人科教室に入局する。1960年、学位取得。 1961年、静岡放送社長に就任。
加藤 道理(かとう みちただ、1925年 - 2014年11… 加藤 道理(かとう みちただ、1925年 - 2014年11月21日)は、漢文学者、桜美林大学名誉教授。 東京生まれ。1950年東京大学文学部中国哲学科卒業。東京都立高校の国語科教諭、都立高校校長を三校歴任、全国高等学校長協会会長。東京都立小石川高等学校校長を1987年定年後、桜美林大学中国語中国文学科助教授、教授。96年名誉教授。(財)湯島聖堂斯文会・漢字文化振興会常務理事。
小沢 俊郎(おざわ としろう、1921年 - 1982年3月… 小沢 俊郎(おざわ としろう、1921年 - 1982年3月14日)は、日本の日本近代文学研究者。 埼玉県生まれ。東京帝国大学文学部国文科を卒業後、東京都立高校の教諭をへて、1972年京都教育大学助教授に転じ、1976年教授に昇任。 宮沢賢治の研究において多くの著作を残し、『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973 - 1977年)の編纂委員も務めている。研究内容は多岐にわたるが、賢治が盛岡高等農林学校時代の親友だった保阪嘉内に宛てた70通を超える書簡を、1968年に(嘉内の子息との共著として)公表したことは、伝記研究上特筆される業績である。
鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 198… 鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 1982年9月2日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授、元東京女子体育大学学長。元日本心理学会会長。静岡県出身。 1936年、東京文理科大学心理学科卒業。1961年、「自我意識の発達に関する研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。横浜国立大学教授を経て、東京教育大学教授。1970年、定年退官、名誉教授。東京女子体育大学教授・学長(在任期間: 1970年 - 1980年)。1974年、東京都立高等学校入学者選抜研究協議会会長に就任し、学校群制度廃止・新学区制導入などを推進したことでも知られる。1977年、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。