三枝 健起(さえぐさ けんき、1945年3月30日 - )は… 三枝 健起(さえぐさ けんき、1945年3月30日 - )は、日本のテレビドラマディレクター、映画監督。NHKエンタープライズエクゼクティブ・ディレクター。名古屋学芸大学メディア造形学部非常勤講師。 神奈川県出身。父は元NHK音楽部プロデューサーの三枝嘉雄(NHKのど自慢を参照)、兄は作曲家の三枝成彰。 1968年早稲田大学文学部演劇科卒業。1969年にNHKに入局、『新日本紀行』などドキュメンタリーや『ニュースセンター9時』を手がけ、1977年ドラマ部に転局。その後大阪放送局、東京番組制作局芸能番組センター・ドラマ部チーフディレクターを経て、現在はNHKエンタープライズエグゼクティブ・ディレクターとなる。
栗田 広(くりた ひろし、1945年3月29日 - 2022… 栗田 広(くりた ひろし、1945年3月29日 - 2022年9月3日)は、日本の医学者・精神科医。専門は児童精神医学。東京大学名誉教授。医学博士。栗田廣と表記される場合がある。
伊藤 博(いとう ひろし、1945年3月29日 - )は、日… 伊藤 博(いとう ひろし、1945年3月29日 - )は、日本の弁護士(東京弁護士会所属)。茨城県神栖市出身。弁護士法人フェニックス代表。元東京弁護士会副会長。 その他、禅カウンセラー、伊藤博峰として坐禅の普及に努めている。 「Q&Aリースの法律」(川畑大輔との共著・日本経済新聞社) 証言 「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実(宝島社) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
三浦 信孝(みうら のぶたか、1945年3月28日 - )は… 三浦 信孝(みうら のぶたか、1945年3月28日 - )は、日本のフランス文学者、フランス文化学者。中央大学名誉教授・日仏会館常務理事。また日本語 - フランス語の通訳者。 1945年、岩手県盛岡市生まれ。1963年、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業。東京大学教養学部教養学科フランス分科に進み、1970年に卒業。同大学大学院に進み、1978年東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻博士課程を満期退学。 1980年、静岡大学教養部助教授に着任。1990年より、慶應義塾大学総合政策学部教授。1995年、中央大学文学部教授となった。2015年に中央大学を定年退職し、名誉教授となった。学界では、日本フランス語教育学会会長を務めた。
甲津 功夫(こうづ いさお、1945年3月28日 - )は、… 甲津 功夫(こうづ いさお、1945年3月28日 - )は、日本の建築構造/構造工学・建築システム工学者。工学博士(京都大学)。大阪大学名誉教授。大阪工業大学工学部建築学科元教授。鉄骨技術者教育センター元理事。日本建築技術性能認証委員会元委員。 専門は、建築構造・構造工学(特にラーメン構造・鉄骨構造学)、建築システム工学。 1970年京都大学大学院工学研究科修士課程建築学第二専攻修了(指導教授:京都大学鉄骨構造学講座の初代教授である金多潔)。 同大学工学部助手を経て、1984年工学博士(京都大学)。1985年同学部助教授。1993年大阪工業大学工学部建築学科教授。2002年大阪大学大学院工学研究科建築工学専攻教授。
杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月2… 杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月28日 - 2023年(令和5年)2月9日)は、日本の長唄三味線奏者。位階は正五位。人間国宝。2020年(令和2年)、日本芸術院賞・恩賜賞受賞。本名は牟田口 照國(むたぐち てるくに)。福岡県みやま市出身。 実家は料理屋を営んでおり、父は長唄を唄い、母は三味線を弾く家庭に育ち、幼い頃から長唄に親しんだ。6歳の6月6日に隣に住む杵屋寿太郎に入門し、三味線を始める。14歳で七代目家元、杵屋勝三郎から名取を認められ、杵屋勝国を名乗るようになる。その後東京藝術大学邦楽科に進学、1967年(昭和42年)に卒業。1980年(昭和55年)には坂東玉三郎が踊る「鷺娘」、5世中村勘九郎(後の18世中村勘三郎)が踊る「供奴」で、歌舞伎公演での立三味線を初めて務めた。
