梶井 純(かじい じゅん、1941年1月2日 - 2019年… 梶井 純(かじい じゅん、1941年1月2日 - 2019年7月23日)は、日本の漫画評論家。本名は長津忠。貸本漫画を主な評論対象とする。東京都出身。 東京都豊島区目白生まれ。1963年中央大学経済学部卒業。出版社勤務、編集プロダクション代表を経てフリーの評論家。 十代のある時期、トキワ荘に近い場所に居住していた。また、小学生のころから野球に熱中しており、高校では野球部に入り、大学では準硬式野球部に入った(1年の途中で退部)。 1967年に石子順造、権藤晋、菊池浅次郎(山根貞男)と、日本初の漫画評論誌『漫画主義』を創刊。1972年から7年間、『週刊読書人』にてマンガ時評を連載した。 また、著書『戦後の貸本文化』は、かつてはメジャーな文化でありながらほとんどその分析がされていない貸本文化についての、貴重な研究資料である。
東谷 隆夫(ひがしたに たかお、1941年1月2日 - )は… 東谷 隆夫(ひがしたに たかお、1941年1月2日 - )は、日本の弁護士。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、法務省公安審査委員会委員長代理等を歴任。旭日中綬章受章。 1966年日本大学法学部卒業。1969年旧司法試験合格。1972年司法修習24期修了、弁護士登録。2004年第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2005年日本弁護士政治連盟副理事長。2006年法務省公安審査委員会委員長代理。2012年に旭日中綬章を受章した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
薄井 信明(うすい のぶあき 1941年1月1日 - )は、… 薄井 信明(うすい のぶあき 1941年1月1日 - )は、日本の大蔵官僚。第43代大蔵事務次官、第31代国税庁長官を歴任。 東京府生まれ。都立戸山高校から東京大学旧文科二類(現在の文科三類)に入学。東京大学経済学部経済学科卒業。大学時代は小宮隆太郎の下で国際金融などを学ぶ。大学在学中に国家公務員上級甲種試験(経済職)に2〜7番目の成績で合格。1965年大蔵省入省。入省同期には鏡味徳房、竹島一彦、榊原英資、浜田卓二郎、根本貞夫(内閣審議官、岩手県副知事)、大塚功(駐ジャマイカ特命全権大使)、近藤健彦(駐仏公使、官房審議官、立命館アジア太平洋大教授)、谷川憲三(関東財務局長、第三銀行頭取)、東力、白石忍(オリックス社長)など。
盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日… 盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、東京都出身の元アナウンサー。 東京都立西高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後の1964年にフジテレビへ入社。同学年で同じフジテレビアナウンサーかつ友人でもあった露木茂よりも1年遅れての入社であった。また、高校の同級生に元JR東海の葛西敬之がいる。 1960年代後半から1980年代前半にかけて数々の競馬実況を行い、1973年からは東京優駿の実況を毎年行ってきた鳥居滋夫の後を受け、1986年まで同競走の実況を務める。その間はフジテレビ競馬中継のメイン実況者として、関西テレビの杉本清と共にフジ系列の競馬中継の「顔」として君臨。
小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 20… 小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 2005年5月14日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中世史。和歌山大学名誉教授。兵庫県出身。 1964年、東京教育大学文学部史学科を卒業。1971年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 和歌山大学のちに帝塚山大学の教授として大学および大学院の指導にあたるほか、立命館大学(12ヵ年)、高野山大学(4ヵ年)、関西大学(3ヵ年)、大阪教育大学(2ヵ年)、大阪大学(2ヵ年)、大阪市立大学、新潟大学、岡山大学、関西学院大学、大阪樟蔭女子大学、堺女子短期大学、奈良女子大学、國學院大學(各1ヵ年)などに出講し、後進の研究者の多くに影響を与えた。 荘園絵図研究、熊野古道研究の第一人者として知られ、晩年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録に尽力した。
