スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高杉 一郎(たかすぎ いちろう、1908年7月17日 - 2… 高杉 一郎(たかすぎ いちろう、1908年7月17日 - 2008年1月9日)は、日本の評論家・小説家・翻訳家・エスペランティスト。和光大学名誉教授。本名は小川 五郎(おがわ ごろう)で、大学教授としてはこの名前で教えた。 静岡県田方郡中伊豆町(現・伊豆市)生まれ。東京文理科大学教育学科中退。1933年より改造社に勤務、雑誌『文藝』編集主任となり、1942年東京文理科大学英文科卒業。1944年徴兵され、ハルピンで敗戦を迎え、シベリア抑留を体験。1949年復員。帰国後書いた抑留体験記『極光のかげに』『人間』(1950年8月 - 12月)が第24回芥川龍之介賞候補にあがり、ベストセラーとなる。 1950年静岡大学教育学部講師、1957年同文理学部助教授、1965年教授、1967年 - 1972年評議員、1972年定年退官。
久保田 豊(くぼた ゆたか、1905年10月4日 ‐ 196… 久保田 豊(くぼた ゆたか、1905年10月4日 ‐ 1965年10月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。韮山村長(2期)。
丹羽 廉芳(にわ れんぽう、1905年(明治38年)2月23… 丹羽 廉芳(にわ れんぽう、1905年(明治38年)2月23日 - 1993年(平成5年)9月7日)は日本の僧。曹洞宗大本山永平寺第77世貫首。曹洞宗管長。道号法諱「瑞岳廉芳」、慈光圓海禅師。
野口 三四郎(のぐち さんしろう、1901年〈明治34年〉-… 野口 三四郎(のぐち さんしろう、1901年〈明治34年〉- 1937年〈昭和12年〉2月22日)は日本の人形作家。静岡県三島市(旧三島町)大中島地区出身。張り子製を中心とする人形「三四呂人形」(みよろにんぎょう)を製作した早逝の作家として知られる。作品の一部は三島市が指定する有形文化財に指定されている。 1901年(明治34年)に当時の静岡県田方郡三島町大中島の質屋の家に生まれる。名前の由来は生年の「明治三十四年」による。静岡県立韮山中学校(現・静岡県立韮山高等学校)に入学後、美術部に入り絵画の技術を身につける。 卒業後は写真技術を身につけ、1928年(昭和3年)頃に東京の三越百貨店に写真技師として就職。
小出 正吾(こいで しょうご、1897年1月5日 - 199… 小出 正吾(こいで しょうご、1897年1月5日 - 1990年10月8日)は、日本の児童文学作家。 1897年、静岡県三島出身。祖父の小出市兵衛は元質屋で、J・H・バラによって洗礼を受けた。中学時代に受洗しキリスト教信者となる。1918年早稲田大学商学部を卒業すると、南洋商会に勤め南洋へおもむくが、1922年退職して帰郷、三島教会の独立に尽くした。1928年、再び上京し明治学院で教え、明治学院教授(1935年、社会事業科)。 戦後、三島市教育委員長を務める。キリスト教ヒューマニズムの立場で創作を行う。1957年、三島市長選挙に革新統一候補として出馬し落選。1966年から1972年日本児童文学者協会会長[疑問点 – ノート]。
澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年〈明治27年〉8月2… 澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年〈明治27年〉8月22日- 1988年〈昭和63年〉5月1日)は、日本の彫刻家。静岡県熱海市生まれ。本名は寅吉。日本彫塑会名誉会長。 1894年(明治27年)に澤田小兵衛と妻とくの三男として静岡県熱海町(現在の熱海市)に生まれる。幼年期に実家は「亀屋」という屋号で廻船業を営み、少年期には製材業を営んでいた。 1913年(大正2年)、旧制静岡県立韮山中学校(現在の静岡県立韮山高等学校)を中退後、澤田の遠縁で高村光雲の高弟でもある山本瑞雲を頼って上京し内弟子となる。1918年(大正7年)東京美術学校彫刻科別科卒業。その後仏像彫刻を行う。 1931年(昭和6年)帝展審査員となる。
柏木 俊一(かしわぎ しゅんいち、1894年(明治27年) … 柏木 俊一(かしわぎ しゅんいち、1894年(明治27年) - 1971年(昭和46年))は、日本の画家。 現在の静岡県伊豆の国市(韮山町)出身。父の柏木敏三郎は近藤喜則の子で、柏木忠俊の女婿となり、私立伊豆学校監事(事務長)であった。 従兄の近藤浩一路の影響で美術を志向し、県立韮山中学校に入学する。澤田政廣は在学中の写生仲間であった。 中学卒業後、上京し本郷洋画研究所に入所、藤島武二の指導を受ける。後に梅原龍三郎に師事。龍三郎の数多くの伊豆来訪や、疎開先(大仁町)の紹介などもこの交流からである。 岸田劉生らと交流しながら草土社に出展。春陽会、国画会で活躍した。劉生が遺した彫像作品は2点のみであるが、そのうちの一つが『男の首(柏木氏の首)』である。