笹倉 武久(ささくら たけひさ、1945年3月28日 - 2… 笹倉 武久(ささくら たけひさ、1945年3月28日 - 2021年9月22日)は、千葉県船橋市出身(東京都府中市生まれ)の元騎手・元調教助手・元調教師。 父は厩舎の厩務員で、小学校時代からの1つ後輩に西塚十勝の実子である安夫がいた。中学校も一緒で同じ柔道部であり、笹倉は最初は騎手になる気などなかった。大きくなりたい一心で柔道を始めたが、結局柔道をやっても背が伸びなかったため、騎手を志す。それまでは乗馬苑の馬を引っ張り出して隠れて乗ったりはしていたが、あくまでも自己流であったため、教わりながら馬に乗ったことはなかった。そこから「お金を稼げる」という意識もあり、馬事公苑騎手養成長期課程に入った。同期には高橋隆、清水出美、簗田善則、久保敏文、領家政蔵、鹿戸明、久保田秀次郎、大崎昭一、安田伊佐夫などがいた。
宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和… 宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和20年〉3月27日 - )は、日本の女優、歌手。所属事務所は東宝芸能(1990年から)。 北海道小樽市生まれ、愛知県名古屋市育ち。愛知淑徳高等学校卒業。夫は伊丹十三。長男は池内万作。義理の娘(池内万作の妻)は、音楽家である本田みちよ。俳優の佐々木勝彦は再従兄。 1963年、高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。 1964年、劇団青俳に入団後にフリーとなる。 NHKドラマ「あしたの家族」(1965年 - 1967年)で共演した俳優・伊丹十三と交際に発展、1969年1月に結婚。子どもが3歳頃よりおおよそ2年間、毎日自作の物語を作って聞かせていた。
市橋 七郎(いちはし しちろう、1945年3月27日 - … 市橋 七郎(いちはし しちろう、1945年3月27日 - )は、日本の経営者。福井銀行頭取を務めた。 福井県福井市出身。1968年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に福井銀行に入行した。1983年6月に取締役に就任し、1985年4月に常務、1987年4月に専務を経て、1992年10月には頭取に就任し、2010年3月までに務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北爪やよひ(きたづめ やよひ、 (1945-03-26) … 北爪やよひ(きたづめ やよひ、 (1945-03-26) 1945年3月26日-)は、日本の作曲家。日本クラリネット協会の会長を1980年から1986年まで務めたクラリネット奏者で音楽教育者であった北爪利世の娘で、作曲家北爪道夫の姉である。 1945年3月26日、父利世と母和喜の長女として東京に生まれた。父は東京音楽学校本科でクラリネットを学び、母は同校師範科でピアノと歌を専攻、叔父の規世も同校でヴィオラを学んだ音楽一家だった。やよひは母親からピアノの手ほどきを受けたのち、東京芸術大学に入学、音楽理論と作曲法を池内友次郎および矢代秋雄に師事した。在学中に作曲した「クラリネットとピアノのためのソナチネ」は、フランスのクラリネット奏者ジャック・ランスロが気に入り、リサイタルで取り上げ楽譜も出版している。
中野 直輝(なかの なおてる、1945年(昭和20年)3月2… 中野 直輝(なかの なおてる、1945年(昭和20年)3月26日 - )は、日本の政治家、弁護士。元愛知県小牧市長(4期)。 愛知県名古屋市生まれ。同志社大学法学部卒業。1974年、29歳で司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。名古屋市で法律事務所を開業し、小牧市商工会議所や小牧市の顧問弁護士を務める。 1995年1月9日、小牧市総合福祉施設ふれあいセンターの建設を巡り、小牧市長の佐橋薫が収賄の疑いで逮捕される。佐橋の辞職に伴って2月26日に行われた小牧市長選挙に無所属で出馬し、初当選を果たす。以後4期16年にわたり小牧市長を務めた。市長在任中は「市民総ぐるみの協働」を掲げ、「市長交際費ゼロ」を宣言。
田辺 宏章(たなべ ひろあき、1945年3月26日 - 20… 田辺 宏章(たなべ ひろあき、1945年3月26日 - 2023年7月6日)は、日本の俳優、声優。本名及び旧芸名は田辺 進三(たなべ しんぞう)。 文学座研究所8期生。プロダクション・エムスリーに所属していた。 1990年代以降に引退。 引退後はビルメンテナンス会社を設立。2023年7月6日に死去。[要出典]78歳没。 兄は言語学者の田辺洋二。 太字はメインキャラクター。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