市野 紀生(いちの のりお、1941年1月1日 - 2023… 市野 紀生(いちの のりお、1941年1月1日 - 2023年7月19日)は、日本の実業家。東京ガス代表取締役元社長、会長。社団法人日本ガス協会元会長。日本野球連盟元会長。NPO法人日本防災士機構評議員。 広島県呉市出身。1964年に早稲田大学法学部を卒業し株式会社東京瓦斯入社。1998年常務取締役事業開発本部長などを経て2000年代表取締役専務取締役事業開発本部長、2001年代表取締役専務取締役、2002年代表取締役副社長執行役員コーポレート・コミュニケーション本部長、2003年代表取締役社長社長執行役員就任。2008年から取締役会長。 2009年5月から社団法人日本ガス協会会長。その他、日本取締役協会・内部統制研究会座長、東商環境委員会委員長なども務める。
堀田 明(ほった あきら、1941年1月1日 - )は、大阪… 堀田 明(ほった あきら、1941年1月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)、アマチュアゴルファー。
鈴木 松美(すずき まつみ、男性、1941年1月1日 - )… 鈴木 松美(すずき まつみ、男性、1941年1月1日 - )は、日本における音響・音声の研究家。音響研究所所長。前日本音響研究所所長。 東京都生まれ、近畿大学理工学部電気工学科卒業。警察庁通信局を経て、科学警察研究所にて主として音声、音響分野の研究に携わり、1969年12月、退官。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)を経て、1968年に個人経営の「日本音響研究所」を設立。1986年有限会社に移行。その後、NHKの教養講座講師なども務める。 2012年9月、日本音響研究所を息子の鈴木創に託し退任すると共に、自らの研究を進めるため、渋谷区神宮前に「音響研究所」を設立し所長を務める。
坂本 正元(さかもと まさもと、1941年1月1日 - )は… 坂本 正元(さかもと まさもと、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。富士ゼロックス(現在の富士フイルムビジネスイノベーション)社長を務めた。 神奈川県出身。1964年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に富士ゼロックスに入社。1988年1月に取締役、1992年1月に常務、1993年1月に専務、1996年1月に副社長を経て、1998年1月に社長に就任。2002年6月に相談役に就任。 2002年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤井 武彦(ふじい たけひこ、1941年1月1日 - )は、… 藤井 武彦(ふじい たけひこ、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。トーハン社長、会長を務めた。島根県出身。 1988年に中央大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行した。1994年にトーハン取締役に就任し、1997年に副社長、2006年に財務顧問を経て、2012年6月に社長に就任。2018年6月には顧問に退いた。
浅井 光昭(あさい みつあき、1941年1月1日 - )は、… 浅井 光昭(あさい みつあき、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。愛媛県出身。 1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に住友ゴム工業に入社。1991年3月に取締役に就任し、1994年3月に常務を経て、1998年3月に専務に就任。1999年3月には社長に昇格。2005年3月に会長に就任。2011年3月に相談役に就任。2011年11月に旭日中綬章を受章。
矢野 弘典(やの ひろのり、1941年(昭和16年)1月1日… 矢野 弘典(やの ひろのり、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、日本の実業家。元横綱審議委員会委員長。 東京府東京市(現在の東京都)出身。父親の転勤により、中学生時代には高知県での在住歴がある。少年時代は学校の校庭で友人と相撲を取り、高知在住当時は街頭テレビの大相撲中継に熱中した。 1963年東京大学法学部卒業後、1963年に東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。東芝では国際畑を歩み、1969年にはアメリカ合衆国ウィスコンシン州のウィスコンシン大学への研究派遣も経験している。 1997年から1年、欧州総括事務所代表兼東芝ヨーロッパ社長を務める。また学生時代に柔道をやっていたことで東芝柔道部の部長を務めて社員を指導していたこともあった。
沢井 一恵(さわい かずえ、1941年1月1日 - 2026… 沢井 一恵(さわい かずえ、1941年1月1日 - 2026年2月15日)は、日本の箏曲家。十七絃箏演奏者。 京都府出身。1964年東京芸術大学音楽学部卒業。宮城道雄に師事。1979年に夫の沢井忠夫とともに沢井箏曲院を設立した。欧米各地で現代邦楽を公演した。沢井箏曲院現会長の沢井比河流は長男。 2026年2月15日、85歳で死去。
