スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
安藤 芳樹(あんどう よしき、1957年 - )は、日本の実… 安藤 芳樹(あんどう よしき、1957年 - )は、日本の実業家、経営コンサルタント。オフィス・ミクラス代表、「セブンチャート仕事術」の立案者でベストセラービジネス書の著者。麺通団副団長、讃岐うどんブームの仕掛け人。 1957年、香川県観音寺市生まれ。香川県立観音寺第一高等学校を経て、立教大学経済学部卒業。高校時代はサッカー部主将を務めた。 その後、ADKホールディングスで営業マネージャーとして勤務。その頃、ピーター・ドラッカーの理論と出会い、理解と実践をしようと試みたものの一度は挫折する。しかし、セミナーで学んだチャートによって構造化すると、難解な理論が理解できるようになることを知り、独自の仕事術を編み出し、2021年には書籍化した。
田尾 和俊(たお かずとし、1956年〈昭和31年〉1月20… 田尾 和俊(たお かずとし、1956年〈昭和31年〉1月20日 - )は、日本の元編集者で、実業家、メディア研究者(四国学院大学教授)。ホットカプセルの元社長で、株式会社タウン情報全国ネットワーク取締役副社長。吉本興業所属(マネジメント契約)。 香川県三豊郡詫間町(現:三豊市)出身。 香川県立観音寺第一高等学校を経て、1978年に関西学院大学経済学部を卒業した。同大学時代にスポニチ編集部でアルバイトを経験。同年、高松市に本拠を置く、広告代理店のセーラー広告に入社した。代理店業務の勤務を経て、同社のタウン誌発刊部門として発足したホットカプセルに出向する。 1982年にタウン情報誌の『月刊タウン情報かがわ』初代編集長に就任した。
青山 秀彦(あおやま ひでひこ、1954年1月23日 - )… 青山 秀彦(あおやま ひでひこ、1954年1月23日 - )は、日本の実業家。元王子製紙社長。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校、早稲田大学理工学部卒業。 1976年(昭和51年)早稲田大学卒業後、神崎製紙に入社。 2008年(平成20年)王子製紙 執行役員、2012年(平成24年)同社常務執行役員、2013年(平成25年)王子ホールディングス 取締役を経て、2015年(平成27年)4月1日 王子製紙 社長に就任。
三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、… 三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手(外野手)。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。孫は、元タレントの三宅ひとみ(元アイドリング!!!)。 1956年(昭和31年)7月、第38回全国高等学校野球選手権大会香川県予選に観音寺第一高校の3番センターとして出場する。決勝戦まで勝ち進み、高松商業高校と対戦、0対2で敗れたが準優勝を果たした。香川県野球連盟から優秀選手として敢闘賞が贈られた。 同年8月2日、香川県予選の準優勝校として同選手権大会北四国大会に野球部創設以来初出場する。愛媛県予選の優勝校の西条高校と対戦、1対6で敗れ、甲子園出場は成らなかった。
白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月… 白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月11日 - )は、日本の実業家、テレビドラマのプロデューサー。ビーエスフジ(BSフジ)社長、鹿児島テレビ放送副社長を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。 1962年(昭和37年)東京大学卒業後、フジテレビジョン入社。編成局に勤務し、『鉄腕アトム』 『鉄人28号』 『夜のヒットスタジオ』 『北の国から』 など数多くのヒット番組の編成・企画・プロデュースに携わる。 1981年(昭和56年)10月9日、『北の国から』の第1話が放映される。初回視聴率16.4%、最終回は21.0%を獲得した。視聴者からの反響は絶大で、以後20年間で8本のスペシャルが放送される国民的ドラマとなった。
柳川 邦衛(やながわ くにえ、1933年4月30日 - )は… 柳川 邦衛(やながわ くにえ、1933年4月30日 - )は、日本の実業家。元ガリバーインターナショナル最高顧問。 香川県三豊郡本山村(現 三豊市豊中町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学経済学部卒業。 1958年(昭和33年)東京大学卒業後、伊藤忠商事に入社。10年間、鉄鋼部門に従事する。1969年(昭和44年)ユニオン光学に移り、常務営業部長に就任。1975年(昭和50年)同社社長に昇任。 1998年(平成10年)ガリバーインターナショナル最高顧問に就任。同社、2000年(平成12年)東京証券取引所市場第二部の上場、および2003年(平成15年)同証券取引所市場第一部への指定替えに貢献する。
