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渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4… 渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4日 - 1939年(昭和14年)8月21日)は、広島県呉市出身の歌人。 呉一中(現:広島県立呉三津田高等学校)、広島高等師範学校(現:広島大学)卒業。芥川龍之介に影響を受けた文学青年で、マルクス主義にも関心を持った。異父兄・高橋彰三の影響で短歌を始める。1935年(昭和10年)、伊藤左千夫を中心にして1908年(明治41年)に作られた短歌誌『アララギ』に入会し、土屋文明に師事した。しかし当初の渡辺の作品は牧歌的で、島木赤彦や文明の模倣でしかなかった。 呉市立高等女学校(現:呉三津田高等学校)の国語教師として奉職中だった1937年(昭和12年)、日中戦争に応召し、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られる。
住吉 耕作(すみよし こうさく、1907年10月1日 - 1… 住吉 耕作(すみよし こうさく、1907年10月1日 - 1971年)は、日本の陸上競技(投擲)選手。 1920年代後半から1930年代前半までやり投で活躍した選手で、「槍の住吉」と呼ばれた。オリンピック出場2回(1928年アムステルダム・1932年ロサンゼルス)。姓はのちに岩崎。早稲田大学理工学部卒業。 広島県安芸郡江田島町(現在の江田島市)生まれ。呉一中(現在の広島県立呉三津田高等学校)を卒業。1925年の第7回極東選手権競技大会(マニラ)にやり投と走高跳で出場。 早稲田大学に進学後はやり投選手として活躍。1927年、第8回極東選手権競技大会(上海)ではやり投で優勝。 1928年4月29日に関東選手権で61m08の記録を出して日本記録を更新。
崔 栄哲(チェ・ヨンチョル、朝鮮語: 최영철/崔榮哲、190… 崔 栄哲(チェ・ヨンチョル、朝鮮語: 최영철/崔榮哲、1907年8月2日 - 1991年8月5日)は、大韓民国の校長、政治家。初代全羅南道議会(朝鮮語版)議員、第3代韓国国会議員を歴任した。 全南羅州出身。広島県立呉中学校、千葉高等園芸学校卒。羅州金川中学校校長、湖南園芸高等学校(朝鮮語版)校長、国民会全南道支部宣伝部次長・羅州郡支部長、初代全羅南道議会議員などを歴任した。1954年の第3代総選挙では無所属で羅州郡甲選挙区から出馬し当選し、すぐに民主国民党に入党したが、その後自由党に移籍したことで民主国民党と選挙区民から背信の非難を受けた。 1991年8月5日、ソウル市の江南聖母病院で持病により死去。
奥平 英雄(おくだいら ひでお、1905年 -2000年 )… 奥平 英雄(おくだいら ひでお、1905年 -2000年 )は、日本ほ日本美術史家・日本美術評論家。 1905年、広島県呉市で生まれた。江田島の海軍兵学校への登竜門としても有名な呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を経て、旧制広島高等学校に1期生として入学。卒業後、京都帝国大学哲学科に進学したが中退し、東京帝国大学文学部美学科美術史に転じた。1932年に東京帝国大学文学部を卒業し、同大学大学院に進んだ。 大学院修了後、東京国立博物館に技官として勤務。在任中は資料課長を務めた。東京国立博物館を退任後、名誉館員。その後は和光大学教授、共立女子大学教授を務め、同大学文芸学部の設立に携わった。2000年に死去。
佐々木 彦一郎(ささき ひこいちろう、1901年4月13日 … 佐々木 彦一郎(ささき ひこいちろう、1901年4月13日 - 1936年4月10日)は、日本の地理学者。民俗学・経済学・社会学的な研究を加味して人文地理学を追究した。1930年前後に目覚ましく活躍するものの、36歳で亡くなり、研究生活は10年間にとどまった。 1901年、秋田県鹿角郡花輪町(現在の鹿角市)で生まれる。幼くして父母を亡くし、祖母に育てられる。小学校卒業とともに広島県呉市に住む叔父にひきとられ、広島県立呉中学校(現在の広島県立呉三津田高等学校)で学ぶ。卒業後は第二高等学校(現在の東北大学)文科に入学した。休日ごとに仙台の周辺を歩いたという。卒業後は東京帝国大学理学部地理学科に進み、山崎直方・辻村太郎・多田文男らの指導を受ける。
