鈴村 和成(すずむら かずなり、1944年3月22日 - )… 鈴村 和成(すずむら かずなり、1944年3月22日 - )は、日本の文学研究者、フランス文学者、文芸評論家、翻訳家。横浜市立大学名誉教授。紀行作家、写真家、詩人としても活躍。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒。1972年、倉橋健一、清水昶、藤井貞和、佐々木幹郎、米村敏人とともに、詩誌「白鯨」を創刊。1991年、アルチュール・ランボー没後100年に、写真家の大島洋とともにランボー紀行を行ない、イエメンのアデン、エジプトのカイロ、キプロスのラルナカ等を歴訪。翌年、四谷三丁目のギャラリー「モール」で写真展「ランボーのスティーマー・ポイント」を開催。同年、同題の本を集英社から刊行。同年、渋谷パルコで粟津則雄、渋沢孝輔、島田雅彦、瀬尾育生とともに、シンポジウム「ランボー101年」を開催。
横内 公明(よこうち こうめい、1944年(昭和19年)3月… 横内 公明(よこうち こうめい、1944年(昭和19年)3月22日 - )は、日本の政治家。山梨県韮崎市長(2期)、山梨県議会議長(第107代)、山梨県議会議員(4期)などを歴任した。旭日小綬章受章。 山梨県知事の横内正明は兄。元山梨県韮崎市長の横内要は父。 山梨県韮崎市生まれ。日本大学理工学部卒業。1961年、大洋紡績に入社。1968年、韮崎紡績に入社。1987年に横内商事を設立し、同社代表取締役に就任。 1991年4月、山梨県議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。1995年、1999年、2003年にも山梨県議に再選され、4期連続当選。県議時代は自由民主党に所属した。2000年10月11日に山梨県議会議長に就任し、翌2001年6月26日まで務める。
伊能 正司(いのう まさし、1944年3月21日 - )は、… 伊能 正司(いのう まさし、1944年3月21日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
児玉駿(こだま すぐる、1944年3月21日 - )は、日本… 児玉駿(こだま すぐる、1944年3月21日 - )は、日本の実業家。学校法人日通学園理事長。愛媛県出身。前日通総合研究所社長、元日本通運取締役常務執行役員。
石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、… 石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、日本のロックギタリスト。インド音階を駆使したラーガ奏法のシタール奏者。北海道札幌市出身。以前は、「石間秀樹」や「石間ヒデキ」の芸名で活動していた。 高校卒業後に本格的にギターを始め、札幌で「ジャローズ」というバンドを結成。その後上京し、1966年にGSグループ「ジ・アウトロウズ」(後にザ・ビーバーズと改名)を結成。1967年シングル「初恋の丘」でデビューしたが、1969年解散。 同年、内田裕也に誘われ、ロックバンド「フラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。同バンドはメンバー・チェンジを経て「フラワー・トラベリン・バンド」(通称:FTB)となり、翌年アルバム『anywhere』でデビュー。
長野 庬士(ながの あつし、1944年3月20日 - )は、… 長野 庬士(ながの あつし、1944年3月20日 - )は、日本の元大蔵官僚。弁護士。西村あさひ法律事務所パートナー。
長野 庬士(ながの あつし、1944年3月20日 - )は、… 長野 庬士(ながの あつし、1944年3月20日 - )は、日本の元大蔵官僚。弁護士。西村あさひ法律事務所パートナー。血液型はB型。 1959年に東京都立新宿高等学校に入学。同級生からは「学年で5・6番目の成績だったが、単なるガリ勉タイプではなかった」といわれている。東京大学法学部卒業。東大在学中に国家公務員上級甲種試験(法律職)にトップで合格(岡田康彦、増渕稔と同点)し、司法試験にも2位で合格。東大法学部の成績も「良」が1つだけ(財政学)だった。1966年 大蔵省入省。大臣官房文書課配属。入省動機を「父が商売に失敗しましてね、税金が払えず、私の部屋まで上がってきて差し押さえしたんです。それが悔しくてねぇ。
小玉 晃(こだま あきら、1944年3月20日 - )は、日… 小玉 晃(こだま あきら、1944年3月20日 - )は、日本の元バスケットボール選手。 東京教育大学在学中、全日本に選ばれ1963年世界選手権と東京オリンピックに出場。 卒業後、日本鉱業に入社。引き続き全日本で活躍し、1967年世界選手権に出場。日本リーグでは1971・72年の2年連続でベスト5を獲得。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
