スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
折橋 洋介(おりはし ようすけ、1981年(昭和56年)7月… 折橋 洋介(おりはし ようすけ、1981年(昭和56年)7月 - )は、日本の行政法学者。広島大学大学院人間社会科学研究科教授。 岡山大学在学中から、佐々淳行の著書を読んで警察の諸活動に憧れ、大学内の複写機を利用して様々な文献を複写・ファイリングし、「これまで法医学において、また広く法学領域においても、ほとんど研究されてこなかった行政による死因調査について、法理論的分析を加えたという点で独創性があり、且つ本研究は死因調査の目的についての議論の成熟化に資するための理論的基礎を築かんとするものであり、法医学及び隣接する法学領域における学問的価値のみならず、昨今の死因調査法制の体系的見直しの論議にも有用であり、学位の授与に値すると考えられる。
福本 知行(ふくもと ともゆき、1975年8月2日 - )は… 福本 知行(ふくもと ともゆき、1975年8月2日 - )は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・民事執行法・民事保全法・破産法。金沢大学法学部教授。
真藤 英喜(しんどう ひでき、1966年8月6日 - )は、… 真藤 英喜(しんどう ひでき、1966年8月6日 - )は、日本の教育学者、随筆家。専攻は、教育学・日本人論。大和大学教授、総務企画本部長。 1966年、京都府に生まれる。1985年、滋賀県立膳所高等学校卒。1989年、大阪教育大学教育学部卒。西大和学園中学校・高等学校国語科教諭、白鳳女子短期大学准教授を経て、大和大学の設置準備に携わり、現在、大和大学教授、総務企画本部長。滋賀県草津市在住。 膳所高校時代はラグビー班で活躍。教育者として教壇に立つ傍ら、1999年9月~2009年1月の間、奈良新聞に随筆連載。2010年2月、随筆「日本人再発見」を出版。題字は、親交のある俳優・画家片岡鶴太郎が揮毫。
土井 真一(どい まさかず、1966年7月16日 - )は、… 土井 真一(どい まさかず、1966年7月16日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。京都大学教授。
井上 徹(いのうえ とおる、1965年6月 - )は、日本の… 井上 徹(いのうえ とおる、1965年6月 - )は、日本の地球科学者。専門は鉱物学。博士(理学)。水が高温高圧下でマントル鉱物の様々な挙動に与える影響について実験的な研究を推進している。。
上野 直人(うえの なおと、1964年 )は、米国の腫瘍内科… 上野 直人(うえの なおと、1964年 )は、米国の腫瘍内科専門医、腫瘍分子細胞学者(M.D., Ph.D., F.A.C.P.)。テキサス大学MDアンダーソンがんセンター・乳腺腫瘍内科部門教授(Professor of Medicine)、一般社団法人オンコロジー教育推進プロジェクト常務理事。医師免許は、米国テキサス州と日本。1993年に米国一般内科専門医、1996年に腫瘍内科専門医の資格を取得。乳がん、骨髄移植、腫瘍分子細胞学、遺伝子治療を専門としている。本人自身もがん患者と公表している。 現在、がんの治療効果を最大にするための患者中心のチーム医療の普及に力をいれ、ジャパン・チームオンコロジー・プログラム (J-TOP)とAcademy of Cancer Expert (ACE) の 設立者および指導者としても活躍。
遠藤 誠治(えんどう せいじ、1962年 - )は、日本の政… 遠藤 誠治(えんどう せいじ、1962年 - )は、日本の政治学者。専門は国際政治学。成蹊大学法学部教授。 滋賀県大津市生まれ。滋賀県立膳所高等学校卒業、東京大学法学部および法学政治学研究科修士課程修了後、同大学法学部助手を経て、成蹊大学法学部教授。日本平和学会会長。 ・「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人の一人 ・「日本に台湾を守る力や義務がないことははっきりさせるべきだ」としている。
澤村 信英 (さわむら のぶひで、1960年 - )は、日本… 澤村 信英 (さわむら のぶひで、1960年 - )は、日本の教育社会学者。大阪大学大学院人間科学研究科教授。 兵庫県神戸市生まれ。1978年滋賀県立膳所高等学校卒業。1982年愛媛大学理学部地球科学科卒業、青年海外協力隊員。1986年に愛媛大学大学院理学研究科修士課程を修了し、国際協力事業団に入る。1995年エディンバラ大学大学院アフリカ研究センター修士課程修了。1997年広島大学教育開発国際協力研究センター助教授。2004年広島大学教育開発国際協力研究センター准教授。2006年博士(人間科学)(大阪大学)。2009年大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門はアフリカ教育開発論。
