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井上 晃(いのうえ あきら、1938年3月20日 - 20… 井上 晃(いのうえ あきら、1938年3月20日 - 2023年10月31日)は、日本の原子力工学者。東京工業大学名誉教授。工学博士(東京工業大学、1966年)。原子力発電の安全性向上に尽力した。 1938年生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に東京工業大学工学部金属工学科卒業、1966年に「垂直管内気液二相流の圧力損失に関する研究」で工学博士号を取得。同大学原子炉工学研究所助手、1972年同原子炉熱工学部門助教授を経て、1986年教授。後に福島第一原子力発電所所長を務める吉田昌郎の指導も担当した。同大学大学院総合理工学研究科教授を経て、1998年に名誉教授。 専門は原子炉熱流体工学、気液二相流の流動と熱伝達、高速炉の熱工学的安全性であり、特に沸騰伝熱および気液二相流の分野における研究で国際的な業績があったとされる。
小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械… 小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械工学者、熱工学者。九州大学名誉教授、元北九州市立大学国際環境工学部教授。日本工学アカデミー正会員。工学博士(九州大学、1976年)。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に九州大学工学部機械工学科卒業後、1966年同大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学。1976年に「予混合気における発火と火炎伝ぱに関する基礎的研究」で工学博士号を取得した。 1966年九州大学工学部講師、1967年助教授を経て、1978年教授。1979年からは同大学大学院総合理工学研究科教授を併任(1998年まで)。1999年に同大学大学院工学研究科教授となり、2001年退官、名誉教授。
正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏… 正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏教学者、哲学者。長崎大学名誉教授、元副学長。光永寺(長崎市)住職。 1938年、広島県広島市生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に学習院大学文学部哲学科卒業。1964年に東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1967年に同博士課程を単位修得退学後、長崎大学に着任。1967年4月教養部助手、同年11月講師、1972年8月助教授、1977年3月教授、1997年10月環境科学部教授を経て、2004年3月に定年退官、名誉教授。1988年から1990年にかけて同大学評議員、2003年から退官まで副学長を務めた。 大学退官後は光永寺住職となったほか、地球システム・倫理学会の設立発起人となり、2016年現在も同学会理事を務めている。
古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月1… 古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月13日 )は、日本のドイツ語学者。熊本大学名誉教授。長崎県出身。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、1964年東京大学文学部ドイツ文学科卒業、1966年同大学大学院人文科学研究科(現:東京大学大学院人文社会系研究科)独語独文学専門課程修士課程修了。同年4月熊本大学に着任、同大学文学部教授などを歴任し(その間ドイツ学術交流会の奨学金によりザールブリュッケン大学に留学)、2004年に退官、名誉教授。
永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 201… 永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 2017年7月21日)は、日本の実業家。元安川電機会長、安川情報システム(現:YE DIGITAL)社長。長崎県長崎市出身。 1937年長崎県生まれ。1959年長崎大学経済学部卒業後、安川電機製作所(現:安川電機)に入社。取締役企画部長などを経て、1989年安川情報システム社長、1994年常務、1995年専務、1996年副社長。1999年3月期に経常赤字となるなど業績が悪化したことを受け、橋本伸一社長の下で中期経営計画を進め、産業用電気機器をはじめとした不採算部門からの撤退やロボット事業など得意とする事業分野の強化を行なった。2000年に会長就任。
