スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
清水 麻椰(しみず まや、1995年12月20日 - )は、… 清水 麻椰(しみず まや、1995年12月20日 - )は、毎日放送(MBS)のアナウンサー。 兵庫県神戸市出身。麻椰(まや)という名前は神戸市内にそびえる摩耶山(まやさん)に由来していて、両親が「神戸らしい地名を名前に入れたい」という理由で付けたという。その一方で、この年のJRA年度代表馬であったマヤノトップガンに由来していることも明かしている。 兵庫県立夢野台高等学校から同志社女子大学表象文化学部へ進学した。大学卒業後の2019年4月1日付で、アナウンサーとして毎日放送に入社した。 毎日放送への入社後は、同期の野嶋紗己子とのコンビ(または週替わり)でテレビ・ラジオ番組に登場する機会が多く、2019年9月から2021年3月まで出演していた『ちちんぷいぷい』(テレビの情報番組)では「しみのじ(清水と野嶋)の"しみ"(清水の方)」とも呼ばれている。
北神 朋美(きたがみ ともみ、1985年6月24日 - )は… 北神 朋美(きたがみ ともみ、1985年6月24日 - )は、日本の元グラビアアイドル、元女優。兵庫県出身。 『魔法戦隊マジレンジャー』のメア役で知られる。当初はヒロイン役のオーディションに参加したが、悪役での起用を打診されこれを受けた。自身の性格について小心者と評しており、一度でいいから悪女を演じてみたかったと述べている。
朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )… 朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の陸上競技元選手で、専門種目は短距離走・走幅跳。2008年北京オリンピック・陸上男子4x100mリレーの銀メダリストである。現在は陸上競技指導者・スポーツ解説者等で活動中。 100メートル競走においては、日本人として初めて10秒1台及び10秒0台を記録し、日本記録を3回更新した。 妻は同志社大学時代の同窓生かつアーティスティックスイミング元選手で、1992年バルセロナオリンピックソロ・デュエット各種目の銅メダリスト・奥野史子。長女・長男・次女の3人の子供がいる。 神戸市立小部東小学校、神戸市立小部中学校、兵庫県立夢野台高等学校、同志社大学商学部卒業後、大阪ガス入社。
森合 康行(もりあい やすゆき、1969年3月25日 - )… 森合 康行(もりあい やすゆき、1969年3月25日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。 兵庫県出身。同期は角上清司、中西直輝、小高直子、角田美保(現フリーアナウンサー)、原元美紀(現フリーアナウンサー)。 人事異動で、アナウンス室を離れラジオ編成部に移った。ラジオ番組の公開収録等に顔を出し、参加者に案内することや、編成の立場で解説などで番組出演をすることもある。 プロデューサーやディレクターとして放送関係の賞を受けている。 2017年11月、CBCラジオのオリジナルワイドFMラジオ(4代目)の開発に加わった。2021年7月人事異動でアナウンス部長(専任部長)に就任 。2024年3月まで務めた。
やなぎみわ(やなぎみわ、Miwa Yanagi、1967年 … やなぎみわ(やなぎみわ、Miwa Yanagi、1967年 - )は、兵庫県神戸市生まれの美術作家、舞台演出家。京都市立芸術大学美術研究科修了。ジェンダーや老い、抑圧されたパーソナリティを合成写真の手法を用いて表現。2005年、朝日新聞紙面審議委員。2006年から2011年まで神戸芸術工科大学准教授、2012年より京都芸術大学客員教授。2015年、文化庁文化交流使。 兵庫県神戸市生まれ。京都市在住。現代美術家の中ハシ克シゲに絵を教わり京都市立芸術大学工芸科に入学、染織専攻。同大学卒業、同大学院美術研究科修了。在学中より布を使った造形やインスタレーション(空間芸術)を制作。 1988年、京都で初個展[要出典]。
松下 晃子(まつした あきこ、1963年7月22日 - )は… 松下 晃子(まつした あきこ、1963年7月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校を経て、1982年、日本リーグのユニチカ(当時)に入部。 1986年から4年間、チームの主将を務めた。1989年、全日本に選出され、同年のワールドカップに出場。1990年、第23回日本リーグではチーム準優勝に大きく貢献し、自らも敢闘賞、ベスト6に輝いた。 1990年に現役を引退し、カリフォルニア大学へ留学。1997年から2000年まで、デンソーのトレーナーを務めた。
西川 恵三(にしかわ けいぞう、1961年9月20日 - )… 西川 恵三(にしかわ けいぞう、1961年9月20日 - )は九州朝日放送報道局報道部担当部長、元アナウンサー。 兵庫県神戸市出身、兵庫県立夢野台高等学校(1980年3月)、大阪市立大学(同時に生田教室)を卒業後、1984年KBCに入社。 アナウンサー、ラジオ営業部、アナウンス部長、東京支社を経て、現職。