磯﨑 行雄(いそざき ゆきお、1955年 - )は、日本の地… 磯﨑 行雄(いそざき ゆきお、1955年 - )は、日本の地質学者。東京大学名誉教授。日本地質学会会長。 滋賀出身。1974年滋賀県立膳所高等学校卒業。1978年大阪市立大学理学部卒業。1980年大阪市立大学大学院理学研究科前期博士課程修了。1981年大阪市立大学大学院理学研究科後期博士課程中退、山口大学理学部助手。1987年大阪市立大学理学博士。1992年山口大学理学部助教授。1993年東京工業大学理学部助教授。1995年ハーバード大学客員研究員。1997年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻准教授。2000年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻教授。2019年日本地球惑星科学連合フェロー。
桑原 知子(くわばら ともこ、1955年 - )は、日本の臨… 桑原 知子(くわばら ともこ、1955年 - )は、日本の臨床心理学者。学位は、教育学博士。放送大学特任教授。京都大学名誉教授。 滋賀県生まれ。滋賀県立膳所高等学校、京都大学教育学部卒、1987年同大学院教育学研究科博士課程修了。「人格の"二面性"について」で教育学博士の学位を授与される。 専門は、心理療法・カウンセリング・遊戯療法等、多岐に渡る。その中でも、学校現場におけるカウンセリング、家庭裁判所調査官との共同研究などの研究、実践を精力的に行っている。 また、これらの領域における実践・教育・研究・スーパービジョンを行い、社会との接点を模索している。
小島 健司(こじま けんじ、1948年 - )は、日本の経営… 小島 健司(こじま けんじ、1948年 - )は、日本の経営学者。神戸大学経済経営研究所特命教授。 主な研究領域は企業ガバナンス。現在の研究課題は企業統治に関する理論的・実証的研究。 滋賀県出身。1966年(昭和41年)3月 - 滋賀県立膳所高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月 - 神戸大学経営学部卒業。 1975年(昭和50年)6月 - ノースウェスタン大学経営大学院修士課程修了(M.M.取得)。1979年(昭和54年)3月 - 神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程単位修得退学。1970年(昭和45年)4月 - 松下電器産業株式会社。 1977年(昭和52年)4月 - 南山大学経営学部助手。
三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は… 三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は、日本の医化学者、神経生理学者。 主な業績はシナプス分子と記憶・学習に関する研究で、グルタミン酸受容体の仕組みの発見など、脳の記憶や学習機能の解明に貢献した。 滋賀県守山市出身。工学博士(京都大学、1977年)。 滋賀県立膳所高等学校卒業。1971年、京都大学工学部工業化学科卒業。1976年、京都大学大学院工学研究科博士課程単位修得退学。 1978年、ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学生化学研究所 研究員。1980年、スイス・チューリッヒ大学分子生物学研究所 研究員。 1981年、京都大学医学部 助教授。1990年、新潟大学脳研究所 教授。
長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日… 長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日 - 2021年〈令和3年〉5月23日)は、日本の情報工学者。位階は正三位。 京都大学工学部電子工学科卒業。京都大学総長、京都大学名誉教授、国際高等研究所所長、独立行政法人情報通信研究機構理事長、国立国会図書館長を歴任。 専門は、自然言語処理・画像処理・パターン認識。パターン認識の分野では、手書き文字の認識方式を提案した。この手法は、初期の郵便番号読み取り装置へ応用された。以降、電子図書館システムの研究を主に手がけている。自動翻訳やAIにつながる技術の原理を開発した。 自伝に「情報を読む力、学問する心」(ミネルヴァ書房、2010年)がある。
伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年… 伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年(昭和6年)3月14日 - )は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主・総本山知恩院第88世門跡)。佛教大学名誉教授。 1931年、滋賀県甲賀郡(現:湖南市)石部町に生まれた。1948年に旧制滋賀県立膳所中学校卒業し、佛教大学に入学。1953年に卒業し、同志社大学大学院文学研究科に進学。民俗学、文化史学を専攻した。1955年に修士課程を修了し、文学修士号を取得。同研究科博士課程に進み、1955年に単位取得後満期退学。 1961年、佛教大学講師に就いた。1966年に文学部史学科助教授、1974年に同教授に昇格。1981年、学位請求論文『日本聖仏教史の研究:浄土教への関与を中心として』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。