西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月1… 西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月12日 - 2011年〈平成23年〉11月5日)は、日本の政治家。従二位桐花大綬章。 衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)、文部政務次官(第3次佐藤内閣)、新自由クラブ幹事長、文部大臣(第111・112代)、自由民主党総務会長、新進党幹事長、参議院議長(第28代)などを歴任。 1963年(昭和38年)11月、衆議院議員を5期務めた父・竹次郎と、吉田茂が率いる自由党初の女性参議院議員として婦人参政権運動に尽力した母・ハルの地盤を引継いだ世襲候補として第30回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。4位当選を果たし、自民党の追加公認を受ける。前職の国会議員である母とともに初登院した。
脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の… 脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の料理研究家。元長崎女子短期大学教授。長崎の味研究グループ代表を務め、長崎の食文化について研究している。 1936年、長崎県長崎市生まれ。長崎市立桜馬場中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、長崎大学学芸学部(現・教育学部)を卒業。 長崎女子商業高等学校の家庭科教員、長崎総合科学大学附属高等学校の非常勤講師を経て、1983年から2002年まで長崎女子短期大学で調理学・食育学を教えた。その後も県立長崎シーボルト大学やこころ医療福祉専門学校などで非常勤講師を務めた。 長崎の食文化についての研究に努め、ながさきの「食」推進委員会食育部会会長や長崎市地産地消アドバイザーを歴任。
大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11… 大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11月 - )は、日本の実業家。元新日鉄化学社長、新日本製鉄常務取締役。長崎県出身。 1935年(昭和10年)長崎県生まれ。1959年(昭和34年)一橋大学経済学部卒業後、八幡製鉄に入社。以後営業畑を歩み、八幡製鉄所生産業務部長・本社自動車鋼板販売部長などを経て、1989年(平成元年)6月、八幡製鉄所副所長。当時の好況に浮かれる所内の引き締めを図った。1991年(平成3年)堺製鉄所所長、1993年(平成5年)新日本製鉄常務取締役、1995年(平成7年)新日鉄化学副社長を経て、1997年(平成9年)同社社長に就任。新日鉄化学は当時、1994年(平成6年)の為替差損問題で経営危機に陥っており、副社長時代から一貫して経営再建に取り組んだ。
中尾 郁子(なかお いくこ、1935年4月24日 - )は、… 中尾 郁子(なかお いくこ、1935年4月24日 - )は、日本の政治家。元長崎県五島市長(2期)、元福江市議会議員(4期)。長崎県初の女性首長である。 父親は長崎県知事を務めた久保勘一。 長崎県南松浦郡三井楽町(現・五島市)出身。長崎県立長崎東高等学校卒業。長崎県庁に入庁。 1990年(平成2年)9月、福江市(現・五島市)議会選挙に出馬し、初当選。以後、同市議を4期つとめる。 2004年(平成16年)8月1日、福江市、南松浦郡富江町、南松浦郡玉之浦町、南松浦郡三井楽町、南松浦郡岐宿町、南松浦郡奈留町の合併(新設合併)により五島市が発足する。それに伴って同年9月5日に執行された五島市長選挙に無所属で出馬。
平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は… 平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は、日本の経済学者。信州大学名誉教授、元長崎県立大学学長。専門は近代経済学、産業構造論。 長崎県福江市(現・五島市)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業後、経済企画庁入庁。同庁経済研究所主任研究官を経て、1978年に信州大学助教授となり、1982年教授。同大学附属図書館長などを務め、2000年に退官、名誉教授。2002年に長崎県立大学学長となり、2005年まで務めた。2008年に長崎県立大学名誉教授。アルカスSASEBOの館長も務めた。
