スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
塗木 弘幸(ぬるき ひろゆき、1953年〈昭和28年〉7月2… 塗木 弘幸(ぬるき ひろゆき、1953年〈昭和28年〉7月2日 - )は、日本の政治家。鹿児島県南九州市長(3期)。 鹿児島県川辺郡知覧町(現・南九州市の一部)出身。1972年(昭和47年)3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。 2007年(平成19年)4月、知覧町議会議員選挙において無投票で初当選。同年12月1日、川辺町・知覧町・頴娃町が合併して南九州市が発足。これに伴って行われた南九州市議会議員選挙に出馬し当選。2011年(平成23年)、2期目の当選。 2015年(平成27年)12月13日に行われた南九州市長選挙は、知覧町出身の塗木、川辺町出身で前市議長の森田隆志、頴娃町出身で前市議の蓮子幹夫の新人3名の争いとなった。
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豊留 悦男(とよどめ えつお、1950年(昭和25年)6月1… 豊留 悦男(とよどめ えつお、1950年(昭和25年)6月17日 - )は、日本の政治家、教員。元鹿児島県指宿市長(3期)。 1963年に指宿市立柳田小学校、1966年に指宿市立北指宿中学校、1969年に鹿児島県立甲南高等学校をそれぞれ卒業。1973年3月、鹿児島大学教育学部卒業。同年4月、鹿児島県の教職員となる。喜入町立瀬々串小学校教頭(1996年就任)、出水市立米ノ津東小学校校長(2002年就任)、指宿市教育委員会学校教育課長(2005年就任)、鹿児島市立大龍小学校校長(2009年就任)などを歴任。 2010年(平成22年)2月7日に行われた指宿市長選挙に無所属で出馬。田原迫要市長の応援を受けた元県議の松元一広、元市議の東伸行、社会福祉法人理事長の徳永勝憲ら3候補との争いを制し初当選を果たす(豊留:10,088票、松元:7,316票、東:6,544票、徳永:3,858票)。
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小斉平 敏文(こせひら としふみ、1949年9月30日 - … 小斉平 敏文(こせひら としふみ、1949年9月30日 - 2015年7月9日)は、日本の政治家。宮崎県小林市議会議員(3期)、宮崎県議会議員(3期)、参議院議員(1期)を務めた。 宮崎県小林市出身。1968年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1974年衆議院議員・小山長規の秘書となる。1979年小林市議会議員に初当選し、以後連続3期務める。1991年宮崎県議会議員に初当選し、以後連続3期務める。2001年7月の参議院議員通常選挙に自民党公認で宮崎県選挙区から出馬。現職の長峯基らを破り初当選。2005年11月2日、農林水産大臣政務官に就任。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では再選を目指したが、無所属の新人・外山斎に敗れた。
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前川 燿男(まえかわ あきお、1945年(昭和20年)11月… 前川 燿男(まえかわ あきお、1945年(昭和20年)11月12日 - )は、日本の政治家。東京都練馬区長(3期)を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。 1964年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1970年、東京大学法学部卒業。 1971年、東京都庁入庁。民生局配属。東京都総合計画総括課長、臨海副都心開発部長を経て、2000年に石原慎太郎知事の下で東京都福祉局長に就任。2002年より知事本局長を務め、2005年に退職。同年より東京ガス執行役員・エネルギーソリューション本部コーディネーター。2009年より政策研究大学院大学客員教授。 2014年、志村豊志郎の死去に伴う練馬区長選挙に自由民主党、公明党推薦で出馬し、元区議ら3人の対立候補を破り初当選した。
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野口 寛(のぐち ひろし、1945年9月 - )は、日本の政… 野口 寛(のぐち ひろし、1945年9月 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元地方議員、政治運動家。鹿児島県立甲南高等学校、九州大学理学部卒業。県立高等学校教員を務めた後、西之表市議会議員を9期務めた。 2010年には、西之表市議会の馬毛島対策特別委員会の委員長を務め、東京の開発会社が米空母艦載機離着陸訓練施設の誘致を公言し、同島内の約170ヘクタール分の伐採工事を行っていることに対して、鹿児島県の許可が必要な開発行為であり、適法性を欠く疑いがあると見解を示した。 2011年6月21日、日米安全保障協議委員会が発表した共同文書の中で、在日米軍再編の一環として、西之表市の市街地から約12kmに浮かぶ馬毛島が米空母艦載機の離着陸訓練の候補地となったことに対して、同年7月7日、赤嶺政賢衆議院議員とともに、防衛省へ要請活動を行った。
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神園 征(かみぞの ただし、1943年〈昭和18年〉12月2… 神園 征(かみぞの ただし、1943年〈昭和18年〉12月28日 - 2022年〈令和4年〉7月31日)は、日本の政治家。鹿児島県枕崎市長(3期)。 鹿児島県枕崎市出身。かつお節店の四男として生まれる。鹿児島県立甲南高等学校、早稲田大学法学部卒業。1974年に帰郷し、学習塾を経営。枕崎市議会議員を経て、2002年枕崎市長に初当選。 2006年の市長選挙で再選を目指したが、元高等学校校長の瀬戸口嘉昭に敗れた。※当日有権者数:20,960人 最終投票率:72.82%(前回比:-pts) 4年後の2010年の市長選挙に立候補し、現職の瀬戸口を破って市長に復帰した。※当日有権者数:20,150人 最終投票率:69.74%(前回比:-3.08pts) 2014年の市長選挙でも瀬戸口らを破って再選。
