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藤本 隆史(ふじもと たかふみ、1965年〈昭和40年〉3月… 藤本 隆史(ふじもと たかふみ、1965年〈昭和40年〉3月23日 - )は、日本の警察官僚。 岡山県岡山市出身。岡山県立岡山朝日高等学校を経て、1987年(昭和62年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月、警察庁に入庁。 広島県警察本部刑事部捜査第二課長、警察庁長官官房総務課課長補佐、警察庁刑事局暴力団対策部暴力団対策第一課課長補佐、大分県警察本部警務部長、警察庁長官官房人事課理事官、警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策総務課長、兵庫県警察本部刑事部長、警察庁長官官房会計課会計企画官、警察庁生活安全局地域課長、香川県警察本部長、警察庁長官官房国家公安委員会会務官、警視庁生活安全部長、警察庁長官官房人事課長、警察庁長官官房首席監察官、警察庁長官官房総括審議官などを歴任。
小野田 壮(おのだ ひろむ、1963年1月17日 - )は、… 小野田 壮(おのだ ひろむ、1963年1月17日 - )は、日本の内閣府官僚。経済社会総合研究所総括政策研究官、内閣府政策統括官、内閣府賞勲局長などを務めた。 岡山県瀬戸内市出身。岡山県立朝日高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、1986年総務庁入庁。内閣府大臣官房人事課長や、経済社会総合研究所総括政策研究官、内閣府大臣官房審議官(子ども・子育て本部担当)を経て、2017年から内閣府政策統括官(共生社会政策担当)兼子ども・子育て本部統括官として、幼児教育・保育無償化のための子ども・子育て支援法改正などにあたったのち、2019年から内閣府賞勲局長を務めた。2023年7月3日、退職
板東 久美子(ばんどう くみこ、1954年4月25日 - )… 板東 久美子(ばんどう くみこ、1954年4月25日 - )は、日本の文部・文科官僚。公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン理事、令和臨調運営幹事。 文部科学審議官、消費者庁長官、日本司法支援センター理事長、国立病院機構理事を歴任した。岡山県岡山市生まれ(出身が徳島県となっているプロフィールもある)。文部科学事務次官の山中伸一は入省同期。夫は元経産省官僚で、元日本貿易保険理事長の板東一彦。
久山 慎一(くやま しんいち、1944年 ー )は、日本の総… 久山 慎一(くやま しんいち、1944年 ー )は、日本の総務官僚、外交官。 総務省総務審議官、駐ウルグアイ特命全権大使を歴任した。 趣味はインラインスケート、スキューバーダイビング、小型船舶の操縦、アマチュア無線、そば打ちなど多彩。おかやま財界(2004年3月5日号)の『ふるさとメール』の中で、「趣味に打ち込んでいる最中、ふと仕事上の問題解決につながるヒントがひらめく。うまくいかない時の気分転換にもなる。自分の世界を持つことは大切。……子どものころの魚捕りや父と歩いた操山などの原体験が今につながっている」と語っている。
片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉… 片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 2025年〈令和7年〉12月18日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。 総務大臣(初代・第2代)、郵政大臣(第68代)、自治大臣(第57代)、総務庁長官(第26代)、参議院議員(5期)、参議院予算委員長、自由民主党参議院幹事長・参議院国会対策委員長、たちあがれ日本参議院幹事長、旧日本維新の会国会議員団政策調査会長兼参議院議員団会長、維新の党総務会長兼参議院会長、日本維新の会共同代表兼国会議員団代表兼参議院会長、日本消防協会会長、日本防火協会会長等を歴任。 日本維新の会所属の参議院議員の片山大介は次男。
長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 200… 長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 2006年12月5日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省選挙局長(1963年〜1966年)、行政局長(1966年〜1969年)、財政局長(1969年〜1971年)、自治事務次官(1971年~1972年)、公選8-13代岡山県知事(6期)、全国知事会会長(1995年~1996年)を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 1917年、岡山県吉備郡服部村(現・岡山県総社市南溝手)に医師であった父・健次郎と母・菊野の四男として生まれる。岡山県第一岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1941年、高等文官試験行政科に合格する。