井上 由美子(いのうえ ゆみこ、1961年 6月24日 - … 井上 由美子(いのうえ ゆみこ、1961年 6月24日 - )は、日本の脚本家。兵庫県神戸市出身。 神戸市立夢野中学校、兵庫県立夢野台高等学校を経て立命館大学文学部中国文学専攻卒業。卒論では阮籍を扱った。テレビ東京に入社するが、希望していたドラマ制作に携われなかったため3年で退職し、シナリオライターを目指してシナリオ作家協会シナリオ講座研修科を修了。1991年に『過ぎし日の殺人』で脚本家としてデビュー。 『ギフト』『GOOD LUCK!!』『エンジン』などをヒットさせ、『白い巨塔』や『14才の母』などの社会問題を題材にした作品も話題となった。 2006年にはNHK制作のドラマ『マチベン』で第25回向田邦子賞を受賞。
中井 雅之(なかい まさゆき、1958年〈昭和33年〉4月8… 中井 雅之(なかい まさゆき、1958年〈昭和33年〉4月8日 - )は、神戸市長田区出身のフリーアナウンサー・タレント。米朝事務所に所属する唯一のアナウンサーでもある。2女あり。 実家はそろばん教室。父は次男。弟2人。兵庫県立夢野台高等学校、関西大学社会学部卒業。高校時代は落語家の露の団六と同じクラス、大学生時代は、1歳年下の采野吉洋(元南日本放送アナウンサー)とともに、「海賊放送研究会」で活動していた。また、『おはよう朝日です』(ABCテレビ)のアルバイトスタッフとして、「突撃!バーゲンダー」(商店街でのロケコーナー)の照明を担当。さらに、サン放送アカデミーでアナウンス技術の研鑽を積んでいた。
雑賀 陽平(さいが ようへい、本名:石井 利信、1950年3… 雑賀 陽平(さいが ようへい、本名:石井 利信、1950年3月8日 - 2005年4月25日)は、兵庫県神戸市出身の漫画家。 1968年、兵庫県立夢野台高等学校卒業。1971年、漫画雑誌「COM」10月号に於いて、『我らの時代-失われない世界-』で第20回新人賞を受賞。その後、1980年創刊の季刊誌「漫金超(まんがゴールデンスーパーデラックス)」ではいしいひさいちや川崎ゆきおなどとともに活躍。作品数は多くはなかったが、ラジカルなナンセンス漫画家として知られた。その後は「週刊朝日」の『デキゴトロジー』を夏目房之介と担当していた他、「夕刊フジ」や「神戸新聞」などに4コマ漫画を連載していた。 その後は本業である画廊「東邦アート」の大阪支店長を務め、漫画家としての活動は休止していたが、2005年4月25日、通勤途中にJR福知山線脱線事故に遭遇し急逝した。
成田 一徹(なりた いってつ、1949年(昭和24年)10月… 成田 一徹(なりた いってつ、1949年(昭和24年)10月9日 - 2012年(平成24年)10月14日)は、日本の切り絵作家、バー評論家。 本名、成田 徹(なりた とおる)。新聞・雑誌・書籍を中心に作品を発表。BARの情景を刻んだモノクロの切り絵は、30数年来のライフワーク。個展、グループ展多数開催。講談社フェイマススクール・インストラクター。Society Of Illustrators (New York) 会員。日本出版美術連盟会員。 兵庫県神戸市出身。大阪経済大学卒業。1988年(昭和63年)、切り絵作家として独立。 公務員として勤務する一方、バーの多彩な魅力を切り絵で表現することをライフワークとした。
大迫 嘉昭(おおさこ よしあき、1939年 - )は、196… 大迫 嘉昭(おおさこ よしあき、1939年 - )は、1968年、自費(スポンサーなし)によるバイクで世界一周をした最初の日本人である。 2. https://web.archive.org/web/20190218023746/http://www.geocities.jp/ryosukejj/069_YamahaNews_J_1969.pdf 3. https://web.archive.org/web/20190218023753/http://www.geocities.jp/ryosukejj/1968.pdf 4. http://www.berndtesch.de/English/Continents/WorldAround/ WorldAroundMotorcycle1951-1970.html 5. http://www.tukutuku.de/
神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7… 神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月27日)は日本の元歌手、元俳優、実業家。本名:前原 正捷(まえはら まさかつ)。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校、神戸商科大学卒業[要出典]。芸名は、デビュー前にレコード店で芸名を募集したうえで、作曲家の上原げんとによって命名された。歌手の藤山一郎のような美声と歌の上手さから、「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった[要出典]。 高校時代から、のど自慢に出場し、1957年(昭和32年)、第8回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビアの専属歌手になる。 同年12月、「十代の恋よさようなら」でデビュー。