大塚 俊郎(おおつか としろう、1941年(昭和16年)1月… 大塚 俊郎(おおつか としろう、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、日本の地方公務員。新銀行東京取締役会長。元東京都副知事。 栃木県出身。1968年、早稲田大学政治経済学部を卒業し、東京都庁に入庁。東京都主税局長を経て、2001年7月に東京都出納長に就任。石原慎太郎東京都知事の下で、石原知事の発案による、当時公的資金の注入や実質的な免税措置で強い批判を受けていた都市銀行に対する外形標準課税の導入を推進した。2004年7月、東京都副知事(序列第3位)に就任。2005年、副知事を一旦辞職し、改めて再任された(序列第2位)。2007年5月、石原知事の3選後に辞職。都庁を退職後、非常勤の新銀行東京取締役会長に就任。
沓掛 良彦(くつかけ よしひこ、1941年1月1日 - )は… 沓掛 良彦(くつかけ よしひこ、1941年1月1日 - )は、日本の比較文学者・西洋古典学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。井伊 華言(いいかげん)名義の著書もある。 1941年、長野県上田市で生まれた。1959年、長野県上田高等学校を卒業。早稲田大学第一文学部ロシア文学科に進学し、1965年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻に進み、比較文学を専攻。西脇順三郎を読んで地中海世界に憧れ、寺田透と木村彰一に師事した。1971年に博士課程を中退。 その後は大阪市立大学専任講師に就いた。東北大学助教授を経て、東京外国語大学外国語学部教授となった。1990年、学位論文『サッフォー:詩と生涯』を東北大学に提出して文学博士の学位を取得。
角廣 勲(すみひろ いさお、1941年1月1日 - )は、… 角廣 勲(すみひろ いさお、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。広島銀行頭取を務めた。 広島県出身。1967年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に広島銀行に入行した。1998年9月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2006年6月には頭取に就任。2012年6月に会長に就任し、2018年6月には特別顧問に就任。 2017年4月に旭日中綬章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊勢村 護(いせむら まもる、1941年1月 - )は、日本… 伊勢村 護(いせむら まもる、1941年1月 - )は、日本の生物学者(構造生物化学・細胞生物学)。勲等は瑞宝中綬章。学位は理学博士(大阪大学・1968年)。静岡県立大学名誉教授。 大阪大学理学部助手、ボストン大学リサーチフェロー、新潟大学医学部助教授、東北大学医学部助教授、静岡女子大学家政学部教授、静岡県立大学食品栄養科学部教授、静岡県立大学食品栄養科学部学部長(第2代)、静岡県立大学大学院生活健康科学研究科研究科長、静岡県立大学学長補佐などを歴任した。 構造生物化学、細胞生物学を専攻する生物学者である。細胞接着因子の構造や機能についての研究で知られている。大阪大学を経て、ボストン大学で研究に従事したのち、新潟大学、東北大学、静岡女子大学、静岡県立大学で教鞭を執った。
正野 幸信(まさの ゆきのぶ、1941年1月- )は、日本の… 正野 幸信(まさの ゆきのぶ、1941年1月- )は、日本の実業家。化学メーカーリケンテクノス元代表取締役社長。神奈川大学理事長。 1941年、山形県新庄市で生まれた。1963年(昭和38年)に神奈川大学工学部応用化学科を卒業後、理研ビニル工業に入社。約10年間、技術者として新製品開発に没頭した。三重工場長などを経て、1997年(平成9年)に代表取締役社長に就任。社長在任中の2001年(平成13年)社名をリケンテクノス株式会社へ変更。2004年に退職後、大学同期生が助教授だった縁で2005年に神奈川大学評議員に就き、2014年から理事長を務める。みなとみらい21中央地区43街区での、2021年神奈川大学新キャンパス開校を目指している。
梅内 拓生 (うめない たくせい、1941年- )は、日本… 梅内 拓生 (うめない たくせい、1941年- )は、日本の医学者、医学博士。東京大学名誉教授。世界保健機関ジュネーブ本部感染対策次長、吉備国際大学学長。 岩手県大船渡市盛町出身。宮城県気仙沼高等学校、東北大学医学部卒業。東北大学助教授を経て、1982年 世界保健機関(WHO)西太平洋地域感染対策課長に就任し、西太平洋地域感染対策部長、ジュネーブ本部感染対策次長、1992年 東京大学医学部大学院教授を歴任。2001年 吉備国際大学学長に就任した[要出典]。日本性感染症学会名誉会員、青梅今井病院特別顧問。 五七五、五七五七七の短韻文に詠んだ複数の作品をつなげて評をして、詠作者の「存在と心」に触れる会話を目指した「ことばつなぎ」活動を行う。
渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のイン… 渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のインド哲学研究者。東海大学名誉教授。 ブラフマニズム世界は紀元前 6 世紀頃から紀元前後ころまでにかけて形成され、後のヒンドゥー教世界の社会的基盤となった。この世界の形成の全体を最初期のダルマシャーストラ(Dharmasaastra 古典期インドにおける倫理・道徳・価値観・法律・社会制度に関する百科全書)を中心資料として解明している。 多様性の中の統一性という言葉によって表現されるインド文明の特徴について、その形成過程および実態を文明論的見地に立って考察している。
小松崎 文夫(こまつざき ふみお、1941年(昭和16年) … 小松崎 文夫(こまつざき ふみお、1941年(昭和16年) - )は、日本の作家・元教員(国語科)。茨城県出身。正則高等学校で国語科教師として教鞭をとる傍ら、作家としても活動。万葉集を扱ったテーマが多い。愛称は「コマっちゃん」。
渡辺 宏(わたなべ ひろし、Hiroshi Watanabe… 渡辺 宏(わたなべ ひろし、Hiroshi Watanabe、1941年(昭和16年) - )は、日本の実業家。持田製薬監査役。元三菱東京フィナンシャルグループ専務取締役。元旭硝子監査役。
韓 太舜(はん てすん、朝: 한태순, 1941年 - )は… 韓 太舜(はん てすん、朝: 한태순, 1941年 - )は、在日韓国・朝鮮人の情報学者。電気通信大学名誉教授。 1941年、群馬県桐生市生まれ。群馬県立桐生高等学校、東京大学工学部応用物理学科を卒業(数理工学専修)。1971年、東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了、工学博士号を取得。 1972年、東京大学助教授に就任。1983年に教授昇進。1993年より電気通信大学教授。定年退官後、同大学の名誉教授となった。1990年にIEEEフェローに就任。
坂爪 厚生(さかづめ あつお、1941年(昭和16年) - … 坂爪 厚生(さかづめ あつお、1941年(昭和16年) - )は、日本の銅版画家。群馬県沼田市生まれ。 群馬県立沼田高等学校を経て、1965年、京都大学工学部合成化学科を卒業。大学在学中より西洋画に興味を持ち始め、はじめは油画や半立体の作品を制作していたが1968年頃からメゾチント技法による銅版画を始める。1970年からは日本版画協会展への出品を始め、以降連年同会展に出品し、1974年に同会会員となり現在に至る。1985年には大英博物館で開催された現代日本版画展に出品した。 その他多数の画廊で個展開催 京都市美術館、京都国立近代美術館、京都文化博物館、大阪府立現代美術センター、東京都現代美術館、福岡市美術館、栃木県立美術館、愛知県美術館、大分県立美術館、いわき市立美術館、青梅市立美術館、大英博物館、スミソニアン博物館 他
徳本 伸一(とくもと しんいち、1941年 -2019年)は… 徳本 伸一(とくもと しんいち、1941年 -2019年)は、日本の法学者。専門は民法。金沢大学名誉教授。幾代通門下。 石川県金沢市生まれ。1960年 群馬県立渋川高等学校卒業。1964年 東北大学法学部卒業。1965年 東北大学大学院法学研究科修士課程退学。同年東北大学法学部助手。1969年 金沢大学法文学部講師。1972年 金沢大学法文学部助教授。1980年 金沢大学法学部助教授。1982年 金沢大学法学部教授。2007年金沢大学停年退官。同名誉教授。
伊藤 庸夫(いとう つねお、1941年 - )は、東京都出身… 伊藤 庸夫(いとう つねお、1941年 - )は、東京都出身の実業家。TM ITO Ltd.代表取締役。主にスポーツにおけるマネージメントやコンサルティング業務を行っている。 東京都生まれ。中学までは東京の学校で過ごしている。また中学からサッカーを始める。 高校は埼玉県立浦和高等学校へ進学する。所属したサッカー部では福原黎三に指導を受けフォワード(ウイング)として活躍、犬飼基昭、竹嶋住夫(日立/JFA海外国際委員)、松本光弘(筑波大学名誉教授/サッカー部監督)らとプレーした。 大学は京都大学法学部へ進み、京都大学蹴球部でプレーした。 1966年、大学を卒業し、三菱重工業へ入社。三菱重工業サッカー部にはFWとして2年間在籍した。