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志摩 れい子(しま れいこ、1943年〈昭和18年〉6月23… 志摩 れい子(しま れいこ、1943年〈昭和18年〉6月23日-)は、日本の政治家、フリーアナウンサー。鹿児島市議会議員(5期)。元鹿児島県議会議員。元MBC南日本放送アナウンサー。 鹿児島市出身。東京の共立女子短期大学を卒業。 1964年(昭和39年)に帰郷し、有島裕子として同年4月1日付けでMBC南日本放送へアナウンサーとして入社。 鹿児島市の丸屋デパートにおいて1963年(昭和38年)に完成した九州初のサテライトスタジオ「MBCサテライトスタジオ」では、ラジオ公開放送の度スタジオ前に人だかりができる状態であったが、その丸屋デパートにおいて1965年(昭和40年)、2周年記念イベントの公開ラジオ番組「ミュージック☆オンパレード」を行い『ユアヒットパレード』で人気を博していたアナウンサーの横山欣司と共に司会を務め、集まった多くの来場者からリクエスト曲の受け付けを行った。
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南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月… 南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月14日 - )は、日本の看護学者、政治家。勲等は旭日大綬章。「惠」ではなく「恵」を用いて南野 知恵子とも表記される。 山口大学医療技術短期大学部看護学科教授、日本赤十字看護大学看護学部教授、自民党参議院議員(3期)、参議院文教科学委員長、法務大臣(第74・75代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)、日本ユネスコ国内委員会委員などを歴任。 1935年、満洲国の竜江省斉斉哈爾市(現:中華人民共和国チチハル市)にて生まれ、1946年に日本に引き揚げる。その後は鹿児島県にて育つ。1954年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1958年3月、大阪大学医学部附属助産婦学校卒業。
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吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5… 吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5月24日 - 2022年 <令和4年> 5月7日)は日本の政治家。鹿児島県加世田市長(2期)。加世田市名誉市民、南さつま市名誉市民。位階は正六位。 鹿児島県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、陸軍士官学校61期入校(赤崎義則鹿児島市長、久保亘参議院議員らと士官学校同期で、1945年に予科生で終戦し士官学校解散となり終業)。1951年大阪大学経済学部卒業。会社役員を経て、1962年12月から6期22年にわたり加世田市助役を務める。1985年11月10日第3代加世田市長に就任し、1993年11月9日まで2期務めた。
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土屋 佳照(つちや よしてる、1926年2月25日 - 20… 土屋 佳照(つちや よしてる、1926年2月25日 - 2004年11月2日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官、鹿児島県知事を歴任。 鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市串良町)出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)、第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)を経て、1949年3月 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月 総理庁に入庁。1952年 大分県民生労働部社会課長、1956年 経済企画庁調整局財政金融課専門調査員。1958年より地方自治庁へ転じる。自治省行政局選挙部長、国土庁地方振興局長、自治省税務局長、同省財政局長などを経て、1982年7月 自治事務次官に就任。自治官僚には珍しく行財政両面を経験した。
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鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2… 鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2日 - 2005年(平成17年)12月3日)は、日本の官僚、政治家。消防庁長官、自治事務次官、鹿児島県知事、参議院議員を歴任。 鹿児島県日置郡田布施村大字尾下(のちの金峰町、現南さつま市)出身。鹿児島二中(現甲南高校)、七高造士館を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1943年(昭和18年)、内務省入省。朝鮮総督府への出向、静岡県副知事、税務局長、財政局長、消防庁長官などを経て、1973年(昭和48年)に自治事務次官となる。退官後の1977年(昭和52年)に鹿児島県知事選に立候補し初当選。1989年(平成元年)まで3期12年務めた。在任中は、「官僚出身」を感じさせないざっくばらんな人柄で県民に親しまれた。
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和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20… 和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20日 - 1986年(昭和61年)4月28日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県議会議員(3期)。公明党に所属した。位階は正五位。 鹿児島県垂水市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)から1937年に士官学校へ進み、1940年に陸軍士官学校本科(54期)を卒業。陸軍大尉で復員。その後、公職追放となる。 1963年、鹿児島県議会議員に当選し、3期務める(鹿児島市区選出)。3期目の1972年11月に県議会議員を辞職し、第33回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)、第10回参議院議員通常選挙(鹿児島県選挙区)、第34回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)に立候補するが落選。