加々美 光行(かがみ みつゆき、1944年3月19日 - 2… 加々美 光行(かがみ みつゆき、1944年3月19日 - 2022年4月22日)は、日本の現代政治思想の研究者。愛知大学名誉教授。同大国際中国学研究センターフェロー。日本貿易振興会アジア経済研究所名誉研究員。中国南開大学歴史学院客員教授。霞山会顧問。元日中社会学会理事、元中国研究所理事、元日本現代中国学会理事。中国芸術院中国文化研究所「世界漢学」編集委員、南京大学「中国研究」編集委員。国家論から説き起こした文化大革命研究や民族問題研究で知られる。 大阪府布施市(現・東大阪市)生まれ、東京都杉並区育ち。 アジア経済研究所に在職時代の1972年から80年まで哲学者の市井三郎と共同で山梨県大月市朝日小沢で畑を開墾し農耕に従事する。
田中 英夫(たなか ひでお、1944年3月19日 - )は、… 田中 英夫(たなか ひでお、1944年3月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の京都府議会議員(通算5期)。衆議院議員(1期)、京都府亀岡市長(2期)を務めた。
田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19… 田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の京都府議会議員(通算7期)。衆議院議員(1期)、京都府亀岡市長(2期)を務めた。 広島県広島市生まれ。1945年8月6日、広島市への原爆投下により被爆を経験する。修道中学校、1962年洛星高等学校、1966年京都大学経済学部卒業。1975年、田中石油株式会社代表取締役に就任。1982年、亀岡青年会議所理事長に就任した。1983年、谷口義久亀岡市長の下で亀岡市助役に起用される。 1991年、京都府議会の保守系会派である新政会の公認を受けて京都府議会議員選挙に亀岡市選挙区から出馬し、初当選した。1995年、再選。
坂上 芳洋(さかうえ よしひろ、1944年(昭和19年)3月… 坂上 芳洋(さかうえ よしひろ、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の防衛アナリスト、一般財団法人日本総合戦略研究所理事長、日本の将来を考える会会長。 昭和42年3月防衛大学卒。護衛艦あやせ艦長、第46護衛隊司令、防衛庁海上幕僚監部防衛部通信課長、同装備体系課長、海将補、第一護衛隊群司令、環太平洋合同演習日本部隊指揮官、阪神基地隊司令を経て、日米欧の多国籍弾道ミサイル防衛会議議長、日米欧弾道ミサイル防衛戦術ゲーム主管、一般財団法人日本総合戦略研究所理事長、米国レイセオン社上級アドバイザー、ダイキン工業顧問など多くの役職を兼任した。 著書に「世界のミサイル防衛」他多数。 1944年 富山県南砺市(旧富山県西砺波郡福光町)に生まれる。
細野 昭雄(ほその あきお、1944年3月18日 - )アイ… 細野 昭雄(ほその あきお、1944年3月18日 - )アイ・オー・データ機器代表取締役会長兼社長。 1944年石川県生まれ。1962年石川県立工業高等学校電気科卒業。ウノケ電子工業(現(株)PFU)に入社。ウノケ電子創業者の一人の竹内繁が金沢工業大学教授に就任するに伴い、同大学助手に着任。金沢工業大学ではコンピューターの開発と、周辺機器をつなぐ入出力部分(インターフェース)の研究を行った。1970年、竹内繁が創業した周辺機器開発のベンチャー企業 (株)バンテック・データ・サイエンス(現:NTTデータNJK)に入社し、開発部長となったが1975年に退社した。1976年1月アイ・オー・データ機器を自宅の一階を社屋、ガレージを工場として、創業した。
横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月… 横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉1月21日)は、かつて吉本興業大阪本社に所属していた漫才師、タレント、政治活動家。愛称は「やっさん」。 やすしと同じく高知県で生まれ、大阪府で育った西川きよしとの漫才は、漫才ブームの到来とともに爆発的な人気を博し、「やすきよ漫才」として20世紀を代表する天才漫才師と呼ばれるまでになった。波乱万丈な人生から破天荒芸人との異名をもつ。 初妻(のちに離婚)との間に俳優の木村一八(長男)と長女をもうけた。再婚した妻とはやすしの事務所契約解除等を挟み、逝去まで連れ添った。エステティシャンで漫才師さゆみ・ひかりの木村ひかり(次女)は、後妻との子である。