矢羽 勝幸(やば かつゆき、1945年3月25日 - )は、… 矢羽 勝幸(やば かつゆき、1945年3月25日 - )は、日本の俳文学者。専門は近世中期・後期の俳諧、特に小林一茶、加舎白雄の研究で知られる。小林一茶研究の第一人者である。二松学舎大学文学部客員教授。俳文学会常任委員。 長野県小県郡県村西海野(現・東御市)生まれ。長野県屋代高等学校を経て、1969年、國學院大學文学部日本文学科卒業。1980年、『一茶全集』(共編・信濃毎日新聞社)により文部大臣賞、毎日出版文化賞受賞。長野県内各地の高校教諭を務めたのち、1985年、国立長野高専専任講師(のち助教授)、1988年、上田女子短期大学助教授(のち教授)、1992年、二松学舎大学文学部助教授、1994年、同教授。
宮松 浩憲(みやまつ ひろのり、1945年3月25日 - )… 宮松 浩憲(みやまつ ひろのり、1945年3月25日 - )は、日本の西洋史学者、久留米大学客員教授。第3期博士(フランス)。専門は、西洋中世史。 1945年大連生まれ。1969年北九州市立大学外国語学部英米学科を卒業、大阪大学大学院修士課程修了、1979年九州大学大学院歴史・人類学研究科西洋史学博士課程満期退学。1980年九州共立大学経済学部講師、1982年同大助教授。1987年久留米大学商学部助教授、1991年同大学教授、1995年同大学経済学部教授。2016年、定年退官。客員教授。 ジャン・マビヨン『ヨーロッパ中世古文書学』(2000年)で日本翻訳出版文化賞、ゲスナー賞を受賞。
河出 英治(かわで えいじ、1945年(昭和20年)3月22… 河出 英治(かわで えいじ、1945年(昭和20年)3月22日 - 2004年(平成16年)8月13日)は、日本の官僚。元内閣府事務次官。従三位瑞宝重光章。岐阜県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 20… 近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 2025年11月28日)は、日本の実業家。北海道電力の社長、会長を経て、現在名誉顧問。第7代北海道経済連合会会長。元公益社団法人北海道観光振興機構会長。 北海道札幌市生まれ。父親は鉱山技師。原子力発電環境整備機構理事長を務めた近藤駿介は実兄。北海道名寄高等学校を経て、北海道札幌南高等学校卒業後、北海道大学工学部で黎明期にあった原子力教育を受ける。北大工学部電気工学科卒業後、1969年北海道電力入社。若手時代にアメリカの原子力発電所での実務研修を受け原子力運営課長を経て、泊発電所長、理事苫小牧支店長、取締役事業推進部長などを歴任し、2004年から取締役社長、原子力発電を重視する経営路線を強め泊原発3号機の建設推進や原価の見直しによる「本格改定」で2度の電気料金値下げやオール電化住宅の普及を主導した。
小田 豊(おだ ゆたか、1945年3月20日 - )は、日本… 小田 豊(おだ ゆたか、1945年3月20日 - )は、日本の俳優。長崎県出身。所属事務所は岡村本舗。 明治大学文学部卒業。 1971年に鈴木忠志率いる早稲田小劇場に入団、1973年に『アトリエNo.2』で脚光を浴びる。以後、『トロイアの女』をはじめとする作品に出演し、海外公演にも参加。その後退団。 劇団眞空艦、劇団卍、桃の会を経て、1988年よりフリーとなる。以降は蜷川幸雄、野田秀樹、白井晃、野村萬斎、多田淳之介など多彩な演出家の作品に参加し、存在感ある俳優として幅広い活動を続けている。
林 明子(はやし あきこ、1945年3月20日 - )は、日… 林 明子(はやし あきこ、1945年3月20日 - )は、日本の絵本作家。『こんとあき』の作者、『はじめてのおつかい』の共著者として知られる。『魔女の宅急便』など挿絵も手がけている。 東京都生まれ。血液型A型。横浜国立大学教育学部美術科卒業。若い時はアニメーターに憧れていたが、見学したスタジオの作画部屋の雰囲気があまりに暗かった為、断念している。 真鍋博のアトリエでのアシスタント経験を経て、1973年に初めての絵本『かみひこうき』を出版。福音館書店の月刊絵本『こどものとも』に、筒井頼子との共作で『はじめてのおつかい』(1976年3月号)、『あさえとちいさいいもうと』(1979年5月号)などを執筆。
