スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
牛山 貴広(うしやま たかひろ、1981年5月1日 - )は… 牛山 貴広(うしやま たかひろ、1981年5月1日 - )は、日本の政治家。長野県諏訪郡原村村長(第40代)。元スピードスケート長距離選手、元競輪選手。長野県諏訪郡原村大久保出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て明治大学卒業。エムウェーブ所属。競輪選手としては、日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)92期生。現役時代は日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場、師匠は武田豊樹。私生活での家族構成は妻と子供4人(長女、次女、長男、三女)。 オリンピック初出場となるトリノ大会では1000mで1分11秒21で28位、1500mで1分50秒59で35位、5000mで6分51秒53で27位、団体追い抜きで8位に終わった。
小松 裕(こまつ ゆたか、1961年12月3日 - )は、日… 小松 裕(こまつ ゆたか、1961年12月3日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。日本アンチドーピング機構評議員。 長野県卓球連盟会長、信州ブレイブウォリアーズ顧問、日本オリンピック委員会(JOC)アンチドーピング委員会委員、自民党厚生労働部会長代理、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会委員、衆議院厚生労働委員会理事などを歴任した。 昭和36年長野県松本市生まれ(現在は長野市上松に在住)。伊那小学校、高島小学校、諏訪中学校、長野県諏訪清陵高等学校、信州大学医学部医学科卒業。医学博士。日本赤十字社医療センター、東京大学医学部附属病院、国立スポーツ科学センターなどで消化器内科医、スポーツドクターを務めた。
矢﨑 公二(やざき こうじ、1959年9月26日 - )は、… 矢﨑 公二(やざき こうじ、1959年9月26日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 長野県茅野市出身。茅野市立北山小学校、茅野市立北部中学校を経て長野県諏訪清陵高等学校に進む。高校では下宿生活を送った。1年浪人ののち、慶應義塾大学商学部に入学。1983年3月、同大学卒業。 その後、契約記者を経て、毎日新聞社入社。仙台支局、サンデー毎日、社会部、福岡報道部を経て、2005年に西部本社福岡本部報道部副部長、東京本社デジタルメディア局プロデューサーに就任。矢崎の就任中に、毎日新聞デジタルメディア局は日本の社会や風俗を低俗な内容で海外に紹介し続けた不祥事(毎日デイリーニューズWaiWai問題)が発生し、2008年に関係者が厳重処分を受けた。
武居 保男(たけい やすお、1958年5月23日 - )は、… 武居 保男(たけい やすお、1958年5月23日 - )は、日本の政治家。長野県上伊那郡辰野町長(3期)。 長野県上伊那郡辰野町下辰野本町3丁目で生まれる。 1971年(昭和46年)4月、辰野町立辰野中学校入学。 1974年(昭和49年)4月、長野県諏訪清陵高等学校入学。 1977年(昭和52年)4月、中央大学法学部法律学科入学。 1986年(昭和61年)秋、「長野県商工会連合会経営指導員統一試験」に合格。 1987年(昭和62年)2月、辰野町商工会(経営指導員)就職。辰野町消防団第8分団入団。 1992年(平成4年)4月、辰野町消防団第8分団長就任。 1998年(平成10年)7月、箕輪町商工会(経営指導員)転勤。
今井 竜五(いまい りゅうご、1952年〈昭和27年〉6月2… 今井 竜五(いまい りゅうご、1952年〈昭和27年〉6月26日 - )は、日本の政治家。元長野県岡谷市長(4期)。祖父は初代岡谷市長の今井梧楼。 長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校、1976年立教大学法学部卒業。岡谷市議会議員を経て、2007年に岡谷市長就任。2023年に4期での引退を表明した。