井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、… 井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、日本の実業家。元不二越会長・社長。長崎県出身。 1935年(昭和10年)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1957年に長崎大学経済学部を卒業し、同年不二越入社。取締役、常務取締役、代表取締役専務などを経て、1998年2月社長に就任した。事業部門の再編や同業他社との業務提携を進めたほか、不二越の創業70年を記念してコーポレートマークの改定を行なった。また、第二次世界大戦中に強制労働を強いられたとして元女子勤労挺身隊員の3名が雇用企業である不二越に損害賠償と謝罪を求めていた「不二越訴訟」について、第一審・第二審ともに不二越側の全面勝訴であったにもかかわらず、2000年7月に最高裁での和解に踏み切った。
金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は… 金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は、日本の実業家。テレビ長崎会長、元社長。父は農林水産大臣を務めた金子岩三、弟は長崎県知事を務め現参議院議員の金子原二郎。 1935年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1959年に慶応義塾大学法学部卒業後、金子商店に入社。1970年専務、1975年金子漁業(金子商店から社名変更)副社長を経て、1984年社長に就任。父は金子漁業グループ創業者で元農林水産大臣の金子岩三であり、実弟の金子原二郎が政界を、自身が財界を引き継ぐという分業体制を成立させた。1986年には父・岩三が設立に携わったテレビ長崎社長に就任。以後26年にわたって務め2012年同社会長となり、2020年4月一身上の都合で退任した。
佐々治 寛之(ささじ ひろゆき、1935年 - 2006年8… 佐々治 寛之(ささじ ひろゆき、1935年 - 2006年8月1日)は、日本の動物学者。 長崎県出身。旧姓・神谷。長崎県立長崎東高等学校、九州大学農学部卒、同大学院、1967年農学博士(九州大学)。福井大学教育学部助教授、教授。99年定年退官、名誉教授。 佐々治寛之は、甲虫類、とくにテントウムシを中心とする標本の収集・整理にも尽力し、その結果得られた標本群は佐々治寛之コレクションとして九州大学総合研究博物館のデータベースとして公開されている。現在公開されているデータには学名・採集年月日・採集地・採集者などが収録され、2020年12月末時点での標本データは4,456件である。
前畑 安宏(まえはた やすひろ、1934年8月1日 - )は… 前畑 安宏(まえはた やすひろ、1934年8月1日 - )は、日本の文部官僚。元文部省体育局長、高等教育局長、生涯教育局長。放送大学学園法の法案作成に携わった。長崎県出身。 1934年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1960年九州大学法学部を卒業後、文部省に入省。入省同期に坂元弘直(元文部事務次官)、内田弘保(元文化庁長官)らがいる。大学局高等教育計画課企画官時代の1978年には放送大学学園法の法案作成チームリーダーを務めた。その後文化庁文化部長などを経て、文部省官房審議官、体育局長、高等教育局長、生涯教育局長を歴任し、1993年に退官。退職後は放送大学学園監事、日本一輪車協会会長などを務めた。
浜口 義曠(はまぐち よしひろ、1933年9月2日 - 20… 浜口 義曠(はまぐち よしひろ、1933年9月2日 - 2021年8月31日)は、日本の農林水産官僚。元大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官。コメ行政に携わり、ウルグアイ・ラウンドにおける交渉にはコメ開放に反対する立場で取り組んだ。退官後は日本中央競馬会理事長などを務めた。長崎県出身。東京大学法学部卒業。 1933年、長崎県長崎市生まれ。終戦まで中華人民共和国の上海市で育つ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業後、農林省(現:農林水産省)入省。入省同期には浜口の後任として事務次官を務めることとなる京谷昭夫がいる。 経済局金融課長、大臣官房総務課長、大臣官房秘書課長、農蚕園芸局長、大臣官房長などを経て、1989年食糧庁長官に就任し、コメ行政に中心人物として携わった。
