スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
住田 貴彦(すみだ たかひこ、1991年3月12日 - )は… 住田 貴彦(すみだ たかひこ、1991年3月12日 - )は、鳥取県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)。 中学生時代は鳥取県内のクラブチーム、鳥取セリオFCでプレー。1年上に丸谷拓也がいた。在籍中、日本クラブユースサッカー選手権や高円宮杯全日本ユースサッカー選手権の鳥取県大会および中国大会に出場した。 2006年、先に入学していた丸谷を追う形で、鳥取県立境高等学校に入学してサッカー部に入部。在籍中、3年連続で全国高等学校サッカー選手権大会出場を経験し、2年次に出場した第86回大会では、裏へ抜けるスピードとポストプレーに優れた選手として喧伝され、大会においても観客を沸かせたが、1回戦で室蘭大谷高等学校にPK戦で敗れた。
重成 俊弥(しげなり としや、1990年9月11日 - )は… 重成 俊弥(しげなり としや、1990年9月11日 - )は、日本のサッカー指導者・元プロサッカー選手。鳥取県米子市出身。鳥取県立境高等学校卒業。ポジションはゴールキーパー(GK。 鳥取県米子市にある河崎FCの出身。中学は加茂中学校に進み、高校では鳥取県立境高校に入学し同級生には住田貴彦(鳥取)、1つ上の先輩には丸谷拓也(大分)がいる。そして、全国大会を5度経験し2009年に、J2・FC岐阜に加入するも、出場機会がないまま2011年限りで退団。 2012年より、東洋医療専門学校へ進学。 2015年卒業後セレッソ大阪スポーツクラブスクールコーチに就任。アカデミーGKコーチとスクールコーチを兼任していた。
丸谷 拓也(まるたに たくや、1989年5月30日 - )は… 丸谷 拓也(まるたに たくや、1989年5月30日 - )は、日本のサッカー指導者・元プロサッカー選手。鳥取県西伯郡南部町(旧西伯町)出身。現役時代の登録ポジションはミッドフィールダー。鳥取県立境高等学校卒業。 兄の影響で小学2年生からサッカーを始める。小学校時代に全国大会に出場するなど、幼少の頃から地元鳥取では有名な選手であったが、高校2年まで全国的には無名な存在だった。西伯町立法勝寺中学校では鳥取教員団などで活躍した伊豆賀憲一が監督を務めていた1年時のみ選手登録しており、県中学校総合体育大会でベスト4に進出している。 高校は鳥取県立境高等学校に入学、一つ後輩に住田貴彦・重成俊弥。主にトップ下、ボランチでプレー、中心選手として活躍。
福留 健吾(ふくどめ けんご、1987年5月14日 - )は… 福留 健吾(ふくどめ けんご、1987年5月14日 - )は、鳥取県出身のサッカー選手。ポジションは、GK。 鳥取セリオFC、境高校の後輩に丸谷拓也がいる。プロになりたい気持ちを強く持って高校生活を送っていたがプロからのオファーはなかった。進学した関西大学では、トップチームでは一度もレギュラーを獲れなかった。 卒業後、ゼロからのスタートのできる環境として海外挑戦を選び単身ドイツに渡った。雇ってくれるチームのあてはなかったので、最下層の10部リーグからスタートした。ドイツ挑戦5年目でドイツのアレマニア・アーヘンのトップチームと契約を結んだ。 2015年9月、水戸ホーリーホックに加入したが出場機会に恵まれずシーズン終了とともに契約満了。
釜田 佳吾(かまだ けいご、1984年4月6日 - )は、鳥… 釜田 佳吾(かまだ けいご、1984年4月6日 - )は、鳥取県米子市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 境高校時代はキャプテンとしてチームを牽引し、エースストライカーとして県大会でゴールを量産し4年連続の高校選手権出場に貢献。U-17トレセンメンバー、2002年国体鳥取選抜に選ばれる。 阪南大学ではジェルテックカップ(現・タイカカップ)Iリーグ2005関西大会Aブロックで9得点を叩き出し得点王に輝く。4年次にはトップチームの背番号10を背負いプレーをしている。 セレクションを経て2007年に入団したガイナーレ鳥取では、ルーキーながら開幕からチームの中心選手となり、同年途中加入の鶴見聡貴と並ぶチーム1の得点を叩き出している。
あらき ゆうこ(1974年2月21日 - )は、日本のドラマ… あらき ゆうこ(1974年2月21日 - )は、日本のドラマー。鳥取県出身。 ソロ・プロジェクトmi-guや、様々なバンドのサポートドラマーとして活動している。 幼少期から足踏みオルガンやエレクトーンを習い始め、中学では吹奏楽でトロンボーンとユーフォニウムを学ぶ。中学3年時にドラムセットを購入し、浜田省吾、COBRA、UNICORNのコピーなどを行う。上京後、1997年にsmorgas結成、またスガシカオデビュー時のバックバンドとしての活動も行う。2001年、CORNELIUSのツアー・サポート、ソロ・プロジェクト「mi-gu」での活動をスタートさせ、京都メトロと、青山CAYの2ヵ所でイベントを開催。