矢崎 和広(やざき かずひろ、1947年(昭和22年)1月2… 矢崎 和広(やざき かずひろ、1947年(昭和22年)1月25日 - 2019年(平成31年)4月5日)は、日本の政治家。長野県茅野市長。 長野県諏訪郡ちの町(現茅野市)生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。大学卒業後、ソニーに入社。8年勤務した後、家業の諏訪貨物自動車に入社し、その後社長になった。また、茅野青年会議所理事長や茅野駅前再開発推進協議会副会長にもなった。 1991年(平成3年)の茅野市長選挙に立候補し、世代交代を訴えたが、自民党・社会党推薦の現職原田文也に敗れた。 ※当日有権者数:36,230人 最終投票率:89.51%(前回比:-pts) 前回の落選直後から組織作りを行い、大量得票で初当選を果たした。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
山田 譲(やまだ ゆずる、1924年7月16日 - 2011… 山田 譲(やまだ ゆずる、1924年7月16日 - 2011年6月24日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(1期)。86歳没。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1948年東京大学法学部政治学科卒。北海道庁に勤務した後、1951年労働省に入る。年少労働課長、群馬労働基準局長などを歴任し、1976年の群馬県知事選に革新系候補として立候補したが落選した。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙で日本社会党公認で立候補して当選した。党内では政審副会長を務めた。1期務めた1986年に引退。この他、雇用促進事業団総務部長、群馬県労生協理事長、日本大学講師なども務めた。
丸茂 作太郎(まるも さくたろう、1903年〈明治36年〉5… 丸茂 作太郎(まるも さくたろう、1903年〈明治36年〉5月25日 - 1988年〈昭和63年〉)は、昭和期の実業家、政治家。長野県茅野市長。 長野県諏訪郡玉川村(現・茅野市)で、丸茂米作、きち の四男として生まれた。生家は製糸業で、旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制東京高等蚕糸学校(現・東京農工大学)卒業。1927年(昭和2年)丸茂製糸場に入社。1932年(昭和7年)同郡永明村(現・茅野市)に丸茂製糸工場を設立した。 1941年(昭和16年)永明村翼賛壮年団長に就任。1942年(昭和17年)永明村会議員となった。以後、ちの町消防団長、茅野町消防団長、茅野町議会議員などを歴任。
小松 直治(こまつ なおじ、1897年〈明治30年〉8月29… 小松 直治(こまつ なおじ、1897年〈明治30年〉8月29日 - 1985年〈昭和60年〉)は、日本の政治家。長野県諏訪市長。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)で、小松直助、ゑひ の長男として生まれた。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1919年(大正8年)東京高等商業学校専攻科を卒業した。 1928年(昭和3年)上諏訪町会議員(3期)に選出され、1929年(昭和4年)同町名誉職助役(3期)に就任。1939年(昭和14年)長野県会議員(4期)となり、1947年(昭和22年)から昭和24年(1949年)までと、1951年(昭和26年)から同28年(1953年)まで副議長を務めた。 1955年(昭和30年)に諏訪市長選挙に当選し、1963年(昭和38年)4月まで2期務めた。
小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9… 小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9日 ‐ 1959年〈昭和34年〉2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士、政治家。愛知大学第3代学長。 長野県東筑摩郡島立村(現在の松本市)に小岩井宗十の長男として生まれる。父・宗十は松本での分県移庁運動で検挙(のちに無罪)された経験のある社会運動家で、1902年に妻子を残して単身渡米し、カリフォルニアで農園経営者として成功したとも、消息を絶ったとも伝えられる。 1911年、旧制長野県立松本中学校(現在の長野県松本深志高等学校)に入学。1915年、同校を本荘太一郎校長との衝突を理由に中退。その後旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)に入学する[要出典]。