小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は… 小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は、日本の官僚。都市再生機構理事長を務めた。 富山県滑川市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1967年に東京大学法学部を卒業し、同年に建設省に入省。1999年7月に大臣官房長、2001年1月に国土交通審議官を経て、2008年7月に都市再生機構理事長に就任。2012年7月に退任。
入谷盛宣(いりたに もりのぶ、1945年3月19日 - )は… 入谷盛宣(いりたに もりのぶ、1945年3月19日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。青森県副知事、国税庁長官官房国税審議官(国際担当)、国際金融公社東京駐在特別代表などを歴任。瑞宝中綬章受章。 東京都世田谷区出身(父母も東京都)。東京都立戸山高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)に合格。1967年4月 大蔵省入省(主計局法規課)。1968年6月 国際金融局国際機構課。1969年7月 プリンストン大学留学。1971年7月 主税局国際租税課租税協定係長。1972年7月 飯田税務署長。その後は国際金融局外資課長補佐、環境庁企画調整局企画調整課長補佐、主計局総務課長補佐(企画)などを務める。
井上 勝生(いのうえ かつお、1945年3月19日 - )は… 井上 勝生(いのうえ かつお、1945年3月19日 - )は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。専門は日本近代政治史(幕末、明治維新史)。博士(文学)(京都大学、1992年)。岐阜県生まれ。 専門は幕末史、明治維新史のうち、特に政治史、外交史。「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に反対する−戦争をさせない、若者を再び戦場に送らないために−北海道の大学・高専関係者有志アピール運動をすすめる会」(略称:「北海道の大学・高専関係者有志アピールの会」)の呼びかけ人や、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合の賛同者、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の賛同者、「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者、『北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会』による「心の会の碑」(仮称)建立の賛同者になっている。
三枝 幸文(さえぐさ ゆきふみ、1945年3月17日 - )… 三枝 幸文(さえぐさ ゆきふみ、1945年3月17日 - )は日本の経営学者・教育者。財務諸表論、資産評価論、土地評価論を専門とし、特に土地評価手法の研究を中心に取り組んでいる。 静岡産業大学第3代学長や学校法人新静岡学園理事長を歴任し、現在は静岡産業大学名誉教授、評議員会議長、経営顧問を務める。 不動産鑑定士などの資格を取得しており、日本不動産学会や日本経営診断学会などの学会に所属する。 簿記論、財務諸表論、経営分析、不動産評価に関する著書を多く執筆し、学問と実務の双方において広く活動している。 東京都出身、現在静岡県在住。 1972年に慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程を修了。1982年に不動産鑑定士を取得。
水藤 真(すいとう まこと、1945年3月17日 - )は、… 水藤 真(すいとう まこと、1945年3月17日 - )は、日本の日本史学者。 愛知県豊橋市出身。1970年東京大学文学部国史学科卒業。1995年「絵画・木札・石造物に中世を読む」で文学博士。福岡市教育委員会、福井市教育委員会朝倉氏址調査委員、国立歴史民俗博物館歴史研究部助教授、教授。1996年東京女子大学文理学部教授。2013年退任。
伊丹 敬之(いたみ ひろゆき、1945年3月16日 - )は… 伊丹 敬之(いたみ ひろゆき、1945年3月16日 - )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、国際大学前学長、組織学会元会長。経営学分野初の文化功労者。 愛知県豊橋市生まれ。愛知県立時習館高等学校を経て、一橋大学商学部で宮川公男、今井賢一らの指導を受けた。カーネギーメロン大学経営大学院博士課程修了、経営学博士。スタンフォード大学経営大学院客員准教授、一橋大学商学部教授、INSEAD客員教授、ザンクトガレン大学客員教授等を歴任し、日本の経営学界において、日本企業の実証研究を第一世代として行った。東芝取締役、JFEホールィングス監査役、商船三井監査役等も務めた。紫綬褒章受章。日経・経済図書文化賞等受賞。