足立 亘(あだち わたる、1968年1月8日 - )は、鳥取… 足立 亘(あだち わたる、1968年1月8日 - )は、鳥取県米子市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 境高では2年生時から控え投手として起用され、1984年の夏の甲子園県予選準決勝では米子商業高に完投勝ち。決勝はエース安部伸一(三菱重工三原)が米子工業高を抑え夏の甲子園への出場を決める。1回戦で法政一高と対戦。安部が延長10回2死まで無安打と好投、しかし末野芳樹にサヨナラ本塁打を喫し敗退。この試合は右翼手として出場した。2年秋からエースとなり秋季県大会を制覇。秋季中国大会に進むが、準々決勝(初戦)で関西高に0-1で敗退、翌1985年春の選抜出場を逃した。期待された3年夏は故障に苦しみ、県予選で鳥取商業高に4-7で敗れ、甲子園出場はならなかった。
松田 和久(まつだ かずひさ、1966年7月16日 - )は… 松田 和久(まつだ かずひさ、1966年7月16日 - )は、新潟県佐渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。 父親が航空自衛隊勤務のため、佐渡島で生まれ、北海道と青森県に住んだ後、中学2年生の時に鳥取県境港市に定住。本籍地は広島県呉市である 。彼は地元の野球チームである広島東洋カープの熱烈なファンであり、子供の頃からの夢であったプロ野球選手になることができた。境高では、3年次に夏の甲子園に出場したが、1回戦で法政一高に延長の末、初被安打がサヨナラ本塁打となり敗れた。高校の1学年後輩に足立亘がいる。 高校卒業後、浪人を経て1987年6月から広島東洋カープの練習生となり、翌年から選手登録、4年間のプロ生活で一軍公式戦への出場がないまま1991年限りで現役を引退。
谷口 篤史(たにぐち あつし、1963年12月10日 - )… 谷口 篤史(たにぐち あつし、1963年12月10日 - )は、山陰放送(BSS)アナウンサー。BSSニュース以外では谷口 あつし名義で通している(これは桑本みつよし(充悦)も同様)。
赤井 孝美(あかい たかみ、1961年11月21日 - )は… 赤井 孝美(あかい たかみ、1961年11月21日 - )は、日本のイラストレーター、ゲームクリエイター、プロデューサー。米子ガイナックス株式会社所属(代表取締役)。妻は漫画家のひぐちきみこ。 有限会社ナインライブス代表、株式会社ガイナックス取締役などを歴任した。 イラストレーターとして活動すると同時に、原案、キャラクターデザインなどを手がけるゲームクリエーターとしても活動するなど、多彩な分野で活躍している。赤井自身は自らの職業について「イラストレーター、企画プロデューサー」 と表現している。 DAICON FILMのメンバーらとともに、ガイナックスの起ち上げに参加した。1991年、監督・脚本・キャラクターデザインを務めた『プリンセスメーカー』を発表し、「美少女シミュレーション」というジャンルを確立したと評された。
中村 勝治(なかむら かつじ、1945年(昭和20年)6月2… 中村 勝治(なかむら かつじ、1945年(昭和20年)6月20日 - )は、日本の政治家。元鳥取県境港市長(4期)。 父は境港市議会議長を務めた中村実三。 鳥取県境港市生まれ。同市湊町在住。鳥取県立境高等学校を経て、1968年3月、国士舘大学政経学部卒業。日本電信電話公社に勤務する。1996年4月、境港市企画部次長。1998年1月、境港市市民生活部次長。同年12月、境港市市民生活部長。2002年4月、境港市総務部長。 2004年6月5日、境港市長の黒見哲夫が健康上の理由により辞職届を提出。里見の辞職に伴い7月25日に行われた市長選挙に立候補し初当選した。 2011年10月29日、全国豊かな海づくり大会レセプション出席のため、鳥取市へ向かう際に公用車が交通事故を起こし、腰骨骨折の重傷を負った。
寺本 勇(てらもと いさむ、1945年6月15日 - 198… 寺本 勇(てらもと いさむ、1945年6月15日 - 1983年2月8日)は、日本の元プロ野球選手(外野手)。 島根県八束郡美保関町日向出身。鳥取県立境高等学校を経て、1963年に広島カープに入団。しかし、在籍3年で5試合の出場(打席記録なし)に終わり、1966年に現役引退。
