スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
千葉 佳男(ちば よしお、1930年6月10日 - 1997… 千葉 佳男(ちば よしお、1930年6月10日 - 1997年11月20日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 1930年、宮城県仙台市に生まれる。第二高等学校を経て、1953年、東北大学法学部を卒業。日本国有鉄道仙台鉄道管理局に勤務し、国労仙台地方本部青年部長、更に教宣部長となる。1960年の第29回衆議院議員総選挙に、旧宮城2区から日本社会党公認で立候補するが落選。1963年の第30回衆議院議員総選挙でも落選。1967年の第31回衆議院議員総選挙で社会党前職・日野吉夫を下し、初当選を飾る。衆議院では商工委員会委員などを務めたが、次の1969年の第32回衆議院議員総選挙では大きく票を減らし落選。
古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月2… 古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月24日 - 1972年11月5日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員(2期)。位階は正三位。勲等は勲二等。 宮城県岩沼市生まれ。伊達忠宗の家老職を務めた古内家の末裔である。第二高等学校文科乙類から東京帝国大学法学部に進み、大学在学中に高等試験外交科合格。外務省に入省してからはドイツに赴任して経験を積み1941年に本省に戻る。終戦直後は進駐軍との終戦連絡の折衝にあたるも、いわゆる「Y項パージ」で一時期省外へ出され公正取引委員会事務局総務部長、公正取引委員会事務局長などを務めた。 1953年に外務省に戻るとレバノン、オーストリア、パキスタン、インドネシアの各国大使を歴任し、池田勇人首相の奨めもあって1964年に退官して自由民主党公認で1965年の参院選に宮城県選挙区から立候補するが、地元組織の分裂から次点に終わる。
鈴木 東民(すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月2… 鈴木 東民(すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月25日 - 1979年〈昭和54年〉12月14日)は、日本のジャーナリスト、労働運動家、政治家。岩手県出身。第2次世界大戦前にベルリン特派員であった時はナチスを批判して国外退去させられ、帰国後は戦争を批判して軍部から執筆禁止処分を受け、敗戦後は読売新聞労働組合の委員長として読売争議を闘ったがGHQの命令により解雇された。釜石市長となってからは釜石製鉄所の公害を規制して闘った。 1895年6月25日、釜石市唐丹町川目で生まれる。旧制遠野中学校を経て、1920年に第二高等学校を卒業後、東京帝国大学経済学部に進み、卒業する。1920年初冬、東大赤門前にあった文信社という謄写版印刷屋で、宗教上の対立で実家から家出同然に上京していた宮沢賢治と知り合う 。
三浦 一雄(みうら くにお、1895年4月22日 - 196… 三浦 一雄(みうら くにお、1895年4月22日 - 1963年1月30日)は、日本の官僚、政治家。青森県三戸郡五戸町出身。位階は正三位。勲一等瑞宝章。父は五戸町長や青森県議会議員を務めた三浦道太郎。また、祖父の三浦泉八は十和田湖畔・宇樽部の開拓者として知られる。 1895年(明治28年)、青森県三戸郡五戸町に生まれる。仙台の第二高等学校から東京帝国大学へ進学し、在学中に上杉慎吉を中心に東大に組織された全日本興国同志会に入会。同大学を卒業後、農商務省入省。同期に岸信介ら。 1925年(大正14年)に農商務省が商工省・農林省(現 農林水産省)へと分割されると農林省へ転籍し、農山漁村経済更生運動に深く関わり一時期企画院に出向した後に農林次官を最後に農林省を退官。
鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 196… 鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 1963年8月25日)は、日本の政治家、法学者、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)、司法大臣・法務総裁を歴任。日本国憲法における生存権の制定・平和主義の誕生に寄与した。 1894年(明治27年)1月17日に福島県西白河郡白河町で生まれる。その後、東北学院普通科に進学し、同学校の第2代院長のD.B.シュネーダーら宣教師たちからキリスト教に基づく教育を受けた。同校卒業後は、仙台の第二高等学校(旧制二高)に進学した。そして1915年に東京帝国大学法科大学法律学科に進学し、美濃部達吉・吉野作造・牧野英一らのもとで学んだ。卒業後は同大の助手を務め、任期満了後の1921年(大正10)年から2年8ヶ月にわたり、欧米留学に向かった。