堀内 泰夫(ほりうち やすお、1945年3月16日 - 20… 堀内 泰夫(ほりうち やすお、1945年3月16日 - 2022年2月6日)は、山梨県出身の競馬評論家。 日本大学芸術学部文芸科卒業後の1968年に日刊スポーツへ入社し、レース部で中央競馬担当一筋に活躍 。3代目の東京本紙予想を20年以上務め、枠連の時代に紙面で長らく1点予想を展開。綿密な取材に基づいた本命サイドの予想は高い的中率を誇り、1989年の東京優駿を◎ウィナーズサークル、○リアルバースデーの1点予想で的中させた。最初は24頭立ての混戦レースで本命選びに迷っていたが「ダービーを勝つためにいろいろ教えてきた。もちろん期待しているよ」との郷原洋行のひと言が決め手になり、50年を超えるキャリアの中でも会心の予想となったが、同時に「これも郷原さんのおかげ」と感謝した。
植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日… 植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日 - )は、日本の経営コンサルタント。ヴァージン・グループ顧問を歴任。マーガレット・サッチャーとのインタビユーを実現した個人として有名で、その後、1991年から2000年までマーガレット・サッチャー日本代理人を務めた。株式会社植山事務所代表取締役社長、一橋大学、元非常勤講師。東洋大学、元客員教授。 静岡県富士宮市で本州製紙社員の家に生まれる。AFSでアメリカ合衆国イリノイ州サンドウィッチに留学後、東京都立西高等学校を経て、一橋大学商学部卒業。一橋大在学中に1年休学し西ドイツで出版社に勤務。その後、1987年にスタンフォード大学経営大学院S.E.P.修了。
竹之内 雅史(たけのうち まさし、1945年3月15日 - … 竹之内 雅史(たけのうち まさし、1945年3月15日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・野球指導者。現在は、羽衣国際大学野球部総監督を務めている。
森田 伸子(もりた のぶこ、1945年3月15日 - )は、… 森田 伸子(もりた のぶこ、1945年3月15日 - )は、日本の教育学者。日本女子大学名誉教授。フランスの教育思想が専門。 中華民国生まれ。北海道出身。1966年お茶の水女子大学文教育学部卒業。71年東京大学大学院教育学研究科博士後期課程満期退学。拓殖大学海外事情研究所助手、助教授、教授、94年日本女子大学人間社会学部教授。2013年定年退職。
金子 真人(かねこ まこと、1945年3月15日 - )は、… 金子 真人(かねこ まこと、1945年3月15日 - )は、日本の実業家、馬主。株式会社図研の代表取締役会長、ハワイの会員制ゴルフ場「キングカメハメハ・ゴルフ・クラブ」のオーナーなどを務める。 機械メーカー勤務を経て、1976年に電子機器設計・製造関連ソフトウェア開発を主とする図形処理技術研究所(後の図研)を創業。一介のベンチャー企業から1994年には東証一部上場を果たし、CAD/CAMシステムを手がける企業として国内最大手の存在に成長させた。 競走馬の馬主としては、中央競馬で2005年に1984年のシンボリルドルフ以来となる無敗の三冠馬となり、最終的にGI7勝を挙げて殿堂入りしたディープインパクトなど数々の活躍馬を所有。
栗原 小巻(くりはら こまき、1945年3月14日 - )は… 栗原 小巻(くりはら こまき、1945年3月14日 - )は、日本の女優。本名同じ。東京都世田谷区出身。父は劇作家の栗原一登。
金親 顕男(かねおや あきお、本名:金親 顯男・読み同じ、1… 金親 顕男(かねおや あきお、本名:金親 顯男・読み同じ、1945年3月14日 - )は、新潟放送の元アナウンサー。その後同社常務取締役、関連会社のイタリア軒代表取締役社長などを歴任し、現在は顧問を務める。 秋田県出身。法政大学卒業後、1967年新潟放送にアナウンサーとして入社。同期は元アナウンサーで現在同局代表取締役会長の竹石松次。以後、ラジオ・テレビの各番組で幅広く活躍した。特に1980年代には、テレビの人気ローカル番組『土曜はヨイショ!!』の司会を担当(本名の「顯男」、通称表記の「顕男」がいずれも難読であるため、同番組に限って平仮名で「金親 あきお」とクレジットしていた)。そのためか、テレビ出演を退いた後も県民の認知度は高い。