山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )… 山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事。日本で初めてプライバシー権を認めた「宴のあと」事件第一審判決などに関わった。また、司法研修所教官として司法修習生や裁判官の教育に取り組んだ。退官後、目黒公証役場公証人、第二東京弁護士会所属の弁護士となったほか、大東文化大学法科大学院教授を務めた。
村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 20… 村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 2019年11月14日)は、日本の実業家。野母商船グループ会長。旅客船業界に係る各種団体の会長・委員等を務め、海運事業振興に努めた。 1933年長崎県生まれ。祖父は野母商船創業者の村木清三郎、父は日本旅客船協会の設立に関わり、同協会会長を務めた村木信一郎。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業後、野母商船に入社。1964年専務を経て、1991年社長。2006年から2011年まで日本旅客船協会会長を務め、高速道路無料化に反対するなど業界の意見を発信した。また、離島を多く抱える長崎県における海上交通の振興にも努め、島民らを対象として運賃を割引する制度を打ち出すなどした。
高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は… 高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は、日本の法学者。日本大学名誉教授。専門は法哲学、基礎法学、日本近代法史。明治期の政治家である金子堅太郎研究の第一人者とされる。 日本大学大学院法学研究科私法学専攻修了。日本大学法学部教授を務め、筑波大学第三学群講師、埼玉大学経済学部講師を兼任した。
田代 和彦(たしろ かずひこ、1933年 - )は、日本の郵… 田代 和彦(たしろ かずひこ、1933年 - )は、日本の郵政官僚。郵政大学校長を務め、郵便業務に携わる人材の育成に努めた。長崎県出身。 1933年生まれ。長崎県出身。1956年九州大学法学部を卒業後、郵政省に入省。同省大臣官房郵政参事官や各地域の郵政監察局長を経て、1983年郵政大学校長に就任した。同省退官後は、簡易保険郵便年金福祉事業団理事、日本高速通信(現・KDDI)専務などを務めた。2005年に瑞宝中綬章受章。
岩﨑 四郎(いわさき しろう、1933年 - 2010年3月… 岩﨑 四郎(いわさき しろう、1933年 - 2010年3月4日)は、日本の法務官僚、刑務官。元名古屋矯正管区長。退官後は長崎原爆の研究に取り組んだ。 1933年生まれ。12歳の時に長崎市で被爆した。1956年に九州大学法学部を卒業後、法務省に採用され入省。矯正研修所教官、法務総合研究所研究官を務め、刑事政策に関する論文を多く著した。福岡矯正管区長、広島矯正管区長、名古屋矯正管区長などを歴任して、1993年に退官。2003年に勲三等瑞宝章を受章した。退官後は長崎原爆について研究し、投下に至った経緯を検証するとともに、核軍縮や反戦を訴えた。2010年に腹部大動脈瘤破裂のため死去。
吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月… 吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月15日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会会員。長崎県出身。 1933年ソウル生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、中央大学法学部卒業後、高橋正人デザイン研究所を修了した。日本アートデザインへの勤務を経て、1966年に吉田佳広デザイン研究室を設立した。ヴィジュアルデザイン研究所、岡山大学教育学部、東京造形大学で講師を務めたほか、実用技能検定協会理事、日本フォントコンテンツ文化協会理事、レタリング技能検定中央試験委員長などを歴任した。 東京アートディレクターズクラブ(ADC)賞、全日本シーエム放送連盟(ACC)賞、ニューヨークタイプディレクターズクラブ展(N.Y.TDC展)入賞、電通賞、日本タイポグラフィ年鑑ベストワーク賞などデザインに係わる賞のほか、文部科学省から社会教育功労者賞を受けた。
脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は… 脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は、日本の物性物理学者。東北大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。 1932年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年に学習院大学理学部物理学科卒業、1958年に同大学大学院自然科学研究科修士課程を修了。小林理学研究所を経て、1961年東京大学物性研究所助手となり、1965年に「鉄-アルミニウム系合金単結晶の磁場中冷却効果の研究」で理学博士号を取得。グルノーブル大学理学部客員助教授を経て、1967年東北大学助教授、1978年教授。磁気物性工学を専門とし、1977年には「DHCP結晶構造を持つコバルト・鉄合金の発見とその物性に関する研究」で松永賞を受賞。
田中 煕巳(たなか てるみ、1932年4月29日 - )は、… 田中 煕巳(たなか てるみ、1932年4月29日 - )は、日本の材料工学者、核廃絶運動家。長崎原爆被爆者。日本原水爆被害者団体協議会代表委員。元東北大学工学部助教授・十文字学園女子短期大学教授、博士(工学)(東北大学、1993年)。専門は材料工学。 長年、被爆者運動の中核を担っており、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局長を計20年務め、その後も同団体の代表委員として活動。2024年10月11日、代表委員として所属する日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞。 1932年、中国東北部(旧満洲)に生まれた。陸軍の軍人であった父が脳出血のため他界したため、親類を頼って長崎市に移り住んだ。
田中 道雄(たなか みちお、1932年4月25日- )は、日… 田中 道雄(たなか みちお、1932年4月25日- )は、日本の国文学者。佐賀大学名誉教授。義仲寺総代。 韓国京城府(現・ソウル特別市)生まれ。長崎県出身。1958年佐賀大学文理学部(文科系)卒業、1963年九州大学大学院国文学博士課程満期退学。1965年有明工業高等専門学校講師、1966年九州工業大学助教授、1971年鹿児島大学助教授、1977年教授、1981年佐賀大学教授、1998年定年退官、名誉教授。2001年 文学博士号取得(九州大学)「蕉風復興運動と蕪村」
宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2… 宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2022年12月14日)は、日本の神学者、哲学者。カトリック教会司祭。元長崎純心大学教授。安楽死に関する研究で知られる。 1932年、茨城県土浦市生まれ。1944年に大村教会で洗礼を受けた。長崎県立長崎東高等学校を経て、1955年に東京大学経済学部卒業後、東京カトリック神学院に入学。1957年から1968年にかけてローマとミュンヘンへ留学し、1963年に司祭叙階を受けた。1965年教皇庁立ウルバニアナ大学大学院神学研究科、1968年同大学大学院哲学研究科をそれぞれ修了し、神学博士号と学術博士号を取得した。 1967年に東京純心女子短期大学専任講師となり、1971年長崎純心女子短期大学(現:長崎純心大学短期大学部)教授を経て、1995年長崎純心大学人文学部教授。
木村 一生(きむら いっしょう、1932年 - 2015年)… 木村 一生(きむら いっしょう、1932年 - 2015年)は、日本の抽象画家で、多摩美術大学名誉教授。本名は木村和夫。 1932年、長崎県長崎市生まれ。1951年、長崎県立長崎東高等学校卒業。東京芸術大学絵画科在学中の1955年に浜屋百貨店で初めての個展を開催。1957年、同大学を卒業後、1958年には読売アンデパンダン展に出品。1959年、モダンアート協会展に初出品し翌1960年に同会会員となる。1989年の「木村一生の世界」展(池田20世紀美術館企画)をはじめ多数の個展を開催。また、1960年から1985年にかけて「新表現展」に出品するなどグループ展にも数多く参加。1968年より多摩美術大学で後進の指導にも取り組み、1972年に助教授、1983年に教授就任。