林 将英(はやし まさひで、1897年(明治30年) - 1… 林 将英(はやし まさひで、1897年(明治30年) - 1961年(昭和36年))は、日本の政治家。長野県岡谷市長。 長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業[要出典]。1915年(大正4年)から家業の製糸業に従事。1917年(大正6年)一年志願兵として歩兵第50連隊に入隊し、1930年(昭和5年)陸軍中尉に進んだ。経営困難に陥った山一林組製糸の経営再建に乗り出し軌道に乗せた。このほか、共栄製糸など諏訪地方の複数の中小製糸会社の社長を歴任。 1927年(昭和2年)3月、平野村助役となり1933年(昭和8年)3月まで在任。同年4月、平野村会議員となり1936年(昭和11年)3月まで務めた。
20代 宮坂 伊兵衛(みやさか いへえ、1893年〈明治26… 20代 宮坂 伊兵衛(みやさか いへえ、1893年〈明治26年〉9月 - 1974年〈昭和49年〉)は、日本の実業家、政治家。長野県諏訪市長(初代)。旧名は宮坂登。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に、酒造業「大布屋」第19代宮坂伊兵衛有紹の長男として生まれる。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、早稲田実業学校卒業。家業・宮坂伊兵衛商店、高島銀行で勤務。1921年(大正10年)第20代伊兵衛を襲名し、高島銀行頭取に就任。翌年以降、合併先の第六十三国立銀行、八十二銀行の監査役を務めた。1933年(昭和8年)法人化した宮坂醸造の初代社長となる。その他、諏訪倉庫監査役、昭和倉庫監査役なども務めた。
今井 梧楼(いまい ごろう、1892年(明治25年)2月11… 今井 梧楼(いまい ごろう、1892年(明治25年)2月11日 - 1944年(昭和19年)12月29日)は、大正から昭和時代前期の政治家。長野県岡谷市長。 長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)の今井千尋の長男として生まれる。今井家は中山道塩尻峠口の本陣を務めた名家。1910年(明治43年)3月、諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)卒業。 平野村役場勤務を経て、1923年(大正12年)同村助役に就任。1927年(昭和2年)9月より長野県会議員に3期連続で当選する。参事会員などを経て、1934年(昭和9年)平野村長に就任し、諏訪郡町村長会会長を兼任した。翌年の1935年(昭和10年)、諏訪郡農会長に就任し、ついで1936年(昭和11年)5月5日に市制施行とともに岡谷市長に就任した。
伊藤 富雄(いとう とみお、1891年10月23日 - 19… 伊藤 富雄(いとう とみお、1891年10月23日 - 1968年1月29日)は、日本の政治家、郷土史家。 長野県諏訪郡中洲村(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)に首席で入学するが、1番でなければ退学という父親の方針があり、3年1学期の時、母親の出産で田植えに追われて2番に下がったため中退。 農業に従事し、1941年中洲村産業組合(現・JA信州諏訪)組合長となる。1945年には中洲村長を兼務した。農業の傍ら、諏訪神社神長官守矢家に残された鎌倉時代から室町時代にかけての古文書解読を志し、中世古文書読解の専門家となった。 日本社会党に入党して農地改革を先導した。
塚原 葦穂(つかはら あしほ、1888年(明治21年) - … 塚原 葦穂(つかはら あしほ、1888年(明治21年) - 1965年(昭和40年)2月21日)は、日本の政治家、教育者。長野県諏訪市長。勲五等瑞宝章。 長野県諏訪郡豊平村(現茅野市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、長野師範学校卒業。諏訪郡高島小学校訓導、同郡宮川小学校長、上高井郡視学、長野県視学を経て、1933年(昭和8年)高島小学校長兼高島裁縫専修学校長となる。また諏訪教育会長として二・四事件の事後処理に奔走した。また郷土史研究に力を入れ、『諏訪史』の編集刊行に尽力し、1937年(昭和12年)第2巻後編の刊行代表者を務めた。また同年から『諏訪史料叢書』の刊行に当たった。