北村 文衛(きたむら ふみえ、1892年(明治25年)7月2… 北村 文衛(きたむら ふみえ、1892年(明治25年)7月25日 - 1957年(昭和32年)1月12日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。弁護士。 宮城県桃生郡鷹来村(現在の東松島市)出身。第二高等学校を経て、1917年(大正6年)に京都帝国大学法科大学を卒業。大阪商船株式会社に入社し、上海、神戸、大阪の支店で勤務した。1923年(大正12年)、仙台市に弁護士事務所を開業し、仙台弁護士会副会長を務めた。1927年(昭和2年)からは宮城県会議員に選出された。 1939年(昭和14年)、衆議院補欠選挙で当選を果たした。 1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。
木村 惇(きむら あつし、1891年〈明治24年〉10月30… 木村 惇(きむら あつし、1891年〈明治24年〉10月30日 - 1969年〈昭和44年〉2月12日)は、日本の政治家、内務・外務官僚・外交官。京都府知事を務めた。 1891年10月、宮城県で平民・木村精造の長男として生まれる。旧制第二高等学校を経て、1915年に京都帝国大学法科大学政治科を卒業。 1914年に高等文官試験に合格し、1915年に内務省に入省。東京府内務部農商課長を務めたのち、外交科試験以外の合格者を採用する「門戸解放」の一環として、外務省に転じ、欧米局第一課事務官、在アメリカ合衆国大使館三等書記官・二等書記官、亜細亜局事務官、文化事業部事務官、文化事業部第一課長、第二課長、文化事業部文部書記官、シカゴ領事、マニラ総領事、在ポーランド公使館一等書記官、在ポーランド大使館一等書記官、フィリピン協会常務理事を務めた。
立川 平(たつかわ おさむ、1891年(明治24年)9月12… 立川 平(たつかわ おさむ、1891年(明治24年)9月12日 - 1978年(昭和53年)11月9日)は、大正から昭和期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 長野県北佐久郡岩村田町(浅間町を経て現佐久市岩村田)で、弁護士、政治家立川雲平の長男として生まれる。1898年(明治31年)家督を相続した。第二高等学校を経て、1916年(大正5年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し、1917年(大正6年)3月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した。 司法官試補となるが、大阪田中商事 (株) に転じ、さらに十五銀行に移った。大阪地方裁判所勤務を経て、1922年(大正11年)神戸市で弁護士を開業した。
阪谷 希一(さかたに きいち、1889年(明治22年)5月1… 阪谷 希一(さかたに きいち、1889年(明治22年)5月15日 - 1957年(昭和32年)11月6日)は、日本の華族、政治家。貴族院子爵議員、満洲国総務庁次長。父親は元大蔵大臣で子爵の阪谷芳郎。母方の祖父は渋沢栄一。 大蔵官僚阪谷芳郎と妻の阪谷琴子の長男として生まれる。母方の祖父に渋沢栄一。 第二高等学校を経て、東京帝国大学法科大学政治科に入学。在学中に高等文官試験に合格し、1914年(大正3年)に卒業した。卒業後は日本銀行に勤務し、本店、名古屋支店を経て、1920年(大正9年)からはロンドン支店に赴任した。1924年(大正13年)日銀を退職し、関東庁に転じ、事務官・財務部財務課長として旅順に赴任。
小島 智善(こじま ともよし、1887年(明治20年)1月1… 小島 智善(こじま ともよし、1887年(明治20年)1月10日 - 1950年(昭和25年)3月7日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 福島県田村郡飯豊村(現在の小野町)出身。第二高等学校を経て、1914年(大正3年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。大場茂馬の弁護士事務所に勤務した後、1917年(大正6年)に東京市麹町区に事務所を開いた。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他に日米信託株式会社顧問を務めた。
加賀谷 朝蔵(かがや あさぞう、1886年(明治19年)3月… 加賀谷 朝蔵(かがや あさぞう、1886年(明治19年)3月15日 - 1981年(昭和56年)3月3日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。秋田市長や京都市長を務めた。勲三等瑞宝章。 秋田県出身。加賀谷長右衛門の二男として生まれる。第二高等学校を卒業。1912年、東京帝国大学法科大学経済学科を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し新潟県属となる。 以後、新潟県西頸城郡長、同魚沼郡長、同中蒲原郡長、宮城県理事官、警察講習所教授、岩手県警察部長、皇宮警察長、静岡県書記官・内務部長、徳島県書記官・内務部長などを歴任。1935年に退官。 1936年、京都市助役に就任。1940年6月8日から1942年6月22日まで京都市長を務め、横大路ゴミ焼却場の操業開始、京阪電鉄三条・五条間市報償金問題の解決に尽力。
