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大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 20… 大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 2012年2月1日)は、日本の医学者、医師。 千葉県東金町生まれ。旧制成東中学校、旧制浦和高等学校を経て、千葉大学医学部卒、同大学院博士課程修了、1959年医学博士。千葉大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。放射線医学総合研究所、国保成東病院。さんむ医療センター顧問。海堂尊は大藤を心の師と呼んでいる。
木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13… 木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13日 - 1997年〈平成9年〉1月5日)は、日本の数学者(理学博士)。東京大学教授、日本数学会理事長。 群馬県前橋市出身。父の転勤により浦和へ引っ越し、旧制浦和高等学校を経て、東京大学理学部数学科を卒業。 立教大学助教授を勤めたのち、東京大学理学部数学科教授。1977年(昭和52年)から2年間、日本数学会理事長を務めた。 複素微分方程式の研究で知られる。 常微分方程式、数値解析、確率論など様々な分野の著書がある。 木村俊房 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008… 野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008年3月7日)は、日本の経営学者、法政大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制浦和高等学校、東京大学経済学部卒業。1953年東京大学大学院中退、1960年法政大学大学院博士課程中退。1960年法政大学経済学部専任講師、1963年経営学部助教授、1969年より教授。1986年「日本証券市場成立史」で法政大経済学博士。法政大学経営学部教授を1999年に定年、名誉教授。鉄道研究でも知られた。 2008年3月7日、食道癌のため死去。
柳沼 重剛(やぎぬま しげたけ、1926年12月1日 - 2… 柳沼 重剛(やぎぬま しげたけ、1926年12月1日 - 2008年7月29日)は、日本の西洋古典学者。筑波大学名誉教授、プルタルコスの原典訳が著名。 1926年(大正15年)、東京生まれ。浦和高等学校(旧制)を卒業。大正生まれで在学中に学徒出陣で徴兵。最後の初年兵として兵役につき広島県八本松町(現:東広島市)に駐在、1945年8月6日の広島に原爆投下直後から終戦まで約10日間駐留、爆心地で救援に当たり二次被曝した。1949年、京都大学文学部を卒業、田中美知太郎や松平千秋の門下生であった。 1949~56年、都立九段高校で、英語教師として「英語」と「世界史」を担当しつつ、東京大学大学院で、高津春繁の指導を受けた。
小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - … 小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - 1987年3月8日)は、日本の物理学者、雪学者。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校を経て、1948年、北海道帝国大学理学部物理学科卒業。北海道江別高等学校教諭。1949年8月、北海道大学低温科学研究所助手、1963年に助教授、1980年に教授、物理学部門主任。 雪の結晶についての実験研究に取り組み、中谷宇吉郎が示した雪の結晶の形状と雲の温度・湿度に関する「中谷ダイアグラム」を拡張、精緻化した「中谷・小林ダイアグラム」を開発し、1960年に日本気象学会賞を受賞した。
戸谷 洋(とや ひろし、1923年 - 2002年12月6日… 戸谷 洋(とや ひろし、1923年 - 2002年12月6日)は、日本の地理学者、理学博士。旧・東京都立大学名誉教授。専門は自然地理学。 1923年に東京府で生まれる。第一東京市立中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学へ進学し、辻村太郎、多田文男などに師事する。その後、東京都立大学理学部地理学教室助手となり、後に教授に就任する。1986年に同大学を退官後は、帝京大学教授などを歴任した。 1957年には、観測船宗谷で第一次南極観測隊に吉川虎雄などとともに夏隊隊員として参加した。これは、昭和基地構築のための先遣隊として、日本隊で初めてオングル島の同地の選定調査をするものであった。また、アフリカの地形調査へ赴くなど、探検家として日本の先駆的存在の一人である。
