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森 恒夫(もり つねお、1930年8月3日 - )は、日本の… 森 恒夫(もり つねお、1930年8月3日 - )は、日本の財政学者。 滋賀県近江八幡市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校(文科丙類)を経て、1953年東京大学経済学部卒業。1958年東京大学経済学部大学院(研究奨学生)を修了し、同学部助手となる。 1961年甲南大学経済学部非常勤講師となり、1963年講師、1964年助教授を経て、1969年教授に就任する。甲南大学において、1975年から1976年まで経済学部長、1983年から1986年まで常務理事、1985年から1988年まで学長を務める。 2007年瑞宝中綬章受章。
原田 實(はらだ みのる、1930年1月1日 - 2011年… 原田 實(はらだ みのる、1930年1月1日 - 2011年11月7日)は、日本の経営情報学者。 山口県出身。1947年福岡県中学修猷館、1949年旧制福岡高等学校文科甲類(第1学年終了)を経て、1955年九州大学経済学部を卒業。1960年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 1960年4月年西南学院大学商学部専任講師、1963年4月同助教授を経て、1969年4月九州大学経済学部助教授に転じ、1974年6月同教授に就任。経営労務論講座を担当。1988年4月経済学部組織変更に伴い企業管理講座を担当。 1985年4月から1987年3月まで九州大学評議員を務めた。 2011年11月瑞宝中綬章受章。
関谷 定夫(せきや さだお、1925年12月26日 - 20… 関谷 定夫(せきや さだお、1925年12月26日 - 2017年6月11日)は、日本の聖書学者。西南学院大学名誉教授、旧約聖書学・聖書考古学専攻。 東京出身。1945年旧制福岡高等学校卒業。1949年旧制熊本医科大学卒業。1952年西南学院大学神学専攻卒業。西南学院大学講師、助教授、1969年教授。1968-1969年、イスラエル・ヘブライ大学に学ぶ。1970年西南学院大学神学部長(1978年再任)。1996年定年、名誉教授。 1970-1975年日本基督教学会理事。1983-1995年、西日本宗教学会理事。日本イスラエル文化研究会理事。
申 相楚(シン・サンチョ、朝鮮語: 신상초、1922年12月… 申 相楚(シン・サンチョ、朝鮮語: 신상초、1922年12月15日 - 1989年2月29日)は、大韓民国のジャーナリスト、教授、政治家、独立運動家。第5・9・10・11代韓国国会議員。本貫は平山申氏、号は月崗(ウォルガン、월강)。 平安北道定州出身。1935年に新義州高等普通学校を卒業。1942年に福岡高等学校の文科を経て、東京帝国大学(現・東京大学)法学部に入学した。1944年に学徒出陣により中国戦線に配置されたが、済南の部隊より八路軍地区に脱走し、同じく徐州の部隊より脱走した厳永植(엄영식)らと朝鮮義勇軍の一員として抗日活動に参加した。解放後の1946年に朝鮮義勇軍東満洲支隊から帰郷したが、北朝鮮共産当局によって逮捕され、17ヶ月間に監獄で過ごした。
田中 良久(たなか よしひさ、1917年2月27日 - 19… 田中 良久(たなか よしひさ、1917年2月27日 - 1977年10月25日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。 福岡県企救郡(現・北九州市)生まれ。福岡高等学校を経て、1941年東京帝国大学心理学科卒業。1944年まで大学院在籍、1943年から1946年まで副手嘱託。戦後1947年北海道大学法文学部助教授、1953年東京大学文学部心理学科助教授、1967年教授、1977年定年退官、名誉教授、成城大学教授。日本心理学会理事。スウェーデンのウプサラ大学見学中に倒れ死去(『心理学研究』1978年2月「田中良久氏追悼記」)。1977年11月 勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
生源寺 廷(しょうげんじ ただし、大正4年〈1915年〉7月… 生源寺 廷(しょうげんじ ただし、大正4年〈1915年〉7月 - ?)は、日本の科学者。 大正4年(1915年)7月、父生源寺順、母嘉納治五郎の次女である忠子夫妻の長男として生まれる。昭和12年(1937年)3月31日、旧制福岡高等学校理科甲類を卒業。九州帝国大学応用化学科卒業。 博士論文「濃縮燃焼による亜硫酸パルプ廃液処理に関する研究」を著し、昭和36年(1961年)11月18日に工学博士を授与された。生源寺廷, 高橋英郎 & 丹野和夫 1962, p. 172によれば、工業技術院東京工業試験所に入所している。四国工業技術試験所(現在の産業技術総合研究所四国センター)に転じており(生源寺廷 1968, p. 26)、少なくとも翌年までは同所にいることが赤松勲・生源寺廷 1969, p. 195により判明している。
