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玉置 公良(たまき きみよし、1954年11月5日 - )は… 玉置 公良(たまき きみよし、1954年11月5日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、和歌山県議会議員(4期)を務めた。 和歌山県西牟婁郡白浜町生まれ。和歌山県立田辺高等学校卒業。高校卒業後、電器店勤務を経て白浜町役場に就職する。1990年、白浜町役場を退職。 同年、第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧和歌山2区(定数3)から出馬したが、得票数4位で落選(当時の和歌山県は保守地盤が強く、旧和歌山2区の3議席は自由民主党が独占した)。1995年、和歌山県議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。以後、県議を4期務める。県議時代は社会民主党や非自民系の無所属議員らで構成される会派「新生わかやま」県議団を結成し、団長に就任(同会派は2007年に「真わかやま」に改称、県政野党第1党に躍進した)。
井澗 誠(いたに まこと、1954年9月24日 - )は、日… 井澗 誠(いたに まこと、1954年9月24日 - )は、日本の政治家。元和歌山県白浜町長(3期)。 和歌山県白浜町生まれ。和歌山県立田辺高等学校、早稲田大学卒業。大学卒業から約20年間、旅行・観光業界に勤め29か国を訪問した。その後、学習塾を経営。 2011年(平成23年)10月以降、ごみ焼却場の使用期間延長に伴う地域振興事業の進め方をめぐり、町長の水本雄三と町幹部らが対立。全課長が降格願を提出したり、水本と熊崎訓自副町長が民や担当課長らを相手に慰謝料を求める訴訟を起こしたりするなど町政に混乱が生じた。 2012年(平成24年)3月23日、水本が辞表を提出。井澗は同年5月13日に行われた町長選挙に立候補し、元町議の溝口耕太郎、元町議の西尾智朗らを破り初当選した。
大江 康弘(おおえ やすひろ、1953年(昭和28年)12月… 大江 康弘(おおえ やすひろ、1953年(昭和28年)12月4日 ‐ )は、日本の政治家。和歌山県白浜町長(1期)。 和歌山県議会議員(6期)、和歌山県議会副議長、参議院議員(2期)、参議院国土交通委員長、改革クラブ総務会長兼国会対策委員長、幸福実現党国会対策委員長、自由民主党和歌山県連会長代行などを歴任した。 和歌山県西牟婁郡白浜町出身。和歌山県立田辺高等学校、芦屋大学教育学部卒業後、玉置和郎の秘書を務める。1979年、和歌山県議会議員初当選、県議会議員を6期務める。1992年、和歌山県議会副議長に就任。 1993年、中西啓介や二階俊博などの地元選出代議士の新党結成の動きに同調して自由民主党を離党し、新生党に参加。
西口 勇(にしぐち いさむ、1926年12月1日 - 201… 西口 勇(にしぐち いさむ、1926年12月1日 - 2014年5月9日)は、日本の政治家。位階は従四位。第4代和歌山県公選知事(1995年11月23日 - 2000年7月13日)として2期を務めた。 1926年12月1日、和歌山県西牟婁郡上芳養村(かみはやむら・現田辺市)で生まれる。旧制和歌山県立田辺商業学校(現:和歌山県立田辺高等学校)を卒業後、役場に勤めつつ青年団活動などに参加して頭角を現し、若くして下芳養村の助役を務めていた。その評判を聞きつけた和歌山県知事の小野真次によって見出され和歌山県庁に入庁し、県知事の仮谷志良の下で副知事を務めた後、1995年の県知事選挙で当時の和歌山市長であった旅田卓宗と壮絶な選挙戦を戦い抜き、初当選を果たした。
辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月… 辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月23日 - 1985年(昭和60年)10月19日)は、日本の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)。日本武道館常任理事。 和歌山県出身。1940年(昭和15年)和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺中学校・高等学校)を卒業。朝鮮窒素肥料に入社し研究部に配属された。1943年(昭和18年)和歌山師範学校本科を卒業。和歌山県内の小中学校の教諭を務め、和歌山県教職員組合書記長、日本教職員組合中央執行委員、日本労働組合総評議会常任幹事などを歴任。 1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で和歌山2区から日本社会党左派公認で立候補して初当選する。