斎藤 成文(さいとう しげぶみ、1919年9月17日 - 2… 斎藤 成文(さいとう しげぶみ、1919年9月17日 - 2020年10月7日)は、日本の電気工学者。東京大学名誉教授。専門は宇宙電子工学、マイクロ波工学。宇宙通信技術の向上に尽くし、日本の宇宙開発に貢献した。 1919年、東京都に生まれる。慶応義塾普通部から浦和高等学校 (旧制)を経て、1941年12月、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、終戦まで海軍短期現役技術士官としてマイクロ波レーダの開発を行う。 終戦後、東京大学第二工学部助教授、1951年東京大学工学博士。「高周波誘電加熱に関する基礎的研究」。MIT客員教授を経て、1957年に東京大学生産技術研究所助教授として観測ロケット特別事業に参加し、同年教授に就任。
小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年… 小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年)は、日本の国文学者、愛知県立大学名誉教授。 1912年、東京で生まれた。本籍・茨城県古河市。暁星中学校、浦和高等学校を卒業し、東京帝国大学国文科に進んだ。1935年に同大学を卒業。 1936年より愛知淑徳高等女学校教諭として勤務。1938年からは愛知県第一高等女学校教諭として勤務した。 太平洋戦争後の1947年、愛知県立女子専門学校教授に就いた。1950年に同専門学校が愛知県立女子短期大学となると、同大学助教授となった。1957年に教授昇格。1961年、学位論文『古代歌学の形成についての研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1966年、愛知県立大学教授に転じた。
山口 平四郎(やまぐち へいしろう、1910年(明治43年)… 山口 平四郎(やまぐち へいしろう、1910年(明治43年)1月9日 - 2010年(平成22年)1月17日)は、日本の地理学者。立命館大学名誉教授。元人文地理学会会長。授勲勲三等瑞宝章。 日本において第二次世界大戦前から一貫して交通地理学研究を続けてきた唯一の人物。人文地理学会の発足に参画し、機関紙「人文地理」の発刊と頒布にも尽力。 陸軍中将・山口勝の四男として神奈川県横須賀市に生まれる。山口家の本拠は東京にあったが、父が軍人だった関係で小学校を2度転校した。小学生時より地理に関心を持ち、世界の高山や大河を表にしたり、国々や都市の人口、産物、鉄道などの統計を収集したりした。東京開成中学校を経て、1927年(昭和2年)4月、浦和高等学校文科甲類入学。
細谷 俊夫(ほそや としお、1909年〈明治42年〉8月29… 細谷 俊夫(ほそや としお、1909年〈明治42年〉8月29日 - 2005年〈平成17年〉5月16日)は、日本の教育学者。 東京府北多摩郡清瀬村生まれ。旧制東京府立第六中学校、旧制浦和高等学校を経て、1932年に東京帝国大学文学部教育学科を卒業。尋常小学校の訓導を経て、1946年岡崎高等師範学校教授、名古屋大学教育学部の創設に参加、1949年名大教授。1952年東大教育学部教授、1970年定年退官、名誉教授、立教大学教授。白梅学園短期大学学長。産業技術教育を研究、日本産業教育学会理事長。1937年には教育科学研究会技術教育研究部会に参加した。 妻は入沢宗寿(教育学者)の長女。長女はコロンビア大学C・V・スター東アジア図書館司書で、牧野成一(言語学者、プリンストン大学名誉教授)の妻。
関野 克(せきの まさる、1909年2月14日 - 2001… 関野 克(せきの まさる、1909年2月14日 - 2001年1月25日)は、日本の建築史学者、東京大学名誉教授。文化功労者。 東京生まれ。1929年、旧制浦和高等学校理科甲類卒業。1933年、東京帝国大学工学部建築学科卒。1945年、東京大学工学博士。1946年、母校(のち東京大学)教授。1965年、東京国立文化財研究所所長を歴任。1979年~1991年、博物館明治村館長。1990年、文化功労者。墓所は多磨霊園。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2… 吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2002年12月5日)は、日本の美術史学者。西洋美術史専攻。東京大学名誉教授。従兄は中国文学者の吉川幸次郎。 神奈川県横浜市生まれ。旧制神奈川県立横浜第一中学校、旧制浦和高等学校、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。矢代幸雄に師事。1933年から1939年までフランスに留学、アンリ・フォシヨンに師事。「サン・サヴァン教会堂のヨハネ黙示録画の研究」でパリ大学より博士号取得。ロマネスク建築・壁画研究を専門とした。 1947年東京芸術大学教授を経て1953年東京大学文学部助教授、1955年教授、1969年定年退官後、大和文華館館長。後に名古屋大学教授、東海大学教授。