宮坂 作衛(作衞、みやさか さくえ、1887年〈明治20年〉… 宮坂 作衛(作衞、みやさか さくえ、1887年〈明治20年〉7月 - 1933年〈昭和8年〉10月21日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、長野県諏訪郡上諏訪町長。 長野県諏訪郡上諏訪村角間(上諏訪町を経て現諏訪市)の白作呉服店・宮坂作之助の長男として生まれる。1906年(明治39年)諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を卒業。上京して、1911年(明治44年)慶應義塾大学部理財科を卒業した。 帰郷して家業の白作呉服店の経営に加わる。1920年(大正9年)家督を相続。呉服店を成長させ、諏訪電気取締役、長野農工銀行取締役、上諏訪商工会議所会頭などを務めた。 政界では、1921年(大正10年)上諏訪町会議員に選出され、1923年(大正12年)長野県会議員となる。
金井 清(かない きよし、1884年〈明治17年〉12月7日… 金井 清(かない きよし、1884年〈明治17年〉12月7日 - 1966年〈昭和41年〉4月26日)は、日本の官僚、政治家。太平洋戦争前は鉄道官僚を歴任し、戦後に長野県諏訪市長を通算2期務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現在の諏訪市上諏訪)に生まれる。諏訪郡立実科中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1903年に第一高等学校に入学。3年次在学中の1905年、市河三喜に代わって動物学者のアンダーソンと行動をともにし、1906年にも協力する。1905年にアンダーソンに随行した際に、奈良県東吉野村鷲家口で、最後のものとされるニホンオオカミの捕獲個体(ただし猟師によりすでに殺されていた)に立ち会っている。
宮坂 健次郎(みやさか けんじろう、1884年(明治17年)… 宮坂 健次郎(みやさか けんじろう、1884年(明治17年)6月1日 - 1966年(昭和41年)11月6日)は、明治後期から昭和期の実業家、政治家。長野県岡谷市長。幼名・健吉。号・本郷子。 長野県諏訪郡小井川村(平野村を経て現岡谷市)で生まれた。後に健次郎を襲名。諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を2年で中退し、家業の宮坂製糸所を承継。1933年(昭和8年)味噌醸造業に転換し、1948年(昭和23年)宮坂味噌 (有) を設立して社長となる。岡谷商工会会頭、岡谷商工会議所会頭、諏訪信用金庫理事長、新松沢工業社長、岡谷冷蔵製氷会長、岡谷ライオンズクラブ会長などを務めた。 1925年(大正14年)4月から1936年(昭和11年)3月まで平野村会議員に在任し、同年4月、市制施行後は岡谷市会議員に選出され、1947年(昭和22年)4月まで務め、同議長にも在任した。
小平 権一(旧字体: 小平 權一、こだいら ごんいち、188… 小平 権一(旧字体: 小平 權一、こだいら ごんいち、1884年1月6日 - 1976年8月1日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員。農本主義者。 長野県諏訪郡米沢村(現茅野市)に小学校教員の小平邦之助の長男として生まれる。旧制諏訪実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制第一高等学校工科を途中休学。1910年に東京帝国大学農科大学を卒業し、さらに同法科大学政治科に入学。在学中の1913年に高等文官試験に合格し、翌年に卒業した。 農商務省に入り、農政課に配属。農政課小作分室長として石黒忠篤農政課長とともに小作立法に取り組む。1922年に産業組合の主管課である農務課長に就任、産業組合中央金庫の設立に中心的役割を果たした。
山田 禎三郎(やまだ ていざぶろう、1871年4月22日(明… 山田 禎三郎(やまだ ていざぶろう、1871年4月22日(明治4年3月3日) - 1930年(昭和5年)10月6日)は、日本の教育者、実業家、衆議院議員。 信濃国諏訪郡東堀村(現長野県岡谷市)に生まれる。1894年東京高等師範学校を卒業後、郡立諏訪実科中学(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)に勤め、千葉県師範学校に赴任。その後、 同郷の渡辺千秋京都府知事の縁故で京都府視学に登用されたが辞任し、1899年茨城県師範学校の校長となった。1900年教職を去り、千葉新聞の記者となる。 その後は実業界に転じ、書肆普及会会長、帝国書籍取締役に就任。1902年の教科書疑獄事件では事件発覚のきっかけを作った人物となったが、当人は直前にヨーロッパの教科書事情調査として渡英しており、逮捕は免れたものの留守宅が家宅捜索を受けた。