小松 勇次(こまつ ゆうじ、1893年〈明治26年〉12月2… 小松 勇次(こまつ ゆうじ、1893年〈明治26年〉12月20日 - 1962年〈昭和37年〉7月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。熱海市長。 静岡県で小松鹿太郎の長男として生まれる。旧制韮山中(現・静岡県立韮山高等学校)卒。農業・漁業を営み、多賀村議、同村長、熱海市議、静岡県議を経て、1947年の第23回衆議院議員総選挙において静岡2区から民主党公認で立候補して初当選。2期務め、1952年の第25回衆議院議員総選挙で改進党から立候補したが落選した。 その後、1956年に熱海市長となり、1960年にも再選された。観光都市熱海の発展に尽力した。再選から2年後の1962年、在職中に死去した。
佐野 隆一(さの りゅういち、1889年8月1日 - 197… 佐野 隆一(さの りゅういち、1889年8月1日 - 1977年5月29日)は、日本の実業家・慈善家。自身が設立した鉄興社(現・東北東ソー化学)を日本有数の総合電気化学メーカーに成長させ、社長・会長を務めた。また、自身が蒐集した古美術品をもとに佐野美術館を設立したほか、出身地の三島市にたびたび寄付を行い、図書館や学校、福祉施設などの開設に貢献した。「三島のお父さん」と呼ばれ、三島市名誉市民(第1号)に推挙されている。静岡県田方郡三島町(現・三島市)出身。 1889年(明治22年)8月1日、静岡県田方郡三島町久保町(現・三島市中央町)の商家に生まれた。父親は佐野米吉、母親はたみであり、実家は秋月堂という和菓子舗を営んでいた。
松崎 寿(まつざき ひさし、明治19年(1886年)2月18… 松崎 寿(まつざき ひさし、明治19年(1886年)2月18日 - 昭和10年(1935年)9月11日)は、日本の経済学者。大阪商科大学(現・大阪公立大学)教授在任中、死去した。 静岡県駿東郡楊原村村上香貫生まれ。静岡県立韮山中学校(現・静岡県立韮山高等学校)を経て、1904年東京高等商業学校(現・一橋大学)予科入学。1910年同校専攻科卒業。關一に師事。 同年大阪高等商業学校(現・大阪公立大学)講師。1917年同校教授。1920年叙正七位。1922年叙従六位。1928年叙従五位。1929年大阪商科大学(現・大阪公立大学)教授兼同大学高等商業部教授兼務。1930年同大学評議員併任。 1932年叙正五位、商学博士。
近藤 浩一路(こんどう こういちろ、本名:浩(こう)、明治1… 近藤 浩一路(こんどう こういちろ、本名:浩(こう)、明治17年(1884年)3月20日 - 昭和37年(1962年)4月27日)は、日本の水墨画家・漫画家。明治初期の実業家。教育者である近藤喜則は祖父にあたる。建築家の白井晟一は義弟にあたる。 山梨県南巨摩郡睦合村(現南部町)に生まれる。近藤家は江戸時代に南部宿の本陣を務めた家柄で、父は浩一路の幼少時に病没しているが、祖父の喜則は初代県会議長を務めたほか地元で私塾を営んでおり、裕福な家庭に育つ。父の療養のため幼少時には静岡県庵原郡岩渕村で過ごし、富士川小学校を経て1902年(明治35年)に韮山中学(静岡県立韮山高校)を卒業すると上京する。 祖父からは医者になることを期待され英語学校や予備校へも通うが、文芸誌への投稿や俳句など文芸活動に熱中し、1904年(明治37年)には画家を志して洋画家の和田英作の白馬会研究所に所属し、同年9月には東京美術学校西洋画科へ入学する。
田中 萃一郎(たなか すいいちろう、1873年〈明治6年〉3… 田中 萃一郎(たなか すいいちろう、1873年〈明治6年〉3月7日 - 1923年〈大正12年〉8月13日)は、大正期の歴史学者、東洋史学者、法学博士。日本における東洋学の草分けで、専門は近世中国研究。 静岡県田方郡大竹村(現函南町)で、後に衆議院議員を務めた田中鳥雄の長男として生まれる。 明治25年(1892年)、慶應義塾大学部文学科を卒業。在学中はドイツ人のお雇い外国人・ルートヴィヒ・リースに師事。卒業後、静岡県伊豆学校(現在の静岡県立韮山高等学校)校長となり、その間に『東方近世史』を執筆。明治38年(1905年)からイギリス、ドイツ、フランスに留学し、ライプツィヒ大学で高名なカール・ゴットハルト・ランプレヒト(英語: Karl_Lamprecht)博士に師事し、研究を開始。
奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉-… 奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉- 1947年11月20日)は、日本の英文学者、英語教育者、翻訳家。山口高等商業学校(現・山口大学)教授、立教学校(現・立教大学)英語教授。多くの編著があり、英語教科書や青年英文学叢書など広く読まれた。 1872年5月(明治5年4月)、静岡県伊豆生まれ。兄は静岡県人・奈倉新一郎。 伊豆学校で学んだ後、東京へ出て、東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)で修学する。英国人アーサー・ロイド(立教学院総理)、米国人ジエーキンボル両氏に就いて英語及び英文学を修める。 1890年(明治23年)、郷里に戻って伊豆学校の英語教師となる。その後、再び東京へ出て、1891年(明治24年)、私立錦城学校英語専攻科を卒業。
加藤 定吉(かとう さだきち、1871年2月1日(明治3年1… 加藤 定吉(かとう さだきち、1871年2月1日(明治3年12月12日) - 1934年(昭和9年)4月14日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 のちの静岡県城東郡土方村(小笠郡土方村、城東村、大東町を経て現掛川市)に生まれる。土方嶺小学校、韮山の伊豆学校を経て、1891年(明治24年)慶應義塾大学部を卒業する。ドイツ人の経営するイリス商会、横浜貿易商会、兜町金万商会と転じた。日清戦争後の1895年(明治28年)に台湾に渡り、さらに義和団の乱が勃発すると中国に渡り、天津や北京で請負雑貨商を営み巨万の富を築いた。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から出馬し当選。
足立 文太郎(あだち ぶんたろう、慶応元年6月15日(186… 足立 文太郎(あだち ぶんたろう、慶応元年6月15日(1865年8月6日) - 1945年(昭和20年)4月1日)は、日本の解剖学者、人類学者、京都帝国大学医学部教授。専門は軟部人類学。日本人と欧米人の解剖学的差異を解明した。 静岡県田方郡市山村(現:伊豆市)出身。父親が失踪したため、母方の伯父の元で育つ。1894年東京帝国大学医科大学卒業後、1899年からドイツのストラスブール大学に留学、帰国後第三高等学校教授を経て京都帝国大学医学部教授となり、解剖学を担当。筋の異常の統計学的研究のほか、諸民族の体臭と耳垢についての遺伝学的・組織学的研究などが知られ、「身体的特徴において人種的優劣はない」と唱えた。
岡野 喜太郎(おかの きたろう、1864年5月9日(元治元年… 岡野 喜太郎(おかの きたろう、1864年5月9日(元治元年4月4日) - 1965年(昭和40年)6月6日)は、日本の銀行家。 駿河国駿東郡青野村(現・静岡県沼津市青野)出身。静岡県多額納税者。スルガ銀行創設者。沼津市名誉市民。静岡県屈指の実業家であった。 駿河国駿東郡青野村(現・静岡県沼津市青野)に名主の長男として生まれた。岡野弥平太の長男。1879年(明治12年)に集成舎(後の静岡県立沼津中学校、現在の静岡県立沼津東高等学校)に入学。1885年(明治18年)には静岡県立豆陽中学校(現・静岡県立下田高等学校)に入学したが、故郷は1884年(明治17年)9月の暴風による飢饉にあえいでおり、結局師範科を中退して故郷で農業に専念した。
小川 誠(おがわ まこと)は、日本の厚生労働官僚。経済産業省… 小川 誠(おがわ まこと)は、日本の厚生労働官僚。経済産業省大臣官房審議官や、中央労働委員会事務局長、厚生労働省職業安定局長を経て、日本生命保険顧問、トシン・グループ顧問、山九取締役。 静岡県出身。1979年静岡県立韮山高等学校卒業。1983年一橋大学経済学部卒業、労働省入省。1990年コロンビア大学経営大学院卒業。 1991年通商産業省産業政策局産業構造課国際班長。1993年大分県商工労働観光部職業安定課長。1995年労働省労政局労働組合課長補佐。1997年労働大臣官房国際労働課長補佐。1998年世界銀行社会保護局派遣。2001年厚生労働省政策企画官。同年厚生労働省政策統括官付社会保障担当参事官室併任。
穂積 隆信 は、日本の俳優、声優。最終所属はマウスプロモーシ… 穂積 隆信 は、日本の俳優、声優。最終所属はマウスプロモーション。静岡県伊豆の国市 出身。静岡県立韮山高等学校卒業。