柳沢 由実子(やなぎさわ ゆみこ、1943年11月8日 - … 柳沢 由実子(やなぎさわ ゆみこ、1943年11月8日 - )は、日本の翻訳家・評論家。主に英語・スウェーデン語の日本語訳を手がける。別名義にヤンソン由実子(Jansson Yumiko、ヤンソンゆみこ)、ヤンソン柳沢由実子がある。 岩手県一関市生まれ。貧しい家の出身ながらも音楽家の父と裕福な家の出身の母の間に生まれた2人姉妹のうちの次女として育つ。物心ついた頃から家や性別に伴う因習や固定的な価値観への抵抗があった。上智大学文学部英文学科卒業。卒業したのち1年半ほど丸の内の韓国銀行東京支店で勤務。1967年、24歳の時、当時日本語を学ぶために文部省の交換留学生として来日していたスウェーデン人のペール・スタファン・ヤンソン(典: Per Staffan Jansson)と国際結婚をして、翌1968年に初めてスウェーデンを訪れる。
木﨑 正子(きざき まさこ、1943年11月7日 - )は、… 木﨑 正子(きざき まさこ、1943年11月7日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は中距離走。現姓:藤本。 愛知県名古屋市で生まれ、太平洋戦争中に岐阜県美濃加茂市に疎開し、終戦後も同地に留まる。美濃加茂市立山之上中学校、岐阜県立長良高等学校と進学。中学校時代はソフトボール部の選手であったが、部活の監督に俊足を見込まれて「高校へ行ったら陸上競技をやりなさい」と勧められたという。 1959年に岐阜県立長良高等学校に進学すると陸上競技部に入部。当初は短距離走の選手だったが、高校2年(1960年)の時にローマオリンピックで女子800m走が復活したことを受けて高校の陸上競技部監督から800m走をやってみるように指示されて本格的に取り組む。
義江 彰夫(よしえ あきお、1943年11月7日 - 201… 義江 彰夫(よしえ あきお、1943年11月7日 - 2018年2月8日)は、日本の日本史学者。東京大学名誉教授。専門は中世史。文学博士(東京大学、1980年)(学位論文「鎌倉幕府地頭職成立史の研究」)。東京生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
江坂 君子(えざか きみこ、1943年11月6日 - )は、… 江坂 君子(えざか きみこ、1943年11月6日 - )は、日本の元競泳選手。愛知県出身。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピック日本代表。自由形・個人メドレーの元日本記録保持者。 椙山女学園中学校・高等学校、中京大学卒。 1960年ローマオリンピック日本代表に初選出され、400m自由形と400mフリーリレーに出場した。結果はともに予選落ちとなった。 1962年、アジア競技大会の400mフリーリレーで金メダルを獲得した。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。400m個人メドレーに出場し、予選落ちだった。
小野 浩(おの ひろし、1943年11月5日 - )は、日本… 小野 浩(おの ひろし、1943年11月5日 - )は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。マクマスター大学招聘教授、ウォーリック大学客員教授なども歴任した。 北海道生まれ。1962年北海道札幌南高等学校卒業。1966年小樽商科大学商学部卒業、日本道路公団入社。1969年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、同博士課程入学。指導教員は倉林義正。奨学金を得て、1975年ブラウン大学大学院経済学研究科修了、経済学博士(Ph.D.)。指導教員はジョージ・ボーツ。同年ブラウン大学大学院ポストドクトラルフェロー。1976年北海道大学経済学部助教授。1979年フルブライト上級研究員(ブラウン大学)。1983年セント・メリーズ大学客員教授。
佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日… 佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、放送作家。福島県福島市生まれ。福島高校卒。 愛称はガン(GUN、GWAN、ぐぁん)。愛称の由来は、鳩が豆鉄砲をくらったような目をしているので、鉄砲=ガンと林隆三によって名付けられた。同音の病気にならないように願をかけているとも言われる。 初期のころには俳優としても、フォークシンガーとしても佐藤博での表記であったが、同姓同名のミュージシャンがいたため、2000年よりアメリカ進出とアジアっぽい響きを取り入れ、GWANをミドルネームとして、『佐藤GWAN博』を正式名称としている。 仕事の内容によって名前を使い分けており、別に放送作家としての活動に雁田昇(かりたのぼる)の名前を使う。