貫井 英明(ぬくい ひであき、1941年 - )は、日本の医… 貫井 英明(ぬくい ひであき、1941年 - )は、日本の医師、研究者。元山梨大学学長。 1941年に埼玉県で生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て1966年、群馬大学医学部医学科卒業。1984年に山梨医科大学脳神経外科を開講し初代教授となる。2002年、山梨大学との統合により山梨大学脳神経外科初代教授となる。2004年10月から2009年3月まで山梨大学学長を務める。現在は名誉教授。 2017年の春に瑞宝重光章を受章する。2020年に齋藤眞賞社会賞を受賞する。
杉崎 重光(すぎさき しげみつ、1941年 - )は、日本の… 杉崎 重光(すぎさき しげみつ、1941年 - )は、日本の大蔵官僚である。東京国税局長、証券取引等監視委員会事務局長、国際通貨基金(IMF)副専務理事、損害保険ジャパン総合研究所理事長、ゴールドマン・サックス証券副会長などを歴任する。義父は政治家の金子一平である。 1941年に東京で生まれ、東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学教養学部教養学科を卒業する。在学中に国家公務員上級甲種試験(経済)に合格する。1964年に大蔵省へ入省(大臣官房財務参事官付)し、行政官在外研究員制度でコロンビア大学へ留学する。米国留学組に藤原武平太らがいる。 1967年にコロンビア大学大学院国際関係論修士課程を修了し、8月に帰国して主税局国際租税課租税協定係長となる。
設楽 清嗣(したら きよつぐ、1941年 - )は、現在、東… 設楽 清嗣(したら きよつぐ、1941年 - )は、現在、東京管理職ユニオン相談役。 日本統治時代の朝鮮咸鏡北道清津市生まれ。東京都立田園調布高等学校を経て1960年慶應義塾大学文学部哲学科に入学、のち中退。大学1年のとき日本共産党に入党、1年後に除名処分。在学中から中小企業未組織労働者の労働運動に取り組む。1964年頃総評全国一般で活動を始め、東京地本南部支部長を経て、1992年から全労協全国一般東京労組副委員長。1993年から東京管理職ユニオンの結成に参加、書記長に就任。のち派遣ユニオン委員長、シニアユニオン東京書記長を兼務する。
木島 佐一(きじま さいち 1941年 - 2017年)は、… 木島 佐一(きじま さいち 1941年 - 2017年)は、日本の著作家、翻訳家。国語教師。 ビデオ予備校講師(株式会社 JNC 日本入試情報センター)。 東京都武蔵野市生まれ。東京都立神代高等学校卒業。國學院大學文学部国文学科卒業。1990年代中盤まで代々木ゼミナール国語科講師を務め、現代文の参考書を出した他、ペンネームの野川純平で一般書を著した。マスコミ関係の専門学校講師も務めた。元日本基督教短期大学講師。元代々木ゼミナール講師(現代文・古文)。
高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は… 高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は、日本の油彩画家。 北海道小樽出身。1960年に東京都立豊島高等学校を卒業し、1964年に立教大学理学部数学科を中退。 以後、油彩で幻想絵画を描き続けている。親が早くに死去したため、母親の弟である映画俳優の室田日出男と長く一緒に生活した。
島崎 晃(しまざき あきら、1941年 - )は、イギリスの… 島崎 晃(しまざき あきら、1941年 - )は、イギリスの政治家。ニックネームはJack Bara Caws。西ウェールズの町カーディガンで、2012年から2017年まで町議会議員を務めた。 2017年時点で、日本人として唯一、イギリスの町議会議員を務めていたことで知られる。なお、国籍は2000年以降イギリスである。 1941年、栃木県那須郡佐久山町(現大田原市)に生まれる。実家は造り酒屋であった。大田原市立佐久山小学校、大田原市立佐久山中学校、学習院高等科を経て、学習院大学文学部哲学科でイギリス哲学を専攻する。大学時代は小松茂夫に師事し、大学卒業後、1967年にイングランド南東部コルチェスターに語学留学する。
成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京… 成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京都出身の元野球選手。 東京都品川区出身で、品川区立大崎中学校、明治高校、明治大学を経て、社会人野球の日本コロムビアで野球選手として活躍した。明治高校では春、夏1度ずつ2度の甲子園出場を果たした。第40回全国高等学校野球選手権大会東京都代表決勝戦では、王貞治が投手だった早稲田実業学校と戦い、1対1で延長戦に入り、延長12回表に早稲田実業に4点を取られたが、その裏明治が5点を奪い劇的な逆転サヨナラ勝利で、甲子園出場を果たした。この時成島は2年生でショートを守っていた。王貞治は今でもこの時のことを生涯忘れられないと語っている。 卒業後は明治大学に入り、東京六大学野球で活躍し、東大戦でホームランも打っている。