矢野 恒夫(やの つねお、1930年12月14日 - 201… 矢野 恒夫(やの つねお、1930年12月14日 - 2016年7月4日)は、日本の実業家。元電気化学工業社長。
阿部 貞市(あべ ていいち、1923年12月7日 - 201… 阿部 貞市(あべ ていいち、1923年12月7日 - 2016年10月21日)は、日本の実業家。元大気社社長。
三野 重和(みの しげかず、1923年10月20日 - 20… 三野 重和(みの しげかず、1923年10月20日 - 2003年12月19日)は、日本の実業家。元クボタ社長。 香川県三豊郡萩原村(現 観音寺市大野原町)出身。旧制香川県立三豊中学校、神戸経済大学経済学科(現 神戸大学経済学部)卒業。 三豊中学への入学早々、身体が大きいことに目をつけられて柔道部に引っ張られる。柔道師範の石井鷹三郎の指導を受けたことが、柔道との出会いとなった。萩原村から自転車で40分かかる道程を通学し、毎日の練習や寒稽古に励んだ。神戸経済大学に進学後も柔道部に所属、柔道4段を修得する。 1948年(昭和23年)神戸経済大学卒業後、久保田鉄工所に入社。財務部に配属される。入社間もない頃、創業者久保田権四郎から諭された「現場を知りなさい」の言葉を終生肝に銘じ、モノづくり企業にあって、その理念を守り続けた。
田中 利治(たなか としはる、1917年9月14日 - 20… 田中 利治(たなか としはる、1917年9月14日 - 2005年3月23日)は、日本の実業家。元三菱自動車工業会長。元三菱重工業副社長。 長兄は、元阪神電気鉄道社長の田中隆造 香川県三豊郡和田村(現 観音寺市豊浜町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、京都帝国大学工学部機械工学科卒業。 1940年(昭和15年)京都帝国大学卒業後、三菱重工業に入社し、長崎兵器製作所に配属。1941年(昭和16年)陸軍に入隊。前橋予備士官学校を経て満州に配備。1944年(昭和19年)陸軍除隊後、三菱重工業長崎に復帰。 1946年(昭和21年)三菱重工業長崎造船所に異動。1969年(昭和44年)同社横浜造船所に異動。
森 誓夫(もり ちかお、1911年3月31日 - 2001年… 森 誓夫(もり ちかお、1911年3月31日 - 2001年1月23日)は、日本の官僚、実業家。元通商産業省軽工業局長。元石油資源開発社長。 香川県三豊郡常磐村(現 観音寺市流岡町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科卒業。 1934年(昭和9年)商工省入省。特許、貿易、工務、機械、電力の各局を担当、電業課長、機械課長を務める。1939年(昭和14年)三豊中学の同級生であった蒙疆の張家口に勤務する大平正芳(大蔵省派遣の興亜院事務官)を訪問。 1943年(昭和18年)フィリピン島戦線に応召。三豊中学の頃から親しんで来た短歌に於いては、社会人になって間もなく斉藤茂吉が育てた結社「アララギ」に所属。
田中 隆造(たなか たかぞう、1908年5月4日 - 198… 田中 隆造(たなか たかぞう、1908年5月4日 - 1989年3月3日)は、日本の実業家。元阪神電気鉄道社長。元阪神タイガースオーナー。 次弟は、元三菱自動車工業会長の田中利治。 香川県三豊郡和田村(現 観音寺市豊浜町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、京都帝国大学法学部法律学科卒業。 1921年(大正10年)三豊中学に入学。在学中は、実技が出来ないにもかかわらず、野球への趣味は相当強いものがあり、少ない対外試合にも熱心に観戦に出掛けていた。当時の野球部長の目に留まり、4年生の時に半ば強制的にマネージャーとなる。同野球部には、第6回全日本都市対抗野球大会優勝投手の木村秀一(全神戸)が在籍していた。
石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1… 石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1978年8月24日 )は、日本の実業家。元神鋼商事社長。 香川県三豊郡一ノ谷村(現 観音寺市中田井町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1934年(昭和9年)東京帝国大学卒業後、神戸製鋼所に入社。 1952年(昭和27年)10月、東京支社鉄鋼部次長在任時、鉄鋼市場視察のため、南米西欧に出張。線材製品協会を稲山嘉寛理事長の下で主宰、アルゼンチンに線材販売のため訪問する。 1954年(昭和29年)鉄鋼販売部長に昇進。 1956年(昭和31年)神鋼商事常務に就任。1966年(昭和41年)専務を経て、1970年(昭和45年)社長に昇任。