吉岡 力(よしおか つとむ、1908年(明治41年)1月19… 吉岡 力(よしおか つとむ、1908年(明治41年)1月19日 - 1975年(昭和50年)10月25日)は、日本のオリエント史学者。 1908年、山口県生まれ。東京帝国大学で学び、卒業した。 卒業後は旧制浦和高等学校教授に就いた。戦後、東京大学教養学部助教授となった。1951年に教授に昇進。1968年に東京大学を定年退官した。その後は東海大学教授として教鞭をとった。また、歴史教育研究所を設立し、所長を務めた。 専門は古代オリエント史。一般には世界史に関する受験参考書を多く書いたことで知られている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大野 真弓(おおの まゆみ、男性、1907年11月6日 - … 大野 真弓(おおの まゆみ、男性、1907年11月6日 - 2002年11月27日)は、日本の西洋史学者、横浜市立大学名誉教授。英国史が専門。 東京生まれ。浦和高等学校から1931年東京帝国大学西洋史学科卒業、東京府立第一商業学校(現在の東京都立第一商業高等学校)教諭を経て、1937年に第六高等学校教授。戦後1950年に岡山大学法文学部教授、1953年に横浜市立大学教授。1970年に定年、後にフェリス女学院大学客員教授を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
津田 恭介(つだ きょうすけ、1907年(明治40年)2月1… 津田 恭介(つだ きょうすけ、1907年(明治40年)2月10日 - 1999年(平成9年)6月17日)は、日本の薬学者、有機化学者。台湾生まれ、埼玉県出身。海産天然物の医薬品を開発。またフグ毒のテトロドトキシンを抽出する分離精製法を開発し、化学構造を決定した。1980年文化功労者。1982年文化勲章受章。位階は従三位。 旧制浦和高校、東京帝国大学医学部薬学科卒業。九州大学医学部教授、東京大学薬学部教授、東京大学応用微生物研究所所長、共立薬科大学学長、厚生省(現厚生労働省)薬事審議会会長などを歴任。フグ毒テトロドトキシンの抽出分離製法を開発し化学構造を解明、漢方薬成分マトリンの化学構造を解明、海藻類のコレステロールを発見した。
飯村 義美(いいむら よしみ、1901年4月27日 - 19… 飯村 義美(いいむら よしみ、1901年4月27日 - 1986年9月16日)は日本の法律家。最高裁判所裁判官。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)生まれ。浦和高等学校を経て、1929年東京帝国大学法学部卒業、同年高等文官試験司法科合格。翌年同試験行政科合格。1931年東京府で弁護士開業。1943年中外製薬監査役に就任。1948年東京弁護士会副会長、1950年日本弁護士連合会常任理事となる。1967年から1971年まで最高裁判所裁判官を務める。1973年勲一等瑞宝章受章。 その他、法制審議会の民事訴訟法部・商法部委員や東京家庭裁判所の調停委員も務めた。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
秦 慧玉(はた えぎょく、1896年3月25日 - 1985… 秦 慧玉(はた えぎょく、1896年3月25日 - 1985年1月2日)は、日本の仏教学者。駒澤大学教授。永平寺76世貫首、曹洞宗管長。号は「明峰」。 兵庫県生まれ。5歳で秦慧昭について得度。曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。岐阜県の正眼寺で修行。1923年に東京帝国大学に入学。同年5月、宇井伯寿の勧めで、東北帝国大学に転学。武内義雄に師事し支那学を研究した。1926年東北帝国大学を卒業。同年9月、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)の教授となる。のち駒澤大学教授。 1976年に曹洞宗管長、永平寺76世貫首。1980年全日本仏教会会長就任。仏教を通して国際親善に尽力。1983年清水寺の大西良慶貫主の本葬では大導師を務めた。
野口 保市郎(のぐち やすいちろう、1883年3月21日 -… 野口 保市郎(のぐち やすいちろう、1883年3月21日 - 1952年8月5日)は、日本の地理学者。 茨城県出身。1912年に東京帝国大学西洋史学科を卒業した。 郁文館中学校・開成中学校・成蹊中学校教諭、浦和高等学校講師などを経て、1921年より法政大学で教授を務めた。また、中央大学教授も務めている。 1949年に「常陸風土記の歴史地理学的研究」で東北大学より文学博士号を取得した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。