田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8… 田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)・オペラ歌手・音楽教育者。息子はチェリストの田口裕。 鳥取県出身。鳥取県立境高等学校卒業。1963年(昭和38年)国立音楽大学卒業。1965年(昭和40年)同専攻科修了。武岡鶴代、渡邊高之助、疋田生次郎に師事。 オペラ初出演の記録は1969年(昭和44年)藤原歌劇研究所レオンカバッロ『道化師』ペッペ。出演6本目のオペラ1971年(昭和46年)オッフェンバック『ホフマン物語』ホフマンに抜擢される。1972年(昭和47年)にはプッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォを務め、以降は、特にイタリアオペラの第一人者として今日に至っている。
小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11… 小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2012年〈平成24年〉6月28日)は、日本のタレント、コメディアン、俳優、司会者、ミュージシャン。鳥取県境港市出身。自称「鳥取が生んだスーパースター」。本名∶小野 泰。 父親の仕事の関係で日本統治下の朝鮮元山市に生まれる。幼少の頃に日本に引き揚げ、鳥取県境港市で育つ。鳥取県立境高等学校卒業、成城大学文芸学部中退。 「ザ・ドリフターズ」の初期のメンバーで、1960年「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」とグループ名を変更後、正式に参加する。 1964年、桜井輝夫の脱退後にリーダーの座を譲られた碇矢長一のワンマン体制に不満を持って、碇矢と対立した。
太田 枝雄(おおた はつお、1939年7月10日 - )は、… 太田 枝雄(おおた はつお、1939年7月10日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手(投手、内野手、外野手)。 境高校では1957年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、米子東高に敗退。1958年に阪急ブレーブスへ投手として入団。1959年に内野手に転向。1961年に一軍に上がり、一塁手として8試合に先発出場。翌1962年は開幕直後から一軍に定着、自己最多の26試合に先発する。4月22日には大毎オリオンズを相手に四番打者としても起用され、4打数1安打を記録。また同年はウエスタン・リーグで1シーズン2本の満塁本塁打を放った。1963年にはウエスタン・リーグの本塁打王を獲得するが、一軍では打撃の低迷が続き、外野手として2試合の先発にとどまる。
小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - … 小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - )は、日本の栄養学者。専門は食品科学。学位は、医学博士。相模女子大学名誉教授、前学長。2015年瑞宝中綬章受章。 1939年、鳥取県境港市中野町生まれ。鳥取県立境高等学校を経て、1962年、相模女子大学学芸学部食物学科(管理栄養士専攻)卒業。東京農工大学や東京栄養食糧専門学校での勤務を経て、1964年から相模女子大学と相模女子短大で教壇に立つ。1989年、相模女子大学教授。1993年、食生態学の論文で医学博士号取得。2005年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部学長に就任(同大学初の女性学長であり、初の卒業生学長)。2008年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部の学長を退任した。
米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥… 米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥取県西伯郡大篠津村(現・米子市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。血液型はAB型。 プロ野球歴代2位(達成当時は歴代1位)の949試合に登板し、歴代2位の通算350勝を記録した。通算先発626登板、通算1940失点、通算1659自責点、通算120与敬遠、通算4561被安打の日本記録保持者。 その驚異的スタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれる。 祖父・長次郎は海産物仲買業を営み、『伯耆国実業人名録』(明治37年 (1904年))に載せられていた大篠津の代表的な商人であった。父・雅明は薪炭雑貨商。