丑木 幸男(うしき ゆきお、1944年3月17日 - )は、… 丑木 幸男(うしき ゆきお、1944年3月17日 - )は、日本の地方史学者、国文学研究資料館・総合研究大学院大学名誉教授。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎高等学校、東京教育大学文学部史学科日本史学専攻卒業。群馬県立武尊高等学校、群馬県立渋川女子高等学校、群馬県立中央高等学校、群馬県史編纂室を経て、国文学研究資料館史料館長・教授・総合研究大学院大学教授。2006年定年退官、名誉教授。94年「石高制確立と在地構造 上州沼田藩を事例として」で筑波大学文学博士。日本近代地方政治史の研究を専門とする。
太田 安規(おおた やすのり、1944年(昭和19年)3月1… 太田 安規(おおた やすのり、1944年(昭和19年)3月17日 - )は、日本の政治家。元千葉県匝瑳市長(3期)。元八日市場市議会議員(4期)。 食品製造販売業のタイヘイ(本社:匝瑳市)創業者一族に生まれる。父は2代目の旧八日市場市長。千葉県立匝瑳高等学校、明治大学卒業。印刷業を営む。剣道教士七段。 31歳のときに旧八日市場市議会議員に就任。市議を4期務めたのち八日市場市長選挙に出馬するも落選。 2010年(平成22年)2月7日に行われた匝瑳市長選挙に出馬。後継指名はしないと述べていた現職の江波戸辰夫は選挙戦に入って方針転換し、太田を支援した。前市議の佐藤悟と前市議の石田勝一を破り初当選を果たした。
赤枝 恒雄(あかえだ つねお、1944年3月16日 - )は… 赤枝 恒雄(あかえだ つねお、1944年3月16日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。医学博士。赤枝六本木診療所院長。 徳島県出身。徳島県立城南高等学校を経て、1968年に東京医科大学医学部を卒業。同年、産科・婦人科の診療所「赤枝六本木診療所」を東京・六本木に開設した。自身の診療所で産婦人科診療を行い、2000年には、バングラデシュ母子保健病院(ICMH)ダッカ内に赤枝桶谷乳房管理センターを設立した。2008年に死亡したAV女優出身のタレント、飯島愛のかかりつけ医だった。 2012年12月16日、第46回衆議院議員総選挙で自由民主党の比例東京ブロックから出馬し初当選した。
石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げん… 石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げんたろう)。1944年3月16日 - 2013年9月21日)は、日本の男性俳優、声優、僧侶。別名義として本名のほか、石田 絃太郎(いしだ げんたろう)を1980年代の一時期に使用していた。京都府京都市出身。 父は俳優の石田茂樹。妻は女優の立花房子。 上智大学外国語学部イスパニア語学科中退。 劇団雲、劇団昴、野間事務所、オフィスPSCなどを経て、最後はグランパパプロダクションに所属していた。 浄土真宗本願寺派の僧侶でもあり、石川県金沢市乗敬寺の住職も務めた。 2013年9月21日午後1時頃、フジテレビ系で放送された連続ドラマ『独身貴族』第1話の収録において、神奈川県相模原市緑区の城山スタジオにて水着姿でプールに入っての撮影後、突然意識を失って倒れた。
藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 -… 藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 - )は、日本の政治学者、専修大学法学部名誉教授。専門は、アメリカ政治。日本政治学会理事。日本臨床政治学会第二代理事長。日本臨床政治研究所所長。 青森県五所川原市出身。弘前高校卒業後松木屋に就職するが退職し、2浪後明治大学農学部農芸化学科に入学。1969年、同学部卒業。1974年、同大学院政治経済学研究科博士課程修了。田口富久治に師事。日米友好基金賞受賞、2013年、日本政治法律学会より学会賞受賞。国立国会図書館職員、明治大学、東京大学講師、明海大学不動産学部教授を経て現在に至る。国立国会図書館では主に調査員として勤務した。また、近年では郷里・青森県の戦後政治史についての論文・著作を多数発表。
田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は… 田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は、愛知県出身の洋画家、壁画家。