常田 享詳(つねだ たかよし、1943年11月5日 - )は… 常田 享詳(つねだ たかよし、1943年11月5日 - )は、日本の政治家、薬剤師、柔道家(六段)。 参議院議員(2期)、鳥取県議会議員(3期)、鳥取市議会議員(1期)を歴任。
長嶺 豊(ながみね ゆたか、1943年11月5日 - 202… 長嶺 豊(ながみね ゆたか、1943年11月5日 - 2022年7月7日)は、佐賀県杵島郡若木村(現・武雄市)出身の元競艇選手。 弟の長嶺保も元ボートレーサー。 小学校5年の時に大阪府大阪市へ移り、中学時代は野球に熱中したが、身長が思うように伸びず、進学をあきらめ競艇選手になる道を選んだ。長嶺によると「裏街道に行ってもおかしくなかった」というほど荒んだ日々を送った時期もあったが、住之江で競艇のレースを観戦したのがきっかけで一念発起したという。大阪府モーターボート競走会補助員を経て、選手養成所の入所試験に2度目の受験で合格。1963年11月に競艇選手としてデビューし、ガッツあふれるプレーで「浪速のドン」と呼ばれる 。
石川 力山(いしかわ りきざん、1943年11月4日-199… 石川 力山(いしかわ りきざん、1943年11月4日-1997年8月4日)は、日本の仏教学者、曹洞宗僧侶。 宮城県加美郡中新田町(現、加美町)生まれ。加美町立中新田中学校、宮城県古川高等学校卒業。1974年駒澤大学大学院仏教学専攻博士課程満期退学。1981年駒澤大学専任講師。1982年日本印度学仏教学会賞受賞。1991年駒澤大学仏教学部教授。1997年、在任中に急逝。享年53歳。
横光 克彦(よこみつ かつひこ、本名:武藤 勝彦、むとう か… 横光 克彦(よこみつ かつひこ、本名:武藤 勝彦、むとう かつひこ、1943年11月4日 - )は、日本の俳優、元政治家。
江橋 正彦(えばし まさひこ、1943年11月3日 - )は… 江橋 正彦(えばし まさひこ、1943年11月3日 - )は日本の経済学者。専門はアジア経済、開発経済。明治学院大学名誉教授、特定非営利活動法人JUNKO Association顧問、大洗大使、MERAC(ミャンマー経済研究・コンサルティング / Myanmar Economic Research & Consulting)社代表。 茨城県東茨城郡大洗町出身。早稲田大学法学部卒。ヘキスト・ジャパンを経て、1969年に日本貿易振興会(JETRO、現・日本貿易振興機構)に入会し、中国、ベトナム経済の調査研究に従事後、1979~1982年JETROマニラ勤務。また、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)コンサルタントを務める(1981 - 1982年)。
岩崎 吉郎(いわざき よしろう、1943年11月3日 - )… 岩崎 吉郎(いわざき よしろう、1943年11月3日 - )は、日本佐賀県出身の歴史家。 1943年、佐賀県唐津市にて生誕。 主に古代を研究している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
河原崎 建三(かわらさき けんぞう、1943年11月3日 -… 河原崎 建三(かわらさき けんぞう、1943年11月3日 - )は、日本の俳優。本名同じ。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。 四代目河原崎長十郎の子として東京都武蔵野市で育つ。早稲田大学卒業。 父である四代目河原崎長十郎の前進座の子役として舞台に立ち、1968年に映画『愛奴』で俳優デビュー。 2000年より東京都在住。東京と山梨県甲州市塩山を行き来している。 特技は日本舞踊、長唄、狂言。趣味は読書、バロック音楽を聞くこと、絵を描くこと。 妻は女優の大川栄子。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鈴木 義信(すずき よしのぶ、1943年11月2日 - )は… 鈴木 義信(すずき よしのぶ、1943年11月2日 - )は、日本の野球選手(外野手)、野球指導者、実業家。 東芝メディカルの元社長。野球が公開競技であったソウルオリンピック野球日本代表の監督を務め、銀メダルに導いた。2004年からは日本野球連盟の副会長を務めている。 長生一高では、右翼手、一番打者として2年時の1960年に春季関東大会決勝に進出、桐生高を降し優勝を飾る。しかし同年の夏は東関東大会県予選準決勝で、関根知雄のいた銚子商に敗れる。翌1961年夏は県予選3回戦で本塁打を放つも、市原高に敗れ、3年間を通じて甲子園出場はならなかった。1年上のチームメートに外野手の宮原秀明がいた。 1962年に慶應義塾大学法学部に進学。