根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026… 根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026年3月8日)は、日本の植物学者、自然科学者、理学博士。広島大学及び広島経済大学名誉教授。現在放送大学客員教授、実践生物教育研究会講師でもある。鳥取県境港市出身。広島市西区在住。
安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2… 安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2004年4月16日)は、日本の陸上競技選手・指導者・研究者、新聞記者。専門は棒高跳で元・日本記録保持者。中京大学名誉教授。日本統治時代の台湾生まれ、鳥取県出身。 安田の現役時代は棒高跳のポールの進化が続いていた頃であり、竹、スチール、グラスファイバーの3種を手に競技を行った。 1935年(昭和10年)12月11日、日本統治下の台湾の台北県樹林鎮(現・新北市樹林区)に安田家7人兄弟の5番目として生まれた。当時の樹林は台北市の郊外にある田舎町であり、父は台湾で国民学校の校長を務め、自宅は学校の裏にあった。高いところに登るのが好きで、2歳の頃に学校の樋を伝って10 mほどの高さの屋根まで登り、母をひやひやさせた経験があるという。
拝藤 宣雄(はいどう のりお、1935年5月2日- )は、鳥… 拝藤 宣雄(はいどう のりお、1935年5月2日- )は、鳥取県境港市出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手。 3歳上の実兄・聖雄(まさお)も元プロ野球選手で、こちらは近鉄パールスにて5年間、弟と同じく投手として活躍した。 境高校ではエースとして活躍。2年生時の1952年には、創部6年目の同高校野球部を夏の甲子園初出場へ導く奮投を見せた。しかし、全国大会では2回戦(初戦)で日大三高の若杉輝明と投げ合いの末、完封負け。翌1953年夏は東中国大会1回戦で浜田高に敗れ、甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、同期のエース・杉浦忠とともに活躍した。1957年には春秋4勝を挙げ、チーム初となる春秋季リーグ連覇に貢献している。
司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 … 司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 - )は、日本の女優。日本大正村第2代村長。東京福祉大学特任教授。本名は相澤 葉子()。旧姓は庄司。東宝芸能所属。 夫は、弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。三男・相澤宏光の妻は歌手・タレントの相田翔子。実業家・政治家の庄司廉は伯父にあたる。 鳥取県西伯郡渡村に庄司繁二郎の三女として生まれたが、6歳の頃に父を亡くした。鳥取県立境高等学校を経て共立女子短大卒業。 1954年4月、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に入社し、社長秘書を務める。共立女子短大に在学中、ハリウッドビューティサロンを利用。ちょうど美容家のメイ牛山が雑誌モデルを探しており、同年『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約。
渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2… 渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2017年3月28日)は日本の映画監督。京都府京都市出身。
拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 20… 拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 2011年7月21日)は、鳥取県境港市出身で、近鉄パールスに在籍した元プロ野球選手(投手)である。 実弟の拝藤宣雄(‐のりお)も、元プロ野球選手(広島カープに在籍した)。 境高では、1949年秋季中国大会準決勝に進むが米子東高に敗退。翌1950年夏の甲子園予選東中国大会でも準決勝に進出するが、またも米子東高に敗退し甲子園出場を逸する。米子鉄道管理局を経て、1952年に近鉄パールスへ入団。 1956年3月24日の東映フライヤーズ戦でプロ初勝利を記録した。同年は主に中継ぎとして18試合に登板。しかし公式戦ではその1勝のみで、同年オフに24歳にして現役を引退。
山田 美鈴 は、日本の女性声優。アンシェリ所属。