小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19… 小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19年〉3月15日 - 2007年〈平成19年〉10月2日)は、日本の政治家。釜石市長(2期)。 岩手県釜石市出身。法政大学社会学部卒。釜石市議会議員を経て、議長も務める。2003年の釜石市長選挙で初当選。2007年の選挙では無投票で再選。同年10月2日、肝硬変のため現職のまま死去。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される。
太田 孝(おおた たかし、1944年3月14日 - 2015… 太田 孝(おおた たかし、1944年3月14日 - 2015年1月19日)は日本の実業家、学術博士。近畿日本ツーリスト(現KNT-CTホールディングス)代表取締役社長、東海大学教授、横浜市立大学客員教授などを務めた。 三重県生まれ。1962年三重県立伊勢高等学校卒業。1966年横浜市立大学文理学部卒業、近畿日本ツーリスト入社。営業や旅行企画を担当したのち、1998年人事部長。1999年取締役。2003年常務取締役。 2004年から代表取締役社長を務め、2008年には店頭販売事業を統合してKNTツーリストを設立した。2008年相談役。 2010年東海大学観光学部教授。2013年横浜市立大学大学院都市社会文化研究科博士後期課程修了。
十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえも… 十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえもん 1944年3月14日 - )は、歌舞伎役者、俳優。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。歌舞伎名跡「片岡仁左衛門」の当代。
渡辺 克信(わたなべ かつのぶ、1944年3月14日 - )… 渡辺 克信(わたなべ かつのぶ、1944年3月14日 - )は朝日放送取締役相談役、テレビ朝日社外取締役。
上總 康行(かずさ やすゆき、1944年3月14日 - )は… 上總 康行(かずさ やすゆき、1944年3月14日 - )は日本の会計学者。京都大学名誉教授、福井県立大学名誉教授。専門は管理会計。兵庫県尼崎市生まれ、高校卒業まで丹後の宮津・与謝野町で育つ。 高校卒業後、蓄電池のトップメーカーであった日本電池(本社:京都市、一部上場企業)で高卒技術者として働きつつ、立命館大学の理工学部と経営学部で学んだ。経営学部では西田博助教授(後に、大阪市立大学教授)のゼミナールの指導を通じて会計学に関心を持つようになる。大学院進学のため日本電池を退社し、大阪経済大学の大学院経済学研究科修士課程、立命館大学の大学院経営学研究科博士課程で会計学の研鑽を積んだ。立命館大学の博士課程では河合信雄教授(後に、京都経済短期大学学長)に師事し、会計学の奥深さと厳しさを教わった。
夢童 由里子(むどう ゆりこ、1944年3月14日 - 20… 夢童 由里子(むどう ゆりこ、1944年3月14日 - 2015年3月21日)は、日本の人形作家、造形作家、アートプロデューサー、コラムニスト。京都市出身。京都市立芸術大学卒業。 西陣織を使った衣装と、大陸的な和洋折衷の作風が特徴である。人形以外にも石像、ブロンズ像、金属・コンクリートを使った屋外彫刻などの作品も手がけ、造形作家としても幅が広い。企業顧問、アドバイザー、客員教授などを務め、講演回数も多数に上った。
関 曠野(せき ひろの、1944年3月14日– )は、日本の… 関 曠野(せき ひろの、1944年3月14日– )は、日本の思想史家、評論家。愛知県豊橋市在住。父は児童文学作家の関英雄。 東京都出身。早稲田大学第一文学部仏文科卒業後、共同通信社入社。国際局海外部をへて1980年に同社を退職し、在野の思想史家(自称の肩書きは「文明史家」)、評論家として活動を開始する。英語、ドイツ語、フランス語に堪能で、海外の論文はほとんど原語で読んでいる。その冠絶した知性と変人ぶりから「左翼界の小室直樹」と称せらる。 1982年に処女評論『プラトンと資本主義』(北斗出版)を上梓。以来、資本主義批判、西欧近代文明批判を軸として、政治思想史、教育論、科学・技術論等、様々なテーマで論考を発表。