川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日… 川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日 - 2019年(令和元年)7月12日)は、日本の法学者。専門は商法・アメリカ海事法。京都大学名誉教授。大隅健一郎門下。 京都大学百年史編集委員会『【部局史編 1】第4章: 大学院法学研究科・法学部』京都大学後援会、1997年。https://hdl.handle.net/2433/152980。
中田 淳一(なかた じゅんいち、1908年(明治41年)1月… 中田 淳一(なかた じゅんいち、1908年(明治41年)1月25日 - 1970年(昭和45年)2月10日)は、日本の法学者。専門は民事手続法。学位は法学博士(京都大学・論文博士・1954年)。元日本民事訴訟法学会理事長。山田正三門下。弟子に鈴木正裕、谷口安平、中務俊昌、井上正三など。
北村 四郎(きたむら しろう、1906年9月22日 - 20… 北村 四郎(きたむら しろう、1906年9月22日 - 2002年3月21日)は、日本の植物学者。キク科植物研究の第一人者とされる。京都大学名誉教授。 昭和天皇の植物学研究の相談役としても活躍し、北村の葬儀の際には、天皇明仁・皇后から白いキクの花が下賜された。 1906年に生まれる。高等学校時代にはフランス文化に関心を深めた。京都帝国大学理学部の植物学教室に進学し、小泉源一助教授に師事した。卒業論文の題目は「アザミ属の研究」であった。次いでキク科植物の分類について研究した。1945年(昭和20年)に京都大学教授に就任してからも、キク科植物分類の整理を続け、第二次世界大戦による中断を挟みながらも20年がかりでまとめた。
田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 197… 田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 1979年5月24日)は、日本の美術史家である。特に仏教美術に関して、多くの著作をのこしている。別名義としてたなか しげひさがある。 1905年(明治38年)7月17日、滋賀県甲賀郡水口町葛籠町に、父・豊吉郎、母・ゆりの五男として生まれる。豊吉郎は「小さい地方銀行家」であり、1928年(昭和3年)より栗太銀行の取締役をつとめた。京都市立中立小学校を経て滋賀県立膳所中学校に入学する。同校で日本史の教鞭をとっていた佐々木恒清に薫陶を受けるかたちで、14歳にして仏教美術を志すようになる。 大村西崖の東洋史の講義を受けるべく、1925年(大正14年)に東京美術学校に進学するも、彼の易簀を受けて翌年3月に中退、早稲田大学に転学する。
小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年〈明治31年〉10月… 小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年〈明治31年〉10月28日 - 1990年〈平成2年〉2月18日)は、日本の地理学者。京都帝国大学教授、滋賀大学学長等を歴任。滋賀県出身者として最初の文学博士。
塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1… 塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1980年1月30日)は、浄土宗僧侶・仏教史学者。中国仏教研究の世界的権威。京都大学名誉教授。元日本学士院会員。 1898年、愛知県海部郡七宝村(現・あま市)で生まれた。15歳の時に仏門に入った。佛教専門学校(現・佛教大学)で学び、1918年に卒業。その後は東京に出て宗教大学(現・大正大学)研究科に進み、1920年に卒業。博士課程は京都帝国大学文学部哲学科インド哲学専科で修め、仏教学を望月信亨、矢吹慶輝、椎尾弁匡に師事。1923年に修了し、その後は京都帝国大学文学部史学科東洋史専科で学んだ。東洋史学は桑原隲蔵、羽田亨に師事し、仏教学を望月信亨、矢吹慶輝、椎尾弁匡の下で学び、仏教学・史学を併修した独自の学風であった。