石井 栄三(いしい えいぞう、1907年〈明治40年〉2月1… 石井 栄三(いしい えいぞう、1907年〈明治40年〉2月14日 - 1994年〈平成6年〉1月27日)は、日本の警察官僚。岡山市今村出身。従三位勲二等旭日重光章。旧姓・高原。 高原光五郎の三男として生まれ、石井琢郎の養子となる。岡山一中、一高を経て、1932年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1931年10月、高等試験行政科試験に合格。1932年、内務省に採用される。神奈川県属を振出しに、神奈川県警部、内務属・警保局配属、地方警視・高知県警務課長、福井県特高課長、福岡県特高課長、神奈川県警務課長を歴任。1941年5月、内務事務官・警保局配属。1943年11月福井県経済部長。1944年8月富山県警察部長。
片山 直憲(かたやま なおのり、1903年7月25日 - 1… 片山 直憲(かたやま なおのり、1903年7月25日 - 1982年1月2日)は、岡山県出身の通商産業省(現・経済産業省)キャリア官僚。弁理士、行政書士、および中央大学評議員としての貢献により、1979年春の叙勲で勲五等双光旭日章を受章した。 岡山県和気郡和気町(旧・岡山県赤磐郡石生村)出身。江戸時代には岡山藩(池田藩)で代々蘭学者や藩医を務めた岡山県上級士族の家系に生まれる。(族籍は、岡山県士族)。 1916年石生尋常小学校を卒業後、旧制岡山県岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校(現・岡山大学教養部)を経て、1928年3月、旧制中央大学法学部英法科を卒業した。 高等試験行政科に合格し、1928年、当時の商工省(現・経済産業省)に入省。
北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19… 北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、日本の内務・防衛官僚。岡山県和気郡三石村字三石(現:備前市)に、父北村貫皐、母古美津の長男として誕生。本籍地は岡山県邑久郡太伯村乙子(現:瀬戸内市)。 戦前は内務省警保局の官僚として特高警察や、警保局経済保安課課長、兵庫県警察部長を務めた。戦後はいわゆる「逆コース」に乗って復帰し、保安庁保安研修所、内閣国防会議事務局長などを歴任、叙勲された。
物部 薫郎(もののべ / ものべ くんろう、1901年(明治… 物部 薫郎(もののべ / ものべ くんろう、1901年(明治34年)2月1日 - 1977年(昭和52年)2月3日)は、日本の内務・厚生官僚。長野県知事。旧姓は平松。 岡山県川上郡湯野村(現在の高梁市備中町東油野)出身。平松瀧之助の三男として生まれ、同郡平川村、物部真一の養子となる。岡山県第一岡山中学校、第六高等学校を卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる。 以後、石川県学務課長、長野県学務部長、厚生書記官・失業対策部事業課長、同衛生局保健課長、内務省監査官、内務書記官・防空局企画課長兼整備課長、愛知県部長・経済部長などを経て、同県内務部長となる。
亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1… 亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。 岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中、岡山一中、第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。 1925年10月、地方警視・岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。
篠山 千之(ささやま せんし / しのやま かずゆき、190… 篠山 千之(ささやま せんし / しのやま かずゆき、1900年〈明治33年〉2月28日 - 1976年〈昭和51年〉7月18日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 岡山県出身。篠山常太郎の六男として生まれる。旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第六高等学校を卒業。1923年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年、内務省に入省し警視庁警部となる。 以後、内務属・地方局勤務、地方警視・新潟県警察部勤務、同県建築監督官、鳥取県書記官・経済部長、福岡県書記官・学務部長、新潟県書記官・警察部長、兵庫県書記官・警察部長、東京府内務部長などを歴任。