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宮崎 茂一(みやざき もいち、1917年2月15日 - 20… 宮崎 茂一(みやざき もいち、1917年2月15日 - 2004年2月16日)は、日本の政治家、技術士(建設部門)。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(8期)。第42代科学技術庁長官。 鹿児島県鹿児島郡谷山村大字上福元上松崎(現在の鹿児島市谷山中央)出身。鹿児島県立第二中学校(現甲南高校)から第七高等学校造士館(現鹿児島大学)を経て1939年東京帝国大学工学部を卒業。 大学卒業後、内務省に入省。その後は経済企画庁を経て運輸省に移り、港湾局長などを歴任。退官後、政界入りを目指し1969年の衆議院議員総選挙に旧鹿児島1区から無所属で出馬したが落選。3年後の1972年の総選挙に再び旧鹿児島1区から無所属で出馬、初当選を飾った(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
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池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 198… 池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 1982年5月30日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(3期)。 鹿児島県蒲生町(当時・蒲生村、現:姶良市の一部)出身。1933年旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)卒業。1936年に第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)を卒業。1940年に京都帝国大学経済学部卒業。日本石油株式会社に入社し勤務するが、1941年に応召し、1946年に復員。1947年に鹿児島県庁職員となり、鹿児島県東京事務所長、鹿児島県林務部長などを歴任。旧制中学時代の恩師でもある小山田政弘蒲生町長の後継として、郷里の町長選に出馬し無投票当選して、1973年5月より第11代蒲生町長。
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温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月… 温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月3日 - 1976年(昭和51年)10月22日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(3期)。位階は正四位、勲等は勲二等。 宮崎県西諸県郡小林村(現小林市)で、宮崎県会議長を務めた温水実孝の息子として生まれた。その後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て1931年(昭和6年)法政大学法科卒業し、農業に従事した。 1942年(昭和17年)小林町会議員に選出。1946年(昭和21年)小林町農業会会長に就任。1948年(昭和23年)宮崎県農業会会長となり。1954年(昭和29年)宮崎県農業協同組合中央会会長。1963年(昭和38年)宮崎県の農協中央会、信用農協連、経済農協連、共済農協連の各会長就任。
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小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月1… 小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月10日 - 1988年〈昭和63年〉1月31日)。は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、建設大臣(第23-24代)、国務大臣環境庁長官(第3代)を歴任。 宮崎県西諸県郡小林村(後の西諸県郡小林町、小林市)に、森長興(西諸県貯蓄銀行頭取、宮崎県会議員等歴任)の息子(資料により二男や四男)として生まれる。1919年に細野小学校を卒業。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を1923年に、第三高等学校を1926年に卒業。第三高等学校と東京帝国大学ではボート部に所属。1928年高等文官試験司法科に合格。村上朝一最高裁判所長官は、ともに高等文官試験の勉強をした学生時代の親友。
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福山 郷太郎(ふくやま ごうたろう、1904年8月29日 -… 福山 郷太郎(ふくやま ごうたろう、1904年8月29日 - 1982年5月27日)は日本の政治家。宮崎県串間市長(第2代、2期)、串間市議会議長などを歴任。 宮崎県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)にて学び、小山長規と同級で親しかった。1932年旧制第五高等学校(現熊本大学)文科卒業。1935年九州帝国大学法文学部法科(現九州大学法学部)政治専攻卒業。満洲綿花協会勤務を経て、1936年4月から1937年12月まで満洲国産業部農政課嘱託。 1959年4月串間市議会議員に当選し、1962年5月まで務める。そのうち1960年5月23日から1962年5月30日は、串間市議会議長の任にあった。
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平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 … 平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 - 1994年1月18日)は、日本の政治家、革新首長。第15代鹿児島市長、第2代鹿児島県串木野市長、第6代串木野町長。鹿児島県議会(鹿児島県会)議員、鹿児島市会議員、同副議長も歴任した。串木野市名誉市民。位階は従五位。 鹿児島市下荒田町の旧家・最上家に生まれる(平瀬は養子先の姓)。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1922年旧制第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)文科卒業、1926年に東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。同じ下荒田町出身で後輩の佐多忠隆とは、旧制中学生(通う中学は別)と旧制七高生のとき、ともに社会主義について勉強した。