楠ノ海 正治(くすのうみ まさはる、1944年3月13日 -… 楠ノ海 正治(くすのうみ まさはる、1944年3月13日 - )は、佐賀県佐賀市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 正治(なかむら まさはる)。現役時代は身長173cm・体重75kg。最高位東十両16枚目。得意技は右四つ、上手投げ。 1959年7月場所初土俵。序ノ口を1場所で通過後に序二段中位〜下位で1年程停滞したり、初めて幕下に昇進した1961年11月場所で7戦全敗を喫したりしたが、以降は好成績を修め続け順調に番付を上げて、1965年5月場所に21歳で十両昇進。しかし場所前に左膝の関節を捻挫したために当場所及び翌場所を全休。以降は番付を幕下下位に落とし成績は振るわず、1966年5月場所に22歳の若さで廃業した。
関根 知雄(せきね ともお、1944年3月12日 - )は、… 関根 知雄(せきね ともお、1944年3月12日 - )は、千葉県銚子市愛宕町出身の元プロ野球選手、(内野手)。 銚子商業高校では1961年、遊撃手、一番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は矢島勝彦のいた法政一高を、延長12回、柴武利の夏の大会史上初のサヨナラ本塁打で降す。しかし2回戦では、この大会に優勝した浪商の尾崎行雄に抑えられ、1-2で惜敗。チームメートに控え内野手の田中達彦がいた。 卒業後は日本ビールに進む。1962年の都市対抗に出場し、1回戦では電電近畿と対決。日本ビールは小川健太郎(立正佼成会から補強)から五代友和、角谷隆に継投、電電近畿はエース永易将之が好投して共に無得点のまま進む。
中川 武隆(なかがわ たけたか、1944年3月12日 - )… 中川 武隆(なかがわ たけたか、1944年3月12日 - )は、日本の裁判官。元東京高等裁判所第3刑事部総括判事。前早稲田大学教授。専門は刑事訴訟、少年審判など。石川県出身。京都大学卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12… 小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12日 - 2016年6月7日)は京都府出身の日本画家。元京都市立芸術大学名誉教授。 石工であった祖父の影響を受け、幼少期から彫刻に関心を持っていた。また、実家から近距離にあった東寺(主に境内)を遊び場としており、そこで平安時代の密教美術を嗜んでいた。 中学・高校在学中にパブロ・ピカソや須田国太郎を知ったという。 京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に入学し、秋野不矩や石本正に学んだ。1969年に専攻科を修了した。在学中に「花鳥画は保守的」と判断し、人物画を描くことを決意した。また、同時期の1967年9月に第32回新制作協会展で新作家賞を受章している。
長谷川政美(はせがわ まさみ、男性、1944年3月12日- … 長谷川政美(はせがわ まさみ、男性、1944年3月12日- )は、日本の遺伝学者、進化生物学者。統計数理研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。 新潟県生まれ。1966年東北大学理学部物理学科卒業、1970年名古屋大学大学院理学研究科中途退学、東京大学理学部助手(生物化学科)、1973年理学博士(東京大学)、1975年統計数理研究所第2研究部研究員、86年同予測制御研究系教授、88年総合研究大学院大学教授(併任)、99年東京大学大学院理学系研究科教授(併任)、2005年統計数理研究所予測発見戦略研究センター長、2007年復旦大学生命科学学院教授、国立遺伝学研究所客員教授、2008年統計数理研究所ゲノム解析グループ特命教授。
石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日… 石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日本の技術者、実業家。日本軽金属ホールディングス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本アルミニウム協会会長、国立大学法人北海道大学総長選考会議議長などを務めた。 静岡県静岡市駿河区出身。静岡県立静岡高等学校を経て、1967年北海道大学工学部卒業、日本軽金属入社。1997年取締役に昇格。2001年取締役兼常務執行役員。2003年取締役兼専務執行役員。2006年取締役兼副社長執行役員。 2007年から日本軽金属代表取締役社長を務め、日本軽金属ホールディングス設立にあたり、2012年日本軽金属ホールディングス代表取締役社長に就任。2014年日本アルミニウム協会会長。