久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月… 久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月25日 - 1981年〈昭和56年〉9月4日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選秋田県知事。岡山県岡山市出身。 岡山県吉備郡大井村(現:岡山市)出身。久安平治郎の二男として生まれる。その後、旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、地方警視として島根県警察部・神奈川県警察部・長崎県警察部・兵庫県警察部各勤務、警視庁警視として総監官房・特別高等部各勤務、宮城県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、宮城県内政部長などを歴任。
赤木 鉄夫(あかぎ てつお、1899年〈明治32年〉9月14… 赤木 鉄夫(あかぎ てつお、1899年〈明治32年〉9月14日 - 没年不明)は、昭和時代前期の逓信官僚。陸軍司政長官。 伊勢次郎の三男として岡山県に生まれる。旧制岡山中学、旧制六高を経て、1924年(大正13年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業する。逓信省に奉職し、同省経理局主計課勤務、釧路郵便局長、中央電話局府加入課長、札幌逓信局規画課長、広島逓信局監督課長、地方海員審判所審判官、東京地方逓信局海事部長、東京都市逓信局監督課長、中央航空研究所総務部長、貯金局総務課長、逓信書記官・逓信官吏練習所長を経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政長官に就任した。1944年(昭和19年)8月、名古屋逓信局長に就任した。
藤原 孝夫(ふじわら たかお、1896年(明治29年)11月… 藤原 孝夫(ふじわら たかお、1896年(明治29年)11月20日 - 1983年(昭和58年)5月8日)は、日本の内務官僚。官選山梨・千葉・神奈川県知事。 岡山県岡山市西古松に藤原祐三郎の長男として生まれる。岡山中学、第六高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入り山口県属となり内務部農務課に配属。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。 以後、1922年(大正11年)6月富山県理事官・内務部学務課長、同県視学官、1925年(大正14年)5月京都府内務部地方課長、岐阜県学務部長などを歴任し、1931年12月、復興事務局書記官・経理課長に就任した。1932年4月、内務事務官・大臣官房都市計画課勤務となり、さらに、衛生局保健課長、大臣官房会計課長を務めた。
鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年〈明治8年〉1月3日… 鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年〈明治8年〉1月3日 - 1973年〈昭和48年〉11月1日)は、大正時代から昭和時代にかけての日本の官僚、政治家、著述家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)、厚生大臣。 英語を得意とし、第二次世界大戦にかけて米国の対日世論が厳しくなる時期に、現地での講演や出版などを通じて民間外交に尽力した。 1885年(明治8年)1月3日、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)で、官営新町紡績所の工場長をしていた父・良憲と、母・琴子の次男、10人きょうだいの第四子として生まれる。一家は1895(明治28年)年9月に東京市赤坂へ、翌1896(明治29年)年1月に父の郷里である岡山県へ転居した。