細川 玖琅(ほそかわ くろう、1882年〈明治15年〉11月… 細川 玖琅(ほそかわ くろう、1882年〈明治15年〉11月25日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。朝鮮企業社長。富士見銀行頭取。若宮八幡宮司。長野県諏訪郡富士見村長。族籍は長野県士族。 長野県士族・細川直行の長男。1901年、東京高等師範学校附属中学校を卒業。1908年、第二高等学校第二部農科を卒業。1911年、家督を相続し、同年東京帝国大学農科大学獣医学科を卒業する。 銀行会社の重役で、推されて長野県会議員である。長野県参事会員に挙げられる。神職、富士見村長、富士見村農会長である。住所は長野県諏訪郡富士見村字若宮(現・富士見町)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
平賀 周(ひらが しゅう、1882年(明治15年)7月21日… 平賀 周(ひらが しゅう、1882年(明治15年)7月21日 - 1957年(昭和32年)9月12日)は、日本の政治家、弁護士、内務官僚。衆議院議員(1期)、官選石川県知事(官選第30代)。 千葉県出身。平賀藤右衛門の二男として生まれる。第二高等学校を卒業。1908年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1909年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業して内務省に入省し秋田県属となる。 以後、茨城県事務官、奈良県警察部長、警察講習所教授、兼内務省参事官、宮城県警察部長、山形県内務部長、大分県内務部長、大阪府内務部長、内務監察官などを歴任。 その後退官し弁護士となり、国技館取締役、日本大学大阪分校教授兼学監も務めた。
八並 武治(やつなみ たけじ、1877年(明治10年)12月… 八並 武治(やつなみ たけじ、1877年(明治10年)12月4日 - 1947年(昭和22年)7月10日)は、明治末から昭和前期の政治家、弁護士。憲政会、立憲民政党、日本進歩党に所属。衆議院議員を通算7期務めた。 大分県下毛郡、のちの鶴居村(現中津市)で、八並甚六の四男として生まれた。第二高等学校から東京帝国大学法科大学(独法)に進み、1909年(明治42年)に卒業。卒業後は八王子に弁護士事務所を開業し、1915年(大正4年)から翌年まで箕浦勝人逓信大臣の秘書官を務め、憲政会に入党した。 1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙で当選。以後、7回の当選回数を数えた。その間、加藤高明内閣・第1次若槻内閣で司法参与官、第2次若槻内閣・齋藤内閣で司法政務次官を歴任した。
内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう、1877年(明治1… 内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう、1877年(明治10年)4月8日 - 1947年(昭和22年)2月4日)は、日本の政治家。衆議院議員を通算7期務めた。 1877年(明治10年)、宮城県黒川郡富谷村(現・富谷市)に生まれた。第二高等学校を経て、東京帝国大学文科大学英文科を卒業。オックスフォード大学へ留学。帰国後、早稲田大学教授。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に宮城4区から立候補して初当選。1928年(昭和3年)、第16回総選挙に宮城1区から立候補して当選。1929年(昭和4年)、濱口内閣内務参与官に就任。1930年(昭和5年)、第17回総選挙に宮城1区から立候補するも次点で落選。
西村 金三郎(にしむら きんざぶろう、1876年(明治9年)… 西村 金三郎(にしむら きんざぶろう、1876年(明治9年)1月24日 - 1957年(昭和32年)12月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 京都府伊勢田(小倉村 (京都府)とも。現宇治市)出身。同志社予備学校、第二高等学校を経て1904年東京帝国大学法科大学政治科卒。二高と東大では吉野作造と同期だった。 大学卒業後、京都の六條生命保険(1899-1907、大阪の中央生命保険の後身)の整理局、マニファクチァラーズ保険会社(Manufacturers Life Insurance, 現・マニュライフ生命保険)日本中央部総支配人、内外肥料社長などを務め、1915年からは同志社校友会会長、同志社財団理事も務めた。