北山 武征 (きたやま たけゆき、1944年3月9日[要出典… 北山 武征 (きたやま たけゆき、1944年3月9日[要出典] - ) は、日本の元公務員。公園管理運営士会副会長。 香川県出身。1966年に大阪府立大学農学部園芸学科を卒業後、建設省に入省した。[要出典] 1985年に都市局公園緑地課建設専門官となり、以降は地域振興整備公団、1989年時点では建設省都市緑地対策室長、1990年時点では埼玉県住宅都市部次長、1996年時点では大阪市建設局と、建設省・公団・地方自治体の建設関係部署に複数在籍した。退官後の2004年時点には公園緑地管理財団副理事長を務めていた。 2000年に、第22回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
柴山 光由(しばやま みつよし、1944年(昭和19年)3月… 柴山 光由(しばやま みつよし、1944年(昭和19年)3月9日 - )は、仙台放送の元アナウンサー、元アナウンス部長。在籍末期は解説委員の肩書も持っていた。 東京都台東区生まれ。1966年に法政大学卒業。同年、仙台放送に入社(同期に山崎正)。『2時ですOXです』やゴルフの『JCBクラシック仙台』の実況などを経て、夕方のローカルニュース(『FNN仙台放送スーパータイム』~『仙台放送スーパーニュース』)のキャスターを2004年3月26日まで16年近く務めた。 2004年3月31日でアナウンサー職を退いた後、仙台放送を退職し、さとう宗幸が代表を務めるさとう音楽事務所に所属。仙台市教育委員を務めつつ、宮城県ローカル版のアメリカンホームダイレクトのコマーシャルに出演している。
岩崎 恵美子(いわさき えみこ、1944年3月8日 - )は… 岩崎 恵美子(いわさき えみこ、1944年3月8日 - )は、日本の医師。元・厚生省仙台検疫所所長 (初の女性検疫所長)、元・仙台市副市長。 新潟県新潟市出身、新潟大学医学部医学科卒業。耳鼻科医として勤務の後、公衆衛生分野に移り、検疫所、国際協力機構(JICA)、世界保健機構(WHO)での活動などを通して、日本国内外における感染症対策の経験を積んだ。 2007年、当時の仙台市長・梅原克彦の要請で奥山恵美子、笠原周二とともに同市副市長に就任。「仙台方式」と呼ばれる先進的な新型インフルエンザ対策(地域の診療所が軽症者の診療を担う等)を行うなどした。 2009年7月、梅原の引退に伴う仙台市長選挙に立候補したものの、民主党、社民党などが支援し、同じく副市長だった奥山に敗れて落選した。
松村 勝美(まつむら かつみ、現姓:千葉、1944年3月8日… 松村 勝美(まつむら かつみ、現姓:千葉、1944年3月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。金メダリスト。 大阪府八尾市出身。校内バレーボール大会で優勝したのが教師の目に留まり、中学2年からバレーボールを始める。3年次には激戦区大阪の府内大会で3位を経験する。この時に会場に来ていた小島孝治四天王寺高校監督(当時)に誘われて四天王寺高校に入学する。 四天王寺高校在学中は国体やインターハイで全国優勝4回に貢献した。1962年に日紡貝塚に入社。1964年東京オリンピックでは金メダル、1972年ミュンヘンオリンピックでは主将として銀メダルを獲得した。この時に発した「金メダルだけが欲しかった。銀メダルはいらない」は同オリンピックを象徴する言葉となった。
朝枝 善照(あさえだ ぜんしょう、1944年3月8日 - 2… 朝枝 善照(あさえだ ぜんしょう、1944年3月8日 - 2007年1月3日)は、島根県出身の仏教学者、歴史学者。龍谷大学文学部教授、島根県邑南町(旧瑞穂町)の浄土真宗本願寺派浄泉寺住職。文学博士。 俗名は朝枝照。出身の浄泉寺は、かつては門下に三十三ケ寺を抱える山陰きっての真宗の名刹の一つ。江戸時代に著名な真宗学僧である仰誓(1721年 - 1794年)・履善親子が請われて入寺し、学寮を作って自謙や誓鎧などの勝れた学者を多く育て、その学系が特に石州学派と呼ばれたことで知られている。仰誓は妙好人と呼ばれる篤信の真宗信徒の逸話を集めて『妙好人伝』を編集したことで知られている。そうした濃厚な真宗文化の中で育った朝枝であるが、学生時代は臨済宗本山の一つである東福寺に長年寄宿し、禅僧の日々の生活を日夜見て過ごしたため、禅についても造詣が深く、常に深い尊敬の念を抱いていた。