逢坂 剛(おうさか ごう、1943年11月1日 - )は、日… 逢坂 剛(おうさか ごう、1943年11月1日 - )は、日本の小説家、推理作家。東京都文京区生まれ。本名は中 浩正(なか ひろまさ)。父は挿絵画家の中一弥。
井上 興治(いのうえ こうじ、1943年11月1日 - )は… 井上 興治(いのうえ こうじ、1943年11月1日 - )は、日本の運輸技官。北九州市港湾局長、港湾技術研究所長等を経て、第2代運輸省技術総括審議官を務めた。退官後、みらい建設工業代表取締役社長。 1965年国家公務員採用上級(甲種)試験(土木)合格。1966年北海道大学工学部卒業、運輸省入省、第五港湾建設局。1972年科学技術庁計画局計画課専門職。 1974年北海道開発局港湾部港湾建設課開発専門官。1975年北海道開発局港湾部港湾計画課開発専門官。1975年運輸省港湾局計画課専門官。1977年秋田県開発局主席参事。1979年秋田県開発局環境整備課長。1981年北海道開発庁港政課開発専門官。1983年運輸省港湾局環境整備課廃棄物対策室長。
田野瀬 良太郎(たのせ りょうたろう、1943年〈昭和18年… 田野瀬 良太郎(たのせ りょうたろう、1943年〈昭和18年〉10月31日 - )は、日本の政治家。 財務副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、自治政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院財務金融委員長、衆議院議員(6期)、奈良県議会議員(2期)、五條市議会議員(2期)、自由民主党総務会長(第48代)、自由民主党幹事長代行(初代)などを歴任。次男は衆議院議員の田野瀬太道。 奈良県五條市出身。名古屋工業大学工学部工業化学科卒業。1973年、五條市議会議員選挙に立候補し、初当選。五條市議を2期務めた後、奈良県議会議員選挙に立候補し、当選。県議も2期務める。 1981年、社会福祉法人愛誠会なかよし保育園を開園。
西山 登紀子(にしやま ときこ、1943年10月31日 - … 西山 登紀子(にしやま ときこ、1943年10月31日 - )は、日本の政治家。元・日本共産党参議院議員(2期、京都府選出)。 夫の父は建築家の西山夘三である。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
岩松 研吉郎(いわまつ けんきちろう、1943年10月31日… 岩松 研吉郎(いわまつ けんきちろう、1943年10月31日 - 2019年8月24日)は、日本の国文学者、慶應義塾大学名誉教授。漫画『サザエさん』を研究する東京サザエさん学会代表。 1943年東京生まれ。慶應義塾幼稚舎より一貫して慶應義塾に学ぶ。1962年に慶應義塾高等学校を卒業後、慶應義塾大学工学部に入学。1964年に慶應義塾大学文学部文学科国文学専攻の2年生に転入し、1967年に卒業。1969年慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。1973年同博士課程修了。1977年慶應義塾大学助教授、1992年教授。2009年定年、名誉教授となる。 専門は国文学。日本語の言語文化、特に中世文学を専門としている。
繁下 和雄(しげした かずお、1943年10月30日 -20… 繁下 和雄(しげした かずお、1943年10月30日 -2024年3月29日)は、日本の音楽教育学者、国立音楽大学名誉教授。 北海道美唄市出身。1966年国立音楽大学教育音楽科卒、68年同専攻科修了、国立音大助教授、教授、副学長、2004年退任、名誉教授。妻の繁下敏子は和光学園で音楽教育に当たった。