高木 豊(たかぎ ゆたか、1914年7月7日 - 2005年… 高木 豊(たかぎ ゆたか、1914年7月7日 - 2005年5月14日)は日本の物理学者。特に強誘電体の研究者として有名である。東京工業大学、名古屋大学、大同工業大学(現在の大同大学)で教授を務めた。 1914年、現・大韓民国の釜山市で生まれた。旧制福岡高等学校を経て東京帝国大学(現・東京大学)に入学。1937年、同大学理学部物理学科を卒業し、授業担当の嘱託を経て1939年に理学部講師に就任。ここでエントロピーを計算する「高木の方法」を開発し、合金の規則-不規則転移を統計力学的に導いた。また、スレーターモデルを拡張して強誘電体であるKH2PO4の相転移を考察している。 1942年に第二工学部講師となり、高温まで連続で測定できる断熱型比熱測定法を開発し、「長崎-高木断熱計」と名付けられた。
岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 19… 岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 1999年2月5日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・堆積岩岩石学。福岡県久留米市生まれ。 1931年旧制福岡高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学理学部地質学科に入学。1935年同卒業。1938年地質調査所(現:産業技術総合研究所)の技師に任官。1942年第一次山西学術調査研究団に参加した。1953年東京大学教養学部地学教室の教授となる。1969年同理学部地質学教室教授に転任し、1973年定年・退職、名誉教授となる。その後、1973~1978年千葉大学理学部教授を務めた。また、日本学術振興会など諸機関の委員を歴任し、戦後の日本の復興に非金属資源開発の面から大いに貢献した。
岡 直遙(おか なおはる、1911年 - 1965年5月10… 岡 直遙(おか なおはる、1911年 - 1965年5月10日)は、日本の法学者。専門は行政法。八幡大学教授。福岡県宗像郡出身。 宗像郡の神社宮司の四男として生まれる。福岡高等学校 (旧制)から九州帝国大学法文学部法律学科に入学、宇賀田順三に師事する。 九大卒業後、三井鉱山に入社。1954年(昭和29年)八幡大学法経学部に講師として就任。行政法各論、地方自治法、国家公務員法の講義を受け持った。古武士的な峻厳さと謙虚さを兼ねる反面リベラル的な性格も持った責任感の強い教授であった。また大学の厚生補導課長として八幡大学野球部長を務め1961年(昭和36年)には九州六大学野球連盟リーグで初優勝を齎した。
谷口 鉄雄(たにぐち てつお、1909年11月23日 - 1… 谷口 鉄雄(たにぐち てつお、1909年11月23日 - 1995年3月17日)は、日本の美術史学者。専門は東洋美術。 福岡県八幡市(現在の北九州市八幡西区)に生まれる。旧制福岡高等学校文科を経て、1933年に九州帝国大学法文学部哲学科を卒業。卒業後は、法文学部の副手に採用され、1935年助手、1948年九州大学文学部講師、1951年助教授を経て、1955年に教授に就任する。1966年 - 1968年に文学部長を務めた。1973年に定年退官し、名誉教授となる。 退官後は、九州産業大学教授に就任。学外では、1973年 - 1978年北九州市立美術館長、1982年 - 1988年石橋美術館(ブリヂストン美術館)長を兼任した。
米澤 嘉圃(よねざわ よしほ、1906年6月3日 - 199… 米澤 嘉圃(よねざわ よしほ、1906年6月3日 - 1993年7月29日)は、日本の中国美術史学者。 東京大学名誉教授、武蔵野美術大学名誉教授。本名は芳男。 秋田県鹿角郡生まれ。父は鉱山技師の米澤萬陸。旧制暁星中学校、福岡高等学校を経て、1931年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。1935年東方文化学院東京研究所所員、1949年東京大学東洋文化研究所教授、1950年文化財専門審議会委員、『国華』主幹などを務め、1967年定年退官後、武蔵野美術大学学長。1962-66年美術史学会代表。墓所は多磨霊園。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。