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月… 吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月13日 - )は、日本の俳優・歌手・ナレーター・司会者・タレント。本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓:吉永。 1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。ファンは「サユリスト」と呼称される。 1957年(昭和32年)、渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。同年4月、渋谷区立代々木中学校に入学。同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
山根 義紘(やまね よしひろ、1945年3月13日 - 20… 山根 義紘(やまね よしひろ、1945年3月13日 - 2008年8月2日)は、日本のテレビプロデューサー。 日本テレビ元チーフプロデューサーで、取締役執行役員編成局長、編成本部長、日テレ・グループ・ホールディングス取締役副社長、日テレ7代表取締役社長などを歴任した。 関西大学第一高等学校、関西大学卒業後、1967年4月に日本テレビ入社。以降、バラエティ番組を中心にチーフプロデューサーの他、編成、報道畑で活躍した。 2007年6月14日付で日テレ・グループ・ホールディングス(後の日テレグループ企画)取締役副社長に就任。2007年6月28日の株主総会をもって、日テレの取締役執行役員を退任した。 2007年12月、日本テレビの新設子会社である日テレ7の初代代表取締役社長に就任したが、在職中の2008年8月2日、63歳で死去した。
永野 孝男(ながの たかお、1945年〈昭和20年〉3月12… 永野 孝男(ながの たかお、1945年〈昭和20年〉3月12日 - )は、日本の政治家、福祉事業家。自由民主党 、大阪維新の会所属。大阪府議会議員(3期)、岸和田市議会議員。旭日小綬章受章者。大阪府議会副議長、岸和田市議会副議長を歴任。31代・32代岸和田市長永野耕平の父。 大阪府岸和田市三田町に生まれる。永野孝の長男。岸和田市立産業高等学校を卒業、近畿大学法学部に入学、卒業して社会福祉法人岸和田学園に奉職する。 1971年、岸和田市議会議員に当選し、同副議長を経験。大阪府議会議員選挙では落選を経験するも、2003年に当選。 自民党所属だったが2期目途中の2010年に大阪維新の会創設に参加。3期目の2011年から大阪府議会日華親善議員連盟会長、2014年5月から岡沢健二議長とともに大阪府議会副議長を務め、その任期末で政治家引退。
喜田 寛(きだ ひろし、1945年3月12日 - 2021年… 喜田 寛(きだ ひろし、1945年3月12日 - 2021年10月29日)は、元気の出る言葉をアートする書道家。『達山(たつざん)』として世界各地で書展や個展、社訓や社是、社歌、経営理念、ブランドパッケージ、表札等をアート作品を手掛ける。また日本で唯一の話し方を超えた生き方を問う「話道(わどう)」の世界を確立した話道の創設者と自称している。 兵庫県淡路市生まれ。 多くの苦難を乗り越え『念い』の一念で修行に励み1988年から講師活動を開始。 1995年に株式会社喜田寛総合研究所を設立。 2019年講師活動30年を迎える。 2021年10月29日逝去
大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は… 大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は、ジャズトロンボーン奏者。青森県弘前市生まれ。「ジギングのパパ」とも呼ばれる。 高校生の頃より吹奏楽部に所属、トロンボーンを演奏を目指して昭和38年に上京。音楽学校を中退しジョージ川口&オールスターズのオーディションを受け合格(大津留の芸名は当時の仇名から)、ジャズミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。その後、スマイリー小原とスカイライナーズに6年間在籍。さらに豊岡豊&スイングフェイスを経て、自己のバンド「オークション」「エボニー・ファンクショップ」「オールディーズ・ブルースキャンペーン」を結成(その頃からパパと呼ばれる)。ライブ演奏の傍ら、音楽番組や劇場音楽の作編曲者として活動する。