石美 保成 (いしみ やすなり、1943年10月30日 - … 石美 保成 (いしみ やすなり、1943年10月30日 - )は、スペインでインストラクターとしてのキャリアのほとんどを費やした日本の空手専門家。 彼はスペイン空手連盟と世界空手連盟の十段。 石美は1943年10月30日に兵庫県尼崎市に生まれた。昭和31年、師匠の松風と空心流空手を始める。1959年高校生の頃、剛柔流空手を始める。1960年には糸東流マスター辻川禎親のスタイルの空手を習い始めた。辻川師範に勧められ、師範流の創始者の息子である摩文仁賢榮師とも修行を始める。 石美は1961年に神戸市外国語大学に進学。全日本空手道連盟初段を取得。1962年から神戸外国語大学空手チームのキャプテンを務め、神戸外国語大学チームをチャンピオンに導き。
斎藤道彦(さいとう みちひこ、1943年10月30日 - )… 斎藤道彦(さいとう みちひこ、1943年10月30日 - )は、中国学者、中央大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立大学 (1949-2011)中国文学科卒、1972年東京大学大学院人文科学研究科中国語中国文学専攻博士課程単位取得満期退学。桜美林大学講師、1975年中央大学経済学部講師、助教授、82年教授。1985-87年中華人民共和国天津市・南開大学訪問研究。2014年定年退任、名誉教授。
佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は… 佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は、日本の実業家。日立電線株式会社代表取締役社長や、同社取締役会長、社団法人日本電線工業会会長などを務めた。 山形県長井市出身。1966年山形大学工学部機械工学科卒業、日立電線入社。山形大学硬式野球部出身。日立電線日高工場に34年間勤務し、1996年からは日立電線日高工場長を務めた。1997年日立電線取締役に昇格。2000年日立電線パワーシステムズ代表取締役社長に就任。2002年日立電線常務取締役。2003年から日立電線代表取締役社長を務め、アメリカ合衆国での生産拡大を進めるなどした。2004年日本電線工業会会長。2009年日立電線取締役会長。
川本勝(かわもと まさる、1943年10月29日 - )は、… 川本勝(かわもと まさる、1943年10月29日 - )は、日本の社会学者、駒澤大学名誉教授。 広島県生まれ。1967年東京学芸大学社会科教育卒、70年同大学院教育学研究科修士課程修了、東京造形大学講師、77年助教授、1981年駒澤大学文学部助教授、教授。2014年定年退任、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2… 伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2006年12月5日)は、日本の競泳選手。愛知県名古屋市出身。 1962年アジア競技大会の200m背泳ぎで金メダルを獲得した。 1964年の東京オリンピックに出場、準決勝で敗退している。 日本選手権水泳競技大会の100m背泳ぎで1965年に優勝している。 イトマンスイミングスクールの理事を務めた。 2006年12月5日、神奈川県川崎市多摩区の病院で多臓器不全のため63歳で亡くなった。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
大嶽 秀夫(おおたけ ひでお、1943年10月28日 - )… 大嶽 秀夫(おおたけ ひでお、1943年10月28日 - )は、日本の政治学者。専攻は、政治過程論・日本政治。学位は、法学博士(論文博士・1977年)。東北大学名誉教授、京都大学名誉教授。 この間に放送大学客員教授を務めた。 京都大学時代のゼミ生に作家の万城目学がいる。 読売テレビ制作の「ウェークアップ!」のレギュラーコメンテーター時代には原田和明、本間正明らと論争を展開した。2000年頃から2年間、鬱病であったことを『日本型ポピュリズム』の中で告白している。
浦野 修(うらの おさむ、1943年(昭和18年)10月27… 浦野 修(うらの おさむ、1943年(昭和18年)10月27日 - 2025年(令和7年)1月29日)は、日本の郵便局長、公務員、政治活動家。2008年から2009年まで全国郵便局長会会長を務めた(後任はのちに参議院議員となる柘植芳文)。日本会議東京都西多摩支部長、日本防災士会会長。 東京都出身。昭島中神郵便局の前局長。日本防災士機構が認証する防災士の第1号。 この項目は、日本郵政グループに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 日本郵政グループ)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大橋謙策(おおはし けんさく、1943年10月26日 - )… 大橋謙策(おおはし けんさく、1943年10月26日 - )は、日本の社会福祉学者、日本社会事業大学名誉教授。