林田 孝和(はやしだ たかかず、1941年 – 2023年)… 林田 孝和(はやしだ たかかず、1941年 – 2023年)は、日本の中古文学研究者。学位は、文学博士(1993年11月 國學院大學 文乙108号)。國學院大學栃木短期大学国文学科教授。 1941年、熊本県下益城郡杉合村大字国町(現、熊本市南区富合町)に生まれる。1959年、熊本県立宇土高等学校卒業。1964年、國學院大學文学部文学科卒業。1969年、國學院大學大学院文学研究科日本文学専攻博士課程所定単位取得満期退学。 1964年–1966年、東京電機大学高等学校非常勤講師。1966年–1970年、同高等学校専任講師扱い。1970年–1972年、國學院高等学校教諭。1970年–1987年、同高等学校専任講師。
磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )… 磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )は、日本の版画家。愛知県立芸術大学学長を務めた。木版画を主に制作。作品の主題は主に「人物、花、樹木」である。1978年頃から合板ではなく杉板を使いはじめ、板と板との継ぎ目や板目の違いによる刷りムラも独自の技法として取り込み、墨一色の力強くプリミティブな作風を確立している。 東京芸術大学では山口薫に油彩を学ぶ。大学院時代から版画制作をはじめ、非常勤講師だった小野忠重、当時博士課程に在籍していた小山松隆から木版画の手ほどきをうける。4人兄弟の末弟で、兄に上智大学文学部名誉教授の磯見辰典、横浜国立大学教育学部名誉教授・磯見昭太郎、医師の磯見明がいる。
小林 照夫(こばやし てるお、1941年 ‐ )は、日本の歴… 小林 照夫(こばやし てるお、1941年 ‐ )は、日本の歴史学者。関東学院大学名誉教授。博士(社会学)。専門は、近代イギリス史、日英比較文化史論、都市形成史、港湾史。 神奈川県川崎市生まれ。浅野中学校・高等学校、関東学院大学経済学部等を経て、1969年関東学院大学大学院経済学研究科修士課程修了。在学中は今野国雄に師事。1978年から79年に英国・エディンバラ大学大学院経済学研究科へ留学、J.N.Wolfeに指導を受けた。関東学院大学文学部教授、同大学大学院文学研究科指導教授、2011年3月定年退職。 学外では、中国青年政治学院経済管理系客員教授、英国・スターリング大学養殖研究所(the Institute of Aquaculture)客員教授、日韓次世代国際学術大会諮問教授(韓国・東西大学校委嘱)、日本大学大学院商学研究科非常勤講師、同志社女子大学大学院国際社会システム研究科嘱託講師などを歴任した。
田中 三郎(たなか さぶろう、1941年 - )は、日本の外… 田中 三郎(たなか さぶろう、1941年 - )は、日本の外交官。内閣情報調査室次長や、シドニー総領事、駐キューバ特命全権大使等を歴任した。 東京生まれ。福井県立武生高等学校、東京外国語大学外国語学部英米学科を経て、オックスフォード大学哲学・政治・経済学部(Philosophy, Politics and Economics)卒業。外務省欧亜局大洋州課首席事務官、外務省情報文化局報道課外国プレス室長、外務大臣官房総務課査察室長、外務大臣官房領事移住部領事第二課長、在ハンガリー日本国大使館参事官、在英国日本国大使館参事官、在ルーマニア日本国大使館参事官、在プレトリア日本国総領事館首席領事、在ハンガリー日本国大使館公使、在英国日本国大使館広報文化センター所長、在タンザニア日本国大使館公使などを経て、1989年岐阜県国際交流センター理事長、岐阜県理事。
桑原 耕司(くわばら こうじ、1941年 - )は、日本の実… 桑原 耕司(くわばら こうじ、1941年 - )は、日本の実業家。昭和63年9月株式会社希望社を設立。現在、代表取締役会長。 建築主の側に立ち、建築主と一体となって建築を行うサービス『JCM(日本型コンストラクション・マネジメント)』を提唱。2003〜2009年長野県 公共工事 入札等検討委員会委員。「建築基準法再改正を実現する会」発起人の一人。
池田 魯參(いけだ ろさん、1941年〈昭和16年〉- )は… 池田 魯參(いけだ ろさん、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の曹洞宗の僧侶(長野県長野市豊野町柳原寺住職)・仏教学者。第30代駒澤大学総長。専門は中国天台教学。幼名は悟。 埼玉県北足立郡与野町下落合(現さいたま市中央区)生まれ。1944(昭和19)年、父の本籍地である長野県上水内郡の柳原寺に戦時疎開。1957(昭和32)年、長野県長野高等学校入学。1960(昭和35)年に駒澤大学仏教学部禅学科入学、魯参に改名。1964(昭和39)年、同大学卒業。1969(昭和44)年、同大学院博士後期課程満期退学、同学部助手に着任。1972(昭和47)年に同大専任講師、1977(昭和52)年に助教授、1983(昭和58)年に教授就任。