英 百合子(はなぶさ ゆりこ、1900年3月7日 - 197… 英 百合子(はなぶさ ゆりこ、1900年3月7日 - 1970年2月7日)は日本の女優。広島県呉市吉浦町出身。日本初の本格的映画女優といわれる。同じ女優の永井百合子は柳永二郎との娘[4]、俳優の長谷部健は中野英治との息子[4][5]。
禹長春(ウ・ジャンチュン、우장춘、通名:須永 長春(すなが … 禹長春(ウ・ジャンチュン、우장춘、通名:須永 長春(すなが ながはる)、1898年4月8日 - 1959年8月10日)は、農学者(農学博士)、育種学者。 韓国農業の父と呼ばれる。 父は乙未事変(朝鮮国王王妃閔妃暗殺事件)に参加した軍人・禹範善。範善が日本に亡命し日本人女性・酒井ナカと結婚、日本で生まれたのが禹長春である。出生地については東京赤坂説と広島説がある。育ったのは広島県呉市である。父の範善は閔妃を暗殺したため、1903年11月24日、禹が6歳の時にかつて閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。 同じく父が親日派とされ日本に逃れてきた具鎔書(のちに初代韓国銀行総裁、第10代大韓民国商工部長官などを歴任)ら、酒井の下に送られてきた親日派の子女6人で日本で育ち、禹は、広島県立呉中学校(現広島県立呉三津田高校)を卒業。
松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年〈明治30年〉6… 松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年〈明治30年〉6月7日–1987年〈昭和62年〉1月25日)は、昭和期の外交官・政治家。 台湾台北で、実業家・松本勝太郎の長男として生まれ、広島県呉市広育ち。広島県立呉中学校(呉三津田高校)、一高を経て経て、1921年(大正10年)東京帝国法学部卒業し外務省入省。 在ベルギー外交官補、アントワープ領事官補、条約局、在フランス大使館を経て、条約局第二課長、条約局第一課長、人事課長、在中華民国大使館参事官、文化事業部長、条約局長を歴任。 1942年(昭和17年)、重光葵外務大臣下で外務次官。フランス領インドシナ特派大使を経て1945年に東郷茂徳外務大臣下で再び外務次官となり内閣書記官長の迫水久常らと終戦処理にあたった。
仁田 竹一(にた / にだ / にった たけいち、1894年… 仁田 竹一(にた / にだ / にった たけいち、1894年(明治27年)2月4日 - 1976年(昭和51年)6月14日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、広島県佐伯郡大柿町長。 広島県佐伯郡深江村(大柿町を経て現江田島市)で仁田笹松の二男として生まれ、仁田久米次の養子となる。1912年(明治45年)広島県立呉中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業した。 呉商工会議所副会頭、呉第一銀行頭取、江田島汽船社長、瀬戸内海汽船社長、広島緑地建設社長、広島湾海運会長、因島運輸社長、ラジオ中国取締役、全日本観光連盟中国支部長、広島県観光連盟会長、日本経営者団体連盟(現日本経済団体連合会)常任理事、中国ヨット連盟会長、中国操艇協会会長などを務めた。
小笠原 臣也 は、日本の政治家、自治官僚。元広島県呉市長(3… 小笠原 臣也 は、日本の政治家、自治官僚。元広島県呉市長(3期)。
尾川 知輝(おがわ かずき)は、元富山テレビのアナウンサー。… 尾川 知輝(おがわ かずき)は、元富山テレビのアナウンサー。愛称はおがっち、おがちゃん、おぎゃ。広島県立呉三津田高等学校、法政大学経営学部卒業。大学時代は軟式野球部に所属。
川本 統脩(かわもと つなのぶ)は、日本の指揮者。 広島県呉… 川本 統脩(かわもと つなのぶ)は、日本の指揮者。 広島県呉市出身。広島県立呉三津田高等学校から桐朋学園大学(作曲理論学科音楽学専攻)へ進学。指揮科に転科し卒業。広島交響楽団を中心に指揮活動。 1985年、第1回「アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクール」でセミ・ファイナリストに選出され、プロの指揮者のための特別コースを修了する。以降、イタリア各地でトスカニーニ・オーケストラやエミリヤ・ロマーニャ州立オーケストラを指揮した。 1999年、「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」で御前演奏された、YOSHIKI作曲の「アニバーサリー」を指揮。 2000年からソニー吹奏楽団音楽監督・常任指揮者に就任。