佐野 公俊(さの ひろとし、1945年3月11日 - )は、… 佐野 公俊(さの ひろとし、1945年3月11日 - )は、日本の医学者・脳神経外科医。東京都出身。 藤田保健衛生大学(現:藤田医科大学)退任後、困難な症例のオペなどを、川崎にある医療法人明徳会 総合新川橋病院で週2回の手術、および外来を行っている。また静岡県の藤枝平成記念病院、豊川市の青山病院でもオペを行ってペる。東京都江戸川区の森山記念病院付属の東京脳神経センター病院の脳動脈瘤手術センターで脳動脈瘤の患者さんが見つかれば今後オペを行う予定。名古屋脳神経外科クリニックで行っている脳ドックの検査後、脳動脈瘤が発見された患者の診察、またジャパン藤脳クリニックでは、脳ドックで見つかった患者の外来診療も行っている。
山本 孝之(やまもと たかゆき、1945年3月11日 - )… 山本 孝之(やまもと たかゆき、1945年3月11日 - )は日本の大蔵官僚。東京税関長、大臣官房金融検査部長、印刷局長、佐賀共栄銀行代表取締役頭取などを歴任。 京都府京都市出身(父は京都府、母は大阪府)。洛星高等学校、東京大学法学部卒業。1967年4月 大蔵省入省(銀行局総務課)。1972年7月10日 坂出税務署長。1973年7月から横浜市財政局で勤務。本省帰還後は主に主計局で主査(課長補佐)を務める。1990年6月29日 中国財務局長。1991年6月24日 内閣官房内閣審議官(内閣内政審議室)。1993年6月25日 東京税関長。1994年7月1日 大臣官房金融検査部長。1995年5月26日 印刷局長。
佐藤 輝(さとう てる:1945年〈昭和20年〉3月10日 … 佐藤 輝(さとう てる:1945年〈昭和20年〉3月10日 ‐ )は、日本の俳優、ミュージカル俳優、声優。本名は、佐藤 輝昭(さとう てるあき)。オフィス天童所属。 山形県余目町(現・庄内町)出身。余目町立余目小学校、余目中学校を経て山形県立酒田東高等学校卒業[要出典]。劇団俳優小劇場養成所2期生。歌って踊れる個性派俳優として演技力、歌唱力が高く評価されている。1976年より20年間、劇団動物園にて活動。 ミュージカル『ラ・マンチャの男』にサンチョ・パンサ役で1995年から出演、2008年の帝劇公演でサンチョ役484回の日本最多出演を記録した。『子午線の祀り』(伊勢三郎義盛役)、『チャングムの誓い』(養父カン・ドック役)、『おしん』(定次役)、大河ドラマ『元禄繚乱』の忠僕八助役など代表作多数。
田中 泯(たなか みん、1945年3月10日 - )は、日本… 田中 泯(たなか みん、1945年3月10日 - )は、日本のダンサー・舞踊家である。
大石 勝彦(おおいし かつひこ、1945年3月10日 - )… 大石 勝彦(おおいし かつひこ、1945年3月10日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手。兄の大石正彦も元プロ野球選手。
東久邇 信彦(ひがしくに のぶひこ、1945年〈昭和20年〉… 東久邇 信彦(ひがしくに のぶひこ、1945年〈昭和20年〉3月10日 - 2019年〈平成31年〉3月20日)は、日本の旧皇族、盛厚王と同妃成子内親王の第1王子、東久邇宮の第2代当主。皇籍にあった時の名は信彦王(のぶひこおう)。明治天皇の曾孫、昭和天皇・香淳皇后の初孫であり、 今上天皇 (徳仁) の従兄にあたる。全日本野球会議名誉会長、日本タイ協会常務理事、世界連邦文化教育推進協議会の会長、特定非営利法人 国際安心安全協会最高顧問、富士山大賞大会長、崇敬会「東郷会」名誉会長、日本の伝統を守る会名誉会長、日本モンテネグロ友好協会名誉総裁など、数多の要職・名誉職を歴任した。 1945年(昭和20年)3月10日午後1時20分、東久邇宮家の盛厚王の第1子(長男)として鳥居坂御殿において出生。
福地 惇(ふくち あつし、1945年3月10日 - )は、日… 福地 惇(ふくち あつし、1945年3月10日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近代政治史、特に明治時代政治史。高知大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会前副会長。 茨城県常陸太田市出身。1969年東京大学文学部国史学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学[要出典]。 高知大学人文学部人文学科講師、助教授、教授を経て、1998年4月より文部省主任教科書調査官に就任。同年11月、初等中等教育局付。99年4月、文部省視学官[要出典]。防衛省統合幕僚学校講師も務めた。 2003年大正大学文学部歴史文化学科教授。2005年9月、新しい歴史教科書をつくる会理事、翌年4月から副会長[要出典]。 2012年から保守の会顧問。