西條 遊児(さいじょう ゆうじ、1937年〈昭和12年〉9月… 西條 遊児(さいじょう ゆうじ、1937年〈昭和12年〉9月10日 - 2018年〈平成30年〉2月12日)は、日本の漫才師・タレント。本名:河内 武夫(かわち たけお)。漫談家の西条凡児の息子で、弟の西條笑児とコンビを組んだ。自身の出身地・兵庫県の地元放送局であるラジオ関西、サンテレビに多く出演した。 神戸市兵庫区出身。関西学院大学法学部卒業後、父・凡児の「秘書兼見習い」として芸能界に入り、1966年に弟とコンビ「西條遊児・笑児」を結成し漫才師デビュー。漫才のかたわら、弟ともにテレビ司会者、ラジオパーソナリティとして数々の番組に出演し、兵庫県内のお茶の間に親しまれた。 2018年2月12日、レギュラーコメンテーターを務めていたラジオ関西の生番組『三上公也の情報アサイチ!』のスタジオに姿を見せず、関係者と連絡が取れなくなった。
星空 ひかる(ほしぞら ひかる、1933年6月23日-)は、… 星空 ひかる(ほしぞら ひかる、1933年6月23日-)は、宝塚歌劇団花組主演男役スターの人物である。本名:曲谷和子。兵庫県神戸市出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は162cm。宝塚歌劇団時代の愛称はおよし。宝塚歌劇団38期生。 1951年、宝塚歌劇団入団。星組公演『春の踊り』で初舞台。宝塚入団時の成績は34人中8位。1952年、花組配属。 1965年8月30日をもって宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は花組・東京宝塚劇場公演『笛吹きと豚姫/天使が見ている』である。 2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年記念で創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。 夫は映画監督の曲谷守平。
湊 晶子(みなと あきこ、旧姓:大城、1932年 - )は、… 湊 晶子(みなと あきこ、旧姓:大城、1932年 - )は、日本の神学校教師。広島女学院大学学長。5代続いたクリスチャンであり、キリスト教朝顔教会会員。東京基督教大学名誉教授。元東京女子大学学長。神学修士。キリスト新聞のレギュラー執筆者を務める。 独自のキリスト教女子教育論を唱え、日本キリスト教史の定説を否定。 『父性の復権』の著者林道義と対立した。林道義は湊晶子を「ジェンダー教育の先頭に立つフェミニスト」と評している。
安武 洋子(やすたけ ひろこ、1928年7月26日 - 20… 安武 洋子(やすたけ ひろこ、1928年7月26日 - 2019年8月8日)は、日本の政治家。参議院議員(日本共産党公認、通算2期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。安武ひろ子とも表記。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立第二神戸高等女学校(現・兵庫県立夢野台高等学校)を卒業後、兵庫県総評婦人部長などを経て、1974年の参院選で兵庫県選挙区から出馬し初当選を果たす。当選2回。原水爆禁止日本協議会副理事長として核廃絶運動にも取り組んだ。 2019年8月8日午後7時27分、肺がんのため兵庫県明石市の病院で死去。91歳没。
柴田 悦子(しばた えつこ 1928年2月14日 - )は、… 柴田 悦子(しばた えつこ 1928年2月14日 - )は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。専門は物流経済論。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めている。 東京出身。昭和高等商業学校(現大阪経済大学)卒業、大阪商科大学(現・大阪市立大学)卒業、1977年に「港湾経済」で大阪市立大学より商学博士を取得。大阪市立大学助教授・教授を経て名誉教授。名城大学客員教授や日本港湾経済学会常任理事を務める。
戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日… 戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日 - 1997年〈平成9年〉11月7日)は、日本の紀行文作家、編集者。1983年(昭和58年)に第1回日本旅行作家協会賞を受賞した。 東京府(後の東京都)日本橋浜町生まれ。父の仕事の関係で、5歳の頃から小学4年までを横浜市神奈川区で過ごし、日本国外への憧れを抱いて育った後に、東京への転居を経て兵庫県神戸市に移った。 1934年(昭和9年)に日本女子大学英文科卒業後、女性として初めてジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)に入社した。東京駅案内所の案内係を経て、同社発行の雑誌『旅』編集部に移り、世界各国の数々の旅行情報を読者へ紹介した。