専攻は地域福祉、コミュニティ・ソーシャルワーク。 東京都生まれ。1967年日本社会事業大学社会福祉学部社会事業学科卒業。1973年東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。1974年日本社会事業大学専任講師、1977年同助教授、1984年同教授。2002年同大学学長、2010年退任。同大学特任教授[要出典]、名誉教授[要出典]。 第18期・第19期日本学術会議会員として、科学研究費の細目から社会福祉学を社会学から独立させた。また、1999年 - 2004まで日本社会福祉学会会長を務め、日本社会福祉学会研究倫理規程を作成し、2007年には日本社会福祉教育学校連盟会長として、APASWE(アジア太平洋ソーシャルワーク教育学校連盟)へ貢献するなど、日本の社会福祉学の発展に貢献した。
常石 敬一(つねいし けいいち、1943年10月26日 - … 常石 敬一(つねいし けいいち、1943年10月26日 - 2023年4月24日)は、日本の科学史・科学論研究者。 神奈川大学名誉教授。主な専門は科学史、科学社会学、STS(科学技術と社会)、生物化学兵器軍縮、731部隊の研究。 東京都出身。1966年に東京都立大学理学部物理学科を卒業、東京大学大学院工学系研究科を修了後、1973年に長崎大学講師となり、同大学教養部教授を経て、1989年より神奈川大学経営学部教授。2004年定年、名誉教授。 2023年4月24日、膵臓がんのため死去。79歳没。 松本サリン事件において、外因物質もそれを推測するための薬品などにについての情報もない段階であった、各社からの事件の初報である1994年6月28日夕刊で「有機リン系の農薬などの薬品が何らかの原因で池に流れ込むなどして、水や水中の藻、微生物などと反応し、神経ガス様のものが発生した可能性がある」とコメント。
土田 正剛(つちだ せいごう、1943年(昭和18年)10月… 土田 正剛(つちだ せいごう、1943年(昭和18年)10月25日 - 2026年(令和8年)4月16日)は、日本の政治家。山形県東根市長(7期、在任中死去)。元・山形県議会議員(4期)。 山形県東根市出身。山形県立山形東高等学校卒業。1967年(昭和42年)3月、慶應義塾大学法学部卒業。1969年(昭和44年)5月、衆議院議員松沢雄蔵の秘書となる。1974年(昭和49年)12月、国務大臣となった松沢の秘書官となる。 1979年(昭和54年)4月30日、山形県議会議員に就任。4期連続当選。県議時代は自由民主党に所属し、同党山形県連組織委員長、政調会長、幹事長などを務めた。 1993年(平成5年)2月14日に行われた山形県知事選挙に加藤紘一や近岡理一郎など自民党主流派の支援、さらに公明党、民社党、スポーツ平和党の推薦を得て立候補するも落選。
小川 邦雄(おがわ くにお、1943年10月25日 - )は… 小川 邦雄(おがわ くにお、1943年10月25日 - )は、日本のジャーナリスト。元TBS監査役。埼玉県出身。東京大学文学部卒業。 1967年にTBSに入社し、報道局に配属。TBSラジオの取材記者として最前列で取材したのち、報道局社会部に異動。警視庁担当記者として、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で発生した三島事件では警視庁記者クラブからいち早く現場に駆け付け、取材に立ち合った。 事件記者を経て、報道局外信部に異動。バンコク特派員として、アジア各国の取材やレポートを経て、日本に帰国。1982年10月からは『JNN報道特集』のキャスター(2代目メイン格以外)に就任、担当期間中に『JNNニュースデスク'88→'89』のメインキャスターに就任。
伊東 倫厚(いとう ともあつ、1943年10月24日 - 2… 伊東 倫厚(いとう ともあつ、1943年10月24日 - 2007年1月6日)は、日本の東洋学者。元北海道大学大学院文学研究科教授。専門は儒家思想、経学。 1943年生まれ。都立戸山高校を卒業し、東京大学に進学。同大学大学院に進み、博士課程を単位取得後中退。 その後は東京大学助手に採用された。北海道大学に移り、1974年より助教授、1990年より教授。学界では、日本中国学会理事、全国漢文教育学会理事、社団法人北海道将棋連盟理事長などの要職を務めた。2007年1月6日午後0時55分膵臓癌のため死去。享年63歳。