山岡 文彦(やまおか ふみひこ、1941年 -2019年 )… 山岡 文彦(やまおか ふみひこ、1941年 -2019年 )は、日本の植物学者、動物学者、キリスト教会牧師。 長野県岡谷市生まれ。麻布獣医科大学(現麻布大学)獣医学科卒業。聖書宣教会神学舎卒業。桜美林大学非常勤講師。相模聖書キリスト教会牧師。 植物学の研究の主要な部分は、帰化植物に関する研究である。その中で全国の帰化植物を調査するに当たっては、60年代よりの鉄道沿線の調査、高速道路の進展に伴う植物分布の拡大等の調査はもとより、大規模鶏舎等の飼料輸入に伴う侵入、米軍キャンプ地を通じての侵入、港湾周辺、輸入原料加工産業からの侵入等、独特の観点からの調査を行なって来ている。 動物学において、特筆すべきは、聖書の動物の研究である。
武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集… 武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集者。赤塚マンガのキャラクター「武居記者」として知られる。 1941年(昭和16年)、長野県岡谷市に生まれる。実家は諏訪で800年の歴史を持つ神社。長野県諏訪清陵高等学校を経て早稲田大学第一文学部を卒業、大学時代の親友に後の俳優の小林勝也、後の漫画原作者であるやまさき十三がいた。 1966年(昭和41年)、小学館に入社、第二編集部の『少年サンデー』に配属され、赤塚不二夫、古谷三敏、石井いさみ、あだち充などの担当編集者として数々のヒット作を手がける。 1975年からは少女漫画部門へ異動となり、『週刊少女コミック』副編集長に就任。新人編集者の都築伸一郎と共に、人気作家となる前のあだち充を粘り強く起用し続けた。
手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法… 手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法学者、千葉大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。同大学助手を経て、1970年千葉大学講師、1974年同大学法経学部助教授、1984年同大学教授。1985年~1987年ドイツケルン大学客員教授等を兼任。1999年4月より法経学部学部長。2007年定年退官、名誉教授となり、青山学院大学国際政治経済学部教授。2012年退職。2020年春、瑞宝中綬章受勲。専門は外国人労働者、ドイツ問題。
一郷 正道(いちごう まさみち、1941年 - )は、日本の… 一郷 正道(いちごう まさみち、1941年 - )は、日本の仏教学者。文学博士(京都大学・1986年)。元京都産業大学教授、大谷大学教授、京都光華女子大学・同短期大学部学長。岡崎教区第34組真勝寺住職。 静岡県生まれ。1959年(昭和34年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、大谷大学文学部仏教学科卒業。1967年(昭和42年)、ワシントン州立大学極東学部大学院入学。1969年(昭和44年)、京都産業大学講師、1970年(昭和45年)、京都大学大学院文学研究科博士課程宗教学(仏教学)専攻単位取得後退学。1981年(昭和56年)、京都産業大学教養部教授。1986年(昭和61年)、文学博士(論文博・京都大学)。
伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、… 伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、日本の墨画師、イラストレーター。主に広告業界で活動し、サントリーリザーブの新聞広告、キリン一番搾りの墨文字・墨画などで人気を博した。 1941年、上海生まれ。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、東京芸術大学工芸科卒業。広告代理店に入りアートディレクターをしていたが、「どうしても絵をかきたい」との思いを抑えきれず退社し、1971年〜1972年、ヨーロッパを旅した。当初、版画に取り組んだが、しばらくして「墨で絵をかいたらどうなるか」と考え、習字を習った。間もなく、サントリーから墨絵の広告を依頼され、約7年間描いた。サントリーリザーブの新聞広告を皮切りに、雑誌の表紙絵、デパートのポスター、カレンダー、商品パッケージのイラスト、企業のロゴマークなどを手掛けた。
植松 正(うえまつ ただし、1941年 - )は、名古屋市出… 植松 正(うえまつ ただし、1941年 - )は、名古屋市出身の東洋史学者。専門は、宋・元代。元香川大学教授、京都女子大学文学部長、学校法人京都女子学園理事。博士(文学)(京都大学)。 1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、京都大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。1965年、京都大学大学院文学研究科修士課程(東洋史学専攻)入学。1967年、同修了。1970年、京都大学大学院文学研究科博士課程(東洋史学専攻)単位取得退学。1970年、学術振興会奨励研究員。1971年6月、京都大学研修員。同年10月、香川大学教育学部講師。1973年、同助教授、1983年、同教授。1988年9月、文部省短期在外研究員として、米国、西ドイツにおいて研修(同年10月まで)。