馬杉 復三(ますぎ またぞう、1896年(明治29年)5月1… 馬杉 復三(ますぎ またぞう、1896年(明治29年)5月18日 - 1947年(昭和17年)9月5日)は、日本の病理学者である。旧姓は望月。 滋賀県大津市に生まれ、滋賀県立膳所中学校、第三高等学校を卒業後、東京帝国大学医学部(現在の東京大学大学院医学系研究科・医学部)医学科に入学する。同大学の教授だった緒方知三郎から病原学を学び、1921年(大正10年)に卒業した。1925年(大正15年)に研究のためにヨーロッパに留学し、帰国後の1927年(昭和2年)に千葉医科大学(現在の千葉大学医学部)にて教鞭を執った。 その後は教授としての活動の傍ら腎臓炎を発症させるために、実験動物に抗腎血清を投与させその原因としてアレルギー反応と証明される研究を行う。
速水 和彦(はやみ かずひこ、1889年(明治22年)12月… 速水 和彦(はやみ かずひこ、1889年(明治22年)12月19日 - 1949年(昭和24年)8月12日)は日本の機械工学者。日本統治時代の台湾で総督府の技師として、台北市七星郡松山庄(中国語版)(現:信義区)に新設された新台北鉄道工場(現:台北機廠)の設計を手がけた。台湾では「北廠之父」(台北機廠の父)と呼ばれている。位階は従三位。 北海道庁釧路郡(現:北海道釧路市)で出生。8歳時に台湾総督府民政部通信課の通信技師として赴任する父の経憲と共に台北に移住。 台湾総督府国語学校(現:国立台北教育大学)の付属初等部(現:台北市立士林国民小学(中国語版))を卒業、付属中等部(台北一中を経て現:台北市立建国高級中学)に在籍中、日本に戻り滋賀県立膳所中学校(現:滋賀県立膳所高等学校)へ転校し、旧制第三高等学校(京都大学の前身)へ進学。
藪田 貞治郎(やぶた ていじろう、1888年(明治21年)1… 藪田 貞治郎(やぶた ていじろう、1888年(明治21年)12月16日 - 1977年(昭和52年)7月20日)は、日本の農芸化学者。東京帝国大学農学部教授、理化学研究所会長等を歴任する。1926年に黒沢英一が発見した植物ホルモン「ジベレリン」の構造化、単離結晶化の成功者。命名者。滋賀県出身者として最初の農学博士(博士登録番号42番)。 1888年(明治21年)12月16日、大津市に生まれる。1905年(明治38年)、滋賀県立第二中学校(現在の膳所高等学校)を卒業した。 第三高等学校を経て東京帝国大学農科大学農芸化学科に入学する。1911年(明治44年)7月同大学を卒業し、直ちに大学院に入る。農芸化学の研究に従事し、コウジ酸の化学構造を決定し1917年(大正6年)7月コウジ酸発見に係わる論文「麹菌ニヨリ生産セラルル一新有機酸(麹酸)ニ就イテ」提出により農学博士学位を授与され、直後に東京帝国大学講師となる。
前田 鼎(まえだ かなえ、1886年(明治19年)4月16日… 前田 鼎(まえだ かなえ、1886年(明治19年)4月16日 - 1961年(昭和36年)7月2日)は、医学者、京都帝国大学医学部長・名誉教授。第三高等学校長も務めた。 前田鼎は、1886年(明治19年)4月16日に滋賀県高島郡大溝村(現滋賀県高島市)の前田文良の三男として生まれた。前田家は代々大溝藩殿医を務めた。滋賀県立第2中学校(滋賀県立膳所高等学校)から1907年(明治40年)第三高等学校第三部を、また1911年(明治44年)京都帝国大学医科大学を卒業した。 卒業後荒木寅三郎教授に師事し医化学教室へ入室、同年12月には助手に任ぜられ、1915年(大正4年)6月荒木教授の京都帝国大学総長就任に伴い助教授に昇任した。
川嶋 四郎(かわしま しろう)は、日本の法学者。専門は、民事… 川嶋 四郎(かわしま しろう)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・民事救済法。学位は、博士(法学)(九州大学・論文博士・2007年)。九州大学法学部教授等を経て、同志社大学法学部教授。日本民事訴訟法学会理事。第25・26期日本学術会議会員。 滋賀県甲賀市生まれ。膳所高等学校を経て、1982年早稲田大学法学部卒業。1984年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。1987年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学、2007年九州大学より博士(法学)の学位を取得。 1987年一橋大学法学部助手。1988年4月小樽商科大学商学部専任講師、1988年10月同助教授を経て、1991年熊本大学法学部助教授。
松井 謙二(まつい けんじ)は、日本の情報工学者・デザイン思… 松井 謙二(まつい けんじ)は、日本の情報工学者・デザイン思考工学者。大阪工業大学ロボティクス&デザイン工学部システムデザイン工学科教授。博士(工学)(大阪市立大学)。国立台北科技大学The Honorary International Chair Professor。都心型オープンイノベーション拠点Xport(クロスポート)副会長。International Conference on Distributed Computing and Artificial Intelligence(DCAI 2021)アドバイザリーボード。 主な専門は、デザイン思考工学、IoT、ディープラーニング、マルチモーダル・知能情報学など。