門脇 陸男(かどわき りくお、1945年(昭和20年)3月1… 門脇 陸男(かどわき りくお、1945年(昭和20年)3月10日‐)は日本の演歌・民謡歌手。 宮城県登米郡南方町(現・登米市)出身。 高校卒業後、就職したバス会社(のちの宮城交通)入社後から民謡を始め、1980年、東北の民謡コンクールで優勝。 レコードデビュー直前は宮城交通のバス運転手と農業の兼業だった。 1982年、東北放送の人気ラジオ番組「民謡でごきげん」放送三百回記念として、クラウンレコードとタイアップして作られた「祝い船」でデビュー。レコード会社の宣伝文には「やったぜ!リック」とミスマッチなコピーが記されていた。当初、レコード会社はまったく宣伝しなかったが、地元の有線放送で支持され、当時流行していたカラオケで歌われるようになり、仙台から東北、さらには東京へと広まり、2年半越しで全国に浸透。
前の山 太郎(まえのやま たろう、1945年3月9日 - 2… 前の山 太郎(まえのやま たろう、1945年3月9日 - 2021年3月11日)は、大阪府北河内郡庭窪村(現在の守口市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は清水 和一(しみず かずいち)、旧姓は金島(かねしま)。身長186cm、体重133kg。最高位は東張出大関。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。 元前頭・朝若との養子縁組時は中矢(なかや)を名乗った。実弟に同部屋の幕下力士・佐田岬(後に前の湖と改名)がいる。 浪商高校入学直後までは野球部に所属していたが、長身の体格を見込まれ相撲部に入部して大阪府の大会に出場するなど活躍した。そこで自信を持ち、高校を1年で中退し兄と共に高砂部屋に入門、1961年3月場所に初土俵を踏んだ。
小池 正毅(こいけ まさたけ、1945年(昭和20年)3月8… 小池 正毅(こいけ まさたけ、1945年(昭和20年)3月8日 - )は、日本の旧華族、旧男爵小池家4代当主。
尾原 榮夫(おはら しげお、1945年3月8日 - )は、… 尾原 榮夫(おはら しげお、1945年3月8日 - )は、日本の大蔵官僚。国税庁長官を務めた。 山形県出身。1968年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。大臣官房文書課に配属。1972年7月に主計局総務課企画第一係長。1973年7月に左京税務署長。1974年7月に銀行局中小金融課長補佐(信用金庫・信用補完)心得。和歌山県総務部財政課長、主計局主計官補佐(通商産業第一、二係主査)、大臣官房企画官兼大臣官房秘書課、主税局税制第二課長、主税局税制第一課長などを経て、1992年6月26日に主税局総務課長。その後は内閣総理大臣秘書官(事務担当)から1994年4月28日に大臣官房調査企画課長。同年7月1日に大臣官房審議官(主税局担当)。
高橋 祐次郎(たかはし ゆうじろう、1945年3月7日 - … 高橋 祐次郎(たかはし ゆうじろう、1945年3月7日 - 1998年11月29日)は、日本のドイツ語翻訳家。音楽評論家。ボンヘッファー研究会に属し、キリスト教ジャーナリストとして活躍。編集者として『カラー版聖書大事典』『新教/タイムズ聖書歴史地図』を世に遺した。柳生直行、水谷昭夫などとも親交があった。
谷垣 禎一(たにがき さだかず、1945年(昭和20年)3月… 谷垣 禎一(たにがき さだかず、1945年(昭和20年)3月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)、京都府遺族会会長、有隣会顧問。
大池 良平(おおいけ りょうへい、1945年(昭和20年)3… 大池 良平(おおいけ りょうへい、1945年(昭和20年)3月6日 - )は、日本の政治家。元愛知県江南市長。 江南市古知野町古渡(名鉄江南駅西方)出身。1963年(昭和38年)愛知県立安城農林高等学校卒業。1980年(昭和55年)江南市土地改良区理事、1984年(昭和59年)江南青年会議所理事長、のち江南市議会議員を経て、1991年(平成3年)4月に江南市長に当選し、3期務めた。2003年の江南市長選には出馬せず、3期で勇退。江南市議の堀元を後継とし、連日応援演説を繰り返すなど最後まで全面支援した。選挙の結果、堀が次代の江南市長となった。 ほか、1966年(昭和41年)4月から約20年間に渡り消防団分団長などを歴任した。