大森 吉五郎(おおもり きちごろう、1883年(明治16年)… 大森 吉五郎(おおもり きちごろう、1883年(明治16年)4月11日 - 1946年(昭和21年))は、日本の内務・警察官僚、政治家。民政党系官選県知事、京都市長。 岡山県上道郡中井村(現:岡山市中区中井)出身。大森久五郎の長男として生まれる。岡山中学校、第三高等学校 を卒業。1908年、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1910年、京都府南桑田郡長に就任。以後、京都市助役、熊本県理事官、愛媛県警察部長、神奈川県警察部長、神奈川県港務部長、熊本県内務部長、長崎県内務部長、北海道庁土木部長など歴任。 1925年10月、山口県知事に就任。
公森 太郎(きみもり たろう、明治15年(1882年)3月6… 公森 太郎(きみもり たろう、明治15年(1882年)3月6日 - 昭和28年(1953年)2月25日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。元朝鮮銀行副総裁。元中国銀行頭取。 岡山県都宇郡大内田村(のち都窪郡吉備町、現岡山市北区)に公森仲次の長男として生まれた。 その後、旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)へ進学、1901年に卒業し、旧制第一高等学校へ進学する。1904年(明治37年)に同校を卒業し、東京帝国大学法学部へ進学する。明治41年(1908年)7月、東京帝国大学政治科卒業する。大蔵省奉職。昭和5年(1930年)8月退官、日本興業銀行理事に就任。昭和12年(1937年)4月朝鮮銀行副総裁。
沢田 豊丈(さわだ とよたけ、1881年(明治14年)4月1… 沢田 豊丈(さわだ とよたけ、1881年(明治14年)4月16日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 岡山県久米郡里方村(現:久米南町)に国塩与三郎の二男として生まれ、岡山県会議員の沢田正泰の養子となった。妻は正泰の四女。赤坂高等尋常小学校、旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、第三高等学校を経て、1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。山形県事務官、朝鮮総督府書記官、同道事務官、監察官、慶尚南道知事、慶尚北道知事を歴任した。 退官後は、東洋拓殖株式会社理事、朝鮮電気興業株式会社取締役、朝鮮電力株式会社監査役などを務めた。
矢鍋 永三郎(やなべ えいざぶろう、1880年(明治13年)… 矢鍋 永三郎(やなべ えいざぶろう、1880年(明治13年)3月15日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。実業家。 岡山県出身。第一高等学校を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した。統監府書記官となり、日韓併合後、財務部長、税関長として各地に勤務した。1917年(大正6年)より朝鮮総督府事務官、財務局関税局長、同理財課長、参事官、黄海道知事を歴任した。 1925年(大正14年)に退官した後は、朝鮮殖産銀行理事、漢城銀行取締役、朝鮮金融組合聯合会長、朝鮮土地改良株式会社監査役、中川鉱業株式会社社長、国民総力朝鮮聯盟理事、不二興業株式会社社長などを務めた。 戦後、公職追放となった。
岡田 忠彦(おかだ ただひこ、1878年〈明治11年〉3月2… 岡田 忠彦(おかだ ただひこ、1878年〈明治11年〉3月21日 - 1958年〈昭和33年〉10月30日)は、日本の内務官僚、政治家。埼玉県(官選第17代)、長野県(官選第14代)、熊本県知事(官選第16代)、内務省警保局長、衆議院議員(8期)、厚生大臣(第11代)、衆議院議長(第35代)。 岡山県、のちの岡山市小橋町(現中区小橋町)出身。岡田吟平、多嘉恵の長男として生まれた。岡山中学校、第一高等学校を経て、1903年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 官界に入り逓信省鉄道書記となる。1903年(明治36年)11月、第10回文官高等試験行政科合格。 内務省に移り1906年静岡県事務官、1915年東京府内務部長、1916年埼玉県知事、1921年長野県知事、1922年熊本県知事。
渡辺 勝三郎(わたなべ かつさぶろう、1872年2月12日(… 渡辺 勝三郎(わたなべ かつさぶろう、1872年2月12日(明治5年1月4日) - 1940年(昭和15年)9月24日)は、日本の内務省官僚。岡山県井原町(現井原市)出身。従三位勲二等。 岡山藩士・小姓格、渡辺徳一郎の三男として生まれる。岡山中学、早稲田専門学校、共立学校、第一高等学校を経て、1896年(明治29年)7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入り内務属となり県治局に配属。同年11月、文官高等試験に合格。奈良県参事官、広島県参事官、福島県書記官、和歌山県・香川県の各第一部長兼第三部長、香川県・京都府の各内務部長などを歴任。 1908年(明治41年)7月から1914年(大正3年)4月まで徳島県知事を務め、内務省地方局長に転じた。