石井 英一(いしい えいいち、1908年1月12日 - 19… 石井 英一(いしい えいいち、1908年1月12日 - 1989年12月10日)は、日本の官僚、実業家。運輸省資材局長。東洋電機製造社長。 香川県三豊郡比地二村(現 三豊市高瀬町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、東京帝国大学法学部独法科卒業。 1933年(昭和8年)鉄道省入省。東鉄貨物課長、北京大使館交通課長を務める。1950年(昭和25年)日本国有鉄道(国鉄)門司鉄道管理局長に異動。1953年(昭和28年)3月23日から24日にかけて、門司地方国鉄職員戦没者合同慰霊祭を行った。 1954年(昭和29年)運輸省自動車局長に昇任。同年10月12日の第19回参議院運輸委員会の会議に於いて、嬉野線国鉄バス事故について答弁を行った。
伊瀬 芳吉(いせ よしきち、1905年 <明治38年> 10… 伊瀬 芳吉(いせ よしきち、1905年 <明治38年> 10月8日 - 2000年 <平成12年> 12月22日)は、日本の実業家。元ダイハツ工業社長。位階は従四位。 香川県三豊郡観音寺町(現 観音寺市伊吹町)出身。旧制香川県立三豊中学校、大阪高等工業学校機械科(現 大阪大学工学部)卒業。 三豊中学在学中は、伊吹島を出て下宿先から通った。家が貧しかったので学費を稼ぐために、下宿先の手伝いをしながら勉学に励んだ。数学と理科が得意だったこともあり、先生の薦めもあって大阪高等工業学校に進学する。 1926年(昭和元年)大阪高等工業学校卒業後、日本生命保険に就職。入社後、間もなく応召され入隊。その1年後に除隊となり、22歳の時、發動機製造に入社。
請川 卓(うけがわ たかし、1899年12月16日 - 19… 請川 卓(うけがわ たかし、1899年12月16日 - 1960年3月24日)は、日本の実業家。元香川相互銀行社長。男子テニス選手。 香川県三豊郡紀伊村(現 観音寺市木之郷町)出身。旧制香川県立三豊中学校(現 香川県立観音寺第一高等学校)、早稲田大学政治経済学部卒業。 1924年(大正13年)早稲田大学卒業後、明治生命保険本社に入社。1年後に帰郷、1928年(昭和3年)七宝無尽株式会社監査役に就任。翌年の1929年(昭和4年)7月、同社社長に昇任。また、大阪市の日本科学研究所所長、紀州田辺市の日本木材株式会社社長を兼任する。 1939年(昭和14年)10月、香川県会議員に当選し、県政に尽力する。
松田 伊三雄(まつだ いさお、1896年3月10日 - 19… 松田 伊三雄(まつだ いさお、1896年3月10日 - 1972年6月23日)は、日本の実業家。元三越社長。 香川県三野郡詫間村(現 三豊市詫間町)出身。旧制香川県立三豊中学校、慶應義塾大学部理財科(現 慶應義塾大学経済学部)卒業。 両親と兄弟五人が早死にし、すぐ上の姉とその夫を後見人として、三豊中学、慶應義塾大学部で学ぶ。三豊中学在学中は、自宅から三里程の距離があったため、寄宿舎に入り通った。慶應義塾大学部では、マンドリンクラブに所属した。 1919年(大正8年)慶應義塾大学部卒業後、三越本店に入社。入社後の苦労は相当なものだった。和服に前掛け姿。初めは通信販売の仕事に携わったが、残業に次ぐ残業で連日帰宅は夜11時をまわっていた。
岸井 寿郎(きしい としろう、1891年5月28日 - 19… 岸井 寿郎(きしい としろう、1891年5月28日 - 1970年10月1日 )は、日本の実業家、政治家。 元衆議院議員(通算1期)。岸井成格(毎日新聞特別編集委員)の実父。 香川県豊田郡常磐村(現 観音寺市村黒町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科卒業。『連盟を脱退すべし』『満洲の我移民村』等の著書を刊行。 1917年(大正6年)東京帝国大学卒業。満洲旅行、司法官試補を経て、1919年(大正8年)11月に大阪毎日新聞入社、東京日日新聞社に勤務する。 1924年(大正13年)同社印刷部長に昇進。創立以来、社会教育協会評議員として参加。1927年(昭和2年)より1年4ヶ月間、欧米各国を視察。
加藤 藤太郎(かとう ふじたろう、1887年10月28日 -… 加藤 藤太郎(かとう ふじたろう、1887年10月28日 - 1987年10月5日)は、日本の実業家。神崎製紙創始者。元王子製紙副社長。 香川県三野郡桑山村(現 三豊市豊中町)出身。旧制香川県立三豊中学校、東京高等商業学校(現 一橋大学)卒業。 1910年(明治43年)東京高等商業学校卒業後、王子製紙に入社。藤原銀次郎社長等の知遇を受けて、1938年(昭和13年)常務就任の後、在職37年にして、1946年(昭和21年)2月、副社長に昇任。戦後、進駐軍の指示で財閥解体になり、同年12月、副社長を10ヶ月で退任。退職金も支払われなかった。 1948年(昭和23年)藤原銀次郎から同社神崎工場の再建を託され、神崎製紙を創設、初代社長に就任。