川口 春馬(かわぐち はるま、1944年3月8日 - )は、… 川口 春馬(かわぐち はるま、1944年3月8日 - )は、日本の工学者。学位は工学博士。専門分野は、高分子化学、機能性高分子、高分子コロイド・界面化学、重合、バイオマテリアル。慶應義塾大学名誉教授。元繊維学会会長。 大塚保治研究室出身。COE採択リーダー・拠点リーダー(21世紀COEプログラム・化学・材料科学分野、ライフコンジュゲートケミストリー)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 … 高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 - 2024年1月3日)は、日本の臨床心理学者。立命館大学名誉教授。 高知県高知市生まれ。1968年京都大学教育学部卒。1973年同大学院博士課程満期退学。1973年京都大学教育学部助手。河合隼雄助教授(当時)の下で勤務。1974年ひかり協会(森永ヒ素ミルク事件被害者のため設立)の救済対策委員。1976年大阪電気通信大学助教授、1985年教授。1995年立命館大学産業社会学部教授。2001年同応用人間科学科教授。2009年定年退職、特任教授。2014年退職、名誉教授。 2024年1月3日午前7時、病気のため京都府田辺市の自宅で死去。79歳没。
小灘 一紀(こなだ いっき、1944年3月7日 - )は、日… 小灘 一紀(こなだ いっき、1944年3月7日 - )は、日本の洋画家。日本藝術院賞受賞者。 鳥取県境港市に生まれる。鳥取県立米子東高等学校時代に金畑実に師事し、卒業後に芝田米三に師事した。1963年に金沢美術工芸大学へ入学し、のちに同大学彫刻科を卒業した。 日展作家として活動し、29歳で日展に初入選した。その後、古事記・記紀神話を主題とする作品を描き続けている。 2017年、改組新第4回日展で「伊須気余理比売命」により内閣総理大臣賞を受賞した。2023年、令和4年度(第79回)日本藝術院賞を、「伊邪那岐命の悲しみ」により受賞した。2026年、鳥取県文化功労賞知事表彰を受けた。
高木 邦夫(たかぎ くにお、1944年3月7日 - )は、日… 高木 邦夫(たかぎ くにお、1944年3月7日 - )は、日本の実業家。株式会社ザイマックス顧問、SGホールディングス株式会社顧問、社外取締役。大手スーパーダイエーの元代表取締役社長。 1944年3月7日、長崎県で生まれる。和歌山大学経済学部卒業。1966年に「主婦の店」(現ダイエー)に入社。海外商品や営業企画などの担当を経る。80年代前半、3期連続の赤字に陥った際、業務企画室長に就任し、業績回復に貢献した。 これらの実績を中内㓛に目を止められる。その後、中内時代は中内の側近として、一時期はナンバー2とも言われる有力な補佐であった。さらに、中内から依頼され、リクルートの再建にも尽力した。その後は再びダイエーの再建計画に携わった。
曽根 威彦(そね たけひこ、1944年3月6日 - )は、日… 曽根 威彦(そね たけひこ、1944年3月6日 - )は、日本の法学者。専門は刑法。学位は、法学博士(早稲田大学・1981年)(学位論文『刑法における正当化の理論』)。早稲田大学名誉教授。横浜市出身。 責任論では法的責任論を採用する。刑事責任と犯罪予防を対立的に捉える。 未遂犯論では客観説を採用する。未遂犯においても故意を違法要素としない。 共犯論では共同意思主体説をとるが、共謀共同正犯を否定し、師説を離れた。共犯の処罰根拠論では修正惹起説を支持する。
奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう、1944年3月6日 -… 奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう、1944年3月6日 - )は、日本のフランス文学者、エッセイスト。埼玉大学名誉教授。NPO日本アンリ・ファーブル会理事長、虫の詩人の館(ファーブル昆虫館)館長。 大阪府大阪市生まれ。貝塚市出身。大阪府立岸和田高等学校から東京大学文学部仏文学科卒、同大学院修了。1988年横浜国立大学助教授を経て、1990年埼玉大学教養学部教授。2009年同大学名誉教授、2010年より大阪芸術大学文芸学科教授。2014年退職。 1991年より2010年まで日本昆虫協会会長。2002年より日本アンリ・ファーブル会理事長、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長。
進 千賀子(しん ちかこ、1944年3月6日 - )は、日本… 進 千賀子(しん ちかこ、1944年3月6日 - )は、日本の女優。 本名は同じ。中国・上海出身。福岡県福岡市育ち。福岡市立博多第二中学校、博多高等学校卒業。丹波プロに所属していた。 父親は共同通信社の記者で、第二次世界大戦後、家族とともに福岡県に引き揚げる。高校3年時に日活撮影所を見学した時にスカウトされる。1962年、高校卒業とともに日活に入社する。劇団民藝での養成期間を経て、同年、映画『若くて、悪くて、凄いこいつら』でデビューし、青春スターとして活躍する。1967年、東宝テレビ部に移籍するが、のちにフリーとなりテレビドラマで活躍した。 1978年、日高 千賀子名義で、海外ドラマ『チャーリーズ・エンジェル』の声優を担当する。