岡 喜七郎(おか きしちろう、1868年5月15日(慶応4年… 岡 喜七郎(おか きしちろう、1868年5月15日(慶応4年4月23日) - 1947年(昭和22年)7月4日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、警視総監、貴族院議員。旧姓・伊丹。 備前国御野郡大安寺村(後の岡山県御津郡大野村を経て現岡山市北区)出身。農業・伊丹喜三郎の長男として生まれ、旧幕臣・岡敬孝の養子となる。岡山中学、成立学舎、大学予備門を経て、1891年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年10月、高等試験に合格し、内務省試補となり警保局に配属され、さらに県治局へ異動した。 1893年11月、鳥取県参事官に就任。以後、青森県内務部長、内務書記官・警保局警務課長、大阪府内務部長などを歴任。
内田 嘉吉(うちだ かきち、1866年11月18日〈慶応2年… 内田 嘉吉(うちだ かきち、1866年11月18日〈慶応2年10月12日〉- 1933年〈昭和8年〉1月3日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 逓信省管船局長、台湾総督府民政長官、逓信次官、台湾総督(第9代)、貴族院議員などをつとめた。 東京出身。内田正八の長男として生まれる。岡山中学、第一高等学校を経て、1891年(明治24年)7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年7月、司法官試補、翌月、逓信省試補となり逓信省に入る。逓信事務官、逓信書記官(兼務)、船舶司検所司検官兼逓信省参事官、逓信大臣秘書官、官房秘書課長、人事課長(兼務)、高等海員審判所所長などを歴任。
窪田 静太郎(くぼた せいたろう / しずたろう、1865年… 窪田 静太郎(くぼた せいたろう / しずたろう、1865年11月10日(慶応元年9月22日) - 1946年10月6日)は、日本の内務官僚、法学者、社会事業家。法学博士、行政裁判所長官、枢密顧問官。 岡山藩学師範教授・窪田善之の長男として生まれる。岡山中学、第一高等学校を経て、1891年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を首席で卒業した。内務省に入省し、後藤新平のもとで日本の保健衛生制度の確立に尽力。伝染病予防法、癩予防法などの制定を推進した。医者ではない事務官として初めて衛生局長に就任した。また後藤の影響から、狭義の衛生政策のみならず社会問題・社会政策全般に関心を抱き、社会政策学会が発足するとその会員となった。
石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4… 石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4年1月13日) - 1936年(昭和11年)9月4日)は、日本の内務官僚、裁判官、政治家。枢密顧問官、貴族院議員。位階勲等は正二位勲一等。 備前国邑久郡、後の岡山県邑久郡笠加村出身。農業・石原庫平の三男として生まれる。岡山中学、大学予備門を経て、1889年(明治22年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。判事試補となり京橋区治安裁判所勤務となる。以後、司法省参事官試補、民事局勤務、長崎控訴院書記長、熊本地方裁判所判事などを歴任。 1892年(明治25年)10月、内務省に転じ、茨城県参事官、同県内務部第一課長兼第三課長、大阪府参事官、香川県警察部長、岐阜県書記官を歴任。
薄 定吉(すすき さだきち、1862年2月14日(文久2年1… 薄 定吉(すすき さだきち、1862年2月14日(文久2年1月16日) - 1927年(昭和2年)12月16日)は、日本の教育者、内務官僚。官選岐阜県知事、長崎市長。旧名・定右衛門。 備前国岡山城下門田屋敷出身。岡山藩士の家に生まれる。岡山中学校、大阪専門学校予科、築地大学校を経て、1882年7月、東京大学予備門を卒業。さらに1888年7月、帝国大学法科大学を卒業した。 1888年8月、第四高等中学校教諭に就任。さらに同校教授となる。1891年1月、内務省に転じ内務省試補となる。以後、図書局勤務、県治局勤務、鹿児島県参事官、同兼内務部第三課長、同兼内務部第一課長、長崎県参事官、同兼内務部第三課長、同兼内務部第五課長、群馬県書記官、山梨県書記官、奈良県書記官、鳥取県書記官、宮城県書記官、同事務官・第一部長、同兼第三部長などを歴任。