山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )… 山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )は、日本の実業家。元富士機工会長・社長。富士機工の東証一部上場に尽力した。東京都出身。横浜国立大学経済学部卒業。 1931年東京都生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1954年に横浜国立大学経済学部卒業後、富士紡績入社。1983年同社大阪営業部長、1984年企画管理部長、1986年取締役企画管理部長を経て、1990年6月に富士機工常務取締役となり、1991年6月同社社長に就任。在任中の1996年9月に富士機工は東証一部指定を受けた。1998年6月に同社会長に就任し、1999年6月まで務めた。
松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は… 松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は、日本の実業家。元西華産業社長。長崎県出身。 1931年長崎県生まれ。1954年早稲田大学理工学部卒業後、西華産業に入社。ドイツ・デュッセルドルフの現地法人に駐在時、元宇部興産専務執行役員の浅野正之(浅野茂隆・東京大学名誉教授の兄)らと交流があった。同社取締役、常務取締役、副社長を経て、1994年社長に就任。在任中は取引における急速な情報システム化が進んでいたことを受けて、1997年に情報通信委員会を発足させ、イントラネット構築を推進した。こうした取り組みなどもあって西華産業は売上高を伸ばし、東京商工リサーチが行った調査によると、九州・沖縄に本社がある企業の売上高ランキングにおいて9位にランクインし、前年比伸び率は39.6%となった(1997年度)。
松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は… 松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は、日本の実業家。元島原鉄道社長。雲仙普賢岳の噴火に伴う土石流により一部区間が寸断された島原鉄道の再建に尽力した。 1931年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1954年に長崎県入庁。県通商貿易課勤務を経て、香港やバンコクで貿易促進駐在員を務めた。その後長崎県議会事務局長、労働部長、企画部長を歴任し、1989年に長崎空港ビルディング常務取締役に就任。同社専務取締役を経て、1993年島原鉄道社長に就いた。 島原鉄道は当時、1991年を中心に起きた雲仙普賢岳の噴火災害により、島原外港駅-深江駅間が不通となっていた。
林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 201… 林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 2017年2月19日)は、日本の小説家、随筆家。長崎県生まれ。本姓宮崎。高女3年の時に爆心地近くの三菱兵器大橋工場で学徒動員中に被爆するも奇跡的に生還。結婚・出産を経て「文藝首都」の同人となり小説を書き始め、1975年「祭りの場」で群像新人文学賞・芥川賞受賞。以後、原爆症の不安を抱えながら死を意識し、生を見つめた作品を発表した。 1930年8月28日、長崎県長崎市出身。誕生の翌年、父(三井物産社員)の勤務地・上海に移住。1945年に帰国し、長崎県立長崎高等女学校(現長崎県立長崎東中学校・高等学校、長崎県立長崎西高等学校)3年に編入学。同年8月9日、市内大橋にある三菱兵器工場に学徒動員中、被爆した。
川谷 絵音 は、日本のボーカリスト、ギタリスト、キーボーディ… 川谷 絵音 は、日本のボーカリスト、ギタリスト、キーボーディスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。長崎県出身。「indigo la End」「ゲスの極み乙女」「ジェニーハイ」「ichikoro」「礼賛」のバンド5グループを掛け持ちしながら、ソロプロジェクト「独特な人」「美的計画」、休日課長率いるバンドDADARAYのプロデュース、アーティストへの楽曲提供やドラマの劇伴などのプロジェクトを行っている。
五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(… 五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(こうふう)。栃木県宇都宮市在住。なお五島高資というのは本名ではなく俳人名。