青木 周三(あおき しゅうぞう、1875年(明治8年)8月2… 青木 周三(あおき しゅうぞう、1875年(明治8年)8月26日 - 1946年(昭和21年)12月1日)は、日本の鉄道官僚、貴族院勅選議員、横浜市長。 山口県大島郡久賀町(現在の周防大島町)出身。青木周哲の三男として生まれ、青木五百輔の養子となる。盛岡中学を経て、1898年(明治31年)第二高等学校卒業。1902年(明治35年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業後、鉄道書記となり、1904年(明治37年)に高等文官試験に合格した。その後、鉄道事務官、鉄道庁参事、鉄道院参事、鉄道院理事を歴任した。 1919年(大正8年)筑豊鉄道専務取締役。1921年(大正10年)横浜市電気局長に就任し、1923年(大正12年)には助役として関東大震災の対応に尽力した。
中川 望(なかがわ のぞむ、1875年(明治8年)3月15日… 中川 望(なかがわ のぞむ、1875年(明治8年)3月15日 - 1964年(昭和39年)4月1日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員、枢密顧問官、錦鶏間祗候。 宮城県出身。仙台藩士・中川操吉の二男として生まれる。第二高等学校を経て、1901年(明治34年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し内務属・総務局文書課兼地方局勤務となる。同年11月、文官高等試験に合格。 1903年(明治36年)7月、福島県参事官に就任。以後、兵庫県参事官、内務省参事官・衛生局保健課長、地方局市町村課長、埼玉県内務部長などを歴任。1909年(明治42年)12月から1911年2月まで欧米へ出張した。
若宮 貞夫(わかみや さだお、明治8年(1875年)1月5日… 若宮 貞夫(わかみや さだお、明治8年(1875年)1月5日 - 昭和21年(1946年)9月8日)は、日本の逓信官僚、政治家。衆議院議員。東京府平民。位階および勲等は従三位・勲二等。 元総理大臣の橋本龍太郎および元高知県知事橋本大二郎の外祖父。 兵庫県城崎郡豊岡町(現在の豊岡市)の西楽寺に、熊本県人で僧侶である若宮正海の三男として生まれる。 開成中学校、第二高等学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験に合格し、同年12月、逓信省に入り逓信属・管船局勤務となる。また、兄正音の養子となる。 1902年(明治35年)家督を相続する。 北海道逓信局長、北部逓信局長、管船局長兼高等海員審判所長、戦時船舶管理局長などを歴任。
佐々木 春作(ささき しゅんさく、1872年4月26日(明治… 佐々木 春作(ささき しゅんさく、1872年4月26日(明治5年3月19日) - 1942年8月13日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員(1期)。 山形県山形市五日町出身。1889年、第二高等学校医学部、1893年、東京帝国大学卒。陸軍に入り、三等軍医から一等軍医に進み、日清戦争、日露戦争に参加。山形市会員、山形県会議員、同参事会員、山形市医師会長、山形県産婆試験委員、帝国在郷軍人会山形市連合分会長、専売局顧問医、鉄道嘱託医となる。 1898年、山形市八日町に佐々木病院を開業、院長となる。山形市内のはり師・きゅう師・あんま師らによって1913年に設立された私立山形盲学校の初代校長を勤め、1921年まで任に当たった(のち県立に移管され、山形県立山形盲学校となる)。
村松 山寿(むらまつ さんじゅ、1867年3月10日(慶応3… 村松 山寿(むらまつ さんじゅ、1867年3月10日(慶応3年2月5日) - 1937年(昭和12年)10月18日)は、衆議院議員(立憲同志会→憲政会)、弁護士。村松亀一郎の従兄弟。 陸奥国登米郡西郡村(現在の宮城県登米市)出身。1888年(明治21年)よりアメリカ合衆国に留学し、ミシガン州立大学法学部を卒業した。帰国後、第二高等学校の講師となったが、辞して1894年(明治27年)から仙台市に弁護士事務所を開いた。1901年(明治34年)にはシャムとイギリスの弁護士資格を取得し、バンコクに事務所を開いた。帰国後は東京や仙台で弁護士の業務に従事した。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
千頭 清臣(ちかみ きよおみ、1856年12月5日(安政3年… 千頭 清臣(ちかみ きよおみ、1856年12月5日(安政3年11月8日) - 1916年(大正5年)9月9日)は、日本の教育者、内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。幼名・徳馬。 土佐藩士・千頭清雄の二男として生まれる。1880年、東京大学文学部を卒業。1881年7月、東京大学予備門教諭に就任。1886年、イギリスに留学。帰国後、第一高等中学校教諭となり、さらに、鹿児島高等中学造士館教授、高知県尋常中学校長、第二高等学校教授を歴任。 1896年8月、内務省に転じ、内務書記官兼内務省参事官に就任。1897年11月、栃木県知事(「栃木県知事一覧」参照)に就任。以後、宮城県・新潟県・鹿児島県の各知事を歴任。