世良 洋子(せら ようこ、1943年10月24日 - 202… 世良 洋子(せら ようこ、1943年10月24日 - 2025年7月4日)は、元中国放送アナウンサー、フリーアナウンサー。広島県賀茂郡河内町(現・東広島市)出身。血液型はA型。 広島県賀茂郡河内町(現・東広島市)で5人兄弟の末っ子として誕生、その後広島市東雲(現・南区東雲)に転居。 広島大学附属東雲小学校、中学校、比治山女子高校を経て、昭和女子大学文学部日本文学科に入学。 大学入学当初は教師を目指していた。高校時代から継続して演劇部に所属。一時期は新劇女優を目指していた時期もある。大学4年次に同じゼミに通う同郷の友人に誘われて中国放送を受験。1000人近くいた受験者から合格。合格通知を受け取ったときには、比治山女子高校で教育実習中だった。
加賀谷 健(かがや けん、1943年10月23日 - 201… 加賀谷 健(かがや けん、1943年10月23日 - 2014年4月24日)は、日本の政治家。旧民主党に所属していた。 参議院議員(1期)、内閣府大臣政務官(野田第3次改造内閣)、総務大臣政務官(野田改造内閣)、千葉県議会議員(5期)などを歴任。 北海道苫小牧市生まれ。1962年に北海道苫小牧工業高等学校を卒業して東京電力千葉支店に入社。労働組合千葉支部書記長を務めた。その間に民社党入党。1987年には民社党より千葉県議会議員に初当選し、以後5期に渡って在任。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で民主党公認候補として千葉県選挙区より立候補、初当選した。野田第1次改造内閣で総務大臣政務官、野田第3次改造内閣で内閣府大臣政務官を務めた。
浦上 靖夫(うらかみ やすお、1943年10月23日 - 2… 浦上 靖夫(うらかみ やすお、1943年10月23日 - 2014年12月18日)は、日本のアニメーション音響監督。東京都出身。 日本大学芸術学部卒。 1965年虫プロダクションに入社。1972年、独立して録音企画制作会社オーディオ・プランニングユー設立。1981年録音スタジオエーピーユースタジオ(後のエーピーユー目黒スタジオ)設立。映画版『ドラえもん』や高畑勲監督作品をはじめとして数々の名作アニメの音響監督を務め、長年活躍したアニメーション音響監督の第一人者。音響技師では松田昭彦、庄司雅弘、横山正和、柏原満との関係が深かった。 息子・娘は同じく音響監督の浦上靖之・浦上慶子。主な弟子に小林克良と井澤基の2人がいる。
蔭山 武人(かげやま たけと、1943年10月22日 - 2… 蔭山 武人(かげやま たけと、1943年10月22日 - 2016年12月16日 )は、元NHKエグゼクティブアナウンサー、元広島経済大学教授。享年73歳。
武田 美佐江(たけだ みさえ、1943年10月22日 - … 武田 美佐江(たけだ みさえ、1943年10月22日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道幕別町出身。帯広大谷高等学校卒、三協精機。 1968年グルノーブルオリンピックでは500m25位、1000m25位。 オリンピック後現役引退し帰郷、帯広スケート連盟理事などを務め、後進を指導した。結婚後の現姓は平子。平子裕基はおいである。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ、1943年10月21日 - … 藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ、1943年10月21日 - )は、日本の教育学者・教育評論家。専門は、社会科教育学・ディベート教育。 新しい歴史教科書をつくる会顧問。産経新聞正論メンバー。元東京大学、拓殖大学教授。元日本共産党員。北海道川上郡標茶町出身。 1943年10月、北海道岩見沢市生まれ。川上郡標茶町で育つ。 1962年3月、北海道標茶高校卒業後、1962年4月、北海道大学教養部文類入学。1963年、日本共産党入党。1966年3月、北海道大学教育学部卒業。1971年3月、北海道大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。北大時代を恵迪寮で過ごす。 1971年11月、名寄女子短期大学(現名寄市立大学短期大学部)専任講師。