中村 知大(なかむら ともひろ)は、日本の空道家。長崎県出身… 中村 知大(なかむら ともひろ)は、日本の空道家。長崎県出身。高校時代まで長崎県にて柔道をしていた。大学時代の2009年、第三回空道世界大会準優勝。その後、大学卒業後の2014年、第四回空道世界大会にて世界王者に輝いた。
上谷 理佳(うえたに りか、9月3日-)は、日本のフリーアナ… 上谷 理佳(うえたに りか、9月3日-)は、日本のフリーアナウンサー。元NHK首都圏放送センター契約キャスター。 長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て(55回生)、東京女子大学文理学部英米文学科卒業。大学在学中、東京アナウンスセミナーに通っていた(7期生)。2007年から4年間NHK長崎放送局に勤務し、2011年から2014年まではNHK首都圏放送センターの番組を担当していた。 血液型はA型。趣味はマリンバ演奏、紅茶、口笛を吹くこと。
有田 俊雄(ありた としお)は、日本の技術士、包装管理士。パ… 有田 俊雄(ありた としお)は、日本の技術士、包装管理士。パッケージング・ストラテジー・ジャパン社長。食品・飲料製品向け包装システムの市場調査等を専門としている。2005年に米国包装殿堂入りを果たした。 旧制長崎県立長崎中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、東京大学工学部応用化学科卒業。日本パルプ工業(現・王子製紙)・ダイヤパッケージング(現・三菱商事パッケージング)勤務を経て、1997年に米国BNP Media社のパッケージング・ストラテジー部門日本代表。2007年にはパッケージング・ストラテジー・ジャパンを設立し、社長に就任した。包装システムの市場調査や技術開発、海外における包装技術の日本への導入、国内外の包装関連企業の業務提携等に取り組んだ。
猪山 英徳(いやま ひでのり)は、日本の実業家。元東洋酸素社… 猪山 英徳(いやま ひでのり)は、日本の実業家。元東洋酸素社長、大陽東洋酸素副社長。東洋酸素と大陽酸素の合併を決めた。 長崎県出身。1957年に九州大学法学部卒業後、三菱信託銀行入行。1985年同行取締役丸の内支店長を経て、1987年4月に東洋酸素入社。同年6月常務取締役、1989年6月専務取締役を経て、1992年1月社長に就任した。1994年、競争力の強化を目的として同じ三菱グループに属する大陽酸素と合併することを発表、1995年4月1日付で発足した新会社・大陽東洋酸素の副社長に就任した。
植田 史生(うえだ ふみお)は、日本のスポーツ科学者、剣道家… 植田 史生(うえだ ふみお)は、日本のスポーツ科学者、剣道家。慶應義塾大学体育研究所教授。 長崎県小浜町(現:雲仙市)出身。長崎県立長崎東高等学校を卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学。剣道部で活動し、1976年の早慶戦では優秀選手に選出された(同年の優秀選手には早稲田大学の谷藤裕明・元盛岡市長がいる)。大学卒業後、1977年慶應義塾大学体育研究所助手、1987年専任講師、1994年助教授を経て、2004年に教授就任。2005年から2013年まで体育研究所長を務めた。剣道の動作分析に関する研究や、スポーツ選手のレーザー治療に関する研究に従事している。剣道の指導にも取り組んでおり、2001年から2003年まで慶應義塾大学剣道部監督を務めたほか、2002年からハーバード大学剣道部コーチを務めている。
牛嶋 俊一郎(うしじま しゅんいちろう)は、日本の経済企画官… 牛嶋 俊一郎(うしじま しゅんいちろう)は、日本の経済企画官僚、経済学者。元経済企画庁総合計画局長、埼玉大学経済学部教授。1997年から1年間、ロシア経済省に外国政府関係者として初めて派遣され、経済改革支援に従事した。 長崎県出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1971年に東京大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁に入庁。官庁エコノミストとしての活動に加えて、経済協力開発機構(OECD)エコノミストや同日本代表部参事官などを務め、国際経験を積んだ。こうした経歴を買われ、ロシア経済省からの要請に応える形で1997年に同省顧問として派遣された。任期中には金融政策や地下経済に関する推計を行ったほか、財政投融資システムの導入を提案した。
