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平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は… 平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は、日本の官僚、元安田信託銀行顧問。 熊本県生まれ。熊本県立玉名中学校卒業。第五高等学校卒業、東京大学理学部卒業。 昭和31年、旧通商産業省(現:経済産業省)入省。主に技術畑を歩んだ。 昭和59年、立地公害局長就任。 昭和60年、退官。その後、安田信託銀行の顧問を経て昭和電工株式会社専務取締役、日本規格協会理事長。
加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日… 加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日本の官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1943年卒業)、東亜同文書院大学予科を経て、九州帝国大学法文学部を卒業した。 1949年に人事院に入庁する。近畿事務局長、給与局次長、公務員研修所長、管理局長を経て、1983年に人事院事務総長となる。1986年に退官した。退官後は日本体育・学校健康センター理事を務めた。
高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 197… 高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 1977年7月17日)は、日本の政治家、厚生官僚。位階は従三位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。 1914年(大正3年)熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1936年(昭和11年)、東京帝国大学卒業後、内務省に入省する。1937年(昭和12年)に香川県警警務課長。 1941年(昭和16年)に厚生省に配転され、1945年(昭和20年)より同省庶務課長、1955年(昭和30年)より医務局次長、1956年(昭和31年)より児童局長、1960年(昭和35年) より官房長、1962年(昭和37年)4月より保険局長を経て、同年7月社会保険庁長官に就任。
大江 卓二(おおえ たくじ、1910年 - 2002年5月2… 大江 卓二(おおえ たくじ、1910年 - 2002年5月27日)は日本の技術者、官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学工学部を卒業した。 逓信省船舶試験所(現・海上技術安全研究所)に入所し、1949年に第4部長となる。以後、運輸省技術研究所船舶機関部長、所長を歴任した。 2002年5月27日、前立腺癌のため死去。
川本 邦雄(かわもと くにお、1903年3月28日 - 19… 川本 邦雄(かわもと くにお、1903年3月28日 - 1945年)は、昭和期の日本の官僚。妻は西四辻公堯の長女壽榮子。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1920年卒業)、第五高等学校を経て、京都帝国大学法学部を卒業した。 卒業後は朝鮮総督府に勤務の後、拓務省の高官となり、文書課長などを歴任した。その後、新たに発足した大東亜省の文書課長となり、1945年に中国地区統監府官房参事官として広島市に赴任中に広島市への原子爆弾投下に遭遇して被爆死した。 南方(東南アジア)政策を専門とし、『南方への指標』(朝日新聞社、1942年)や『大南洋の話』(偕成社・偕成社少年少女文庫、1942年)といった一般向けの著作を残している。
田代 功(たしろ いさお)は、日本の官僚、郵政官僚。熊本県出… 田代 功(たしろ いさお)は、日本の官僚、郵政官僚。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、東京大学法学部卒業。 昭和33年に郵政省に入省する。 45年、熊本郵政局資材部長、九州電波監理局監督部長、総務部長などを経て55年、本省大臣官房文書課長、56年、審議官。 60年、九州郵政局長、本省大臣官房資材部長などを経て本省郵務局長を最後に退官した。 退官後は東京放送(現・TBS)常務取締役を務めた。
広瀬 続(ひろせ つづく)は、日本の教育者、官僚。 熊本県に… 広瀬 続(ひろせ つづく)は、日本の教育者、官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1923年卒業)、広島高等師範学校第二教員養成所を経て、京城帝国大学法文学部を卒業した。 山梨県立日川中学校教諭などを歴任後、朝鮮総督府に入り、総督府警務局編修官となる。 太平洋戦争中は従軍した。戦後は郷里である熊本に引き上げ、母校である玉名高校で教諭や教頭を歴任した。
藤原 保明(ふじわら やすあき)は昭和期の日本の官僚。 熊本… 藤原 保明(ふじわら やすあき)は昭和期の日本の官僚。 熊本県立玉名中学校(1908年卒業)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業した。1915年に高等文官試験に合格し、逓信省に入省する。 満州国建国後には郵務司長として赴任した。その後、名古屋逓信局長、大阪逓信局長を経て、1938年に初代航空局長官に就任した。