川島 紘一郎(かわしま こういちろう、1941年〈昭和16年… 川島 紘一郎(かわしま こういちろう、1941年〈昭和16年〉 - )は、日本の薬学者。共立薬科大学名誉教授。薬学博士(東京大学)。 1960年(昭和35年)、静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学薬学部卒業。1971年、東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。同年、ニューヨーク医科大学 Research Fellow、Postdoctoral Fellow。1973年、ロッシュ分子生物学研究所(英語版)Postdoctoral Fellow。1975年、自治医科大学薬理学教室講師。共立薬科大学薬理学教室教授。2007年、同大学退任、名誉教授。武蔵野大学薬学研究所客員教授、北里大学薬学部分子薬理学教室客員教授を歴任した。
安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県… 安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 沼津東高等学校では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、静岡高に延長14回逆転サヨナラ負け。1959年に社会人野球の大昭和製紙に入社、10年間遊撃手として活躍した。1961年の都市対抗では準決勝に進むが、新三菱重工に敗退。1968年には全日本代表のメンバーにも選ばれた。 1969年から大昭和製紙北海道の監督を務め、1974年の都市対抗野球で北海道のチームで初の優勝を果たし、同年には社会人ベストナインの特別表彰を受けている。 1980年から古巣の大昭和製紙の監督を務め、1980年の都市対抗でチームを優勝に導いた。
棚橋 康郎(たなはし やすろう、1941年 - )は、日本の… 棚橋 康郎(たなはし やすろう、1941年 - )は、日本の実業家。新日本製鐵常務取締役や新日鉄ソリューションズ社長を務めた。 名古屋市千種区に生まれる。 幼少時代は岐阜県大垣市で過ごす。その後愛知県立明和高等学校(1959年卒業)を経て、慶応義塾大学経済学部に入学し、加藤寛ゼミで学んだ。 物事には前捌きで捌いてよい問題もあるが、原点に回帰して構造的に取り組まねばな らない問題があることをしっかり認識し、後者については労を惜しんではならないと教えられる。 1963年の卒業後は日本経済の基幹産業である製鉄業を志し、富士製鉄(現・日本製鉄)に入社した。 入社後、経営企画部・販売管理部・総務部など製鉄事業の企画管理畑を歩んだが、取締役就任後はバブル崩壊を受け、手を広げ過ぎた新規事業の選択と集中を決断し、整理撤退すべき事業(半導体事業・シリコンウエハ事業)からの撤退と残すべき事業(情報通 信事業・新素材事業)の育成強化を陣頭指揮した。
西川 富夫(にしかわ とみお、1941年 - )は、日本の実… 西川 富夫(にしかわ とみお、1941年 - )は、日本の実業家。元名鉄グランドホテル代表取締役社長。元名古屋鉄道副社長。 名古屋市生まれ。愛知県立明和高等学校、名古屋大学工学部を卒業後、名古屋鉄道入社。名古屋鉄道副社長等を経て、2007年、名鉄グランドホテル社長に就任。この間、牛島市街地再開発組合(名古屋鉄道、中部電力、トヨタ自動車等で作る名古屋ルーセントタワー建設推進組織)の理事長を兼任。また、2006年より、愛知県経営者協会副会長に就任。2012年には名古屋駅太閤通口まちづくり協議会の会長に就任している。
西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉-… 西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の漫談家、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家。京都府出身。本名は西条 貴博(さいじょう たかひろ)。1970年代以降、関西を中心に漫談・音楽ショー・ラジオなど幅広い分野で活動した。 京都府立朱雀高等学校在学中、京都市内の歌謡喫茶「ひばり」に所属するグループ「シャネル・カンカンズ」のリーダーを務めた。同店でボーヤとして楽器運びをしていた人物が、後にラジオ大阪『オーサカ・オールナイト』で共演する横山プリンである。同時期、素人参加型のラジオ演芸番組に数多く出演し賞金を得る、いわゆる「素人番組荒らし」として早くから注目される存在となっていた。