梶原 ひろみ(かじわら ひろみ)は、日本の声楽家(ソプラノ)… 梶原 ひろみ(かじわら ひろみ)は、日本の声楽家(ソプラノ)、クラシカル・クロスオーバー歌手。女性歌手グループLuminous元メンバー。 福岡県生まれ、長崎県育ち、関東在住。長崎県立長崎東高等学校を経て大阪芸術大学芸術学部声楽コースを卒業。 大阪芸術大での同級生にコンポーザー・ピアニストの天平がおり、彼のアルバム「火の鳥Vol.1」にも参加している。 2014年3月より長崎東高時代の同級生であるフリーアナウンサーの前田真里とインターネットラジオ「まりカジWorld」を配信している。 出典 株式会社SNKプレイモアHP http://slot.snkplaymore.co.jp/official/skylove2/ TV番組『街』 作詞・作曲 梶原ひろみ 編曲 KAZSIN (BS朝日「にっぽん今昔道」ENDテーマ曲) 出典ミュージックネットワーク HPhttp://www.musicnetwork.co.jp/work/book-mook/
金森 廣(かなもり ひろし)は、日本の実業家。元サウディ石油… 金森 廣(かなもり ひろし)は、日本の実業家。元サウディ石油化学社長、韓国三菱商事社長。長崎県出身。 長崎県立長崎東高等学校を経て、九州大学工学部応用化学科に進学。同期には竹下道夫(宇部興産社長)がいる。1973年に同大学を卒業後、三菱商事入社。同社では化学畑を歩み、1998年にサウジ基礎産業公社とサウディ石油化学の合弁会社であるSHARQに出向、2000年本店ポリエステル原料ユニットマネージャー、2002年台湾三菱商事副総経理、2004年韓国三菱商事社長、2006年本店理事化学品グループCEOオフィス室長を歴任した。2010年にサウディ石油化学常務となり、2011年3月同社社長に就任。中東協力センター理事も務めた。
林 功(はやし いさお)は、長崎県長崎市出身の英語講師、著作… 林 功(はやし いさお)は、長崎県長崎市出身の英語講師、著作家。留学試験対策専門校LINGO L.L.C. (1998-2026)の創立者。元筑波大学大学院非常勤講師共通科目担当。 長崎県立長崎東高等学校卒業、早稲田大学第一文学部中退。その後、南イリノイ大学英語学科卒業。ワシントン大学大学院比較文学修士課程修了。学位:MA in Comparative Literature。 TOEFLの出題内容および傾向の分析が専門。文法解法理論「パワフルコード」を創出。
光 道隆(ひかり みちたか)は、日本の数学者。慶應義塾大学名… 光 道隆(ひかり みちたか)は、日本の数学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は代数学、群論。 1969年、埼玉大学理工学部数学科卒業。1971年、筑波大学大学院理学研究科修士課程修了。1984年、筑波大学より理学博士の学位を取得。1974年、東海大学理学部専任講師、1977年、慶應義塾大学経済学部助教授を経て、1989年より慶應義塾大学経済学部教授。
渕木 幹雄(ふちき みきお)は、日本の実業家。元マンパワー・… 渕木 幹雄(ふちき みきお)は、日本の実業家。元マンパワー・ジャパン(現・マンパワーグループ)社長。長崎県長崎市出身。 長崎県立長崎東高等学校を経て、1971年に東京経済大学経営学部卒業後、マンパワー・ジャパン入社。各地の支店長、エリアマネージャーを務め、顧客拡大に取り組んだ。営業本部長、専務取締役、取締役副社長などを経て、2007年代表取締役社長に就任。同社は前年に設立40周年を迎えており、営業強化策の一環として派遣拠点の拡充を進めたほか、全国的にテレビコマーシャルを展開した。また、売り上げ至上主義ではなく、顧客と派遣スタッフのマッチング精度を向上させ顧客満足度を高める方針を示した。こうした取り組みの結果、同社としては初めて売上1000億円を達成した。
山口 修(やまぐち おさむ)は、日本のギタリスト。国際的なギ… 山口 修(やまぐち おさむ)は、日本のギタリスト。国際的なギターコンクールで優勝・受賞歴がある。 長崎県長崎市出身。小学生の頃に不登校の時期があったが、10歳のときにギターと出会い、ギターと会話をするように練習する中で人と話すことも好きになり、学校に戻ることができたという。中学生のときに九州ギター音楽コンクールで優勝、長崎東高校在学中に第14回日本ギターコンクールで第2位に入賞した。ギターを中心とするグループ・サウンズやビートルズが音楽シーンを席巻する中で、自らもギタリストとして活動したいと思うようになり、スペイン給費留学生として渡欧し、数多くのコンクールに参加。アルル国際音楽祭(フランス)で最優秀賞を受賞したほか、ラミレス国際ギターコンクール(スペイン)とアレッサンドリア国際ギターコンクール(イタリア)でいずれも日本人として初めて第1位を獲得した。