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滿尾 君亮(みつお きみすけ、1901年(明治34年)9月5… 滿尾 君亮(みつお きみすけ、1901年(明治34年)9月5日 - 1994年(平成6年)8月3日)は、日本の政治家、衆議院議員、運輸官僚。 満尾彦吉の長男として、鹿児島県鹿児島市上之園町で生まれ。4年生まで中洲尋常小学校に通い、鹿児島県師範学校附属小学校に転校し卒業する。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類卒業する。旧制鹿児島二中では、のちの鹿児島市長平瀬實武と同級となる。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科に入学し。在学中の1925年(大正13年)11月高等文官試験外交科に合格する。1925年(大正14年)に卒業し。鉄道省に奉職する。その年の月に高等文官試験行政科にも合格する。
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葉梨 新五郎(はなし しんごろう、1901年〈明治34年〉2… 葉梨 新五郎(はなし しんごろう、1901年〈明治34年〉2月20日 - 1956年〈昭和31年〉3月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 茨城県稲敷郡木原村(現:美浦村木原)に葉梨伴之助の四男として生まれた。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、明治大学専門部法律科中退、国士舘高等部(国士舘大学の前身)中退。 中央新聞、日本電報通信社(後の電通)の記者、関東長官秘書官などを経て、1932年旧茨城1区から立憲政友会公認で第18回衆議院議員総選挙に初当選し、戦前・戦後合わせて公職追放の期間を挟み、5回当選した(第18回、第20回、第22回、第23回、第26回)。
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島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月3… 島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月30日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、昭和期の日本の実業家、政治家、華族(男爵)。貴族院男爵議員、参議院議員(2期)。重富島津家第8代当主(越前島津家第23代当主)。 鹿児島県鹿児島市清水町出身。男爵・島津壮之助の長男として生まれる。父の死去に伴い、1925年(大正14年)4月15日、男爵を襲爵した。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制) を経て、1923年(大正12年)成蹊実業専門学校本科を卒業。三菱銀行に勤務(約10年間)。以後、三和電機社長、鈴木商店代表者、鹿児島製紙興業社長などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。
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伊東 隆治(いとう りゅうじ、1898年7月8日 - 196… 伊東 隆治(いとう りゅうじ、1898年7月8日 - 1968年3月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。参議院議員(1期)。 鹿児島県大島郡龍郷村(現龍郷町)生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校・第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進学。帝大在学中の1921年(大正10年)に高等試験行政科・外交科で合格し、卒業後に外務省入りし、在漢口総領事館領事官補。同期入省に井口貞夫(駐米大使、外務事務次官)、田尻愛義(外務次官、大東亜次官、政務局長)、安東義良(駐ブラジル大使、欧亜局長)、西村熊雄(駐フランス大使、条約局長)などがいる。 外務省では通商局第五課長・漢口総領事・興亜院華中連絡部文化局長を歴任し、中華民国大使館参事官を最後に退官する。
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野村 不二(のむら ふじ、1891年11月4日-1987年)… 野村 不二(のむら ふじ、1891年11月4日-1987年)は、日本の弁護士(元裁判官)、林業経営者、地方政治家。鹿児島県弁護士会会長、日本治山治水協会理事などを歴任。九州経済林業社長。 鹿児島県肝属郡高山村(高山町を経て現肝付町)前田出身。父は高山町長を務めた。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)と第五高等学校 (旧制)を経て、1917年東京帝国大学法科大学を卒業。1918年司法官試補、1919年~1923年判事(浦和、名古屋、鹿児島各地方裁判所)。1921年弁護士登録。判事退官後に鹿児島市で弁護士開業し、鹿児島県会議員に推されて3期10年務める。第二次世界大戦の鹿児島市街地大空襲で子供を亡くす。
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英 義彦(はなぶさ よしひこ、1891年(明治24年)9月1… 英 義彦(はなぶさ よしひこ、1891年(明治24年)9月15日 – 1935年(昭和10年)5月1日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。日本大学教授。 鹿児島県大島郡喜界村(現在の喜界町。奄美群島・喜界島)大字湾の出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現在の鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1915年(大正4年)、日本大学法律科正科を卒業。1916年(大正5年)7月、アメリカ合衆国に渡り、カリフォルニア大学・スタンフォード大学・コロンビア大学・ニュースクール大学(New school for social research)において心理学・社会心理学・政治心理学などを学び、1921年(大正10年)10月にコロンビア大学のDoctor of phirosophy(Ph.D)の学位を取得する。
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