藤本 淨彦(藤本 浄彦、ふじもと きよひこ/じょうげん、19… 藤本 淨彦(藤本 浄彦、ふじもと きよひこ/じょうげん、1944年3月6日 - )は、浄土宗の僧、仏教学者、佛教大学名誉教授。浄土宗大本山金戒光明寺第76世法主(光譽)。山口県大島郡周防大島町東屋代西蓮寺住職。 山口県大島郡生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業、1971年大谷大学大学院文学研究科博士課程単位取得。知恩院浄土宗学研究所研究員、ドイツ・マールブルク大学神学部客員研究員、佛教大学文学部助教授、教授、副学長、2015年定年、名誉教授。 日本宗教学会理事、社会福祉法人さつき会理事長、西蓮寺住職。1998年「法然浄土教の宗教思想論究」で佛教大学文学博士。浄土宗教学院副理事長、教学審議会委員長、浄土宗総合研究所所長などの宗内要職を歴任。
似鳥 昭雄(にとり あきお、1944年3月5日 - )は、日… 似鳥 昭雄(にとり あきお、1944年3月5日 - )は、日本の実業家。株式会社ニトリの創業者で同社および持株会社である株式会社ニトリホールディングスの代表取締役会長。日本チェーンストア協会副会長。 1944年に樺太で父・義雄と母・みつ子の間に長男として生まれた。昭雄の下に妹が2人と弟が1人いる。父・義雄は、似鳥コンクリート工業という土木会社を経営しており、戦後はシベリアに拘留されていたが1950年代前半に北海道へ戻った。第二次世界大戦中のソ連による樺太侵攻により一家は北海道へ引き上げ、昭雄たちも父の故郷である現在の石狩市花畔を経て、札幌市で育った。昭雄は1962年に北海道工業高等学校(現:北海道科学大学高等学校)を卒業し、1966年北海学園大学経済学部を卒業。
奥野 信亮(おくの しんすけ、1944年3月5日 - )は、… 奥野 信亮(おくの しんすけ、1944年3月5日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、法務大臣政務官、法務副大臣、衆議院法務委員長、総務副大臣、自由民主党法務部会長、自由民主党奈良県連会長を歴任。父は衆議院議員の奥野誠亮、弟は経済学者の奥野正寛。 東京都出身。内務官僚だった奥野誠亮と母・宏子の間に長男として生まれる。1962年3月、慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学工学部管理工学科2年生の1963年11月、父親が衆院選に立候補し初当選した。1966年3月、慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同年4月、日産自動車株式会社に入社。 1996年1月、日産自動車取締役に就任。1999年6月、日産グループの株式会社バンテックの代表取締役社長に就任。
【スムリティ(聖伝)】 上村 勝彦(かみむら かつひこ、19… 【スムリティ(聖伝)】 上村 勝彦(かみむら かつひこ、1944年3月5日 - 2003年1月24日)は、日本の古代インド文学研究者、東京大学東洋文化研究所教授を務めた。文学博士。 東京都台東区の浅草寺支院に生まれる。サンスクリット文学、インド哲学・思想を研究し、もっとも難解な言語と評されるインド古典語サンスクリット語(梵語)による文学作品を非常に分かり易く、親しみやすい日本語で考察した著作は、高い評価を受けている。初の『マハーバーラタ』(全11巻予定)の原典全訳を行っていたが、8巻目の中途で急逝し未完となった。2005年5月に遺稿となった最終第8巻(追悼あとがきは師原實による)が刊行された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
奥出 信行(おくで のぶゆき、1944年3月5日 - )は、… 奥出 信行(おくで のぶゆき、1944年3月5日 - )は、日本の実業家。角川プロダクション代表取締役社長、アトラス、タカラ、ユージン元社長。石川県出身。 富山大学経済学部卒業後、タカラ入社。常務取締役、顧問・マーケティング本部長、副社長を経て2003年にコンピュータゲームメーカー・アトラスがタカラの連結子会社となった際に同社へ出向し、社長に就任。2005年、タカラが業績悪化でコナミグループを離脱し第4代社長・佐藤慶太が退任して代表権の無い会長となった際に後継で第5代社長に就任し、同社としては初めての創業家以外からの社長となった。2006年3月にタカラが同業のトミーと合併してタカラトミーとなったことに伴い子会社・ユージンの社長となるが、2009年10月に退任しタカラトミーアーツの社長職は合併時よりタカラトミー副社長を務める佐藤慶太が兼務することとなった。