大西 正躬(おおにし まさみ、1943年10月21日 - )… 大西 正躬(おおにし まさみ、1943年10月21日 - )は、日本の経営者。 岡山県出身。岡山県立和気閑谷高等学校を経て、1968年に大阪大学理学部大学院を修了し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1996年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2005年6月に社長に就任した。2008年4月に健康上の理由で退く。
関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014… 関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014年2月14日)は、日本の政治家。元和歌山市議会議員(1期)。
合庭 惇(あいば あつし、1943年10月21日 - )は、… 合庭 惇(あいば あつし、1943年10月21日 - )は、日本の情報学者。専攻は電子メディア論、情報社会論。静岡大学教授を経て、国際日本文化研究センター名誉教授。 福岡県出身。東京大学文学部卒業後の1968年に岩波書店へ入社。雑誌『思想』編集長、ニューメディア開発室長、編集部長を歴任し、静岡大学教養学部教授・同情報学部教授を務めた。その後、2000年より国際日本文化研究センター教授となり、同センター文化資料研究企画室教授を歴任し、2009年3月末をもって定年退職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
菊地 信義(きくち のぶよし、1943年10月19日 - 2… 菊地 信義(きくち のぶよし、1943年10月19日 - 2022年3月28日)は、日本の装幀家(菊地は「装幀者」と称する)。東京都出身。 多摩美術大学を中退後、広告代理店に入社。大学1年のとき、モーリス・ブランショの『文学空間』で、装幀に魅了される。1977年に装幀家として独立後、2008年までに1万数千冊の装幀を手がけた。タイトルの文字をぼかしたりゆらぎを持たせたりするデザインや、著者名のローマ字表記など、さまざまな特徴的なデザインを考案した。1984年、装幀の業績により第22回藤村記念歴程賞を受賞。1988年、第19回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞。2019年、菊地を取り上げたドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』が公開された。
坂井 東洋男(さかい とよお、1943年10月19日 - )… 坂井 東洋男(さかい とよお、1943年10月19日 - )は、日本の中国文学者。京都産業大学名誉教授、追手門学院大学名誉教授。京都産業大学学長や、追手門学院大学学長、追手門学院学院長、大学コンソーシアム京都副理事長などを歴任した。 京都市生まれ。1969年神戸市外国語大学外国語学部中国学科卒業。1972年京都大学大学院文学研究科中国語学中国文学専攻修士課程修了。1975年京都産業大学外国語学部講師。京都産業大学外国語学部助教授を経て、1987年京都産業大学外国語学部教授。1994年京都産業大学図書館長・生涯学習センター室長。1997年私立大学図書館協会会長。1998年京都産業大学外国語学部長・外国語学研究科長。
森田 豊(もりた ゆたか、1943年10月19日 - 200… 森田 豊(もりた ゆたか、1943年10月19日 - 2009年12月14日)は、日本の経営者、銀行家。住友信託銀行社長を務めた。大阪府出身。 1967年に京都大学法学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。ライフコーポレーションへの出向を経て、1993年に取締役に就任し、1998年に専務を経て、2002年に副社長に就任し、2005年から2008年までに社長を務めた。 2009年12月14日食道癌のために死去。66歳没。
斉藤 真(さいとう しん、1943年10月19日 - )は、… 斉藤 真(さいとう しん、1943年10月19日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業。劇団俳小代表。 1967年、劇団俳優小劇場に入団。『わが心高原に』で初舞台を踏み、役者としての第一歩を歩みだす。同劇団の解散後、早野演劇研究所を経て、1973年に早野寿郎を中心に旗揚げした劇団俳小に参加。役者の傍ら同劇団の代表も務めている。 『快傑ズバット』(東京12チャンネル)では東条刑事役でレギュラー出演したほか、『特捜最前線』(テレビ朝日)など、東映作品を中心にテレビドラマの出演も多い。谷崎潤一郎の『痴人の愛』を映画化した『ナオミ』(1980年、東映セントラルフィルム)では主演を務めた。
伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10… 伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10月18日 - 令和2年(2020年)2月27日)は、日本の神道学者。皇學館大学名誉教授、元学長。専門は神道思想史。 神社本庁で参与および教学顧問、神道史学会で顧問を務めた。 北海道函館市生まれる。 昭和42年(1967年)に皇學館大學文学部卒業。昭和44年(1969年)に同大大学院文学研究科国史学専攻修了、福井市立郷土歴史博物館学芸員。 昭和59年(1984年)に皇學館大學神道研究所助教授、昭和59年(1984年)に皇學館大學文学部助教授、平成元年(1989年)に皇學館大學文学部教授。平成5年(1993年) - 皇學館大學神道研究所所長[要出典]、平成6年(1994年)に皇學館大學学生部長[要出典]。
野間 脩平(のま しゅうへい、1943年10月17日 - )… 野間 脩平(のま しゅうへい、1943年10月17日 - )は、元フジテレビアナウンサー。現在は、共同テレビ所属のフリーアナウンサー。東京都出身。血液型B型。 慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学商学部卒。1966年、フジテレビに入社。同期入社に大林宏、岡正、渡辺直子、宮崎総子がいる。 入社時は若手二枚目アナウンサーとして女性ファンの人気を博し、後にワイドショーの司会からニュースキャスター、ナレーションまで幅広く担当した。アナウンス部専任部長、1996年アナウンス部長、1999年アナウンス室長などを歴任し、60歳になった2003年10月に定年退職。露木茂が退職後の2002年4月からの1年半はフジテレビの最年長アナウンサーだった。
石原 邦夫(いしはら くにお、1943年(昭和18年)10月… 石原 邦夫(いしはら くにお、1943年(昭和18年)10月17日 - )は、日本の実業家。東京海上日動火災保険シニアアドバイザー、経団連副会長、日米経済協議会会長、東京急行電鉄監査役、日本郵政社外取締役、国土審議会会長代理、日本情報システム・ユーザー協会会長。東京海上ホールディングス及び東京海上日動火災保険の初代社長・会長や日本損害保険協会会長、経済同友会副代表幹事、三菱東京UFJ銀行取締役、NHK経営委員会委員長などを歴任。 旧満洲鉱山勤務の父と母の一人っ子として新京市に生まれる。生後間もなく東京都に転居し、麹町小学校、麹町中学校、都立日比谷高校を経て、東京大学法学部法律学科(行政法ゼミ)を卒業。
間塚 道義(まづか みちよし、1943年10月17日 - )… 間塚 道義(まづか みちよし、1943年10月17日 - )は、日本の実業家。富士通代表取締役会長兼社長や、同社取締役会長、情報通信ネットワーク産業協会会長、日本知的財産協会会長などを務めた。 東京都出身。神奈川県立希望ヶ丘高等学校を経て、1968年学習院大学経済学部経済学科卒業後、富士通ファコム入社。1971年富士通に転社。1999年常務理事兼産業営業本部長。2001年取締役東日本営業本部長。2002年執行役。2003年経営執行役常務。2005年取締役専務。2006年代表取締役副社長。2008年代表取締役会長。2009年代表取締役会長兼社長。2010年代表取締役会長。2012年取締役会長。2014年社内定年規定に従い取締役相談役に退いた。
湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 20… 湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 2016年6月15日)は、日本の柔道家(講道館9段)。富山県出身。 1967年と1969年に開催された世界選手権大会の軽中量級覇者である。 富山県福野町(現・南砺市)で接骨院を営む家に、7人兄妹の末っ子として生まれる。父が道場を経営していた関係で5歳頃から柔道を始め、当時は幼心にもインターハイか国体への出場を目標に稽古に励んだ。なお、兄妹はいずれもスポーツマン・スポーツウーマンで、後に卓球のダブルスで日本一になった者もいる。 中学校を卒業すると、進学校であり柔道でも県立小杉高校らと共に当時富山県内の4強に数えられた県立福野高校(現・県立南砺福野高校)へ進学。