大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26… 大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26日 - 1994年(平成6年)2月3日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(2期、日本社会党)。兄は第14代大阪市長の大島靖。 和歌山県、現在の田辺市出身。第三高等学校を経て、1942年(昭和17年)4月、東京帝国大学法学部に入学。1943年(昭和18年)12月、現役入営。1945年(昭和20年)8月、陸軍主計少尉に任官し予備役に編入され臨時召集。同年12月、召集解除となる。1947年(昭和22年)東京帝大法学部政治学科を卒業。同年4月、高等試験行政科・司法科に合格。 卒業後、1947年5月、大蔵省に入省して大蔵事務官に任官し専売局長官官房に配属された。
早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21… 早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21日 - 1982年 (昭和57年)12月7日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。自治大臣、国家公安委員会委員長、労働大臣、厚生大臣を歴任した。 1916年(大正5年)8月21日、現在の和歌山県田辺市に生まれる。田辺市立田辺第一小学校、旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校文科甲類を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。東大では矢部貞治の門下で、同期生には中曽根康弘(後の首相)、小沢辰男(後の厚相)がいる。高等文官試験に合格し東大卒業後、内務省に入省する。
大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日… 大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。 1915年1月30日、和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業、1939年に内務省へ入省。 1949年から大阪府労働部長を務め、1954年に在ジュネーヴ領事へ転じた。1959年に労働省審議官に就任し、1960年には労働省労働基準局長に着任。1963年5月31日から中馬馨大阪市長のもとで大阪市助役となった。
片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日… 片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の弁護士、政治家。栄典は従二位勲一等。クリスチャン。内閣総理大臣 (46代)。 社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(10期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、民主社会党常任顧問、日本中国文化交流協会会長(初代)を歴任した。 和歌山県西牟婁郡田辺に生まれる。和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校(現・京都大学)を経て、一家で同郷の人物で「軍艦行進曲」の作詞者・鳥山啓宅に寄宿、東京帝国大学法学部独法科卒業。卒業後、YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活動した。
鈴木 康四郎(すずき こうしろう、1886年(明治19年)2… 鈴木 康四郎(すずき こうしろう、1886年(明治19年)2月15日 - 1960年(昭和35年)3月14日)は、日本の官僚、政治家。第8代和歌山市長。 1886年(明治19年)2月15日、岡崎定治郎の次男として和歌山県西牟婁郡宇津木村(のち白浜町宇津木)で生まれ、後に西牟婁郡万呂村大字下万呂(現:田辺市下万呂)の鈴木まさゑと結婚して改姓。和歌山県立田辺中学校卒業後、1911年(明治44年)4月に西牟婁郡書記となり、1918年(大正7年)には和歌山県属に昇進したが、在任中の手腕が認められて内務属となり中央官界で活躍。 1926年(大正15年)10月、京都市の課長に就任し、累進して中京区長となって5年間務めた後、1938年(昭和13年)に和歌山市助役に迎えられた。
西田 郁平(にしだ いくへい、1881年(明治15年)2月1… 西田 郁平(にしだ いくへい、1881年(明治15年)2月18日 – 1956年(昭和31年)8月11日)は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 和歌山県東牟婁郡那智村(現在の那智勝浦町)で、西田業平の息子として生まれる。和歌山県立田辺中学校、第一高等学校を経て、1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した。卒業後、海軍で経理官として勤務し、中主計(主計中尉)に任命されたが、間もなく官を辞した。その後、和歌山市で元代議士の阪本弥一郎とともに弁護士事務所を開いた。 その後、和歌山市会議員に当選し、1929年(昭和3年)から1931年(昭和6年)まで議長を務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。